弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年1月 1日

意識をめぐる冒険

人間

著者  クリストフ・コッホ 、 出版  岩波書店

 脳から末端までつながった神経システムは、数百億個以上ものネットワークとしてつながった細胞群で構成されている。そうした細胞の中でも、もっとも重要なのが、神経細胞(ニューロン)だ。ニューロンには、さまざまな種類がある。おそらく100種ほど異なるタイプがあるだろう。そのニューロンのもっとも重要な特性は、つながった先のニューロンを興奮させるか(興奮ニューロン)、あるいは抑制させるか(抑制性ニューロン)という点だ。
 脳のなかで起きている電気活動が、どうして人間が主観的にしか感じることが出来ない経験を生み出すのだろうか・・・。
 腸の内壁を覆う1億個あまりのニューロンがある。腸内には、「第二の脳」とも呼ばれる腸管神経系が存在する。腸管神経系のニューロンは消化管内で、栄養分の摂取と廃棄物の処理とを粛々とこなしている。しかし、この仕事は人間の意識にはのぼらない。
痛みや吐き気の原因となる情報は、胃の迷走神経を介して大脳皮質へと伝えられ、大脳皮質のニューロンが痛みや吐き気というクオリアを引き起こしている。腸内にある第二の脳で生じた神経活動が、人間の意識を直接に生み出すことはない。
 映画は、日常の雑多な心配事、不安、恐怖、疑念といった自意識から引き離してくれる。上映されている数時間のあいだ、観客は別世界の住人になれる。そんなことが、このうえない喜びをもたらす。
 自意識と並ぶ、人間固有の特性が言語能力だ。人間は言語を獲得したことで、概念を表現したり、記号を操作したりして、他人とコミュニケーションを取ることが出来るようになった。
 この文章を読んでいるあいだ、眼球はせわしなく動き続けている。しかし、その動きによって生じるはずの画像のブレが意識にのぼって来ることはない。この非常に早い眼球の動きは、「サッカード」と呼ばれている。人間の目は、1秒間に数回のサッカードを起こし動いている。
 このように人間の目は、忙しく動き続けているにもかかわらず、意識にのぼってくる映像は、目の動きを反映せず、安定している。
 日々展開していく人生は、まだ書かれていない一冊の書物だ。あなたの運命は、あなたが決めていく部分もあれば、あなた以外の他者の行動や、自然の動きなど、宇宙のすべてのものの影響を受ける。
 私たちには、信じたいものを信じるという性向がある。
 一番大切なことは、自分に嘘をつかないこと。そして、これが一番難しいことだ。
私たちの人間の意識、そして無意識について深く掘り下げた本です。
(2014年8月刊。2900円+税)

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2015年1月 2日

サイボーグ昆虫、フェロモンを追う

生き物


著者  神崎 亮平 、 出版  岩波科学ライブラリー

 ゴキブリが素早く逃げられるのは、弱い風を尾葉で感じるから。この尾葉は、ゴキブリのお尻に、触角より短いが、一対の突起がある。尾葉には、たくさんの毛が生えている、わずかな風で、この毛が動き、ゴキブリは敵が来たことを察知して逃げる。人間は、刺激を受けて反応するまで0.2秒かかるけれど、ゴキブリは0.02秒で反応する。人間よりも10倍速い。
 ゴキブリは中生代のはじめ、2億5000万年前に地球上にあらわれ、現在に至るまで姿形をほとんど変えずに生きながらえている。
 ミツバチは秒間に300回もの光の点滅を見ることができる。人間は1秒間に50回の点滅しか区別できない。
 昆虫は空気の粘性(ネバネバ感)を感じる。人間は感じることができない。
昆虫は、レンズの焦点距離の問題を解決するため、直径が0.03ミリほど小さなレンズからなる眼(個眼)をつくり出した。これだと焦点距離は短くてすみ、小さな眼として機能する。レンズの直径を5ミリとする眼にしたら、レンズの焦点距離も5ミリとなり、焦点が結ばれるところが頭からはみ出てしまう。
カイコガのフェロモンの発見には、日本が大きく貢献した。研究に使われたカイコガは当時、養蚕業が盛んだった日本からドイツに送られたものだった。100万匹ものカイコが送られ、そのうちのメス50万匹を使って12ミリグラムの化学物質が結晶として単離された。
 カイコガは、脳で複雑な判断をするのではなく、直進、ジグザグターン、回転という行動ターンを、臭いの分布状態に応じて繰り返すことで、匂いの源の探索に成功している。
 カイコガ(成虫)の寿命は1週間だが、頭を切りとっても1週間は羽ばたいたり、歩いたりできる。昆虫は、胸部のみ、つまり胸部神経節があれば、リズミカルな羽ばたきを起こすことができる。歩行も同じ。
昆虫のもつ優れたセンサーや神経系の機能を分析し、理解し、活用することが少しずつ出来るようになってきた。
 その結果、6脚で歩行するロボット、コオロギのオスが鳴き声で呼び寄せる仕組みから音源を探し出すロボット、昆虫が複眼を用いて障害物を回避する仕組みを使った衝突回避ロボット、さらには、オスのガがメスをフェロモンの匂いをたよりに探し出す仕組みをつかった匂い源探索ロボットなどが試作されている。また、昆虫の嗅覚受容体(タンパク質)をそのまま使った匂いセンサーもつくられるようになった。
 昆虫のスーパー能力を解明して、それをロボット技術に応用・開発しているというのです。すごい話だと思いました。
(2014年7月刊。1200円+税)

