弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年9月13日

阿部謹也自伝

著者:阿部謹也、出版社:新潮社
 私が著者の本を最初に読んだのは、「ハーメルンの笛吹き男」(ちくま文庫)でしょう。中世ドイツの都市に生きる人々の姿が生き生きと描き出されており、一心に読みふけりました。「オイレンシュピーゲル」の話も面白く読みました。「中世の窓から」(朝日選書)など、ヨーロッパ中世の社会を知るにつれ、日本との異同をいろいろ考えさせられました。
 この本では、一橋大学の前学長として、国立大学が独立行政法人化するときの悩みや問題点などについても鋭い指摘がなされています。さすが歴史学者だけあって、それに至る状況が、ことこまかく分析的に語られています。
 ところで、著者が卒業論文のテーマ選択に迷っているとき、相談した恩師は次のように答えました。
 それをやらなければ生きてゆけないテーマを探せ。
 なんとすごい言葉でしょうか・・・。私にそんな研究テーマがあるのか、はたと考えてみました。私にとって、たったひとつ思いあたるものとして、大学一年生のときに出会った学生セツルメントがあります。これについては、私なりに研究し、なんとか成果を本にまとめてみたいと考えています(近く第1巻を出版する予定です)。
 著者がドイツに留学し、ハーメルンの笛吹き男の資料に関わるようになった経緯も明らかにされています。なかなか大変だったようです。
 ちなみに、ドイツには、「先日はありがとうございました」というようにさかのぼってお礼を言う習慣がないそうです。また、ヨーロッパには、「今後ともよろしくお願いします」という日本人の私たちがよくつかう言い方もありません。
 アフリカの人は、ひとたびしてもらったことについては、生涯、感謝し続けるので、一度でもありがとうと言ってしまえば、感謝の行為はそこで終わってしまう。だから、ありがとうと言わない。このようなことも紹介されています。
 一橋大学の学長として著者が取り組んだ問題のひとつに、1969年に結ばれた確認書を破棄することがありました。私たちが大学生としてストライキを含めて闘った成果の確認書ですが、今では実質を喪って単なる過去の証文になっていたうえ、桎梏にまでなっていたのです。残念というか、感慨無量というか・・・。
 私たちは1969年、大学運営に学生の声を反映させるよう求め、当局に大衆団交に応じることを認めさせました。当局との大衆団交というと、学生が何百人どころではなく、それこそ何千人と集まっていた当時の話です。ところが、時代は移り、今では、学生運動という言葉自体がほとんど死語になってしまっています。
 著者は、当時と今は違うんだと、次のように指摘しています。
 現在、大学生は同世代の人口の5割近くを占めている。それほどの数の学生が、大学教師になったエリートたちと同様の価値観をもっているはずがない。彼らは大学で教えられている教科がどのような価値をもっているのかを知らず、少なくとも自分は関係ないと思っている。大学における教養教育は、まずこのような学生を知ることから始めなければならない。彼らの1人1人が自分を発見し、社会のなかにおける自分の地位がわかるまで指導しなければならない。大学の構造が今では戦前とまったくちがっているのに、教師は今も自分が学んだ学問が誰にとっても価値があるものだと思いこみ、それを理解しない学生を馬鹿にしている。大学は、このような状態のなかで、確実に死にかけている。
 いやー、そうなんですねー・・・。そのように考えるべきなんですね。私たち先輩弁護士は、司法修習生に対しても同じように考えるべきだ。最近、そのように思うようになりました。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー