弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年3月 1日

無戸籍の日本人

社会

(霧山昴)
著者  井戸 まさえ 、 出版  集英社

 現代日本社会で戸籍がなく、住民票もなかったら、人が生きていくのは大変です。
 私は弁護士として、住民票がなくて生活している人には何回も出会いました。たとえば、夫のDVがひどくて逃げている人、サラ金の取立に脅えて住民票はそのままにして夜逃げした人などです。子どもの学校は住民票がなくても転入できるようになっています。もう30年ほど前から、そうだと思います。
 ところが、そもそも戸籍がないという人がいるのです。中国残留孤児の話ではありません。日本で生まれ育ているのに、学校にも行かず、大きくなった日本人がいるというのです。私は、弁護士として、そんな人に出会ったことはありませんし、そんな人がいるとは夢にも思っていませんでした。この本は、日本人として生まれながら戸籍のない子どもが生まれる過程(からくり)を明らかにしています。いかにも残酷な現実を知ることができました。
 著者は、県会議員や国会議員(民主党)になったこともある女性です。
 ノンフィクションですが、物語風になっていますので、問題の所在がよく分ります。著者がこの問題にかかわるようになったのは、離婚したことから自分の産んだ子どもが無戸籍になったことによります。
 戸籍がなければ住民票がつくれない。すると、生活するときに致命的な困難をもたらす。義務教育を受けるのが難しい。健康保険証がないため、病気のとき、全額が自己負担となる。選挙権はないし、銀行口座もつくれず、正式に就労することができない。生きていくうえでの、ありとあらゆる不都合や不安に直面せざるをえない。
 無戸籍の日本人は法務省の調査で680人。しかし、1万人はいるのではないか・・・。
 これは、大変な人数です。社会問題とすべき人数ですよね。
 成人の無戸籍者が働ける場は、水商売、ラブホテル、パチンコ業、風俗業など、限られている。親が不明のときには、就籍という手続きがある。かえって、簡単だ。
 民法772条によって無戸籍の子どもが生まれる。しかし、決してそれだけではない・・・。
 無戸籍の人が戸籍をもとうとするとき、役所は疑ってかかる。たとえば、指紋を求める。そこで、ひっかかる人が出てくる。犯罪もしていないのに、なぜ指紋を取られるのか・・・。
 そんなことするくらいなら、もう戸籍なんていらない、と考える人がいる。
 なんとなく、その気分は分かります。でも、ないと不便なのですから、ちょっとガマンできませんか、と思ってしまいます。
 そして、身勝手な親や性同一障害の人たちの話となると、涙なくしては読めない辛い人生の歩みとなります。日本の壁のあつさを感じさせる本でもありました。

(2016年1月刊。1700円+税)

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2016年3月 2日

ふしぎな君が代

社会

(霧山昴)
著者  辻田 真佐憲 、 出版  幻冬舎新書

  私は、君が代をまともに歌ったことなんて、一度もありません。歌詞も嫌ですが、なにより、あの暗さがたまりません。晴れの儀式に暗い、心を沈ませるような歌を強制するなんて、付きあっておれません。君が代は法律で国歌と定められましたが、どれだけの日本人が愛着をもっているでしょうか・・・。
  学校での強制は、とんでもないとしか言いようがありませんが、会社でも実社会でも、こんな歌を斉唱するなんて、ないのではありませんか・・・。
  この本を読んで、君が代について、いくつも新発見をしました。君が代という歌を日本人が広く国歌として歌っているのは、戦前も末ころのことなんですね・・・。そして、国歌斉唱を義務付ける国なんて、ごくごく例外なのですね。
  日本政府は、戦前、君が代を国歌だと明らかに宣言したことはなかった。君が代が日本全国に行きわたるには、かなり長い時間がかかった。
  君が代は暗いという批判は既に明治34年には出ていた。君が代の歌い方は、昭和になってようやく統一された。君が代が神聖不可侵のシンボルとなったのは、昭和12年(1937年)の国定教科書以降のこと。つまり、全国の教育現場で、君が代が明確に位置づけられたのは1937年以降でしかない。これって終戦(敗戦)まで、あとわずか8年しかありませんよ・・・。
  今の天皇は、国旗・国歌について、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と明言しています。素晴らしい明言です。まったく同感です。
  サッカー選手の中田英寿が、「国歌、ダサイですね。気分が落ちていくでしょ。戦う前にうたう歌じゃない」と言ったそうですが、私も同感です。やめてよ、という感じです。
  欧米の先進国で国歌斉唱が義務づけられている国はない。例外なのは、中国と韓国。だから日本は、中国や韓国にならっているだけ・・・。
  古歌「君が代」はおめでたい歌として、日本文化に根付いていた。そして、この「君」は天皇に限らず、「将軍家」でもありえた。
  君が代の作曲者は、日本人の奥好義を原作曲者としつつ、フェントン、林広李、エッケルトなどの合作だった。フェントンはイギリスの軍楽隊長だった。エッケルトはドイツ人。
  君が代って、英独のセンスが入った歌なんですね・・・・
  ともかく、子どもたちに学校で君が代の斉唱を強制するなんて、愛国心を育てるどころではない愚行そのものだと思います。

                (2015年7月刊。860円+税)

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2016年3月 3日

おひとりさまの最期

社会

(霧山昴)
著者  上野 千鶴子 、 出版  朝日新聞出版

 著者は私と同じ団塊世代です。団塊世代の私たちにも、いよいよ死が身近なものとなってきました。といっても、20代、そして50代のうちに亡くなった知人も一人や二人ではありません。老後をいかに過ごすのか、どうやって死を迎えるのかは、それぞれ重大な課題になっています。
 おひとり様の数は増え、2013年には、高齢者世帯の4世帯に1世帯が単身世帯である。それに夫婦世帯が3割。両方を合わせると、5割以上。いまや、子と同居している世帯は3割台でしかない。
著者は、本当のことを言えば、死んだあとのことなんて、気にしちゃいないと書いています。私も同じです。宇宙のチリの一つにしかならないし、いずれみんなそうやって宇宙を漂っていく存在なのです。だから、宇宙に本当に果てがあるのかどうか、今から気になるのです・・・。
 おひとり様人口は、これからも増えるし、これから先は、病院でも施設でも死ねなくなる「死に場所難民」が増える。
日本人の最新の平均寿命は、女性は86.83歳、男性が80.50歳。6歳も違うのですよね。それでも、男性も80歳を超えたのですね・・・。仕事人間、社会人間ばかりではなくなった、ということでしょうか・・・。
日本人の死に場所として、病院が80%、在宅が13%、そして施設が5%。
末期になると、脳から麻薬物質のエンドルフィンが出て、モルヒネと同じ作用をする。だから、苦しくはない。これが老衰のときの大往生。その自然死の過程に、医療は余計な介入をしないほうがいい。
病院では、死は敗北。しかし、高齢者施設ではゴールであり、達成。
住宅をただのハコとは考えるべきではない。記憶や経験が詰まった、暮らしの場。身体の延長のような装置系。
在宅医療には、病院にはない不思議な力がある。在宅では、医療職の想定をこえた「奇跡」がいくつも起きている。なんでもない日常が、家族にとって、かけがえのない時間となる。
本人が強い意志を持たない限り、周囲が意思決定して終末期は病院に送られてしまう。
 日々の暮らしとは、口から食べて、お尻から排泄して、清潔を保つことの日々の積み重ね。食事介護、排泄介護、入浴介護というのが三大介護。
生きるとは、迷惑をかけあうこと。親子の間ならとめどもなく迷惑をかけてもかまわないと共依存する代わりに、ちょっとの迷惑を他人同士、じょうずにかけあう仕組みをつくりたいもの。
そうなんですね。もつべきは相互に支えあう人間関係なんですよね・・・。老後を真剣に考えされられる本でした。
(2016年2月刊。1400円+税)

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2016年3月 4日

無私の日本人

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  磯田 道史 、 出版  文芸春秋

 思わず泣けてくる話です。心がじんわり温まります。江戸時代の話なんですが、現代日本にも、そんな人はいますよね。
 自分のことしか考えずに、金もうけのみに走る人が少なくないわけですが、反対に、自分のことより他人のことを先に心配して、善意の支援を決して誇らず、目立たずひっそりと一生を終えるという人もいるのです。
 町人が町(吉岡宿)を救うために同志をつのってお金を集め(なんと、千両です)、仙台藩に貸し付け、その年1割の利息100両で町の経済を支えるのです。実話というのですから、信じられません。町人って、やはり経済的な実力をもっていたのですね。
 財政状況が窮乏していた仙台藩も、おいそれと町人から借金するわけにはいきません。そこで、虚々実々の駆け引きが始まるのです。その過程が詳しく明らかにされていますが、さすが日本人らしいドラマになっています。ついに、仙台藩に1000両を貸し付け、毎年100両ずつの利息をもらっていくのです。すごい発想ですね。その大胆さには圧倒されます。
 仙台藩では、庄屋・名主のことを肝煎(きもいり)といった。そして、大肝煎は他藩の大庄屋のことで、百姓のなかから選ばれる役人としては最高の役職だった。大肝煎は、百姓のなかでは、お上にもっとも近い立場だ。仙台藩では、大肝煎が農村における絶大な権力者となった。
徳川時代の武士政権のおかしいところは、民政をほとんど領民にまかせていたこと。徳川時代は、奇妙な「自治」の時代だった。仙台藩は郡奉行をわずか4人しか置いておらず、代官30人を1郡に1人か2人割りあてて、行政にあたらせた。しかし、実際に事を運んでいるのは、大肝煎だった。
 幕末の時点で日本人口は3千万人。そのうち武家が150万人、庄屋は50万人いた。漢文で読書ができ、自分の考えを文章にまとめることが出来るのを「学がある」と言った。農村にいた庄屋の50万人が文化のオルガナイザーになっていた。
 江戸時代、庶民の識字率は高いと言っても、男女の半数以上は字が読めなかった。そこで、法律や政治においては、読み聞かせが大きな意味をもった。
 吉岡宿の人々にとって、迫りくる貧困への恐怖は、火事よりも恐ろしいものだった。仙台藩に現金で千両を貸し付けて吉岡宿を救うという企てを始めてから、すでに6年という星霜がすぎていた・・。
 すごいですよね、6年も粘り強くがんばったというのです。
 そして明和9年(1772年)9月、仙台藩に金千両を納めた(貸し付けた)のです。明和9年といえば、「迷惑」な年ですから、江戸で振袖火事が起きたころですよね・・・。
 安永3年から、吉岡宿では暮れになると千両の利金(利息)である百両が配られるようになり、吉岡宿は潤い、幕末に至るまで人口が減ることはなかった。仙台藩主・伊達重村は領内巡視の途中、吉岡宿に立ち寄り、浅野屋の座敷にあがり込んだ。領主の「御成り」である。そして、浅野屋の売っている酒のために名付け親となって、酒が飛ぶように売れた。苦労した浅野屋はこれでもち直した。同じく穀田屋も平成まで生きのびた。
 世のため、人のためにしたことを自分の内に秘めて、外に向かって自慢気に語ることをしなかった人たちがいたのです。実話ですし、詳細な古文書の記録が残っているのでした。それを著者が読みものとしてまとめたのが本書です。近年まれにみる良書だと思います。
 このごろ人生に疲れたなと思っているあなたに、いやいや人生はまだ捨てたものではないと悟らせてくれる本です。ぜひ、ご一読ください。

