弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年9月14日

ロストユニオンに挑む

著者:戸塚章介、出版社:共同企画
 フランス労働運動から学ぶこと、というサブ・タイトルがついています。ご承知のとおり(と思いますが・・・)、フランスでは今も盛んにストライキがやられ、ときにはゼネスト(全国的な統一ストライキ)まで決行されます。日本のようにストライキが死語となってしまった国とは大違いです。そして、労働時間は週35時間、残業のないのがあたりまえの国です。フロシキ残業とかカローシ(過労死)とは無縁の国です。といっても、ニッサン(ルノー)のゴーン氏のようなひと握りの特権的エリートが猛烈に働くのは、日本と同じのようです。
 私の身近な話としては、私がフランス語を習っているフランス人は、自分の労働条件について日本の弁護士である私に相談するとき、日本では労働組合というのはまったくあてにならないようだが、フランスではそんなことはないし、労働者の権利を守るためにたたかうのは当然だ、黙っていたら権利は守られないと考えている、そこが日本人のメンタリティーとは全然違う、このようにしきりに強調していました。日本人の奥さんをもち、日本語を自在にあやつる人ですが、私はあくまでフランス人なんだと断言するのです。私は、権利の上に眠れる者は救われない、という法格言を思い出し、なんだか申し訳なく、かなり恥ずかしい思いをしました。
 そんなフランスでも、実は労働組合の組織率は8%となっています。イギリスの31%、ドイツの27%に比べてもかなり低いのです。その理由のひとつに、フランスに組合費のチェック・オフ制度がないことがあげられています。つまり、組合費の徴収は組合の手でなされるのです。私はいまNHKの受信料の支払いをやめていますが、誰だって意義を認めたくないお金は支払いたくないですよね。
 ストライキの盛んなフランスですが、それは労働組合の組織的行為ではなく、労働者個人を主体としています。ええーっ、ストライキって労働組合がやるんじゃないのか・・・と驚いてしまいました。もちろん、提起するのは労働組合です。ストライキ委員会が労働組合の違いをこえて組織されますが、これはあくまでも一時的な組織です。
 職場には労働組合が複数存在し、お互いに労働者の支持を競い合っています。2つある選挙が組合の支持率を明らかにします。従業員代表制度と労働審判制度です。労働審判制度は毎年16万件から19万件の申立があります。
 フランスの複数組合主義は既に長い歴史をもっています。これは、路線のちがいをお互いに認めあったうえで、対立はするが、相手の抹消は目ざさないというものです。
 日本のユニオン・ショップ協定は形骸化し、その本来の意味を喪っている。自動的に増えた組合員は組合の力にならなくなっている。
 著者はこのことを再三強調しています。日本の現状を見ると、まったく同感です。
 ニッサン労連の塩路一郎元会長のように経営(人事)にまで口を出し、労働組合の原点を忘れてしまった文字どおりの「ダラ幹」をうみ出している根源がそこにあります。
 ところで、この本では昭和30年代、40年代に、青年労働者の改革の息吹を当時の経営トップたちの度量のなさから弾圧していったことが、今の労働運動の低迷ひいては日本経済全体の混迷をもたらしたという趣旨の指摘がなされています。
 この点については、もちろん経営側からの反論も大いにありうるところでしょう。でも、いまのように職場に労働組合の姿が見えず、過労死やフロシキ残業が常態化していて、成果主義のかけ声のもとで、ますます個人の持ち味が圧殺されている現状は、大いに反省すべきだと思うのですが、いかがでしょうか・・・。
 ちなみに、旅行会社で働いている私の娘も長時間のサービス残業などでくたくたに疲れています。自分の健康を損なってまで会社に尽くす必要なんかない。そんな会社はさっさと辞めて、自分にあった仕事を早く探した方がいい。私は娘から相談を受けたときに、そう言いました。今の若者にとって、仕事がないか、過労死寸前まで酷使されるか、その両極端ばかりです。労働者の権利を守る砦としての労働組合の復活が日本の将来のためにも必要なのではないでしょうか・・・。

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古代日本・文字の来た道

著者:平川 南、出版社:大修館書店
 文字と漢字とは違うという、考えてみれば当たり前の違いを気づかされました。
 漢字は、中国のもっとも主要な民族である漢民族が話す言語を漢語といい、その漢語を表記するための文字なのである。
 漢字の直接の祖先は甲骨文字です。この甲骨文字は戦争とか農産物の出来具合を占うためのものだということは私も知っていました。しかし、単に占いのためだけなら、文字は不要です。占いの内容があたったかどうか、その結果を刻みこんだものが甲骨文字なのです。そして、この甲骨文字は今ではほとんど解読されています。
 甲骨文字は、むしろ占いの正しさを立証し、保存しておくためのものだったのです。一般の国民に読ませる文字ではありませんでした。文字の読者は神様であったのです。
 同じように、当時の青銅器(たとえば、紀元前1000年頃の殷・周時代)には、容器の内側に文字が記されています。したがって、文字の読者は生きた人間ではなく、神様とか祖先の霊魂だったのです。
 秦の始皇帝のころから、文字が不特定多数の人間に向けたものとして使われるようになりました。日本で文字をつかい始めたのは、2〜3世紀ころのことで、百済から日本列島に渡来してきた人たちの影響によると考えられています。文法として朝鮮語と日本語はまったく同じということです。しかし、高句麗と百済は扶与族で、母音で終わる言語をつかい、新羅は韓族で発音が子音で終わるという違いがあります。現代の韓国語は新羅語につながっています。
 日本の仮名のもとである万葉仮名は朝鮮半島の漢字の表音的な用法をまねして成立していきました。ところが、日本の読み方が、オからケに変わるという変化もあって、韓国語と違っていったのです。
 日本で本格的に漢字をつかい出したのは5世紀のこと。しかし、6世紀は空白の世紀を言われています。文献資料に乏しいのです。7世紀になると、大量の木簡もあって漢字が普及していることが分かります。
 また、木簡の材質が日本と韓国とではまったく異なるそうです。日本はヒノキが大半で、スギもいくらかありますが、韓国ではほとんどマツ。ちなみに、仏像の材質も日本はクスノキ、韓国はアカマツです。
 ところで、塩を波の花、すり鉢をあたり鉢と言いかえて、縁起をかつぐという話が紹介されています。私は知りませんでした。

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2005年9月13日

阿部謹也自伝

著者:阿部謹也、出版社:新潮社
 私が著者の本を最初に読んだのは、「ハーメルンの笛吹き男」(ちくま文庫)でしょう。中世ドイツの都市に生きる人々の姿が生き生きと描き出されており、一心に読みふけりました。「オイレンシュピーゲル」の話も面白く読みました。「中世の窓から」(朝日選書)など、ヨーロッパ中世の社会を知るにつれ、日本との異同をいろいろ考えさせられました。
 この本では、一橋大学の前学長として、国立大学が独立行政法人化するときの悩みや問題点などについても鋭い指摘がなされています。さすが歴史学者だけあって、それに至る状況が、ことこまかく分析的に語られています。
 ところで、著者が卒業論文のテーマ選択に迷っているとき、相談した恩師は次のように答えました。
 それをやらなければ生きてゆけないテーマを探せ。
 なんとすごい言葉でしょうか・・・。私にそんな研究テーマがあるのか、はたと考えてみました。私にとって、たったひとつ思いあたるものとして、大学一年生のときに出会った学生セツルメントがあります。これについては、私なりに研究し、なんとか成果を本にまとめてみたいと考えています(近く第1巻を出版する予定です)。
 著者がドイツに留学し、ハーメルンの笛吹き男の資料に関わるようになった経緯も明らかにされています。なかなか大変だったようです。
 ちなみに、ドイツには、「先日はありがとうございました」というようにさかのぼってお礼を言う習慣がないそうです。また、ヨーロッパには、「今後ともよろしくお願いします」という日本人の私たちがよくつかう言い方もありません。
 アフリカの人は、ひとたびしてもらったことについては、生涯、感謝し続けるので、一度でもありがとうと言ってしまえば、感謝の行為はそこで終わってしまう。だから、ありがとうと言わない。このようなことも紹介されています。
 一橋大学の学長として著者が取り組んだ問題のひとつに、1969年に結ばれた確認書を破棄することがありました。私たちが大学生としてストライキを含めて闘った成果の確認書ですが、今では実質を喪って単なる過去の証文になっていたうえ、桎梏にまでなっていたのです。残念というか、感慨無量というか・・・。
 私たちは1969年、大学運営に学生の声を反映させるよう求め、当局に大衆団交に応じることを認めさせました。当局との大衆団交というと、学生が何百人どころではなく、それこそ何千人と集まっていた当時の話です。ところが、時代は移り、今では、学生運動という言葉自体がほとんど死語になってしまっています。
 著者は、当時と今は違うんだと、次のように指摘しています。
 現在、大学生は同世代の人口の5割近くを占めている。それほどの数の学生が、大学教師になったエリートたちと同様の価値観をもっているはずがない。彼らは大学で教えられている教科がどのような価値をもっているのかを知らず、少なくとも自分は関係ないと思っている。大学における教養教育は、まずこのような学生を知ることから始めなければならない。彼らの1人1人が自分を発見し、社会のなかにおける自分の地位がわかるまで指導しなければならない。大学の構造が今では戦前とまったくちがっているのに、教師は今も自分が学んだ学問が誰にとっても価値があるものだと思いこみ、それを理解しない学生を馬鹿にしている。大学は、このような状態のなかで、確実に死にかけている。
 いやー、そうなんですねー・・・。そのように考えるべきなんですね。私たち先輩弁護士は、司法修習生に対しても同じように考えるべきだ。最近、そのように思うようになりました。