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2015年1月 3日

藤原清衝


著者  入間田 宣夫 、 出版  集英社

 平泉の中尊寺には行ったことがあります。黄金色に輝く金堂の見事さには息を呑むばかりでした。奥州に花咲かせた平泉藤原氏三代の初代・藤原清衡(きよひら)の果たした偉業をしっかり認識させられた本です。
 大治元年(1126年)春3月24日、中尊寺鎮護国家大伽藍(がらん)の造営を祝う盛大な儀礼・落慶供養(らっけいくよう)の法要が開催された。ときに清衡は71歳。
 大伽藍の中心には、三間四面の檜皮葺(ひわだぶき)の本堂(金堂)には、丈六(じょうろく)皆金色(かいこんじき)釈迦三尊像が安置され、その左右には50体の脇士侍者(わきしじしゃ)がそれぞれ立ち並んでいる。このモデルは、御堂関白・藤原道長の創建した京都の法成寺(ほうじょうじ)であった。
 中尊寺の仏像群は京都から招かれた著名な仏師の手になるものであり、建物も京都方面から招かれた最高水準の大工によって建立された。
 二階瓦葺の経蔵(きょうぞう)には、金銀泥の一切経、5400巻が収納されている。
 経巻は金泥の文字が1行、次に銀泥の文字が1行、そしてまた金泥の文字が1行というように金文字と銀文字とを交互に用いている。さらに、経巻の料紙には、紺色を、経巻の軸には玉を用いた。法華経10巻も1000部セットが用意された。
 二階の鐘楼には、20釣の洪鐘が懸けられ、その鐘の音は千界のかなた、宇宙の果てまで及ぶかのように、大きく鳴り響く。そして、この日は、実に1500人もの僧衆を招いての大法要であった。
 千僧供養(せんぞうくよう)は、天皇・上皇あるいは摂政・関白などが主催し、朝廷や法勝寺・延暦寺・興福寺ほかの諸大寺でしかおこなえないものであった。遠く離れたみちのくにおいて、しかも一介の地方豪族にすぎない。清衡の主催で本来なら出来るはずのない興業だった。
大伽藍の造営に寄せる願文は、当時きっての大学者(文章博士(もんじょうはかせ)、大学頭(だいがくのかみ))、右京丈夫(だいぶ)藤原敦光朝臣(あそん)の起草であった。
 そして、この大伽藍には、「御願寺」という金看板がかけられた。「禅定法皇」(白河上皇)の発願(ほつがん)によって建立された国家的な寺院としての金看板である。
 清衡の願いは、前九年合戦そしてあと三年合戦によって戦い死んだ敵味方の人々を等しく救済し、極楽浄土に導くことであった。藤原清衡は、自らを「東夷の遠酋(とういのおんしゅう)」と呼んだ。東辺の蝦夷集団を束ねるべき、遠い昔から酋長の家柄に属するもとのということである。
 また、「俘囚の上頭(ふしゅうのじょうとう)」とも自称した。朝廷に服属する蝦夷集団の棟梁ということである。同時に清衡は、「弟子(ていし)」という一人称も付している。弟子とは仏弟子のこと。天皇や道長が自らの名前の上につけた言葉である。
 藤原清衡の前半生は凄まじいものがあった。幼少にして、父親(経清)が斬首された。母親は敵将の息子に再嫁させられた。義理の兄に反旗を翻し、父親違いの弟によって、妻子・眷族(けんぞく)を殺害された、自らの命も狙われた。さらには、その弟を攻め滅ぼし、そのうち取られた首と対面した。そして、清衡は自ら予告したとおり、金色堂内において、本尊阿弥陀仏の御前に坐して合掌し、念仏を唱えながら眠るがごとく目を閉じた。清衡73歳。大治3年(1128年)秋7月16日のことだった。
 奥州三代の初代・清衡が、これほどの人だったということを初めて知りました。平泉の中尊寺・金色堂の最良のガイドブックです。
(2014年9月刊。1750円+税)

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2015年1月 4日

香りの力、心のアロマテラピー

人間


著者  熊井 明子 、 出版  春秋社

 私は、あまり鼻が良いほうではありません。夏の夜に庭の夜香木の花から漂ってくる強い芳香も、よほどでないと分かりません。でも、ふっと、昔、子どものころにかいだ麦わらの匂ひを感じたとき、一瞬にして子ども時代に戻ってしまうのです。匂ひには、特別の力があることを実感します。
 人生は「好きなもの」が多いほど楽しい。香りも例外ではない。ハッピーな気持ちをもたらす「好きな香り」を年ごとに増やしていきたい。それは、よい思い出を増やしていくことと比例する。うれしいとき、天にも昇る心地になったときには、意識して、その瞬間の香りを記憶しよう。
 みかん類の香りは、きわめてヘルシーで、好ましい。心を明るく高揚させる効果がある。
 『源氏物語』には、生まれつき体が芳しい香りを発する薫君(かおるのきみ。光源氏の息子)が登場する。彼に対抗して、なんとかして女性を惹きつけるセクシーな香りをつけたいと願い、努力する匂宮(におうのみや)という貴公子も・・・。
 当時の貴族の生活に、香りは欠かせないものだった。庭には、四季折々の花の香り。部屋には空薫物(そらだきもの)の香り。衣服には、薫衣香(くのえこう)を焚きしめ、えび香を添える。さらに、生霊を退ける芥子の薫物や仏前の名香(みょうごう)も。
 香料として、沈香(ちんごう)、蘇合香(そごうごう)、白壇(ひゃくだん)、丁香、甲香(見香)麝香(じゃこう)など。その多くがセクシーな香りで、匂宮が身にまとった薫衣香も、こうした薫りをアレンジしたものと思われる。
匂いを大切にした生活を送るということは、さらに人間の内面を大切にした、豊かな生活だと、この本を読みながら思ったことでした。再び、匂ひ立つ美女との出会いを夢見て・・・。
(2014年10月刊。1800円+税)

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2015年1月 5日

風花帖

江戸時代


著者  葉室 麟 、 出版  朝日新聞出版社

 もちろんこれは、小説なのですが、どうやら史実をもとにしているようです。
 北九州の小笠原藩に、家中を真二つに分けた抗争事件が起きたようです。文化11年(1815年)のことです。
 小倉城にとどまった一派を白(城)組、黒崎宿に籠もった一派を黒(黒崎)組と呼んだ。白黒騒動である。白黒騒動は、いったん白組が敗れたものの、3年後に白組が復権して、黒組に対して厳しい処罰が加えられた。
派閥抗争は、こうやって、いつの時代も後々まで尾を引くのですね。
 根本は、藩主・小笠原忠固が幕府の老中を目ざして運動し、そのための費用を藩財政に無理に負担させようとすることから来る反発が家中に起きたことにあります。要するに、藩主が上へ立身出世を試みたとき、それに追従する人と反発する人とが相対立するのです。
 それを剣術の達人とその想い人(びと)との淡い恋愛感情を軸として、情緒たっぷりに描いていきます。家老などが360人も引き連れて城下を離れて藩外へ脱出するなどということは、当時にあっては衝撃的な出来事でしょう。幕府に知られたら、藩主の処罰は避けられないと思われます。下手すると、藩の取りつぶしにつながる事態です。
 双方とも武士の面子をかけた争いです。
 江戸末期の小笠原藩の騒動がよく描けた時代小説だと思いました。
(2014年10月刊。1500円+税)

