弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年11月 1日

天の星、地に花

江戸時代


著者  帚木 蓮生 、 出版  集英社

 久留米版では江戸時代に何回か目ざましい大一揆が起きています。
 享保13年(1728年)と宝暦4年(1754年)の2回です。
 1回目の享保13年のときは藩当局の年貢の引き上げが撤回され、家老は閉居を命じられ、奉行が切腹させられた。しかし、百姓のほうは一人に犠牲も出さなかった。
 ところが、宝暦4年のほうは、3万人もの百姓が立ち上がって要求を貫徹したものの、その後の藩当局の巻き返しによって、1回目の死罪は18人、そして2回目は19人が死罪となった。死罪となったなかに、1回目に大庄屋が一人と庄屋が3人、2回目にも庄屋が2人ふくまれていた。
 この本は、大庄屋の息子と生まれて病気(疱瘡)のあと医師となって村人の生命・健康をたすけた高松凌水を主人公としています。
 貴賤貧富にかかわらず、診察には丁寧、反復、婆心を尽くせ。医師たるもの、済世救苦を使命とせよ。
 弁護士生活40年の私にも反省を迫る言葉です。日頃、ともすれば、能率と効率に走りがちになるからです。
 一回目の享保の一揆をおさめた家老の稲次因幡が床の間に飾っていた掛け軸の言葉は
 天に星、地に花、人々に慈愛 
 だった。
 3万人が筑後川の河原に集結したという久留米藩大一揆については、いくつか紹介する本もありますが、専門的な文献は乏しいような気がします(あったら、ぜひ教えてください)。その中で、この本は、医師の目を通して、当時の農村部の生活を描きつつ、人生を生きる意義を問いかける本となっています。
600頁の本です。じっくり味わいながら読みとおし、胸の奥にほのかに明るさと暖かさを感じることが出来ました。この著者の本は、いつもいいですね・・・。
(2014年8月刊。1900円+税)

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2014年11月 2日

潜伏キリシタン

日本史(江戸)


著者  大橋 幸泰 、 出版  講談社選書メチエ

 宗教とは何か?
 「宗教とは、人間がその有限性に目覚めたときに活動を開始する、人間にとってもっとも基本的な営みである」(阿満利磨)
 江戸時代のキリシタンについて「隠れキリシタン」と呼ぶことが直ちに誤りだとは言えない。しかし、江戸時代はむしろ潜伏状態にあったとするのが実情にあっている。
 豊臣秀吉は、天正15年(1587年)6月18日に「覚」11ヶ条を、翌19日に「定」5ヶ条を発令してキリシタンを制限した。ただし、秀吉はキリシタンを制限しようとはしたが、明快に禁止までは踏み込まなかった。南蛮貿易の収益が宣教活動の資金源になっていた構造からして、キリシタンを禁止すれば南蛮貿易もあきらめるしかなかったからだ。
 徳川幕府になってから、慶長17年(1612年)に岡本大八事件が起きて、キリシタンがはっきり禁じられた。しかし、これで全国一律にキリシタン排除が進んだのではない。幕府は、具体的なキリシタン禁制の方法を示さなかった、というより、示さなかった。
 なぜなら、近世期キリシタンをあぶり出すための制度として有効に機能した寺請を一律に実施するための条件が、この17世紀前期では、まだ整っていなかったから。村社会の寺院の成立と百姓の家の自立という二つの条件が整うのは、7世紀中後期のことである。
 キリシタンについて、伴天連門徒と表記されていたのが、「切支丹」とされたのは1640年代から。それは、1637年(寛永14年)の島原天草一揆を契機としている。
 島原天草一揆は、近年は宗教戦争とみる方が有力である。
 一揆勢は、混成集団だった。キリシタンの神戚のもとに、混成集団としての一揆勢は、正当性を帯びた集団となって幕藩権力に抵抗した。一揆指導者は混成集団であること自体を否定し、最後までキリシタンとして命運を決することを表明した。
 近世人にとって、一揆とは、島原天草一揆のことをイメージした。
 寛政期(1800年ころ)は、潜伏キリシタン集団として存在するなかではないかと疑われる事件が起こり始める時期でもある。
 島原天草一揆の強烈な記憶によって、「切支丹」とは世俗秩序を乱す邪教であり、一揆とは、そのような邪悪な集団を引きおこす武力蜂起であるとするイメージが定着していた。
 このとき、幕府軍にも多数の犠牲者が出た。佐賀藩では、50年ごとに藩をあげての法要をしてきた。明治になってからも、250年忌法要が行われた(明治20年、1887年)。このとき、戦死者の子孫は藩主に拝謁を許されたあと、料理と酒をふるまわれた。
 こうして、「切支丹」は、常に島原天草一揆とセットでイメージされた。
 「切支丹」は、18世紀以降、そのイメージの貧困化にともない、怪しげなものを批判するときの呼称として使われるようになった。潜伏キリシタンも村請制のもとに組織された生活共同体としての村社会の一員だった。
 一村丸ごと信徒であったというのではなく、信徒と非信徒とが混在していた。彼らは信徒としてコンフラリアという信仰共同体の一員であるとともに、村請制のもとに運営される近世村落という生活共同体の一員でもあった。
潜伏キリシタンが特別に極貧であったとは言えない。村の機能の停止は、キリシタンはもちろん非キリシタンにとっても死活問題であったから、村社会という枠組みと維持するためにも、キリシタンは放っておかれたのが実際だろう。
村社会において、キリシタンが存在することは明白のことであったが、世俗秩序を維持するためにキリシタンの存在は許容されていた。
江戸時代の潜伏キリシタンは、実のところ、模範的な百姓として許容されていたから、明治まで生き延びることができた。
 それにしても、よく調べてあり、とても納得させられる本でした。明治時代の「カクレキリシタン」とあわせて、ご一読ください。日本人の心を知ることができます。
(2014年5月刊。1650円+税)

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2014年11月 3日

犬たちの明治維新

著者  仁科 邦男 、 出版  草思社

 犬にまつわる面白い話が満載の本です。犬好きの私にはたまらない内容になっています。
 私がいちばん驚いたのは、江戸時代まで、日本人は個人としての飼犬をもっていなかったということです。犬は村でたくさん飼われていましたが、それは村人が全体として飼っていた「村犬」(むらいぬ)、「里犬」(さといぬ)だったのです。ですから、犬には金銭的な交換価値はありませんでした。ただ、狆(ちん)だけは違います。この狆は、将軍家など、高級の家庭で大切に飼われていました。ただし、病気などに弱いため、献上品は、ほとんど洋行途上で死んでしまっています。
かつて日本の犬には値段がなかった。犬を飼うような人は、どこにもいなかった。「犬は無価値だ」と民族学者の柳田国男は述べている。これは、財産としての価値はないということ。村の犬はいても、個人的な飼主はいなかった。
町犬は、野良犬とは違う。町犬は、顔見知りの町人から餌をもらい、不審者が来れば吠え、共同体の一員として、暗黙のうちにその存在は認められていた。
 徳川綱吉の「生類憐みの令」によって犬小屋がつくられ、犬を収容していた。犬小屋に収容されたのは野良犬ではなく、人に慣れた町犬だった。
明治に入って「畜犬規則」によって、飼い主の住所、氏名を書いた名札を付けない時には、すべて野犬として撲殺することになった。明治時代は、洋犬至上主義の時代だった。
 「犬も歩けば棒に当たる」
 今や、犬も歩いたら偶然にもいいことがあるという意味で使う人が増えている。しかし、本当の意味は、「犬も出歩けば、棒で殴られる。無駄なことをしいないで、じっとしているほうがいい」というストーリーだ。犬が棒で殴られない時代になると、ことわざの意味も分からなくなってくる。
 江戸時代の里犬たちには、集団としてのテリトリーがあった。
 江戸の町には、犬がはびこっている。みじめで汚らしい野良犬ではない。長崎・出島にあったオランダ商館員だったフィセルは、次のように日本の犬猫事情を書いた。
 犬と猫は日本に非常に多い。犬は街犬(まちいぬ)と呼ばれている。実際には、誰も飼い主はいない。村犬や街犬の最大の仕事は吠えること。もう一つの大きな仕事は、子どもと遊ぶこと。
 横浜の外国人は、護身用、愛玩用として犬を購入した。
 西郷隆盛は、西南の役を起こしたころ、自分たちの行動について日本政府と戦争しているとは考えていなかった。薩軍が出兵したのは、「戦争」のためではなく、あくまで西郷暗殺計画についての「政府への尋問」のためだった。西郷は精鋭の薩摩武士とともに大道を行けば、各地の士族は呼応して大群となり、天下は自然と我にたなびいてくると考えた。つまり、西郷の認識はあまりにも甘かったということです。だから、西郷は猟犬を連れて山の中で狩りを楽しんでいたのでした。そこには切迫感などありません。
 明治9年の犬の名前は、トラ、クマ、ムクが多かった。そして、ポチという名前の犬がいた。
 明治9年に文部省のつくった国語の許可書にポチが登場する。なぜポチなのか・・・。
 著者は、その由来をあげ、ふち→パッチ→ポチと定着していったと考えている。
 洋犬を、明治初めの日本人が「カメ」と呼んでいたのは、「カムヒア」と聞いたからだろうとしています。とても面白くて、ひきずり込まれました。
(2014年7月刊。1600円+税)

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2014年11月 4日

あの男の正体(ハラワタ)

司法


著者  牛島 信 、 出版  日経BP社

 著者は私と同じく団塊世代です。検察官から弁護士になり、今では企業法務の第一人者として活躍中です。
 これまでにも、たくさんの小説を書いています。「株主総会」「株主代表訴訟」「社外取締役」などです。私も、そのいくつかを読み、このブログでも紹介していますが、いつもストーリー展開の見事さと相まって大変勉強になっています。さすがはM&Aやコーポレート・ガバナンスで定評のあるベテラン弁護士だと感嘆してきました。
 この本は、これまでの本とは、いささか趣向を変えています。
 主人公は、私なのか。あの男なのか。よく分からないようにして、話が始まります。
 従業員2000人、売上高2000億円、40億円の利益を上げている会社の社長の椅子が問題となります。
 弁護士をしていると、いろんなことに出くわすものだ。なんといっても、腹の立つことが圧倒的に多い。ありていに言えば、他人が困るから、弁護士が飯(メシ)のタネにありつくということでもあるのだ。
 弁護士という職業への人々の信頼を思い、弁護士という制度が社会で果たしている役割の重さを思った。もう30年以上、弁護士をやってはいても、人の、ビジネスの、重大な秘密を打ち明けられるときに、いつも感じないではいられない感慨だ。
 海外から、知り合いを通じて紹介があっただけのVIPが、初めて会ったばかりなのに、会議室に座るや、「実は」と、驚天動地のような秘密を切り出す。それを微笑みながら聞き、淡々と助言を繰り出して議論する。
 身の破綻を招くほどの秘密を打ち明けての依頼であれば、いつものことながら、なんとか依頼者の信頼にこたえたいという情熱が、ふつふつと我が胸のうちに湧きあがってくる。
 30年もすれば、人生と仕事とは切り離すことは出来ない。それどころか、職業生活が人生そのものである人も多い。そうなんですよね。私も弁護士生活が40年となり、私の人生そのものです。
 「あなたが自分からやめないなら、取締役会をすぐに招集する。あなたを副社長から外して非常勤にすることを決議する。必要があれば、社長はいつでも取締役会を開ける。開催する必要があるかどうかは、社長が決める。取締役会では、過半数でものごとが決まる」
 「副社長でなくなるだけではない。非常勤になった取締役の報酬も、社長に一任される。退職金も社長一任となる。次の株主総会では、取締役候補のリストにも載らないだろう」
 「もちろん、あなたには裁判を起こす自由がある。憲法に書いてある。だけど、裁判はすぐに結論が出るわけではない。それまで、カスミでも食べるのかな・・・。あなたの社会的な立場は、あなたの家族はどうなる・・・」
 このように、行き詰まった展開もあり、途中もダレることなくストーリーは展開していきます。
社長が現役のまま死んだ場合には、香典の金額も多い。社葬であっても、香典はすべて喪主にわたる。全部で、何千万円、いや億をこえることもある。会社の費用で葬儀しても、香典をもらった遺族には税金はかからない。
知りませんでした。といっても、私には無縁のビッグ・ビジネスの世界の話ではあります。
 ビジネスの世界を小説にするにも、男と女の話は欠かすことが出来ないことを想起させる企業でもありました。私も、目下、久しぶりに本格的な小説に挑戦中です。テーマは、40年前の司法修習所における苦闘の日々です。
(2014年9月刊。1700円+税)