(2015年5月刊。1500円+税)

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2016年3月 5日

戦国の陣形

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 乃至 政彦 、 出版  講談社現代新書

 戦国時代の合戦といえば、魚鱗とか鶴翼、そして車懸(くるまがかり)の陣立(じんだて)が有名です。ところが、著者は、このような陣形が実際に存在したという証拠の文書はないというのです。
陣形とは、布陣の形状である。
中世の足利(室町)時代には、その軍政は騎兵中心だった。楯兵も弓兵も、騎兵が下馬して構成されていた。中世における正規の戦力は、原則として騎兵だった。そして、騎兵が下馬することなく騎兵として戦うとき、武士としての真価が発揮された。
この時代の合戦の特徴として、しばしば騎兵の集団が遠距離戦闘を介することなく、戦闘を仕掛けた。足利時代の騎兵は、頻繁に接近戦を行った。中世の騎兵は、「馬上十飛道具」ではなく、「馬上十衝撃具」で戦った。
 中世の戦場では、定型の陣形があらわれることはなかった。それは、それを実用する規律ある軍隊がいなかったからだ。中世の武士は私兵の寄り合いに過ぎず、そこには基本となる部隊教練も存在しなかった。
 武田信玄と上杉謙信との戦いのなかで、上杉軍の一翼となった上村義清の部隊は、弓隊150人、鉄砲50人、足軽200人、騎馬隊200騎、長柄のやり100人という兵種別編成で戦った。そして、武田軍の本陣に切り込み、戦傷を負わせた。
上杉謙信は、村上義清の使った隊形を常備の隊形として取り入れた。それには強い信念と大量の物量が前提となった。この兵種別の五段隊形が全国に広がった。
 文禄の役のとき、朝鮮の官軍は、日本軍の「陣法」について学んで対抗した。
 「旗持が最前列、島銃手が二列。槍剣手が三列と、三段に構え、その左右に騎兵を配した。戦いが始まると、最前列の旗持ちが左右にひらいて、二列目の銃手が発砲し、ころあいを見て槍剣手が突撃する。そのあいだ左右にひらいていた旗持軍が両方から、左右の伏兵が敵の背後にまわって包囲する」
 いま有名な定型の陣形は、戦争が日常だった戦国時代には使われなかったが、天下泰平の徳川時代になると、机上に復活しただけのこと。
 武田信玄の「八陣」が一般に広く知られるようになったのは、なんと戦後のことだと著者は指摘しています。
 なんだ、なーんだという感じです。まあ、それもそうなんでしょうね。戦場で、そんなに形ばかりにとらわれていたら、敗北してしまいますよね。大いに目を開かされました。

                           (2016年1月刊。760円+税)

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2016年3月 6日

「ミレニアム4」(上)

スウェーデン

(霧山昴)
著者  グヴィッド・ラーゲルクランツ 、 出版  早川書房

  スウェーデン発の「ミルニアム」を初めて読んだとき、その迫力に圧倒されました。ところが、著者のスティーグ・ラーソンが三部作を出したあと心臓発作で急死してしまったのです。ですから、当然、第四部はないはずなのに、版元が新しい著者を確保して、四部作を発表したというのです。
 私も、恐る恐る読みはじめましたが、なかなかどうして、第一作を読んだときと同じほどの迫力がありました。読ませます。私は、実は映画はみていないのですが、この第四部もハリウッドで映画化されるとのことです。
 インターネット世界の最新の状況が詳しく紹介されます。匿名で誰かを批判していると、なんと、敵対的なコメントを書きこんだ連中が、みな匿名ではなくなった。氏名、住所、職業、年齢が、いきなり表示されてしまった。
 私も、こんな仕掛けがあったらいいなと思います。無責任なヘイトスピーチのようなものを書き込めないようにするため、これは絶対的効果があると思います。
他人のアイデアを盗んで大もうけするようになったら、もう犯罪者への一線を越えてしまったことになる。あとは堕落していくだけだ。
 優秀な法律の専門家を身につければ、安心して何でも盗める。弁護士は、現代のギャングだ。うひゃあ、そ、そんなことはありませんよ。弁護士がギャングだなんて、絶対に違いますよ・・・。
 超絶したインターネット技術を駆使するリスベットの活躍から目を離せません・・・。
  
(2016年1月刊。1500円+税)

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2016年3月 7日

オーロラ!

宇宙

(霧山昴)
著者  片岡 龍峰 、 出版  岩波科学ライブラリー

  私は残念ながら現物のオーロラを見たことはありません。映像のみです。
オーロラほど不思議な光はない。冷たい炎のような光が色を変え、形を変え、音もたてずに空を舞う姿の圧倒的な不思議さには、驚きと畏怖の言葉が尽きない。
100年前、ノルウェーの科学者(ステルマー)が電話をつかって30キロ離れたところで写真を同時に撮影し、オーロラの高さの精密な三角測量を繰り返した。その写真乾板は4万枚をこえる。その結果、オーロラが地上100キロ、高いものだと1000キロで光っていることを突きとめた。
オーロラの緑や赤は、酸素原子がエネルギーを受けたときに自然に出てくる色。緑の光を放つには0.7秒かかるが、赤の光を放つには110秒の時間がかかる。したがって、オーロラの赤は、緑が光る場所よりももっと真空に近い、110秒ほど励起状態のまま仲間と会わずに漂うことのできるほど空気が薄い状況、つまりより高い場所でないと光ることができない。上が赤く、下が緑という、あのオーロラのクリスマスカラーは、酸素原子がつくり出したグラデーションなのだ。
北極の近くでは、オーロラは見えない。オーロラは、地球規模で「輪」を形づくっている。
地球が磁場をまとっていることによって、電子は磁場気に捕らえられ、オーロラオーバルの近くに輪のように電子が流れこみやすい状況になっている。そこで、猛スピードで大気へ流れ込んだ電子が、空の終わりの酸素原子と衝突して、オーロラを光らせている。
オーロラの全体像は、今ではほとんど明らかになった。でも、今なお、電子と陽子の動きの違いや細かなプラズマの構造など、分からないことは多い。
オーロラの解説が十分に理解できたということはありません。それでも、オーロラの生成・構造が単純なものではないことだけはよく分かりました。宇宙には不思議なことだらけですね・・・。
それにしても、マイナス40度とかいう世界でオーロラを観察しようとは思いません。やっぱり、ぬくぬくとしながら、映像でガマンしておくことにします。
  
(2015年10月刊。1300円+税)

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2016年3月 8日

ヒトラーに抵抗した人々

ドイツ

(霧山昴)
著者 對馬達雄 、 出版  中公新書

 ヒトラー・ナチスに抵抗したドイツ人は決して少なくはありませんでした。何千人ものユダヤ人を生命がけで隠し通したドイツがたくさんいたのも事実です。
 でも、大多数のドイツ人がヒトラー・ナチスのユダヤ人大虐殺の尻馬に乗り、なかにはその財産略奪によって利を得ていたというのも事実でした。これは、自民・公明を与党とするアベ政権がマスコミを強力に操作しつつある日本でも深刻な教訓として生かす必要があります。その意味で、この本は、今の日本人にとって大いに読まれるべきものだと思います。
 ヒトラー独裁は、ドイツ国民に指示された体制だった。ナチ支配には、目先の実利によって国民大衆の支持を獲得しながら、青少年にナチ思想を徹底させるという二面性があった。
 反ナチの行動の前に立ちはだかっていたのは、むしろ隣人住民、そして総統にヒトラーを熱狂的に信奉する青少年だった。彼らからすると、ナチ体制を否定する者は、生活と世界を脅かす存在であり、戦時下では自国の敗北をたくらむ反逆者であった。
 ダッハウなどの強制収容所に1933年の1年間で、共産党や社民党の国会議員をはじめとする活動家が10万人も拘禁された。
のちに反ナチ運動に身を投じたインテリ層も、ワイマール共和国末期には、反共和政的な立場をとり、ヒトラー政権の初期に登用された。政治経済エリートの大半がヒトラー、ナチ政権の誕生を肯定していた。
ヒトラーが支持されたのは、大量失業問題を早急に解決したから。失業不安と見通しのない生活の解決が最大の関心事だった。誰もが社会的な転落と窮乏の不安をかかえていた。
 ヒトラー政権発足時のドイツの人口は6500万人。ユダヤ人は50万人、混血のユダヤ系ドイツ75万人を加えても、総人口の2%でしかない。しかし、経済的影響力は絶大だった。
 戦争中のドイツ国内で、地下に潜ったユダヤ人が1万5000人いた。そのうち7000人近くがベルリンに身を潜めていた。1人のユダヤ人につき平均50人ものドイツ人が救援活動していた。生きのびたユダヤ人は、ベルリンで1400人以上、ドイツ全土で5000人いた。ユダヤ人を援護したドイツ人の3分の2は女性だった。
 ユダヤ人の家族が三人いたとして、三人は別々になって一人ひとりが生きのびるチャンスを得たようにさとされた。なるほど、と思いますね。三人全部が捕まるより、一人ずつ別々に暮らしていたほうが、リスクは少なくなるというわけです。
 ヒトラー暗殺計画は、「ワルキューレ作戦」(1944年7月20日)の前にも何回もあり、失敗していた・・・。ヒトラーって、悪運が強かったようですね。ヒトラー暗殺計画の概要が紹介されています。ヒトラーの演説会場を爆破しょうとしたドイツ人については、先ごろ映画にもなりました。ごく最近、その意義が見直されてます。
 ドイツ国民大衆の大部分は、ヒトラーから離反できないままに終戦を迎えた。ドイツ国民7500万人のうち、ナチ党員は、1939年5月以降に激増し、1933年末に390万人だったのが、1945年には850万人超にまで上昇した。
ヒトラー・ナチスと生命をかけて戦った勇気のある人々が少なからずいたこと、それを支えた家族がいたことを知ると、救われる思いがします。
  
          (2015年11月刊。880円+税)

