弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年8月 1日

私たちはこれから何をすべきなのか

司法


著者  金子 武嗣 、 出版  日本評論社

 著者は私と同世代、団塊の世代の大阪の弁護士です。
 明治以来の弁護士の歴史を振り返り、また、40年間の自分の弁護士生活で得たものを語っていて、大変よみやすい本になっています。
司法改革について、最近、何となく弁護士会の内部に全否定してしまうような風潮があります。著者は残念がっています(121頁)が、私もまったく同感です。
 司法制度改革は、当時の社会状況を抜きに語るわけにはいきません。ある意味では、ひどい弁護士叩きが進行していました。政府と財界は弁護士自治を骨抜きにしようとしていましたし、マスコミと市民は弁護士は市民と縁の薄い、独善的な存在だと厳しく批判していました。弁護士自治が解体させられたら、たまりません。どうやったら弁護士自治を守り抜けるか、市民のための司法の理想に一歩近づけるためにはどうしたらよいのか、必死の模索をしたのです。それを「後知恵」で、陰謀でもあったかのように批判する人がいて、司法制度についての議論が混迷させられました。
 私自身は、地方都市での弁護士生活を40年近く続けてきて、弁護士はまだまだ多くの市民と縁遠い存在だということを実感しています、かつての司法試験も難しすぎました。2万人の受験者で500人の合格者だなんて、少なすぎます。もっと早くから1000人、1500人の合格者にしておくべきだったのです。
そして、司法修習生を無給にして、奨学金を貸すなんて、国はせこすぎます。今度、1機100億円のオスプレイを17機導入するそうです。1700億円です。強襲揚陸艦とか、そんなものに使うお金はあっても、人材養成にはお金をケチる。国のあり方として、根本的に間違っていると思います。
この本を読んで初めて知ったこと、再認識させられたことがいくつもありました。
 弁護士自治を定めた弁護士法が成立したのは昭和24年(1949年)5月のこと、9月から施行された。この成立にあたっては、政府も裁判所も乗り気ではなかった。それを弁護士出身の国会議員の力で成立させた。弁護士が力を合わせて勝ちとったものと言える。
昭和11年に施行され旧弁護士法で、初めて女性弁護士が誕生した。
 このとき、弁護士試補は1年半の研修を義務づけられた。しかし、無給だった。そこで、政府から手当が弁護士会に支給された。弁護士会も予算措置をとって、弁護士試補一人に25~30円を支給した。
 司法修習生にアルバイトを禁止し、修習専念義務を課しておいて無給とするなんて、野蛮国のすることです。一刻も早く、司法修習生に対して、以前のように給費制を復活すべきだと思います。
 この本で、江戸時代の公事師と代言人について低く評価している点は納得できませんでした。まず、江戸時代にはたくさんの訴訟があっていたこと、それを公事師が支えていたこと。この点の積極評価がありません。
さらに、明治前半には裁判がとても多かったこと、江藤新平は、その点で積極的役割を果たしたこと。「多すぎる」裁判の抑制策として高額の印紙税制度が導入されたこと、そして、代言人の多くは自由民権運動の闘士として活動していたこと。これらの記述が抜けています。この点については、著者に補正してほしいと思いました。
 それはともかくとして、とりわけ多くの若手弁護士に読んでほしい、弁護士と弁護士会のあり方を論じた本です。
(2014年7月刊。1800円+税)

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2014年8月 2日

風の海峡(下)

日本史(戦国)


著者  吉橋 通夫 、 出版  講談社

 秀吉の朝鮮出兵は、朝鮮の人々に多大の苦難をもたらしました。
 その一つが、人さらいです。日本軍は朝鮮の子どもたちを奴隷のようにして日本へ連れ帰り、日本国内だけでなく、遠く海外へ売り飛ばしたのです。
 子どもたちは首を縄で巻かれ、全員がひとくくりになっている。一人ずつ逃げられないようにしているのだ。
 人取りだ!
 戦国乱世の日本では、捕らえた敵方の男は軍夫にし、女は妾にし、子どもは召し使いにした。文禄の戦のときは、太閣から人取り禁止の触れが出ていたが、今回は出ていない。
 太閣自身も、「裁縫や細工物などに堪能な手利きの女たちを連れ帰って差し出せ」と諸将に命じた。
 日本に連れていって、長崎で売り飛ばす。ポルトガル人と、鉄砲や絹、白糸など南蛮の品々と交換する。ポルトガル人は、世界中の奴隷市場へ商品として連れていって、競りにかける。若い娘や子どもは、いい値で売れる。
 京都には、いまでも耳塚があるそうです。日本兵たちは、朝鮮人を皆殺しにして、その鼻を切り取って塩漬けにして、日本へ送っていました。耳は二つあるけれど鼻は一つしかないからです。
 秀吉が死んで、徳川幕府の時代になって、朝鮮王朝は捕虜を連れ戻すための「回答兼刷還使」(かいとうけんさつかんし)を送り、7500人を朝鮮に連れ戻った。その後、通信使として朝鮮使節団が日本にやって来るようになった。
 子どもの目から見た、無謀なかつ悲惨な朝鮮出兵のありさまをよく描いた小説です。
(2011年9月刊。1300円+税)

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2014年8月 3日

かえる!かえる、かえる!

生き物


著者  松井 正文 、 出版  山と谿谷社

 世界のカエルが大集合した写真集です。同じカエルでも、こんなにいるのかと。びっくり仰天です。わが家には、梅雨時になると門柱に鎮座まします緑色の小型アマガエルがいます。なぜか、今年は今のところ姿を見せてくれません。
 庭のコンポストの水たまりには、これまた小さなツチガエルがたくさん棲みついています。すぐ下は、今は広々とした休耕田になっていますが、水田にしていたときには、ウシガエルのくぐもった低い鳴き声に悩まされていました。
 スズガエルは、緑と茶と黒の迷彩服を着た格好です。いわば戦闘服でしょうか・・・。
 緑色のニホンアマガエルもちゃんと紹介されています。わが家の門柱に座り込んでいるのと同じカエルです。
 トウキョウダルマガエルは、池の中にいて、両頬に大きな風船をふくらませています。
ワラストトビガエルは、どうやら空中をモモンガのように飛翔できるようです。カエルが空中を滑空するなんて、いささか不気味ではあります。
 カエルが笑っている写真があります。ナタージャックヒキガエルです。口の中に歯がないので、笑顔が本当に可愛らしいのです。
 中南米にいるヤノスバゼットガエルは、ブンブク茶ガマのような変な格好のカエルです。
オレンジヒキガエルは、前進が赤味の濃いオレンジ色をしています。
 ジョウメドクアマガエルは、白と濃茶のツートンカラーです。
 ヤドクガエルは、体内に毒をもつカエルです。
 アラハダヤドクガエルは、不気味に青く光る体色です。毒々しげです。
 トマトガエルは、イチゴのように真っ赤なトマト色の体色をしています。びっくりです。
 世の中のさまざまなカエルの写真を手軽にみれるなんて、なんて便利な世の中でしょうか。
(2014年6月刊。1600円+税)

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2014年8月 4日

サルなりに思い出す事など

生き物


著者  ロバート・M・サポルスキー 、 出版  みすず書房

 アフリカに単身わたって、ヒヒの群れに近づき長く研究を続けている学者の面白体験記です。といっても、著者は何度もアフリカ各地で怖い思いをし、死にそうになっています。それも、今となってはなつかしい笑い話として語ってくれるのです。
 著者の研究テーマは、ストレスの起因する疾病と患者の行動との関係を探ること。だから、ヒヒの群れを観察し、ストレス状況にあるヒヒを吹き矢で麻酔をかけて採血する。もちろん、仲間のヒヒに悟られないようにしなければいけない。危険と紙一重の命がけの研究だ。
 ヒヒは大規模で複雑な社会集団を形成する種。
群れのヒヒが食糧を確保するための狩りに費やす時間は、1日に4時間ほど。そして、ヒヒが誰かのエサになる心配はほとんどない。つまり、ヒヒは、通常、日中のおよそ6時間を、おたがいを精神的に煩わせることだけに使っている。まるで人間の社会と同じだ。
ヒヒの誰が誰と何をしたか。けんか、逢い引き、友だちづきあい、協力、恋愛...記録する。そして、ヒヒに吹き矢で麻酔をうち、ヒヒの身体の状態、つまり血圧、コレステロールのレベル、ケガの治癒率、ストレスホルモンの程度を調べる。
ヒヒの狩りは、無秩序に、勝手気ままにおこなわれている。最優位のオスは、いざというときに、群れをエサ場に導くことができない。
 捕食者に襲われたとき、最優位のオスは先陣切って戦い、子どものヒヒを守ろうとする。ただし、それは、その子どもが自分の子だと確信できるときに限る。それ以外の場合は、最優位のオスは、もっとも高く、もっとも安全な木の枝の上に陣取り。高見の見物を決め込んでいる。
 ええーっ、そ、そんな・・・。どうやって自分の子どもだと確信できるのでしょうか。人間だって我が子の判定は難しいというのに・・・。
オスのヒヒの地位は刻々と変化する。誰かが栄華を極めれば、他の誰かが権力を失い失脚する。ソロモンと名付けられたヒヒは3年間も最優位のオスの地位を守った。それは桁外れに長い。
メスのヒヒは母親の地位を受け継いでいく。姉が母親に次ぐ地位を獲得し、妹はその次の地位につき、やがて娘たちがそれぞれの地位で新たな家族をつくりあげる。
 近親相姦を防ぐため、ヒヒは、オスがもやもやした漂泊の思いに駆られて、群れの外へ出ていく。
 仲のいいオスのヒヒ同志が道で出会うと、挨拶がわりに、互いのペニスをひっぱりあう。
 高位のメスを両親に持つ幸運に恵まれた子どもは、低位のメスの子よりも、より早く、より健康的な発達をとげ、厳しい困難にあっても生きのびる可能性が高い。
 雄のヒヒにとって魅力的なメスの条件は、すでに何人かの子持ちで、その子どもたちが立派に育っていること。そのメスに繁殖力とよい母親になる能力があることを証明している。
雄のヒヒは、手強い敵に遭遇すると、他のヒヒに頼んで協力的な連合を形成することがある。
 ものごとが思い通りにならないとき、ヒヒたちがまず一番に考えるのは、どこかに憂さをはらせる相手はいないか、ということだ。戦いに敗れたオスたちは、周囲を探して大人になりかけの誰か、若者を追いかける。追いかけられた若者は苛立ち、大人のメスに突進し、メスは思春期の子どもをたたき、子どもは幼児を殴り倒す。ざっと15秒ですべてが終わる。
 これは、専門用語で「攻撃の置き換」と呼ばれる行動だ。ヒヒの攻撃行動のうちの信じられないほどの割合を、不機嫌な誰かによる、何の罪もない傍観者への八つ当たりが占めている。
 雄のヒヒに勤勉という言葉は似合わない。自分の欲望を抑えられないし、公共心もない。ついでに言えば、頼りがいもない。
 ヒヒの群れがついていくのは、年取ったメスのヒヒなのである。最優位のオスにつけ込む隙があるとき、頭の良いメスはすぐに気がつく。
60頭ほどのヒヒの群れの近くでずっと観察したのです。21歳のときから23年間です。すごいですよね。1頭1頭に名前をつけました。それも旧約聖書に出てくる名前です。
ひげもじゃの著者の顔写真が巻末にあります。ユダヤ人ながら無神論者を自認するスタンフォード大学の教授です。専門は生物学、神経科学、神経外科ということです。勇気があり、頭もすぐれている実践的な学者です。
この本を読んで、人間を知るためには、ヒヒも知る必要があると思ったことでした。
(2014年5月刊。3400円+税)

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2014年8月 5日

集団的自衛権の何が問題か

社会


著者  奥平 康弘  、  山口 二郎  、 出版   岩波書店

集団的自衛権の問題点について、いろんな人が多角的に明らかにした本です。とても時宜にかなった内容です。
 個人を離れた実体としての国家の権威を個人の上に置きたいと考える国家主義者にとって、国民に死を強いることのできない国家は、欠陥国家である。
 日本をそのような欠陥国家にした最大の元凶は、敗戦後に押し付けられた憲法9条であり、これを改正することによって日本はまともな国家に復権できる。安倍首相は、このように考えている。
 安倍は、政治家の名門であるが、祖父や父と違って、学歴エリートではない。だから、若いころから、祖父や父に対して劣等感を持っていたに違いない。
 安倍とその取り巻きの政治家は、「つよい劣等感をもった少年兵」である。彼らは、実際の戦争も戦闘も知らないゆえに、戦争を封印してきた政治体制に対して過剰に暴力的になっている。
  安倍首相は、1990年代以来の日本民主化の試みから生まれた鬼子である。安倍や橋下にとって、民主主義とは「決める人を決める」手続に矮小化されている。
 民意の絶対化、政治主導の絶対化は自分自身が要するに民意そのものであるから、自分に反対するものは民意に反するという権力の絶対化につながる。
 安倍首相の手法は、「必要は法を知らない」、目的を達成するためにはルールにかまっていられないという国際法の発想である。
 安倍首相の言葉の裏に、「戦争の火種」を小さく生んで大きく育てようという騙しの手口が見える。
 防衛省には、1993年につくられた、朝鮮半島有事に際して、日本人を救出する極秘計画がある。自衛隊は、米軍には一切頼ることなく、自衛隊だけで海外邦人を救出できることになっている。
 集団的自衛権とは、自衛ではなく、「他衛」を指している。売られていないケンカを買ってでる。そうなんです。自衛ではないんです。
 安倍首相の記者会見における発言は、
①戦争は突然に起きると思い込んでいる。
 ②日米の権力が同等だという前提に立っている。
 ③軍事技術の限界を無視している。
 まさに、安倍首相は軍事オンチである。安倍首相のいう「限定」容認論とは、結局のところ、日本が本格的な戦争に巻き込まれる入口に過ぎない。
 いま、日本人は、保守政治を自認する安倍首相の憲法破壊によって戦場に駆り立てられようとしている。「国民の戦死」と「戦費の増大」という巨大な負担は、日本人に重くのしかかる。21世紀の日本は、狂信的な首相の登場によって、世界が注視するなか不幸のどん底に転げ落ちようとしている。
 安倍首相は、いまが千載一遇のチャンスだと考えている。彼は、自分が自民党の中で、多数派でないことを自覚している。
 今の天皇は、戦後デモクラシーを全面的に容認している。
安倍首相は、集団的自衛権を本来の目的にそくして行使したとき、日本が戦争当事国となることにともなうリスクをまったく説明していない。
 抑止力というのは、相手より強いことが前提となって成り立つ概念である。相手国だって、抑止されまいと強くなるはずで、安全保障のジレンマに陥る危険がある。
 日本が攻められていないときに、集団的自衛権を行使すれば、日本が先に戦争の火ぶたを切ることになる。
 今の日本社会には漠然とした「脅威」を共有する空気ができつつあるのではないか・・・・。陸海空すべての司令部レベルで米軍との一体化がなされることになった。
 もし日本政府が歯止めを設けられないとなると、自衛隊を用いるにあたっての歯止めが国内には存在しない。それは、文民統制がきかないことを意味している。
 安倍首相は、集団的自衛権を行使した「後」のことについてはまったく言及しない。日本が攻撃すれば、日本本土への報復攻撃を行われるだろう。
 国の安全保障中心は、「攻められない」ようにする条件をいかにしてつくりあげるか、にある。
 「怖いのか、臆病者め」と言われたとき、「はい、怖いです」と答えられる社会は健全だ。「平和ボケ」より、「軍事中毒」のほうが、はるかに有害だ。
 憲法9条を集団的自衛権を認める意味に解釈変更することは、解釈の限界をこえ、立憲主義に対する挑戦である。
何度も、そうだ、そのとおりだと叫んでしまいました。
(2014年7月刊。1900円+税)

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2014年8月 6日

先進国・韓国の憂鬱

朝鮮(韓国)


著者  大西 裕 、 出版  中公新書

 日本と同じように、韓国も大きな矛盾を抱えている国だということがよく分かる本です。いずこも悩みは深いのです。
 2012年12月の韓国の大統領選挙で朴槿恵(パククネ)が勝利した。このときの投票率は2007年に李明博が当選したときの63%に比べて大幅にあがり、76%になった。
 街宣車による連呼が禁じられているため、静かな選挙戦だったが、有権者の動員は進んだのだ。朴槿恵も対立候補の文在寅(進歩派の隠健中道)も、新自由主義的改革で深刻となった経済格差を解消しなければならず、そのためには財閥改革と社会福祉の充実をしなければならないという点では一致していた。このように、政策的対立は乏しいけれども、深刻なイデオロギー対立が高い投票率につながった。
 文在寅は湖南地方と若年層の支持を得、朴槿恵は嶺南地方と高齢者の支持を得た。
 韓国経済の快進撃は財閥系企業による。そして、その利益の大半は、財閥とごく一部の社員が得ており、一般市民や中小零細企業は、その恩恵にあずかっていない。
 韓国が財閥中心の経済構造になったのには、二つの要因がある。その一つは、財閥が歴代政権によって特権的に保護されたこと。その二は、自由化がすすみ、弱肉強食の市場原理が働くなか、政権と強く結びついて強い立場にあった財閥の一人勝ちの状況になった。
 ジニ係数と相対貧困率をみる限り、韓国はOECD諸国のなかで、それほど平等性の低い国とは言えない。しかし。貧困層の困窮度合いは、かなり深刻である。相対的貧困層に属する人々は、数が多いだけでなく、平均してかなり貧しい。韓国は、OECD諸国のなかで65歳以上でみると、最悪に近い。すなわち、韓国の高齢者における不平等は深刻で、貧困層の厚さも、その困窮度合いも際立っている。それは、社会保障制度の整備が遅れたことによる。
 そして、韓国の若年層は就職がしにくい。ワーキングプア、高齢者、若年層などに着目すると、韓国の貧困の状況は、かなり深刻だ。そのうえ、政府の対策は量的に不十分である。弱肉強食の世界を招きかねない新自由主義的な改革を推進したのは、1998年から10年間続いた、金大中、盧武鉉という進歩派政権だった。なぜか・・・?
 1998年2月、金大中政権は、進歩派の人々から大きな期待を受けて登場した。ところが、この政権は、新自由主義的としか思えない経済改革を次々に断行していった。
 金大中政権は、進歩派からは裏切ったと思われ、保守派には不十分と評価された。金大中には、アカ(パルゲイン)のレッテルがついて回った。
 それでも、韓国は曲がりなりにも福祉国家を実現した。
 次の盧武鉉政権は、二つの新しい福祉圧力に直面した。その一つは、少子高齢化の進行。その二は、「新しい社会的リスク」への対応。
韓国の福祉政治で不思議なのは、市民団体や労働団体が政治過程に参加しているのに、福祉団体はあまり目につかないこと。そもそも福祉を推進する団体があまり存在しない。存在しても、福祉の拡大には、それほど積極的ではない。韓国の福祉団体は、地方自治体から行政指導を受けることも多いため、行政にきわめて依存的な存在である。韓国には、福祉に関心をもちながら保守的という特異な事情がある。
盧武鉉は、いわば地域の草の根保守に足もとをすくわれてしまった。
 盧武鉉は、アメリカとの交渉には成功したものの、国内での批准に失敗し、条約の発効にまで持ち込むことができなかった。
 三八六世代の台頭は、それまで親米反北朝鮮があたり前だった韓国世論を大きく変えた。三六八世代とは、1960年代に生まれ、80年代に学生生活を送った、2000年当時に30歳代の世代を指す。彼らには、韓国という国そのものへの拭い去れない疑惑があった。そこで、ナショナル・アイデンティティという争点が浮上した。
 韓国の新聞市場は、三代新聞社の寡占状態にあるので、新聞を読む限り、保守的な言説しか国民には伝われない。
 米韓FTAについて、保守派勢力が支持し、盧武鉉を支えた進歩派は勢力が反対した。盧武鉉は、彼の信念からすれば予想外だったろうが、進歩派からは背信者よばわりされた。
 盧武鉉は、低所得層にいる人々が、彼が従事している産業の低生産性ゆえに所得を得ることができないことに注目していた。所得の低い状態から抜け出すには、彼らに教育と訓練と機会を与えることが必要だと考えた。貿易自由化が福祉政策と重なれば、社会的弱者の生活の質につながると盧武鉉は考えたのだ。
 盧武鉉は、伝統的な進歩派の考えとは異なる発想のために支持者から批判を受けた。そして、不幸なことに、保守派からも支持されなかった。
金大中、盧武鉉と二代10年にわたる進歩派政権は、結果的に支持者を裏切るような経済改革を行ってしまった。福祉国家化には成功したものの、量的規模は小さく、新自由主義的な改革が進んだ。
 李明博は、強いリーダーシップを発揮することができなかった。彼は、大衆からも政治家からも任期のある大統領ではなかった。
 李明博は、進歩派の反対で挫折を余儀なくされた。大統領選挙と国会議員選挙で敗北したものの、進歩派は衰えてはいなかった。
 韓国政治の矛盾とダイナミズムを、生き生きと分析している画期的な名著だと思いました。
(2014年4月刊。840円+税)

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2014年8月 7日

弁護士の失敗学

司法


著者  高中 正彦・市川 充 、 出版  ぎょうせい

 つい最近、恥ずかしながら弁護士賠償責任保険の適用を申請しました。控訴状のなかに当事者の表示が抜けているところがあったのです。もちろん私のミスだったのですが、運悪く年末年始の時期だったので、控訴期間内の補正が間にあわなかったのでした。私の方は上告したのですが、身内をかばう習性の強い高裁は棄却してしまいました(簡裁が一審だったのです)。
 弁護士過誤を避けるための5ヶ条。①受任事件を吟味する。②依頼者とのコミュニケーションに万全を期する。③ケアフルな執務を実践する。④知識・技能をアップする。⑤誰に対しても誠実に執務する。
弁護過誤を防ぐ7ヶ条。
 ①むやみに人を信用しない。
 ②こまめに報告する。
 ③常に冷静であれ。
 ④説明の腕を磨け。
 ⑤すべての事件で手を抜かない。
 ⑥おカネに魂を売らない。
 ⑦謙虚であれ。
 依頼を断る勇気をもつ。弁護士という職業は、どこから弾が飛んでくるかもしれない、危険一杯の職業である。
 依頼者は、えてして移り気なもの。そのような依頼者からの報酬で事務所を維持して生計を立てていかなければならないのが弁護士の宿命。
直感で、「あれ?」と思ったら、必ず、六法全書や基本書にあたること。この直感はかなりあたる。
裁判官は国家からの給与で生計を立てるのに対して、弁護士は依頼者からもらう弁護士報酬で生計を立てる。
ミスを防ぐには、多重の防止策が有用。事務員と連携して防止策を重ねる。場合によっては、複数の事務員に確認させる。
 「現場百回」、一度でも現場に足を運んでいると強い。
弁護士は、他人(ひと)の失敗でメシを食っている職業なのだから、弁護士が失敗しては、話にならない。性善説では、弁護士は生きていけない。
 いつでも、何年たっても、「思い込むな。初心に返れ」が必要である。
時間管理ができない人は、それだけでその人の評価を下げてしまう。
 必要でない原本は、なるべく預からないこと。
 依頼者層は、その弁護士の人格を写す鏡である。スジの悪い事件は、スジの悪い弁護士に自ずと集まってくる。
 「すべて先生(弁護士)におまかせします」というタイプは要注意。そんなことをいう依頼者は、決してすべてを弁護士に任せる気などない。
 弁護士のなかには、自分の依頼者はすべて正しく、相手方はすべて悪だと思い込み、断言するタイプがいる。
 本当に困ったタイプの弁護士がいます。一見すると、依頼者にとって「頼もしい」存在なのですが、適正・妥当な解決を遠ざけてしまって、紛争の泥沼のなかで、もがくばかりという危険もあるのです。その見きわめは、大変困難です。
 依頼者に、こまめに報告書を送るのが大切。できるだけ、その日のうちに送る。
私は、この報告書は、FAXとかメールでしてはいけないと考えています。あくまで郵送です。この間に、別の事件処理ができるからです。メールではレスポンスが早すぎます。
若いときには、小手先だけで要領よくやろうとするのではなく、徹底的に考え、調べて書面をつくるべき。若いときに努力しなかったら、弁護士としての成長はありえない。
事件ファイルは、弁護士の命である。きちんと整理しておくこと。
去っていった依頼者は追わない。
依頼者とのトラブルが生じたときには、気心の知れた弁護士に相談すべきである。
 依頼者に共感することはあっても、この依頼者は自分が絶対に幸せにしなければならないと思い詰めてはいけない。依頼者と手を取り合って泣いたりしてはいけないのだ。
 この40年間、私も思い返せば恥ずかしきことの数々でした。それでも、なんとか仕事を続けることができています。ありがたいことです。初心に立ち返ることの大切さを改めて認識することのできた本です。多くの若手弁護士に読んでほしいと思いました。
(2014年7月刊。3000円+税)