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2014年11月 5日

軍服を着た救済者たち

ドイツ


著者  ヴォルフラム・ヴェッテ 、 出版  白水社

 「ドイツ国防軍とユダヤ人救出工作」というサブタイトルのついた本です。
 ユダヤ人の絶滅を図ったナチス・ドイツですが、ドイツ国防軍とは一定の緊張関係があったようです。その典型が、ヒトラー暗殺を計画して未遂に終わった7月20日事件(ワルキューレ作戦)でした。
 この本に登場してくるドイツ国防軍の兵士は、そんなトップ将官ではなく、一般兵士たちのなかで、ユダヤ人救出を図った人たちがいることを掘り起こしています。
 順応した人たち、臆病から、あるいは喜んで勇んで「共犯者」となった人がいた一方、いずれかの時点で、不安や恐怖にうちかつ勇気、積極的な抵抗姿勢をとる勇気を示した人たちがいた。
 アントーン・シュミット軍曹は、リトリアのヴェルナで敗走兵集合所の主任だった。そして、ユダヤ人抵抗組織と接触をもち、武器と数十名の抵抗運動の兵士を他のゲットーに送り込んだ。
 アントーン・シュミットは1942年1月に逮捕され、軍事法廷で死刑が宣告された。このとき、シュミットは、自分はユダヤ人を死から救助するために移送したと確信をもって陳述した。そして、1942年4月13日、銃殺された。
 刑場に向かう直前に書いた妻と娘への遺書には、次のように書かれている。
 「愛する妻たちよ、気を落とさないでくれ。私はそれと折りあいをつけたし、運命もそう望んだのだ。われらが愛する神によって天上から決定されたのだ、そのことは変更のしようがない。今日、私の心は平静で、自分自身がそれを信じられないくらいだ。
 ここでは絶えず、2~3000人のユダヤ人が銃殺された。
 敗走兵集合所には140人のユダヤ人が働いていて、彼らは、私にここから連れて逃げてほしいと要請した。そして、私は説得に負けた。どうか、どうか私を許してほしい。私は人間として行動したまでで、実際、誰にも苦痛を与えたくはなかったのだ」
 映画「戦場のピアニスト」で有名になったシュピルマンを救ったヴィルム・ホーゼンフェルト大尉の場合は、同僚が「ドイツ人であることを恥ずかしく思う」と語る状況にいた。そして、言う。
 「なぜ、人々は沈黙して抗議しないのだろうか。われわれは、皆、臆病で怠情であり、あまりにも不実で堕落している。そのため、われわれも全員、奈落に落ちなければならない」
 1942年、20歳のラインホルト・ロフィ少佐は、上官からユダヤ人の老人を銃殺せよという命令を受けたとき、これを拒絶し、「自分はキリスト教徒であり、それは出来ない」と答えた。
 ヴィリ・シュルツ大尉は、1943年3月、ドイツ国防軍の貨物自動車に25人の若いユダヤ人(13人の女性と12人の男性)を乗せて逃亡することに成功した。
 ナチス・ドイツの体制のなかで上官の命令は絶対的で、それに抵抗することは不可能だったという定説を打ち破る本でもあります。でも、それは口で言うほど簡単なことではありませんよね。文字どおり、命がけの行為なのですから・・・。
(2014年6月刊。2400円+税)

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2014年11月 6日

登校拒否を生きる

社会


著者  高垣 忠一郎 、 出版  新日本出版社

 現代日本社会のありようを改めて考えさせる本です。
 いま周囲を見まわしてみると、世の中、なんだかギスギスとして、みんながやたら早足に、せっかちに歩いているように見えて落ち着かない。本当に、そのとおりですよね。
多くの子どもが親の前で「元気で明るい子」を演じている。一生けん命に自分の感情を操作し、コントロールして、親向け、教師向け、あるいは友だち向けの「自分」を演じている。
 悪夢でうなされている子どもを、揺り動かして悪夢から目覚めさせてやる。これが本当の援助だ。
 登校拒否している子どもは、登校拒否という形で、自分と社会や時代とのかかわりを表現しながら、自分の人生と向きあっている。
 「よい子」でないと見捨てられるという不安をかかえて育った子どもや若者は、「自由」に生きられない。不安と恐怖に強いられて、「ねばらない」で行動するため、自分のやったことが失敗し、自分に不都合なことが起こると、一生けん命「よい子」をやってきたのに、裏切られたと思ってしまう。この裏切られた怒りを裏切った親や社会にぶつけるようになる。
 「よい子」でがんばっている人は、「よい子」でない「あるがままの自分」を受け入れることが出来ない。「よい子」でない自分を演じている自己欺瞞をどこかで感じ、深層では、そんな自分が好きになれないでいる。
子どもを「まるごと受け容れる」とは、子どものすべてを肯定的に評価するということではない。弱点やダメなところをたくさん抱えながら生きている、その子の存在をまるごと承認し、肯定するということ。
 カウンセラーは、答えを教えるのが仕事ではない。その人が問題とまともに向きあって、自分なりの答えを見つけ出すのを手伝うのがカウンセラーの仕事だ。そうして本人が見つけ出した答えだけが、その人を変える。
 人間は、まずこの世に存在する。そのあとで自分の本質を創り上げていく存在である。一刻一刻の自分の行為によって、自分で選択する自由な「投企」によって、自分というものを証明し、創り上げていく存在なのである。うむむ、そういうことなんですか・・・。
 個性というものは、「あるがまま」の自分に素直な人にしか訪れない。
 思春期は、第二の誕生のとき。そこにあるのは、「私は誰か?」という問いかけである。
 今日の進学競争は、敗者復活戦のない「勝ち抜き競争」「生き残り競争」の観を呈している。そこでの失敗には、後(あと)がない。進学競争に負ければ自分の人生はないと思い込めば、そこでの失敗は取り返しのつかないものとなり、取り返しのつかない後悔につながる。
そのことにどこかで違和感を感じる自己がたしかに存在していた。その違和感が蓄積し、飽和状態に達したとき、そんな学校生活への拒否症状が生まれ、登校拒否に陥る。
親は学校社会から脱落した孤立感や疎外感を感じ、自分を「ダメな親」にしてしまった「ダメな子」を受け容れることができない。そして、親に受け容れられない子どもは、自分を否定し、自分を責め続けて、「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感もふくらまず、なかなか元気になれない。
競争社会は、眼に見えないコストがかかる。共同性や社会性の喪失。利己主義の蔓延。その結果として生じる、不安、敵意、嫉妬、強迫観念などのもたらすマイナスの想念、メンタルヘルスの低下・・・。
 勝利することによるワクワクする高揚感、勝利感は長続きしない。勝利感、高揚感に支えられた自己愛的な誇りは、競争に勝ち続けることによってしか維持できない。競争に勝ち続けることは不可能で、いつか敗北が訪れる。栄光のときを過ぎた自分、花の盛りを過ぎた自分は、みじめなもの。他人をうち負かしても、自尊心、自己肯定感を高めることには役立たない。もっと他人をうち負かし続けなければならないという強迫感を強めるだけ。
 「勝ち組」思考の人は、自分が現実をありのままに認められず、否定しているのではないかと自分を疑ってみることが必要なのでは・・・。
さすがに長年、心理臨床家を続けてきた人の話は説得力があります。私は、この本の光ったところに赤エンピツをたくさん引いて、本が真っ赤になってしまいました。子どもの教育に関心のある人には、強く一読をおすすめします。
(2014年8月刊。1600円+税)

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2014年11月 7日

アベノミクスの終焉

社会


著者  服部 茂幸 、 出版  岩波新書

 日本全国、どこへ行っても駅前の商店街はシャッターのおりた店が目立ちます。私が最近行った函館、福井、鹿児島、みんなそうです。タクシーに乗るたびに、「最近、景気はどうですか?」と訊くのですが、どこでも一様に、「いやあ、悪いです。最悪です」という答えばかりが返ってきます。先日行った鹿児島では、「涙も出ないほど、ひどい不景気ですよ」という嘆き節を聞かされました。
 ですから、私はアベノミクスとやらを今なお持ち上げる経済学者やジャーナリストがいるのが信じられません。
アベノミクスの三本の矢というものは、その相互の整合性もよく分からない。
 円安にもかかわらず輸出が伸びず、円安に加えて経済成長率が低迷しているのに、輸入が急増している。深刻な状況にある。
 アベノミクスの第二のつまずきは、輸出拡大による経済復活に失敗したこと。輸入の拡大が貿易収支、経常収支を悪化させ、日本の経済回復を妨げている。
 勤労者家計の所得は、1年間で5%ほど実質で減少した。
 消費増税は物価を上昇させる、それが日本経済を復活させるとは、誰も思わない。消費増税は家計の可処分所得を縮小させる。
 ギリシアと異なり、日本の国債は圧倒的大部分が、国内の金融機関によって保有されている。
 日本では長期的な停滞の結果、大企業は借金をするのではなく、内部留保を蓄えはじめた。中堅・中小企業は依然として銀行からの借り入れに頼っているが、彼らへの貸し出しはリスクが高い。だから金融機関にとって、国債は重要な資金の運用先なのである。
 日本は、世界最大の債権国である。日本の金利は、ほとんどゼロなので、世界経済が好調なときには、日本から外国への資金の投資や貸出が増加し、円安となる。逆に世界経済が悪化したときには、この資金が回収され、円高となる。回収された資金は、日本にとってもっとも安全な証券である日本国債に投資される。こうして、世界経済が悪化したときに円高となり、国債金利は下がる。
 アメリカは、国債の半分を外国人(そのうち4割が日本と中国)が保有し、世界最大の経常収支赤字国、債務国であるなど、ギリシアにきわめて似通っている。ところが、アメリカは事実上の基軸通貨国である。
 小泉構造改革の中心(目玉)は郵政民営化だった。そのモデルはニュージーランドの郵政民営化。しかし、小泉政権が郵政民営化を進めていたとき、ニュージーランドの郵政民営化は成功とは言えないので、見直しが進められていた。ちっとも知りませんでした。
社会の格差が大きな国では、精神病や麻薬が広がる。国民のなかに肥満者が増え、不健康になり、平均寿命は縮まる。
 人々のあいだの協力関係がなくなり、「社会的資本」が破壊され、教育レベルは低下し、10大の少女の妊娠が増加する。犯罪も増え、社会は荒廃する。格差の大きな社会では、底辺層は社会的な承認を得ることができない。上層は経済的には恵まれていても、ストレスが大きい。格差の大きな国に住むことは、底辺層にとって不幸であるだけでなく、上層にとっても不幸なのである。
 日本企業に成果主義が導入され、大失敗したのが富士通とソニーだというのは、今や定説になっている。アメリカ式の成果主義は、正しい成果主義とは言えない。
 日本の成果主義は、賃金引き下げの手段としての要素が強かった。
 アベノミクスから1年以上たっているが、トリクルダウンは生じていない。これからも生じることは期待できない。
失敗が繰り返されるのは、失敗した人々が失敗を隠蔽し、記憶を忘却させるからだ。過去を学ぶことは、我々の未来をつくることなのである。
 アベノミクスの失敗をきちんと認め、労働者の実質賃金を引き上げ、日本国内の内需を高めることこそ、今、緊急に求められていると思います。大企業の内部留保をほんの少しだけ吐き出させればよいのです。消費税10%なんて、本当にとんでもないことです。
(2014年9月刊。740円+税)

