弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年12月13日

映画の匠、野村芳太郎

人間


(霧山昴)
著者 野村 芳太郎 、 出版 ワイズ出版

映画ファンなら、「七人の侍」と並んで名高い「砂の器」をみなかった人はいないでしょう。山田洋次監督の師匠にあたる映画監督です。親も映画監督で、息子さんも映画プロデューサーです。
でも、「張込み」はみた記憶がありますが、「伊豆の踊子」とか「五弁の椿」は今でも見てみたいなとは思いますが、残念ながらみた記憶はありません。
「砂の器」は、1974年(昭和49年)制作ですから、私が弁護士になった年のことです。東京の映画館でみたときの圧倒的な衝撃は今も身体に残っています。上映時間は2時間23分の超大作映画です。毎日映画コンクール大賞など、いくつもの賞を受賞しています。
音楽の芥川也寸志もしびれましたが、なにしろロケ地が良かったですね。このロケハンに1年もかけたといいます。
冬の厳しさには、本州・北端の龍飛(たっぴ)埼、春は生活感のある花として信州・更埴市のあんずの里、新緑の北茨城、真夏の亀嵩村そして秋は北海道・阿寒にロケを敢行したのでした。
勝負どころの音楽会は埼玉会館で3日間の勝負、エキストラは連日1200人...。
野村監督は趣味を問われると、なんと、丹精こめて映画をつくりあげること、そして、自分の作品が上映されている劇場に行って観客の顔をみること。充実した顔で劇場を出ていく観客をみるのが楽しいから...。なーるほど、ですね。
野村監督は実は、戦争中、かのインパール作戦に従軍しています。補充将校として1943年(昭和18年)4月にビルマに出発。第15師団独立自動車第101大隊小隊長として、2年間、ビルマ戦線で弾薬を輸送する任務についていた。後方部隊ではあったけれど、それでも決して安全なところにいたわけではない。ビルマの戦場では19万人もの日本兵が死に、インパール作戦だけでも6万5千人もの戦死者がいる。野村監督は、現地の戦場で人間が腐って死んでいく姿を見ていた。
人間の腐敗は、生きているうちに始まる。重傷を負い、また栄養失調と疲労で動けなくなった兵士の皮下に、ハエが卵を産みつける。皮下で卵がかえってウジとなる。すると、そのウジは、兵士の肉を食べて成長する。やがて兵士の体は異常に膨張しはじめる。皮下で無数のウジが、どんどん育っていく。そして、あるときピッと皮膚がはじけて、ウミとウジが流れ出てくる。そして流れ出たあとに白い骨がのぞいている。腐敗がはじまって、ビルマの赤い土になるのに半月とかからない。「猿の肉だ」と言って、死んだ戦友の身体の肉を食べて生き残った兵士もいた...。まさしく生き地獄だった...。
山田洋次監督は師匠の野村監督について、クール、冷静で鋭い頭脳の持ち主だったと評する。突き放したところで観察していて、ときおり的確な助言をする、そんな教え方だったと...。
20年間に70本もの映画をつくったというのですから、今では考えられませんね。短期間に大量生産したわけですが、それだけ映画製作スタッフが充実していたということなんでしょう。美空ひばりや、コント55号などそのときの有名人を主人公とした映画も見事につくっていますので、よほど映画監督が性にあっていたのでしょうね...。
堂々、500頁の大作ですが、なつかしい思いが一杯あふれる本でした。
(2020年6月刊。3600円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー