弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年6月12日

残るは食欲

社会

著者    阿川 佐和子 、 出版   マガジンハウス

 ええっ、こんな刺激的なテーマで芳紀あふれる独身女性が書いていいのかと、小心者の私は正直いって心配しました。もちろん、これって本当ですよ。
まあ、それはともかくとして、著者の美食を描写する技巧は、ますますみがきがかかっていますね。この本を読んでいると、みんなぜひぜひ食べてみたい、それも今すぐに、と思ってしまいます。口の中がよだれであふれ、知らず識らずのうちに喉元にゴクリと音がするのでした。
夜9時すぎ、自宅に戻った。晩ご飯は食べそびれている。どうしよう・・・。翌朝までガマンするか、それとも外食しに出かけるか・・・。夜9時すぎに食べると身体に悪い。では、じっとガマンするしかないか・・・。ガマンしきれずに冷蔵庫を開ける。すると、2日前に町で買った豆腐がある。絹にするか、木綿にするか・・・。迷ったあげく、両方とも買った。それが一つ残っている。それで、その日は、木綿豆腐を湯豆腐で楽しんだのだった。
料理の腕は、自己満足をくり返していても磨かれない。改めて主婦の偉大さを思い知る。プロの料理人の苦悩を偲ぶ。毎日、毎日、他人の評価を前にして料理をつくり続けるバイタリティーと才能が求められる。もはや花嫁修業の必要もない今となっては、自分の料理は自分で食べて、自分で誉める。一人で生きていくんだ。フン。
なかなか著者のおメガネにかなう男はいないようで、男の一人として残念至極ではあります・・・。
そこそこ食べることに興味があり、でも妻のつくる料理に口うるさくない心優しいダーリンが望ましい。そう願って既に四半世紀。今や、一人でつくり、一人で誉め、一人で食べ尽くす。誰に気をつかうことなく、そして今夜も、「私は天才かっ!」と叫んでやる。意地でも。
まあ、そんなに意地なんてはらんでも、そこそこの男性と妥協してくださいな・・・。たとえば、こんな私でも・・・。おっと、冗談(ということにしておきましょう)・・・。
生姜ジュースが登場します。私の朝食はリンゴとニンジンの青汁ジュースのみ、そして、生姜紅茶です。これで健診時の糖尿病疑いは吹き飛んでしまいました。今では生姜を入れない紅茶なんて、気の抜けたビール以上に飲んだ気がしません。
「とりあえずビール」という人は多いのですが、私は3年ほど前からビールは卒業しています。ダイエット志向の強い私としては、腹六分目が理想ですので、腹一杯にふくれてしまうビールは大敵なのです。
フランスのお菓子でカヌレというのがあります。福岡の三越のデパートの地下のパン屋(「ポール」)でも売っています。私の大好物です。これまで、誰一人としてカヌレを差し入れてくれたことがないのが残念でたまりません。食べたことのない人は、ぜひ一度食べてみてください。美味しいですよ。
(2008年9月刊。1400円+税)

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2011年6月11日

しばいぬ

生き物

著者   岩合 光昭  、 出版   平凡社

 かわいい。りりしい。なつかしい。世界一かわいいニッポンの犬。柴犬の写真集です。私も、前に柴犬を飼っていましたので、本当になつかしい思いで写真集を眺め、しばし幸せな気分に浸ることができました。
柴犬の子犬は本当にコロコロして、可愛いったらありやしません。元気いっぱい。小さくても、立ち耳、巻き尾で、前脚は太い。気骨あふれる日本の犬だ。
 良い子犬を選ぶとき、目の輝きはとても大事なポイントだ。素直で明るく、好奇心いっぱいの、元気な子犬を選びたい。犬の性格は多様である。子犬を選ぶときは、何よりも性格を重視したほうがよい。目が輝いていて、ゴムまりのように軽快に動き、誰でもじゃれつくような明るい性格の犬を選ぶ。成長とともに、適度な警戒心は出てくる。
日本犬の目は、丸目よりもやや沈んだ不平等三角形が好まれる。日本犬は顔の品位が大切にされる。顔や体形を見て、オスとメスの判断ができる。全体として社交性には乏しいが、飼い主と他人を区別する能力を備えている。
 柴犬は、飼い主とその家族のかたわらで生活することに幸せを感じる想いを強く受け継ぐ特異性がある。逆にいうと、他人に群れにくい性質がある。
 柴犬は日本人の好みの性格を持っている。
 悍威(かんい)に富み、良性にして素朴の感あり。
 悍威とは、気迫と威厳。良性とは、飾り気のない、地味な気品と図格を指す。
 柴犬のオスは、強さを主張する傾向があり、気持ちは外界に向いて活発で力感がある。メスは自己主張が少なく、家族の動向に関心を寄せる傾向をもっている。こまやかな表情で飼い主にも柔和に接する。
柴犬は余分な手を加えず、生まれたままの自然の姿を楽しむ犬種だ。爪切りやトリミングなどのおしゃれ感覚の手入れは不要。渋い伝統美こそ、柴犬の持ち味である。
 飼いやすい犬とは、側に置いていても邪魔にならない犬、飼い主の気持ちを察することのできる犬をいう。柴犬は利口な犬種だが、訓練所での教育には向いていない。飼い主や家族とのスキンシップのなかで、ことあるごとに潜在する能力を引き出していく必要がある。犬が人間社会に適応する能力を学習できるかどうかは飼い主次第である。
 犬は飼うもの。飼われないようにする。犬には、まず何より我慢することを覚えさせること。どんなときにも、飼い主は絶対であるということを教え、服従する心を植えつけることが肝心。犬の知能は人間の3歳から5歳くらい。犬は、終生、この精神年齢で飼い主に接する。
 いやはや、柴犬、シバイヌって、本当に可愛いんです。カワユイ・・・!!もうとろけてしまいそうです。
(2011年3月刊。1500円+税)

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2011年6月10日

日本の原発、どこで間違えたのか

社会

著者   内橋  克人    、 出版   朝日新聞出版

 原発一極傾斜体制を推し進めてきた原動力の一つには、あくなき利益追求の経済構造が存在している。原発建設は、重電から造船、エレクトロニクス、鉄鋼、土木建設、セメント・・・・、ありとあらゆる産業にとって、大きなビジネスチャンスだった。
 1980年代後半、日本は国の内外ともに不況は深刻だった。電力9社の発電設備の余剰率(ピーク時電力に対する)は、31%をこえていた。つまり、設備の3分の1近くが既に余剰だった。既に償却ずみの、したがって安いコストで発電できる水力や火力の設備をスクラップしてまで原発建設は進んだ。「安全」を捨て、「危険」を選んだのは、選ばせたのは誰か・・・・。そうなんですよね。目先の利益に走った集団のため日本民族の危機が迫っているわけです。
 電気事業連合会は、その本部を経団連会館のなかに置く。その地から、「安全だから安全だ」「世界の流れだ」と発信し続けた。そのとおりですね。日本経団連会長は福島原発事故が起きて日本中が放射能被害に心配している今でも、やっぱり原発は必要だなんて無責任な発言を続けています。許せません。ながく金もうけのことしか考えないと、そこまで人間が堕落してしまうのでしょうね。もちろん、お金もうけは大切ですけど、何事も生命と健康あってのことなんですよね。そこを忘れては困ります。少なくとも経済界トップとしての自覚がなさすぎですよ。
 本書は、実は今から30年も前に発刊されたものを復刊したものです。それだけに原発をつくるときに、原発の危険性を指摘していた人々がいたこと、それを電力会社や自民党がお金と権力をつかって圧殺してしまったことが生々しく再現されています。
 福島第一原発の地元である大熊町は、町税収入のなかの83%が原発関係の収入だった。まるで、原発丸がかえの町だったのですね・・・・。そして、原発は安全だと強調していた福島県は、実はひそかにヨード剤を27万錠も買って常備していた。ええーっ、そうなんですか。ところで、このヨード剤って今回の震災で活用されたのでしょうか?
 自民党は、日本に原発を100基設置する方針を打ち立て、強力に推進した。そうなんですよね。今、自民党は震災対策で民主党政権を非難していますが、元はといえば自分が強引に推進してきた原発政策が破綻したわけですから、国民に対してまずは自己批判すべきではないでしょうか。他人を批判する前にやるべきは自民党の自己批判ですよね。 
原発技術は、つまるところ溶接技術である。複雑にいりこんだ形状の原子炉格納容器、おびただしい数にのぼる曲がりくねった大小のパイプ、それらは完璧な溶接技術なしには成立しない。
日立製作所やIHIは「世界一」の確信をもっていた。それが、原発の稼動後まもなく、もろくも崩れ去った。まだ実証炉の域を出ていない原発の技術を、すでに実用段階と思い込み、安易に原発に対処したのだ。
その日本側の認識の甘さは大いに責められるべきです。そして、政府、自民党とともにマスコミの責任も重大ですよね。原発の「安全神話」はマスコミの協力なしには普及しなかったわけですから・・・・。
 読んでいると、背筋に寒さを覚える本でした。
 
 
(2011年5月刊。1500円+税)

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2011年6月 9日

餓死現場で生きる

アジア

著者    石井  光太  、 出版   ちくま新書

 15年間にわたって世界各地の貧困国に赴いてルポルタージュを書いてきた著者が、世界の子どもたちの現状を改めてレポートした本です。著者は、まだ30歳代も前半なのですが、とても冷静な筆致で、世界のすさまじい現実を淡々と描いています。
 著者の本は、これまでも『絶対貧困』(光文社)など、いくつも紹介してきましたが、この新書はこれまでの本の総まとめのような内容になっています。
日本の低体重児の割合は周辺国に比べて高い。北朝鮮7%、モンゴル6%、韓国4%に対して、日本は8%。この30年間で、日本の低体重児の出生率は2倍となった。その原因は、日本女性がやせすぎだということ。
途上国における子どもの死因は多い順に、肺炎、下痢、マラリアとなっている。いずれも感染症だ。
幼い子どもを犠牲にしても父親がまっ先に栄養をとるのは、自分本位とか差別というより、そうしなければ一家が成り立たないという現実があるため。
ストリートチルドレンは、満足に食事をとれない。すると、髪や肌の色がどんどん明るくなってくる。だから、人は白っ子と呼ぶ。しかし、これは栄養不足による病状をあざ笑う差別用語なのだ。
親が自分の娘を初めから承知して売春を強いるのは、親自身も売春しているときか、親が違法な薬物中毒になっていて善悪が認識できないときが大半である。
貧しい家庭では、息子より娘に教育を受けさせる。海外へ出稼ぎに行くには、それなりの英語力をはじめとした教養が必要になってくる。男性は肉体労働なので、それほどの教養は必要としない。
初等教育を受けられなかった子どもは社会に適応できなくなる。公用語が分からず、意思疎通ができない。社会性を身につけていれば、困窮していてもコミュニティー内での助け合い、労働力が可能となって生きてゆける。貧困層の人々は、必要な基本的教養が不足しているか、苦しい状況を少しでも良くなるようと迷信に頼って生活する。
親が子どもの身を守るため、幼いうちに結婚させるところがある。日常に大きな危険が潜んでいる状況では、できるだけ早目に結婚させたほうがいいのだ。
日本のエイズ感染者は2万人以下。日本では感染は予防できる。ところが、貧困国で、困窮した生活を送っている人々は免疫力が弱まっている。アフリカでは、淋病やクラミジアは尿道に炎症を起こすため、そこがエイズウイルスの侵入経路になっていて、HIV感染率が上がる。アフリカの売春婦は20代半ばまでに、そのうちの何%かは発病して命を落としているのが当たり前となっている。
淡々と、恐ろしい現実が次々に紹介されています。頁をめくる手が鈍ってしまう、とても重たい手軽な新書版です。ぜひ、あなたも読んでみてください。
(2011年4月刊。860円+税)

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2011年6月 8日

北条氏と鎌倉幕府

日本史(鎌倉時代)

著者    細川  重男  、 出版   講談社選書メチエ

 執権北条氏は、なぜ自ら将軍とならなかったのか。その謎を解き明かした興味深い本です。鎌倉時代の武士の荒々しい実像を初めて知った思いがしました。鎌倉時代の武士たちは、自分たちを「勇士」と称していたが、要するに野蛮人だった。京都の王朝貴族は東国武士を蔑んで「東夷」(あずまえびす。東に住む野蛮人)と呼んだが、そのとおりだった。
 紛争解決方法として相手を殺すことを即座に選ぶ武士たちが作った鎌倉幕府は、まさに蛮族の政権であり、王朝のような知識の蓄積はほとんどなかった。鎌倉武士たちは支配機構を手探りで作っていった。鎌倉幕府の歴史は、東夷たちの悪戦苦闘の歴史であり、すなわちムダな流血の連続だった。
 伊豆時代の北条氏は系譜が正確に伝わるような家ではなかった。北条氏自身ですら、自家の先祖の系譜がよく分からなかったのではないか。
 平安、鎌倉期の武士団は意外に人数が少ない。父子2人に家臣1人とか兄弟2人だけといった、武家団というより、武家親子、武家兄弟とでも言いたくなる豆粒のような武家団も少なくなかった。
 頼朝期には、門葉(もんよう)、家子(いえのこ)、侍(さむらい)の区分があった。門葉は、頼朝の血族を指す。侍とは、頼朝と血縁のない家臣、つまり一般の武士国における郎従である。家子は、一般の御家人たる侍よりも上位に位置づけられている、頼朝によって選抜された側近、親衛隊である。
 鎌倉将軍は、室町将軍の奉公衆や徳川将軍の旗本のような直轄の軍事力を事実上保有しなかった。鎌倉将軍の軍事力とは、各御家人の有する軍事力の集合体であった。
頼朝という重石を失った鎌倉幕府は、激烈な内部抗争の時代を迎える。それは和田合戦まで14年に及び、源平合戦の戦友たちが殺し合った。
暗殺された実朝のイメージは、和歌をたしなむ、おとなしくて、かわいそうな将軍という、なよなよしたイメージがつきまとっていますが、その実相は、けっこう短気で怖いというものだったようです。
北条氏にとって、政子の生んだ実朝は自らの最大の権力基盤だった。だから、実朝暗殺の黒幕が義時らの北条氏であったとは考えにくい。
名執権として高名な北条時頼は、もともと庶子であったため、実は執権としても、北条氏家督としても正統性を欠く存在だった。
文永5年(1268年)初頭以来の蒙古の重圧を背景として、対蒙古戦争を必至とした鎌倉幕府は、臨戦体制の構築を目ざし、時宗への権力集中を急いでいた。
室町・江戸の両幕府と鎌倉幕府の最大の相違点は、将軍が一つの家の世襲とならなかったことにある。
鎌倉将軍は、源氏将軍三代(頼朝、頼家、実朝)、摂家将軍二代(頼経、頼嗣)、親王将軍四代に分けられる。
時宗には国際認識の欠如と野蛮なまでの武力偏重がある。時宗は中国の国書を無視したばかりか、使者を二度斬首し、ひたすら戦闘体制の構築に邁進した。時宗には外交交渉という発想がなく、国際常識をまったく欠いていた。鎌倉幕府には、天皇家や王朝を滅ぼすということは、できもしなかったし、その以前に発想もされなかった。
時宗は、自分が皇統に口出しできる存在であると考えており、実際に皇位の行方を決めた。時宗は皇位をも意のままにする日本国最高実力者であり、帝王にすら憐れみを寄せる超越者だった。
北条氏得宗の鎌倉幕府支配の正統性は、得宗が義時以来の鎌倉将軍の「御後見」たることにあるのであり、このような得宗の政治的・思想的立場からすれば、得宗自身が将軍になるなどという発想が出てこようはずもなく、得宗は将軍になりたくもなければ、なる必要もなかった。
鎌倉将軍は頼朝の後継者であるという観念を具現化した者こそ、七代将軍の源惟康だった。源頼朝の後継者である鎌倉将軍の「御後見」として、北条義時の後継者である得宗は、八幡神の命より鎌倉幕府と天下を統治する。
時宗による「御後見」の実態は、鎌倉幕府の全権力を一身に集中させた独裁者だった。
将軍を擁しつつ将軍権力を自身が行使するという時宗の地位は「将軍権力代行者」と定義できる。君臨すれども統治せざる神聖化した将軍の下で得宗が将軍権力を代行するという政治体制は、鎌倉幕府の歴史と伝統に基づく正統性と権威をもっていた。将軍が存在しながら、北条氏が権力を握っているというわかりにくい政治体制は、煎じ詰めれば頼朝没後の内部抗争に始まる混乱と迷走のあげ句に、なし崩しにできあがったものなのである。
いやあ、実に面白い歴史本でした。こんなことがあるから速読・多読・濫読はやめられないのです。
(2011年4月刊。1500円+税)

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2011年6月 7日

スペイン内戦(上)

ヨーロッパ

著者    アントニー・ビーヴァー  、 出版   みすず書房

 第二次大戦直前に起きたスペイン内戦の実情を詳しくたどった大変な労作です。上下2巻の分厚い本を読み通すのに苦労しました。なんといっても、重すぎる内容なのです。
『誰がために鐘は鳴る』など、いくつもの文学作品に登場するスペイン内戦ですが、その内容はあまりにもおぞましいものがあり、人間の理性がもっと働いていれば・・・、と思わせるところが多々ありすぎました。ともかく、たくさんの人が無情に殺されていく記述に出会うたびに、それが頁をめくるたびに出てくるので辟易させられますが、前途ある有為な人々がかくもたやすく抹殺されてしまうのか、涙と怒りが噴出してくるのを抑えることができませんでした。
スペイン内戦は、左翼と右翼の衝突としてさかんに描写されるが、それは割り切りすぎで、誤解を招く。他に二つの対立軸がある。中央集権国家対地方の独立、権威主義対国家の自由である。
共和国政府側の陣営は対立と相互不信のるつぼであり、中央集権主義者と権威主義者、とくに共産主義者と地方主義者と反国家自由主義者とが反目しあっていた。
無政府主義者が早くからスペイン労働者階級の最大多数を獲得したのには、いくつかの理由があった。それは、腐敗した政治制度と偽善的な教会に対する強力な道徳的選択肢を提供していた。
マルクス主義者が他と比べて成功しなかった理由の一つは、中央集権国家を強調しすぎたせいである。スペインでは、工業の大部分はカタルーニャに集中していながら、そこは無政府主義の牙城となっていた。1919年末までに、社会党系UGTの組合員は16万人、無政府労働組合主義系CNTの組合員は70万人までに増えた。
1933年11月、共和国新憲法はスペイン女性に参政権を認めた。
1936年。左翼の革命蜂起と軍・治安警備隊による左翼への残酷な弾圧のせいで、両者に妥協の余地はまったくなかった。どちらの側にも感情の傷が深すぎた。双方とも、終末的な言辞を弄し、どちらの追従者にも政治的結果ではなく、暴力的結果を期待させた。
コミンテルンの幹部たちは、中産階級をひきつけることにほとんど無関心だった。人民戦線は権力の手段にすぎなかった。
1921年に結党したときのスペイン共産党はたった数十人しかいなかったが、その影響は相当なものがあった。そして1936年半ばには、3万の党員が10万に増えていた。
1936年の選挙で、人民戦線は15万票の差で勝利した。1936年初夏、ヨーロッパ情勢は緊張していた。ヒトラーはベルサイユ条約を破ってラインラント地方に軍隊を再配備した。
スペイン軍は、1936年に10万人から成っていた。そのうち4万人がモロッコに駐屯する手強くて有能な部隊だった。本土にいる残りの部分は無能だった。
右翼側が蜂起を準備している証拠がたくさんあるのに、共和国派指導者は恐ろしい真実を信じようとはしなかった。反乱将軍の行動に対して共和国政府はためらい、逡巡して行動せず、それが命とりとなった。共和国の首相は労働組合を武装させる決心がつかなかった。
スペイン軍の将校には自由主義的な思想の持ち主はまずいなかった。それは、植民地に勤務していると、自分たちの信じる国家価値なるものを誇大視しがちだったからだろう。彼らは政治家を軽蔑し、アカを憎悪した。
内戦に入ったとき、地面に潜って戦うなど、スペイン人の戦争哲学から言えば、もってのほかだった。勇猛果敢こそが勝利に導くという確信を持っていた。
国民戦線軍(右翼)の最大の軍事的強みは、実戦経験を積んだモロッコ駐屯軍4万の兵士だった。それに加えて、訓練が乏しく装備も貧弱だが、本土部隊5万の兵士がいた。さらに17人の将軍と1万人の将校が蜂起に参加した。総数で13万人の将兵に達した。
これに対して、共和国は、5万人の兵士、22人の将軍、7000人の将校、などで総勢9万人だった。
フランコ将軍は、内戦が終わったとき、こう言った。
私には敵は一人もいない。私は一人残らず殺した。
国民戦線軍による殺害と処刑は、あわせて20万人にのぼる。
1931年から32年の共和制の最大の成果は教育と非識字退治の面で実現された。共和国の成立する前22年間に、学校はわずか2000校しか建てられなかったのに対し、共和国になってから1700校が建てられた。その結果、非識字率は50%だったのが劇的に減少した。
フランコは、実は非常に月並みの人物だった。労働者民兵は市街戦にあっては、集団でいることの勇気に押されて、向こう見ずな勇敢さを発揮した。しかし、障害物のない開けた場所では、砲撃と爆撃にはかなわないのが普通だった。というのも塹壕掘りを拒否したからだ。スペイン人にとって、地面を掘るなんて沽券にかかわることだった。
民兵制度最大の短所は自己規律の欠如だった。無規律は、それまで外部からの強制と統制にしばられていた工場労働者のような集団でとくに顕著だった。逆に農民や職人のように自営だった人々は、自己規律を失わなかった。
ほとんどの将校は、共産党と協力するほうを選んだ。その理由は、民兵組織に恐れをなしたからだ。一般に政府に忠実な将校は年配者で、本国軍に勤務していた官僚的な人々だった。若い、積極的な将校はフランコ側の反乱軍についた。
共和国軍指揮官には、第一次大戦の時代遅れの理論しか持ち合わせがなかった。コミンテルンは、スペイン内戦中に、国際旅団を組織した。国際旅団の志願兵の動機の無私無欲は疑いようがない。イギリス志願兵の80%が、職を辞めたか失業中の肉体労働者だった。その多くは、戦争とは何を意味するのかほとんど分かっていなかった。その指揮者であるアンドレ・マルティは陰謀強迫観念にとりつかれていた。スターリンによって始まったモスクワの見世物粛清裁判に影響されて、ファシスト=トロツキス=スパイがそこらじゅうにいると信じこみ、このスパイを根絶やしにする義務があると思い込んだ。その結果、マルティは国際旅団兵士の1割にあたる500人もスパイとして射殺した、このことを内戦のあとで認めた。
スペイン内戦に従軍したソ連要員の正確な人数は判明していないが、800人を超えたことはなかった。ソ連軍顧問の多くが、実は指揮経験の乏しい下級将校でしかなかった。
スペイン内戦が始まって1ヵ月ほどしてスターリンによる大粛清裁判が始まった。
スターリンの犯罪的行為と判断の誤りがスペインにも多大の被害をもたらしたことを改めて認識しました。スペイン内戦の恐るべき実情が語られている本です。
(2011年2月刊。3800円+税)