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2014年8月 8日

高齢者が働くということ

アメリカ


著者  ケイトリン・リンチ 、 出版  ダイヤモンド社

 アメリカはマサチューセッツ州のボストン郊外に針を製造する小さな会社がある。従業員40人は全員パートタイム。その従業員の2人に1人が74歳以上。従業員は10代から90代まで。30代、40代、50代の従業員もいる。
 従業員には医療給付も退職給付も支給されない。時給は9ドルからのスタート。勤務時間は従業員自身が決める。午前3時半から7時間はたらく従業員もいれば、午後3時にやってきて、4時間だけ働く人もいる。
 工場は2階にある。階段が19段ある。この階段をのぼること(のぼれること)が、ここで働くための暗黙の前提条件になっている。
ここでは互いに協力しようという意識、力をあわせて働き、共通の目標を目ざそうという意識が広く行きわたっている。
 かつて社会的地位の高いホワイトカラーの仕事をしていた従業員たちが、現在の自分の立場を単なる労働者だと認識している。
 ただし、大企業で長く働いてきた人は採用しにくい。
この会社は、2008年制作の映画「年年生活者株式会社」で紹介された。
 これだけ高齢者が多いのに、作業がちゃんと行われて業績もよい。低賃金にもかかわらず、誰もが社長を慕い、とても熱心に働いている。
 そうですよね。定年後も、自分の好きな時間に、思うように働きたいという気持ちは私にもよく理解できます。特殊な針を製造しているという有利な面もあることでしょう。それにしても、99歳の超老婦人が生産現場で働いているなんて、とても信じられません。
働くことの意味、そして、高齢者にとって働くことは人生を意義あるものにすることなんだと思わせる良書でした。
(2014年4月刊。2400円+税)

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2014年8月 9日

黒部の山賊

社会


著者  伊藤 正一 、 出版  山と渓谷社

 昭和39年(1964年)に刊行された本の復刻本です。ですから、この本で最近とか現在とあるのは、1960年代前半のことになります。つまり、今から50年も前の日本アルプスの山々の情景が描かれているのです。
 山小屋をつくり、道をつくり、熊に出会い、山賊のような人々がアルプスの山々を歩いている時代です。大勢の凍死者も出しています。救援活動も命がけでした(これは今も同じなんでしょうが・・・)。
 そして、モノノケに驚き、脅かされます。死んだ人が山小屋に顔を出すのです。
 北アルプスの尾根筋は、真夏でも最高14~18度。朝には氷が張ることがある。高度3000メートル。晴れた日でも秒速30メートルの風が吹く。荒れると秒速70メートルにもなって、小屋が土台ごと舞い上がって空中分解してしまう。
 人体の感じる温度は、風速1メートルにつき、1度下がったのと同じ。雨で身体が濡れていると、気化熱のために体温が奪われるので、その何倍にもなる。こうして、体温が28度ほど下がって、真夏でも簡単に凍死してしまう。
 凍傷の場合は急激に温めてはいけない。しかし、凍死寸前の場合には、一刻も早く温めるのがよい。温まると、忘れたように治ってしまう。
 ゴアテックスが発明される前は、山で雨が降ると、凍死寸前の人々が2~30人も山小屋に飛び込んできた。うへーっ、こ、こわいですね。
 熊は耳と鼻は非常に敏感だが、目はあまりよくない。したがって、風下から、音を立てないようにして近づくのが熊狩りのコツである。熊を殺して、大きな鍋で肉を煮て食べる。熊の腸を鍋の中に入れる。腸の中には、排泄寸前の糞がぎっしり詰まっている。これを入れなければ味が出ない。これが山賊たちの食事だ。うへーっ、こ、これはなんとも食べたくありませんよね・・・。最後に、熊の足の裏を薄く切って焼いたのを食べる。どんな味がするのでしょうか。
 健全な者でも、山小屋に入って20日間もすると、ぐっと能率が低下する。忘れっぽくなり、計算も出来なくなる。最盛期を過ぎてひまになってくると、ボケかたがひどくなり、しまいには気力がおとろえてくる。そして、山々が新雪におおわれることになると、底知れない孤独感と人間社会に対する限りない郷愁におそわれる。これは、奥地の小屋ほど、人数が少ないほど、そして未経験者ほど、強くあらわれる。
 山で熊に出会ったら、恐れずににらみあっていること。背中を見せて逃げてはいけない。背中を見せたら、飛びかかってこられる。ピッケルで殴ったりしても熊に致命傷を与えられず、かえって熊を怒らせてしまう。身をかわしているうちに、熊のほうがやめてしまうだろう。
戦後まもなくの、のどかな時代でもあったようです。写真もあって、当時の雰囲気をよく忍ぶことができます。貴重な山の本だと思いました。
(2014年4月刊。1200円+税)

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2014年8月 8日

校閲ガール

社会


著者  宮本 あや子 、 出版  メディアファクトリー

 とても面白い本でした。『舟を編む』のパロディー本かと錯覚してしまいました。あちらは辞書を編集する現場の変人たちの話でしたが、こちらは編集の下に位置づけられる校閲部の変人たちのオンパレードです。
 校閲(こうえつ)とは、文書や原稿などの誤りや不備な点を調べ、検討し、訂正したり、構成したりすること。
 私はモノ書きを自称すると同時に、編集も業としてきました。他人の書いた文章を反復継続して手直ししてきたということです。ほとんどペイしていませんので、「対価」がなければ「業」とは言えない・・・。それでも他人の変な文章を見ると、すぐに赤ペンを入れたくなります。
カギカッコの直前に句読点はつけないという不文律があります。しかし、このことは意外に、多くの人が知りません。そして、エッセーの小見出しに数字を付すのもやめてほしいです。
 まあ、それはともかくとして、好きでもない校閲部にまわされ、泣く泣く嫌な校閲の仕事をしている独身女性の悦子が主人公です。
 平凡でお気楽な女子大生だった悦子は、気合いと根性だけで難関の景凡社の入社試験を乗り切った。ファッション雑誌の編集者になることを夢見て入社した悦子が配属されたのは、地味な裏方仕事の校閲部。がーん。・・・・。
通常、仕事に慣れた校閲者が一日で完璧にできるのは、1日25頁ほどだとされている。
 私も、他人のあらを探すのは得意なのですが、自分の書いた準備書面を裁判所に提出したあとに読み返すと、たくさんのボロを見つけてしまい、赤面の至りです。そうなんです。思い込んでしまうと、あらは見えなくなるものなのです。
 表に出ないはずの閲覧部の悦子がなぜか作家本人と直接話すようになり、果てはその作家が「逃亡」すると、その所在探しにまで駆り出されるのでした。そのあたりには謎解きも入って、ちょっとしたミステリー小説の気分を味わうことが出来ます。
 今どきの女性の乱暴な男言葉が、話の展開を軽快なものにしています。
 軽いタッチでテンポよく話が展開していきますから、ふむふむ、この次はどうなるのかなと、おもわず話に引きずりこまれてしまいました。軽い気持ちで読める、うさ晴らしにもってこいの本です。
(2014年3月刊。1200円+税)

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2014年8月11日

記憶力の正体

人間


著者  高橋 雅延 、 出版  ちくま新書

 私は、他人(ひと)からは記憶力がいい奴だと思われているようです。でも、自分では、記憶力がいいのか悪いのか、よく分からないというのが正直なところです。
 記憶力がいいという意味では、私は高校生だったころ、歴史は日本史も世界史も得意中の得意でした。年代も人名もよく覚えていたものです。記憶力が悪いという点では、歌詞はまったく覚えることができません。人の名前も、すぐに忘れてしまいます。
 好きこそモノの上手なれ、というとおり、歴史は大好きでしたから、その論理的帰結を理解すると、忘れることがありませんでした。歌のほうは、小学生のころから苦手意識があり、今でもカラオケと聞くとすぐに逃げ出してしまいます。人の名前は、好きな人だと一生忘れることがありません。要するに、人間の記憶というのは、感情と深く結びついているのですよね。
 この本を読んで、人間の記憶力について、本当に勉強になりました。
 人間は自然にそなわった忘却力のおかげで、次々に起きる新しいことを覚えたり、自分の考えを先に進めていくことができる。
 ありがたいことに、どれほど辛い記憶であっても、時間の経過とともに次第に忘れられ、その辛さが軽減していく。バルザックは、「多くの忘却なくして、人生を暮らしてはいけない」と語った。つまり、忘却力がなければ、いつまでも辛い記憶にとらわれ、人生を前に進めることができないのだ。
 忘れるといっても、二つの意味がある。一つは、記憶が消滅してしまうこと。もう一つは、どこかに記憶としては残るけれど、それをうまく引き出せないケース。
 長期間にわたって細部まで鮮明なまま保存されると思われていたフラッシュバブル記憶にも、多くの記憶違いが起こることが判明している。
 感情的ストレスの強さは、ある適切なレベルまでは記憶を欲するが、その最適レベルを超えると、今度は逆に記憶が悪化してしまう。
 後悔にも二つある。「やったこと」に対する後悔と、「やらなかったこと」に対する後悔。年齢に関係なく、同じ後悔でも、「やったこと」の後悔よりも、「やらなかったこと」の後悔のほうが、いつまでも記憶にとどまる。
 完了した行動よりも、未完了の行動の方が記憶によく残る。これをツァイガルニク効果と呼ぶ。
 未完了課題のほうは、やり終えることができなかったという「心残り」があるため、自然に、何度もその課題を考えてしまう。この反芻が未完了課題の記憶を長く記憶にとどめることになる。
 本人の意識のなかから、トラウマ体験が切り離され(解離)、もはやその体験を意識的には思い出せなくなってしまう。これを解離性健忘という。
 解離になることによって、耐えられない破局的な苦痛を切り離すことができる解離状態になることができる。解離状態になることで、妥協できない葛藤を解消する。つまり、現実の強制から逃れることが可能になる。
 3歳より前の自分の記憶を思い出せる人はいない。なぜか?
 子どもは、1歳前後でことばを話せるようになるが、3歳前後で過去の出来事について断片的なものから、構造をもったものへ劇的に変わる。子どもの過去についての語り方が激変し、そのことによって、その体験が長く記憶に留まるようになって、幼児期健忘は終わる。
 要するに、構造的な話し方ができるようになると、その前の断片的な話し方は追いやられてしまい、構造的な話し方にみられる記憶こそが繰り返し頭のなかに定着してしまうということなのでしょう。やっと、私の長年の謎の一つが解けました。
 不快なことを忘れ去るためにはどうしたらよいか?
 嫌なことであっても一度だけは他者に語るべきだ。語るためには話を組み立てなければならず、そのためには、自分と他者が理解できるように構造化しなければならない。理解可能な語りとして加工することで、理解できない理不尽な細部は消え去る。
 他者に語る作業では、相手が理解できるように、その内容を整理し、首尾一貫性をもたせなければならない。このことによって解離した身体記憶の断片が一貫性をもつようになり、自らの記憶として統合される。忘れたければ、二度と語らないでおけばよい。
他者に語る作業こそが、私たちの記憶に対して大きな影響を与える。
記憶の定着に重要なのは、思い出す回数を増やすこと。だから、同じ時間だけ勉強するのなら、やみくもに何度も参考書を読むよりも、何度も問題集を解いた方が記憶にとって有効なのだ。
 私たちの記憶は、決して生のまま丸覚えされるものではない。必ず、何らかの解釈を通して変容されてしまうものなのだ。
 「現在の呪縛から解放される」ため、知らないうちに、記憶をつくり変えてしまうこともある。
 人間の記憶とは、必ずしも正確な再現ばかりではない。
 とても納得できる記憶力の本でした。みなさんに、一読されることを強くおすすめします。
 ちなみに、私はフランス語の単語もよく覚えられません。でも、長年やっているうちに、どうにか聞きとれるようにはなりました。うまく話せないもどかしさを痛感しつつ、毎朝、CDを聞いて聞きとりしています。
(2014年6月刊。840円+税)

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2014年8月12日

台頭するドイツ左翼

ドイツ


著者  星乃 治彦 、 出版  かもがわ出版

 日本の左翼は、少なくとも国会の議席数をみる限り、元気がありません。それでも、国会外の動きでは、それなりに復調傾向にあると思われます。国会の外の世論の動向が国会の議席数に反映するためには、今の小選挙区制を撤廃するしかありません。完全比例代表制にしたらいいと私は思います...。
 ドイツでは左翼が、このところ健闘しているようです。この本はその実情と克服すべき問題点を分かりやすく伝えています。2009年の選挙で、ドイツの左翼は515万票、76議席を獲得した。2013年の連邦議会では、若干の後退をしたが、連邦議会内の第三党になった。いくつかの州では、連立政権の一翼を担っている。ドイツ左翼党は、旧東ドイツ地域で25%の得票率を占め、全体としても12%の票を集めた。
 ドイツ左翼党は、ドイツにおける五党体制を定着化させている。
 ひところは消滅するとまで思われていた東ドイツの政権党が、なぜ生き残ったのか、そして今、躍進しているのか・・・?
 1990年~1991年の湾岸戦争のとき、ドイツ左翼党の前身であるPDS(民主的社会主義党)は、緑の党さえ戦争支持に転じるなかで、平和主義の立場から発言する唯一の野党としての顔をもった。
 PDSは、1994年の選挙で、政策的に一致できる人を選挙リストに組み入れていくという、オープン・リストで対応し、「左翼ブロック」を模索した。
 ドイツ左翼党の党員は7万人前後で推移してきた。東西の比率は、かつて7対3だったが、今では2対1にまで是正された。左翼党は、今や、ドイツ全体における社会的弱者の党へ変貌している。
ドイツ左翼党では、中央集権的構造力がなく、下部組織の自律性が非常に強い。「上」からの指導がないだけに市民の意見をとり入れやすい。
 そして、左翼党の指導部は確固として統一性をもっていない。左翼党内には、さまざまな左翼的潮流をかかえこんでいる。現在の左翼党は、自分たちの活動の源泉をレーニンに求めていない。レーニン的前衛党論はとっていないのだ。
 近くて遠い、ドイツの政治をのぞいてみた気がしました。
(2014年1月刊。2600円+税)