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2005年9月12日

アフリカ発見

著者:藤田みどり、出版社:岩波書店
 日本におけるアフリカ像の変遷というサブタイトルがついています。アフリカ「発見」とあり、発見にはカギカッコがついています。私は、この本を織田信長の側近にアフリカ黒人がいたことを紹介しているとの書評を見て買いました。なんと、あの本能寺の変のとき、信長と最後をともにしたらしいというのです・・・。
 黒人という言葉には、白人と違って差別のニュアンスがあります。でも、ここでは、あえて黒人という言葉をつかわせてもらいます。日本の文献にはじめて黒人が登場するのは「信長公記」だそうです。
 きりしたん国より黒坊主(くろぼうず)参り候。年の齢(ころ)26、7と見えたり。全身の黒きこと、牛の如し。この男、健やかに、器量なり。しかも、強力なこと、十人並以上(少し原文を変えてあります)。
 イタリア人巡察師ヴァリニャーノは従者として1人の黒人を連れていた。信長は噂を聞いて自分自身の目で確かめようと、本能寺に呼びつけた。黒人の肌の色が自然であって人工でないことが信じられなかった信長は、黒人に着物を脱がせ、その場で洗わせた。しかし、黒人の皮膚は白くなるどころか一層黒くなった。
 ヴァリニャーノにとって予想外だったのは、信長があまりにも黒人を気に入ったため、献上物に加えて、その黒人を手放さなければならなかったこと。
 この黒人は、モザンビーク生まれのアフリカ黒人であった。もとは喜望峰周辺の住人である。少しではあるが日本語を話し、多少の芸もできた。身長6尺2分。名前を彌助といった。彌助は本能寺で戦い、信長の死後に、信忠のいる二条城へ駆けつけ、最後まで果敢に戦った。光秀は殺さないでよいとした。しかし、その後の消息は不明である。
 豊臣秀吉も、肥前名護屋城でポルトガル人の連れてきたアフリカ黒人に会っている。あちらこちらに飛びはねる踊りで、爆笑の渦につつまれたという。
 安土桃山時代にある程度の人数の黒坊が日本にいたことは、南蛮屏風のなかに数多くの黒人が描かれていることで分かる。
 ところで、このころポルトガル国内に多数の日本人奴隷がいたといいます。ええーっと驚きました。ザビエルが鹿児島に到着した頃(1949年)、多くの日本人が奴隷として海外に売り渡されていたのです。ちっとも知りませんでした。ポルトガル人が、日本人を男は労働者として、女は売春婦として輸出していたのです。
 龍造寺隆信と有馬晴信との戦さでも1人のアフリカ黒人が有馬陣営の大砲の砲手として活躍して有馬側に勝利をもたらしたというのです。これまた大変おどろきました。
 世の中って、本当に知らないことって多いんですね。

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2005年9月 9日

腐蝕の王国

著者:江上 剛、出版 銀行を舞台にした小説をこのところ何冊も読みました。この本も読み手をぐいぐい銀行の内幕に引っぱっていく力をもっています。さすがプロの筆力は違う、と唸りながら(妬みも感じながら)一気に読みすすめていきました。
 銀行内で順調に来た人間に対する嫉妬は並大抵ではない。一人落ちれば、一人上がるという社会だから。銀行は不祥事に備えて、警察官僚の退職者を顧問として雇っています。なにかのときに警察を抑えてもらうのです。警察は典型的なタテ社会だ。だから、元警視総監から依頼されて、断ることのできる地元署の署長など、いるわけがない。こう書かれています。きっと、そのとおりなんでしょう。
 不祥事のときの記者会見に、中途半端な知識でのぞむのは失敗のもと。記者会見はともかく時間が過ぎればいい。記者会見をやって頭を下げたことが重要なのだ。知らない、調査中だ。なんと言われようと、これで逃げ切る。記者会見の冒頭、8秒間、ゆっくり頭を下げる。声を出さずに、ゆっくり数を一、二、三、四・・・、八とかぞえるのだ。
 リーダーとは、人一倍欲のある人間だ。その欲を上手にコントロールできれば権力者になれる。しかし、欲を支配できなければ、滅びる。
 銀行は大蔵官僚の接待のためなら、予算の上限など気にせずにお金をつかう。一銀行で億単位だ。気をつかえばつかうほど、役人は喜び、便宜を図ってくれる。
 銀行の内側の雰囲気がよく出ている小説です。バブル時代に突進し、今では不良債権の処理に汲々としている様子がよく描かれています。そのあまりのおぞましさに、銀行なんかに勤めなくて良かった。そう思いながら、ほっとした思いで最終頁を閉じました。
社:小学館

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志ん生長屋ばなし

著者:古今亭志ん生 30年ほど前、ひところ落語のテープをよく聴いていた。子どものころ、落語全集があったので、それも読んでいた。ラジオでも広沢虎造の浪曲や古今亭志ん生の落語を聴くことがあった。
 私の同期の裁判官に、今もたまに高座に出るほど落語にうちこんでいる人がいる。難しい法律の話をさせても、いつのまにか落語を聴いているような気分になり、頭のなかにすーっと入ってくるから不思議だ。やはり人の心をつかむ話術というのは、すごい力がある。
 志ん生の長屋を舞台とした古典落語を読むと、いつのまにか寄席にすわって落語をじっくり聴いているような気がしてくる。座布団にちょこんとすわって、道具といえばせいぜい扇子と手ぬぐいくらいなのに、この世のものすべてそれらで表現されるという不思議な世界が目の前に現出する。
 江戸時代の長屋に生活していた庶民のたくましい息づかいが伝わってくるところが実にいい。 
、出版社:ちくま文庫

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スノーモンキー

著者:岩合光 有名な動物写真家による長野県の地獄谷のニホンザルの一年と一生をうつした大判の写真集です。眺めているだけで、なんだか心がゆったり、ほのぼのとしてきます。
 白い雪を頭にかぶりながら、温泉につかっているサルの写真は、まるで、タオルを頭の上にのせて雪見酒を飲んで顔が赫くなってしまった人間(ヒト)の写真です。子ザルたちが群れをなして遊んでいる写真には生命の躍動を感じます。母ザルと子ザルとのあいだの親密な関係もうつされています。人間の赤ん坊とそっくりです。
 春になって木々が芽ばえてくると、サルたちも生き生きしてきます。ヤマザクラの花も食べます。サルの赤ん坊は、4月から6月にかけて次々に生まれます。必死で母ザルにしがみつく赤ん坊ザルの可愛いらしさといったら、ありません。そして、姉さん子ザルが赤ん坊の面倒をみたがるのです。
 秋は、サルたちの交尾期。オスもメスも顔や尻を真っ赤にします。秋のオスは、ひたすら交尾に集中するのです。メスもそれを受けいれます。
 サルは母系家族。ほら、似てるでしょ。そう言われても、なんだかみんな同じような顔に見えます。でも、じっくり見ていると、たしかにサルごとに違った顔をしていますし、似てもいる気がしてきます。
 サルの寿命は25年から30年と言われています。ひっそりと死んでいくそうです。
昭、出版社:新潮社

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2005年9月 8日

兵士であること

著者:鹿野政直、出版社:朝日新聞社
 兵隊は一銭五厘の葉書で、いくらでも召集できる。
 このようによく言われます。しかし、これには2つの間違いがあります。召集令状は葉書では送られていません。役場の兵事係の人が一軒一軒たずねて手渡すのです。郵便配達夫ではありません。召集令状は受領証がついていて、本人が何時何分に受けとったというハンコが必要で、左の方には汽車の無料乗車券がついていました。それに、葉書は1銭5厘のときもたしかにありましたが、日中戦争が本格化したころには2銭になっていました。
 1942年にコンドームが軍需物資として3210万個つくられています。「慰安所」へ行かない兵士がいると、その兵士は特殊視されました。慰安所へ行かない兵士は気違いだとののしった将校がいました。ある陸軍軍医中尉の報告にのっています。
 日本軍が中国の女性を腰ひもでくくって地雷踏みをさせていたという話も出てきます。山羊や羊の群と同じことをさせていたのです。むごいことです。
 中国戦線に配置された兵士たちが、故郷への手紙のなかで、ほぼ一様に伝えるのは、中国人の抵抗の強さでした。日本兵も強いが、支那兵も相当がんばります、と書いていました。小便一丁、糞八丁という言葉をはじめて知りました。尿意・便意を催し、用を足しているあいだに、部隊がその距離ほどをいってしまうという意味です。
 ある軍曹が、突如便意を催し、やむなく道路のそばのヤブで用を足し、終わって道路に出てみたら、もはや見渡すかぎり人の気がなかった。つい先ほどまで敵の跳梁していた壕所にたった1人いる。かつてない恐怖を覚えた。なんとなく、分かる情景です。
 当時の青年は、人生25歳説をとなえていたというのです。戦争のなかで、長く生きることはまったく保障されていなかったわけです。私は、今やその2倍以上も生きていますが、本当に良かったと思います。まだまだ、知りたいこと、やってみたいことがたくさんあります。
 にもかかわらず、現代日本で人生25歳説を実践しようとする若者がいるのです。もっと自分を大切にしようよ、と私は叫びかけたい気分です。
 日本人は平和ボケしている。そのように言う人がいます。でも、人を殺したことのない人ばかりの社会って、本当にいいことだと私は思います。韓国と違って徴兵制のない日本では、幸いなことに軍隊に無理矢理に入れられて人殺しの訓練をさせられることもありません。人を殺すことも、殺されることもない今の日本の平和を大切に守りたいと思います。
 アメリカでは人を殺せるようになって初めて1人前の男と認められるという本を読んだことがあります(ダグラス・スミス氏の本です)。なるほど、私の世代でいうと、ベトナムの戦場に駆りたてられて、大勢の罪なきベトナム人を殺しまくりました。たくさん殺せば殺すほど英雄になるのです。その点は、お隣の韓国でも同じでした。
 でも、私は、アメリカみたいな戦争をしかける国に日本をしたくありません。ですから、私は日本国憲法9条とりわけ2項を絶対に守り抜きたいと考えています。