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2014年11月 8日

クルクス対戦車戦

ロシア


著者  山崎 雅弘 、 出版  光人社NF文庫

 ナチス・ドイツとソ連が太平洋が激突したことで、有名なクルクス対戦車戦を再評価した本です。
 本のオビを紹介します。
 「ドイツ軍2800輌、68万5000人。ソ連軍3000輌、125万8000人。空前絶後の兵力の相まみえた大会戦の全貌をソ連崩壊後に明らかになった史料をもとに描く決定版。独ソ最大の地上戦」
 1943年7月のクルクスの戦いは、史上最大の戦車戦と称される。
 1943年2月、スターリングラードの戦いが終わり、ドイツ軍が降伏した。スターリングラードでの大敗北のあと、ヒトラーは資源の確保、そしてイタリアやルーマニア・ハンガリーなどの同盟国をいかにしてつなぎとめるかという政治問題に心を奪われていた。スターリングラードの勝利のあと、西方への攻勢を強めようとしたソ連に対して、ナチス・ドイツのマンシュタインの大反撃が功を奏した。ソ連軍は、補給体制を整備しないままに攻勢を継続していた弱点をつかれてしまった。
ドイツ軍のもつティーガー戦車は1942年秋から生産開始となった頑強な重戦車である。旋回砲塔に搭載する8.8センチ砲と分厚い装甲は、ソ連軍のT34戦車や対戦車砲では太刀打ちできなかった。ソ連側の強味は、敵(ドイツ側)の攻勢計画に関する詳細な情報と、それにもとづく兵力の集中だった。そして、別働隊のパルチザンが活躍した。
 ソ連空軍機は、ドイツ側のレーダー装置によって探知され、その多くが撃墜された。その結果、ドイツ空軍が制空権を握り、多くのソ連軍T34戦車が空からの攻撃によって撃破されてしまった。
 1943年5月から8月にかけてのクルクス決戦において、敵に先手をとらせたりソ連側が戦略的に勝利した。しかし、ソ連側は途方もない損害を蒙った。戦死者が7万人、負傷者が11万人の18万人。これはドイツ軍の3倍。投入兵力の14%に及ぶ。
 ソ連軍がクルクス会戦で喪失した戦車は1614輌。それでも、ソ連軍の軍事組織としての土台は揺らぐことなく、すぐに体勢を立て直して新たな攻勢に取りかかった。
一般に、ドイツ軍はクルクス会戦で回復不能なほどの大損害を蒙り、それが第二次世界大戦におけるドイツの敗北を決定づける要因になったとされている。しかし、それは正しくない。クルクス会戦におけるドイツ軍の戦死者は1万人(投入兵力の2%)、負傷者は5万人(同7%)。損害合計は6万人ほど。ドイツ軍は、「戦略的大戦を喫した」というほどのことではない。ドイツ軍の戦争遂行能力を根底から揺るがすほどの決定的なダメージをドイツ軍の組織にもたらしたわけではなかった。
 東部戦線のドイツ軍装甲部隊は、クルクス会戦によって部分的に「非稼働状態」にはなったが、「全損」させられたわけではない。ドイツ軍の戦車は、ソ連軍の砲弾よりも、むしろ連日にわたる苛酷な対戦車戦闘の繰り返しで消耗し、戦闘力を減衰させられた。
 戦略的情勢がドイツ軍の退潮へと転じるなかでも、ドイツ軍装甲部隊は、攻撃的な「電撃戦」に代わる「機動防御」を展開し、ベルリン陥落までの2年間にわたって、ソ連軍に多大の出血を強いることができた。
そうだったんですね・・・。クルクス会戦でナチス・ドイツ軍は再起不能の状態に陥ったのかと思っていました。
 この本を読むと、ソ連軍が大変な人的・物的損害を蒙りながらも、必死に歯をくいしばって耐えてドイツ軍に頑強に抵抗していた状況がよく分かります。
 ここでは、他の場面で頻出するスターリンの戦略指導の誤りはなかったようです。本当でしょうか・・・。クルクス会戦、戦車戦に関心をもつ人には必読だと思いました。
(2014年8月刊。900円+税)

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2014年11月 9日

虹の岬の喫茶店

人間


著者  森沢 明夫 、 出版  幻冬舎文庫

 不思議なストーリー展開の本です。でも、それでいいのです。多少あいまいで、ええっ、どうしてそうなるのと不思議感があるくらいが、ちょうどいいのです。何事も論理的にきちんとしすぎると、ギスギスしてきます。心にゆとりをもたせるためには、いくらかのミステリーがあったほうが前向き思考になじむのです。
 映画「ふしぎな岬の物語」も早速みました。この本を読んでいましたから、本にあって映画にないもの、映画にあって本にないものが分かりました。両者あいまって、映画を見終わったとき、ほんわかした気持ちになって帰路につきました。いい映画をみた後は、いつも、ありがとうございましたと心の中で叫んでしまいます。
 この本、そして映画は、吉永小百合のために書かれ、つくられたようなものです。彼女も年齢(とし)をとりました。でも、本当に美しいです。反核・平和のために今も大きな声をあげているのも偉いものです。ギラギラしたところがなく、ちょっととぼけた味わいすら出しているところが、たまらなくいいのですよね。
 吉永小百合の、私にとっての秘密は、週に何日もプールで泳いでいるというのに、顔にゴーグルの跡が見あたらないことです。私なんか、週に1回しか泳いでいませんが、目のまわりには、はっきりしたくぼみがあります。
 ゴーグルの違いなのでしょうか・・・。誰か、その秘密を知っていたら、教えてください。
岬の先にある古ぼけた喫茶店が舞台です。実際に、房総半島に、こんな喫茶店があるそうです。誰か、ブログで紹介してくださいな。でも、常連以外の客はなさそうですから、きっと採算はとれないでしょうね。それでは長続きしないのではないかと心配になります。
 毎朝、湧き水を汲みに行って、コーヒーを湧かします。そして、「おいしくな-れ、おいしくなーれ」と呪文をとなえるのです。
 ブラックのコーヒーって、私はあまり好みではありませんが、本当においしそうです。そんな青息吐息の喫茶店に、食いつめた刃物職人が夜中に泥棒に入ります。女主人は、「泥棒さんも大変ね」と声をかけ、心を通わせるのです。
 私も、弁護士として、同じような思いを何度もしました。食いつめたあげく、無人の倉庫に泥棒に入ったところ、たまたまやって来たパトカーにライトを浴びせられ、逃げようとしたけれど、何日も食べていなかった空腹のため、何歩も走れないで倒れてしまったというケースを担当しました。私と同世代の人たちが食うに困って「犯罪」には知る姿をみると、本当に身につまされます。
 安倍首相の進めている弱者切り捨て政策は本当に許せません。たまには、ほんわり、じんわり感を味わいたい人には、強くおすすめの本であり、映画です。
(2014年6月刊。648円+税)

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2014年11月10日

動物が教えてくれた人生で大切なこと

生き物


著者  小菅 正夫 、 出版  河出書房新社

 旭山動物園の前園長による本です。私と同世代の著者は、獣医師として旭山動物園に就職し、今では日本有数の動物園となった旭山動物園の中興の祖となりました。
 オオカミはペアリングがうまくいくと、一生を添いとげ、決して別れることがない。ただし、夫婦となる衝動がない限り、妥協してペアリングになることはない。そして、それは出会った瞬間に「縁」を感じとることがあるようだ。
 これって、人間に似てもいますし、まったく似てもいないといえますね。一目ぼれは、人間にもありますが、人間社会では「不倫」、離婚はあたりまえですからね・・・。
仲の良いオシドリ夫婦とよく言われますが、実は、オシドリは一夫一妻制どころか、乱婚制なのである。
野生のチンパンジーの雄同士は、グルーミングによって協力関係を維持している。
ゴリラは、近親交配を避けるため、幼いころから一緒に育ったオスとメスはお互いを避けあう習性を持っている。
カバ同士は、口を大きく開けたほうが勝ち。
「カバさんの歯磨きイベント」で、カバが大きく口を開けるのは、目の前になんか大きなものがあると、とりあえず自分の口を大きく開けて、「自分のほうが大きい」と自己主張しているということ。そのとき、開いた口に歯ブラシをあててこすっているだけ。
サルのメスは、α(アルファ)オスと儀礼的な交尾はするが、妊娠の可能性を自覚すると、自分の好みのオスと交尾してそのオスの遺伝子をもった子を妊娠している。うひゃあ、ですね。
チンパンジーは、人の心の動きを読みとって行動する。あるとき、著者が仲間と夕食を一緒にとる約束をしたら、チンパンジーの一頭が著者の言うことを聞かなくなった。からかったのです。
 動物は、相手の顔つき、声、におい、殺気などを総合して、相手の心を読むことができる。
 チンパンジーは、人間に育てられると、チンパンジーには育たない。チンパンジーは交尾するのにも学習が必要。群れのなかで育たないと交尾は出来ない。
 戦前の日本にあった動物園は全国にわずか16。それが、戦後、もっと多いときに98園あり、今では87園になっている。今、ゾウのいない動物園が増えている。そうなんです。私のすむ町にある動物園でも、先日、ゾウが死んだあと、結局、よそから入れることは出来ませんでした。
 これは、動物園の怠慢が原因だと著者が激しく批判します。つまり、オスとメスをペアにして飼わなかった、その努力をせずに一頭のみ飼う動物園が多かったということです。そうなんですね・・・。今や、ゾウは絶滅危惧種なのである。
 さすがに動物の生態を詳しく、よくつかんで紹介している本です。
(2014年8月刊。1400円+税)