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2014年8月13日

オオカミ

生き物

著者  ギャリー・マーヴィン 、 出版  白水社

 日本は西欧諸国に比較すると、オオカミへの親和性の高い国だということです。
 なるほど、そうかもしれません。日本のオオカミはとっくに絶滅してしまっていますし・・・。
 オオカミは、1日あたり、3.3キロの肉を必要とする。獲物があるとき、食べられるだけ食べておく。獲物が大きいときは、大量に食べる。オオカミの成獣の胃の容量は7~9キロで、大きな獲物を食べるときには、体重の25%も詰め込む。
 オオカミの群れは、平均して3~11頭のあいだ。みな、夫婦と兄弟姉妹だ。
 仔オオカミは、1年から3年のあいだ、何をするにも両親と一緒に過ごす。
典型的な巣穴は、体高よりも広い入り口と、長さ4メートルにも及ぶトンネル。入り口は水が侵入しないように上向きのことが多い。
 繁殖するのは両親だけで、最初の年に育てた仔が、新たに生まれた仔オオカミをさまざまな方法で世話する。
仔オオカミは成獣のオオカミに遊んでもらい、その鼻面をなめて餌をせがむ。
 オオカミの遠吠えは、オオカミ自身にとって大事なことを伝えあうためのもの。たとえば、競合関係にある群れ同志が互いに遭遇してしまうのを避けるための仕組みになっている。
 群れのメンバーは、個体それぞれの感情の状態や物理的な存在を他の個体に伝える複雑なシグナルを通じて、また他の個体からの合図に対する自身の応答を通じて、その社会生活を営んでいる。
 ヒトラーは、個体的にも軍事的にも、オオカミを思わせる用語で、自らを包んでいた。自分の名前が古ドイツ語で「高貴なオオカミ」を表すコトバに語源があることを誇りに思っていた。
 ヒトラーは、お気に入りのジャーマンシェパード犬のブロンティの仔犬の一匹をヴォルフと名付けた。それは、彼が触れることを許した唯一の生き物だった。
 1930年代から、狼などの補食動物を殺戮することに疑問を感じる人々があらわれた。
 自然のバランスという視点で物事をとらえる発想が生まれた。オオカミは貴重であるだけでなく、捕食を通じて野生の草食獣の群れが健全に生存していく能力を維持するのに欠かせない役割すら演じる存在だと理解されるようになった。
 アメリカでもオオカミをよみがえらせる取り組みがすすんでいる。
日本では、もう無理なのでしょうか・・・。オオカミを見直すことも必要だと思ったことでした。
(2014年5月刊。2500円+税)

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2014年8月14日

睡眠のはなし

人間


著者  内山 真 、 出版  中公新書

 眠れない夜のために。
私は幸いなことに寝つきは良いほうです。たまに、すぐに眠れないことがあるのですが、それは間違って夜7時以降にお茶かコーヒーを飲んでしまったときのことです。原因は、はっきりしています。
 ただ、夜中に一度、目を覚ますことがあります。そのときは、トイレに入って用を足し、顔を洗って、もう一度、すっきりして横になります。すると、再びすぐに寝入ることができるのです。
 睡眠をしっかりとるのが、何よりの元気の素です。徹夜なんて、弁護士になってから、したことがありません。
不眠を訴える人は、5人に1人。30人に1人は、睡眠薬を服用している。
 朝型か夜型かは、遺伝子による。つまり、生まれつきの体質である。
 中高年層が若年層より早く出勤するのは、やる気があるからではなく、脳にある睡眠調節機構の老化によるもの。
 睡眠は、他の生物と共通の仕組みで制御されている。眠っているときには、私たちは人間というより、霊長目に属する、ただの哺乳類になる。
 身体が休む時間帯に、大脳をうまく沈静化して休息・回復させ、必要なときに高い機能状態の覚醒を保証する機能のために、睡眠がある。
 高等な哺乳類にとって、睡眠とは、身体が休むときに、脳の活動をしっかり低下させ、休養させるシステムなのだ。体内の温度を積極的に下げ、まるで変温動物のようになって、脳と身体をしっかり休息させる。
 体内の温度が下がると、生命を支えている体内の化学反応が不活発化する。つまり、代謝が下がり、休息状態になる。
赤ちゃんの手が温かくなるのは、眠たいサインだといわれるのは正しい。熱を逃して、脳の温度を下げ、眠気を誘って脳を休ませている。
 一晩の80%がノンレム睡眠だ。すやすやと深い寝息をたて、ゆったりと眠っている。ノンレム睡眠のときには、日中に疲れた大脳皮質は眠っているが、脳の一部では耳から入る情報をモニターしている。
レム睡眠は、一晩の睡眠の20%を占める。呼吸が浅く、やや不規則で、目が開き加減でまぶたがピクピク動く。レム睡眠は、夢をみている睡眠だ。目の動きが活発であるのと対照的に、全身の筋肉の緊張が著しく低下している。
 ノンレム睡眠中は、レム睡眠にみられるような鮮明な夢をみることはない。大脳がほぼ完全に休んでいるからだ。ノンレム睡眠の意義は、主として脳を休ませることにある。
 もともと身体を休ませるためのレム睡眠があり、これは脳を積極的に休ませる機能はなかった。高等動物になり、大脳が発達してくるにしたがって、脳を積極的に休ませる仕組みが必要となり、ノンレム睡眠が発達した。
 身体が休むレム睡眠のときには脳は目覚めていて、脳が休むノンレム睡眠のときには、筋肉は完全に休まない。このようなシステムには、眠っているときの無防備な時間を最小限にするという利点がある。
 睡眠時間は、短すぎるのも長すぎるのも健康には良くない。6時間台、7時間台という、ほどほどがもっとも健康的。
睡眠不足は、食欲増強ホルモンであるグレリンを増やして食物に対する欲求を高め、さらに満腹ホルモンであるレプチンの分泌低下により満腹感の得られない状態をもたらす。
 うつ病の人の体温は健康な人よりも高い。体温を下げて心身を休息状態にもっていく仕組みが不調になっているためだろう。
 レム睡眠では、眼球を動かす筋と呼吸のために必要な胸部の筋以外の筋はほぼ完全に弛緩している。夢は、レム睡眠という、ごく浅い眠りの状態に随伴する内的体験だ。
 レム睡眠のときには、外部からの感覚入力と筋肉への運動出力が遮断されて、脳が外界から孤立して働いている状態である。
人間の身体の休息と脳の休息とが微妙に連動していることを知りました。
(2014年5月刊。760円+税)

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2014年8月12日

官房長官、側近の政治学

社会


著者 星 浩、出版 朝日新聞出版
内閣総理大臣(首相)が「主任」であるのが内閣官房であり、その内閣官房の「事務を統轄する」のが官房長官である。
 官房長官は、首相の「補佐役」「女房役」といわれる。
 首相という強大な権力を支え、時には利用していくのが、官房長官の役割であり、力の源だ。
 では、なぜ首相は強いのか?
 第一に解散権をもっている。衆議院を解散する権限を有している。
 第二に、多くの人事権をもっている。大臣、最高裁長官、日銀総裁、東電会長、NHK会長も首相が決定する。
 第三に、予算編成権をもつ。
 官房長官は、明治憲法下では「内閣書記官長」と呼ばれていた。
 現憲法下では、はじめは天皇の認証の対象ではなかった。1963年の池田内閣から認証官となった。それまでは大臣よりも格下のポストだったが、大臣待遇となった。
 官房長官の仕事は、三つある。
 第一に、記者会見。実質的に権力の中枢にいて、実際の政策決定にも関与している政府首脳が、定例で記者会見しているところが、諸外国とは異なる。
 第二に、霞が関全体の調整役という役割を果たしている。そして、いわゆる危機管理の中心になる。
 第三に、政権与党との調整をしている。
 子分型の官房長官は、大先輩である首相から宰相学を学び、その経験をステップにして幹事長などの実力者を目指す。
 毎日、首相を近くから見ていて、「俺もいつかは首相に」「このくらいの首相なら、俺にだってつとまる」と考えるようになる。
 しかし、首相と官房長官との間には目に見える距離からは考えもつかない「大きな距離」がある。
 官房機密費というものがある。領収書なしで内閣が支出できる14億円もの予算だ。正式には、「内閣官房報償費」という。この官房機密費の支出は、官房長官の専権事項だ。
 かつては、外務省分の20億円とあわせて、総額30億円もの官房機密費があった。毎月1億円が野党などへの国会対策費につかわれている。要するに、野党を買収・接待する費用だ。もちろん、税金である。
 もう一つ政権中枢に対する批判的コメントが欲しいところだと思いました。
(2014年7月刊。1200円+税)

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2014年8月16日

「毎日パンダ」

生き物


著者  高氏 貴博 、 出版  平凡社

 いま、私のブログでも和歌山・白浜のパンダを連続して紹介しています。
 パンダって、本当に不思議な生き物ですよね。熊なのに、竹を主食とするなんて・・・。そして、黒と白のツートンカラーで、白い顔に黒いフチ取りの大きな目。とても愛らしくて、ついなでなでしたくなります。でも、子どもパンダはともかくとして、大人パンダだと、飼育員も同室にいるのは危険なので禁じられているそうです。
 白浜では、1時間ほどじっくりパンダを観察させてもらいました。
 小さな池に半身つかって眠りこけているパンダ。岩にもたれかかって爆睡中のパンダ。そして、やおら動きまわったかと思うと、青竹をバリバリとかみくだいて食べるパンダ。
青竹なんて、美味しいとも思えないのに、ひたすら食べるパンダの姿を見て、とてもクマの仲間だとは思えませんでした。
 初めてパンダを見た都会人は、なかに人間が入っているとばかり思ったとのこと。さもありなんですね・・・。
 この本は、なんと、上野動物園に毎日通っているという、物好きなおじさんのとったパンダの写真集です。
 パンダって、眠りながらもいろんなポーズをするのですね。それがまた、面白いのです。
通いはじめのうちは、二等のパンダの見分けがつかなかったのが、次第に即座にオスのリーリートメスのシンシンを見分けることができるようになったのでした。といっても、両者を並べてくれないと、ちょっと見分けるなんて、できませんね。
 動物園生活のパンダをいじめに来るのがカラスだというのを知り、なるほど、と思いました。パンダの背中の毛を抜いて巣材にしたりするのです。
 パンダの肩にとまったり、カラスは遊びたい放題。それでもパンダは相手にしません。別に殺し合いに発展するわけではありませんから、いいか・・・。
 パンダは、大胆のように見えて、実はとてもデリケートな動物だ。といっても、人がたくさんいても、あまり気にすることはない。
「毎日パンダ」はブログでも見られるとのことで、私も眺めてみました。
 著者は、よほどヒマな年寄りかと思うと、仕事で忙しいとのこと。青年というより壮年のようです。それでも、3時間の行列に並んでまでパンダの写真を毎日とるなんて、見上げた根性をしていますね。この著者は・・・。
(2013年6月刊。1100円+税)

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2014年8月17日

仕事道楽(新版)

人間


著者  鈴木 敏夫 、 出版  岩波新書

 著者は私と同じ年齢(とし)です(1948年生)。つまり、憎まれっ子、世に幅かる、という団塊世代なのです。宮崎駿(はやお)監督のそばにいて、プロデューサーとして大活躍してきた人物です。
大事なのは、いま、目の前。昔は、もう、どうでもいい。宮崎駿(宮さん)とは、いつも、今のことをしゃべっている。昔の話はしたことがない。今やらなければ、いけないことを話す。それだけで、しゃべることは山ほどある。
仕事は、公私混同でやる。これに尽きる。この仕事をやってほしいと他人に頼んだら、すべてをまかせる。
 編集者型のプロデューサーは、一人の作家に作品をつくってもらうのが仕事。作家の最初の読者になって、どう相槌を打つか。相槌をうまく打つには、その作家の教養の元を知っていて、自分も同じレベルの教養を身につける必要がある。教養の共有の程度は、相槌の打ち方にあらわれる。
ジブリ全作品のなかで、『トトロ』と『火垂るの墓』は一番客の来なかった作品だった。『トトロ』が大人気を得るのは、テレビで放映されてからのこと。
 私は、うちの子どもには成人通過儀礼として、『火垂るの墓』を見なければダメだと言い続けました。私自身は一回みましたが、それで十分です。あまりに切なすぎて、夜、眠れなくなりますので・・・。子どもが可哀想で可哀想で、思い出すだけで涙が出てきてしまいます。
 この文章を読んでいる人のなかに、まだ、『火垂るの墓』をみていない人がいたら、ぜひ見てくださいと叫びたくなります。戦争の悲惨さをしっかり味わうことができます。安倍首相とアッキー夫人には、とりわけ見てほしい映画です。
 『風の谷のナウシカ』は100万人に届かなかった。ところが、『もののけ姫』は1420万人。とんでもない数字だった。
 ディズニーが、アニメ映画で唯一、興行成績でトップに立てないのが日本だ。宮崎駿はエンターティナ―、高畑勲はアーティスト。そして、二人とも理想主義者。著者は現実主義者。だから、この二人とずっとやれてきた。
 三鷹にあるスタジオ・ジブリにはまだ行っていません。ぜひ行きたいと思っています。
 楽しい本です。映画を思い出して、クスクスと笑いだしたくなります。
 でも、巨匠を支えて「現実主義者」がいたことも分かりました。ひき続き、がんばってくださいね。
(2014年5月刊。880円+税)