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2005年9月 7日

勝つ工場

著者:後藤康裕、日本経済新聞社
 日本の企業は中国に引き続き続々と進出しています。2004年の対中投資額は55億ドルで、過去最高でした。世界からの対中投資額も600億円を超えました。ところが、このところ、中国で「安く」モノをつくって日本で売るというより、「中国でつくり、中国で売る」というスタイルが中心になりつつあります。日本企業が日本でモノをつくるのを復活させはじめたのです。そのひとつがキャノン。
 キャノンは大分にデジタルカメラ製造工場をもっています。デジタルカメラの生産コストに占める人件費の比率は1%以下。人件費の安さはコスト競争力の決定的な要因とはならないことが背景にあります。
 そして、キャノンは国内生産の25%を自動化、無人化するが、これは決して人減らしが目的ではない。安定雇用こそ「勝つ工場」の要因だとみているのです。
 日本の製造業は、いま海外展開をさらに進めながら、同時に国内事業を拡大・強化する二正面作戦をとり始めている。生産よりも研究・開発を国内で優先させる戦略にもとづいている。
 九週間一本勝負の原則が、日本だけでなく、今や世界市場に共通している。発売から9週間が勝負。発売した機種が一週間ごとに価格をおとしていくスピードがかつてなく速くなっている。
 企業は開発した技術の特許出願をしない。その代わりに、公正証書をつくって、公証役場に預託しておく。後に特許権者が現れても、先発明を証明して、無償で使用できるようにしておくのだ。特許出願しておくと、海外の企業から模倣されてしまう心配がある。ヨーロッパの企業の特許出願が少ないのは、このような事情があるためで、開発力が弱いからではない。「勝つ工場」の条件は細部に宿る。
 うーん、日本企業が生き残っていく条件は厳しいのですが、やはり努力すれば道は開けていくものなんだ・・・。この本から多くのものを学ばされました。日本人も、まだまだ捨てたものではありません。
 最後に、この本とは関係ありませんが、小泉首相のように靖国神社の公式参拝を強行し、過去の日本の侵略戦争を美化するようでは、中国・韓国をはじめとする東南アジア諸国から日本は信頼されず、経済的にも行き詰まってしまうと思います。
 日本の経済発展は憲法9条を中核とする平和憲法にも裏付けられていることを日本人はもっと自覚すべきだとつくづく思います。

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2005年9月 6日

諫早の叫び

著者:永尾俊彦、出版社:岩波書店
 わが家のまわりにはたくさんの田んぼがあります。もうすぐ稲に白い小さな花が咲きます。残念なことに、減反の対象となっている休耕田もあちこちに見かけます。田んぼに雑草が生えているのを見るのはわびしいものです。地球規模では食糧不足のため飢えている人が何百人もいるというのに、食糧自給率を高めようとしない小泉政策には首をかしげるばかりです。なんてったって、自動車をつくっているだけでは日本人は生きていけないのですよ・・・。
 無理矢理に減反政策をすすめる一方で、海を埋め立てて干拓地を農地にするというのですから、小泉政治って理解不可能です。こんな矛盾だらけの政権を支持している日本人って、いったい何なのでしょう・・・。
 でも、はっきりしていることは、日本人にとっての長期的な展望とは無関係に、短期的に(つまり、その場限りでは)大型公共事業をすればゼネコンが喜ぶことは間違いないという現実があります。日本は戦後一貫して、この自民党型政治によって動いてきました。でも、本当にこれでよいのでしょうか・・・。
 マリコンという言葉を、私は初めて知りました。有明海の漁場の底質「改善」のために砂をまく覆砂(ふくさ)事業というのが行われているそうです。もちろん、国が税を投入しているのです。97年度から01年度までの5年間に、福岡・佐賀・熊本・長崎の4県で78億円、02年度は40億円です。これには自民党のボス議員の1人である古賀誠代議士が大きな力を発揮しているそうです。こうした覆砂事業をするのがマリコン。覆砂事業を受注する上位4社は三井建設、若築建設、佐伯建設、東亜建設、いずれも2億円以上。これらのゼネコン会社などから、古賀誠代議士は公表されているだけでも、1000万円以上の政治献金を受けとっているのです。ちなみにマリコンの大手は五洋建設です。
 有明海のノリ生産の不振は深刻です。自殺や一家心中が相次いでいます。親を殺して自分の死のうとしたけれど死にきれなかった漁民の殺人事件を担当した弁護士は私もよく知っている人です。まさに誤った国家政策の犠牲者としか言いようがありません。
 自己破産申立も多発していますが、法的救済を受けることなく、夜逃げしてしまう人も多いようです。減反政策をこのまますすめて日本の将来はあるのか、ゼネコン以外に益のない埋立(干拓)をすすめて漁業をつぶして本当にいいのか、私たちはよくよく考え直す必要があると思うのです。

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2005年9月 5日

帰宅の時代

著者:林 望、出版社:新潮社
 リンボー先生のエッセイです。私と同じ団塊世代です。「イギリスはおいしい」などで有名ですから、てっきり英文学者だと思いこんでいましたら、なんと、専攻は日本書誌学というのです。それを生かしてケンブリッジ大学の図書館にある日本の古典1万冊を1年かけて分類し、賞をもらったというのです。すごいですよね。1日に40冊ずつ調べるというのですから・・・。
 1年間、毎日毎日、開館から閉館まで図書館にこもって調べあげたのです。最後の1冊を調べ終わったのは、なんと帰国する前日の午後4時だったというのですから、ハンパじゃありません・・・。
 リンボー先生は、自分を磨くのに必要なものに関しては投資を惜しまないと書いています。大賛成です。私も本と年1回の海外旅行には投資を惜しまないことにしています。本は読めそうなだけ、もてるだけ買います。海外旅行は40歳になってから、少なくとも年1回してきました。41歳のとき南フランスに40日間いたのは最高でした。今年もフランスに2週間行って帰ってきたばかりです。弁護士になって以来勉強しているフランス語のおかげで、日常会話には不自由しません(仏検準一級にも一度受かりましたが、今年は不合格でした。ペーパーテストで合格基準点スレスレの73点をとり、口頭試問で25点でしたので、最終合格基準点99点に1点足りませんでした。米国産牛肉の輸入再開に賛成か反対か。3分前に問題文を出されて、3分間スピーチをしなければならないのですが、うまく語れませんでした。まだまだです。フランスの美術館で解説を聞いてすぐに分かるようになりたいと思って、相変わらず、毎日、ラジオ講座も聞いて勉強しています)。
 継続は力なりと言いますが、私も実感として、本当だと思います。リンボー先生は、そのためには強い意志をもつことをすすめます。そして、それには自分自身をしっかり見つめ続けなければいけない。身のまわりにいる他人に流されない。時間は有限なので、一つのことに集中して自己錬磨をしようと念じたなら、他のことは犠牲にせざるをえない。自己錬磨とは、時間を他人のためではなく、自分のために使うことだと思い定めること。人づきあいは自然に悪くなる。変人扱いされることもあるだろう。それに耐えて、自分を貫けるかどうかだ・・・。
 まったくリンボー先生の言うとおりだと思います。リンボー先生は、国民の祝日、休日をカレンダーの上からきれいさっぱり消すことを提案しています。私も、もろ手をあげて大賛成します。ゴールデンウィークなんて、とんでもないことです。休暇は、自分のとりたいときにとれるようにすべきものなのです。お上(おかみ)によって一律に与えられた「お仕着せ」の休日なんて百害あって一利なしです。
 自民党は国民の休日をふやそうとしてきましたが、あれは典型的なインチキです。レジャー産業にとっても、ゴールデンウィークだけ繁盛して、あとは閑古鳥が鳴いている現状を喜んではいないと思います。コンスタントにお客が来た方が、双方にとってよいのです。
 フランスに行って、キャンピングカーが本当に目立ちました。長い長いバカンスを自分の好きなようにウロウロしているのです。これこそ最高の心身のリフレッシュだと思います。労働者に有給休暇を未消化させたら企業は罰せられる。そんな社会に日本も早くしたいものです。

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2005年9月 2日

孤将

著者:金 薫、出版社:新潮社
 釜山には何度か行ったことがあります。李舜臣の堂々たる銅像には畏敬の念を覚えました。秀吉の理不尽な朝鮮侵略戦争に敢然とたち向かった朝鮮水軍の名将です。しかし、不幸なことに、朝鮮の宮廷からは反逆者とみられてしまうのです。その不幸にもめげず、再び日本侵略軍とたたかう指揮をとることになります。
 この本の日本語は見事なものです。拉致され帰国した蓮池薫氏の訳ですが、24年間もの長いあいだのブランクをまったく感じさせない重厚な文体です。中央大学法学部3年生に在学中に拉致された蓮池氏の知的レベルの高さに圧倒される思いでした。
 李舜臣が「乱中日記」を書いていたことを初めて知りました。それ自体も日本語に翻訳されているのでしょうか? どなたか、教えてください。
 原書は韓国では50万部をこえるベストセラーだそうです。