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2016年3月 9日

日本はなぜ米軍をもてなすのか

社会


(霧山昴)
著者  渡辺 豪 、 出版  旬報社

  著者は『沖縄タイムス』の記者を17年間つとめていました。
  沖縄にいたら見えるもの。それは、日本が戦争に負けた国であるということ。沖縄では、敗戦と占領の残滓が日常にあふれ、日本がアメリカに従属している現実と否応なしに向き合わされる。
  日本の政府中枢そして中央官僚は、アメリカの意向を忖度(そんたく)して自発的に隷従するという、信仰にも似た強固な意識や価値概念に支えられている。彼らには、アメリカの威光を背景として、既得権益の保持や権力の強化を図る意図が働いているのでは・・・。
  日本の敗戦後、GHQの間接占領によって温存されたのは、天皇制であるとともに、官僚機構である。
日本は、憲法76条によって軍事会議を設置することができない。世界中で、軍法会議をもたない唯一の軍隊が自衛隊である。
  政権中枢と防衛省サイドには、辺野古で甘やかすと、次は嘉手納基地の返還を求めてくるだろうから、辺野古で譲歩するわけにはいかないと本気で考えているようだ。
  うひゃあ、お、おぞましい発想ですね。まさしくアメリカの奴隷の発想です。独立国日本の官僚ではありえません。恥を知れ、そう言いたくなります。
  アメリカ軍への思いやり予算が始まったのは1978年度で、このときは62億円だった。それが、2015年度は、なんと年1899億円にも達している。このほかにも、年に5000~6000億円ものお金をアメリカ軍基地を維持するために使っている。
  これではアメリカにとって、こんなにおいしい日本の基地を手放すはずがありません。
巨額の「思いやり予算」による恩恵を在日米軍に付与してもなお、アメリカへの従属的な対応から脱しきれていないのが、日本の実情だ。しかし、この「思いやり」の強要が、あたかも自発的意思にもとづくかのように、ならされているのは、日本政府だけではない。それは日本国民についても言えること・・・。
  大半の日本人は、アメリカ軍の基地があるという、意識することが不快な事実から目をそむけている。
  対米コンプレックスよりも、多くの日本人には対中国コンプレックスがある。他国の軍隊が長期間にわたって駐留し続けることから生じる、独立国家としての理念や制度の崩壊、そのことで生じる国民の犠牲や痛み、屈辱といった精神性の毀損をすべて、「カネでかたのつく問題」に転換して処理してきたのが、戦後日本の統治システムの本質だった。
  たしかに沖縄から日本本土を見ると、日本という国の本質が良く見えるのですね・・・。それにしても寒々とした光景です。


  
(2015年10月刊。1500円+税)

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2016年3月10日

「音楽狂」の国

北朝鮮

(霧山昴)
著者  西岡 省二 、 出版  小学館

  2012年7月、平壌・万寿台(マンスデ)芸術劇場。金正恩が臨席するなかで、モランボン楽団が演奏する。その曲目に登場したのはアメリカの音楽だった。「ロッキー」のテーマ。マイウェイ、そして、ディズニーの音楽が演奏された。
 アメリカは、北朝鮮にとって「不倶戴天の敵」と呼んで憎んでいる相手である。いわば「敵の音楽」だから、北朝鮮の刑法では労働鍛錬刑に処せられるはずのもの・・・。
 飢えている国民にミッキーマウスを見せて、いったい何になるのか・・・。
 モランボン楽団は突然異変のように生まれたのではなく、金日成、金正日と引き継がれた北朝鮮音楽の延長線上にある。
 北朝鮮では3代にわたり独裁体制が引き継がれた。この国は、音楽をプロパガンダ(政治宣伝)の手段として使い、歌の大半を金王朝や朝鮮労働党をたたえる内容にした。
 北朝鮮では、音楽愛好家の金正日が音楽を政治と密接に結びつけ、独裁体制を守るための手段の一つにしてしまった。その結果、楽器は、美しく感動的な音を生み出すためのツールではなく、金王朝のメッセージを伝える道具とみなされてしまった。
 北朝鮮では、「ロッキー」などの外国音楽は、一部専門家をのぞいて、だれも聞いたことがないはず。その曲がどこから来たものか知らない。だから、出自さえ明かさなければ、北朝鮮の国民は、その曲が「タブーが破られて入ってきた音楽」なのか分らない。
 音楽マニアだった金正日は、国民の音楽能力を高め、それをプロパガンダ楽曲を浸透させるための土壌とした。音楽と政治を結びつける「音楽政治」という用語を編み出して、自身への忠誠心を植え付け、社会の結束を図った。「青少年は、少なくとも1種類以上の楽器を演奏できなければならない」
 かの銃殺されてしまった、張成沢はアコーディオンの名手だったそうです。意外でした。
 北朝鮮音楽を支えるのが、幼いことから音楽教育を受けてきた北朝鮮国民であり、その中から選び抜かれた音楽家たちだけなのである。
 北朝鮮で音楽を普及させるのは、決して人々の心を豊かにするためのものではない。
 北朝鮮では、才能のある子どもたちは、専門的に音楽教育を施す機関に送られる。北朝鮮では歌が上手くなっても月給が上がるわけではない。そもそも自分の成功のために仕事をしているわけではない。
北朝鮮の素顔の一つを知った思いがしました。

(2015年12月刊。1400円+税)
天神の映画館でハンガリー映画「サウルの息子」をみました。ナチス・ドイツがアウシュヴィッツ絶滅収容所でユダヤ人を大量虐殺している過程で、その死体処理やら遺品整理をさせられたユダヤ人たちがいました。ゾンダーコマンドと言います。およそ4ヶ月間の命です。次々に交代させられ、彼らも殺されてしまします。その一人に焦点をあてて、収容所の非人間的な状況を再現しています。カメラは主人公にずっと焦点をあてています。遠景は出て来ません。大量殺人の収容所を具体的にイメージすることが出来ました。

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2016年3月11日

ドキュメント死刑図

司法

(霧山昴)
著者  篠田博之 、 出版  ちくま文庫

  2008年の末に刊行された本に大幅加筆したものです。既に処刑された死刑囚、死を待つ死刑囚と交流のなかで、その実情を明らかにしています。
  幼女連続殺害事件の宮崎勤は処刑されましたが、父親は自殺したものの、母親は毎月、拘置所へ差し入れに通っていたそうです。そして、被害者遺族への賠償もしています。
本人が早期の死刑執行を望むときは、異例の速さで死刑は執行される。小林薫、そして宅間守がそうだった。
  この世に生きる価値を見出せず、死んでしまいたいと考える人にとって、死刑は刑罰としての意味があるのか・・・?もともと社会から疎外され、現実社会に自分の居場所がないと思い、死んでしまいたいと考える人にとって、死刑はもう怖い刑罰ではない。
  宅間守は、自覚的に、自分を疎外するこの社会に復讐するために凶悪犯罪を犯した。死刑を宣告されてからも、早く執行してほしいと言い続けて、確定から1年間という異例の速さで死刑を執行された。
  宮崎勤、小林薫、宅間守の3人は、いずれも父親を激しく憎悪していた。宅間守は死刑確定後に獄中結婚した。彼と結婚を望んだ女性は2人いた。一人の女性は、自らも小学校のころからいじめに遭い、社会に訴外されてきた人物だった。自分も一歩間違えれば宅間守になっていたかもしれないと、犯罪を犯した側に自分を投影する人も、日本社会には現に存在する。こういう人が、社会に存在することに想像力を働かすことができないと、その犯罪を解明することはできないのではないか・・・。
  信じにくい話ですが、それが現実なのですから、お互い、ここは想像力を働かせるしかありませんよね・・・。
  小林薫は、こちらからの質問の意図も明確だったし、物事を何も考えていない人間ではなかった。恐らく、家庭環境が違っていたら、あのような犯罪者にならないですんだ人間ではないだろうか・・・。
  小林は、小学校のときに母親を亡くした。母親への思慕が強烈なのが、小林の特徴である。法廷で、母親の話が出たら涙ぐんだ。
  宮崎勤にとって、それは祖父だった。幼少期に自分を可愛がってくれた者の死が精神的ダメージを与えた。
  小林薫が父親に対して思い望んでいた6ヶ条。
  1.子どもと一緒に食卓に着き、団らんのひとときを過ごしてあげてください。
  2.子どもの話を聞いてあげてください。
  3.子どもを信じてあげてください。
  4.子どもと遊んであげてください。
  5.子どもを叱るとき、なんで叱るのか、何が悪いのか、言いきかせ教えてあげてください。 
  6.子どもが2人、3人といるのなら、平等に接してあげてください。
  ゆったり心の休まる家庭生活が子どもに本当に大切なんだなと思わせる本でもありました。  
 
(2016年1月刊。900円+税)

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2016年3月12日

仕事のエッセンス

社会

(霧山昴)
著者  西 きょうじ 、 出版  毎日新聞出版

著者は予備校(「東進ハイスクール」)のカリスマ教師のようですね。
人にとって働くことって何なのか、仕事するってどんな意味があるのかを根本に立ち帰って考えてみた好著です。いろんな仕事があることを改めて思い知らされます。
スペインでは、生活苦から卵子を売る女性が増えている。1回10万円もらえるけれど、大量に薬を飲んで、全身麻酔で手術をうけるなど、時間がかかり、苦痛をともない、身体面のリスクがある。
日本人にも、タイや韓国に渡って卵子を提供するドナーが100人以上もいて、1回60~70万円の謝礼をもらっている(2011年)。
タイで、代理母による男女産み分けを利用する日本人夫婦が年間100組以上いる。
介護士は、賃金の低さと仕事量の多さ、きつさから、離職率が他よりも高い。
同じ作業であっても、自分のしていることに意味を見出せるかどうか、大きな心理的違いを生む。
東北新幹線の車内販売員は平均して7~8万円の売り上げなのに、なんと片道で54万円を売った人がいる。そして、別の販売員は、全400席の乗客に187個の弁当を売った。弁当の注文を受けたとき、彼女は「お土産でしょうか?」と尋ねる。すると、客は弁当を土産にできることに気がついて弁当を買い求める。こんなわけです。
お客様の視点に立つ。自分のしてほしいことを相手にしてあげる。客の心を読み、その行動を予測する。なーるほど、ですね。たいしたものです・・・。
私は幸いにもしたことがありませんが、「宮仕えは辛いもの」です。ところが、フリーランスになったら、よりひどい隷属状態になることもありうるわけです。ですから、軽々しく会社を辞めるべきではないと著者は強調しています。これだけブラック企業があって、若者をとりまく雇用環境が悪化しているのだから、学校教育のなかで、身を守るすべや働くリスクまで教えるべきだ。そのとおりです。 
好きで、個人がワーカホリックになっていくのではない。職場にそれを生み出すからくりが幾重にも埋め込まれている。そのシステムに踊らされながら、人は、それを自分が選んでいるという錯覚に陥っている。
英語力の習得とグローバル化というのは、ほぼ無関係だ。私もまったく同感です。英語が話せるかよりも、人間力のほうが大切だと思います。
諸外国では大学卒業の平均年齢は25歳なのに、日本だけが22歳。高校を卒業したらすぐに大学、そして大学を卒業したら、すぐに就職するというのは日本だけ。日本はとても不自由な国。しかも、日本では大学に100人が入学したとして、12人が中退し、13人が留年し(私も1年だけ留年しました)、残る75人のうち就職できるのは45人で、3年続くのは31。 
新卒で正社員として入社し、できる限り長く勤めあげるのが正しい人生なのだ。それができない者は落伍者だ。これは、昭和の幻想的な教訓であって、そんなものに今どき縛りつけられる必要はない。
就活自殺が、2007年から2013年までの7年間で218人にのぼる。これは、いかにも悲惨な事態である。
仕事すなわち自己実現という等式は捨ててしまったほうがいい。仕事を続けるうちに、それが自分のしたいことと一致し、周囲にも認知されるようになることで自分も満足感を得、環境もより良くなっていく、そういうこと地味に続けることで人に必要とされ役に立っているという喜び、幸福感を高めていく。
仕事とは、自分と社会を持続的に接続するものであり、積極的に選択できるもの。仕事から「はたらく」(「はた」を楽にする)喜びを得られるようになると、「はたらく」ことで自他ともに幸福感を与えられる。そうして、自分が安心して生活できるコミュニティを形成し、維持することにつながる手段となりうる。
著者は、日々、苦労と工夫をしながら生き、そして考えている人なんだろうな、そう共感しながら読了しました。