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2014年8月18日

南極観測隊のしごと

社会


著者  国立極地研究所南極観察センター 、 出版  成山堂書店

 日本の南極観察も50年の歴史を刻んできた。
 タロ・ジロの冬の南極基地置き去り事件も、久しい昔の話となりました。今も一年中、日本人が南極にいて観測を続けているのです。たとえば、その一つが南極で隕石を発見し、回収する仕事です。これまで、4万個が見つかっていますが、うち日本は1万7000個の隕石を保有しています。しかも、隕石は月からだけでなく、火星からのものもあるのです。これには驚きました。よく、その違いが分かるものですよね。
 南極や北極は、地球規模の大気循環を駆動させるエンジンとして作用している。氷におおわれている南極大陸では、大気が冷やされて大陸斜面を加工するカタバ風が、1年を通じて吹き続ける。このカタバ風を補うように、大気が南極大陸の中央上空に収れんする。
 南極周辺部の海水は冷やされ、表層から深層へと沈みこみ、南極底層水を形成し、地球規模の海洋大循環駆動エンジンの役割を果たしている。
観測隊は、観測系と設営系で形成される。また、夏隊と越冬隊に分かれる。
 1987年の第29次隊から、女性隊員が参加している。39次隊では、女性越冬隊員が2名参加した。2006年の48次隊には、7名もの女性隊員が加わった。
 隊員は、感情の起状をうまく収めて仲間と協調できることが必要だ。高度の専門的能力だけではなく、想定外の問題が発生したときにも、迅速かつ柔軟に対応できる資質が求められる。型にとらわれない、自由な発想で対処すべし、ということ。
 基地での最大の楽しみは「食」。公募に応じた人のなかから、2人がコックとして選ばれている。基地では、モヤシ30キロ、カイワレダイコン20キロを生産している。レタス20キロの水耕栽培にも成功した。
 南極でのフリーズドライ食料が成功したので、宇宙食にも採用された。
これまでの事故で亡くなった隊員は一人のみ。猛烈なブリザードのなか、自分のいる場所が分からなくなる「ロストポジション」と呼ばれる状況に陥った。その隊員の遺体は7年後、行方不明の地点から4キロ離れた場所で発見された。
 コウテイペンギンの雄たちが集団でブリザードに耐えて、必死に子どもを守っている状況を連想してしまいました。
 行ってみたいけれど、とてもいけそうもない南極の基地の様子を知ることが出来ました。
(2014年3月刊。2400円+税)

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2014年8月19日

過労自殺(第二版)

社会


著者  川人 博 、 出版  岩波新書

 初版は1998年4月に出ています。今回は全面的に内容が改訂されています。
 過労自殺とは、仕事による過労・ストレスが原因となって自殺に至ることを意味する。過労自殺は、過労死の一種である。
 新しい産業として注目を集め、多くの若者が働いているIT関連業界で、若い技術者、とくにシステムエンジニア(SE)が過労の末に死亡するケースが増えている。
 SEは、実はスレイブ・エンジニア(奴隷技術者)なのではないか。労務管理が変化し、多くの若者に過度のプレッシャーを与え、精神疾患の増加と過労自殺の原因となっている。
 一年目から過度の成果をあげることを性急に求められる。このような目先の成果を追い求めようとする経営姿勢は、職場のゆとりを奪い、労働者の健康を損なうことによって、従業員の労働能力を減退させ、企業の社会的評価を低下させ、結局のところ経営自体の発展を阻害している。若者に対する労務対策は早急に改善されなければならない。
 私もそうだと思います。非正規労働者として使い捨てにし、死ぬまで働かせるなんて、とんでもない労働環境です。
 この是正のためには、労働組合も強くなければいけません。「連合」って、いったい何をやっているのでしょうか・・・。かつての総評と違って、残念なことに、まるで存在感がありません。
パワハラに似たものとして、部下からの執拗な嫌がらせ、脅迫にあって、ついに自死してしまった中間管理職の話が出てきます。そういうことも大いにありうると、弁護士である私も自らの体験をふまえて思います。何しろ、弁護士に対してすら、横柄な口のきき方しか出来ない人がいるのです。いえ、別に弁護士を上にもちあげろというのではありません。人間として対等であり、平等のパートナーであるのに、そう思うことのできない人が皆無ではないどころか、少なくないということを言いたいのです。
過労自殺者は年間2000人以上にのぼると思われる。20歳前後から60歳以上まで、広範に広がっている。若い世代の割合が多い。
 過労自殺者は、程度の差こそあれ、事前に体調不良を訴え、一般内科で受診していることが多い。残念なことに、多くの人がこの初診の段階でうつ病などの精神障害の診断を受けずに、精神科での適切な受診の機会を逸している。
 多くの企業は、労働条件や労務管理の問題をタナにあげ、自殺を労働者個人の責任としてとらえる傾向が強い。
 そして遺族に対して、「会社に迷惑をかけた」として高圧的な態度をとり、遺族は、「申し訳ない」とお詫びする立場に立たされる。自殺の基本的原因をつくった加害者側が、遺族=被害者側をしかりつけるという、まことに本末転倒な事態がおきている。さらに、企業を監督すべき立場にある労働行政が十分に機能していないことも多く、その結果、過労自殺が発生しても、企業側に真摯な総括がなされず、職場の問題点がそのまま放置されてしまうことも多い。
 カローシは国際語になったようですが、その一種としての過労自殺の実情と問題点、さらには対策と予防法について、この問題を長く専門としてきた弁護士が明快に解説している好著です。
 大学生のときから敬愛する著者(私の方が一学年だけ上です)から贈呈していただきました。ありがとうございます。今後とも一層のご活躍を祈念します。
(2014年7月刊。820円+税)

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2014年8月20日

転換期の日本へ

社会


著者  ジョン・W・ダワー/ガバン・マコーマック 、 出版  NHK出版新書

 日本は、アメリカへの従属を続けるのか、それともアジア中心の新たな安全保障体制を構築するのか、その選択が迫られている。まことに、そのとおりだと私は思います。
日本にアメリカ軍基地が置かれている理由の一つに、万一、日本が再び自立的に軍国主義的な道に進もうとしたときに備えて、日本に対する管理を確実にすることがある。
憲法は、自衛隊の持てる兵器と参加できる任務の双方を制限するうえで、十分な影響力を保ち続けている。
 日本の再軍備に対する制限を取り除くために改憲を支持する人々は、改憲すれば、日本は国連が後押しする平和維持活動に参加する「あたりまえの国」になることができ、自国を防衛する自立的な能力を高めることができる、と論じる。だが、実際のところ、日本は再軍備すればするほど、アメリカの戦闘活動に実質的な貢献をしなければならなくなるという、逆らい難い圧力の下に置かれることになる。
 サンフランシスコ講和は、中国と韓国という、もっとも謝罪と償いを受けるべき国々を排除したばかりでなく、無理やり歴史を前に進め、忘却を促した。
 アメリカは、少なくとも3回、中国に対して核兵器を使用することを真剣に検討した。1度目は1954年9月の第一次台湾海峡危機、2度目は1958年8月の第二次台湾海峡危機、そして3度目は1962年10月のキューバ・ミサイル危機である。
 1972年に施政権が日本に返還されるまで、沖縄には19の型の核兵器が貯蔵されていた。その大半は嘉手納基地にあり、1000発近い核兵器が常置されていた。これらの核兵器は沖縄返還時に撤去された。
 それでも、その後も現在に至るまで、いつでも核兵器をアメリカは持ち込めるというのが、例の有名な「密約」です。
米・中・日の三角形は、不均衡である。米・中という二つの自立した国家に対して、三番目の国・日本が今もって真の自立を欠いたままになっているからだ。これこそ、サンフランシスコ体制のもっとも厄介な遺産である。
日本はアメリカの属国としての地位にあり、先見性がなく、逆効果を抱くことも多いアメリカの外交政策に対して、ほぼ無制限といってよい支持を与えてきた。
 2008年、中国は日本を除いて、外国としては最大のアメリカ国債保有国となり、世界最大の債権国となった。中国の国内総生産(GDP)は2010年に日本を追い抜き、「国家資本主義」の下の中国経済はアメリカに次ぐ世界第二位の規模となった。
日米中すべてが強力な機能障害に陥っている。中国に透明性が欠けていることは明らかだが、秘密性や説明責任の欠落は中国に特有のものではない。堕落、腐敗、妄想、希望的観測といったものは、すべて日米中の三国すべてに存在する。
日米同盟と言うが、「同盟とは名ばかりで、実態はない」、「現実にはアメリカが一方的に決定する」だけのもの。その建前は、日本を守るためだが、それはアメリカの防衛と国益拡大のためだと解釈したほうが正しい。
 アメリカが同盟国としての日本を失えば、超大国として世界の指導的地位にはとどまることは出来ない。
 アメリカは、毎年、詳細な年次要望書を日本に送り、アメリカの利益にとって「障害」なるものを取り除くように支持する。そのようなことは日本以外の国との関係では考えられない。
 日本の政官界における属国性が、あまりにも深く強靱であるため、自主性と独立を回復する機会が訪れるたびに、それとは逆のコースと選ぶ傾向が見られる。
 およそ1300年以上ものあいだ、日本は大国の従属国となることに抵抗してきたが、この60~70年ほどのあいだに、海の彼方のアメリカに対して喜んで「属国」の割合を担うようになったのは、なんという歴史の皮肉だろうか。
政策遂行のために暴力や戦争に訴えようとする強い傾向があるのは、アメリカに他ならない。
 アメリカは、中国に対してきわめて両義的に振る舞っている。一方で、中国を最重要の仮想敵とし、もう一方で、緊密なパートナーのように接している。
 内向きの愛国主義は大局的には日本にとって有害になる。それは国際社会で尊敬されないどころか、不信や増悪さえ買うことになる。
 日本はアメリカに従属すべきだと主張する人々がナショナリストを名乗り、他方で日本の利益をアメリカのそれよりも優先させる人が「反日」ではないかと疑われるという倒錯がある。
 私も、日本を愛し、未来を憂うからこそ、日本を壊してしまおうとする安倍首相を許せないと考えるのです。
(2014年4月刊。860円+税)

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2014年8月21日

済州島、四・三事件(第3巻)

朝鮮(韓国)


著者  済民日報四・三取材班 、 出版  新潮社

 1948年、済州島で発生した韓国現代史上最大の悲劇「四・三」の惨状は、米軍政下において韓民族がかかえていた矛盾が集中的に作用して引きおこされた事件だった。
 済州島において、米軍政と韓国政府側の討伐作戦が本格化していた5月13日、それに反抗する武装隊による逆襲事件が発生した。警察署が襲撃され、7人の警官が死んだ。また、武装隊が民家に放火し、百余戸が火災にあった。事態は「血の報復」の様相を呈しはじめた。
 当時は、山側(武装隊)のほうが力があるように見えた。情報も、山からのほうが早かった。警察は、毎日のように、避難嫌疑者の家族を署内に連れこんで拷問を加えた。
 住民にとって、応援警察隊は悪夢のような存在だった。応援警察隊が来ると聞くと、男も女も、年寄りも子どもも、みな身を隠すのに必死になった。法を守るべき警察官の存在によって、一帯は無法地帯と化した。討伐開始の1ヶ月間で、逮捕された「捕虜」が6000名に達した。これは、無差別逮捕を意味している。
 1948年5月20日、第九連隊所属の下士官11人をふくむ将兵41人が兵舎を抜けだし、武器・弾薬とともにゲリラ側に加担するという事件が発生した。米軍政は、この事件の後、第九連隊に不信感を抱いた。第九連隊は、全兵力の9割が済州島出身者で占められていた。
 警察と「西青」に反韓を抱く兵士が多かった。これらの将兵は「左翼思想」に染まっていたというより、警察と「西青」に対する反感が強かった。そして、このうち半数の20人は、2日後につかまり、射殺されてしまった。脱営そのものが緻密に計画された、組織的なものではなかった。
 1948年6月、ソウルに法曹人が済州島に入って現地調査をした。ソウルの検察官は、次のようにまとめた。
 「今回の事件の導火線は共産党系列の策動にあるとは言っても、その原因は警察官の済州島道民に対する誤った行動にあると断言することができる」
 彼らは、同じく済州島事態は、左翼系の扇動だけでなく、警察と「西青」、官公吏の蛮行と腐敗等が大きく作用していると指摘した。
 1948年6月18日、第11連隊において連隊長の朴珍景大佐が暗殺された。29歳だった。犯人ら4人の将兵は1948年9月に銃殺された。
 1948年8月、済州島道民保団が創設された。1949年4月には、この民保団は5万人を擁した。
 1948年8月、大韓民国が樹立し、韓米暫定軍事協定が締結された。
 駐韓米軍司令官は、韓国軍の指揮権とあわせて、米軍駐屯に必要な基地と施設の支配権を継続して確保した。
 「四・三」流血事態に、米軍指揮部が直接・間接に介入していた。
 10月20日以降、軍の行動が終了するまで、全島の海岸線から5キロメートル以外の地点と山岳地帯の無許可通行が禁止された。この布告に違反するものは、理由のいかんを問わず、暴徒とみなし、銃殺に処される。
 この中山間焦土作戦によって、6ヶ月間の内に少なくとも1万5000人以上の島民が虐殺された。
 「四・三」事件は、韓国社会にとって忘れることの出来ない歴史的汚点の一つだということがよく分かりました。
(1996年6月刊。4500円+税)