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生きるという権利

著者:安田好弘、出版社:講談社
 私とほとんど同世代ですが、刑事専門の弁護士としてあまりにも有名です。オウム事件で麻原彰晃の主任弁護人をつとめていましたが、裁判の途中で、自ら逮捕されてしまいました(後で無罪となり、確定しました。警察の嫌らしい弾圧事件だったのです)。
 主任弁護人からみたオウム裁判の実情がよく分かります。著者が弁護人となる前に、ある弁護士から4人でチームを組んで私選弁護人としてやってもいいとの申し出がオウム教団にあったそうです。その着手金は、なんと1億5000万円。アメリカのマイケル・ジャクソン弁護団の費用に匹敵する額ではないでしょうか・・・(アメリカの方がもっと大きいとは思いますが)。
 著者は、当初この事件は本来、私選弁護人としてやるべきだという意見でした。しかし、結局は、国選弁護人として引き受けることになりました。その経過が生々しく語られています。私も、生半可な私選弁護人よりも国選弁護人でいかざるをえないという考えです。
 国選弁護人として、被告人との信頼関係を築きあげるのにはかなり苦労したようです。差し入れも相当したということですし、なにしろ接見時間が「夕方から翌日の朝6時まで」というのもあったというのです。これはまったく驚きました。
 東京拘置所は、麻原を裁判所に連れていくために1億円もの専用の護送車を購入し、さらに5000万円かけて特別の接見室をつくったそうです。護送車はともかくとして、5000万円かけた接見室の構造を知りたいものです。
 東京地裁の裁判長の姿勢が厳しく指弾されています。この本を読むかぎり、糾弾するのには理由があると思います。たとえば、裁判長は弁護団との交渉の途中でしばしば姿を消した。実は、そのとき所長代行の部屋に行って指示を受けていた、というのです。本当だとしたら(恐らく、本当でしょう)、ひどいものです。「裁判の独立」なんて、どこに行ったのでしょうか・・・。
 それにしても、著者の証人尋問に向かう姿勢には驚嘆すべきものがあります。毎回の尋問の前日は完全徹夜だったというのです。刑事弁護は、身をすり減らし、命を縮める作業の連続だというのですから、すさまじいものです。とても真似できるものではありませんし、真似したくもありません。ただ、訊く人間がわくわくしながら訊いていかないと、誰も興味をもたないし、理解もしてもらえないという指摘には、まったく同感でした。
 さらに、著者が自らNシステムのなかに入りこもうとしたというのを知って驚きました。オウム真理教の車とその後をつけていたであろう警察の車を明らかにしようとしたのです。なるほど、ハッカーの技術は、そんなこともできるのかとびっくりしました。
 オウム真理教の事件には、まだまだ解明されていない多くの謎があります。いったい、警察はいつからオウム真理教の一連の殺害等の事件を知っていたのか・・・、警察庁長官殺人未遂事件の犯人は誰なのか・・・、などなどです。

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馬・船・常民

著者:網野善彦、出版社:講談社学術文庫
 奈良時代、大きなお寺が金貸しをしていたという話がでてきます。人に貸せるお金は神や仏のもの。仏や神のものならば、貸して利息がとれる。だから、意識的に銭を神仏のものにすることによって、自由に投資・貸借できるものになる。だから勧進という形態をとる。うーん、そうなんだー・・・。
 平安時代の遊女の社会的地位はかなり高かったという話も出てきます。
 貴族が自分の母親は遊女の出だということを系図に平然と書いていた。遊女の子どもでも、徳大寺実基は従一位太政大臣になっている。
 女性は、昔も今も平気で一人旅に出かけていた。旅に出たとき、たまたま一緒になった男性と関係しても何もとがめられることもなかった。現代日本でも、地方によって二腹(ふたはら)、三腹(みはら)という言葉がある。これは何人の男の子どもを生んだかということ。日本は、性に関して、昔からおおらかな国なのだ・・・。
 このほかにも、いろんな面白い話が盛り沢山です。なかでも私の興味をひいたのは名前の話です。氏の名前は、天皇という称号が確定したころ、天皇から与えられる形になった。そして、戸籍をつくって、国家の支配下に入ったすべての人の氏名・姓名を全部書き上げようとした。逆に、天皇は氏名・姓を失うことになった。
 律令国家が確立して以来、天皇には氏の名前も姓もない。天皇は氏名を与える立場に立ったが、自分には与えてくれるものがない。中国だったら天が皇帝の地位を与えるが、日本の天皇は天命思想を注意深く避けているので、そういうわけにはいかない。それで天皇の氏名はなくなった。
 皇太子が論文を書くとき、名字がないので、徳仁だけでは格好がつかないから、徳仁親王と署名した。しかし、これは本当におかしい。自分に敬称をつけるようなものだから。
 なるほど、天皇には氏(名字)がないのか・・・。その理由を初めて知りました。
 次に庶民です。15世紀になると、一般の百姓、平民は実名を名乗らなくなる。氏名も実名も、もってはいるけれど、公式には名乗らず、二郎、五郎太夫などの仮名(けみょう)だけを使うようになった。それを江戸幕府が制度化して、百姓は、実名、苗字、氏名を公式には名乗ってはいけないことになった。だから、公式な文書に、百姓や一般平民は実名を名乗れない。しかし、実際には、苗字も実名ももっていた。だから、お墓には苗字を書いていた。なるほど、なるほど。私の長年の疑問のひとつがやっと解消しました。
 江戸時代が終わって明治になって、一般平民はそれまで苗字をもっていなかったので、あわてて苗字をつくったという説明を聞いてきましたが、私は本当にそうなのかという疑問をもっていたのです。私の先祖は「由緒正しい」百姓(農家)の生まれですが、江戸時代以前から上杉謙信の落ち武者伝説を引きずってきています。それなのに、明治時代まで苗字がないなんて、おかしいと思ってきました。名前のこともよくよく考えさせてくれる面白い本でした。

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2005年9月 1日

自衛隊、知られざる変容

著者:朝日新聞取材班、出版社:朝日新聞社
 なんだか防衛庁のホームページを読んでいる気がしてくる本です。本文450頁の分厚い本ですが、残念なことに内容は薄っぺらです。やはり自衛隊にヨイショするばかりでは物足りないという典型みたいな本でした。
 後藤田正晴元副総理はインタビューで次のように語っています。
 米国依存だから、戦後の日本には政府全体の情報機関が育たなかった。国の安全は全部米国任せだから、いまのように属国になってしまった。
 (サハリン沖で大韓航空機がソ連戦闘機に撃墜された事件でも、自衛隊がソ連の無線を傍受した記録を先にアメリカに報告したのを知って)、本当に腹が立った。米国が先、日本が後なんだ。これでは米国の隷下部隊ですよ。こんな自衛隊ならいらんと言ったんだよ。
 私もまったく同感です。ところが、この本には残念ながらまったくそのような視点が欠落しています。自衛隊のエリートたちがトクトクといかに自分はアメリカ軍の幹部たちと交流があるかという自慢話のオンパレードです。
 自衛隊の装備や軍需産業についても、その問題点に迫ったとは言えません。私が最近読んだ新聞記事を次に紹介します。
 80年代の防衛費は10年間の合計で30兆5千億円。それが90年代には46兆8千億円と1.5倍に増えた。90年代に90式戦車が300両(3千億円)、イージス艦6隻(8千億円)が配備された。いずれも対ソ戦への備えである。ところがご承知のとおり、ソ連は90年代に入ってすぐに崩壊してしまった。しかし、政府は、以前の計画に従ってそのまま製造し、配備し続けた。北海道に配備された90式戦車は重さが50トンもあるため、北海道では、戦場になりそうなところへは特別に頑丈な橋や道路をつくった。しかし、対ソ戦の心配はなくなった。でも、本土にはこの戦車を通せる橋も道路もないから、北海道に置いておくしかない。ソ連の崩壊する前に配備したのは全体の1割の30両だけで、あとは相手がいないと分かっても配備し続けた。
 イージス艦は対ソ戦用の最新鋭の軍艦だが、実は第1号艦が最初に配備されたのが93年。つまり、ソ連崩壊の2年後だった。いま、イージス艦はインド洋でアメリカの軍艦に重油を供給する日本の給油艦を護衛することに使われている。おそらく世界で一番コストの高い給油活動だ。
 このような莫大な税金の無駄づかいが堂々となされていることを、どうしてマスコミは取材して報道しないのでしょうか・・・。小さい無駄づかいには目くじら立てるのに、何千億円というと、なんでもないことのように見逃してしまうなんて、おかしなことです。そもそも、いったい軍隊というのは本当に国民を守るものなのか、歴史をふり返ってみて国民を守ってきた事実があるのかという根本問題をぜひ視野にいれてほしいものです。
 いま、日本の自衛隊員は24万人。警察の25万人に次いで大きな組織です。その自衛隊のトップ制服組が堂々とマスコミに登場するようになったのは、イラク・サマワへの派遣からではないでしょうか。憲法9条2項を廃止してしまったら、日本は海外に出かけて戦争する国になってしまいます。恐ろしいことです。
 いつもいつも自衛隊の提灯もちの記事ばかり読まされ、いい加減ウンザリします。

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2005年9月30日

闇先案内人

著者:大沢在昌、出版社:文春文庫
 こうも簡単に人が殺されていくと、手に汗を握るというより、背中に氷のかけらを投げこまれた気分になって、身も心も冷えびえとしてきます。
 私の担当した刑事事件の被告人から、日本でも簡単にピストルが手に入るというのを聞いて恐ろしくなりました。ピストルの売買がチンピラ・ヤクザのレベルでも、こずかい銭稼ぎになっているというのです。現実の話ですから、怖いものです。
 話は、北朝鮮の支配者の子と思われる要人が日本に潜入してきたことから始まります。総連内部には警察トップと密接なつながりをもつ人間がいて、また反対勢力もいて、お互いにしのぎを削ります。ありそうな話と、とてもありえない話とが混然一体となり、バイオレンスたっぷりに展開していきます。
 逃がし屋だとか、変装するための顔師だとか、平凡な日常生活ではとても考えられない職業(プロ)の人々が登場してきます。うーむ、世の中にはそういう人もいるのかー・・・と思いました。
 なんとなく救われない気になってしまう、暗いヤクザなお話です。