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2015年1月 6日

満蒙

日本史


著者  麻田 雅文 、 出版  講談社選書メチエ

 ロシアのウィッテは、実力者(首相や大蔵大臣を歴任する)として中国や朝鮮に港と鉄道支線を獲得することに執念を燃やした。シベリア鉄道をヨーロッパをアジアを結び一大運送会社にするためである。
 大連の建設は、ロシア人のサハロフ市長が指揮した。当初はアメリカ風にするつもりだったが、地形が合わないことに気がつき、パリを参考にして中心の広場から放射状に通りがのびる案が採用された。
 中国の義和団戦争の一因は、中国人とロシアの支配する中東鉄道の土地をめぐる争いだった。
 ウィッテは、1903年8月に大蔵大臣を解任されてしまった。
 日本の参謀本部は、シベリア鉄道が完成し、ロシアの兵站能力が格段に上がるのを恐れ、先手を打つことを決意する。1904年2月のことである。
 日露戦争において、日本側は日露両軍は、それぞれ30万人の戦闘員を動員すると目算した。しかし、それは甘かった。戦中の20ヶ月間に、ロシアは130万人の将兵を鉄道で中国東北へ運び入れた。それに対して停戦時の日本軍は69万4千人だった。このとき、ロシア軍は、沿海州(中国東北部)に100万近い精鋭部隊を展開していた。
 1909年10月26日、中東鉄道のハルビン駅で伊藤博文が暗殺された。
 満鉄は標準軌だったが、中東鉄道は広軌なので、列車を乗り換える必要があった。伊藤博文は、このとき身辺警護を断った。身に迫る危険を感じていなかったし、ロシア側に配慮もしていた。
 暗殺犯の安重根は、1910年3月26日、旅順の監獄で絞首刑に処せられた。処刑は伊藤博文の月命日だった。
 シベリア出兵からの完全撤退を考えていた原敬首相は、1921年11月に東京駅で刺殺された。シベリア出兵は、ボリシェヴィキ政権、ソ連による全国統一を数年送らせて、現地の人々の恨みを買っただけで終わった。
 1939年5月からの4ヶ月間、日本の関東軍と満州国軍とが国境のほかに何もないところで戦争した。
戦中の中国東北部である満州の変遷をたどりつくことのできる本でした。
(2014年10月刊。850円+税)

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2015年1月 7日

江戸時代の医師修業

日本史(江戸)


著者  海原 亮 、 出版  吉川弘文館

 私が江戸時代へのタイム・スリップしたくないと思う理由の一つは、医学の発達です。
 もちろん、漢方薬その他の昔の人の生活の知恵を頭から否定するつもりはありません。でも、身体のかゆみを止める皮膚科の塗り薬や、目のかゆみを止める目薬などは、断然、今のほうがいいように思うのです。
 江戸時代も、たくさんの医師がいました。もちろん国家試験なんてないわけですから、誰でも医師になれたかのようにも思えます。しかし、どうやら、そうではなさそうです。
江戸時代は、病気や医療について、国家レベルで検討されることは、ほとんどなかった。
 徳川吉宗の享保期は例外的だった。漢訳洋書の輸入緩和、小石川養成所の設置、採薬調査・薬園整備・朝鮮人参の国産化計画など・・・。
幕府(公儀)は、医師の給与の指標を定めただけで、医師身分とは何かを明確に定義することはなかった。
 「誰でも医師になれた」というのは単純すぎる言い方で、史実とは異なる。百姓や町人であっても、長男でなく継ぐべき家をもたないとき、医の道に転するという選択肢があった。
 尾張藩だけは、医師門弟の登録と開業の許認可制を採用していた。
医師として収入を得ようとすると、同じテリトリーで活動するほかの医師の承認を得る必要があった。
 医師は、専門性の高い知識、技術を得るため、いずれかの学統に所属し、互いに競いあって、学問の習得につとめていた。
 江戸時代には、かなりの僻地(へきち)にまで医師が活動していた。
 当時の医師たちは、師弟関係を軸として同業集団(学統)を自発的に形成していた。
 江戸時代に医学の発展は、藩医身分の医師が主導した。
江戸時代には杉田玄白以前にも死体解剖がやられて、その実見図がいくつもあるとのことです。
(2014年11月刊。1800円+税)