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2014年8月22日

イラク戦争は民主主義をもたらしたのか

アメリカ


著者  トビー・ドッジ 、 出版  みすず書房

 アメリカのイラク侵略戦争は、まったくの間違いでした。サダム・フセインの圧制は、たしかにひどかったと思います。かといって、アメリカがイラクに侵攻して戦争を仕掛けてよいはずがありません。まさに、アメリカ帝国主義です。
侵攻の口実となった「大量破壊兵器」(核兵器も生物化学兵器も)なる物は、影も形もありませんでした。そして、イラクを支配してからも間違い続きでした。アメリカ軍が撤退したのも、イラク国民に追い出されたというのが実態でしょう。
 そして、何より、アメリカ軍の支配下で内戦が始まり、今や完全に内戦状態です。アメリカのオバマ大統領は無人機などで実態を収拾しようと必死ですが、しょせん武力に頼ってうまくいくはずがありません。
 まわりくどいようですが、武力に頼らない方法で取り組むしかないのです。アメリカの愚かさに日本の支配層が引きずられているのが、日本人の一人として本当に心配です。
イラクの人口は3200万人。隣に7200万人のイランがある。イラクには世界第3位の石油埋蔵量があり、1日800万バレルの石油が生産可能。石油輸出国として世界第二位。
 1990~1991年の湾岸戦争時代に、殺人を禁じる慣習が大きく変わった。国家による暴力の独占状態が揺らいだ後、犯罪行為が横行し、個人の利益に奉仕することを目的とした私的暴行の行使が広がった。
 あらゆるものが武力に従属されるなかで、自己表現と抗議の一形式として暴力を行使するという思考のしみついた世代が3世代にわたって育った。彼らは、いかなる法にも、社会規範にも縛られない。
 1990年代のイラクに対する国際的な経済制裁は、高等教育を受けた中産階級、イラクの近代性と進歩の案内役だった中産階級を縮小させた。そして、暴力の文化を助長した。
 イラク社会は戦争と国連の制裁によって高度に軍事化された。1989年、イラクの常備軍は兵力100万、火器420万という規模になった。軍事化が進んで、民間人も鉄砲をもち、320万の鉄砲が普通の人々の手に渡った。
 2003年、アメリカ軍の前にイラク軍があっけなく崩れ去ると、治安維持機関の管理していた420万の鉄砲が社会の隅々にまで出回った。犯罪の世界だけでなく政治においても、過度の暴力が横行するようになった。
 2003年5月、文民行政官ブレーマーがイラク国軍の解体を決定したことにより、訓練を受けた40万人もの元国軍兵が武装した状態で街頭に放り出され、失業の憂き目にあった。
 戦争と制裁、占領軍の無能力、それによって生じた略奪の波。それらが重なりあって、イラクは2003年、崩壊国家と化した。国家が突如として機能を停止し、全土に安全保障の真空が生じた。乱れに乗じて略奪をはたらく者がはびこり、暴動に関与する勢力が拡大し、ついにイラクは全面的な内戦的な内戦状態に陥った。
2005年以降、イラク内務省の傘下にある特別警察突撃隊(国家警察)は、暗殺集団と化した。
 2007年、アメリカのイラク政策は大きな転換点を迎えた。しかし、政策は軍事作戦が中心で、他の分野は、すべて隅に追いやられた。
 2006年6月、アルカイダの指導者ザルカーウィーがアメリカ軍によって殺害されたあと、組織は求心力を失った。組織幹部に対するアメリカ軍の攻撃の精度が高まるにつれ、若くして経験の乏しい、より暴力的な分子が上層部を占めるようになった。
 身元の割れた民兵組織幹部のケータイを押せば、人物相関図を埋めていくことができる。こうして得た「高価値目標」の殺害をアメリカ軍の特殊部隊が担った。
 2012年3月までに、アメリカ軍とイラク政府がイラク国家の再建のために投じた金額2000億ドルは、さまざまな機関を通じて投下された。しかし、アメリカは復興計画の調整に失敗しただけではない。一貫性のある基本計画が作られたことは一度としてなかった。そして、復興活動がうまくいかなかったのは、治安状況が悪化したことにもよる。
 さらに、各省大臣が自分の出身政党の職員を自由に採用することにより、公務員の水準が低下し、人員が大きく膨れあがった。2005年に120万人だった公務員が2008年には230万人になった。汚職の蔓延が行政機関を脆弱にしている。政治家は、ほとんど監視を受けることなく公金を使い、極秘で働いている。その結果、公共下水道を利用できるイラク国民は26%。安全な飲用水を使えるのは、人口の25%、760万人にすぎない。
 いま、イラクで内戦が起きているわけですが、これは、アメリカ軍の無謀なイラク侵略戦争がもたらしたものだったのです。民主主義を守るためと称して、イラクから平和と民主主義を奪い去ったわけです。アメリカの戦争責任はまことに重大です。日本は、ここから教訓を引き出すべきです。武力によっては、ほんの一時の「平和」しかありえないということを・・・。
(2014年7月刊。3600円+税)

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2014年8月25日

象にささやく男

生き物(ゾウ)


著者  ローレンス・アンソニー 、 出版  築地書館

 アフリカで野生のゾウの保護のために奮闘した男性の話です。
 残念なことに、1950年生まれの著者は、2012年に心臓発作のために亡くなっています。
 そのとき、ゾウたちが長い道のりを後進して、「弔問」にやって来たそうです。ゾウは超能力をもっているのです。
アフリカ象は40万頭から65万頭ほど。ところが、2011年だけで2万5000頭が殺された。象牙のために密漁団が暗躍している。日本も印鑑のために、その象牙の密輸入国です。
 オスのゾウはメスよりも人間に近づかれても平気だ。その理由は簡単。大きなオスは、自分を守る能力に大変自信をもっているから、人間が近づいても、その分、大丈夫なのだ。ゾウが小さくなればなるほど、自信がなくなるので、より大きな空間を要求する。ゾウは、自分のことを皇帝のように偉い存在だと思っている。
 野生のゾウとつきあいたいのなら、こちらから近づいていってはならない。ゾウのほうから近づいて来るのを待つべきだ。ゾウが近づいてこないのなら、あきらめるしかない。
 ゾウにとっての不変の原則は、すべての生き物は、自分たちに譲るべきだということ。
 アフリカの野生の生き物は、最初はぐらつくにしても、生後すぐに歩き始める。地面に赤ん坊が横たわっているのでは、どうぞ召し上がってくださいとお願いしているようなもの。捕食動物の格好のおやつになってしまう。身体の大きいゾウにしても、生まれたら、出来るだけ早くその場をあとにする。胎盤の臭いで、肉食動物が集まってくるから。
 ゾウの仲間(家族)が死ぬと、ゾウたちが周囲をぐるりと取り囲む。そして、遺骨になってしまったあとも、近くを通りかかると歩みを止め、臭いをかぎながらその骨を突っつきまわし、おもちゃのようにして戯れる。それは、ゾウの亡き者を偲ぶ一つに儀式だった。
ゾウは、地球上で唯一、飛び跳ねることのできない動物である。だから、飛びおりることもできない。
 ゾウは人間の可聴周波数帯よりはるかに低いゴロゴロという音を胃のあたりで発し、数キロ離れた先からもそれを聞きとることができる。
 ゾウは金属の肌触りが好きらしく、放っておくと、何時間も自動車の車体に触り続けている。エンジンの発する熱も大好きで、とくに寒いときがそうだが、鼻をボンネットの上に長いことくっつけたままにしている。
 ゾウは、人間のゆっくりした落ち着いた動きを好む。人間が近づくときには、わざとらしく草を手で折ったり、止まって木の様を調べたりして、時間をかせぎながら、ゆっくり近づいていく。すると、鼻が伸びてきて、人間の身体に優しく触れる。
 ゾウと心を通わせるまでの苦労、そして、ゾウたちの集団との関わりが、てらいなく紹介されています。仔ゾウに、一度は触ってみたいものだと思いました。
ゾウの賢さを改めて認識させられる本でもあります。
(2014年2月刊。2600円+税)

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2014年8月23日

女のきっぷ

社会


著者  森まゆみ 、 出版  岩波新書

 弁護士として40年すごしてきた私の実感は、日本の女性は実にしぶとく、たくましいというものです。もちろん、か弱い女性もたくさん見てきました。しかし、おしなべて、日本の女性は地に根をはって、たおやかに生きていると思います。
 たとえば、男性の不貞行為が問題となったとき、その相手は例外なく女性です。女性側の不倫とセットになっているのです。そして、女性のほうが、なかなか不倫を認めたがらないことが多いように思います。
 「女のきっぷ」というとき、「きっぷ」とは気風と書き、「きっぷがいい」とは、思い切りよく、さっぱりした気性のことをさす。江戸前の女の気風だった。その反対語は、ケチ。
 この本では明治の女性である樋口一葉にはじまり、反骨ブルースの女王と呼ばれた淡谷のり子までを紹介しています(最後に国際女優である谷洋子が紹介されていますが、私の知らないひとです)。
 樋口一葉の家を訪れた作家が何人もいたのですね。幸田露伴、泉鏡花、島崎藤村などです。すごいお友だちメンバーです。
 与謝野晶子は関西の生まれだったんですね。堺は菓子屋の娘でした。13人もの子を産んだというのにも驚きます。大逆事件では、反逆人の側を思ってうたをよんでいます。 
 宇野千代は、とんでる女性の代表のような気がします。
 宇野千代は作家という前に恋愛家といった方がいい。一生のうちに何人の男に恋をして、何人の男と理無い(わりない)仲になったか知れない・・・。
 相当の発展家だったようです。ですが、その自分の体験を売れる小説にしたのです。すごいです。若いころは、「貞操観念のない女」だったのです。それでも男に喰われなかったのですから、たいしたものです。
 74歳の農婦(吉野せい)の小説が世間から高く評価された。
 うひゃあ、そんなことって、あるのですね・・・。
 林芙美子は、天性の嘘つきだった。うむむ、そう言い切っていいものなのでしょうか・・・。
 北九州から初恋の男を追って上京したが、家柄がつりあわないということで捨てられた。
 カフェの女給、銭湯の番台、新聞社の帯封書き、セルロイド工場の女工、株屋の店員など、数々の職を転々としながら詩人を目ざした。
『放浪記』は初版本と有名な作家になってからの改訂版とでは、大きく表現が異なっている。優等生的に変わってしまっているのです。なるほど、だったら初版本を何とかして手に入れて読まなくてはいけませんね。
 NHKラジオ講座の話がもとになっているので、大変読みやすい本です。


(2014年5月刊。1900円+税)

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2014年8月24日

テキヤはどこからやってくるのか?