(2015年11月刊。1350円+税)

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2016年3月13日

女子大で「源氏物語」を読む

日本史(平安時代)

(霧山昴)
著者  木村 朗子 、 出版  青土社

 恥ずかしながら、私は「源氏物語」を部分的にしか読んだことがありません。現代語訳でも全文を読んでいません。なんとか読みたいとは思っているのですが、手が出ません。この本には、原文と訳があり、解説もありますので、ほとんど原文を飛ばして読みすすめました。
 この本のユニークなところは、女子大(津田塾大学)の学生たちの反応が感想文として折々に紹介されているところです。なるほど、今どきの女子大生は、こんな反応をするのかと興味を惹きました。
 いまから1000年も前に、若き女性が小説を書いていたということ自体が世界的には珍しいことのようです。その点、日本人として偉大な先祖を誇りに思ってよいように思います。
 「源氏物語」を読みにくくしているのは、古文であることはともかくとして、文章の主体が目まぐるしく入れ替わっていること、そして、登場人物の呼び方が、同じ人物なのに、そのときどきに就いている役職名や中将、大将などと変わっていくことによる。『源氏物語』は、語り手が複層的に入り組んでいて、統一視点で語られていない。
平安時代の人々も、実は男女を問わず名前をもっていた。しかし、基本的に名前を呼ぶことはない。
 日本語は、文法上、主語がなくても成立する。
平安貴族の葬儀は、土葬ではなく、火葬だった。火葬を野辺送り(のべおくり)と言う。
平安時代の貴公子は、色が白くて、女性的な方が美しいとされた。
 元服する前の男子は御簾(みす)のなかに入れてもらっていた。元服後は、女性とは御簾越しに対面する。
「雨夜の品定め」というのは有名です。若い貴族たちが自分たちが過去に知り合った女性の話をはじめる。光源氏はそれを狸寝入りをして聞いていて、実践していく。
「中の品」(なかのしな)の女性は、その身分が非常に不安定だけど、だからこそ、いきいきしている。
方違え(かたたがえ)は、浮気するときの格好の言い訳になっていた。うひゃぁ、そんな効用もあったのですか・・・。
 「源氏物語を」レイプ小説だとする説があるそうです。単なるモテ男の浮気話かと思っていたら、レイプだと決めつける説があるというのには驚きました。著者は、それは違うだろうと批判しています。私も、そう思います。
 平安時代、結婚というのは、基本的に当人同士が自由に選ぶことは許されないシステムだった。しかし、性の自由はあった。当時、顔を見て容姿で相手を選ぶことはほとんどない。身分、手紙の文字、紙選びのセンス、和歌の才能などから妄想していた。そして、女性の髪は、たっぷり、ふさふさしていることが、女性の美しさの一つになっていた。
 従者と男主人が連れだってある邸に行ったとき、男主人が女主人と関係しているあいだに、従者は自分の恋人と楽しくやっている。従者がその邸の人と男女関係を取り結ぶことで、はじめて男主人を手引きできた。
 「現代でも、モテる女性はかけひきが上手だというイメージは大きいが、それは平安時代からのことだった・・・」
 戦争中、「源氏物語」は、天皇への尊崇をそこなうものとして、部分的に削除され、禁書になっていた。うへーっ、そ、そうだったんですか・・・。そんな世の中には戻りたくありませんね。アベ政権の大臣が言論統制を強めようとしていますが、とんでもありません。
 昔も今も、女性の不倫話はまったく珍しいものではありません。ですから、平安時代と現在とで貞操観念は変わっていないのです。
 平安時代も、今もと同じく、離婚、再婚はあたり前でした。
 読めば読むほど、現在(いま)の恋愛事情そっくりの話が展開しているのが『源氏物語』なのである。なるほどなるほど、まったく同感です。今の私の法律事務所の経営を支えているのは、男女を問わない不倫による事件なのです。
 これで『源氏物語』を読んだ気になってはいけないのでしょうね。早いとこ全文(とりあえず現代文)にチャレンジしたいと思います。
(2016年2月刊。2200円+税)

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2016年3月14日

山人たちの賦

人間

(霧山昴)
著者  甲斐崎 圭 、 出版  ヤマケイ文庫

 今から30年前、1986年に刊行された本の文庫版です。ですから、今ではもうマタギの文化なんて、東北でもなくなっているのではないでしょうか・・・。その意味では、貴重な記録になっていると思いながら、興味深く読みすすめました。著者は私と同じ団塊世代です。
 ヒグマを撃つのは、7~80メートルの至近距離。ヒグマが確実に襲いかかってくる体勢をとり、スワッという瞬間に引鉄(ひきがね)をひく。つまり、運が悪ければヒグマに逆襲され、命さえ落としかねない覚悟でヒグマに立ち向かう。ヒグマ撃ちは、一瞬が勝負。弾が急所を少しでも外れると、ひとたまりもなく襲われる。慎重に的を狙うという余裕はない。ヒグマに関しては、逃れる方法はない。ヒグマも人間が怖いので、ただひたすらにらめっこをする。すると、だいたい逃げていく。
 ヒグマ撃ちに師匠はいない。自分で体験して覚えるもの。猟師にとっての三種の神器は、犬、足、鉄砲。犬は猟師の手、足、七感となる。アイヌ犬は、ヒグマと対等に戦える猟犬だ。
 マタギの狩猟には、厳然とした役割分担がある。集団を統率するリーダーは「シカリ」と呼ぶ。鉄砲の撃ち手は「ブッパ」、獲物をおいあげる役は「勢子(せこ)」、そして全体をみて獲物を確実に仕留めるよう指図するのは「ムカイマッテ」という。マタギ言葉では熊を「イタチ」と呼ぶ。
 長野県の白馬岳のボッカが荷を担ぐときに必要なのは、力じゃなくてバランス。重量物は訓練すれば担げるようになる。自分の体重の2倍の重さなら背負う。ただ、水ものはバランスがとりにくくて、背負いにくい。
 ボッカは休憩するといっても、決して荷をおろしたり、腰をおろして休むことはない。立ちどまって、20秒か30秒のあいだ、呼吸をととのえるだけ。荷杖を尻にあてて、これにすがるようにして立ったまま休む。
ボッカにとって、胃ほど大切なものはない。胃をこわしたら、山は歩けない。
雪渓を歩くには、なにより足を濡らさないこと。足を冷やすと、歩きにくくなる。
これらの山人をたずねて文章にしたころは、著者は千葉県の公団住宅に住んでいた。コンクリート・ジャングルである。そして30年後の今は、三重県尾鷹市に根をおろしている。
 山人の生活は、うらやましくもあり、ちょっと真似できないものでもあります。
 しばし、山人の生活を偲んでみました。でも、私にはヒグマやマムシに遭遇するかもしれない、そんな山中の生活はとても無理です。そんな勇気はありません。
(2015年12月刊。880円+税)

しばらく孫が来ていました。まだ1歳になりませんので、つかまり立ちは出来ますが、歩けません。はいはいしながら母親を必死で後追いする様子はいじらしい限りです。
 手の届くところにあるものには何でも触ってみようとします。好奇心旺盛で、何か変わったものがあると、すぐに飛びつきます。離乳食なので、食事をつくるのは大変でした(もちろん、私は出来上がるのを見ているだけです)。話せませんが、一生けん命、声をかけました。こちらの言っていることは分かっているのです。右手を上げて「ハーイ」というポーズをしてくれるので、声かけは楽しいです。孫たちが帰っていくと、怒濤の日々から、夫婦二人きりの静かな毎日に戻ってしまいました。孫は、来てうれしい、帰ってうれしい存在です。

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2016年3月15日

牛肉資本主義

社会

(霧山昴)
著者  井上恭介 、 出版  プレジデント社

  日本人が「吉野家」で安い牛丼を食べられなくなる日が近づいているようです。
  この本を読んで私が一番すごいと思ったのは、日本でも野放しにして飼育した「野生牛」がいること、そして、完全放牧酪農があるということです。アメリカ流の成長ホルモン漬けの牛肉だけでは困ると思います。「野生牛」というのは、エサは牛が食べるのにまかせるというものです。ですから、肉は今より少し固めになります。それでも、かめばかむほど味わい深いものがあります(あるそうです。私は残念ながら、まだ食べたことはありません)。あまりにも、薬(成長促進ホルモン剤など)に頼った牛肉は、いずれ良くない結果を人間にもたらすこと必至だと思うからです。
  この本を読んで認識したのは、牛肉争奪戦が世界的規模で始まっているということです。その主役は、言わずと知れた中国です。なにしろ、スケールが違います。いま、私たち日本人は「爆買い」の恩恵をいささか受けています(私の住む町までは、まわってきていません)が、よくよく考えると、それは、私たちの食生活を根本から脅かしかねないレベルの話なのです。なにしろ、ケタ違いの数量なのですから・・・。
  いま、中国人のビジネスマンは、牛肉がもうかりそうだというので、投資の対象としている。日本の牛丼屋は、アメリカ産バラ肉に頼ってきた。安く手に入り、味も触感もいい。それがショートプレートだ。ショープレと呼んでいる。
  中国では、これまで「肉」と言えば、豚か鶏だった。しかし、今では、牛がそれらより先に来る。昔の硬い牛肉ではなく、輸入された柔らかい牛肉だ。中国では、いま空前の牛肉ブームが起きている。だから2013年に、牛肉輸入量は、中国が日本を追い越した。
  そして、それは豚でも同じ。世界の半分を中国が食べるという豚肉でも同じで、2013年にアメリカ最大の豚肉加工業者を中国企業が47億ドルで買収した。
  日本は牛肉をショートプレートしか買わないが、中国は、牛を丸ごと買うので、売り手は日本より中国を好む。
中国で「牛肉いため」は800円するのに、日本では牛丼は300円代でしかない。
札幌のジンギスカンは羊肉だが、その羊肉のニュージーランドからの仕入れ価格が3割も上がった。ニュージーランドの農家からすると、同じ面積なら、羊より牛を飼ったほうが、5倍以上も利益が違ってくる。
  何でも安ければいいという発想を変える必要があります。そして、食料の自給率の向上とあわせて、食の安全というのにもっと私たちは気を使う必要があると思いました。

(2015年12月刊。1500円+税)