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2011年6月 6日

進化の運命

人間

著者    サイモン・コンウェイ=モリス 、 出版   講談社

 この広大な宇宙のなかで地球上に存在する人間は進化の必然だったのか。必然だったとすれば、この広い銀河のどこかに別のよく似た存在がいてもおかしくはない。では、どこにいるのか・・・。どこにもいないとしたら、人間は宇宙における偶然の産物にすぎないというのか。そしたら、それは意味も目的もないということになるのか・・・。
 こんな問題意識のもとで、宇宙において人間が実在する意味を問い詰めようというものです。
モリブデンは生命にとって欠くことのできない元素である。さまざまな酵素で大切な働きをしている。しかし、地球においてこの元素がどれくらい手に入るかというと、とてつもなく乏しく、その産出量は実際にもわずかでしかない。
 意外なことに、生命の基本ブロックの少なくとも何種類かは、太陽系形成のはるか以前に合成されている。合成された環境は星間空間である。生命がすめそうなところではない。そこでの有機合成プロセスは、極低温・高真空で、放射線にさらされた中で進行する。有機物だけでなく、水(氷)やその他の揮発性物質が豊富に含まれている窒素質隕石や彗星などの地球外物質のかたまりがなかったなら、地球上に生命は現れなかっただろう。地球外物質がなければ、何十億年もの進化を経て、意識をもつ種が少なくとも一つ現れ、生命の起源について考え始めることはなかっただろう。
 揮発性物質とともに生命の前駆物質が天から何度も初期地球の表面に降ってこなかったら、地球上には海も大気もなかっただろう。
 生命は実験室の中でつくることは出来ないし、出来そうなきざしもない。生命の誕生は、百京回に1回のまぐれ当たりだった。生命の出現は、ほとんど奇跡だった。
 月面が今のような姿になったのは、太陽系の歴史初期を襲った激しい衝突事故による。大衝突によって、月面は何度もぼろぼろの瓦礫の山にされ、表面が粉々にされ、クレーターがつくられた。
地球は質量が月の百倍もあって重力も大きいから、さらに激烈な衝突に見舞われた日が設定されている。厳しい衝突期の終わりごろ、いずれも海洋を蒸発させ、おそらく地球を無事に産みだした。
過去10億年で居住可能領域は大幅に縮小した。しかも、これから10億年たつと、居住可能領域は地球から外れてしまう。
銀河の中心は、星が非常に高密度に集積しているので、安全ではない。どうしても爆発は避けられないし、もちろんブラックホールも待ち構えているだろう。
計算によると、もし人間が複眼をつかって今と同じ視覚を確保しようとしたら、その幅は少なくとも1メートル、望むらくは12メートル以上が必要になる。
 人間が色を見分けることができるのは、樹上性だった人間の祖先が適切な色の果実や葉をどうしても見分ける必要があったからだと一般に考えられている。
 ハダカデバネズミにはあきらかに視力がないので、通常なら視覚に用いられる脳の領域が、体性感覚皮質に取って代えられている。ハダカデバネズミは、おそらく歯をつかってものを「見て」いる。
ボーア戦争の少し前のころ、南アフリカにジャックというヒヒがいた。事故によって両膝から下を失くした男性の下で、ジャックは鉄道の仕事を手伝っていた。さまざまな信号を一つ残らず理解し、どのレバーを引けばよいか覚えていた。間違えたことは一度もなかった。このほかにもポンプで水を汲んで運んだり、庭いじりをしたり、ドアに鍵をかけたりしていた。これは、知性は人間だけにあるのではないとうことを実証する事実だ。
 イルカの鳴き声は複雑で多様である。水が不透明であることから、顔の表情を利用することはかなり限られる。そこで、音を出す音響方式が優先されたのだろう。イルカは、かなり離れた場所との間でも交信することができる。イルカにとって、半球睡眠は群れの仲間とはぐれないためらしい。
 なぜ、進化は繁殖期の終わった女性の存在を「許して」いるのか?
 アフリカゾウではメスのなかでも一番の長老が概して一番賢く、よそから来たゾウのことをもっともよく覚えていて、必要な社会の知識を自分の「家族」に伝えていくことができる。
 このような母系社会の一族でもっとも大きい最年長のメスを殺すのは愚かなことだ。なぜなら、蓄積された知識が群から奪われ、繁栄が妨げられてしまうからだ。
 いろいろ難しいこともたくさん書かれていますので、もちろん全部は理解できませんでしたが、この広大な宇宙に果たして人間と同じような知性をもつ生命体がいるのかいないのか、改めて考えさせてくれた本でした。
(2010年7月刊。2800円+税)
アジサイが咲き、ホタルが飛びかう季節となりました。我が家から歩いて5分あまりのところに毎年ホタルが出る小川があります。ふわふわと漂うように音もなく軽やかに明滅するホタルの光は、いつ見ても夢幻の境地を誘います。なくしたくない自然です。すぐ近くまでバイパス道路が迫っているのが心配です。
軒からヘビが落ちてきました。屋根裏のスズメの巣を狙ったのでしょう。数日後、急にスズメたちがやかましく鳴き騒いでいました。
自然が身近な生活はヘビとの共存も強いられることになります。こればかりは勘弁してよと言いたいのですが・・・。

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2011年6月 5日

ともしびをかかげて

ヨーロッパ

著者    ローズマリ・サトクリフ  、 出版   岩波少年文庫

 心おどる活劇の本です。
 イギリスはかつてローマ帝国に支配されていました。すごいことですよね。イタリアの首都ローマから発した軍団がフランスを支配し、次いでドーバー海峡を渡ってイギリスまで支配していたのですから・・・。
 2世紀はじめのことです。まだ、イギリスではなく、ブリテンと呼んでいました。ローマの軍団はワシの旗印をかかげています。ブリテンに住むケルト族はブリトン人(ブリテン島の住民という意味です)と呼ばれて、ローマ文明を受け入れ、ローマ化されていきました。征服者のローマ軍団の方は、逆に徐々にブリトン人に同化していました。
 そして、3世紀には、大陸から新たにゲルマン民族の一派であるサクソン族がブリテン島に侵入してくれるようになりました。この物語では「海のオオカミ」と呼ばれています。
 ローマのワシは、400年以上もブリテンを支配したあと、ブリテンから撤退します。そこで、この本の主人公アクイラはブリトン人としてローマから離れて生きるのを決断し、悲劇が始まるのでした。
 じっくり味わい深い、手に汗にぎる展開となって話は進んでいきます。
 子どものころに水滸伝を読んでいたときの胸騒ぎを思い出しました。
 ローマン・ブリテン四部作の一つだということです。
(2008年4月刊。680円+税)

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2011年6月 4日

まんが原発列島

社会

著者   柴野 徹夫 ・向中野義雄  、大月書店  出版   

 福島第一原発の大惨事が起きて、22年前(1989年)に刊行されたマンガ本が復刊されました。
 22年前に指摘されていた原発の危険性が、今や現実のものとなったわけですが、原発について「絶対安全」だなんて大嘘ついて推進してきた東京電力をはじめとする電力会社のドス黒い体質も鋭く告発されていて、読みごたえのあるマンガ本です。
 新聞記者として、日本の原発の実態について潜入・徘徊・取材を重ねてきた著者は、電力会社から尾行され、脅迫されていたのでした。
 今から22年も前に、
① 現在の原発は未完成で、致命的な未来のない巨大な欠陥商品である。
② アメリカの世界支配戦略として押し付けられた原発によって、日本はさらに対米従属を深める。
③ 放射能廃棄物の処理は膨大で危険きわまりない。
④ 国と電力会社による専制的な地域支配・監視管理、秘密主義が進行している。
⑤ 原発の底辺労働者は日常的に奴隷のように被曝労働を強いられている。
などなど、目下、現在進行中の大惨事を予測していたのでした。
国と電力会社は日本の将来を奪いつつあると言って決して言い過ぎではありませんよね。東電の社長が6月に交代するようですが、年俸7200万円というのですから、莫大な退職金が予想されます。しかし、とんでもないことです。むしろ歴代の社長全員から退職金を吐き出させて、被災者支援にまわすべきではないでしょうか・・・・。
今、強く一読をおすすめしたいマンガ本です。

(2011年4月刊。1200円+税)

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2011年6月 3日

不破哲三・時代の証言

社会

著者  不破 哲三    、中央公論新社 出版   

 日本共産党のトップが、あのヨミウリで自分の半生を語った新聞連載が本になりました。
 「意外な新聞社からの意外な話」だと著者も述べていますが、いかにも意外な組み合わせです。しかし、準備に半年かけ、1回の取材に3時間をかけて10回ものインタビューに応じたというのですから、共産党や国会の裏話をふくめて密度の濃い内容になっていて、とても読みごたえがあります。
30回の連載をもとに、さらに記述を膨らましてあるようですので、新聞を読んだ人にも、恐らく重複感は与えないと思います。日本の現代政治史を考える資料の一つとして大いに役立つ内容だと思いながら、私は一気に読了しました。
著者は、幼いころ、虚弱体質、腺病質だったとのこと。泣き虫で、悲しいにつけ、うれしいにつけ、床の間に行ってこっそり泣くので、「床の間」というあだ名がついた。うへーっ、そ、そうなんですか・・・・。とても感情が豊かな子どもだったのでしょうね。私は小学校まで笑い上戸だといって、家族みんなから笑われていました。
そして、著者は本が好きで、小学校3年生のときから小説を書いていたというのです。どひゃあ、恐れ入りましたね。いかにも利発そうなメガネをかけた当時の顔写真が紹介されています。
 戦争中は、ひたすら盲目的な軍団少年だったとのこと。まあ、これは仕方のないことでしょうね。それでも、やはり早熟なんですよね。なんと、16歳、一高生のときに日本共産党に入党したというのです。そして、婚約したのも早く、19歳のときでした。いやはや、早い。
会費制の結婚式を駒場の同窓会館で挙げたとのこと。私も大学一年生のとき、そこで開かれたダンスパーティーに恐る恐る覗きに行って、尻込みして帰ってきました。踊れないので、輪の中に入る勇気がなかったのです。本当は女子大生の手を握って踊りたかったのですけど・・・・。
 著者が共産党の幹部になってから、ソ連や中国共産党からの干渉と戦った話は面白いし、さすがだと感嘆します。大国の党の言いなりにならなかったのですね。アメリカ政府の言いなりになっている自民党や民主党の幹部たちのだらしなさに改めて怒りを覚えました。
 著者は国会論戦でも花形選手として活躍したわけですが、対する首相たちも真剣に耳を傾け対応したようです。
質問していて一番面白かったのは田中角栄だ。官僚を通さず、自分で仕切る実力を感じさせた。このように、意外にも角栄には高い評価が与えられています。大平正芳も真剣に対応したようです。
 この本で、私にとって興味深かったのは、宮本顕治へ引退勧告するのがいかに大変だったか、それが語られていることです。私の敬愛する先輩弁護士のなかでも、引け際を誤って、老醜をさらけ出してしまった人が何人もいます。本人はまだ十分やれると思っていても、周囲はそう見えていない、ということはよくあるものです。老害はどこの世界でも深刻なんだよなと、つい思ってしまったことでした。
 かつて共産党のプリンスと呼ばれたことのある著者も今や80歳。70歳のときにアルプス登山は卒業しました。そして、今、インターネットを通じて社会科学の古典を2万5千人の人に教えているそうです。すごいことですよね。
 先日、毎日新聞の解説員が絶賛していましたが、原発問題についての講話はきわめて明快で、本当に出色でした。目からウロコが落ちるとはこのことかと久しぶりに実感したことでした。小さな小冊子になっていますので、ぜひ手にとってご覧ください。老いてますます盛んな著者の今後ともの活躍を期待します。
(2011年3月刊。1500円+税)

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2011年6月 2日

裁判を住民とともに

司法

著者    板井 優  、 出版   熊本日日新聞社

 私と同世代の熊本の活躍している弁護士の半生記です。ええっ、早くも自伝なんか出したの・・・、と驚いていましたところ、地元新聞(熊日新聞)が45回にわたって「私を語る」という連載記事をまとめた本でした。それにしても、たいした人物です。こんなに社会的影響のある事件で勝ち続けているなんて・・・。改めて見直しましたよ。
 沖縄出身です。幼いころはナナワラバー(沖縄弁で悪ガキ)と呼ばれていたそうです。今を知る私なんかも、いやはや、さもありなんと、妙に納得したことでした。
 一般民事事件で相手方となったことがありますが、著者のもつド迫力に、私の依頼者は恐れをなしていました・・・。
 著者の両親は沖縄出身ですが、終戦直前に沖縄を離れていて助かり、大阪で結婚し、戦後、沖縄に戻って著者が生まれたのでした。ですから、私と同じくベビーブーム、団塊世代ということになります。
たくましい母親の姿には圧倒されました。土木所を営む父親が気の優しさから保証倒れで差押えされるのを見て、自ら合名会社を設立し、経営の実権を夫から奪って、オート三輪を乗りまわして会社を切り盛りしていたのです。日本の女性は昔から気丈なんですよね・・・。これは何も沖縄に限りません。私の家でも似たようなものです。小売酒屋を営んでいましたが、亭主(父)は酒・ビールの配達に出かけ、母ちゃん(母)が財布をしっかり握っていました。
 沖縄の激戦地でシュガーローフのすぐ近くで育ったとのこと。この『沖縄シュガーローフの戦い』は以前に紹介しました(光人社)。
 小学校は1クラス60人の21クラス、中学校は1クラス60人の18クラスだった。私の場合は、小学校は1クラス50人の4クラス、中学校は1クラス55人の13クラスでした。沖縄のほうがはるかに多いですね。
首里高校2年生のときに生徒会長になったそうですが、私も同じく県立高校で生徒会長(総代と呼んでいました)になりました。何ほどのこともした覚えはありませんが、他校訪問と称して四国や広島の高校まで泊まりがけで出かけたこと、役員になって先輩たちと楽しい関係が出来たことだけは良い思い出として残っています。
著者の場合は、国費で日本留学(大学入学)したのでした。ええーっ、という感じですが、まだ当時の沖縄はアメリカ軍の支配下にあって日本に返還されていなかったのです。
 著者は熊本大学に入り、そこで、今の奥様(医師)にめぐりあいました。弁護士になってから、水俣に法律事務所を開設し、水俣病訴訟を第一線で担いました。9年近い水俣での活動は大変だったようです。それでも、アメリカやギリシャ、そしてブラジルのアマゾン川にまで行って日本の水俣病問題を訴えたのです。すばらしい行動力です。そして、大変な努力のなかで水俣病の全面勝訴判決を勝ちとっていったのでした。
 また、税理士会の政治献金問題訴訟(牛島訴訟)にも関わり、見事な判決を引き出しました。この判決は憲法判例百選に搭載され、司法試験問題にまでなったというのですから、本当に大きな意義をもつものでした。
 ハンセン病訴訟でも実に画期的な勝訴判決を得ています。熊本にある菊池恵楓園があるのに、福岡で提訴する動きがあったそうです。やはり、地元の裁判所でないとダメだと主張して熊本で裁判はすすめられ、裁判官の良心を握り動かすことができたのでした。
川辺川ダム問題にも取り組みました。熊本地裁で敗訴したものの、福岡高裁で逆転勝訴しました。流域2000人の農家の調査をやり遂げたということです。その馬力のすごさには頭が下がります。
 以上で100頁たらずです。あと300頁は、著者の論文集が話を補充するものとして搭載されています。関心のある部分を読めば、さらに理解が深まります。
 板井先生、これからもますます元気でご活躍ください。
(2011年3月刊。2000円+税)