社会


著者  厚 香苗 、 出版  光文社新書

 私の幼いころ、夏に農村部にある親戚の家に泊まりがけで遊びに行くと、「ヨド」という夜祭りがあっていました。アセチレンランプの鼻に来る臭いとともに、焼きイカを売ったり、キンギョすくいなどの夜店が並んで、狭い寺の境内が付近の集落の人々でにぎわっていました。「ヨド」って、何なのでしょうか・・・。
 縁日や祭りのときにやってくる露天商、あるいは露天商の人々をテキヤと呼ぶ。映画「男はつらいよ」の主人公の寅さんもテキヤだ。
 露天商は、テキヤのほか、香具師(やし)とも言う。
 静岡のあたりで、日本の電圧が東西で変わるのと同じように、露天商いをめぐる慣行も静岡を境として、東と西とでは異なっている。露天商いをめぐる諸慣行は、北海道、東日本、西日本、沖縄という三つのエリアに分かれる。
全国どこでも、地元の露天商が多数派を占め、地域の実情をふまえて祝祭空間を取り仕切っている。
テキヤの信仰する神農は、正式には神農黄帝という。神農と黄帝は別の帝王とされることが多いが、それをあわせて一つの神のように考えるのがテキヤの神農信仰の特徴である。
 東京のテキヤは、一人前になることをダイメ(代目。代目披露)という通過儀礼を経て一人前と認められる。ダイメは、テキヤ社会ではとても重要な儀礼である。
 テキヤ集団の正規の構成員になれるのは男性のみ。女性は、親分子分関係にとりこまれることはない。
 カセギコミ(稼ぎ込み)、イッポン(一本)、ジッシブン(実子分)、イッカナノリ(一家名乗り)、ダイメ(代目)と出世していくプロセスがある。
 カセギコミとイッポンは、ワカイシュウ(若い衆)と言われる未熟な段階である。イッカナノリとダイメはオヤブン(親分)で、イチニンマエ(一人前)、シンノウサン(神農さん)とも言われる。
東京の下町のテキヤの間にはアイニワ(合庭)という慣行があって、複数の集団のなばりが重なりあっているのが普通である。
 なわばりの外に行く人を、テキヤの間ではタビニン(旅人)という。
 場所を割り当ててもらうためには、テキヤ社会で無形の営業許可証のようになっている名乗り名(なのりな)を相手に告げなければならない。
 口上を受ける側は、口上の文言、声の調子、姿勢などから、香具師、テキヤの社会のフォーマット通りのきちんとした挨拶であるかを判断した。そして仲間と認めると、挨拶で告げられた「身元」にふさわしい商いの場所を提供する決まりになっていた。この口上を過不足なく述べなければ、一人前とは認められなかった。自己紹介の挨拶として、自分と自分の所属する集団で目上にあたる人物を紹介することが重要なのである。
大ジメ、コロビ、サンズン、コミセ、タカモノ、ナシオトバイ、ショバワリなどの隠語も紹介されています。
 露天商の中のヤクザ者は、せいぜい3割程度。
露天商の世界をのぞいてみた気分になる本でした。
(2014年4月刊。760円+税)

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2014年8月26日

憲法の招待

司法


著者  渋谷 秀樹 、 出版  岩波新書

 日本国憲法は、人類普遍の原理を調和的に組み込んだすぐれた内容をもっている。それは、世界各国の現行憲法の水準からみても、いまなお最先端かつ最高の内容をもち、世界に誇るべき究極モデルである。
 いま、憲法を取り巻く状況は風雲急を告げている。風通しの悪い、息苦しい、生きていくのが大変な日本にならないように、私たちは政治の動きをしっかり監視していかなければ、ならない。
 私も、まったく同感です。選挙のときに棄権するなんて、とんでもないことです。いま、投票率は全体で6割未満、若者にいたっては3~4割という悲惨な状況です。これでは日本の政治が良くなるはずがありません。主権者たる自覚をもって投票所に出かけましょう。
 憲法の「憲」という字は、上半分が勝手な動きをおさえることを意味し、その下に目と心があるので、全体として、人間の勝手な心の動きや見方を上からおさえるという意味の言葉だ。これって、初めて知りました。
 権利の保障と権力の分立が備わった憲法こそ、真の意味の憲法なのである。
 聖徳太子の17条憲法は、いま一般的に使われている憲法と同じもの、つまり立憲主義的憲法、真の意味での憲法であるとは言えない。
 納税の義務(憲法30条)は、政府が課税するときには、必ず法律をつくって内容や取り立て方法を定めることを義務づけた点にこそ意味がある。
 憲法は誰を支配し、誰が守らなくてはならないものか?
 それは、統治活動を担当する政府であり、それを担う人なのである。憲法に、一般市民に対して憲法を守れと命じた条項がないのは、「法の支配」からして、当然の論理的な帰結である。
 憲法上の「国民」とは、国籍を保有するものに加えて、日本政府の統治権の及ぶ空間内に生活の本拠を有する者(定住者や特別永住者など)であると解すべき。
 特定秘密保護法は、明治憲法下の戦争遂行時の情報管制の時代に時計を戻そうとしている。
 第一に、いまどき本当に国家機密というべきものが存在するのか。国民主権の原理からして、国民誰もが、本来、それを知る権利をもっている。ところが、この法律によると、最長60年間も隠せるし、さらには永久に隠すことも可能としている。
 第二に、特定秘密の内容があいまいで、恣意的に指定される危険がある。時の政権や官僚機構にとって不都合な情報が指定される可能性は大変大きい。
 第三に、報道機関の取材活動を委縮させて、国民の知る権利を狭めてしまう。
靖国神社は、敵味方を区別なく弔うという収容的伝統からかけ離れた存在である。「朝敵」を排除し、民間人の戦争犠牲者も対象としていない。そのうえで、A級戦犯14人を合祀している。
靖国神社は、一宗教団体が運営する宗教施設である。そこに神道の礼法にのっとって参拝するのは、まぎれもない宗教的活動である。政府首脳が参拝するのは、この神社を特別扱いしている印象を国民に与えるもので、憲法で定められた政教分離原則に反し、違憲である。
 まことに明快です。本当にそのとおりだと思います。だからこそ、昭和天皇(A級戦犯が合祀されたあと)も、今の天皇も、靖国神社には参拝していないのです。
 「国政」を「国の政治」と理解するのは誤りで、「統治活動」の意味である。
自衛隊を取り巻く現実をみたとき、日本で発生した大規模・特殊災害への対処こそ、自衛隊の本来的任務の一つに揚げられるべき。
 日本国憲法のもつ意義を、最新の社会状況にあわせて、とても分かりやすく、明快に解説している新書です。難しいことを分かりやすく伝えることが、今ほど求められているときはありません。ぜひ、ご一読ください。
(2014年2月刊。800円+税)

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2014年8月27日

史上最大の決断

アメリカ


著者  野中 郁次郎・荻野 進介 、 出版  ダイヤモンド社

 ノルマンディー上陸作戦を描いた映画をみたのは、私が高校生のころだったでしょうか。
 1944年6月6日、Dデイの当日、ノルマンディー上陸作戦に参加した将兵は300万人。計画から実行まで2年2ヵ月。機甲12個と空挺3個をふくむ39個師団が参加した。13万3000人の将兵と、1万4000台の各種車両、1万4500トンもの補給資機材が、戦艦6隻、戦闘戦艦1070隻に護衛された6000隻もの艦船舟艇によって、波高き海峡を渡って、ノルマンディーの海岸に運び上げられた。さらに、2万機におよぶ戦闘機、爆撃機、輸送機が飛んだ。
 この当時、チャーチル65歳、スターリン61歳、ルーズベルト58歳、ヒトラー51歳。そして、アイゼンハワーは53歳。アイゼンハワーは、陸軍参謀総長だったクラス・マッカーサーのスタッフとして、9年間も仕えたことがある。
 ノルマンディー上陸作戦について、ドイツを欺くための作戦「ボディーガード計画」が大々的にすすめられた(フォーティチュード作戦)。
 6月のノルマンディー上陸作戦は、本番である7月のパ・ド・カレー上陸作戦のための牽制作戦にすぎないとドイツ軍を信じ込ませる作戦が実行された。そのため、架空のイギリス「第4軍」がスコットランドにつくり出され、その司令官として有名なパットン将軍が選ばれた。
 ノルマンディー上陸作戦にあたって、イギリスにアメリカ軍が集結した(ボレロ作戦)が、なんと152万人にも達した。これだけのアメリカ兵がいて、ドイツ側にノルマンディー上陸作戦がよく洩れなかったものです。
 アイゼンハワーは最高司令官として、将兵たちに直接接触した。26の師団と24の飛行場、5隻の軍艦、そして基地、工場、病院などを訪問した。
 アイゼンハワーは、兵士は作戦を指揮する人物に会うのが好きだし、彼らの士気もそれによって高揚する。その士気がなければ、戦場において勝利をおさめることは出来ない、と考えていた。
「総司令官は、重大な作戦用務もさることながら、前線の部隊の『感情』に絶えず触れなくてはならない。総司令官たるものは、作戦の責任を代表し、部下の権限が侵されることのないように努力すべきであるとともに、部下と感情的に溶けあっていなければならない。そうでなければ、広範かつ重大な作戦で必ずや失敗する。この部下との接触のため、絶えず前線を視察する必要がある」
 ノルマンディー上陸作戦の決行の前、ド・ゴール将軍には詳しい計画は伝えられていなかった。ド・ゴールは独裁者になる危険があるとして信頼されていなかったことと、使われていた暗号があまりにお粗末だったため、ドイツ軍に筒抜けになることを心配したからだった。
 Dデイは、当初は5月1日だった。月齢と潮の干満、そして日の出という3つの条件によって決められた。
 連合軍の気象予報組織はドイツ軍に比べて格段に優秀だった。アメリカの陸軍がグリーンランドに設置していた高層気象観測所が役に立った。
ドイツ軍が海中に機雷、そして海岸に地雷付きの障害物を山ほど設置していることが分かっているため、それが海面上に露わになる引き潮のほうが都合よい。引き潮のあと、推進力のある満ち潮に乗って、できるだけ速やかに上陸することだった。時間帯は、夜明けが選ばれた。敵を油断させるためだ。
 6月5日午前3時半、台風のような天候の下で、会議が開かれた。悪天候に切れ目ができ今日の午後1時から、今まで予期されていなかった好天が36時間続く可能性があると気象班の責任者が告げた。それを聞いて、アイゼンハワーが決行を決めた。5日の午前4時15分だった。
兵士はアイゼンハワーに「実は恐いです」と正直に答えた。それを聞いて、アイクは言った。
「そうとも、恐くない奴は大馬鹿野郎だ。ただし、コツがある。もし足をとめたら、その瞬間にスキができる。そうなると、やられる。肝心なのは、常に動き続けることだ」
 6月6日、Dデイ当日、午前1時半すぎ、真っ先にノルマンディー地区に降下したのは、アメリカ陸軍第101空挺師団だった。6600人のうち、予定された集結地点に集まったのは1100人だけだった。それでも夕方までに2500人となった。
5つの海岸のうち、もっとも激しい戦闘になったのは、オマハ海岸だった。高台から海を一望でき、守りやすく、攻めにくい場所だった。ここに、昼12時半までに1万8千人が上陸した。オマハ海岸で上陸しようとした3万4千人のうち2千人が死傷した。ドイツ側は1200人の死傷だった。
フランスにあるドイツ軍最高司令部はまもなく大陸への侵攻作戦が始まろうとしていることは把握していた。しかし、天候は6月10日まで悪化するばかりという予報だった。ロンメル将軍は、この悪天候を利用して、ドイツに帰国していた。
 アイゼンハワーは、Dデイ翌日、6月7日に、駆遂艦に乗って、オバマ海岸から上陸し、ノルマンディーで、司令官と会い、その日のうちにイギリスに戻り、今後の作戦計画を修正した。
 ヒトラーは、パ・ド・カレー上陸を信じていたため、ドイツ軍の対応が遅れた。
 ノルマンディー上陸作戦を総合的に検討した本として、大変興味深く読み通しました。「
(2014年6月刊。2200円+税)

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2014年8月28日

新・ローマ帝国衰亡史

ヨーロッパ


著者  南川高志 、 出版  岩波新書

 ローマ帝国とは何か、改めて認識することが出来ました。
 ローマの征服軍が要塞の周辺には、軍に関係する民間人の定住地ができた。これをカナバエという。カナバエは発展して村落となり、軍が移動したあとの要塞敷地も含みこんで拡大した。
 境界地帯での移動を前提としていた正規軍団は、次第に一定の基地を得て長く駐屯するようになる。そして、軍を退役した兵士は故郷に戻らず、在勤中に非公式にもうけていた妻子とともに基地の近くに定着し、カナバエから発展した町で暮らし、その有力者となる者も出てきた。
 軍隊は新しく「ローマ人」を生み出すうえで大きな役割を果たした。「ローマ人」とは、ローマ市民権をもつ「ローマ市民」のことであり、故地ローマ市と結びついていた。国家が拡大してからは、新市民はローマ市の郊外地区に登録され、政治的な意味はなくなる。それでも、「ローマ人」であるためには、ローマ市民権の取得が前提だった。
 皇帝政府は、ローマ市民権をもたないため正規軍団に入れない部族の男性を補助軍として組織した。補助軍といってもローマ人指揮官の下、正規軍団とともにローマ軍の一翼を担ったから、指揮命令系統と訓練は、ローマ式になされる。そして無事に兵役をつとめあげるとローマ市民権が与えられ、その子はローマ市民として正規軍団に入隊して、ローマ社会の階悌を上がっていくことができた。
 こうやって、ローマ帝国は辺境において、兵員を確保するだけでなく、ローマ帝国に対する忠誠心を期待できる人材を養成していた。
 ローマ社会は、人々やその集団を出自によって固定させてしまうカースト的な社会ではなく、流動性があった。そのため、奴隷に生まれても、主人の遺言などによって奴隷の境遇から解放されて解放奴隷となり、その子孫は都市の有力者となって都市参事会員として活躍し、さらには実力と幸運に恵まれて騎士身分に状況し、元老院議員にまでのぼりつめる可能性があったし、実際にもそうした上昇例は多かった。
 属州に生まれてローマ市民でなかった者も、外部世界から属州に入って市民権を得た者も、実力と幸運に恵まれたら、社会の最上層にまで到達できたのだ。
 ローマ帝国は、国家として硬直した存在ではなかった。担い手である「ローマ人」は法の民であり、法にもとづく国家の制度をもち、奴隷制と身分制を備えた社会に生きていた。ローマ人とは、きわめて柔軟な存在であって、排他的な生活を有していなかった。
 ローマ帝国が「幻想の共同体」でなかった第一の要素は、軍隊の存在である。
 次に、「ローマ人」としての生き方である。ラテン語を話し、ローマ人の衣装を身につけ、ローマの神々を崇拝し、イタリア風の生活様式を実践すること。
 広大なローマ帝国を統治するうえで中央行政を担当していたのは、わずか300人ほどの「官僚」だった。
 ローマ異国を実質化する第三の要素は、外部世界の有力者たちの共犯関係にあった。
 今日では、ローマ人対ゲルマン人という二項対立の図式は適切ではないと考えられている。
 「ゲルマン人」と呼ばれる集団は、今日、固定的で完成された集団とは考えられていない。非常に流動性の高い集団で、そのときどきの政治的な利害によって離合集散を繰り返し、その構成員や集団のアイデンティティが形づくられていったと理解されている。
 古代ローマ帝国が柔構造をもつ社会だったことを初めて知りました。