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2014年11月11日

歴史を繰り返すな

社会


著者  坂野 潤治・山口 二郎 、 出版  岩波書店

 2014年は、戦後の終わり、あるいは新たな戦前の始まりという転機になるかもしれない。
 安倍首相による、あまりに没理論的な集団的自衛権行使容認の閣議決定を目の当たりにして、そのような思いが頭をよぎる。もちろん、ここで戦後を終わらせてはならない。
 そのためには、1930年代以降の日本の歴史と、戦後の歩みを理解することが出発点となる。歴史を繰り返さないという決意を固めることが必要である。
 いま、最も大切なのは、日中友好。問題は、中国の反日感情が歴史的に深い根を持っていることを、多くの日本人が分かっていないことにある。
 山県有朋のような権力の中心は、中国の強さを意識してきた。しかし、一般の日本人は、1905年以来、一貫して中国を蔑視してきた。その前は、大国として中国を恐れ敬っていたのですよね。ところが、戦後は、ずっと下に見てきた中国が、今や目の前で巨大な存在になっている。
日本の政治家が、一般国民と同じ目線で中国問題を考えると、対応不能になってくる。
安倍首相は戦争ごっこをやってみたいのだろう。何か戦争ゲームというか、テレビゲームでもやっているつもりで考えている。
迷彩服を着て、腕で小銃を構えて、泥沼をはいずり回ってという経験をもっている国民と、もっていない国民とでは、戦いにはならない。
 今の安倍政権は、近代的な立憲主義を一切無視し、論理がなく、矛盾だらけだ。本当に平和を守りたいのなら、九条を守るだけでなく、近隣諸国と仲良くしなくてはダメ。
日本はアジアの国々に攻めこんでいって、たくさんの人々を殺し、最後には負けてしまった。この現実を見ないまま、戦後体制をつくってきたことのツケが非常に大きくなっている。
 日本人はアメリカと戦争したとは思っているけれど、その前にずっと中国と戦っていたことを忘れてしまっている。
 19年戦争論というけれど、多くの日本人の中には1941年12月から4年戦争論でしかない。
 1941年12月より前の日中戦争期の「失敗の研究」がない。
 日本は、平和国家という日本のアイデンティティを自ら捨てるべきではない。
 戦前の軍事ファッショに、日本の貧困層が期待を託してしまった。
 今の日本では、国民はむしろ平和志向を強めている。
 政策よりも政治の安定性を優先するという志向がある。現状をあまり変えたくないという安定志向が安倍政権を支えている。
 知性を軽んじることは、歴史を軽んじることと表裏一体。未来を考えられない社会では過去にも関心がない。
 大学時代に世の中について問題意識を持っていた人たちも、会社に入って30年もすると、そんな問題意識はすっかり摩滅してしまって、ひたすら成長戦略みたいなことばかり論じるようになってしまっている。政治を変えて、社会の矛盾に立ち向かうという姿勢を維持している人がほんとうに少なくなった。
 もちろん、これではいけませんよね。社会の矛盾を直視して、変えるべきところは大胆に変える。そのため、少しずつでも行動すること。これが自分のためでもあり、世のため、人のためでもある。
 そんな初心を思い起こしてくれる本でもありました。
 この状況でモノをいわないのなら、学者、知識人が世の中に存在している理由はない。
 本当にそう思います。まったく同感です。
(2014年8月刊。1500円+税)
私と同世代の作家である赤川次郎が岩波書店の広報誌『図書』11月号に次のように書いています。まったく同感ですので、ご紹介します。
 「戦後生れの私にも、「戦争中ジャーナリズムはこんな空気だったのかな」と思わせる、この何k月かの「朝日叩き」の異常さである。
 「慰安婦」をめぐる報道の一部に間違いがあったといっても、国連が発言しているように、事の本質巣は少しも変わらない。もともと「強制」という点を世界は問題にしていないのであって、「慰安婦」の存在そのものが人道的な罪なのだ。「朝日叩き」で、慰安婦の存在自体を否定しようとするのは、国際社会と日本の人権感覚のずれの大きさを浮き彫りにするばかりである。
 「日本の信用を傷つけた」というなら、「フクシマ」の原発事故こそ、今も収束の見通しさえ立たず、汚染水の流出を止められずにいる。それでいて、「原発はコントロールされている」と国際舞台で発言し、「欠陥商品」と承知で海外に原発を売り込む安倍政権こそ日本の信用を傷つけている。
 今も数日に一度はどこかで地震のある日本。そこに「原子力の平和利用」と世論を誘導し。原発建設を推進したのは、正力松太郎氏ひきいる「読売グループ」である。「フクシマ」の後、読売新聞は全世界に向けて謝罪すべきだった。
 「朝日叩き」に熱中する「読売」「産経」、そして「週刊文春」「週刊新潮」はジャーナリズムの第一の役割が「権力の監視」であることなど全く忘れてしまっているようだ。社内に「これでいいのか」と疑問を持っている記者は一人もいないのだろうか?
 文春、新潮という、私も長年付き合って来た文芸出版社が、この騒ぎの中に加わっていることは悲しい。確かに、どちらももともと保守的な性格の出版社だが、かつては知性と良識を具えた保守だった。「売国奴」だの「非国民」だのと言う汚い言葉を平然と使うのは、民主国家の出版社として恥ずべきことだ。
 それに、これらの新聞も週刊誌も、今まで「誤報」したことがないと言うのだろうか?自ら誤ちを検証して掲載したことがあるのか。
 人を非難する前に、まず我が身を振り返るべきだろう」

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2014年11月12日

「あの時代」に戻さないために

社会


著者  福岡県自治体問題研究所 、 出版  自治体研究社

 発行主体は自治体問題を考えるシンクタンクとして発足し、研究会などを開催するほか月刊の情報誌も発行している研究所です。
 毎月の研究会で発表した福岡の弁護士4人の論稿が収録されています。巻頭の論文を宮下和裕事務局長が書いています。
 明治憲法は明治23年(1890年)から終戦後の1947年まで生きていたので、56年半の生命だった。しかし、現在の日本国憲法は既に67年なので、10年以上も長生きしてることになる。ちなみに、明治維新(1868年)から敗戦までは77年ですが、本年は、敗戦から70年になります。戦前の日本は、77年のあいだに、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、第二次大戦と相次ぐ戦争を遂行していました。しかし、戦後70年近く、日本は一度も戦争に直接加担していません(間接的には、朝鮮戦争そしてベトナム戦争に大きく加担していますが・・・)。
 日本国憲法、とりわけ9条は戦争と紛争の絶えない今日の国際社会において光かがやく存在になっていると思います。ノーベル平和賞を本年こそ九条にもらいたいものです。
 押し付け憲法だから無効だという人がいます。私には信じられません。
 ワシントン大学のロー教授は「奇妙なことだ」と指摘する。
 「日本の憲法が変わらずにきた最大の理由は、国民の自主的な支援が強固だったから。経済発展と平和の維持に貢献してきた成功モデル。それをあえて変更する道を選ばなかったのは、日本人の賢明さだ」
 椛島敏雅弁護士は貧困問題からみた自民党の改憲草案の問題点を指摘しています。
 民間労働者の平均年収は461万円(1999年)が406万円(2009年)へと55万円も減少(10%強)している。預金ももたない世帯が3割から4割もいる。生活保護を受けている人が216万人、160万世帯もいる。日本人の6人に1人は貧困ライン以下で暮らしている。
 ところが、1億円以上の預金を有する日本人が200万人以上いて、こちらも年々増えています。日本でも両極分化が進行中なのです。
 永尾廣久弁護士は集団的自衛権の容認は立憲主義に反し、平和主義を踏みにじる危険なものだと指摘しています。「自衛権」といっても、日本が攻撃されていないのですから、正当防衛のような自衛権ではありません。安倍政権は、この点を意図的に混同させようとしているのです。
 そして、この集団的自衛権とセットになっているのが、12月10日に施行予定の特定秘密保護法です。近藤恭典弁護士が、その危険な問題点を詳しく指摘しています。
星野圭弁護士は、安倍政権の雇用改革の危険性を掘り下げています。今や、労働組合に属しない労働者が大半となり、非正規社員が増えて、労働者の団結力が著しく低下させられている。解雇を容易にし、残業代の支払いまで企業に免除しようという法制がつくられようとしています。
本当にとんでもない「安倍改革」です。安倍首相は、富める者はますます富めるように、貧しい者はハナから考慮することなく切り捨て、そして軍需産業を栄えさせて、日本の若者をアメリカ軍と一緒になって戦場へ駆り出そうとしています。
戦後70年の日本は、平和な国、戦争のない国・ニッポンでやってきました。これを再び「戦前の日本」に戻すなんて許せません。
定価1000円で、150頁ほどのブックレットです。
11月22日の都久志会館の市民集会でも販売します。ぜひ、ご一読ください。
(2014年10月刊。1000円+税)

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2014年11月13日

マレーシア航空機はなぜ消えた

社会


著者  杉江 弘 、 出版  講談社

 今年(2014年)3月、マレーシア航空機が突如として行方不明になったというニュースには驚きました。そして、その驚きは、次第に大きくなっていきました。なんといっても、これだけGPSそのほか国際的監視網が発達しているというのに、いつまでたっても飛行機の残骸すら発見できないというのです。私は、そんなバカな・・・、と思っていました。アメリカの軍事観測衛星はきっと真実をつかんでいるのに違いないと思います。でも、アメリカにとって公表する価値がないので、あえて黙殺しているのでしょう。
 この本では、JALの元機長がマレーシア航空機の行方不明の謎を解明しています。
 推理小説ではありませんので、著者の結論を紹介します。
 3月8日未明にクアラルンプールから北京に向かったマレーシア航空機MH370便の失跡は、事故ではなく事件である。管制官と無線交信がなく、トランポンダーも切られ、6時間40分の飛行を行った形跡から、「何者か」によってハイジャックされたと考えよい。
 結局、機長が犯人なのではないか。
 そして、6時間40分も飛び続けたというのは、機長は、マレーシア当局と何らかの交渉や取引をしていたのではないか。
 その交渉、取引がうまくいかなかったため、燃料切れによる失速ではなく、操縦桿を一杯前方に押し、急降下によって海上に衝突する自爆を選択したのはないか。
 以上です。著者は、もちろん、その推理の根拠を詳しく展開しています。なるほど、そういうことなんですか・・・と思いました。
マレーシア航空機が行方不明となったあと、マレーシア航空とマレーシア政府は、情報を隠蔽するかのような姿勢をとり続けた。
 マレーシア当局のメディア対応は、単に情報を小出しにしているだけでなく、意図的に情報操作したり、隠したり、あるいは何の根拠もなく断定したりするのが目についた。
 飛行機のなかで火災が発生したら、20分以内に着陸か着水する必要がある。
 航空機は、うまく着水できると、20分間ほどは海上に浮いていることができる。
ブラックボックスは、水深6000メートルの圧力と1100度の高温にも耐えられる。長年月がたっても海水中で腐蝕はしない。そして30日間は音波を発する。毎月のように飛行機を利用する身として、一刻も早く機体を発見し、何が起きたのか解明してほしいと思いました。
(2014年7月刊。1500円+税)