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個体発生は進化をくりかえすのか

著者:倉谷 滋、出版社:岩波科学ライブラリー
 人間は母体のなかでヒトとなっていくとき、祖先の動物の進化の歴史を忠実にたどっていくというのが反復説です。私は、ずい分前からこの説を信じてきました。
 この本は、それは本当なのかと疑問を投げかけています。考えてみれば、動物の進化の歴史といっても、そんなに単純ではありませんので、いったい反復する進化とは何をさすのか、という疑問もわいてくるわけです。たとえば、カメは原始的な存在ではなく、むしろワニやトリに近いというのが、最近の分子進化的な解析によって判明したことです。つまり、生物が進化するといっても一本道ではありません。そこには例外だらけなのです。
 下等動物とか高等動物という表現がなされることがあるが、それはとても一義的に定義できる用語ではない。実際の発生は一直線には進まない。なーるほど・・・。
 よくよくかみしめて読めば分かるかもしれませんが、わずか100頁たらずの本書には難しすぎて理解できないところが多々ありますので、簡単には要約できません。
 でもでも、単純に進化の過程を個体の発生過程でくり返す、そんなことは言えないということだけは、私にもなんとなく分かりました。

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鉄剣銘115文字の謎に迫る

著者:高橋一夫、出版社:新泉社
 埼玉(さきたま)古墳群のひとつ稲荷山(いなりやま)古墳より出土した鉄剣から115文字の金錯銘(きんさくめい)が発見されたのは1987年のこと。もう30年近くも前のことになります。えっ、もうあれから30年もたったのか・・・。当時の驚きを思い出してしまいました。
 西暦471年の雄略天皇のときの豪族がもっていた鉄剣です。でも、その豪族が、畿内の豪族で東国に派遣されてきたのか、在地の豪族だったのかについては説が分かれ、今も確定していません。私は、そもそも邪馬台国九州説の熱烈な信奉者ですから、地方豪族説に当然のことながら左担します。
 同じ雄略天皇の銘のある直刀は熊本の江田船山古墳からも出土しています。この江田船山古墳には私も何度か行ったことがありますが、よく整備されていて、なるほど相当の力を持った豪族がかつて君臨していたことをしのばせるに十分な雰囲気です。
 90頁ほどの薄い冊子のような本ですが、カラーの写真と図版もあって、世紀の大発見がどこまで解明されたのか、素人にもよく分かるように解説されています。
 1500年以上たった今も金色に光り輝く鉄剣銘をじっくし眺めて、過去の日本を想像してみるのも心楽しいひとときです。

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2005年9月29日

韓国のデジタル・デモクラシー

著者:玄武岩、出版社:集英社新書
 韓国の盧武鉉大統領は、民主的な弁護士団体に所属する弁護士でもあります。日本でいうと自由法曹団とか青法協に相当するのではないかと思います(間違っていたら、ごめんなさい)。いずれにしても、日本では民主的弁護士(人権派弁護士)はおろか、弁護士が首相になるなんて、残念ながら夢のような話です。盧武鉉候補の当選には、世界でも有数のインターネット社会におけるデジタル・デモクラシーの発達があげられています。
 インターネットがなければ、盧武鉉側は主流メディアの攻勢で厳しい選挙戦を強いられていたに違いない。世界一のIT強国と自負する韓国で、20〜30代の若い有権者はインターネットを通じて既存の権力による暴露戦略を看破することができた。
 韓国社会において「朝中東」つまり「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」の三大新聞は言論権力といわれるまでに権力を振るってきた。韓国の新聞の7割を占める三大新聞の影響は絶対的で、その公正性を欠く報道ぶりは、心ある人からことあるごとに批判されてきた。放送も例外ではない。夜9時のトップニュースはいつも全斗煥大統領の動静だったから、「テン全(チョン)ニュース」とからかわれていたように、公正報道とはほど遠い存在であった。
 韓国の歴代軍事政権は、言論への徹底した弾圧をとおして、新聞や放送を権力の統治手段にしてきた。そして、その見返りに、言論機関には独占的利益を、言論従事者へは高い社会的地位を与えてきた。こうした権力と言論との蜜月関係を、韓国では「権言癒着」と呼んでいる。
 これって、日本でもそっくりそのままあてはまるんじゃないの。思わず、私はそう叫んでしまいました。先の解散・総選挙のときの「小泉劇場」のフィーバーぶりをぜひ思い出してみて下さい。郵政民営化すれば日本の経済は良くなるかのような、とんでもない嘘を小泉首相がくり返すと、マスコミは無批判にオウム返しに叫びたて(もちろん、申し訳程度にチョッピリ批判もするのですが・・・)、刺客だとかマドンナだとか、世間の耳目を集め、改革に賛成か反対か、「改革」の中味を抜きにした選択を国民に迫ったのです。日本の言論界の堕落ぶりは、放送だけでなく新聞も目を覆いたくなるほどひどいものです。
 しかし、韓国はそれをインターネットの活用で乗り切っていったのです。そこが日本とまったく違います。盧武鉉側の「オーマイニュース」は、インターネットを通じて選挙運動の状況を「中継」していきました。1日だけで1910万ページビュー、訪問者数は 150万人(のべ623万人)というのですから、すごいものです。
 そして、市民参加型の新しい政治潮流が主流となりつつあるなかで、韓国では2世、3世議員が世襲していくなどというのは非常識になっています。なるほど、日本は遅れているなと、つくづくそう思いました。
 おもしろ、おかしく、ただそれだけの記事と番組によって国民を思うままに誘導していく日本のマスコミの現状は、なんとかして歯止めをかけたいものです。そのためには、日本でも、もっとインターネットの活用を真剣に考えるべきではないでしょうか。
 もちろん、マスコミのなかにも心ある人は多勢いると思います。でも、いまは、既存マスコミの外から、働きかけというか、立ちあがりが必要な気がします。それも、ホリエモンとか楽天やソフトバンクといった大手メジャーの力を借りないで、私たち自身の力でやり抜かなければいけません。若い彼らは、すでに金力と権力の亡者になりさがっているとしか思えません。強さと自信にみちみちている彼らには弱者の切り捨てしか頭にないようです。とても残念です。
 先日の総選挙で自民党が「圧勝」しましたが、多くの若者が投票所に行ったことが投票率のアップにつながったとみられています。でも、その若者たちはインターネットの世界で情報を知り、ほとんど新聞を読んでいないようです。先ほどの話と一見矛盾するかもしれませんが、私はやはり若者の新聞ばなれを危惧します。新聞も一面と三面以外の世論づくりを除くと、論説などけっこう鋭い指摘もあるのです。私の息子も新聞を読んでいませんでしたので、息子に毎日、新聞を読むよう押しつけました。
 ちなみに、自民党の「大勝」といっても得票率は4割。それなのに議席占有率は7割。小選挙区制がいかに民意を反映していないか、よく分かります。ところが、復活制がおかしいといって比例部分が削除されようとしています。民主党も比例を80議席減らせという政策です。これでは、多様な国民の声がますます国政に反映されなくなります。
 いろんな人間がいて、さまざまな考えの人がいて国は成り立っているのです。少数意見の切り捨ては弱者の切り捨てに直結してしまうのが怖い、そう思うこのごろです。すみわたった秋の好天気の下で庭仕事にいそしみながら、ひとり心配しています。

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2005年9月28日

だれが源氏物語絵巻を描いたのか

著者:皆本二三江、出版社:草思社
 源氏物語をカラー写真で写しとったような絵巻物があります。いったい誰が描いたのか、実証的に追求していった本です。なーるほど、そうだったのか、うん、そうなんだよなー・・・と納得できる本です。一読をおすすめします。
 結論を先に明かしてしまうと、著者は紀の局、長門の局などを中心とする女房たちが集団で描きあげたものとしています。絵巻は1120年代の前半ころに完成しました。
 源氏絵巻の製作の主力となったのは、古今の絵や書に造詣の深い女房たちだった。実際の製作は、専門絵師に近い技量をもつ者をふくむ多くの女房たちの協同作業だった。
 なぜ、そのように言えるのか、著者は絵のスタイルをこまかく検討していきます。
 指示書きまでされた下図が、彩色の段階で変更されている箇所がある。どう見ても専門絵師の手になるとは思えない描写が散見され、それがそのままにされている。これらは指揮系統が明確であったであろう工房では考えられない。しかも女性の手になると思われる箇所がある。
 当時、女絵と男絵と呼ばれるものがありました。
 女絵は静的で理想化を追求し、男絵は動的でリアルを追求する。男絵では人物の身体プロポーションは5頭身から6頭身で、そのころの人々の正しいプロポーションをあらわしているものだと思われる。ところが、源氏絵巻の方は、多くが8頭身、ときに10頭身にもなっている。そして、男性絵師が描いた女性の鼻は、なぜか大型化する傾向がある。女性の鼻としては大きすぎる。
 源氏絵巻には、素人画と思える表現が混じっている。高い技量をもつ専門絵師が、故意につたなく描くとは考えにくい。むしろ、製作に携わった集団に素人がいたと考えた方が自然だ。うーん、そうなのかー・・・。
 このあと、著者は、現代の男の子と女の子の絵には本質的な違いがあることを立証していきます。女の子は絵空事を描くのに対して、男の子は現実のどこかにある風景のような、根底にリアリズムへの希求がある。なるほど、そう言われたら、そうかもしれません。
 色をつかい、色を組み合わせることに喜びを覚えるのは女性の性質。これは昔も今も変わらない。男には色の話はつまらないもの。男の子の描いた絵には、人物の鼻が省略された顔はない。むしろ、写実的で大きな鼻があらわれる。ところが、女の子は3人の1人は鉤鼻を描き、鼻自体が省略されることもある。
 男の子の絵は動きをともなっていて、女の子の絵の方は静的である。
 これらをふまえて源氏物語絵巻を見ると、男性の登場人物より女性の方が自然に描けている。男性はすべて女性的な風貌であり、真に男性的な男は1人も見あたらない。このように、人物表現には、描き手の性が色濃く投影される。だから、源氏物語絵巻を描いていたのは、先に述べたとおり、女性集団だというわけです。