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2011年6月 1日

日本語教室

社会

著者    井上 ひさし 、 出版   新潮新書

私の深く敬愛してきた井上ひさしが日本語について語っています。その蘊蓄の深さには驚かされますし、改めて惜しい人を日本は喪ってしまったものです。残念でなりません。
外国語が上手になるためには、日本語をしっかり、これはたくさんの言葉を覚えるということではなく、日本語の構造、大事なところを自然にきちっと身についていなければならない。母語は道具ではない、精神そのものである。母語より大きい外国語は覚えられない。あくまで、母語を土台として、第二言語、第三言語を習得していく。
言葉というのは常に乱れている。言葉は完璧な多数決なので、どんな間違った言葉でも、大勢の人が使い出すと、それが正しい言葉になってしまう。
ズーズー弁は、東北と出雲と沖縄に残っている。
日本人は3種類の言葉を微妙に使い分けている。「きまり」はやまとことば、「規則」は漢語、「ルール」は英語。日本語は大変だ。やまとことばと漢語と外来語の3つを覚えなければならない。そして、日本人の生活の基本になっているのは、ほとんどやまとことばである。漢語が入ってくる前から、寝たり起きたり食べたりしているのだから、当然である。
「権利」という言葉のもともとの意味は、「力ずくで護る利益」ということ。仏典や中国の『荀子』という道徳書では、「権利」は「権力と利益」という意味で使われている。
日本人は、地上ユートピア主義である。日本人は自分の国が一番いいとは思っていない。たえず、いいところは他にあると思っている。しかし、完璧な国などありえない。必ずどこかで間違いを犯す。その間違いを、自分で気がついて、自分の力で、必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来がある。過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を、他の国民が見たときに、そこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれる。
日本の悪いところを指摘しながら、それを何とか乗り越えようとしている人たちがたくさんいる。そんな人が売国奴と言われる。でも、その人たちこそ、実は真の愛国者ではないだろうか・・・。
日本語の発言は非常にやさしく、会話はすぐ上手になれる。しかし、本格的に読んだり書いたりする段階になると、世界でももっとも難しい言葉の一つになる。
うふん、そんな難しい言葉を自由に操れる私って天才かな・・・、と思うのは単なる錯覚でしかありませんよね。日本語と日本人を考え直させてくれる、いい本でした。
(2011年3月刊。680円+税)

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2011年6月30日

刑務所のいま

司法

著者   日弁連   、 出版   ぎょうせい

 受刑者の処遇と更生について、日弁連拘禁制度改革実現本部がまとめた分かりやすい170頁余の冊子です。
 日本の刑務所のなかが実際にどのように運営されているのか、それは諸外国とどこが違うのか、コンパクトによくまとめられています。
刑務所の収容数のピークは2006年で8万1000人。2009年は少し減って7万5000人。
無期懲役は、今では運営上、死ぬまで刑務所を出られない終身刑化しつつある。
 日本は刑務所職員の1人あたり4.5人の受刑者をかかえている。これは、過剰収容のアメリカでさえ1人あたり3人、ドイツやフランスでは2人、イギリスでは1.5人というのに比べて、明らかに多すぎる。日本の刑務所の労働条件は、きわめて過酷である。
 今の世の中、厳罰化を求める声がかまびすしいのですが、収容所を増やせば刑務所の職員も増やさなくてはいけません。ところが、もう一方で公務員を減らせという圧力もかかっています。これでは、まともな矯正教育を保障することは出来ません。
 出所後5年以内の再犯率は50%。受刑者の4分の1を占める薬物事犯(女性では40%をこえる)の再犯率は年々ふえている。彼らは薬物依存症という病気にかかっている。
3割の再犯者によって6割の犯罪がなされている現実がある。だから、犯罪対策としては、とりわけ再犯防止対策が重要である。
 刑務所内で収容者が働いても、その賃金は月4200円が平均。この金額は日給ではなく、あくまで月給である。異常に低いものです。ですから、刑務所を出るときの所持金は平均4万3000円でしかない。
 アメリカの刑務所の収容者は230万人。ところが、20年前の1992年には130万人だったので、20年足らずで受刑者は2倍になったわけである。これだけ多いと、アメリカでは収容者を対象としたビジネスが成り立っているというのも、よく理解できます。
 収容者の高齢化がすすんでいる。60歳台では6年前の10%未満が12%超へ、70歳台では2%強が3%強へと、受刑者に占める割合も実人員も増えている。
高齢者が増えると、医療費もかさむ。全国の刑務所の医療関連予算は、2005年に30億円だったのが、2009年度には49億円になった。
刑務所も拘置所も収容者の高齢化には頭を悩ませており、専門の介護職が必要だと指摘されているようです。やはり刑務所の実情をふまえた量刑が必要です。市民が刑務所を訪問できるようになっているそうです。もっと交流する必要がありますよね。
(2011年5月刊。1714円+税)

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2011年6月29日

苦悩するパキスタン

アジア

著者    水谷 章  、 出版   花伝社

 外務省に入ってパキスタン公使などを歴任した人ならではの詳細なパキスタン情報が満載の本です。貴重な本だと思いました。
 パキスタンというと、今も一人パキスタンで、孤軍奮闘中の福岡出身の中村哲医師(ペシャワール会)を思い出します。スライド付きの講演を聞いたことがありますが、本当にすばらしい活動だと感嘆し、敬服しました。
 パキスタンには全アジアのムスリム人口6億4000万人の4分の1を占めるムスリム社会がある。パキスタンの厳しい自然条件と地域差、民族と言語の違いは、まさにモザイク状である。信仰・規律・統一をモットーに、ムスリムであることのみをもって国民をまとめる唯一の紐帯としてできたイスラム教徒の国である。
 識字率の低さなど教育の不備とあいまって、固陋な思想と因習が同時に温存している。
 初代首相は暗殺され、建国後の10年間に首相が7人も交替した。いやはや、まるで、今の日本みたいですね。どんな人が首相になっても、国はもつものなんですよね。
 現在のパキスタンは総人口が1億6000万人。世界で2番目に大きいムスリム国家である。全国の土地の70%を全体の5%の地主が所有している。したがって、健全な中産階級がパキスタンでは育ちにくい。
 国民一般の低い識字率と教育水準は、社会階層間の交流を妨げるとともに、既得権益層、とりわけ政治エリート階級を固定化した。パキスタンの国会議員のほとんどは、封建地主、部族長あるいは宗教リーダーなので、根本的な社会改革はすすみにくい。
国民は政治家にはあまり信頼を置かないが、軍には一定の信頼を置いている。現在のパキスタンにおいては、軍がもっとも強力かつ統制のとれた組織である。軍事費はGDPの6%を占めていたが、今は3~4%で推移している。政府支出の中では30%~20%を占めている。
 パキスタン軍は志願制であり、予備役25万人をふくむ陸軍兵力80万人を中心とする。軍人は採用以来、昇進など実力主義で処遇されており、専門的能力が高い。パキスタンは核保有国であるが、通常は核弾頭を外している。
 パキスタンにおいて、軍は、国家の統治機構の一部分であるだけでなく、国家経済のなかで国家資源を流用・費消して成り立つ、一つの独立した他の統治機構の索制を受けない、経済単位となっており、一面において自己完結的な存在でもある。
 軍は、パキスタンの野心的な若者にとって、雇用と社会的影響力、そして老後の安定という面から、きわめて魅力的な職場である。
9.11後、アメリカは、ムシャラフ政権が対アフガニスタン政策を急転回させて、テロとの闘いでアメリカ支援を明確してから、パキスタンに対して総額100億ドルをこえる軍事・経済支援を行ってきた。
 アフガンのムジャヒディンがソ連と戦うのを支援するため、アメリカCIAは60億ドル、サウジGIDは50億ドルをつぎこんだ。そして、パキスタンのISI(三軍統合情報局)は、8万3000人のムジャヒティンを訓練した。
 これは、ビン・ラディンをアメリカCIAが養成したということです。アメリカは、自ら育てた鬼っ子に手を深くかまれたというわけです。
 アフガニスタンのタリバンはパキスタンISIと、サウジGIDから流れ込む資金と武器、貧しさとマドラッサでの偏った教育から続々うまれるタリバン志願兵、そして秩序回復の見返りとして麻薬密輸業者が支払う「10分の1税」を元手として、驚くほどの速さでアフガニスタン全土を席巻した。
タリバンについては、次のように言える。反ソ、ジハードの熱情から生まれ、CIAの養分をたっぷり吸って、ISIに狂気と凶暴さを教え込まれたタリバンという名の「フランケンシュタイン」が歩きはじめた。
 パキスタンという国を理解することの大変さが実感できる本となっています。
(2011年3月刊。2500円+税)

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2011年6月28日

原発事故は、なぜくりかえすのか

社会

著者    高木 仁三郎  、 出版   岩波新書

 ドキッとするタイトルの本です。3.11のあとに出た本ではありません。なんと、初版は今から10年以上も前の2000年12月に出ています。原子力資料情報室の代表として高名だった著者は、惜しくも2000年10月、62歳のとき、大腸がんで亡くなられたのでした。巻末に生前最後のメッセージが紹介されています。
 反原発の市民科学者としての一生を貫徹できた。反原発を生きることは、苦しいこともあったけれど、全国・全世界に真摯に生きる人々とともにあること、歴史の大道の沿って歩んでいることの確信からくる喜びは、小さな困難などはるかに超えるものとして、いつも前に向かって進めてくれた。
 しかしなお、楽観できないのは、この本期症状の中で巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危機だ。原子力末期症状による大事故の危機と、結局のところ放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということへの危惧の念は、いま、先に逝ってしまう人間の心をもっとも悩ますものだ。あとに残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集することを願ってやまない。
 なんとなんと、この最後のメッセージに私たちはこたえることが出来なかったわけです。残念無念と言うしかありません。それにしても福島第一原発の大事故を予見したかのようなメッセージでした・・・。
 政府は、1999年12月の報告書において、「いわゆる原子力の『安全神話』や観念的な『絶対安全』という標語は捨てられなければならない」と強い調子で言い切っていた。
 ええーっ、ウッソー、ウソでしょうと言いたくなりますね。それほど、言行不一致だったというわけです。
 原子力産業の第一の問題点として、議論のないことがあげられる。議論なく、批判なく、思想なしだ。そして、情報が出てこない。それも、商業機密だから・・・だ。
 メルトダウンについては、ある種のタブーになっていて、まともに議論したことがなかった。原子力村というのは、お互いに相手の悪口を言わない仲良しグループで、外部に対する議論には閉鎖的で秘密主義的、しかも独善的という傾向がある。原子力行政を批判すると、原子力を推進するのは国策だから、原子力反対とか脱原発というのは公益性がないとされた。
 うひゃあ、そうなんですよね。国賊とまで言わなくても、せいぜい良くしてドン・キホーテと見られていましたよね、原発の危機性を言いつのる人々は・・・。
原発内の事故は隠されたというわけではなく、一連の虚偽の報告が意図的になされてきた。
 それはそうでしょうね。原発は絶対安全なのだから、事故なんて起きるはずがない。みんなそう思い込み、思い込まされていたわけです。でも、3.11福島原発の大事故によって、電力会社がいかに嘘っぱちの会社であるが、年俸7200万円の超高給とりの取締役たちの厚顔無恥ぶりが白日のもとにあばかれてしまいました。
 今こそ脱原発をみんなで叫んで、安全な自然エネルギーへの転換を急ぎたいものです。ドイツに続いて、イタリアでも国民投票で脱原発が決まりました。本家本元の日本人がまだ事態の深刻さの認識が足りないような気がします。福島原発は放射能を今も空に海に地中にたれ流し続けていて、それが止まる目途は立っていません。恐ろしい現実が進行中です。そこから目を逸らすわけには言いません。そんな深刻な状況が解決されてもいないのに玄海原発をはじめとする全国の原発を操業再開しようなんて、とんでもないことです。
(2011年5月刊。700円+税)