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2014年11月14日

よみがえれ!和光大学

社会


著者  踏みにじられた実験大学・編集委員会 、 出版  龍書房

 東京都町田市にある和光大学。1966年に創立されて、今年は48年になる。この和光大学は自由を重んじる大学として設立されたのですが、現実には暴力が横行してきました。
 1969年の学生へのテロ・リンチ事件。
 1978年の職員への暴行事件。いずれも刑事裁判となり、加害者は有罪となった。ところが、加害学生をかばう立場で和光大学の教授が何人も法廷で証言した。
 そして、1985年からは「中核・革マル抗争」が始まり、これは数年のあいだ続いた。
 和光大学は、これら長期にわたった暴力事件を今なお、根本的に改めることが出来ていない。ひところのような日常的な暴力行為の横行こそ現在は見られないようですが、大学当局が過去の暴力行為横行の日々を自覚的に反省していないという指摘には暗然たる思いです。
 40年前、全国の大学で全共闘による暴力支配が横行していました。言論による論争ではなく暴力で支配しようとすると、精神的に深いところで、人間の思考が停止し、足が鈍ってしまいます。
 全共闘を今なお賛美する人は多いのですが、私は、「敵は殺せ」の論理で大学を暴力的に支配しようとした全共闘という集団は、日本にとって相当に罪深いものがあったし、それは今なおあとを引いていると考えています。
 その最大の証拠が、全共闘世代からは、ほとんどまともな政治家が育っていないということです、もともと暴力に頼る思考を身につけた人が、「大衆」のために身を挺する政治家になれるはずもありません・・・。
 団塊の世代が都知事をはじめ、全国いくつもの県知事になっています。私の知る限り、埼玉、和歌山、鹿児島がそうです。でも、彼らは学生のとき全共闘だったとは思えません。
 暴力支配は被害者を政治から遠ざけるだけでなく、加害者をも精神的に荒廃させ、社会の一隅でひっそり暮らすしかなくなるのです。
 和光大学当局は、ケンカ両成敗という立場をとることによって、暴力のない正常な形で勉学できる状態をつくるという大学としての当然の責任を放棄した。
 大学の理性の府としての権威そのものを根底から否定するような暴力行為については、学生のうちに、学生みずからに責任をとらせる。これが本当の大学教育なのではないか・・・。
 まことに、そのとおりだと私は考えます。暴力は社会でも大学内でも許してはいけないのです。
 和光大学には、現在も過激派セクト(革マル)がいて、日常的に策動しているとのこと。本当に残念です。自由をモットーとする大学として、大いに悲しむべきことではないでしょうか。
 500頁もの分厚い本です。この本を読んで救いなのは、そんな酷い暴力支配に抗してたたかった学生や教職員が脈々といて、その効果がこのような立派な記録集に結実したということです。全国の大学から、暴力支配を企てる集団を自主的に一掃することは不可欠だと思いました。そのための指針にもなる貴重な本です。
(2014年5月刊。2000円+税)

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2014年11月15日

時の行路

社会

著者  田島 一 、 出版  新日本出版社

 弱者切り捨て、労働者を使い捨てする現代日本社会の実情をうまく小説にしていて、読ませます。
 読んでいて、身につまされ、目に涙がにじんできて、止まりませんでした。40年前の昔も、工場内には本工とは別に臨時工という人たちがいて、ひどく差別されていました。
臨時工の人たちが景気の変動で真っ先に首を切られます。そして、そのとき、目をつけた臨時工を職場からうまく排除するということもあっていました。しかし、大半の労働者は本工(正社員)として採用され、終身雇用ということで、定年まで働くことが可能でした。従って、人生設計も容易だったのです。結婚してマイホームを購入して、子育てしてという見通しがもてたものです。
 今では、多くの若者がそれを持てません。正社員ではなく、派遣会社から、あちこちの職場へ派遣されて働き、名前ではなく「ハケンさん」と呼ばれるのです。職場単位の飲み会にも参加することがありません。排除されることより、お金がないという現実が大きいのです。
 正社員になっても、成果主義とかで、経験年数にしたがって昇給していく保障もありません。ですから、人生設計がつくれないのです。これでは安心して結婚も出来ませんよね。
 この小説は、メーカーで派遣社員として働いていた労働者が会社の勝手な都合で雇い止めを通告されます。次の仕事を探してやるという甘言にもだまされ、今の会社への退職届を書いてしまうのでした。労働組合は、組合員でもない派遣社員なんか見向きもしません。
 仕方がなく、拾ってくれる労働組合に加入して、たたかいを始めるのです。
 今の世の中では、労働組合の存在感がとても薄くなっています。ストライキなんて、まるで死語です。ですから、フランスなどヨーロッパへ旅行したとき、ストライキが頻繁に起きているのを知ると、ひどくカルチャーショックを受けます。
 日本では、いったい労働三法がいつ死んでしまったのだろうかと思うほどです。
 この本は、不当な首切りを許さないとして起ち上がった労働者たちの苦闘が微に入り、細をうがって紹介されます。決してハッピーエンドの展開ではありません。まさしく、現代日本で現在進行形で起きていることが小説のかたちで淡々と紹介されていくのです。だからこそ、読んでいるほうが身につまされ、泣けてくるのです。
 主人公の男性はストレスから体調不良にもなります。病院通いをするためには生活保護を受けなければなりません。すると、青森の自宅へ仕送りなど出来ません。子どもたちも進学の夢をあきらめ、働きはじめるのです。それでも、たたかいに立ち上がった人同士のあたたかい交流も生まれ、そこに救いがあります。
 弁護士も、ありがとうございましたと依頼者から明るい顔でお礼を言ってもらったとき、仕事冥利に尽きると感じます。また仕事をがんばろう、そんな気になるのです。
 電車の往復2時間、必死の思いで読みふけった小説でした。続刊があるようですので、楽しみです。
(2011年11月刊。2200円+税)

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2014年11月16日

「歴史の町並」

社会


著者  日本風景写真協会 、 出版  光村推古書院

 昔のままの景観を残している全国の町並風景が、きれいな写真にとられた、すばらしい写真集です。
 私も写真が好きですので、こんな写真集にあこがれてしまいます。それにしても、まだまだ行っていないところ、行きたいところがたくさん、実にたくさんあるのに気づかされます。
 弁護士生活40年のうちに、私は日本全国すべての都道府県をめぐることができました。佐渡島にも伊豆大島、淡路島にも行っています。
 でも、まだ奄美大島にも石垣島にも、そして屋久島にも残念なことに行っていません。
 この風景写真で出てくるところでは、長野県の妻籠宿に行っていないのが残念です。飛騨高山には昔、行ったことがあります。そして、白川郷にも行きました。ただし、雪に覆われた白川郷ではありません。
 うだつのあがる徳島県の美馬市は行ってきました。
 熊野古道も少しだけ歩いて、その良さを実感したことがあります。
 岐阜県の馬籠宿も良さそうですね。
 ペルーのマチュピチュに行くのは、とっくにあきらめていますが、この写真を眺めて、日本国内だったら、もう少し足を延ばして行ってみようと思いました。
 手にとるだけでも、楽しい写真集です。
(2014年7月刊。2200円+税)
 このブログの愛読者の一人、チョコさんから、かこさとし・ふるさと絵本館が福井県にあることを教えてもらいました。私も、ぜひ行ってみたいと思います。

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2014年11月17日

イモムシのふしぎ

生き物


著者  森 昭彦 、 出版  サイエンズ・アイ新書

 世の中の大きな不思議の一つが、イモムシがチョウになるっていうことですよね。いったい、どうして、あの葉っぱにへばりついている丸々したイモムシが大変身して、空をひらひらと飛ぶようになるのでしょうか・・・。万能の創造主の神様だとしたら、何もそんなまわりくどい発想をしなくても良さそうではありませんか。
 この本には、いろんな色と形と機能をもったイモムシがたくさんのカラー写真で紹介されています。不思議、フシギのオンパレードです。
 シジミチョウ科のウラギンシジミは、刺激を受けると、お尻の煙突から大きなホウキをにゅっと出し、掃き掃除をするように振り回す。
 その写真があります。タンポポの穂みたいなものを出しています。不思議というより、奇怪です。そのうえ、アリと交信するためか、ひっきりなしにお腹をこすって音を出しているとのこと。
シロチョウ科のキタキチョウは、放糞器をもっている。お尻からフンを放出する。飼育ケースで飼っていると、フンがピシッとかカツンとか音がして、うるさいほど。これは、自分の現在地を知られないようにするための撹乱戦法。うひゃあ、そんな芸当もするのですか・・・。
 はるばる海を渡る空の旅人、アサギマダラは、毒蝶。毒物を貯蔵することで、スタミナを蓄えた毒蝶となり、壮大な移動生活を堪能できるようになった。ふむふむ、そうなんですか。
 ヤママユガ科のウスタビガは、指で軽くつまむと、鳴き声を奏でる。それは、悲鳴なのか、怒号なのか・・・。そしてマユづくりをはじめるときには、「きゅうきゅう」と鼻歌をうたい出す。
そして、なんと、イモムシは美味しく食べられるというのです。
 シンジュサンは、幼虫はゆでてポン酢ジュレで食べる。小松菜の白和えを思わせ食べやすく美味。
 エビガラスズメは、サナギをゆでてポン酢で食べる。青大豆のトーフを思わせ、さわやかでクリーミーな食感。
モンクロシャチホコは、桜の香り、肉質のうま味。外皮の弾力と、どれをとっても最高。クセがないので、初心者にオススメ。
 ヒメヤママユは、毛が柔らかく、もずくのような食感で、とても心地が良い。
 ナミアゲハは、柑橘系の香りがしたり、山椒の芳香がしたりする。とても風味がいい。
 写真がついていますが、もちろん、みな、丸々としたイモムシです。これを食べて美味しいと叫んでいる女優さんを一度見てみたいものです。私は、そのあとにします。いくら食糧難(危機)といっても、ものには順序というものがありますので・・・。
 イモムシに関心のある人のほか、ゲテモノ食い好きの人にも、おすすめの本です。
(2014年8月刊。1200円+税)

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2014年11月18日

タックスヘイブンに迫る

社会


著者  合田 寛 、 出版  新日本出版社

 私もときどき利用しているアマゾンが、なんと日本では納税していないとのこと。許せません。これも、タックスヘイブンのせいです。
アマゾンは日本での売上げは78億ドルで、アマゾンの世界売上総額の13%を占めている。アマゾンに注文すると、日本国内ですべてがまかなわれているのに、アメリカ・シアトルにあるアマゾンの販売会社の扱いになっている。納得できるものではない。本当に、ひどい話です。
 年間売上げ17兆円、毎年3兆円もの利益を上げているアップル社は、まったく納税していない。
 いやですよね、こんな不公平。許せません。
 日本の国税局がアマゾンに140億円の追徴課税したところ、アマゾンが不服申立して、日米政府が協議のうえ、日本はアマゾンに140億円を返しただけでなく6億円を加算して支払った。
 なんたることでしょう。ひどいものです。プンプン、許せません。
 日本の大企業はタックスヘイブンへの直接投資をますます増やし続けている。日本の対外投資残高の一位はアメリカ(127兆円)、二位は、なんとタックスヘイブンで悪名高きケイマン、55兆円。これは10年前の3倍。いやはや、これでは私たちの暮らしが良くなるはずもありません。
 トヨタは、史上最高の利益を上げていますが、ほとんど税金を払っておらず、消費税にしても、逆にもらっているというのです。世の中、本当に間違っています。プンプンプン。
 日本のトップ企業45社がタックスヘイブンに持っている子会社は354社、その資本金額の合計は8兆円をこす。誰だって、税金は払いたくないものです。しかし、超大企業が負担していないのは絶対に許せません。だって、もうけにもうかっているのですから・・・。
赤字の企業が税金を支払っていないというのではありません。もうかっているのに税金を払っていないのです。そして、そのもうけの一部を政治献金して、労働法制の自由化(規制緩和)をすすめているのです。つまり、労働者の使い捨てです。ひどい話です。
 イギリスではスターバックス社がもうけているのに、14年間も税金を支払っていなかった。
 これが明るみに出て、客からのボイコット運動が起きないように、スターバックス社は26億円をイギリス政府に支払った。
 では、日本ではスターバックス社は税金を支払っているのでしょうか・・・。日本のマスコミは、こんなことこそ報道すべきではありませんか?
 タックスヘイブンという、この巨大なまやかしに知恵をつけ、手を貸しているのは、ビッグ4と呼ばれる世界の巨大会計事務所。彼ら専門家こそが、税金逃れのテクニックを供給している。そして、巨大銀行も同罪。金持ちはますます金持ちになるという仕組みが出来あがっているというわけです。
 悪が栄えて、国が滅ぶ。
 こんなことを許してはいけません。怒りに燃えてきました。腹の立つ本ですが、目をそらすわけにはいきません。
(2014年9月刊。1700円+税)