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2015年1月 8日

オウム真理教事件・完全解説

社会


著者  竹岡 俊樹 、 出版  勉誠出版

 オウム真理教が横浜の坂本弁護士一家を殺害したのは、1989年11月4日のこと。そのころ、オウム真理教の信者は5千人足らず。
 私は、坂本弁護士一家の遺体が発見される前、まだオウム真理教が殺害犯だと判明していないときに、殺害現場のアパートを見に行ったことがあります。つましい、どこにでもあるような2階建ての木造アパートでした。どうやら、たまたま出入り口のカギがかかっていなかったようなのです(本当でしょうか・・・)。
 オウム真理教の発展を邪魔する存在だという麻原の指示によって、一家三人とも殺害されてしまったのでした。こんなものが宗教の名に価するはずがありません。にもかかわらず、この殺人教団が今も名を変えて日本に存続していることに、鳥肌が立つと同時に、世の中が信じられません。この本は、そんなオウム真理教に深く立ち入って分析しています。今から15年前の本ですが、大変勉強になりました。
 著者の結論を先に紹介します。
 オウム真理教事件は、戦後の日本社会がたどりついた負の極点、最大の汚点であった。
 オウム真理教は、我々が非論理的、非科学的として葬ってきたことをかき集めて再構築している。
恐ろしいのは言語化できない肉体、感性的な事象である。それが論理によって組みあわされ、意味づけられてしまえば、当人がその是非を判断することなど不可能になってしまう。信者たちは、修行によって得られる甘美な肉体感覚によって麻原の虚偽の深みへとはまり、いつの間にかサリンを撒くようになる。オウム真理教という特異なシステムの中に入ったら、誰だってサリンを撒く可能性が十分にあるのだ。
 ひえーっ、これって、とても恐ろしいことですよね。また、これが本当だからこそ、オウム真理教事件が単なる過去のことではなく、現代日本に今なお尾を引いているのでしょうね。だからこそ、15年前に刊行されたこの本を読む意義は、今も大いにあるというわけです。
 オウム真理教が発足したのは、1987年。このときの信者数はわずか6人。そして8年後の1995年には1万人の信者を擁した。信じられないほどの急成長です。
 1995年、オウム真理教の出家修行者は女性が6割近い661人、男性が41%の459人だった。信者の最終学歴は、大学院2%、大学卒38%、短大7%、専門学校17%、高卒
25%、中卒2%だった。
 吉本隆明は、オウム真理教を高く評価していた。なんということでしょうか・・・・。
 信者には、オウムの教えが心の奥底まで浸透し、潜在意識の中にまで入り込んでいる。本人が、ほとんど無意識の状態の中で、教えを叩きこまれている。
 オウム真理教は、1990年にボツリヌス菌の培養、波野村(熊本県)でホスゲンの生成プラントを建設した。そして、1992年には炭疽菌の培養をはじめ、1994年にサリンの生成に成功した。LSDも同年、その生成に成功した。
麻原は、本人が「絶対者」となって人々の上に君臨したいという強い欲求をもっていた。また、麻原の神格化は、麻原自身と側近たちがともに推進した。麻原の神格化の表れが巨大な椅子である。
麻原に気に入られようとする打算的な人間が少なくなかった。子羊のように従順で、純朴な人たちが多かった。幹部たちは麻原にゴマをすった。みんな、地位や権力に執着していた。
 教団は、麻原を信者とが一対一で結ばれている、奇妙な集団だった。信者同士の横のつながりというのはほとんどなかった。信者同士の横のつながりを麻原がひどく嫌っていた。
 ステージとホーリーネームは、麻原による教団支配のための格好の道具であった。
 みんな、教祖である麻原に気に入られたい、かわいがられたい、認められたい、その一心で、競いあっていた。そのためには、手段を選ばない風潮ができあがっていた。本当に恐ろしい、特殊な世界ですよね。
 教団は、麻原を絶対的な頂点とした権力組織へと変わっていた。麻原自身は家族とも切れていなかった。麻原一家の住む部屋は、すごくデラックスで、食事も信者とは別の者だった。
 麻原が否定したのは、憎しみの対象である現実社会そのものだけで、自分自身ではなかった。麻原は、自らにエゴやプライドを温存し、巨大化し、それを正当化した。
宗教を道具として利用し、信者たちを兵器へと仕立てあげていった麻原は宗教者ではない。この日本社会を滅ぼしにやって来た悪魔であるとしか言いようがない。
 本当に怖い「えせ宗教」です。そんな「エセ宗教」が名前を変えて今も生き続けていることに改めて恐ろしさを感じます。
(2009年11月刊。900円+税)
 明けましておめでとうございます。
年末年始は、娘たちが帰ってきてくれて、にぎやかに楽しいお正月を過ごすことができました。そして、例年どおり、庭仕事に精を出しました。
 いま、ロウバイの花が真っ盛りです。黄色い丸い粒々の花です。黄色というか、ハチミツの固まりのような花で、甘い香りが漂います。
 暮れにチューリップを植え終わりましたので、地上部分の枯れた球根類を掘り起こして植え替えします。すると、チキチキというよりタキタキという音がします。頭を上げると、すぐ目の前にジョウギビタキがいます。
 「何してんの?」と言わんばかりに、わざわざ近寄ってきて、私の作業を眺めるのです。
 ぷっくらしたお腹で、黒を黄色に、少しだけ白い部分があります。尻尾をチョンチョント振って挨拶してくれます。人を恐れず愛敬たっぷりのジョウビタキとともに庭仕事を続けます。
夕方、薄暗くなったら早々に風呂に入って身体を温めます。極楽、極楽という心地に浸ります。