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2016年3月16日

この国の冷たさの正体

社会

(霧山昴)
著者  和田 秀樹 、 出版  朝日新書

 衝撃的な内容の本です。でも、ホント、そうなんだよね、いつの間に日本はこんなに冷たい国になってしまったのか・・・と思いました。
 著者は、それは小泉元首相のときに始まったと言います。そして、テレビが冷たさを増幅させた共犯だと厳しく糾弾しています。テレビを見ない私ですが、まったく同感です。
 「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と38%もの日本人が、そう考える。アメリカ人は28%。でも、ほとんどの先進国では10%でしかない。うへーっ、そ、そんなに日本人って弱者に冷たいんですか・・・。これで、日本を愛せよ、なんて無理な注文ですよね。それにしても、あのアメリカより日本が冷たい国になっているだなんて、これまた大ショックでした。
 この15年間で、日本社会は一変した。企業では年功序列や終身雇用がなくなり、大型店が繁栄する裏で個人商店がバタバタとつぶれていった。そして、働く人の非正規雇用が4割をこえる。弱者が増える一方で、何億円という資産をもつ富裕層は日本でも続々と生まれている。
 そして、その仲立ちをしているのがテレビ。テレビは、弱者とは関わりたくないという感情の増幅装置になっている。
 弱者が、自分より弱い立場の人間を攻撃することで、自分の不安を解消している。
 安倍首相の言う「一億総活躍社会」というのは、「働かない人間を許さない」という社会のこと。これは戦時中の日本を想起せざるをえない。
 テレビは常に画一化された情報をたれ流し、視聴者の認知的成熟度を低下させている。
 ヨーロッパの消費税率はたしかに高い。しかし、それは医療費が無料、大学までの教育費もタダといった手厚い福祉を支えるためのもの。だから、国民は納得している。ところが、日本では福祉予算が切り捨てられ、軍事予算が増大しているなかで、消費税率のみ上げられている。とんでもないことです・・・。
 高い消費税はヨーロッパ並み、お粗末な福祉はアメリカ並み。これでは困ります。
弱者である国民が、日本では「自己責任、自己責任」と言いつのる。この自己責任という言葉は、強者の責任のがれにすぎない。自己責任をもち出すことで大きなメリットを得ているのは強者である。自己責任を真面目に守っているのは、弱者だけ。自己責任論でものを考えたり、行動したりすることから決別する必要がある。そうでなければ、人生を強者のいいようにされてしまう。
 日本人は、世界から奇異な民族だと見られている点が二つある。その一つは、借金が返せないから自殺すること。もう一つは、借金を返すために強盗すること。強盗したお金で借金を返すなんて、世界中の人はありえないと考える。
 弱者を叩いて、一時的に「正義の味方」になるというのは、百害あって一利なし。強者と一緒になって弱者を叩くと、結局のところ、自分にはね返ってくる。
日本人は、世界一、自分を責めがちな国民だ。
 テレビは、日本人の単純化思考に拍車をかけている。テレビは、思考のパターンを単純化させる装置だ。テレビは、エビデンス(証拠)にもとづく議論をする場ではなく、大多数の視聴者の感情に迎合するのが大前提のメディアなのだ。
 50代の精神科医の指摘には、いちいちもっともだとうなずくばかりでした。
(2016年3月刊。720円+税)

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2016年3月17日

哲学な日々

人間

(霧山昴)
著者 野矢茂樹 、 出版  講談社

  著者は西日本新聞にエッセイを連載していたそうです。私は読んでいたかもしれませんが、記憶にありませんでした。東大に理系で入って、大学生として12年もいて、今では東大で哲学を教えているそうです。しかも、座禅まで教えているなんて・・・。東大駒場に、そんな場所があったなんて、信じられません。
  哲学は体育に似ている。実技なのだ。教師が問題を提示して学生が受けとめる。簡単に答えは見つからない。知識を伝えるというより、哲学を体験してほしいということ・・・。
不測の事態は必ず起きる。そんなとき、スピードと効率だけを考えて前のめりに行動していると視野が狭くなり、柔軟性を失う。だから哲学が必要となる。いったい、これは何なんだと自分のやっていることを問い直すのが哲学だ。
  座禅は、1分間に吐いて吸ってを3回以下の速さで、ゆっくりやる。吐く息とともに、今しょい込んでいる余計なものをすべて吐き出すような気持ちで静かに吐き出す。自分を空っぽにしていく。何も考えない。囚われない。こだわらない。呼吸だけに集中して、ただ空気が自分の体を通って巡っていく。そうすると、透明感と言えるような澄んだ感覚になる。
  うひゃあ、そ、そういうものなんですか、座禅って・・・。
  座禅中は、いっさいの価値判断を捨てなければいけない。
子どもを「ほめて育てる」という方針は根本的に間違っている。ほめられて育った子は、ほめられるためにがんばるようになる。そして、そこから抜け出せない。そうではなく、共に喜ぶこと。一緒に喜んで、子どもが感じている喜びを増幅する。そして、その子が自分の内側から感じる喜びを引き出してあげる。
  なるほど、この点はまったく同感です。
哲学というのは、他の学問分野と比べて、妄想力の比重が大きい。
考えるためには言葉がなければならない。言葉によってはじめて、思考が成立する。だが、言葉はまた、思考を停止させる力も持っている。思考を停止させる言葉に対抗するには、やはり言葉しかない。冷静で、明晰な言葉を、私たちは手放してはならない。
  さすがに哲学者の書いた本だけあって、普段なら考えないような点をいろいろ考えさせられました。

(2015年12月刊。1350円+税)

 わが家の近くの電柱にカササギが巣をつくっています。山に近いからだと思いますが、3個もあります。通勤途上にカササギが枝を口にくわえて運んでいるのを見かけます。それにしても巣づくりの初めは難しいと思います。うまく落ちないように枝を組み合わせていくのですよね。誰にも教えられずに本能だけで巣づくりをします。そして、少々の強風が吹いたくらいでは巣は壊れません。
 実は、わが家の庭にあるビックリグミの木にも高いところに巣をかけましたが、結局、使われませんでした。
 電柱の巣は九電が毎年撤去してしまうのです。カササギは、それにめげずに巣をつくって、子育てするのです。偉いですね・・・。

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2016年3月18日

生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか

人間

(霧山昴)
著者 最相 葉月 、 出版  ポプラ社

  著者の名前は、「さいしょうはづき」と読みます。その『絶対音感』という本を読んだときには内容に圧倒された覚えが鮮明にあります。東京工業大学で朝一限目の講義をしたものが本になっています。当代一流の人々が登場して、その苦労話を語り聞かせてくれるのですから、面白くないはずがありません。
テーマは大切。テーマに対する思いが一番大事だ。
  人間は、ものごとが発見された順序にそって説明されると、一番よく理解できる。
  ああ、そうなのか・・・。だから、ほとんどの本で、結論から書いてなくて結論に至るプロセスから説明されているのですね。これまでは、まどろっこしくて、たまりませんでしたが、少し考えを変えてみましょう・・・・。
  生物が進化するシステムが次のように説明されています。DNAは、A(アデニン)とT(チミン)とG(グアニン)とC(シトシン)という4つの塩基で構成されている。このA,C,G,Tの分子の中で、何もしなくてもプロトンという水素結合のところが二本になることが、ごくたまにある。これは1万分の1くらいの確率。そうすると、Cが三本の腕で手を結んでいたGのところにAが来るようなことが起きてしまう。これが進化の原因である。つまり、生物というのは賢くて、天然にある量子科学的ゆらぎを利用して進化している。なんとなく分ったような気がします。
  生物の外観が美しければ、進化したと考える。見て、異常で、醜悪なものは、進化ではなく、異常個体とみなす。
ショート・ショートで有名な星新一は、アイデア捻出の原則は一つしかないと断言した。それは、異質なもの同士を結びつけること。
  SF作家は、矛盾したものを衝突させて、いわば夫婦ゲンカをさせて、次数が上がった世界を導き出し、それを起点として物事を書こうとしている。
  新しい話(アイデア)はこの世にないものだから、明後日(あさって)の世界からとってくるしかない。
人と会話するときには、事前に準備することが必要。
ともかく、継続、そしてやる気を長持ちさせることだ。
  統合失調症に親和的な人は、かすかな兆候を読む能力が傑出している人が多い。人間にとって必要不可欠な機能の失調による病気が統合失調症である。
私にとって、かなり(というか、ほとんど)難しすぎる本でした。それでも、人間の身体の神秘の一端には触れた思いがしました。死を覚悟した人にとっては、何も怖いものがないということも聞いていて、よく分りました。
テーマ選びの大切さをしっかり認識しました。


(2016年1月刊。1500円+税)

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2016年3月19日

古代ギリシャのリアル

ヨーロッパ(ギリシャ)

(霧山昴)
著者  藤村 シシン 、 出版  実業之日本社

 古代ギリシャって、こんなにも自由奔放な、極彩色なところだったのですね・・・。真っ白な、どっしりと落ち着いた神殿のある国とばかり思い込んでいました。
 古代ギリシャに関する現代日本人の勝手な思い込みを軽く一掃してしまう画期的な本です。ギリシャに少しでも関心のある人には必読の本だと思いました。
 ギリシャには昔から白亜のパルテノン神殿があるなんて、とんでもない幻想だ。古代ギリシャの神殿は極彩色で彩色されていた。
 中国・西安に埋もれていた兵馬俑もそうなんですよね。極彩色なんです。これには大英博物館のスキャンダル(1939年)がからんでいたとのことです。うへーっ、知りませんでした・・・。
 古代ギリシャ人は、いちど完全に滅んでいるため、現代ギリシャ人とは血のつながりとか歴史のつながりはない。
 古代ギリシャ人は、古代ローマの中に吸収されてしまった。古代ギリシャ人は、もともとは海を知らない地方に住んでいた民族だった。
パルテノン神殿は紀元前5世紀に建てられているが、つくられた当初は、百足(ヘカトンペドス)と呼ばれていた。神殿の内部にあり、100歩(30メートル)で歩けるから・・・。
 パルテノン神殿は、もしものときに備えて金を備蓄するための倉庫だった。だから、祭壇がない。そして、パルテノン神殿は聖母マリア教会となり、イスラム教のモスクとなり、オスマン帝国は要塞化して、弾薬貯蔵庫とした。そのため、17世紀に爆発炎上してしまった・・・。
 この本が面白いのは、ギリシャ神話をじっくり解説しているところです。なあんだ、そういうことだったのか、と驚嘆してしまいました。
 有名なテミストウレス将軍は、ギリシャで一番強いのは俺様ではなくて、カミさんだ。いや、そのカミさんだって息子のいいなりなんだから、息子が全ギリシャで最強なんだ。そう言ったそうです。本当の話なんでしょうか・・・。出来すぎています。
 古代ギリシャの神々がいかにも浮気者ぞろいということもよく分かりました。これって、日本も同じようなものですよね・・・。40年以上も日本で弁護士をしていて、日本人の女性が昔から弱いなんて、ご冗談でしょうと思いますし、江戸時代の「女大学」なんて、実態にあわないものを押しつけようとしたもの、つまりウソ八百だと実感しています。日本は古代ギリシャ人と同じで、昔から性の解放はすすんでいたのです。
 ギリシャという国に少しでも関心のある人には強く一読をおすすめします。
(2016年2月刊。1500円+税)