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2011年6月27日

時計遺伝子の正体

人間

著者    NHKサイエンスZERO  、 出版   NHK出版

 人間の身体って、本当に不思議だらけです。身体の隅々にまで体内時計があるというのです。
 体内時計は、睡眠と覚醒ばかりでなく、体温や体の働きを調節するホルモンなど、さまざまな物質の分泌をふくめて、身体の各部分をコントロールしている。
 体内時計の中心は脳の中にあって、そこは視交叉上核という。体内時計はそこだけでなく、ひとつだけでも時を刻むことのできる時計細胞が集まってつくられている。時計細胞は体の中のあちこちにある。それは男性の精巣を除いて、ほとんどの場所にあることが確認されている。心臓の時計が、肺では肺の時計が、筋肉では筋肉の時計がそれぞれのリズムを刻み、その働きをコントロールしている。
 先ほどの視交叉上核では、それぞれの時計細胞同士が話し合いをして正しい時刻を決めている。
 ええーっ、これってどういうことなんでしょうか・・・。まさか、テーブルを囲んで話し合っているわけでもないと思うんですけど・・・。
 視交叉上核の時計が身体の各部の時計に時刻の情報を送り、すべての時計を正しい時刻に調節している。この調節の方法は二つある。神経という電線を通り、電信柱のような中継点を経て電気信号で伝えるものと、血液を通して各種のホルモンを通るものがある。
体内時代を正しく調節するうえでもっとも大きな役割を果たしているのが光だ。おおよそ24時間に合わせるために、光でリセットされるという性質がある。
 時計を遅らせるほうが、時計を進めさせるよりも簡単だ。だから、海外旅行をしたときの時差ボケも、日本より西のヨーロッパへ向かった方が、東のアメリカに行ったときより早く時差ボケは解消しやすい。
 そうなんですよね。私はフランスによく行きますが、アメリカへ行ったときより、よほど身体が疲れません。
これまでの研究で、中心的な働きをする時計遺伝子が20種類みつかっている。実際には、24時間のリズムを刻んでいる遺伝子はそれよりもずっと多く、数千種類に達している。
 体内時計には3つの基本的性質がある。24時間周期でリズムを刻む、光によって調節される。温度に左右されないである。体温によって変わらないのですね。
 体内時計のリズムにしたがった規則正しい生活を送ることはとても大切なことである。
 昼夜交代勤務のような体内時計のリズムを無視して生活していると、体内時計はリズムを一時的に失う。すると、高血圧になる割合が高くなる。三交代勤務って、それでなくても大変ですよね
 人間の身体の不思議さを思い知らさる本でした。
(2011年2月刊。1000円+税)

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2011年6月26日

がんの練習帳

人間

著者  中川 恵一    、 出版 新潮新書

 日本は世界一のがん大国だ。日本人の2人1人ががんになり、日本人の3人に1人ががんで亡くなる。だから、人生の設計図のなかにがんを織り込んでおく必要があるし、その予習が絶対に必要だ。
 私も父をがんで亡くしました。私の親しい弁護士のなかにもがんになって手術したという人が何人もいます。幸い、みなさん元気ですが、私も今から予習しておく必要を感じています。
 がん細胞は健康な人の身体でも1日に5000個も発生しては消えていく。DNAのコピーミスは1日に数億回も起きているし、このコピーミスが起こらなければ現在の私たちの存在はない。DNAのコピーミスは、進化の原動力なのである。
 がんとは、簡単にいうと、細胞の老化である。遺伝するがんは、がん全体の5%程度。家系より、生活習慣の方がはるかに影響を与える。
タバコは、がんの最大の原因である。お酒とタバコが重なると、がんの危険は一気に高まる。
 どんな生活を送っても、がんのリスクは半分近く残る。
すべてのがんで検診が有効とは言えない。早期がんは、胃がんや肺がんだと症状はないので、定期的な検診だけが発見する手段だ。子宮がん、大腸がん、乳がんでは、やらなきゃソンというくらいに検診は有効だ。前立腺がんは、知らぬが仏のことも多い。
 腫瘍マーカーは、正常な細胞でも作られることがあり、この数値だけではがんは判明しない。
がんの治療法のなかで、科学的に効果が確認されているのは、手術、放射能治療、価額療法の三つだけ。
 ほとんどのがん治療は保険がきく。1ヶ月の負担はせいぜい8万円程度になる(高額療養制度をつかって)。ところが、フランスのがん医療には自己負担金がない。ヨーロッパでは多くの国がそうなっている。うへーっ、日本でもそうしたいものですよね。病気になったとき安心して治療を受けられるって、本当に大切なことですよね。
 抗がんをうたったサプリメントの効果はほとんど期待できない。しかし、がん患者の8割がサプリメントなどの代替治療法を実行している。サプリメント市場は年間1兆円の売上となっている。
たまに、こんな本を読んで日頃からがんに対する心がまえを身につけておきたいものです。

(2011年4月刊。700円+税)

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2011年6月25日

雑兵足軽たちの戦い

日本史(戦国)

著者    東郷 隆  、 出版   講談社文庫

 絵解き文庫本ですから、気軽に読めて、戦国時代のイメージがよくつかめる本です。戦国時代の合戦において、本当の主役は雑兵足軽だったのでしょうね。武将は、彼らを思うように指図して動かさなければ合戦に勝つことは出来なかったのでした。
 主人が戦場で不利となったとき、ただのんびりと見物している家来などいるわけがない。身軽な武装で騎馬の傍らに付き従い、ときに主人を守って武力を行使する人々が出現するのは当然の成り行きだった。足を軽々と動かして主人に従う人々の出身は、多くが荘園領主である武士の私的従者だった。しかし、なかには衣食を求めて当座のしのぎに有力な者の下へ付く浮浪人や逃亡農民もあり、彼らの身分はあやふやだった。
俗に「家子郎党」(いえのころうとう)と称された武士の集団にふくまれる者は、まず血縁によるつながりの「家子」で、家の頂点に立つ惣領に従う主人の兄弟や庶子(正妻ではない女性とのあいだに出来た子)である。これに、それぞれ従う「郎党(郎従)」が付く。郎党は、主人の家と血縁関係にあったものが代を重ねるうちに身分が下落したもの、さらには領主である主人の家に代々つかえてきた武装農民を指す。
蒙古襲来のとき、危機を辛うじて切り抜けた鎌倉幕府が不快感を覚えたのは、武士たちの腰の引けた戦いぶりだった。彼らには国土の防衛という観念が依然として低く、九州一円でも兵の動員力はそれほど高くなかった。なかには、こういうときこそ自分の所領を守る方が大切だなど言って館に立て籠もってしまう者や、武具の用意が出来ていないとか、親族の死による供養・喪中を口実として合戦場へ出ながら戦闘を拒否する者もいて、指導者たちを辟易させた。うひゃあ、なんという実態でしょうか・・・。
鎌倉幕府は、動員の不足を山賊化した人々を取り締まって、流人として西国に送って補おうとした。中央で捕縛された人々は、まず流人となって九州の守護所に集められ、対モンゴル戦の先鋒となる地頭や御家人のもとへ引き渡された。現地での身分は「因人(めしうど)」(召人)で、戦闘に参加するときは下人・所従の扱いだったが、家柄の良い者は、「客人(まろうど)」としての待遇を得、流刑先で半ば自由の身になる者もいた。こうした人々を「西遷悪党(せいせんあくとう)」という。鎌倉幕府が滅亡したあとも、モンゴルに備えた異国警固令は依然として続いた。足利尊氏も、博多にある石築地の補修を地元の武士に命じた。
16世紀の越前国を支配した朝倉氏は教訓集をつくった。合戦の最中、優勢な敵が現れたと聞いて退く「聞き逃れ」は許す、しかし、敵を見て退く「見逃れ」はいけない。耳で聞いて逃げるのは、臆病とさげすまれても戦術のうちである。しかし、敵の姿をはっきりと見てしまったあとは、健気に斬り死にの覚悟をさせる。昔から、「耳は臆病にて、目はけなげ」というのだ。
まだまだ面白い話と図解が盛りだくさんです。戦国時代の合戦の実相を知り、イメージをつかむうえで必読文献だと思いました。
(2007年3月刊。495円+税)

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2011年6月24日

都知事

社会

著者    佐々木 信夫  、 出版   中公新書

 普通の知事がやっても東京は繁栄する。石原慎太郎が知事として特に優秀だという話はあまり聞かない。多くの高次中枢機能が集積する東京の立地条件、中央集権という体制が東京繁栄をもたらしている。石原知事が五輪招致で100億円を超えるカネを無駄にしても、銀行税によるカネ集めに失敗しても、東京都は決してつぶれない。都庁官僚に任せておけば、一定の行政水準は保たれる。ヒト、モノ、カネ、情報が集まる大都市東京は、集積が集積を呼ぶメカニズムのなかで栄えている。なーるほど、そういうことなんですね。まあ、首相も同じようなものなんでしょうね。
 現在、47都道府県知事の6割は官僚出身者で占められている。しかも、彼らは、かつてのような次官とか局長という功なり名を逃げた「上がり組」ではない。多くは課長クラスといった中堅官僚からの転身組である。彼らに期待されるのは仕事師としての役割だ。国から自立した政策と自己決定・自己責任による地域経営が求められている。ふむふむ、これは以前とは違いますね。
 都知事は職員17万人、予算12兆円という巨大都庁の経営者である。任期は4年間と安定し、都知事は首相や大臣なみに扱われ、要人警護のSP(2人)も付く。都知事は議会への予算や法案の提出権をもち、議会に対して圧倒的に優位な立場にある。
 都知事は年間2018万円の給与をもらい、1期終了ごとに4700万円の退職金が支給される。ところが、石原慎太郎は週に2、3日しか都庁に出勤していないと言われ、パーティーや宴席にもほとんど出ない。
 都庁職員には、「学歴ではなく学力で」という、脱学歴の伝統がある。誰でも、能力と実績さえあれば管理職になれるのが、都庁の人事政策の特徴と伝統である。
 都庁は、多様な大学の出身者が局長となっている。最近では管理職を志望しない若手職員が増えている。石原慎太郎によるワンマンな管理職の使い方も影響して、論争を好まない組織風土ができあがり、上司の指揮命令に忠実な者のみが出世する人事が管理職志望を下げている。
 一般会計だけでも6兆3千億円というのは、フィンランドやチェコの国家予算規模に相当し、ニューヨークの予算規模とほぼ同じである。
 大統領制の都知事は、実質的に予算編成権と執行権を一手に握っている。しかも、都が国の財源収入の6~7割は固有財源(地方税)である。国の交付税に依存せず、ひもつき補助金も少ない都の場合、ほかの府県知事が1割足らずの裁量しかないのに対して、都知事の財政裁量は3割近い。
 石原慎太郎の政治手法は小泉純一郎に類似している。敵(守旧派)をつくりあげ、敵を倒すものが正義(改革派)であるという論法だ。石原は国の官僚制を目の仇として、「東京が日本を変える」と対決色を強め、独自の政策を展開した。時には思いつき、独善と言われながら有権者の心をつかむのはうまい。
 石原都政は総じて弱肉強食の論理を是とする大都市経営である。福祉・医療の減量化、民営化はその一面だ。老人福祉手当は4分の1近くまで減額。70歳以上の6割が利用していた都営バスの無料パスも全面有料化され、年間7万人も利用者が減った。老人医療費助成も対象者の見直しで4分の1、10万7000人が対象外となった。病院の統廃合で多摩地区には医療不安が広がり、周産期医療の問題や医師不安など、福祉医療分野の不完全さが目立つ。
 総じて福祉、医療、文化、食育など、石原都政の下で生活者に関わりの深い生活都市の面は停滞し、大都市の高層化や経済活性化など経済都市としての基盤整理はすすんだ。
 うへーっ、これってまさに弱者を切り捨て、大企業と大金持ちに奉仕する都政になっているということですよね。そんな政治をしてきた石原慎太郎が先日の選挙では大差で再選されました。信じられませんね。
  (2011年1月刊。780円+税)

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2011年6月23日

スペイン内戦(下)