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2014年11月19日

弁護士業務の勘所

司法


著者  官澤 里美 、 出版  第一法規

 驚きました。毎日、午前9時から朝礼、夕方5時に終礼をしている法律事務所が仙台にあるというのです。実は久留米にも、毎朝、朝礼をしている法律事務所があります。しかし、仙台では、朝礼だけでなく終礼までやっています。
 朝礼では、スケジュール確認と発声練習・笑顔をつくっての挨拶練習をします。
 終礼では、5分以上お客さんを待たせた件数と時間の報告もします。
職員の残業はかなり少ないようです。所長である著者は朝7時前には出勤し、ラジオ体操をし、一人朝礼をして、出勤してくる職員を笑顔で機嫌よく迎えるといいます。
 これって、なかなか出来ないことですよね・・・。
ここの法律事務所は、弁護士10人、職員14人(正職員8人、パート6人)という体制。相談に対しては、その日のうちに助言できる体制。休日も顧問先には、当日中の助言を可能としている。
 約束は守る。汚いことはしない。激しい言葉は使わない。
 書面は作品であり、法廷は舞台、裁判官は辛口の観客。
十分な準備を怠らない。十分な準備をした結果であれば、自分も悔いが残らないし、依頼者も納得してくれる。
 書面作成の締め切りを設定し、しっかりスケジュール確認を行う。
 次回期日までに、依頼者に対して通常4回の報告を行う。
 ええーっ、なんという多さでしょうか・・・。すべての事件について原則として当日、遅くとも翌日には報告する。
 依頼者との会話は、やさしく、ゆっくり、わかりやすく。
 電話や面談での第一声は、明るく、高く、爽やかに。
 言葉は人間の音色である。
 激しい言葉は、一時の感情的満足のみで有害無益なので、書面には書かない。
 弁護士が神経を使うのは、相手方との関係より依頼者との関係。
 相手を理解する。相手に理解してもらう。相手に喜んでもらう。そのため気配りをすることが大切。
 弁護士に対する三大クレーム。応対が横柄。処理が遅い。報告がない。
注意しなければいけないのは、実はものわかりの良さそうな優しい依頼者。優しい依頼者に油断して後回しにしていると、だんだん不満がたまって、最後に大爆発する恐れがある。
良い第一印象が大切。意識的に明るく、トーンを高く、爽やかにはじめる。相談内容が可哀想な内容のときには、その後、少し暗い顔に切り替えていけば、その落差で相談に来た人に弁護士の共感度が伝わり、弁護士に対する好感度がアップする。
 ロースクールの教授その他の公益活動もしっかりやって、趣味も多様な著者のようです。大いに参考になりました。
(2014年1月刊。2500円+税)

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2014年11月20日

動かすな、原発

社会


著者  小出 裕彰、海渡 雄一ほか 、 出版  岩波ブックレット

 2014年5月21日の福井地裁の判決は素晴らしいものでした。私も何度も読み返しました。
 熊本地裁玉名支部にもいたことのある樋口英明裁判長の判決文は、きわめて平易かつ明快です。
この判決が出る前、三権分立というのは単なる建前にすぎず、少なくとも国家の根幹に関わる原子力の分野では、司法は独立していないと思い知らされてきた。
上昇志向の強い裁判官にとって、国家の根幹にかかわることで国に楯突くような判決を書けば、出世の道を絶たれることは必至だから。
 しかし、今回の福井地裁判決のような判断をする裁判官がまだいることをありがたく思うし、その未来が明るいことを願う。
これは、長く「差別」されてきた小出裕彰氏の文章です。
 今回の判決を受けて、原子力推進派は、ゼロリスクを求めることは科学的でないと批判している。しかし、原子力推進派こそ、原発の破局事故など決して起きないとして、科学を逸脱したゼロリスクを主張してきた。
 30年以上も稼働してきた老朽原発とひきかえに、敦賀市・美浜町・おおい町・高浜町には各25億円の交付金が既に支給されており、プルサーマルを容認した高浜町には60億円の交付金が支給されることになっている。
 関西の原子力ムラは50兆円のビッグビジネスを展開してきたが、地元への交付金の還元はその1%ほどでしかない。
 樋口裁判長は、この訴訟で専門家証人を尋問しなかった。その理由は、原発の危険性は福島第一原発の事故で十分に証明されていること、安全性を評価するうえで重要な問題点について、関西電力も認めている事実が多いことにある。そのため、この訴訟は、提訴からわずか1年半で判決に至った。
 ちなみに、樋口裁判長は、原・被告の双方に質問を重ねている。その過程で、関西電力側の回答の不合理さ、疑問を正面から答えない不誠実さが次第に明らかになっていった。
 電力会社なら、すぐに答えるような論点についてまで、まともに答えなかった。こうやって関西電力は、自ら墓穴を掘った。
 樋口裁判長は、勇気をもって、「王様は裸だ」といい、住民の生命と安全を守るため、常識に立ち戻って判決を書いた。
 樋口裁判長は、法廷で1時間かけて判決要旨を読みあげた。
 この判決は、司法の覚悟を示している。
 福井地裁判決は、これまでの原発訴訟のような科学論争の迷路に入ることなく、明確な差止判決を出した。
 本当に立派な判決です。全国の裁判官が勇気をもって、この判決に続くことを、願わずにはいられません。
(2014年10月刊。520円+税)

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2014年11月21日

ブラック企業と奨学金問題

社会


著者  川村 遼平・大内 裕和ほか 、 出版  ゆいぽおと

 愛知かきつばたの会(クレサラ被害者の会)が、6月29日、創立20周年を記念して開催したシンポジウムをまとめたブックレットです。ブラック企業問題についてとても分かりやすくコンパクトにまとめられていて、大変勉強になりました。
 ブラック企業で犠牲になっているのは、「勝ち組」になった正社員。正社員が持続可能でない働き方を強いられている。今までなら被害者になるはずもなかった人たちをブラック企業は食い物にしている。
 被害者の若者は、自分がどんな目にあったのかを相談者(カウンセラー)に伝えることさえ、非常に大きな苦痛を感じているほど心に傷を負っている。だから、労働法だけで会社とたたかうことができない。
 法廷で会社と対峙しようとするだけでフラッシュバックが起こり、たたかう前に体調を崩してしまう。それに、被害者の若者の多くは、経済的な困窮状態にある。そのよって立つ生活基盤があまりに脆いため、法廷で持続的に会社とたたかうことがきわめて難しい境遇にある。
 過労死が起きるのは、仕事を休めない事情、会社を辞められない事情がある。
 就活生が理不尽な就職活動に血道を上げているのは、正社員にならないと生活していけないと考えているから。非正規になったら、そこでもう将来展望がもてなくなると思っているから。だから就活自殺につながっていく。
ようやく正社員としての地位を見つけたのに、その地位が持続可能でないと知れば、本人はこんなはずじゃなかったという後悔に見舞われる。このような深い精神的落胆に生じさせることがブラック企業の最大の問題点である。
すなわち、ブラック企業とは、長期雇用を匂わせておきながら、実際には持続可能でない働き方を強いる企業なのである。
 ブラック企業のなかには、大量採用、大量離職を特徴としている。
 ユニクロがそうですよね。
 ブラック企業の「消耗使用型」では、短期の雇用労働力を最大限効率的に使おうとする。
 正社員は、ほとんど「サービス残業」をしている。
 そこで、ワタミでは入社して2ヵ月目に20歳代の女性が亡くなった。
 西濃運輸では、20歳代の男性が3回も辞表を出したのに辞めさせてもらえず、ついに自殺してしまった。
 ブラック企業の背景の三つの特徴は、第一に、高度人材を巻き込んでいること。第二に、積極的な致死的労働時間。第三に、洗練された高度な蓄積。
 そして、奨学金を貸し付けている学生支援機構は、学生の支援というより、ブラック企業の支援者として機能している。
 ブラック企業は男女平等。男女に関係なく、ひたすら酷使する。
ブラック企業の片棒をかつぐ弁護士や社労士がいる。これをブラック士業と呼ぶ。
 ブラック士業としての弁護士は、労使交渉を無駄に混乱させて、長引かせる。
 ブラック企業は、それと癒着したブラック士業を生み出している。
大学生がアルバイトをして、大学在学中に働くことは、こういうことだと内面化している。これがもっともまずい。在学中から洗脳されてしまっている。アルバイトするときには、試験期間だけは休めるのかどうか確認しておく必要がある。
 ええっ、大学生のアルバイトなのに、大学の試験のために休めないなんて、とんでもないことです。
 有給休暇をとるのが「都市伝説」化しているなんて、本当に日本は、とんでもない国になってしまいました。これでは労働法なんて、ないも同然ですよね。
 100頁のブックレットですが、ずっしり重たい内容です。ぜひ、お読みください。あなたの目が大きく見開かされること間違いありません。
(2014年11月刊。1200円+税)

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2014年11月22日

調理場という戦場

人間


著者  斉須 政雄 、 出版  幻冬舎文庫

 私とほとんど同世代の著名なシェフの体験記です。
 フランスに渡って、その料理界に12年間いて、日本に帰って東京の「コート・ドール」の料理長に就任し、1992年からは、オーナーシェフとして活躍しています。
 フランス料理界での苦労話は身につまされます。ひたすら堪え忍んだのです。
 ひとつひとつの行程を丁寧にクリアしていなければ、大切な料理をあたり前に作ることができない。大きなことだけをやろうとしても、ひとつずつの行動が伴わないといけない。裾野が広がっていない山は高くない。日常生活の積み重ねが、いかに大切か。
 窮地に陥って、どうしようもないときほど、日常生活でやってきた下地があからさまに出てくる。それまでやってきたことを上手に生かして乗り切るか、パニックになって終わってしまうか。それは、日常生活でのちょっとした心がけの差だ。
イザというときに、あきらめることはないか。志を持っているか。
 相手に不快感を与えることを怖がったり、職場でのつきあいがうまくいくことだけを願って、人との友好関係を壊せないような人は、結局、何にも踏み込めない、無能な人だ。
 自分の習慣を変えず、流れるままに過ごしていたら、きっと10年後も人をうらやんでいるだけだろう。だったら、仕事以外のものは捨てよう。
言葉は、人と人とのかけ橋であり、自分とまわりが一緒に生きていくうえでの潤滑油でもあり、個人がやすらぐメロディーでもある。そして、言葉は、体をつくるものでもある。
 こいつは牙をむくかもしれないなという部分を相手にきちんと認知させないと、こちらがグロッキーになるまで、相手方からやられてしまう。
 いい人なだけではないということを体から発するためには、勤勉なだけではダメ。のべつまくなしに働く甘さだけでなく、必要なときに必要な力を出せることが大切なのだ。
乱雑な厨房からは、乱雑な料理しか生まれない。大声でわめきたてる厨房からは、端正な料理は生まれない。
 掃除することは、料理人としての誇りを保つための最低条件である。
 日常性をすり込ませることで、お客さんとのコミュニケーションをとることができる。超絶技巧の積み重ねだけでしか出来ないものを出していては、お客さんは疲れてしまう。
 一緒に食べている人との楽しい会話を促すような料理こそすばらしい。
採用するときの基準は二つ。気立てと健康。入ったら、まず片付けものと掃除。次にお菓子。その後、魚を下ろさせる。次はオードブル。
 いやはや、料理の世界も本当に奥が深いですね。
(2014年8月刊。600円+税)