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2005年9月27日

憲法改正

著者:渡辺 治、出版社:旬報社
 自衛隊がイラク(サマワ)に派遣されている今日、日本国憲法は現実にあわせて変えた方がいい。もう憲法は死んでしまっている。憲法9条は解釈改憲でズタズタになってしまい、何の役にも立っていない。
 本当でしょうか・・・。著者は、もしそうなら憲法をわざわざ「改正」する必要はないはずだと指摘しています。
 改憲派は、ひとつの根拠に、解釈改憲で憲法9条は現実とあまりにも違ってしまっているから、9条を「改正」して、もう少し現実に近づけ、現実を規制できるものにしようと言っている。では、たとえば憲法14条で男女平等がうたわれているが、現代日本の社会で男女平等が実現していると考えるのか。依然として女性差別が根強く存在しているのが現実だ。でも、だからといって、憲法14条を「改正」して現実に近づけようという議論があるだろうか。
 著者は、このように指摘しています。なるほど、ですよね。
 憲法というのは、現実とまったく一致しているということはない。そもそも、憲法と現実がぴったり一致していたら、憲法にわざわざ規定することはない。憲法の規定というのは、その理想の実現に向けて政治や社会を変えていくよう、国家や大企業などの社会的権力を義務づけている規範なのである。このように、憲法は現実とつねに緊張関係をもち、一定の距離があるものなのだ。
 なるほど、なるほど、まったくそのとおりだと私も思います。
 イラク国民に多国籍軍のなかで残ってもらいたい国を世論調査すると、日本がトップだった。これは、日本の自衛隊がイラクの人をまだ1人も殺していないから。なぜ、そうなっているかというと、自衛隊が憲法9条によって手足をしばられているから。
 9条改憲の狙いは、自衛隊を武力行使目的で派兵することを認めることにある。現在の改憲の目的は、国連決議のあるなしにかかわらず、自衛隊が武力行使目的で海外に行けるようにする点にある。
 しかし、9条改憲だけを突出させると、国民の強い反発を買うので、改憲派は甘いオブラートに包もうとしている。なぜなら、一般的な改憲賛成は56%にのぼるが、9条改憲については反対51%、賛成36%だから。改憲賛成と9条改憲賛成との間にはギャップがある。オブラートになるのは、「知る権利」「プライバシー」「環境権」など・・・。
 9条改憲に反対する人は51%なので、3000万人となる。ところが、政党でいうと9条改憲に反対している共産党400万人、社民党300万人の合計700万人でしかない。残る2300万人は、9条改憲に反対しつつ、自民党か民主党に投票していることになる。だから、この2300万人の人に改憲反対の声をあげてもらうことに成功すれば、改憲は阻止できる状況が生まれるのである。
 なるほど、そうなんですね。まだ、あきらめるのは早すぎます。
 今度、「敗北した」民主党の代表となった前原誠司代議士は43歳の若さですが、典型的なタカ派です。憲法9条2項を削除(廃止)して、日本を強い国にすると言っています。恐ろしいことです。
 私たちは、憲法9条がまだ決して死んではいないこと、9条があるため日本は軍事大国化できていないこと、9条は依然として守るに値することをまず確認する必要がある。
 そうなんだ、そうだよね。私は思わず手をうってしまいました。
 憲法9条があるからこそ、朝鮮戦争のときも、ベトナム戦争のときにも、アメリカの要請にもかかわらず、日本は海外派兵しなくてすんだ。自衛隊は結成50年になるが、いまだ1人の外国人も日本の市民も殺していない。こんな軍隊は世界上どこにもない。まさに軍隊らしからぬ軍隊なのである。政府は、9条をなくして、アメリカ軍と組んで自衛隊が海外に侵攻することを考えている。
 いま日本の自衛隊の実力は「殴る側の大国」になっている。しかし、戦前の日本の教訓を学ぶ必要がある。殴る側は、容易に殴ったことを忘れるが、殴られた側は、いつまでもその痛みを忘れることができない。
 二大政党制というのは、保守二大政党制であり、中・下層の市民を切り捨てて、市民上層の意思だけが政治に反映する政治的仕組みをつくることだ。アメリカの二大政党は、どちらもイラク攻撃賛成、新自由主義改革賛成。イラク攻撃に反対する人にとっては投票する相手がいないのだ。
 うーん、そうなんですよね。日本もそうなってしまいそうで、困ってしまいます。
 小泉・自民党のすすめている構造改革は、多国籍大企業の競争力を強化するために、既存の政治が大企業に課してきた負担や規制を取り払って大企業の自由を回復させる改革のこと。そして、それは2つの柱からなっている。それは、大企業の負担を取り除くための改革と規制緩和からなっている。
 なかなか鋭い指摘に、たびたびうなずいて、赤エンピツをたくさん引きながら読みすすめていきました。わずか140頁ほどの小冊子ですが、ズシリと重たい内容があります。憲法改正論議の背景を知ることのできる絶好の冊子として強く一読をおすすめします。
 ちなみに、著者は私の1年先輩ですが、その語り口は本当にさわやかです。「九条の会」の事務局を担当し、がんばっています。

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2005年9月26日

草花のふしぎ世界探検

著者:ピッキオ、出版社:岩波ジュニア新書
 このところ、あまりの暑さに閉口して山にのぼっていませんが、月1回は近くの小山にのぼることにしています。わが家から380メートルの頂上まで、およそ1時間かかってのぼります。おにぎり弁当とミニ缶ビールをリュックに入れて、頂上付近にある開けた草原でお弁当を開きます。下界でアリのようにうごめいている人や車を眺めながら、気宇壮大な心境でおにぎりをほおばると、全身が充実感に包まれます。冬は、石のベンチの上で寝ころがってしばし日光浴をします。夏でも、さすがに頂上は涼しい風邪が吹いていますので、上半身裸になって憩いのひとときです。
 四季折々の草花を眺めながら歩くと、自然のなかに身体が溶けこんでいく気がします。おかげで、花や植物の名前も少しずつ覚えられるようになりました。
 この本には、4月上旬に地上へ顔を出したアズマイチゲが白い花を咲かせるまでの3日間の連続写真が紹介されています。なーるほど、ね。そう思っていると、次は、1ヶ月ちょっとしたらやがて枯れていく様子まで連続写真で紹介されているのです。こうやって、野に咲く花の一生を見てみるのも面白いものです。ところが、このアズマイチゲは、花を咲かせるまでになんと10年近くもかかっているというのです。まさに花の生命は短くて・・・、ですね。
 夏の高原の写真があります。私は、大学1年の夏、学生セツルメントサークルの夏合宿で4泊5日、那須の三斗小屋温泉に行ったことがあります。黒磯駅からバスに乗って、終点で降りて2時間ほど山道を歩いたところにある秘境の温泉です。そのころは電気もなく、ランプ生活でした。煙草屋旅館と大黒屋旅館の2つがあり、私たちは煙草屋旅館に泊まりました。50人ほどの男女学生が日頃の地道な実践活動を交流し、生き方を語ったのです。とても刺激的な合宿でした。周囲の野山にハイキングにも出かけました。黄色いニッコウキスゲやキンバイソウそして紫色のマツムシソウ、ヤナギラン、シモツケソウ、ハクサンフウロ、橙色のクルマユリなどが、あっそうそう、湿原地帯もあり、その水辺には水芭蕉の花も咲いていました。決して忘れることのできないなつかしい思い出です。
 ちなみに、翌年夏の合宿は、奥鬼怒の八丁の湯温泉でした。旅館に面した崖の途中に露天風呂があって、夜中にみんなで入って月見を楽しみました。

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2005年9月22日

日露戦争の兵器

著者:佐山二郎、出版社:光人社NF文庫
 中国の大連には何度か行ったことがあります。一番最初に行ったときには、まだ旅順市内は外国人に開放されていないということでした。しかし、その後、行けるようになりましたので、二〇三高地や東鶏冠山堡塁力などを見学してきました。
 この本は、日露戦争当時につかわれていた兵器を写真つきで解説したものです。二〇三高地をめぐる凄惨な争奪戦がいかにすさまじかったか、いろんな本に書かれているのですが、こうやって兵器の写真を見ると、また一層イメージが湧いてきます。
 有名な28センチ榴弾砲はさすがに巨大で、10トン半もありました。これを、なんと人力だけで山上へ持ち上げている写真があります。また、二〇三高地に、これから胸と背の双方に爆薬をからって突撃しようとする日本軍の決死隊の写真もあります。これは、今ひんぴんと起きているイラクにおける自爆攻撃と同じようなものだったのでしょう。死んだら本当に天国に行けると思えたのか、かなり疑問ですが・・・。
 二〇三高地は、いま観光バスでのぼると、何の変哲もないなだらかな丘のような山並みです。ここをめぐって、何万、何十万人もの将兵が死んだなんて、とても信じられません。

