弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年3月17日

哲学な日々

人間

(霧山昴)
著者 野矢茂樹 、 出版  講談社

  著者は西日本新聞にエッセイを連載していたそうです。私は読んでいたかもしれませんが、記憶にありませんでした。東大に理系で入って、大学生として12年もいて、今では東大で哲学を教えているそうです。しかも、座禅まで教えているなんて・・・。東大駒場に、そんな場所があったなんて、信じられません。
  哲学は体育に似ている。実技なのだ。教師が問題を提示して学生が受けとめる。簡単に答えは見つからない。知識を伝えるというより、哲学を体験してほしいということ・・・。
不測の事態は必ず起きる。そんなとき、スピードと効率だけを考えて前のめりに行動していると視野が狭くなり、柔軟性を失う。だから哲学が必要となる。いったい、これは何なんだと自分のやっていることを問い直すのが哲学だ。
  座禅は、1分間に吐いて吸ってを3回以下の速さで、ゆっくりやる。吐く息とともに、今しょい込んでいる余計なものをすべて吐き出すような気持ちで静かに吐き出す。自分を空っぽにしていく。何も考えない。囚われない。こだわらない。呼吸だけに集中して、ただ空気が自分の体を通って巡っていく。そうすると、透明感と言えるような澄んだ感覚になる。
  うひゃあ、そ、そういうものなんですか、座禅って・・・。
  座禅中は、いっさいの価値判断を捨てなければいけない。
子どもを「ほめて育てる」という方針は根本的に間違っている。ほめられて育った子は、ほめられるためにがんばるようになる。そして、そこから抜け出せない。そうではなく、共に喜ぶこと。一緒に喜んで、子どもが感じている喜びを増幅する。そして、その子が自分の内側から感じる喜びを引き出してあげる。
  なるほど、この点はまったく同感です。
哲学というのは、他の学問分野と比べて、妄想力の比重が大きい。
考えるためには言葉がなければならない。言葉によってはじめて、思考が成立する。だが、言葉はまた、思考を停止させる力も持っている。思考を停止させる言葉に対抗するには、やはり言葉しかない。冷静で、明晰な言葉を、私たちは手放してはならない。
  さすがに哲学者の書いた本だけあって、普段なら考えないような点をいろいろ考えさせられました。

(2015年12月刊。1350円+税)

 わが家の近くの電柱にカササギが巣をつくっています。山に近いからだと思いますが、3個もあります。通勤途上にカササギが枝を口にくわえて運んでいるのを見かけます。それにしても巣づくりの初めは難しいと思います。うまく落ちないように枝を組み合わせていくのですよね。誰にも教えられずに本能だけで巣づくりをします。そして、少々の強風が吹いたくらいでは巣は壊れません。
 実は、わが家の庭にあるビックリグミの木にも高いところに巣をかけましたが、結局、使われませんでした。
 電柱の巣は九電が毎年撤去してしまうのです。カササギは、それにめげずに巣をつくって、子育てするのです。偉いですね・・・。

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