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2014年11月23日

映画の奈落

社会


著者  伊藤 彰彦 、 出版  国書刊行会

 私はヤクザ(暴力団)が嫌いですから、ヤクザ映画もみたことはありません。ヤクザが仁侠道に生きているとか、情にあついとか賛美するのに耐えられないのです。ヤクザは、現実には義理人情というより、ゼニカネで動いているとしか思えません。
 いま、北九州で暴力団退治が本当にすすむのか、全国の目が集中しています。私は、ぜひ暴力団を退治してほしいと願っています。ただ、暴力団がこれだけ日本社会にはびこっている理由の一つには、大型公共土木工事があると思うのです。暴力団とそれとタイアップしている政治家は、総工事費の3%を「分け前」としてもらっているとされています。これは公然の秘密です。この根を絶ち切ることができたら、暴力団は一挙に激減してしまうのではないでしょうか。
 高速道路、空港、港湾、市民会館、文化会館、ありとあらゆる公共工事から暴力団が甘い汁を吸っているし、また吸わせるのを許す保守市民や保守系のボス議員がいます。そこにメスを入れない限り、市民会館で大勢集まって叫ぶだけでは、残念ながら茶番劇に終わってしまうのです。マスコミも、そのことを知りながら、メスを入れようとはしません。仕返しが怖いからです。
 この本は、1977年に封切りされた暴力団映画『北陸代理戦争』が制作される過程を追い、封切り後まもなく主人公のヤクザのモデルが映画のシーンと同じように射殺された現実を紹介しています。
 舞台は、福井県の芦原(あわら)温泉、そして三国町。競艇場があり、地元ヤクザがしのぎを削っていた。そして、日本の暴力団である山口組の支配下から抜けて対立関係になったところで事件が勃発した。
 本質的には利権をめぐる争い、表面的にはヤクザのボス同士の面子と意地のはりあいが命をかけた抗争事件になるのだと思います。
 そして、映画界は売れたらいい(観客が多ければいい)ということで、暴力団に取り入って取材し、協力してもらうのです。
 読んでいるうちに、いささか気分の悪くなる本ではありましたが、日本社会の裏面の一端を知る本として読了したのでした。
 この芦原温泉に10月半ばに泊まってきました。気持ちのいい露天風呂がありましたが、ここも不景気のようで、最近、老舗の旅館が倒産したとのことでした。
(2014年8月刊。2400円+税)

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2014年11月24日

カクレキシリシタンの実像

日本史(明治)


著者  宮崎 賢太郎 、 出版  吉川弘文館

 なーるほど、そうだったのか・・・。とても納得できる本でした。
 江戸時代の300年近くをキリスト教信者が生きのびたという事実をどう理解したらよいのか、疑問でした。
 この本では、「カクレキリシタン」と読んでいます。明治に入って、キリシタンの禁令の高礼がおろされ、信者の自由が認められたのちも、仏教の仏様も、神道の神々や民族神も、そして先祖代々伝わるキリシタンの神々も、それこそ三位一体の神様のように拝み続けて今日に至っている人々のこと。
 彼らには、隠れてキリシタンの信仰を守るという意識はない。誰にも見せないのは、ご先祖様から他人には絶対に見せてはならないと厳しく言われてきたから。
 彼らは、キリシタンであることを隠している「隠れキリシタン」ではなく、ご神体を他人には見せない「隠しキリシタン」である。何かを隠しているという秘密性、そのこと自体に意味がある。
 たとえば、生月島山田地区のカクレキリシタンは、戦後になって一人もキリスト教の洗礼を受けていない。高山右近のような、一部の例外的な人物を除けば、日本人のなかで本当の一神教としてのキリスト教信仰を理解し、実践できた人はいなかったのではないか・・・。
 カクレキリシタンは、隠れているのでもなければ、キリスト教徒でもなく、キリスト教的雰囲気を醸し出す衣をまとった、典型的な日本の民俗宗教の一つと言ってよい。
 カクレキリシタンの信仰の根本は、先祖が命をかけて守り伝えてきたことを、たとえその意味が分からなくなってしまっても、忠実に、絶やすことなく、継承していくことにある。その継承された信仰形態を守り続けていくことそのものが、先祖に対する最大の供養になると考えている。
 カクレキリシタンは、行事面でキリシタン的要素を残しているが、370年余におよぶ指導者不在によって教義的側面はほとんど忘却され、日本の諸宗教に普遍的に見られる重層信仰、祖先崇拝、現世利益的な性格を強く取り込み、キリスト教とはまったく異なった日本の民俗信仰となっている。
 江戸時代初期の人口は1000万人。そのうち3%、30万人がキリスト教信者だった。
 殉教者は、その氏名が明らかなものだけでも4045人。少なくとも4万人にのぼるだろう。これには、島原の乱の犠牲者3万人は含まれない。なんのために、誰のために、殉教者は生命を捧げたのか・・・。
 殉教者には、100%、王国への道が約束されていた。目の前で、命がけで自分たちのために働いてくれている、慈父たる宣教師たちへの、子としての命がけの報恩行為であった。もし棄教すれば、先祖代々隠れて守り伝えてきた祖先や家族との信仰の結びつきが断ち切られることになり、信仰共同体から仲間はずれにされることは彼らは恐れた。
明治初期まで潜伏キリシタンの組織が存続していたのは、次の7カ所。そのうち、長崎県の3カ所のみが、現在まで存続している。
 ①久留米近くの大刀洗町
 ②天草市
 ③長崎市内の浦上駅周辺
 ④長崎県の西彼杵半島
 ⑤生月島(平戸市)
 ⑥平戸島
 ⑦五島列島
 幕末まで組織が存続できたのは、信徒によるコンフラリアの組織があったから。コンフラリアとは、組・講のこと。信心講とも呼ばれる。
 カクレキリシタンに教会はなく、神父もいない。カクレキリシタンは、神仏信仰とともに、先祖代々伝わるカクレの神様もあわせて拝んできた。
 カクレキリシタンは、なんでも自分たちの手で、自分たちの家で行わなければならない。手のかかる宗教である。
 生月のオラショは、正式に唱えたら、早口でも40分ほどかかる長大なもの。これを後継者は、すべて暗記しなければならない。オラショは、祈禱(きとう)文にあたるもの。人間の、神への願い、思いを定型の言葉にしたもの。今では、呪文の世界に変容している。
 現在、キリスト教が日本に土着しえないのは、頑強に現世利益主義を否定し、来世志向的な一神教を保持していこうとしているから。
カクレキリシタンとは何か、現地で27年間も調査研究してきた学者の本です。本当に説得力があります。
(2014年5月刊。2300円+税)

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2014年11月25日

宇宙の果てはどうなっているのか?

宇宙


著者  大内 正己 、 出版  宝島社

 たまには気宇壮大に、宇宙を眺めたいものです。今夜は、満月がこうこうと輝いています。
 頭上高く見る月と、ビルの屋上すれすれの月とでは、同じ大きさのはずなのに、まるで大きさが違います。目の錯覚だというのです。月の大きさにも大小があるとしか思えません。
 天文学者は大変ですね。昼間も仕事はしているのでしょうが、観測するのは、基本的に夜でしょう。みんなが寝静まっているときに、ひたすら目をこらして天文の動きを観測するなんて、ぞっとします。夜は、やはりぬくぬくと布団に入って、ぐっすり眠りこけたいものですよね。
 宇宙の歴史は138億年。ビッグバンによって宇宙が始まってから8億年たったころ、つまり宇宙の初期時代にある天体(銀河)を発見した。これをヒミコと名づけた。この銀河は、同時代のものに比べて10倍以上の大きさがあり、明るさも10倍あった。古代の宇宙にこれほど巨大でまぶしい銀河は、これまでこのヒミコ以外に見つかっていない。
 すごい話です。宇宙の始まりから8億年たっても、まだ、宇宙の初期だというのです。日頃の私たちの時間の流れからは、想像も出来ないスケールです。
 原子が生まれたのは宇宙の誕生から38億年後のこと。それまでは、まだまだ宇宙が熱すぎて、原子核と電子が結合できなかった。このころ、温度が3000度にまで下がってきたので、原子核と電子が結合して、水素原子とヘリウム原子が生まれた。電子が原子核と結合したことで、光を邪魔するものがなくなり、光は直進できるようになった。これを宇宙の晴れ上がりと呼ぶ。
 宇宙の中で、人間の知っている物質はわずか5%しかなく、残りの95%はよく分からないもので出来ている。
 古代マヤ文明は天体をよく観測していた。マヤ人が観測をもとに計算した1年は365.2420日だった。現在の観測によると、1年は365.2422日であるから、マヤ人の観測の精度はきわめて高かった。
 ヒミコは、3つの銀河が横一直線にきれいに並んでいる。どうしてなのか・・・。
 宇宙には、まだまだ、たくさんの解明すべき不思議があるのです。
 毎日のちまちましたことを忘れさせる書物でした。
(2014年9月刊。1300円+税)

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2014年11月26日

中国民衆にとっての日中戦争

日本史(戦前)


著者  石島 紀之 、 出版  研文出版

 日本軍が中国編侵略して、大陸で何をやったのか。その事実に、現代日本人の私たちが目をふさぐわけにはいきません。それは自虐史観でも何でもなく、過去の歴史に向きあうのは当然のことです。過去に目をふさぐ者には、将来への展望を語る資格はありません。
 この本は、日本軍が中国で何をしたかについて、現地の中国民衆の声を拾い集め、その置かれた状況を明らかにした貴重な本です。
 当時の中国では、とくに農村部では、ほとんどの民衆が文字を読めず、記録することができなかった。民衆は、自分の生活にしか関心がなく、どこの国と戦っているのか知らない民衆も多かった。
 日本軍は抗日根拠地を飢餓状態にして壊滅するため、根拠地の食糧を焼却し、あるいは略奪した。日本軍は「放火隊」を組織して、家屋や食料を焼き払った。
 民衆にとって、食糧問題こそ、戦時生活のもっとも重要なカギだった。
 多くの中国農民は日本軍が来るまで、それほど恐怖心をもっていなかった。ところが、日本軍の残酷さは、民衆の思いもよらないものだった。この日本の残酷さは、民衆に二通りの反応をもたらした。
 その一は、怒りと憎しみである。
 その二は、恐怖と混乱である。
 このように、日本軍の侵略に直面した民衆の反応は複雑だった。
 民衆を八路軍(共産党の軍隊)に動員するのは容易なことではなかった。民衆には「まともな人間は兵隊にならない」という伝統的観念が存在していたし、日本軍との苛烈な戦いに対する恐怖心もあった。
 八路軍は1940年8月から百団大戦を始めた。
 八路軍が一定の成果をあげたあと、日本軍が報復のため反攻に転じた。徹底した掃蕩と三光政策を実施し、抗日根拠地の中心地域の民衆は重大な損害を蒙った。この日本軍の「三光政策」は共産党と八路軍にとって予想外だった。
百団大戦は日本軍の華北支配に大きな打撃を与え、共産党と八路軍の威信を内外で高めた。しかし、共産党と八路軍が百団大戦で支払った代価も多大だった。日本軍の強力で残酷な反撃によって、抗日根拠地は大きな試練をむかえた。
 1942年は、日本軍との武装闘争と経済闘争とが、もっとも激烈な年であり、抗日根拠地にとって、もっとも困難な年だった。
 百団大戦のあと、日本軍が三光作戦のような残虐で徹底した掃蕩を実施すると、民衆のなかには恐日病・悲観・失望の心理がひろがり、掃蕩は八路軍の日本軍への攻撃のせいであると考え、怒りを八路軍や共産党に向ける者もいた。したがって、日本軍の残虐行為が民衆(農民)のナショナリズムの形成と直接結びついていたわけでもなかった。
 なるほど、そういうことだったのですね。しかし、結局のところ、このような困難を次第に克服し、中国の民衆と結びついて、共産党軍(紅軍)は、日本軍を圧倒していったわけです。
 日本軍が中国で何をしたのか、それはどんな問題を引きおこしたのかがよく分析されている本です。
(2014年7月刊。2700円+税)

