弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2021年6月 1日

俺の上には空がある広い空が

司法


(霧山昴)
著者 桜井 昌司 、 出版 マガジンハウス

1967年8月、茨城県の利根町で62歳の男性が殺され預金が奪われた。強盗殺人事件。布川(ふかわ)事件と呼ばれるのは、その男性の自宅のあった地名から。
犯人として、10月に利根町出身の2人の不良青年(20歳と21歳)が逮捕された。窃盗容疑での別件逮捕。警察は2人の若者を「お前は人殺しだ。認めなければ助からない」と責め立てて、ついに2人とも自らの犯行だと認めて「自白」する。
2人と事件をむすびつける物証は何もなく、目撃者も当初はこの2人とは違うといっていたし、現場の毛髪も2人のものではなかった。しかし、検察庁は自白調書をもとに起訴した。裁判所は「やっていない者が自白できるはずがない」として有罪(無期懲役)。高裁も最高裁も一新有罪を是認し、2人は、ついに刑務所へ。29年間、2人は刑務所の中。そして、仮出所後に申立した第二次再審請求が認められて、完全無罪。事件発生から43年がたっていた。
事件が起きた1967年(昭和42年)というと、私が上京して大学1年生(18歳)の秋のことです。貧乏な寮生でしたが、10月ころは試験あとの秋休みで寮生仲間の故郷の長野へ遊びに行っていました。同時に、セツルメント活動にも本格的に身をいれていたころのことになります。
著者は自由を縛られた刑務所の中で、20代を失い、30代を失った。
人間の心をも断ち切る刑務所の中で、母も失い、父も失い、何もできないままに、ひたすら耐え続ける歳月。
裁判のたびに誤判が重ねられて、それでも本人はやめるわけにはいかない。
20歳の秋に始まり、64歳の初夏に終わった冤罪との闘い。43年7ヶ月に及んだ歳月は、まったく無駄な時間ではなかった。自分にとって必要な時間だった。
20歳のころ、著者は意思が弱くて、怠け者で、小悪党のような生活をしていた。
なぜ、無実の人が嘘の自白をしてしまったのか...。当事者になると、それは意外に簡単だった。「やった」と認めた以上は「知らない」とは言えないため、事実の記憶を、日付や時間を事件にあわせて置き換え、嘘を重ねていく。
最初は、「おまえが犯人だ」と責められる目の前の苦痛から逃れたかった。そのうえ、杉山が犯人だと思わされたので、自分の無実は証明されると楽観視があった。警察に戻されると、今後は「死刑」と脅された。そして、後任の検事から「救ってやりようがない」と言われた。ここまでくると、嘘でも「やった」と言ってしまった自分のほうが悪いという気持ちになった。せめて死刑にだけはなりたくなかった。まさか嘘の自白で無期懲役の有罪が確定するとは思わなかった。こんなメカニズムがあるのですね...。
警察は犯人と疑いはじめたら最後、話を聞く耳をもたない。人間は、自分の話を聞いてもらえると思うから話ができる。何を話しても否定され、責められたら、人間は弱いもので心が折れてしまう。警察・検察・裁判所の過ちによって冤罪にされたが、そもそも冤罪を招いたのは自分自身だ。疑われるような生活をしていた自分が悪い。逮捕のきっかけをつくったのは自分なので、誰も責めないし、誰も恨んでいない。
刑務所は不自由が原則だった。自由が許されたのは、考えることだけだった。著者は詩を書き、作詞作曲に励んだ。そのことを自分の生きた証(あか)しにしようと思った。
刑務所は寒さも熱さも敵だ。でも、本当に大変なのは、人間関係だ。もめごとは尽きなかった。刑務所ではケンカ両成敗だ。片方だけを処罰すると遺恨を生んで、さらに深刻なもめごとに発展する恐れがあるから...。下手に仲裁して、ケンカ沙汰になったら、仲裁者も無事ではすまない。そこに意地の悪い刑務官が加わると、ますます面倒なことになった。
靴を縫う仕事を内職でした。1足250円で、月に1万2000円にもなった。10年続けて100万円をこえるお金をもつことができた。
社会に戻ってしたいことの一つが、闇の中を歩くこと。これには驚きました。というのは、拘置所にも刑務所にも闇がない。夜になっても、常に監視する常夜灯がついているからなのです。そして、2011年に四国巡礼を始めた。
著者の歌を聞いたことはありませんが、その話は間近で聞いたことがありました。長い辛い獄中生活の割には、明るくて前向きの生き方をしているんだなと感じました。
この本を読んで、一層その感を深くしました。ご一読をおすすめします。
(2021年4月刊。税込1540円)

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