弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年7月 2日

原始仏典を読む

インド

(霧山昴)
著者  中村 元 、 出版  岩波現代文庫

 仏教の経典は本当は難しいものではない。日本で仏教が難しいものだと思われているのは、日本のことばに直さないで、今から数百年前の中国のことばで書かれたものを、そのまま後生大事にたもっているから。
 パーリ語で書かれた原始仏典を「三蔵」という。サンスクリット語は、インドの雅語で、バラモンが多く用いていた。パーリ語は、南方仏教の聖典用語。パーリ語は聖典語ともいう。
老いというのは嫌なもの。なんじ、いやしき「老い」よ!いまいましい奴だな。おまえは、人を醜くするのだ! 麗しい姿も、老いによって粉砕されてしまう。
死は、あらゆる人に襲いかかる。朝(あした)には多くの人々を見かけるが、夕べにはある人々の姿が見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝にはある人々の姿が見られない。
他人が罵(ののし)ったからといって、罵り返すことをしてはいけない。善いことばを口に出せ。悪いことばを口に出すと、悩みをもたらす。
仏教の開祖であるゴータマ・ブッダの死は、信徒にとって永久に忘れられない出来事だった。
ゴータマ・ブッダが神的存在として描かれている文章は後代の加筆である。そうではなく、人間らしい姿が描かれているのは、多分に歴史的人物としての真相に近い。
ゴータマ・ブッダの実在は疑いなく、紀元前463年に生まれ、前383年に亡くなった。
ゴータマ・ブッダは王宮の王子として育ったが、王宮の歓楽の世界にあきたらず、出家して修行者となった。
ゴータマ・ブッダはネパール生まれの人であった。
ゴータマ・ブッダは「戦争なんかしてはいけない」と頭から言わず、諄々と説いた。
ブッダは共和の精神を強調した。共同体の構成員が一致協力して仲よく暮らすというのを大切にした。この精神をもっていると、たやすく外敵に滅ぼされることもないと強調した。 
「おれは世を救う者である。おれに従えば助かるけれども、そうでなかったら、地獄におちるぞ」そんな説き方をブッダはしなかった。
日本の天台宗は、草木も国土もすべて救われるという教えを説いた。
「南無」は「ナム」で「屈する」という意味。屈する、頭をたれる、つまり敬礼し、敬礼し奉るという意味。
インドの挨拶言葉、「ナマステー」の「テー」は「あなたに」という意味。だから、「ナマステー」とは、「あなたに敬礼いたします」という意味。
「法」という字の「サンズイ」は水で、水は水平、公平意味する。「法」は一種の神獣を意味し、直ちに罪を知る。
「マヌ法典」は、この法律によって弱者も、その生活を擁護され、強者もむやみに弱者を迫害しえない。弱いものでも法の力を借りるならば強者を支配することをインド人は早くから自覚していた。
仏教では、人間は人間である限り平等であるという立場を表明した。生まれによって賤しい人となるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
自己を愛するということが、まず自分を確立して行動を起こす出発点なのである。同様に他の人々もそれぞれ自己はいとしい。ゆえに自己を愛するものは他人を害してはいけない。 
人は、なぜ嘘をつくのか。それは何ものかをむさぼろうという執着があるから。人間が嘘をつくのは、とくに利益に迷わされたときが多い。
著は1912年に生まれたインド哲学を研究する仏教学者です。さすがに、仏教とブッダについて深い学識を感じさせられます。原始仏教について少し勉強してみました。
(2014年9月刊。1360円+税)

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