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一枚摺屋

著者:城野 隆、出版社:文芸春秋
 さすが松本清張賞を受賞した小説だけのことはあります。ぐいぐいと読み手を引っぱり、飽かせません。本格的モノ書きを志向する私も、こんなストーリーを新人で書けるんだったら、あきらめるしかないか、そんな絶望感にとらわれてしまうほどです。ところが、新人といっても、奥付をみたら、なんと私と同世代ではありませんか。いや、それなら、もしかして、ひょっとすると、ぼくだって・・・、そんな気が急にしてきました。
 それはともかく、時代は幕末の大坂(当時は、大阪とは書きません)です。読み切り瓦版、いえ、もぐりの瓦版づくりを主人公としています。幕末の大坂には不穏な動きがあります。そして、少し前には大塩平八郎の乱が起こっています。物語はなんと、その大塩平八郎の乱の生き残りがひき起こすのです。時代背景など、読んでいて安定感があるとオビにあります。そのとおりです。江戸の時代小説の書き手がまた1人ふえた気がします。

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へんな虫、百面相

著者:難波由城雄、出版社:光人社
 そのままポストカードになる昆虫たちの写真集です。へんな虫というけど、フツーの昆虫たちの顔がアップでとられているだけなのです。
 オニヤンマの顔があります。その緑色した複眼は、子どものころ、何回となくしげしげと見入りました。いったい、たくさんあるこの眼はどこを見ているのだろうと不思議に思いました。
 クワガタもいます。夏休みになると昆虫採集に出かけました。昆虫の標本づくりに挑戦したこともありますが、それほどうまくは集めることができませんでした。クワガタもカブトムシも山に行ってなんとかつかまえました。今では道路端でも売っています。昆虫が売りものになるなんて・・・。
 カマキリはわが家の庭にもたくさんいます。オスは交尾したあと、メスに食べられてしまうという話があります。食べられないうちに逃げおおせるオスもいるようですが、オスって、どこでも実は哀れな存在なんですよね・・・。
 30年以上も弁護士をしていると、やはり本当に強いのは女性であって、男なんて弱いもんだとつくづく思うのです。ですから、やっぱり女って弱いんですよね、とか、女は損ですねと嘆く相談者に対して、女性の方が平均寿命で6年以上も長生きしていますし、キンさんギンさんは106歳まで生きておられましたけれど、男はせいぜい泉さんの100歳だったんじゃないですか、と反問することが多いのです。いかがでしょうか・・・。

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アウシュヴィッツ博物館案内

著者:中谷 剛、出版社:凱風社
 日本人青年がアウシュヴィッツ博物館で唯一の外国人公式ガイド(嘱託)として働いているというのです。私も、アウシュヴィッツ強制収容所跡地にはぜひ一度は行ってみたい、現地に行って人類史上最悪の愚行の現場に立って、人間とは何者なのかということを改めて考えてみたいと思っています。
 ところが、この本によると日本人の青年はあまり行っていないのですね。韓国からは年に2万人あまり行っているというのに、日本からは年に6700人ほどで、しかも年輩者が中心だというのです。もっと日本人の若者にも出かけてもらわないといけません。
 海外旅行大好き人間の多い日本なのですが、楽しいところではないので敬遠するのでしょう。残念なことです。といっても、現地はかなり交通の便がよくないようです。それでも著者は、この町に一家をかまえて14年になるというのですから、たいしたものです。
 博物館案内というわけですから、アウシュヴィッツの隅々まで図解と写真で説明されていますので、強制収容所当時のことが、かなり想像できます。でも、体験記を読まないと本当の苦しみや辛さは伝わってきません。ただ、その体験者も既にすっかり高齢者となっています。きちんと若者に語り継いでいく責務が、大人の私たちにはあります。
 ガス室で殺された人の半分は女性。収容所登録者の3割が女性。最大のとき、一時期4万5000人の女性が強制労働に従事させられていました。収容所の隣りに大きな戦時工場(I・G・ファルベン)などがあり、そこで働かされていたのです。
 なんともいいようのない辛い現実ですが、人類の歴史の真実から目をそむけるわけにはいきません。

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2005年9月20日

未来をひらく歴史

著者:日中韓3国共通歴史教材委員会、出版社:高文研
 日本と中国、韓国という3ヶ国の研究者と教師が3年間、国際会議を10回も重ね、共同して編集・執筆した近現代史のテキストです。画期的な労作だと思います。
 前事不忘、後世之師
 これは、歴史を忘れずに未来の教訓とするという中国のことわざです。いま、日本では「新しい歴史教科書をつくる会」が全国各地で、日本は侵略戦争なんかしていないという歴史的事実に反する、間違った内容の教科書を子どもたちに押しつけようとしています。でも、日本がしたのは侵略戦争ではなかった、アジアの民衆を欧米列強の植民地支配から解放し、生活向上に役立ったのだということを、中国や韓国に行って、また東南アジアの国々に行って胸をはって主張できると本気で思っているのでしょうか・・・。
 実は、私の父も三井の労務係りとして戦前の朝鮮半島へ人間を駆り出しに出かけたことがあります。強制連行の直前のことでした。あまり悪いことをしたという自覚が父に見られなかったので、不思議に思って尋ねると、当時、あっちには食うものも仕事もなかったので、彼らは日本へ喜んでやってきたというのです。これも、日本政府が当時、朝鮮半島から米を強制的に供出させていたことの結果なのです。そのことも、この本に明らかにされています(71頁)。現象だけをみていると、間違って理解することもあるのです。
 だれでも、楽しくない記憶は早くなくしてしまおうとする傾向がある。気楽に楽しく生きていきたいから。しかし、悪い記憶をなくしてしまうと、また倒れてしまうことがないとは限らない。過去のあやまちを覚えておくと、同じあやまちを犯すという愚かさを避けることができる。そうなのです。
 ところで、日本に流れ着いた朝鮮人漂流民が16世紀末からの270年間に1万人ほどいたそうです。すごい人数です。でも、考えてみれば当然ですよね。それだけ近いわけですから。同じように中国や朝鮮に漂流した日本人もいて、お互いに送還しあっていました。その程度の交流はあったわけです。
 清朝末期の政治家として有名な李鴻章は、生涯にわたって自分は外交の名手であると自負し、多くの重要な外交交渉にあたった。しかし、多くの不平等条約は、彼の手によって調印されたというのが歴史的な事実である。なるほど、そうですよね。
 日本が韓国を併合したのか強占したのか、国際法からみて不法かどうか、日本の学者のなかで結論が出ていないと書かれています。
 1905年の第二次日韓協約(乙巳条約)は強制によるものだという点では理解が共通していても、「併合」以後の35年間に及ぶ植民地支配は国際法からみて不法だという点で韓国の学者は一致しているが、日本では一致をみていないというのです。本当でしょうか・・・。韓国では強制的な占領を意味する「韓国強占」と呼ばれていることを初めて知りました。知らないことは本当に多いものです。
 そして戦後60年近くたった2004年に、韓国政府は、「反民族行為真相糾明特別法」を制定し、親日派の調査に政府として取り組んでいます。つい先日、氏名公表がなされたという報道がありました。まさに親日派とは反民族行為をした存在なのです。このことを私たち日本人はもっと重く受けとめる必要があると思います。
 これは決して自虐史観などという低次元のものではありません。

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中世ロワール河吟遊

著者:アンドレ・カストロ、出版社:原書房
 この夏、トゥール近くのシャトーホテルに3泊し、ロワール川流域のシャトーを2日間かけてじっくり見てまわりました。フランス語でいうと la vallee de  la Loire といいます。 vallee というのは、一般に谷のことですから、行く前の私のイメージは、川の両岸に山が迫っていて、そそりたつ崖を利用したお城が点々と存在するというものでした。行ってみると、まったく違っていました。私の愛用する仏和大辞典によると、 vallee は普通、川の名とともに用いて平野を流れる大河の流域を言う。その場合は、日本の谷の概念からは遠い。まさに、そのとおりでした。見渡す限り広々とした平野をゆったりと大きなロワール川がたおやかに流れています。崖に立地しているお城(シャトー)はむしろ少なくて、たいていは平地にあるのです。
 夏の暑い陽差しのもと、2日かけて6つのシャトーを観光タクシーで見てまわりました。よく修復され、保存も行き届いている見事なお城です。往時を十分しのぶことができます。さぞかしシャトーの主の貴族たちが優雅な生活をしていたのだろうと想像しましたが、この本を読むと、それは見事に裏切られます。たいていのシャトーは実に陰惨な過去を秘めているのです。
 そもそもロワール河流域は、その昔はフランスの中心部でした。歴代の王が好んで滞在していたのです。それは国境から離れて安全だったことにもよります。ロワール河流域の別名はフランスの庭でした。15世紀にジャンヌ・ダルクが活躍したころ、ロワール河流域のシャトーは栄えていました。16世紀には、プロテスタント派(ユグノー)とカトリック派とに貴族が別れ、お互い見つけ次第に皆殺しするという限りない内戦状態にありました。キリスト教って憎悪の宗教なのかと、ついつい思ってしまいます・・・。
 スペインのフェリペ2世の無敵艦隊がフランスの海岸をゆっくりと遊戈していた。狙いはイングランドのエリザベス女王。しかし、フランスにとってもこれは脅威であった。カトリック派の貴族の首領でもあったギーズ公はフランス王アンリ3世にとって脅威であった。ギーズ公はブロワ城に三部会を招集することをアンリ3世に要求した。3部会ではギーズ公派の方が多く、国王派は全議席の4分の1も占めていなかった。
 ついにアンリ3世はギーズ公の暗殺を決意する。ブロワ城のなかの隠れ小部屋に45人隊を引きこみ、ギーズ公が1人になるように仕掛けたところを一気に襲いかかった。そして、弟のギーズ枢機卿も引き続き暗殺された。2人の死体は切り刻まれ、焼かれ、灰はロワール河に投げこまれた。
 うーん、実に凄惨な情景です。今もブロワ城に行くと、その部屋はあり、ギーズ公が暗殺される場面を描いた大きな油絵がかかっています。
 シャンボール城にも行きました。狩猟のためにつくられたという広大かつ華麗・荘厳なお城です。17世紀後半、ルイ14世の宮廷はシャンポール城にあったようなものでした。昼間は狩猟、夜は舞踏会と賭博でときを過ごすのです。
 私がまわったのは1日目がシュノンソー、シャンボール、ブロワ、アンボワーズ、2日目がヴィランドリーとアゼル・リドーです。シャトーめぐりも疲れるものではありました。
 シュノンソーは、川にまたがるお城として有名ですが、さすが別名「6人の奥方のお城」と呼ばれるだけあって、その優雅さは現地に立って見ても、なるほどとうなずかせるだけのものがありました。アンボワーズ城の近くにレオナルド・ダビンチの博物館があって、そこも見てきました。ここでレオナルド・ダビンチが晩年を過ごしたのですね。知りませんでした。てっきりイタリアで死んだとばかり思っていました。
 意外と良かったのがヴィランドリーです。花と野菜の庭園があり池もあって、庭が幾何学的に配置されて見事で、お城とほどよく調和していました。毎日の管理・手入れが大変だろうな。休日ガーデニングにいそしむ私は心配になったほどです。
 泊まったシャトーホテルは東京の酒井弁護士の紹介でした。広大な森のなかにある貴族の館です。日本人の団体客(といっても10人ほど)が夜7時に到着し、朝8時半には出発していきました。シャンデリアの輝く食堂で夕食をとったくらいで、シャトーホテルの周辺の森をゆっくり散策する時間がなかったのが気の毒でした。
 私も、20年ほど前にドイツの黒い森(シュバルツバルト)の森のなかの保養地(有名なバーデンバーデンの近く)に1泊したことがあります。例によって夜遅く着いて、朝早くの出発です。ドイツ人の老夫婦たちが食事のあと楽しそうにダンスをしていました。何泊するのかと訊かれて、1泊するだけと答えると、目を丸くして驚かれてしまいました。こんな保養地に来て、たった1泊とは・・・。だから、私は今回は3泊してみたのでした。やっぱり3泊すると、ゆったりして心地よい気分をたっぷり味わえました。