ヨーロッパ

著者    アントニー・ビーヴァー 、 出版   みすず書房

 1936年から37年にかけて、5ヵ月かけながら、マドリード攻撃にフランコ軍は四度も失敗した。同じころ、共和国政府軍内部でも権力闘争が始まり、共産党が勝利したものの、フランコと同じほどには権力を掌握できなかった。
 スターリンは、自分の外交方針に迷惑がかからないことに関心があった。ソ連大使ローゼンベルクは共和国軍に干渉したが、2月にモスクワに召還されると、スターリンによって銃殺された。
このころ、スターリン主義者の妄想が膨れ上がり、大げさな陰謀理論をデッチ上げた。大スパイ網が発見されたとかいう共産党の連発する嘘のせいで、共和国軍は大混乱に陥ったようです。
ソ連軍事顧問、共産党員の軍指揮官たちも、何も学んでいなかった。旧来の軍事理論のままで戦った。ソ連でトハチェフスキーが処刑されたことにより、その戦術理論を運用する勇気をソ連から派遣された軍事顧問たちは誰も持っていなかった。共和国軍指揮官には無線機がなく、しかも創意も欠けていた。そして、参謀本部は共和国軍に地図も配っていなかった。虚栄心から、指揮官のなかには上官にわざと嘘をつく者さえいた。
 人民軍の兵站部門は大規模な物量を扱った経験がなかったし、指揮官同士の連絡は悪かった。残忍な規律によって支えられたハッタリの自信の裏には、無知が隠されていた。 退去しようとする将兵は機関銃で射撃され、即時処刑された。
 共和国軍の最初の大攻撃は大きな拶折だった。ところが共産党は現実から逃避し、内部に向けて勝利を宣言した。いやあ、これって、日本の帝国軍がミッドウェー大海戦の大敗北を大勝利と言いふらしたのと同じではありませんか・・・。
 国際旅団は1万3千人の兵力のうち4千人あまりの死傷者を出し、5千人が病院に収容された。多くの国際旅団兵は騙されたと思っていた。6ヵ月だけ志望したものの、帰国を認められなかった。そして、国際旅団は、強制収容所を設置し、そこに4千人も収容していた。
 共和国軍が敗北すると、その失敗をトロツキストと第五列のせいにした。これはスターリン主義者の被害妄想でしかなかった。1937年の終わりごろになると、フランコの国民戦線軍の軍事的優勢は明らかだった。
 ソ連は、日中戦争に投入するためにソ連人操縦士を引き揚げた。この操縦士たちがノモンハン戦線で活躍したことは前に紹介したとところです。
 1938年早春のテルエルの戦闘で国民軍の損害は4万、共和国軍はもっとひどく6万に達した。共和国指導者は、宣伝目的にとらわれて勝利をなんとしても宣言しようと先走り、最良の部隊の多くを無駄死に追いやった。生存者の痛ましい状態と志気阻喪と消耗は、数週間のうちにもっと悲惨な敗北を招くことになった。そして、共和国軍の指揮官たちは、責任のなすりつけあいで躍起になった。作戦計画の拙劣、指揮官の無能は無視された。
 1938年の春を通じて、共和国は深刻化する経済危機と銃後の志気の低下に直面していた。ところで、共和国はスペイン内戦中に、フランコ将軍の最大の同盟者であるナチス・ドイツから武器を買いつづけた。プロセイン首相でドイツ空軍司令官のヘルマン・ゲーリング大将が武器を売っていた。この利益はゲーリング個人に帰していて、ゲーリングの広大な趣味の悪い別荘と、その内装がスペイン内戦で得た莫大なもうけでまかなわれていた。なんと、ナチス・ドイツが共和国軍に武器を売却していたなんて・・・、信じられませんね。
 ソ連に対する共和国からの軍事援助の要請は、スターリンによって無視された。そして、フランス政府は、ヒトラーに震えあがっていたから、スペインの共和国軍を援助しようとはしなかった。
 1938年春を通じてフランコを悩ませたのは、戦争捕虜の問題だった。9万人から16万人へ、そして戦争終結時には36万7千人になっていた。処刑すべき「矯正不能者」と再教育できる者を区分することが問題だった。
 1938年夏、エブロ戦線で共和国軍が敗北を重ねているのに、底抜けに楽観的な宣伝報道のせいで、後方地域では過大な期待感が高まっていた。負けを勝ちと偽って宣伝するって本当に罪なことですよね。いくら志気を高めようというつもりであっても、それが嘘であっては、結局、長続きはしないものです。
 1938年後半から、国際旅団の撤退が始まった。彼らは1万人近い死者と8千人ほどの行方不明者を残し、負傷者も3万8千人にのぼった。
 共和国軍が敗れると、およそ50万人が国境を越えてフランスに入り、6万人は国民軍の手に落ちた。フランコは、捕虜収容所を全国につくり、最大で50万人を収容した。少なくとも3万5千人が公式に処刑された。おそらく200万人の死者が出た。そして、孤児となった子どもたちが国民戦線の価値観で教育された。これも恐ろしいことですよね。
 フランコは、戦争でそれほど勝ってはいなかった。共和国軍指揮官が自分たちにはすでに分が悪かったのに、兵を退くことを知らずに部隊の勇気と犠牲的精神を濫費したから戦争に負けたのだ。共和国指導部は、奇襲と攻撃衝力の効果がことごとく失われたにもかかわらず、その貴重な部隊と戦車を撤退させられなかった。それは、大げさに誇張した宣伝が攻撃開始時に発表されていたためにひっこみがつかなかったからだ。事態をもっと悪くしたのは、ソ連顧問とスペイン共産党員のスターリン主義妄想が、すべての失敗をトロツキー派の裏切りと「第五列」のせいにしたことだ。途方もない屁理屈がでっち上げられ、無実の将校や兵士たちが逮捕され、銃殺された。モスクワに送られた報告は正気を逸した妄想の産物だった。共和派の志気が絶望的に阻喪したのは当然だった。
 暗い気分に沈みながら、上下2冊、2段組み500頁ほどの大作を一心に読みふけりました。まさに歴史の暗部に焦点をあてた労作です。
(2011年2月刊。3600円+税)

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2011年6月22日

原発事故、緊急対策マニュアル

社会

著者   日本科学者会議福岡支部   、 出版  合同出版 

 このようなタイトルの本を紹介しなければならないのは、本当に残念です。いえ、もちろん、出版した人を責めているのではありません。「絶対安全」だったはずの福島第一原発事故が起きて、実は原子力発電とは未完成の技術であり、使用済み核燃料を始末する技術もないまま目先の利潤に目のくらんだ政治家と電力会社が次々に立地させていたこと、つまり原発は放射能をたれ流しするだけの危険なものであったことが明らかになってしまったことが残念だと言いたいのです。ドイツやイタリアのように、日本も、もっと早く原発を全停止すべきでした。
 それはともかく、玄海原発のような老朽化した施設、しかも猛毒のプルサーマルを身近にかかえる私たちとしては、この本を読んでおかざるをえません。本当に残念ながら必読の本になっているのです。
 放射能に汚染したときの緊急措置は・・・・。
 まず、多量の水と石けんで洗う、そして、できるだけ早くヨウ素剤を服用すること。
屋内退避のときには・・・・。窓や戸を閉じて外気を入れない。換気扇を止めて、密閉する。できたらコンクリートの建物に避難する。窓ぎわから離れた中心部の部屋にいる。
原子力発電では、原子炉を停止しても、炉心は絶えず冷やし続けなければならず、冷却が十分でないと原子炉の放射能が外部に放出される重大事故に発展する恐れがある。
原子炉の事故として心配なのは、本体より周辺部の配管の破損・損傷である。
 炉心の冷却がうまくいかないと、炉心の温度は燃料の融点2800度に達して、溶けてひとかたまりになる。これをメルトダウンという。炉心全部が溶けると、200トン以上にもなる。配管破断からメルトダウンに至るまではわずか10分から60分と予想される。ひとかたまりとなった炉心は、表面積が小さくなるので、これを冷却することは絶望的だ。
 福島原発事故で現実に起きたメルトダウンは、今では津波によるものではなく、地震によって配管設備の損傷が起き、そのため冷却水がなくなったことによるものだとされています。つまり、津波対策として堤防のかさ上げをしても万全の効果は期待できないわけです。
 福島原発事故によって放射能に汚染された海水などが外部へ出たのは2%でしかないそうです。まだ98%が内部にあって、それが少しずつ外部へ漏れ出ているというのです。放射能もれが3カ月以上たった今でも現在進行形であり、止まっていないというのは、まさに恐るべき事態です。
 にもかかわらず政府は早々と全国の原発の安全が確認されたと宣言し、操業再開を認めようとしています。恐るべき無責任さです。
 読みたくない本です。でも、読まざるをえない本です。矛盾を感じながらも強く一読をおすすめします。知らぬが仏とよく言いますが、知らないうちに死んだり病気になっては困りますよね。わずか80頁たらずの軽くて重い冊子なのです。
(2011年5月刊。571円+税)

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2011年6月21日

紛争屋の外交論

社会

著者    伊勢崎 賢治  、 出版   NHK出版新書

 日本は、まだまだ平和だ。しかし、平和は、壊れはじめるときには、なかなか気がつかない。そして、気がついたときには、もう手遅れのことが多い。
尖閣列島のようなことが起きると、メディアがまず熱狂する。中国の脅威を煽る。何にでも一言いわざるをえないコメンテーターが芸能ニュースのノリで吠える。加えて、評論家、軍事専門家、国際政治学者、大学の先生たちが好戦アジテーターと化す。こういうときに、国の民主主義が、民衆の人気とりだけに奔走する衆愚主義に陥ると、増悪の熱狂が戦争という政治決定にたやすく転じてしまう可能性がある。熱狂をあおる人々に対して、尖閣なんてちんけな問題だと言い放ちたい。著者は、このように断言しています。
 そんな領土紛争は昔からどこの国も抱えてきました。それを戦争にまで持っていってしまったら、世界中が戦争だらけになってしまいます。そうならないようにするのが外交であり、政治です。
 戦争がなくならないのは、戦争はもうかるから。戦争が起こると稼げるのは、まず、軍需産業だ。しかし、それだけではない。戦争を伝えるメディアも、破壊された国土を復興する建設業者も、ひいては人道援助NGOにまでお金が入ってくる。このように、戦争は現実の利益をもたらす。しかし、平和はもうからない。貧困だけが戦争の原因ではない。
貧困対策は、紛争を予防できない。むしろ、貧困を拡大してしまう大きな可能性すらある。
 民衆の熱狂は恐ろしい。民衆を熱狂させる煽動行為があると、民衆に襲いかかる。それは、大量破壊兵器以上の殺傷能力がある。このことがルワンダのケースで立証された。
 日本のメディアの特性は、政治的な裏の世界が支配するのではなく、ただ、民衆の怒りや不満を先取りすることにある。どうなんでしょうか。月1億円を自由につかえる内閣官房機密費などによってマスコミのトップが政府に「買収」されてきたというのは日本における歴史的事実なのではないでしょうか。だから、裏の支配者が支配したとまでは言えなくても、強い影響力を行使してきたこと自体は間違いないことだと私は考えています。
 アメリカは、「民主主義と人権の守護者」を標榜しながら、人を殺し続けている、恐らく世界最大の国家の一つである。イラク、アフガン戦でのアメリカの戦死者は、既に6000人をこえている。友人や家族、親戚のなかに、たいてい戦死者が見つかるほど、戦争はアメリカにとって日常的な存在になっている。
 日米同盟についていうと、実は、アメリカのほうが日本以上に日米同盟に依存している。日米同盟が解消されたら、アメリカは世界の覇権国から滑り落ちてしまう。アメリカにとって、日米同盟は不可欠なものである。
 世界各地の危険な紛争地域に出かけていき、身体をはって紛争減らしに尽力してきた実績のある人の発言ですから、重みがまるで違います。とても考えさせられる、コンパクトな良書です。ぜひ、ご一読ください。
(2011年3月刊。780円+税)