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2016年3月20日

ニュートリノで探る宇宙と素粒子

宇宙

(霧山昴)
著者  梶田 隆幸 、 出版  平月社

 よくは理解できないながら、宇宙の成り立ちが少しでもつかめたらという思いで読みすすめてみました。
 ニュートリノは、電子と同じく素粒子の仲間。ニュートリノは、電子から電荷と重さをはぎとったようなもの。ニュートリノの大きさは分かっていない。
 私たちは、ニュートリノを触ったり、目で見たりして直接感じることはできない。
 しかし、ニュートリノがなければ私たち人類は存在できない。なぜか・・・。地球上の生物は、すべて太陽の光と熱によって生かされている。もしも太陽がなかったら、地球表面の温度は太陽系のいちばん外側にある冥王星よりも下がり、生物はまず生きていかれない。
 大要のエネルギーは、核融合反応によってつくられている。太陽中心の水素原子核が4個くっついてヘリウム原子核になるときに、膨大なエネルギーを放出する。もし、ニュートリノがなかったら、この反応はおこらない。最初の核融合反応が点火しないから・・・。
 ニュートリノがないと、太陽だって光り輝くことができないというのです。なんだか、ニュートリノを身近に感じることができました。
ニュートリノは観測するのが、とてもむずかしい。なにかにぶつかっても、曲がったりせず、地球すら貫通して飛んでいってしまう。
 太陽からやってくるニュートリノ1個を物質と反応させるには、地球を100億個ほどタテに並べてニュートリノを通す必要がある。そのくらい大量の物質があってはじめて、反応が起こる。逆に言うと、1個の地球を100億個のニュートリノが通り抜ければ、そのうちの1個がたまたま地球の内部のどこかで反応することになる。
 ニュートリノは、雨あられと地球に降りそそいでいて、太陽から地上にやってくるものだけでも、1平方センチメートルあたり毎秒660億個もある。
 こんなにすさまじい量のニュートリノって、一体どこへ行くのでしょうか・・・。
 スーパーカミオカンデは、直径40メートル、高さ40メートルの水槽を5万トンの水で満たしている。
 ニュートリノが一番たくさんつくられたのは、宇宙の始まり、つまり「ビッグバン」のとき。宇宙は始まって以来、ニュートリノに隅々まで満たされている。
 ニュートリノは、宇宙で一番たくさんある、もっともありふれた粒子である。
 ニュートリノは、電気的に中性で、物質とほとんど反応しない。ニュートリノは、物質と相互作用する力が弱い。弱い力とは、陽子の大きさの1000分の1くらいの距離にしか力が及ばない。
大気ニュートリノは、人間の身体にあらゆる方向から入射し、ほとんどそのまま空き抜けていく。
ニュートリノに質量があることは、現在では素粒子物理学の定理となっている。
 岐阜の山中にあるスーパーカミオカンデのほか、南極にも観測点があるそうです。すごいな、すごいな、と思いつつ、宇宙の起源と構成って今でも不思議なことだらけだということは、よく分かりました(分かったような気がしました)。
(2015年11月刊。800円+税)

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2016年3月21日

ペコロスの母の贈り物

社会

(霧山昴)
著者  岡野 雄一 、 出版  朝日新聞出版

 『週刊朝日』に連載されたペコロスのマンガが本になっています。
 著者は長崎に戻ってタウン誌の編集長になってから、認知症になった母親のエピソードをマンガで紹介しはじめたのでした。
 父親は酒におぼれ、家庭内暴力がひどかったようです。それで、母親は若いころ裸足で家を飛び出して逃げたりしていたのです。
 そんな父親が、認知症になった母親の前にとてもいい感じのお爺ちゃんになって現われるのです。そして、それが息子である著者のトラウマを癒し、リハビリの時間になっていくのでした。
 母親の口癖がいいですね。「生きとかんば!」というのです。生きておきなさい、っていう言葉ですよね。
いろいろ大変なことがあっても、あきらめずに生きていこう。そしたら、いつかきっと、良いことがあるさ、という楽天的な言葉です。
 飲んだくれの暴力父は、実は、若いころにはアララギ派の短歌をよんでいたそうです。斉藤茂吉のあとの土屋文明にケンカを売っていたとのこと。
 著者のマンガは、そこはかとないペーソスを感じさせ、味わい深いものがあります。
(2016年1月刊。1200円+税)

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2016年3月22日

ひとと動物の絆の心理学

生物

(霧山昴)
著者 中島 由佳 、 出版  ナカニシヤ出版

 私は犬派です。というのも、物心ついたときから、ずっと犬と一緒に生活してきたからです。それは高校生まで続きました。大学に入って、愛犬(ルミといいます。スピッツのオスです。座敷犬でした)が車にはねられて死んだことを聞いて、本当に残念でした。それでも、大学に入って忙しかったので、ペットロスにはなりませんでした。そして、子どもたちが小学生になったとき、柴犬を飼いました。メスなのに、マックスと呼んでいました。私の責任なんですが、室外に飼っていてフィラリアにやられて死なせてしまいました。申し訳ないことです。
 私の小学生のころには小鳥の飼育も流行していましたし、鶏も飼っていました。ニワトリのエサになる雑草をとってきたり、貝殻を叩きつぶすのも小学生のころの私の仕事でした。生来、生真面目な私は、一生懸命、ニワトリの世話をしていました。そして、父が飼っていたニワトリを「つぶす」のも、しっかり見ました。そのおかげで、ニワトリの卵の生成過程も、この目で確認することができました。娘が小学生のころ、ウナギを催物の会場で釣りあげ、家で飼いたいと言ったとき、私はダメと言いました。そして、慣れないまま、ウナギをさばいてウナギの蒲焼きをつくってみました。泣いていた娘も食べてくれました。
 日本人で動物を飼っている世帯は全世帯の3分の1。そして、犬と猫が人気だ。犬は6割、猫は3割を占める。犬も猫も、今では8割が室内飼い。
 一昔前までは、犬は番犬として屋外の犬小屋で暮らし、猫はねずみ獲りと近所のパトロールが日課という生活スタイルだったが、今やほとんど見られない。今では、犬も猫も、8割が家の中で家族と一緒にヌクヌク暮らしている。
人は動物と「会話」をする。人は社会的な生きものだ。たしかに自分のことを話したい。自分のことを話して理解してもらえることで、心の健康を保つことができる。
 動物が友人と家族とは違うのは二つある。一つは、傾聴してくれること、もう一つは評価しないこと。つまり、ありのままの自分を動物はしっかり受けとめてくれる。
 動物とのふれあいが、病気の人の生存率を伸ばすことも実証されている。人生にストレスはつきもの。しかし、動物の存在が、ストレス度の高いできごとによる心身のダメージをある程度は防いでくれている。
犬とのふれあいは、やはり愛犬とのふれあいが一番。飼い主とその犬とのふれいあいこそが強い愛着で結ばれている。
 非行少年や情緒障害の子どもにとって、動物は、ワン・アンド・オンリーの存在なのだ。つまり、彼らにとっては、動物こそ唯一の「家族」だった。逆に言うと、児童虐待や配偶者に対する家庭内暴力(DV)には、しばしば脅しや見せしめとしての動物虐待や殺害をともなっている。
 子どもたちが、幼いころから小鳥や犬・猫の世話をするというのは、とてもいい原体験になると思います。手抜きしたり、へますると、小鳥や犬・猫が死んでしまうという重大な、取り返しのつかない結果を生じさせるからです。
 子どもたちが大きくなってからは、旅行優先のために、犬を飼うのはあきらめています。
(2015年12月刊。1800円+税)

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2016年3月23日

スウェーデン・モデル

スウェーデン

(霧山昴)
著者  岡澤 憲芙・斉藤弥生 、 出版  彩流社

 今の日本人がスウェーデンを見習うべき最大のものは、なんといってもスウェーデンの投票率の高さです。なんと、86%近くもあります。そして、国会議員の選挙は完全比例代表制です。なので、死票が出ません。それで、一党独裁はなく、多党連立政権があたりまえなのです。日本のように国民のなかでの支持率は3分の1しかないのに、3分の2をはるかに超える国会議員がいて、政権与党の暴走を誰も止められない、なんていうことはありません。
 風通しのよい社会だと、投票所に行こうという気にさせますよね。選挙はお祭りのように楽しく、にぎやかなもののようです。戸別訪問を禁止して、萎縮させるということはありません。
 日本は、こんなところから変えなくてはいけません。
そして、国会議員も大臣も若い。20代の国会議員は珍しくないし、女性の大臣の比率も高いのです。住みやすい国だと思います。
 スウェーデンは、かつてヨーロッパでもっとも貧しい農業国家だった。それが短期間に世界でもっとも豊かな福祉・工業国家へ変身した。
 スウェーデンが生みだした「世界で最初」は、テトラパック、シートベルト、レーザーメス、ペースメーカー、コンピューターのマウス、イケア、H&M・・・。
 スウェーデンは、1814年以来、この200年間戦争していない、平和の伝統がある。
スウェーデンの政治は、この100年間、ほとんどが相対多数の単独政権か、2~4党の連合政権だった。
国会議員の45%は女性であり、大臣も2人に1人は女性。男も女も働いて、自分の財布をもった消費者になり、納税者になる。そして、男も女も出産・育児・家事に参加する。
スウェーデンは、2013年に5万人、2014年に8万人の難民を受け入れた。
スウェーデン語教育は無料で受けられる。
 パルメ首相は家族で映画をみた帰りに地下鉄の駅付近で暗殺された。首相も大臣も国王も気楽に街を歩き、地下鉄に乗っている。
 スウェーデンという国に学ぶべきとこおrは大きいと思ったことでした。
(2016年1月刊。2200円+税)

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2016年3月24日

初日への手紙Ⅱ

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  井上ひさし 、 出版  白水社

 圧倒されます。そして、ぐいぐいと引きずり込まれてしまいます。
 時がたつのを忘れます。読みおえたとき、胸が熱くなっています。今日は、すごいいい本に出会えたな、そう思って感謝の気持ちで一杯になります。
 新国立劇場のこけら落とし(初演)の作品として井上ひさしは新作を目ざします。いつものように、凝りにこった台本です。戦前の日本史、天皇の言動、軍部の動向、そして被爆死してしまった演劇人のことなどを徹底して調べあげ、見やすい年表をつくり、そして登場人物の人形を机の上に並べてストーリーを考えに考え抜いて文字にしていくのです。
 まさしく身(生命)を削る必死に作業です。10日間、お風呂にも入れないほど、一刻一秒も惜しんで、睡眠時間を削って、それでも開演初日まであとわずかというのに、台本はまだ完成していません。遅筆堂として有名でした。
 しかし、出来あがった台本の素晴らしさは観客の心を大いに揺さぶります。だけど、これでは演じる役者はたまりませんよね・・・。
そんな舞台裏が井上ひさしの送ったFAXを通じて明らかにされています。
「状況はますます切迫してきましたが、命がけでやっているのですから、きっと活路は見つかるはず・・・。そう信じて続けます」
 「連日、4時間しか眠れません」「今夜、久しぶりに普通のごはんを食べました。ストレスで胃をこわして体力を失くしたのが夏バテの原因です」
 「小生の基本は、やはり半分は小説家のせいか、文字で読むものとして戯曲を書いています。文字で意味を、ルビで音を、が基本になっています」
 「戸倉 役者なんてものはね、真っ当に働いている世間様のお情けにすがって生きている屑、人間の屑だ。なんか悲しくて、そんなものに成り下がれるというんだよ。
  丸山 俳優は百姓になる、漁師になる、仕立て屋になる、キコリになる、大工になる、鉄道員にも商人にも軍人にも巡査にもなれる。
      俳優は、この世に生をうけたありとあらゆる人間を創り出すことができるんです。
      人間の屑にそんな神様のようなことができますか。人間の中でも宝石のような人たちが俳優になるんです。なぜなら、心が宝石のようにきれいで、ピカピカ輝いている者でないかぎり、すなおに人の心の中に入っていって、その人そのものになりきることができないからです」
 いやあ、いいセリフですね。こんなセリフを私も自分の本のなかに書いて生かしてみたいです・・・。
 「ある程度は観客に挑戦する。観客の期待への挑戦。期待の上を行く」
 「短いセリフ(台詞)には笑いを、長いモノローグには涙を」
 「コトバは世界を認識する枠組みです」
 「人間のドラマは、人間の内面に起きる、外面の表現ではない」
 「スパイは必ず二重スパイになる。そういう運命である。そしてスパイは、相手からもっとも信頼された瞬間に裏切る」
 「お二人を前に、頭の中でスシ詰めになって混乱していたアイデア群をしゃべっているうちに、芝居の全貌がくっきりと見えてきました」
 そうなんですよね。いくらかのアイデアがある時点で、それを理解しあえる人に話していくと、それが具体的に固まり、生き生きとして発展していくものなんですよね。最後に、井上ひさしの言葉を紹介します。
 「劇場は、人間が連帯しあうことだけを体験するところです。劇場は、人間がいったん死んで、つまり無になって、いっしょになって生まれ買われるところです。劇場に神様がいると明らかに思うときがあります。その神様は、突然いるというのではありません。俳優とお客が一緒になったとき、現れてる演劇の神様がいる。これはみんなでつくる神様です」
 いい本です。井上ひさしの汗と温かい体温を感じさせてくれる本でもあります。このところ疲れたなと感じているあなたにおすすめの一冊です。