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2005年9月16日

収容所から来た遺書

著者:辺見じゅん、出版社:文春文庫
 司法修習生の原田さんから、最近読んで面白かった本としてすすめられて読んだ本です。
 関東軍は終戦直後には主要部隊を南方戦線に引き抜かれ弱体化していたところ、国境をこえて侵攻してきた150万のソ連軍にたちまち圧倒され、8月15日の終戦後、武装解除のうえ捕虜となりました。そしてシベリアへ連行されていくのです。その数、60万人と言われています。最近まで政財界の裏で暗躍していた瀬島龍三もシベリア送りとなり、日本人捕虜の団長として活動したことがありました。
 ラーゲリと呼ばれた収容所で辛く厳しい捕虜生活が始まります。この本を読むと、その辛さ、厳しさが想像できます。空腹にさいなまれ、希望を失って死んでいく捕虜が続出しました。
 この本の主人公は、満鉄調査部でソ連研究にあたっていたインテリでした。ところが、ソ連は彼を日本のスパイだと疑ったのです。ときはスターリン治世下ですから、それも当然のことです。
 主人公は私の亡父の一つ年下にあたりますが、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)のロシア語科に入りましたが、1928年の3.15事件のとき、共産党シンパとして逮捕され、退学処分を受けていました。
 ラーゲリで主人公たちはこっそり集まり、俳句をつくっていました。アムール句会と名づけられています。仲間たちが次々に日本へ送還されていくのに、主人公はずっとラーゲリに残されたままです。そのうち不治の病にかかります。ソ連当局が十分な治療を拒否し、いよいよ誰の目にも死期が迫ります。周囲で相談し、主人公に遺書を書いてもらうことになりました。
 書かれた遺書は全部で4通、ノート15頁にわたるものでした。その遺書を仲間たちが丸暗記して日本へもち帰ることにしたのです。というのも、ソ連当局に見つかるとスパイ行為として重労働25年の刑を受けてシベリア奥地に送られるからです。そうやって暗記された遺書が、日本に帰った仲間たちの手によって復元され、日本で帰りを待ちわびていた妻のもとへ届きます。それも1通や2通ではありません。なんと7通もの遺書が届いたのです。
 つくづく人間愛っていいなと思い、胸が熱くなりました。1954年8月に亡くなった主人公の自宅に7通目の遺書が届けられたのは1987年のことです。実に33年もたっています。すごいことです・・・。

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明智光秀冤罪論

著者:井上慶雪、叢文社
 本能寺の変が起きて信長が死んだのは6月2日の午前4時ころ。明智光秀が京都に入ったのは、その5時間後の午前9時。したがって、光秀は本能寺の変の主役ではない。誰かが、信長をほとんど丸腰状態で京都に呼び出し襲ったのだという説が展開されています。学術的にはナンセンスと評価されているかもしれませんが、この本にもありますようにケネディ暗殺事件では今も大きな謎が解明されていませんし、本当のことをもっと知りたいと思わせる十分の本でした。
 光秀が信長から、このキンカン頭めがー、と言われながら公衆の面前で頭を叩かれた等々の話は、すべて後世の物語でしかなく、史実に反するとされています。
 信長は家康と違って、征夷大将軍への就任を断ってしまいました。正二位右大臣にまですすんだあと、突如として官位を返上しています。ところが、信長はそれまで、右近衛大将(うこんえのたいしょう)だけは兼任していました。これは、武家の棟梁としての地位を確保する意義のあった位なのです。
 信長は、本能寺へ安土城から大名物茶道具を運び入れました。そして、京都に来たのは、最高位の茶道具を入手するためだったというのです。おびき寄せたのは博多の豪商茶人島井宗室でした。この本は、信長暗殺は黒田官兵衛が仕掛けたものであり、実際に本能寺を襲撃したのは蜂須賀ないし細川の軍隊だとしています。ここらあたりまでくると、本当かな・・・、という気もしてくるのですが・・・。
 信長と長男信忠の遺骸が焼け跡に見つからなかったのは有名な話です。ただし、この本が「武功夜話」を根拠としている点は、その偽書説の感化を受けている私には了解できないところではあります・・・。
 歴史的大事件には、疑問点も大いにあるものだと痛感した次第です。

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擬態

著者:上田恵介、出版社:築地書館
 さまざまな生き物が、だましあって生きていることに目を見開かされます。この本の表紙写真は、虫食の痕まで葉っぱそっくりのコノハムシです。ちょっとやそっとでは、とても見破れません。
 別の種類のメスに擬態してオスを誘い、うまく近づいてきたらパクッとそのオス魚を食べてしまう魚が南アメリカ(ギアナ)にいるそうです。
 擬態というのは、姿や形だけではありません。音声をまねする音響擬態まであるというのです。驚きました。托卵する小鳥がいますよね。たとえば、カッコウはヨシキリに托卵します。
 ヨシキリのヒナは、親に食べ物をねだるとき、大きな口を開けて、「シッ」という1音を間をおいてくり返し鳴く。だから巣内のヒナ全員が鳴くと、途切れなく「シシシシ」と聞こえる。親鳥は、目の前の大口に刺激され、騒々しい声にも励まされ、すべてのヒナが口を閉じて静かになるまで、せっせと食べ物を運ぶ。
 ところで、カッコウのヒナは宿主の卵を全部外に押し出してしまうから、巣内にたった一羽だけ残ることになる。大きな口をあけても、口は一つでしかない。しかし、カッコウのヒナのエサをねだる声は、一羽しかいないとはとても思えないほどのにぎやかさで、「シシシシ」と、まるでたくさんのヒナがそこにいるかのように鳴く。つまり、カッコウのヒナは、たった1羽でも十分に食べて成長できるように、そのねだり声をヨシキリの1巣分のヒナがいて、エサをねだっているかのように擬態させ、宿主の行動を操っているのです。
 小鳥もモノマネが上手です。ヒヨドリは、近くの梢でツーピーツーピーと歌っていたシジュウカラが飛び去ったあと、同じ替え歌で鳴き返す。これは私も実際に体験しました。聞き慣れない小鳥のさえずり声が聞こえるのですが、そこにいるのは、いつも見慣れたヒヨドリでした。まさか、と思いました。この本を読んで謎がとけました。
 モズは、もっとすごい。10から20種類前後の小鳥の鳴き真似をする。キビタキはツクツクホーシーと鳴くことができる。
 生き物の世界って、本当に奥が深いんですね。

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高瀬川女船歌

著者:澤田ふじ子、出版社:幻冬舎文庫
 いやあ、うまいですね。すごく読ませます。まさしくストーリーテラーの極致です。しっぽりとした江戸情緒にみるみる引きこまれていきます。なんとなく幸せな気分になります。とかくもめごとの絶えない憂き世ではありますが、それでも案外、捨てたものではないのですよね、この世の中は・・・。
 京都の町なかを流れる幅4間の高瀬川。岸は柳の並木となり、平底の高瀬船が往来します。高瀬川は角倉了以が幕府の許可を得て7万5千両の私費を投じて開削し、年間1万両もの収入を得ていた。その代わりに、毎年銀2百枚の運上銀を上納していた。
 その高瀬川の船溜りにある旅籠(はたご)「柏屋」に働く人々が章ごとに人を変えて主人公として登場します。それぞれに重い過去を引きずっているのです。1章1章が完結しているようで、また、全体として見事な綾を織りなしています。その人情豊かな話が、春の川面に吹きわたる風のように、いくらか冷やっとしつつ、また、あたたか味も感じさせながら、読み手の心の中を吹き抜けていきます。そんな情緒にみちた時代小説です。すべてがハッピーエンドではありません。それでも、生きてて良かったよね、そんな、ほっとした思いにしてくれるのも間違いないのです。
 ちょっと落ちこんだとき、気分転換にもってこいの本としておすすめします。

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