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2011年6月20日

森のハヤブサ

生き物

著者  与名  正三    、 出版  東方出版 

 日本は奈良、その高山の里に棲みついているハヤブサの写真集です。大自然の生き物であるハヤブサの伸びやかな生き様がよく写し撮られています。日本の山に、こんなにも身近にハヤブサがいるのですね。その躍動する姿をとらえた感動の写真集です。どうぞ、ぜひ手にとって眺めてみてください。
 ハヤブサは留鳥。毎年、同じ場所に生息している。しかし、8月から10月は行動圏が広がって、営巣地の近くで姿を見ることは少ない。ハヤブサの獲物の一つがハト(鳩)。レースバトです。ヒヨドリも、ツグミも、ハヤブサのエサになります。
 小鳥を獲るときのスピードは時速300キロ以上にもなる。メスが卵を温めているときには、オスが狩りをする。メスはオスと交代して抱卵する。オスがメスに獲物の小鳥を受け渡す行動は、求愛の行動であり、メスがヒナに対して給餌するための一環でもある。
狩りに疲れたオスが休息をとろうとすると、メスがやって来て、鳴き叫び、早く狩りに行くように促す。うへーっ、これって、まるで人間と同じではありませんか・・・・。男はつらいよ、ですね。
 ハヤブサのオスとメスは、同色なので識別は難しいが、オスの喉の部分は真白なのに対して、メスの喉にはゴマ状の斑点がある。
獲物の管理は、メスが主導権を握っている。古来、日本の家庭では、妻が家計を握ってきました。まるで、同じですね。ハヤブサに親近感を覚えます。
ヒナが成長すると、獲物の形を認識させるため、親鳥は獲物を解体せずに生きたままで与える。だから、獲物となったスズメが逃亡に成功することだってある。
 巣立ったばかりのハヤブサの幼鳥はなかなかと飛ぼうとしない。飛翔力を高めるため、親鳥(メス)は獲物の肉片をもって周囲を飛びまわり、幼鳥を飛び立たせようと努力する。親鳥は、幼鳥の飛翔力を高めるため、すぐには獲物を渡さない。
 奈良の森に棲みつくハヤブサの生態がよく撮られた写真集です。
(2011年2月刊。1500円+税)

 きのうの日曜日、雨の中を年に2回恒例のフランス語検定試験(1級)を受けてきました。結果は本当に惨々です。1問目分からず、2問目も3問目も全滅。4問目の小問にやっと一つだけ正解にあたりました。動詞を名詞に変えて文章をつくりかえたり、慣用句など、まるで歯が立ちません。後半の長文読解で少し点が取れるようになり、仏作文は少し手ごたえがあるかなというレベルです。それでも小休止のあとの書き取りはかなりうまくいき、聞き取りも、まあまあでした。やはり毎朝の書き取り練習がモノを言います。
 自己愛みちみち大甘の自己採点で61点(150点満点ですから、やっと4割)でした。
 挑戦することに意義があるとは言うものの、終わると毎回どっと疲れを感じます。大学の同じ構内の別の校舎で漢検もあっていました。そちらの方が受験生は多そうです。

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2011年6月19日

天魔ゆく空

日本史

著者    真保 裕一  、 出版   講談社

 『ホワイトアウト』など、社会派の推理小説作家とばかり思っていた著者が、このところ歴史、時代小説にも進出していたとは、ちっとも知りませんでした。
 ときは室町時代。足利将軍はとっくに権勢を喪い、細川や山名という有力武将が激しい抗争を展開していた。
 八代将軍の足利義政は政治から逃げ、その正室(妻)の日野富子が幕府の実権を握っている。その子、九代将軍・足利義尚、そして十代将軍・足利義材、さらには八代将軍の兄の子である十一代将軍は、いずれも将軍家の実力を伴っていなかった。すべて武将たちの争闘のなかに漂流する存在でしかない。
 そんな京都の政治のなかで、本書の主人公の細川政元が次第に力をつけてのしあがっていくのです。一度は将軍の座に就いた者(足利義材)を追い落とすために八千の軍勢を率いて細川政元は出撃した。そして、比叡山延暦寺に焼き打ちをかけた。
 うひゃあ、織田信長よりも70年も前に根本中堂を火攻めした武将がいたのですね・・・。そして、細川政元の最期は信頼していた臣下に裏切られたのです。これまた信長と同じです。
 室町時代の情景が活写された本として面白く、一心に読みふけってしまいました。
(2011年4月刊。1700円+税)

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2011年6月18日

源頼朝の真像

日本史(鎌倉時代)

著者   黒田  日出男   、 出版    角川選書  

 かの有名な源頼朝がどんな顔をしていたのか、少しでも日本史に興味をもつ人なら、知りたいところですよね。著者は日本史の教科書にのっている源頼朝は別人のものだと断定します。それは、室町幕府の将軍であった足利直義(ただよし)の肖像だというのです。しかも、鎌倉時代ではなく14世紀半ばに製作されたとします。ところが、いま福岡で公開されている展覧会でも、依然として源頼朝の顔として紹介されています。学会で通説がひっくり返っても、教科書レベルの書き換えは至難のことのようです。
 では、源頼朝はどんな顔をして人物だったのか。著者は甲斐善光寺にある像が源頼朝だとしています。そして、源頼朝の実子である源実朝像との類似点も指摘されています。なるほど、この二体はまさに親子だと思わせます。似ているんです。
 では、なぜ、甲斐善光寺に源頼朝像が安置されていたのか、その謎を著者は探ります。信濃にあった善光寺を根こそぎ甲斐へ移し、甲府の地に建立したのは武田信玄の宗教的、政治的な大事業だった。そして武田信玄の死後、善光寺如来は京都に入り、そのあと40年ぶりに信濃に帰った。しかし、信濃からもたらされた源頼朝像は、そのまま甲斐善光寺に残っていた。
信濃善光寺は3度炎上したが、甲斐善光寺の大火は1度だけだった。そして、この甲斐善光寺にある源頼朝像の造像を命じたのは北条政子であった。
 通説の源頼朝の顔はいかにも貴族的ですが、甲斐善光寺の源頼朝像はとても人間臭い顔つきです。
眉間を厳しく結んだ目元は、どこか憂いをおびつつも、何かを見すえたような表情を示す。また、厳しく結んだ口元は、意思の強さを感じさせ、頬やあごのしっかりした骨格は、堂々とした貫禄を感じさせる。活動的で威圧的な風格を感じさせる像である。
 なるほど、かなりの人物だと思わせる像であることは間違いありません。そして、実朝像との類似点も指摘されているとおりだと私は思いました。学者って、すごいですね。
(2011年4月刊。1800円+税)

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2011年6月17日

「フィデル・カストロ」 (上)

アメリカ

著者   イグナシオ・ラモネ   、 出版  岩波書店 

キューバのカストロが自分の一生をジャーナリストとの対話のなかで振り返っています。存命中に歴史と伝説のなかに迎えられる光栄に浴することのできる人物は、きわめて少ない。カストロはその一人であり、国際政治の舞台に残る最後の「聖なる怪物」である。
カストロは、世界でもっとも長く政権を担った国家元首だ。32歳だったカストロが当時のバチスタ政府軍を打ち破って1959年1月にハバナに入城したまさに同じ日に、フランスでドゴール将軍が第五共和制の最初の大統領に就任した。カストロは、それから、アメリカの10人もの歴代大統領と対峙した。
 アメリカは、キューバ体制の転覆を目ざして活動している組織に一貫して財政援助をしてきた。その総額は6500万ドルにもなる。2004年に8000万ドルの基金をつくり、また、2005年には240万ドルを支出した。フロリダ州内には、カストロ政権転覆を目ざすテロ組織の訓練基地があり、そこが対人テロなどをキューバに定期的に送り込まれている。アメリカ当局は、受動的ながら、これらのテロ組織と共犯関係にある。
 しかし、キューバ人の全員でなくとも大多数が革命に忠誠をちかっている。これが政治的現実である。それは愛国主義を基盤とする忠誠であり、アメリカの併合主義の野心に対して抵抗してきた歴史に根差している。
 カストロは、キューバ人を飢餓から解放しただけでなく、読み書きできないことからも、物乞い根性からも、犯罪からも、帝国主義への屈従からも開放した。
カストロが、私服を肥やすために地位を利用することのない数少ない国家元首の一人だということは、政敵の多くも認めている。
 一日の睡眠時間は4時間で、週7日間働いている。好奇心は無限で、思考し沈思し、常に警戒し、行動し、新たな闘争を開始する、永遠の反逆者である。カストロの文学上のお気に入りの英雄はドン・キホーテである。
カストロは、孤立した農村で、富豪だが保守的で教育のない両親から生まれ、選良の子弟専用のカトリック上流社会にあったフランコ派の学校でイエズス会士による教育を受け、大学の法学部でブルジョア階級の弟子と対等に付きあっていた。大学予科生のときにはスポーツマンで、最優秀スポーツマンとして表彰された。大学生になったころは政治的に無知だった。反逆精神と基本的な正義の観念をいくばくか抱いてハバナ大学に進学し、革命家になり、マルクス・レーニン主義者になった。それはいくつかの書物のおかげでもある。授業にはまったく出なかった。そして法学部の学生代表に賛成181票、反対33票で当選した。しかし、大学内では学生同士のケンカに見せかけて殺される危険が迫った。なるほど、若いときからたいした人物だったのですね。
 モンカダ兵営の襲撃要員として訓練したのは1200人で、そこで募集を打ち切った。みな若く、20~24才だった。襲撃当日はカーニバルの日だった。それを選び、夜明けと同時に制圧する計画だったので、成功するはずだった。しかし、現場で手違いが起き、結局、失敗した。
 カストロが革命戦争に勝ったのは、軍事戦術と政治戦略の両方のおかげだ。敵は相手が捕虜を殴らず、辱めず、ののしらず、とりわけ殺害しないが故に相手を尊敬する。カストロの革命軍は捕虜を拷問しないことも原則としていた。その手法は潜入して証拠をつかむというもの。肉体的暴力は有効に機能しない。敵の大物暗殺は問題を解決しないどころか、反動勢力は殺された人物を殉教者に仕立て、別の人物を後釜に据えてしまう。
大物の暗殺をせず、市民に犠牲者を出すことなく、テロの手段を行使しない。アフリカのアンゴラにキューバは5万5千人もの軍隊を送った。そして、南アフリカの侵略を食い止め、南アフリカのアパルトヘイトの崩壊にも貢献した。
カストロの語りに詳細な解説がついていて、とても分かりやすい本になっています。
(2011年2月刊。3200円+税)

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2011年6月16日

「終戦」の政治史、1943-1945

日本史

著者    鈴木 多聞  、 出版   東京大学出版会

 終戦に至るまでの日本の政界上層部の動きを、昭和天皇や軍部の言動を含めて詳細にたどって分析した本です。とても面白くて、3.11大震災のあと久しぶりに上京する機中で、一心に読みふけりました。
 統帥権の独立とは、内閣が軍の作戦計画に干渉できないこと。戦前の日本では、統帥部と内閣とが政治的に対等の関係で並立し、国内には二つの政府があったと考えられる。敗戦色の濃い1944年2月、東条英機首相・陸相が参謀総長を、海軍大臣嶋田繁太郎は軍令部総長をそれぞれ兼任した。陸軍大臣が陸軍の参謀総長を兼任し、海軍大臣が海軍の軍令部総長を兼任するというのは異例の事態であり、これはそれまでの総帥権独立の伝統に反したものであった。軍人が軍の特権を自ら破壊したということである。この統帥権独立の伝統が破られたため、重臣や議会そして国民は統帥権の独立を楯として、公然と東条と嶋田を批判することが可能となった。これは、逆説的に、戦時内閣を解させて、戦争終結への近道への道を開いたと言える。
ラバウルなどの地域は、「確保」から「持久」する地域へ改められた。「持久」とは、一見すると聞こえが良いが、要するに長期的には「確保」しないこと。前方の作戦地域の将兵を見捨てて、時間稼ぎの捨て石にすることだった。
 1943年9月30日に開かれた御前会議は、昭和天皇を落胆させた。合理的悲観論と観念的強硬論が入りまじり、示された対策は「決意」の表明でしかなかった。昭和天皇の戦局に対する失望は、相反する報告をする陸軍参謀本部と海軍軍令部に対する怒りに転化していった。
 そりゃあ、そうでしょうね。軍部はいつも自分に都合のいいことしか報告しない、そしていつのまにか敗色ばかり濃くなっていったのですから・・・。
 陸軍の参謀本部と海軍の軍令部は相互に秘密主義をとり、陸海軍省には戦況の一部を知らせる程度だった。だから、陸軍省は軍令部の作戦計画を、海軍省は参謀本部の作戦計画を知ることができなかった。つまり、日本軍には、「協同作戦」はあっても、「綜合作戦」というものは存在しなかった。海軍側には陸軍を統制できる人材がいなかった。
実際、航空機が主力兵器となったことから、海軍は次第に空軍化しつつあった。
 1944年7月、サイパン島が陥落した。これは日本本土がB29の爆撃圏に入ったということを意味し、この時点で日本が戦争に勝つ見込みはなくなった。
 7月20日、ヒトラー暗殺計画が失敗した。このころ、日本にも東条暗殺計画があったが、同じ7月20日が予定日であった。ええっ、うっそー、嘘でしょ、と叫んでしまいました。
 日本はドイツの勝利を前提として日米戦争へと踏み出していたのである・・・。
昭和天皇は、「アメリカ軍をぴしゃりと叩くことはできないのか」「どこかでもっと叩きつける工面はないものか」と言って米軍に一撃を与えることを期待していた。つまり、好機講和論であった。
昭和天皇は、参謀総長としての東条には不信任であったが、首相としての東条は信任していた。東条内閣崩壊が戦争終結につながらなかったのは、反東条運動が必ずしも和平運動、終戦工作ではなかったからである。それは戦局打開運動をうみ出し、東条や嶋田では戦争に勝てないという人事刷新運動になった。
 昭和天皇は、沖縄戦までは軍事的な期待を捨てきれないでいた。
「もう一度、戦果をあげてからでないと、なかなか話はむずかしいと思う」
 2.26事件で側近を殺された昭和天皇は、事件に関与した皇道派の軍人、宇垣、香月、真崎、小畑、石原といった人々には強い不信感を抱いていた。
沖縄戦について、昭和天皇は、「なぜ現地軍は攻勢に出ないのか。兵力が足りないのなら、逆上陸をやったらどうか」と攻勢作戦を督促した。そして、戦後になっても、「作戦不一致、まったく馬鹿馬鹿しい戦闘であった」と強い口調で不満を述べている。
大本営と政府の首脳部は、国民に対しては特攻精神を怒号しながら、肝心の航空用ガソリンが10月以降にはなくなることを知っていた。この石油要因は大きく、戦後になって昭和天皇は、「石油のために開戦し、石油のために敗れた」と語った。
 昭和天皇は、7月上旬になっても対ソ外交に進展がないのに不満をもち、7月7日、モスクワへの特使派遣を提案して政府を督励した。昭和天皇は、万が一の場合には、長野の松代大本営において、三種の神器と「運命を共にする」気持ちだった。昭和天皇は、ある一定の状況下においては本土決戦の可能性があると考えていた。昭和天皇と陸海軍にとって、完全な無条件降伏は絶対に受け入れられないことだった。
 沖縄の陥落によって本土決戦が現実味を帯びたとき、昭和天皇は戦備の実態を聞いて、本土決戦不能論者となった。そして、国体護持を目的として、本土決戦を回避しようとした。
 一般に、日本はソ連参戦を予想できなかったと言われるが、正しい歴史理解ではない。日本の予想が外れたのは、ソ連参戦の有無ではなく、参戦の時期だけだった。
 昭和天皇は、「勝算の見込みなし」の理由を、原爆投下でもソ連参戦でもなく、本土決戦不能論に求めた。うひゃあ、そうだったんですね。まあ、まともに考えればなるほど、そうでしょうね。改めて大変勉強になる本でした。
(2011年2月刊。3800円+税)