(2014年5月刊。760円+税)

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2014年8月29日

明智光秀の乱

日本史(戦国)


著者  小林 正信 、 出版  里文出版

 明智光秀とは何ものだったのか?
この本は、明智光秀の正体を執拗に追跡し、明らかにしています。その立証過程は実に詳細であり、こまかすぎで辟易するほどです。
 でも、それがいかにも研究者による真面目な学術的研究なので、最後まで、何とかおつきあいさせていただきました。推理小説ではありませんので、ネタバラシしてもいいでしょう。
 著者の結論を紹介します。
 ①明智光秀とは、室町幕府の奉公衆であった進士源十郎藤延である。その父は、進士(しんし)美作守(みまさかのかみ)晴舎(はるいえ)である。
 ②室町幕府の将軍・足利義輝の側室の小侍従は、明智光秀の妹のツマキである。
 ③ツマキの子・明智光慶は、足利義輝の遺児・小池義辰である。
著者は、「本能寺の変」と呼ぶのは誤りだと主張します。明智光秀が動員した軍勢1万3千という規模、織田政権の転覆を意図したことから、これは大規模な軍事的反乱であった。つまり「乱」であって、小規模な兵力による襲撃を指す「変」とは言えない。なーるほど、ですね。
 織田信長は、足利義昭を追放しておらず、室町幕府を滅ぼしたわけでもはない。
 室町幕府の統治機構を実際に統治していたのは明智光秀である。
 明智光秀は、天正10年(1582年)6月2日に信長、信忠親子の殺害に成功はしたものの、徳川家康とその重臣たちを取り逃してしまった。これが光秀の破滅をもたらした。
 この乱の直接的な要因は、信長の政権構想をめぐる家康の処遇をめぐっての信長と光秀のきわめて深刻な対立にある。
 光秀は、室町幕府の官僚機構の中心的存在であった「奉公衆」の出身者であったからこそ、「奉公衆、奉行衆」などを統括する存在として、織田政権においても重きをなしていた。
 織田政権における光秀の役割とは、事務方全体をまとめる官房副長官として幕府の官僚機構全体を取りまとめ、信長の幾内統治を円滑に担うことにあった。信長の要請・命令に応じて幾内の軍事力として室町幕府の幕臣たちを動員することが、織田政権内における光秀の高い地位を規定していた。
 明智光秀は、奉公衆・奉行衆など将軍直臣としての信条、武家社会における名門としてのエリート意識、そして歴史的に形成された伝統・慣習にもとづく室町幕府のカルチャーを代表する存在だった。
 明智光秀の乱を主導した勢力は、京都を中心として信長の強大なカリスマ的支配を支えてきた基盤であるとともに、その実態は室町幕府機構そのものであった。光秀は、このような既存の奉公衆・奉行衆などによる伝統的かつ官僚的支配層の利益を代表することにより将軍・足利義昭の出奔後も織田政権を支えていた。
 幕府の周辺勢力を動員して兵力にも転用しうる、即戦力として、あるいは潜在的にその能力が十分にあったからこそ、光秀は信長から格別の地位を与えられていた。
 織田政権の全期間にわたって室町幕府は存在していた。足利義昭は、信長の死後もなお、天正16年(1588年)正月まで将軍であり続けた。
 明智光秀は、その前半生、そして父母兄弟も妻も不明である。
 この本を読んで驚いたことの一つとして、昔の武将が、何度も姓名を変えていることです。これでは、うわすべりに歴史の本を読んでいても、同一人物が名前を変えているだけかもしれないというわけですから、歴史の迷路にさまよいかねません。
 私のご先祖様だと勝手に思っている上杉謙信は、虎千代、平三、長尾(平氏)、上杉(藤原)、上杉政虎、輝虎、謙信と変遷しています。大変です。
 信長は、これを利用して、家臣に九州の名族を名乗らせ、九州の国々にちなんだ官を受領させた。東国の者がそれを聞けば、信長は既に九州の土地を併合しているかのように錯覚させることを目論んだ。それで畏服させようというのだ。
 同じく、光秀も改姓によるものでは・・・。
 信長の側近には「秀」の字が目につく。秀吉も、その一人だ。
 光秀の享年は不明である。54歳、いや67歳と、いろいろあって定まってはいない。
 進士(しんし)氏は、鎌倉以来の足利家の家臣(被官)として、武家の故実の「儀礼・式法」を伝承している家として知られていた。進士氏は、「御前奉行」としても知られ、武家儀礼において特に重要な将軍が重臣や守護大名の邸宅を訪問する「御成」の際の手順、その料理に関する総合プロデューサーという役割を代々になってきた式法の家である。
 幕府官僚機構を統括していた光秀が信長の「御成」を認めることは、信長を足利将軍に代わる武家の棟梁として認知することになり、それは足利(室町)幕府体制の否定を意味するものだった。
 大変刺激的であると同時に、説得力のある本でした。400頁のずっしりした本に、ついつい読みふけってしまったことでした。
(2014年7月刊。2500円+税)

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2014年8月30日

筑紫君磐井と「磐井の乱」

日本史(古代史)

著者  柳沢 一男 、 出版  新泉社

 福岡県八女市には北部九州最大の前方後円墳である岩戸山古墳があります。
 この古墳は、6世紀の前葉に築造された。同時期の古墳としては、日本列島第四位の規模。
岩戸山古墳の特徴は、膨大な数の人物や動物、そして多種の器財を模した石製表飾(ひょうしょく)。これは石人石馬とも呼ばれる。
 そして、何より、この古墳をつくったのが、古墳時代最大の内戦といわれる「磐井(いわい)の乱」の当事者である筑紫君(ちくしのきみ)磐井の可能性が強いことで注目を集めている。
 磐井は、日本書紀や古事記にも登場する人物である。
 岩戸山古墳の石製表飾の石材は、ほとんどが阿蘇山から噴火した阿蘇溶結凝灰岩(阿蘇石)である。八女地方の近くにまで阿蘇山の噴火による溶岩が流れてきていたのですね。
 岩戸山古墳の石製表飾の最大の特徴は、種類と数、そしてサイズにある。その数は、収蔵されたものだけで100点をこえる。大胆なデザインとそれを実現した製作技量。そして靫や楯に加えられた多様な図形表現のアイデアは、現代の彫刻とくらべて遜色がない。
 胄をかぶった立像を推定すると、高さ2.5メートルもの立像となる。これは磐井ではないかと推定されているようです。その他の石像も2メートルほどの大型サイズである。
 岩戸山古墳の石製品は、精緻な表現と卓抜名アイデアが詰め込まれた造形物である。二体ある馬形は、当時の最上級の馬装で整えた飾り馬をほぼ実物大に表現しており、古墳時代の石像物の最高傑作。
 古墳時代最大の内戦であった「磐井の乱」は、事件後200年たった奈良時代になっても、語り継がれるべき重大な事件として記憶されつづけた。そこで、「日本書紀」には、詳細な記述がある。
 岩戸山古墳の墳丘を築造するだけでも、毎日300人を動員して、3年の月日が必要となる。磐井の勢力は、九州中北部の諸勢力のリーダーとして倭王権の百済支援を担いながら、他方、独自に高句麗、新羅・大加耶との交渉ルートをもち、また、西日本各地の諸勢力とも連携していた。王権の絶対的強化と他方勢力の直接支配を目ざす絶対王権にとって、このような磐井勢力の動向は見逃せない事態であったに違いない。
 「磐井の乱」を制圧した倭王権は、ミヤケ制と国造制を介して地方支配と中央集権化を推し進め、古代律令国家へと突き進んでいった。すなわち、「磐井の乱」は、倭国のおける古代国家形成への転換点であった。
 昔、朝鮮半島南部に「任那日本府」が設置されていたと教えられたように思いますが、今では否定されているそうです。
 それでも、朝鮮半島南部に倭系古墳があることは事実なので、百済からの要請のもとに倭王権唐派遣された九州北部勢力がまとまった倭人勢力としていたと推定される。
なーるほど、そうだったのですね。要するに、今のような国境はない時代ですから、日「韓」自由に行き来できていたというわけです。
 岩戸山古墳に久しぶりに行ってきました。皆さんも、ぜひ行ってみて下さい。
(2014年8月刊。1500円+税)

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2014年8月31日

スクリプターは、ストリッパーではありません

社会


著者  白鳥 あかね 、 出版  国書刊行会

 私のような、映画好きの人には、たまらない本です。私も、この本を3時間かけてじっくり読んだあと、映画館に駆け込みました。
日活の創成期から、その全盛期、そしてロマン・ポルノ、純愛路線、暴力団抗争映画・・・。映画製作の現場を記録し続けた女性への聞き書き集です。
 スクリプターという職業を、私は初めてしっかり認識しました。といっても、デジタル映画ではスクリプターはあまり必要がないとのことです。
 スクリプターとは、スクリプト・スーパーバイザーのこと。洋の東西を問わず、映画制作スタッフの一員として欠くことの出来ない重要存在。1933年に、トーキー(同時録音)が現場に導入され、撮影済みのフィルムと録音された音を合わせる編集作業が大変複雑になった。そのため、撮影現場では克明なメモをとるようになった。このメモをスクリプトと呼ぶ。そして、記録を取る人をスクリプターと呼んだ。
 前のカットからつながるように指示を与えるのはスクリプターの役目で、演技だけでなく、服装や持ち物に至るまで細かくチェックする。撮影中は、常時、シナリオ全体の流れを念頭に置いて、前後のシーンの流れとマッチしない演技や台詞について、監督に対して適切にアドバイスする。
 完成試写を見終わっても、スクリプターは撮影中に変更した芝居の内容やセリフをすべてあらたに書き直して完成台本を作成する。
 著者は、昭和27年に破防法反対のデモをしているときに警察に捕まったのですが、その直後の写真があります。珍しい写真です。
早稲田大学文学部仏文科を卒業して、やがて日活に入社します。若き森繁久彌と一緒に仕事するなど、有名なスターとともに映画製作の現場でがんばるのです。映画づくりの裏話が満載ですから、本当に面白いです。
今の天皇を主人公とした映画(『孤独の人』)がつくられたなんて、ウソのような話です。主人公の皇太子は絶対にうつしていけなかったとのこと。見てみたいですね。DVDで手に入るのでしょうか・・・。
 映画って、どこか抜けているほうがいい。そのほうが、みる側にとってはアラ探しができるし、アラが見えるくらいのほうが楽しい。
 なーるほど、完璧な映画というのでは、ダメなんですね・・・。
著者の結婚式は、公民館で公費200円の会費制結婚式。それも、なんと二組同時に。そして、「ケーキ入刀!」と叫ぶと、スクリーンに大きなウエディング・ケーキがうつり、それに入刀。本物のケーキは買えなかったのです。この合同結婚式の司会が、なんとフランキー堺と小沢昭一。すごい司会者です。
 小林旭の「渡り鳥」シリーズを制作する話が続きます。石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎という豪華スターが活躍する時代です。
吉永小百合主演の映画「愛と死をみつめて」は残念ながら、みた記憶がありません。その制作現場のスタッフが全員泣いていたというのは感動的です。
 小百合の眼に光をあてている証明部の助手が、その演技に感動して手がふるえて光が揺れ始めた。撮影する人も泣いていてキャメラの商店があっているのかどうか、ラッシュを見るまで不安でしょうがなかった。スタッフ全員が泣いていた。もう一回とは絶対に言えないカットだった。
ここまで書かれると、みないわけにはいきませんよね。吉永小百合と浜田光夫の映画です。
 日本の映画史を知るうえでは欠かせない貴重な本だと思いました。いやはや、映画も本当に奥が深いですね。最後に、この本のタイトルは意味深・・・でした。人生、何が起きるか分からないものです。
(2014年4月刊。2800円+税)

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