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2014年11月27日

スマホ・チルドレン対応マニュアル

社会


著者  竹内 和雄 、 出版  中公新書ラクレ

 今や、子どもたちからケータイやスマホを取りあげることは出来なくなってしまいました。歩きながら、片手でスマホを操作している子どもたちを見ていると、私なんかハラハラしてしまいます。私は相変わらず、ガラケーですし、片手入力はおろか、両手入力するのも覚束ないのです。ですから、私が入力することはありません(したことはありますが、あまりに時間がかかるので、やめました)。
 中学3年生では、男女とも8割がスマホかガラケーを持っている。男子が小6で急増するのに対して、女子は小5から既に高い比率で所持している。高校生は100%がケータイをもっているが、その8割はスマホである。
スマホ・チルドレンは睡眠不足になっている。スマホをやりながら寝てしまうことを、「寝落ち」という。
スマホがあると、勉強はとても便利。分からない宿題は、ラインとかですぐに訊けるし、みんなで教えあう。ノートで書き忘れたところがあると、カメラでその部分をとって送ってもらえる・・・。
 今の大学生は新聞を読まないし、テレビすら見ないものが多い。情報はもっぱらスマホなどを経由して得ている。それは必然的に、自分の興味のある分野に限られていく。今の若者の常識を形作っているものの多くは、個人の好みによって、かなり偏ったものになってしまっている。
 子どもがケータイを使っていい時間帯を決めておく。これはもっとも重要なルールだ。たとえば、夜8時になったら電源を切って、居間の充電機に差し込むことを我が家の基本ルールにする。そして、塾のある日は、特別に30分とか1時間の延長を認めるようにしたらいい。
 スマホを使う場所も居間に限定する。子ども部屋では使わせない。
頭からスマホの使用を禁止してもムダだし、逆効果だと私も思います。それにしても大変な世の中になってきました。家庭の固定電話(黒電話)がなくても、ケータイ(スマホ)さえあれば十分に生きていける世の中です。そして、そのなかでスマホという大海に急に放り出された子どもたちがアップアップしているのです。
 スマホについては、その利便性とあわせて「なりすまし」その他の危険性を早いうちから子どもたちに十分に教育することが必要です。もってはいけないと言えば問題が解決するような時代ではありませんので・・・。
(2014年5月刊。800円+税)

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2014年11月28日

原爆を背負って

日本史(戦後)


著者  久 知邦 、 出版  西日本新聞社

 16歳のとき、郵便配達員として働いていたとき、長崎で原爆に被曝した谷口稜曄(すみてる)氏から聞き書きした本です。
 大変分かりやすい平易な文章で谷口氏の苦難の人生が淡々と語られていて、涙なくしては読ませませんでした。谷口さんの背中全体が真っ赤になっている有名な写真は、残酷すぎるとして、あちこちで(先日も日弁連会館で)掲示が断られてしまいます。でも、谷口さんは、戦争とりわけ原爆被害の残虐さを目からそらさないでほしいと訴えています。目を背けてしまえば被害がなくなるというものではないからです。
 それにしても、よくぞ今日まで長生きされたものです。たくましい生命力とあわせて、全世界に向かって被爆の実情を訴えることに人生の意義を見出したことも、谷口さんの元気を支えてきたのではないかと思いました。
 1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下された。郵便配達中に熱戦で焼き尽くされた背中は通常の皮膚ではない。汗腺も皮脂もなく、背中を覆っているのは、瘢痕という薄い膜。汗もかけない背中には、徐々に石炭質が沈着し、大きくなるとそれが瘢痕を突き破って出てくる。
 背中の痛みは、一日に何度も変化する。殴られているようにずきずきしたり、針を刺されているようにちくちくしたり。布団に寝ていても、背中の下に硬い石ころを敷いているようで、あおむけでは眠れない。
 体温調節も難しい、夏は熱が体にこもって焼けるように熱く、冬は何枚上着を着ても震えるほど冷える。
 太ると、背中の膜が引っ張られて裂ける。酒を飲むと、血管が膨脹して背中が痛む。
被爆して1年9ヶ月間、ずっとうつぶせで過ごしたため、胸の肉は床ずれで腐って落ち、肋骨のあいだから心臓の動きが見える。思い切り息を吸うと胸も背中も痛み、大きい声が出せない。
 生きることは、苦しみに耐えることにほかならない。
被爆したあとの入院中、背中や胸の肉は腐ってどぶどぶと流れ落ち、体の下に敷いたぼろ布にたまった。
夏になると、左肘にうじがわいた。次々に卵がかえり、氏は骨と骨の間に食いこんでいき、ぎりぎりと痛む。大きくなったうじが見えても、動けない身ではどうしようもない。
 ところが、こうやって寝ているときに、身長は30センチも伸びていった。
これは驚くべきことです。よほど、看護体制が良かったのでしょうね。
 著者には、配達中の災害だったので、入院中も給与がずっと支払われていて、それが家族の生活を支えた。
 3年半の入院費用は全く負担しないですんだ。不思議だった。
おかしいと思うことは声をあげる。これは、戦争を止められなかった大人たちへの怒りの裏返しでもあった。
 結婚することができ、子どもが生まれた。原爆の影響を心配したが、二人の子は大きな病気をすることなく育った。今では、4人の孫と2人のひ孫がいる。
 被曝者として訴えるとき、怒りだけでは相手に伝わらない。この苦しみは私たちだけで十分だと辛抱強く訴えてこそ、相手の胸に響く。
 著者は、原水禁運動が分裂し、被爆者団体まで分裂したことを残念がっています。本当にそうですね。一刻も早く大同団結して、ノーモア・ヒロシマ・ナガサキの叫びをさらに強く、核兵器の全廃を急ぐべきです。
 日本がアメリカの核の傘に守られているなんて、嘘ですし、幻想です。
 その原点を思い起こさせる、いい本です。あなたにも一読を強くおすすめします。
(2014年8月刊。1500円+税)

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2014年11月29日

バニヤンの木陰で

アジア


著者  ヴァディ・ラトナー 、 出版  河出書房新社

 久留米にある靴メーカーに勤めている人と話していたら、カンボジアに提携している工場があるので、プノンペンにも行ったことがあるとのこと、驚きました。私は残念ながら、カンボジアに行ったことはなく、したがってアンコールワットにも行っていません。
 この本は、例の残忍なポル・ポト派がカンボジアを支配していたときの体験をもとにした小説です。自分が体験したことをベースにしているだけに迫真的です。
 文明を敵視したクメール・ルージュ(赤いクメール)の犯罪行為が惻々と伝わってきます。よくも王族の一員であることを隠し通して生きのびることができたものだと驚嘆します。といっても、王子である父親は家族を守るために自ら出頭して、殺されてしまいました。
 ただ、どうやって殺され、その遺体がどうなったのか、まったく不明のようです。それだけ、ポル・ポト派の圧政下では原始的で、野蛮な殺害が横行していたわけです。
 はじめ、プノンペン市民はクメール・ルージュ軍がやってきたときには歓迎する気分もあったようです。ところが、すぐにそれは間違いだと思い知らされます。
 「荷物をまとめて、すぐに出て行け」
 「2、3日のあいだ必要なものだけ持っていけ」
 「どこでもいい、とにかく出て行け」
 「時間はない。すぐに出るんだ。アメリカの爆撃がある」
 「出ていかないと撃つぞ。全員だ。わかったな」
 「革命万歳」
 いきなり都市から農村部へ追いやられ、そこで重労働させられるのです。
 1日仕事は夜明けの1時間後に始まり、日没の1時間前に終わる。すべての家畜は町の共有財産である。生活必需品は、すべて配給される。大人も子どもも、同じ量の米が配給される。
 こうやって1975年から4年近くも、人々はポル・ポト派の支配下におかれ、200万人近い人々が死亡したと推測されている。
 1979年1月、ポル・ポト派はベトナム軍によって打倒された。
 本当に苛酷な生活を強いられたものです。読んでいて胸がつぶれそうになります。でも、これも知るべき現実だと思って、最後まで読み通しました。
 カンボジアの豊かな自然描写がよく描かれているのが救いです。
 ポル・ポト派を直接的に支援していたのは中国でした。そして、アメリカは何もしなかったのです。恐らく介入するメリットになるような利権(天然資源など)がなかったからでしょう。
(2014年4月刊。2600円+税)

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2014年11月30日

井上ひさしの劇ことば

人間


著者  小田島 雄志 、 出版  新日本出版社

 井上ひさしの本は、それなりに読んでいますが、残念ながら劇はみたことがありません。
 遅筆堂と自称していた井上ひさしの劇の台本は、きわめて完成度が高いことに定評があります。
 著者は、井上ひさしの劇の初日に必ず行って、終了後にコメントするのが常だったそうです。すごいものです。
 井上ひさしの劇は、ことばがコントロールされず勝手に飛び出してくる。その多彩さに、自由でムダな部分が面白い。
 井上ひさしのことばのもつ遠心力のエネルギーには、ものすごいものがある。
 ことばは、真実を掘り出すツルハシ。
 ことばは、ボディーブローのように効く。
 ことばは、常識を覆す。
 ことばは、肩すかしを食らわせることができる。
 ことばは、同音異義語で駄洒落ることがある。
 ことばは、「死」と「笑い」を同居させることがある。
 ことばは、ドラマティック・アイロニーを生むことがある。
 ことばは、人間世界を俯瞰することができる。
 ことばは、造語することができる。
 ことばは、願い、誓い、呪いを短く強く発することができる。
 ことばは、あらゆるものを対比・総合することができる。
 井上ひさしは、思い切って「ことばの自由化」をやった。自由にことばの枠を広げたところから始め、近代劇の論理にとらわれないで、ことばが自由に飛び出た。
誰が演じても観るものを泣かせる芝居。それがすばらしい劇曲の証拠だ。
 井上ひさしの本や劇をもっと読みたかった、観てみたかったと思いました。
 井上ひさしも偉いけれど、この著者もすごいと思ったことでした。
(2014年5月刊。760円+税)

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