                  (2015年10月刊。3400円+税)

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2016年3月25日

東芝・不正会計

社会

(霧山昴)
著者  今沢 真 、 出版  毎日新聞出版

 東芝といったら、経団連副会長の企業。いわば日本を代表する企業です。その東芝で最高トップ連中が醜い派閥抗争のあげく、違法な「利益」を操作していたというのです。許せません。そして、自らは手がうしろにまわるような犯罪行為をしているくせに、経団連は子どもたちに学校で道徳教育をもっとやるべきだと声高に叫びたてています。いったい誰を手本としろというのでしょうか。まさかアベ首相ではないでしょうね。「東芝の社長のような立派な人になれ」と子どもたちに言うのですか。とてもそんなこと言えませんよね・・・。
 不祥事を起こした大企業の株主総会のときには、役員はズボンの下に大人用のおむつをつけて壇上にあがる。今では、これが常識となっている。というのは、質問に答えるべき役員がトイレに行っていて答えられないというのでは困る。とくに議長をつとめる社長がトイレだといって退席したら、株主総会は中断してしまう。そして、中断した時に株主が帰ってしまって議決ができなくなったら大変なことになるからだ。
 うひゃあ、トイレ休憩もとれないのですか・・・。ちっとも知りませんでした。東芝なんて、自業自得ではあるのですが・・・。
 東芝では、トップ(社長)の指示のもとで、たった3日間で119億円もの利益操作が行われた。佐々木社長(当時。経団連副会長)は、4年間にパソコン部品の押し込み販売による利益水増し額が654億円に達した。
 ここから言えることが少なくとも二つあります。一つは、こんなインチキをしているといことは、まともに税金を支払っているはずもないということです。それなのに、アベ政権は法人税の減税を強引にすすめています。もう一つは、会計法人なんて無用の長物だということです。情けない存在です。
 東芝で利益水増しが組織的に行われていた背景には「上司に逆らえない企業風土」があると指摘されている。いやな企業社会ですね、これって・・・。
 結局、東芝は過去6年間に1500億円もの利益水増ししていた。そして、最終的には5500億円もの赤字をかかえる会社だと発表された。ここまでデタラメしても、東芝の元社長たちはのうのうとしています。刑事責任が厳しく追及されるべきではないでしょうか。
 私は、弁護人としてスーパーの万引き(常習)事件をよく担当します。わずか1000円とか2000円の被害で懲役1年というのが珍しくありません。それと対比させると、東芝の社長たちだったら、懲役20年とか30年が相当なのではないでしょうか。
そして、東芝はウェスチングハウスというアメリカの原発企業をかかえているのも問題です。日本政府が原発を海外へ輸出しようというのに東芝も乗っていますよね。これまたとんでもない無責任な行動です。日本国民を裏切るものです。
自分たちの金もうけのためなら、何でもやっていいという企業風土を根絶してほしいものです。

                              (2016年2月刊。1000円+税)
 

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2016年3月26日

夜中の電話

社会

(霧山昴)
著者  井上 麻矢 、 出版  集英社

 私のもっとも尊敬する現代作家である井上ひさしの貴重な言葉が記録されています。娘(三女)に対するものです。
自分の不幸さえも幸せに転化させる術、「書くこと」を見つけた父。中年期以降は本来が明るい性格だったのだろう。とても楽天家だった。
 癌とたたかっていた父は、なるべく大好きな鎌倉の家に戻りたいと思っていた。なるほど、竹林を見ていると、心が落ち着く。
 父は死ぬのが怖いので、人はいかに死んでいくのかを戯曲に書いてきた。病院嫌いだし、そうとう怖かったと想像できる。父は、よくも悪くも真面目な人だ。
 父は元気になったら書く演目を決めており、それをいつから書き始めると計画を立てていて、強い意思をもっていた。
 父は、生真面目なので、新しい家庭ができると決まった日から、娘たち3人とは一線を引いた。この事実も、娘たちには、大きなショックとしてのしかかった。
 父にとっての幸せは作品を書くことだった。父とは行楽に行くこともなかった。父は眠る時間さえなかったのだから、子どもとの会話など、あろうはずもない。父は、忙しくて書斎にこもってばかり。机に向かって書いている父には、誰ひとり声をかけられなかった。
 立食パーティに行ったら、食べ物を食べないこと。どんなにお腹が空いていてもダメ。私も、いくら高い会費を払っても、立食パーティでは食べないようにしています。それは、どれだけ食べたのか分からない食べ方はしないようにしているという、ダイエットの一環であると同時に、話すべき相手をつかまえて談論することを優先させていることによります。それがうまくいったときには手にした赤ワインが2杯、3杯となって酔いを感じてしまうのです。やはり、空きっ腹にワインは良くありません。
まじめなことをだらしなく、だらしないことをまっすぐに、まっすぐなことをひかえめに、ひかえめなことをわくわくと、わくわくすることをさりげなく、さりげないことをはっきりと書く。
 井上ひさしの偉大さは、こんなにも分かりやすく課題を提起していることにもあります。
言葉は、お金と同じだ。一度だしたら元に戻せない。だから、慎重に、よく考えて使うこと。
 絶対に成功するという強い心をもつことは、逃げ道をつくらないで進む覚悟にも通じる。
 後ろ向きな言葉を言うときには、一日、置いてみる。仕事でも恋愛でも家族でも、決定的なことは最後まで口から出さない。
言葉は、自分が身につけられるものの中で、もっとも重要なもの。仕事場に行くとき、気分が落ち込む原因は、その場所で自分の立ち位置がよく分かっていないからだ。
 井上ひさしが作品を書くために膨大な資料を調べたのは、想像力をかきたてる下準備だ。調べてはじめて想像することが容易になる。
 プロというのは、自分で決めたことは、どんなことがあっても実行してしまう、強い魂の持ち主を言う。
 交渉時は、まず相手にしゃべらせること。仕事では、まず相手の話を聞くこと。人間は、自分の意見を聞いてくれた人には、割と素直になれる。
突然「こまつ座」を率いる立場になった井上ひさしの三女の話です。井上ひさしも偉いですが、三女である著者もすごい、すごいと感じながら読了しました。
(2015年12月刊。1200円+税)

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2016年3月27日

マヤ文明を知る事典

アメリカ

(霧山昴)
著者  青山 和夫 、 出版  東京堂出版

  マヤ文明というとメキシコ半島でしょうか。でも、頭の中では、インカ文明と似たようなものでは・・・と、明滅します。しかし、この本を読むと、マヤ文明についての間違った認識があちこちで正されます。
マヤ文明は9世紀に崩壊したのではない。16世紀まで社会全体として発展していた。現在も800万人以上のマヤ人が、30ものマヤ諸語を話し、今も生きている文化を力強く創造し続けている。
マヤ文明は、前1000年ころから16世紀にスペイン人から侵略されるまで続いた。マヤ文明では、16世紀まで鉄器を用いずに、石器を主要な利器として使い続けた。
マヤ文明は、人類史上でもっとも洗練された、究極の「石器の都市文明」であった。
マヤ文明は、人類史上でゼロの概念を最初に発明した。
マヤ人は、手足両方の指で数をかぞえて20進法を使った。マヤ文明は、ゼロの概念を知っていた。
マヤ文明では金属器が実用化されず、鉄は一切使用されていなかった。マヤ文明は機械に頼らない「手作りの文明」だった。
大型の家畜がいなかったために、荷車や犂(すき)は発達しなかった。
マヤは、「ミルクの香りのしない」人力エネルギーの文明だった。家畜は七面鳥と犬だけでウシやウマなどの大型家畜はいなかった。牧畜もなく、リャマやアルパカのようなラクダ科動物もいなかった。
マヤの支配層は、王、貴族、戦士を華ね、美術家、工芸家でもあった。多様な農民とは一線を画した。
マヤ族ではなく、マヤ人と呼ぶべきだ。ただし、標準語の「マヤ語」なるものはない。マヤ民族という単一民族は過去にも現在も存在しない。
マヤ原産の花には、コスモス、ポインセチア、マリーゴールド、ダリアがある。うひゃあ、私の庭にも咲いている花たちです。
マヤ文明には、暦があった。マヤ文明は、太陽、月、金星その他の星を肉眼で驚異的に正確な天文観測を行った。
マヤ文明には文字体系があった。それはアルファベット原理とは異なり、漢字仮名まじりの日本語とよく似ている。そして、マヤ文字は支配層だけが使う宮廷言語であり、王族と貴族の男女の秘技だった。
マヤ文字の碑文には、天文学、暦や宗教そして個人の偉業や歴史も含まれている。
マヤ人は死後の世界を信じていた。
世界の「四大文明」というのは事実に反していると厳しく批判しています。南米のアンデス文明と中米のメソアメリカ文明をふくめて世界6大文明と言うべきだとしています。この本を読んで、そこに写真で紹介されている遺跡と発掘物の見事さを知ると、なるほどと思いました。
トビラ写真にある戦闘場面を描いた壁画のカラー写真をみると、たしかにここにはすごい文明があったと実感させられます。
(2015年11月刊。2800円+税)