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2011年6月15日

東アジアの兵器革命

日本史(戦国)

著者    久芳  崇  、 出版   吉川弘文館

 実に面白い、知的興奮を覚えさせる本でした。
 なにしろ、秀吉の朝鮮出兵のとき、数千人もの日本兵が捕虜となって中国大陸に連れ去られ、一部は中国皇帝の前に引き出されて公開処刑の対象となったものの、その大半は中国軍に組み込まれて、鉄砲隊として反乱軍退治などに活躍したというのです。しかも、長篠の戦いで輪番による鉄砲の連続一斉射撃(三段撃ち)がなされたという従来の通説に対して、現実には技術的にそんなことはありえないという最近の有力説を覆すような中国の兵法書が紹介されています。そこに載っている三段撃ちの図解を見て、腰が抜けそうになりました。
 中国の史料によると、鉄砲の輪番射撃の戦術が、日本では少なくとも16世紀末の時点で存在していたこと、朝鮮の役の後に中国・明王朝に伝播していたことがうかがえる。
 朝鮮の役において、数千人をこえる日本兵捕虜(降倭)が発生した。この降倭の一部が朝鮮軍に編入され、鉄砲や火薬の製法を伝え、朝鮮における日本式鉄砲の普及に大きな役割を果たし、17世紀の朝鮮で精鋭の鉄砲隊が組織された。
日本軍の鉄砲はきわめて性能が高かった。明軍の鉄砲はポルトガル伝来の鉄砲の模造品であり、日本軍のものより性能が劣っていた。明軍の鉄砲は鋳銅製であり、連続射撃すると熱をもって破裂する危険があった。また、命中精度も射程距離も日本軍の鍛鉄製の鉄砲に劣った。そこで、明軍は、日本軍の鉄砲を獲得したときには朝鮮軍にとどめず、明軍に送るように指示していた。
 朝鮮の役で捕虜となった日本兵は、熟達した鉄砲の使い手として、中国内の反乱軍の鎮圧のために鉄砲隊として活用された。また、女真族やモンゴル族との対戦においても日本式鉄砲は大きな威力を発揮した。
 明軍の大将は、日本兵捕虜61人を北京の明朝皇帝(万暦帝)の前に献納した。この捕虜の経歴が明らかとなっている。それによるとトップは、島津義弘の一族(平秀政、27歳)、また、薩摩守・平正成(40歳)であった。これについて、著者は日本側の資料には、そのような武将が見あたらないので、明軍側が皇帝に献納するとき最高位の敵将として偽装した可能性が高いとしています。なるほど、そうかもしれませんね。それにしても、朝鮮半島に渡った日本の一部(数千人)が中国大陸に送られ、精鋭の鉄砲隊を構成して反乱軍や女真・モンゴル軍と戦っていたなんて、まったく驚きでした。
 中国書を丹念に掘り起こすとそんな事実まで判明するのです。まだ若い(40歳)学者のようですから、今後の活躍が大いに楽しみです。この出版社は次々にいい本を出してくれています。感謝します。
(2010年12月刊。3800円+税)

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2011年6月14日

福島原発事故

社会

著者    安斎 育郎  、 出版   かもがわ出版

 今回の原発事故では「原発村」とも呼ばれる原子力発電にかかわる学者グループの責任が厳しく問われています。この「原発村」の中心にいるのが東大工学部原子力工学科の卒業生たちです。そして、この本の著者は、この原子力工学科の第一期生なのです。ところが、「原発村」に属せず、むしろ叛旗をひるがえした著者は、徹底した迫害を受けるのでした。なにしろ、「敵」は、お金も権力もある有力な集団です。今日まで著者が生きのびたのが不思議なほどでした。
 福島第一原発では、あってはならないメルトダウン(炉心溶融)が地震後まもなく起きていたこと、それは津波による被害の前、地震そのもので格納容器が損傷してしまったことによることなどが地震後3ヵ月もたって明らかされつつあります。なんと恐ろしい情報操作でしょうか・・・。東電も政府も、早くから分かっていたのに、メルトダウンの発生をひたすら国民に対して隠し続けていたというわけです。
 原発は電気を発生させるところ。ところが、その発電所に電気がない事態になった。まさに、皮肉というほかない。原子炉から放射性物質を放出させないためには、何とか冷温停止状態(冷温といっても100度以下ということです。マイナス温度では決してありません。つまるところ、安定した温度状態にあることです)にコントロールすることが不可欠だ。
原子力発電所では、隠すな、嘘つくな、意図的に過小評価するなという原則が守られなければならない。
 福島第一原発事故では、原子炉を冷やすためには注水しなければいけない。注水したら漏れて海中に放射能物質が流れ、世界中に拡散することになるというジレンマを抱えた。
放射線から身を守る基本は、放射能は浴びないにこしたことはないということ。子どもの方が、総じて放射線に対する感受性が高い。生殖可能年齢をすぎた人の場合には、生殖腺に被曝しても遺伝の問題は起こりようがない。
 日本の原発労働者は7万人いる。その9割は下請労働者である。原発労働者の放射線被曝は、年間100シーベルトほど、その95%は下請労働者の被曝である。
原発は、実のところエネルギー効率が悪く、70%は環境に放出し、むだに捨てている。
 原発では、燃料の温度をあまり高くすると損傷を受けて安全性の確保が難しくなるので、ほどほどの温度条件でがまんせざるをえない。
 大事故は、必ず想定外の原因で起こるというのが常識である。
 廃炉は、技術的にも経済的にも、ものすごく大変である。解体撤去に300億円かかるという試算もある。原発は安上がりだというのは、この廃炉コストをわざと計上していないからである。
 とんでもない「原発村」ですし、それを利用してきた歴代の自民党政府は、まったく許せませんよね。その反省もなく民主党政権を批判するなんて、厚顔無恥そのものではないでしょうか。といっても、民主党政権も消費税を10%に上げようとし、ドサクサまぎれに憲法改正までしようというのですから、とんでもありません。
(2011年5月刊。1500円+税)

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2011年6月13日

地球200周。ふしぎ植物探検記

生き物

著者    山口 進  、 出版   PHPサイエンスワールド新書

 私と同世代の写真家です。世界の珍しい生物を求めて世界を駆けめぐりました。それは地球200周分に相当するといいますから、圧倒されます。ともかく、この地球上には奇想天外の生き物がこんなにもいるのか、信じられません。まさしく「想定外」の世界です。
 たとえば、土のなかで花を咲かせるランがいるというのです。ええーっ、なんで、暗い地中で花を咲かせるの・・・?まるで想像できません。植物が自分の身体にコブをつくり、そこにアリを住まわせます。そして、ご丁寧にも、アリの巣まで植物のほうでつくってあげるというのです。ええっ、まさか・・・。
口絵のカラー写真とともに、たくさんの写真が盛りだくさんの楽しい本です。といっても、取材のほうは、並大抵の苦労ではありません。
 特殊な花を観察するには、花の前で定住観察する以外に方法はない。新根が見つかったら、花である可能性が出てきたときには、その近くに簡単な小屋を建て継続観察する。小屋は住民の協力で作る。材料は周囲にある竹を使う。観察が終わったら、小屋は分解・放棄されるが、高温多雨のスマトラでは2ヵ月もたたないうちに打ち果て、半年もたつと跡形もなくなる。
著者は、こんな小屋を十数年で30件ほども建てたといいます。うひゃあ、すごいですよ。山のなかに一人で寝泊まりするのですから、心寂しい限りでしょうね。
時間と体力、そして何よりも現地の人との付きあいがうまくできないと花探しは不可能だ。その基本は、相手を信じることに尽きる。それも本気で信じないと相手に気持ちが通じないし、受け入れてもらえない。
 スマトラの夜。夕刻7時にショクダイオオコンニャクは開花しきった。突然、肉穂から、もうもうたる湯気が出はじめた。その瞬間、ただならぬ匂いが漂いはじめた。湯気はとどまることなく、煙のように肉穂から立ちのぼっている。ときには流れるように、ときには渦巻きながら、湯気は激しく立ちのぼるこの湯気こそ、匂いのもとのなのだ。肉穂を触ると熱を感じる。温度計で計ると39度もある。発熱することによって白い成分を蒸発させるのだ。夜8時、花の周囲は匂いで満たされた。1キロも離れた家でも匂いを感じたという。彼らは、「ネズミの死体が腐るときの匂い」という。著者は、腐った魚と砂糖が焦げる匂いと書いています。
匂いを出す目的はただ一つ。送粉者を引き寄せること。大型のシデムシが白いに魅かれて飛んできた。
このショクダイオオコンニャクが7年に一度しか花を咲かせない理由は、貧栄養の土壌を好むからだ。貧栄養の環境下で、ゆっくりと生育することが巨大化につながっていく。
同じような花として、ラフレシアがある。著者は、その開花に3度も立会したそうです。いずれも夕方から夜8時という時間に始まる。ラフレシアが開花しはじめると、すぐにたくさんのハエが集まってくる。花の匂いは田舎の古い便所のようなもの。花を探して森の中を歩いていると、その匂いで花の存在を知ることができるほど鼻につく独特の匂いだ。
ハエが花のなかに入り、やがて出てくるが、そのとき背中にべったりと花粉がついている。そして、ハエは花粉を担いだまま花から飛び立つ。
オーストラリアには、地下に花を咲かせるランがいる。ピンクの色がついた直径2センチもある大きな花だ。冬は雨が多い。保水性の低い砂地にはえる地下のランにとって、水分の心配から解放される。それに冬は他の植物との競争が少ない。
まあ、それにしても不思議な花ですね。そして、よくも人間が見つけたものです。それを調べている学者がいるというのも、すごい話です。
たまにこんな本を読み、写真を眺めていると、地球上生き物とはなんてへんてこりんなんだろうと思いつつ、それを探しまわれる人間いて、それを面白がる私のような人間がいるというのも、まさにへんてこりんな存在だと思い至るのです。そして、それこそ、私が生きている意味なのかもしれないと思ってしまうのでした。
(2011年2月刊。880円+税)

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