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2016年3月28日

植物は「知性」をもっている

生物


(霧山昴)
著者  ステファノ・マンクーゾ、アレッサンドラ・ビオラ 、 出版  NHK出版

 結論からいうと、植物は「知性」をもっているということです。この本は、いろんな角度から、それを論証しています。日曜ガーデニング派の私は、まったく同感です。
植物は、どこから見ても知的な植物だ。根には無数の司令センターがあり、たえず前線を形成しながら進んでいく。根系全体が一種の集合的な脳であり、根は成長を続けながら、栄養摂取と生存に必要な情報を獲得する分散知能として、植物の個体を導いていく。
 動物は、植物が作り出した物質とエネルギーを利用する。植物は、太陽のエネルギーを自分の必要を満たすために利用する。つまり、動物は植物に依存しているが、植物は太陽に依存している。
 植物は地球上の生命に対して、あまねく作用している。動物にそんなことは出来ない。
 植物に脳はない。しかし、脳は本当に知性の唯一の「生産」の場なのか・・・。人間だって、脳だけでは知性が生まれてはいない。脳は単独では何もつくり出すことは出来ない。どんな知的な反応をするにも、体のほかの部分から届けられる情報が必要不可欠だ。
 植物は、口がないのに栄養を摂取し、肺がないのに呼吸している。植物は見て、味わって、聞いて、コミュニケーションをし、おまけに動いている。だったら、どうして植物が思考しないと決めつけられるのか・・・。
 「知性」とは、問題を解決する力なのだ。だったら、植物にあると言って、おかしいことではない。植物には神経がない。しかし、植物は体のある部分から別の部分に情報を送るため、三つのシステムを活用している。その一つは電気信号をつかうこと。電気信号は、細胞壁に開いた微小な穴を通って、一つの細胞から別の細胞への伝えられる。
 植物は、水や化学物質も信号として使っている。光は、人間の血管系とそっくり。ただし、体の中心部にポンプはない。さらに、化学物質(植物ホルモン)の信号も送られる。
植物は、自分でも「におい」をつくり出す。ローズマリー、バジル、レモンなど・・・。「におい」は植物の言葉だ。
 植物が害虫に食べられたとき、警報を発する。トマトがその一例だ。植物に「知性」があるというのは間違いありませんよね・・・。

         (2016年2月刊。1800円+税)

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2016年3月29日

病める社会、相談現場から

社会

(霧山昴)
著者  ふくみつ 洋一 、 出版  くらしの相談センター

 横須賀市内で、くらしの相談センターを営んできた著者のすさまじい活動が活字になっています。今の日本社会のかかえている問題点を生々しく紹介した貴重な記録です。
 私は、本書を読みながら、北九州市小倉北区で同じような活動をしていた西辰雄さんを思い出しました。西さんも、著者とまったく変わらず、いろんな生活相談を受けていました。大変な苦労を伴う活動だと思うのですが、いつもひょうひょうとした物腰で、疲れを見せませんでした。
 「不況で勤め先が倒産。ハローワークに通っても求人はない。50歳を過ぎると、足を棒にして探しても就職先は見つからない。いま3人家族で、妻のパート給料の6万円で暮らしている。お先、真っ暗。どうにもならない」
 「下町で事業をしていたが、共同経営者は蒸発。膨大な借金をひとり背負って倒産。59歳だが、妻は半年前に心筋梗塞で死んで、家賃も半年分滞納している。追い出されたホームレスになってしまう・・・」
 「小学生2人をかかえた40代のシングルマザー。求人広告を頼りに面接に出かけても、子どもかかえた40代の女性は雇ってもらえない。今月中に支払わないと、電気・ガスも止められてしまう」
 「生活保護を受けようと思って保護課に行くと、病気で働けないという医師の診断書がなければ、と断られた。週3日、パートで働いている。もっとたくさん働ける仕事を探してから来るように言われた。そう言われても働く場所なんて見つからない」
 1ヶ月に100人ほどの相談を受けたことがあった。新規相談だけでも50人。平均して月30件の新規相談。土曜も日曜も休みなく、平日だって夜7時からスタートすることがある。一人の相談時間は平均して2時間。DVについて、親子をまじえて5時間かけたこともある。午前10時から夜8時すぎまで、びっしり。昼食が3時ころになったこともある。
 不誠実な人、利用するだけしようという人には突き放すこともある。しかし、ほとんどの人は、悩み、苦しみ、すがる思いでやって来る。なので、どんなに疲れていても、疲れた顔を見せれられた信頼関係が成り立たない。どの人とも対等平等に話し合う。
 事務所を維持するのに月30万円はかかる。すべてカンパに頼る。 
 「眠れなくなった。食欲もない。パートの仕事は出来なくなった。自殺も失敗した・・・」
 「ケータイ料金を支払えずに止められた。ケータイがないと仕事も見つからない。ケータイを買うお金がない」
 「ネットで知り合った男性と同棲するようになった。事業資金が足りないというので、親戚のおばさんを騙して借金して貸してやった。男性は、お金をもち逃げした。男に騙されていたことが分った・・・」
 本当に深刻な相談のオンパレードです。それを20年以上も受け止めてきたのです。偉いですね。ゆっくりおやすみください。
 横須賀の根岸義道弁護士から押し売りされた本です。いい内容なので紹介したくなりました。
(2015年10月刊。1500円+税)
 わが家の庭はすっかり春満開となりました。色とりどりのチューリップがたくさん咲いています。朝、雨戸を開けるのが楽しみです。朝のうちは、三角おむすびのような形をしていて、昼には花が開いています。ハナズオウの木が小豆(アズキ)のような豆粒の花をたくさんつけ、アスパラガスが採れはじめました。春の香りを口中に感じる楽しみは、まさしく春を満喫していると実感します。
 団地のソメイヨシノも満開です。
 ビックリグミの木にとまってウグイスが澄んだ声で高らかにホケキョと鳴いているそばで、メジロが一心に花の蜜を吸っています。春は本当にいい季節です。花粉症さえ出なければ、、、。

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2016年3月30日

フランス人の新しい孤独

世界(フランス)

(霧山昴)
著者  マリー・フランス・イリゴエン 、 出版  縁風出版

 山田洋次監督の映画『家族はつらいよ』を見ました。天神の映画館は、ほぼ満員で、笑いが絶えませんでした。でも、テーマはシリアスです。だって、老後になって妻から「離婚したい」と告げられるのですから・・・。
 1999年、フランスの一人暮らしは720万人で、全世帯の30%。これは10年前より25%も増えている。5人に1人は、日常的に話す相手がいない。友人がいない、一番身近な人を失ったため、病気のため・・・。2004年には830万人、全人口の14%が一人住まいをしている。 フランスでは、出会いを求める5行広告と結婚相談が増加している。今日では、出会い系サイトが主流を占める。多くの出会いがウェブ上でなされているが、それは幻想を与えるための餌にすぎない。つまり、存在的孤独をごまかすための仮面にすぎない。
 離婚申出は女性からのものが増えていて、今や70%近くが女性によるものとなっている。保護される必要のない強い女性の前に、男性は動揺する。
 僕は何のためにあるのか・・・。女にとって、ベッドで男を求めるというのは、最悪の生活を覚悟しなくてはいけない。経済的な面で拘束されるばかりか、自由そのものがなくなってしまう。だったら、セックスなしのほうが、よほどまし・・・。
 今日、男であることは、そう簡単なことではない。男らしさという基準が変化したからだ。人類学者によれば、女性は妊娠し、子どもを産めるという特権を持っているのに対し、男性は女性のお腹を支配し、子どもを占有するために常に女性を従属させておく必要があるという。性的快楽と出産が別のものになることによって、女性の性的自立が可能になったのに対して、多くの男性は自分の男らしさに確信をもてなくなっている。多くの男性は、愛情と独占力を混同している。今日の女性は、もはや男性に従属したくはない。
 離婚は日常茶飯事になっている。そして、離婚は、前よりも早くやってくる。
 今では、ウェブは、巨大なセックスショップになっている。しかし、バーチャルは誰かと関係をもてる幻想を与えるけれど、実際には孤立化を深めるだけのこと。
人間にとって、セックスというものは大切なものです。でも、それを上回るものがあるというのも事実です。それは各人によって異なるものなのでしょう・・・。
 考えさせる分析の多い、フランス人の生活でした。

(2015年12月刊。2200円+税)

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2016年3月31日

安保法制の正体

社会

(霧山昴)
著者  西日本新聞安保取材班 、 出版  明石書店

 西日本新聞で連載していた安保法制の問題点が一冊の本になりました。
 「安保法に反対と言うけど、国民はすぐに忘れるよ」
アベ政権の側は、そう思って期待しているようです。それが現実にならないよう、新聞人として「知らせる義務」に汗をかき続けたい。その思いで走りまわった成果が、この本に結実しています。ですから、一人でも多くの人が本書を手にして、記者の労苦にこたえ、さらに励ます必要があると思いました。
アフガニスタンで今もがんばっている中村哲医師(ペシャワール会)は、こう言っています。
 「平和には戦争以上の力があり、平和には戦争以上の忍耐と努力が必要だ」
 ドイツはアフガニスタンへ国連の国際治安支援部隊(ISAF)として最大5000人を派兵した。それは、戦闘には直接かかわらない治安維持のはずだった。ところが現実には、何回となく戦闘に巻き込まれ、第二次世界大戦後はじめて本格的な地上戦を経験したドイツ兵となった。その結果、アフガンでのドイツ軍の殉職者は事故死や自殺をふくめて55人。戦死者も35人にのぼった。殺し殺される戦闘ストレスから帰還兵1600人がPTSD(トラウマ)を負った。
 ドイツ人の画家は、記者にこうこう語った。「日本が戦後、海外で一人も殺さず、殺されずにきたことを恥じる必要はありません。誇るべきなんです」 
 私も、本当にそう思います。平和な国・ニッポン。この平和ブランドを自民・公明の安倍政権が汚れた手で黒く塗りつぶそうとしています。とんでもありません・・・。
日本の自衛隊が、アメリカでアメリカ軍と一緒になって戦闘訓練をしている。カルフォルニアの砂漠地帯です。明らかに中東での戦闘を想定した訓練です。
そして、自衛隊は今度、アメリカ軍海兵隊のつかう水陸両用車「AAV7」を計52両、2015年度だけで30両も導入する。1両6億円。うひゃあ・・・。国立大学の授業は年間40万円とか、どんどん値上げして日本の若者を苦しめているのに、軍事予算のほうは気前よくアメリカの高価な兵器をどんどん買っているのです。
「AAV7」って、実は、日本では使い勝手がいかにもわるい。サンゴ礁や岩礁の多い島には向かない。水上では時速13キロなので、攻撃を受けやすい。船酔いがひどくて、上陸直後は戦えない。海でつかうたびにアメリカ本土へ持ち帰って分解整備が必要。
まるで役に立たないおもちゃ、みてくれだけのバカ高い代物ですね、これって・・・。
弾道ミサイルを迎撃して撃ち落とせるはずはありません。それは鉄砲のたまを鉄砲で撃ち落とすようなものなんです。できっこありません。それを、出来るかのように多くの国民をペテンにかけて導入したのが「PAC(パック)3」です。福岡県内に4隊あるというのですが、危険なおもちゃの類です。ところが、この役に立たないシステムになんと国は1兆円もかけています。つまるところ、軍需産業を喜ばせているだけです。そして、自衛隊高級幹部の天下り先の獲得には確実に役立っています。私たちの税金が、こんなにしてムダに使われているのかと思うと腹が立ちます。それより、もっと人を育てるほうに、福祉のほうに税金をつかってほしいものです。
 この本にも、中村哲医師の活躍ぶりが少しだけ紹介されています。砂漠と荒地に水を引いて、緑の農地に変えていくという苦難の取り組みです。なんで日本政府は、もっともっとこんな活動に力を入れないのか、援助しないのか不思議でなりません。中村哲医師のレポートを西日本新聞で読むたびに元気をもらう者として、この本にも紹介されていて、うれしく思いました。
日本が国際社会から求められているのは武力ではなく、この中村医師のような平和的貢献だと確信するのです。ぜひ、あなたも手にとってお読みください。


(2016年2月刊。1600円+税)

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