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2015年1月 9日

日本は戦争をするのか

社会


著者  半田 滋  、 出版  岩波書店

 今年、1月1日の新聞に天皇の感想全文が載りました。私は以前より、今の天皇の行動と言葉について心から尊敬しています。いま安倍政権のすすめている施策について、天皇が大変な危機感を持っていることが、強くにじみ出ている言葉だと思います。以下、後半の部分を紹介します。
 「本年は、終戦から70年という節目の年に当ります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京をはじめとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まる、この戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」
 天皇が過去の歴史に学べと言っているときに、安倍首相は過去を美化し、侵略戦争なんてなかったとうそぶいているのです。
 国民の疑問に丁寧にこたえ、不安を解消していくのが政治家の務めのはずだが、安倍首相は違う。国内においては、「わが国を取り巻く安全保障環境が一層悪化している」と繰り返して国民の不安をあおり、だから憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認しなければならないと声を張りあげる。
 安倍首相の唱える「戦後レジームからの脱却」によってあらわれるのは、「古くて、二度と戻りたくない戦前の日本」でしかない。
アメリカが「靖国参拝は見送るべきだ」と明言していたのに、安倍首相は、それを無視して靖国神社への参拝を強行した(2013年12月)。
さすがに、昨年(2014年)12月には参拝を強行することは出来ませんでしたが...。
 そんな安倍首相をアメリカがこころよく思うはずがありません。「大変失望した」というコメントを出したり、オバマ大統領との会談がごく短時間の形式的なものですまされてしまったりしました。
 日中交流は、これまで年間30回から40回はあっていたのが、第二次安倍政権になってから、ゼロになってしまった。
これは、ひどいですよね。政府間の交流がなくなっても民間交流のほうは続いていますし、中国からの訪日客が日本にとっての大きなビジネスチャンスになっているのに、安倍政権は「中国脅威論」をあおるだけなのです。怖くて仕方がありません。こんな人物に日本の政治を安心してまかせるわけにはいきません。
 日本の自衛隊は、たしかに相当の武器をもって海外へ出て行った。しかし、自衛隊が海外で高い評価を得たのは、武力行使をすることなく、地元(現地)の復興に役立つ「国づくり」「人助け」に徹してきたから。アメリカのように戦争しに行ったからではない。
 ある自衛隊幹部は、「尖閣諸島をめぐる日中の対立から、自衛隊が駐在する沖縄本島・宮古島が占領される恐れがある。これを奪回するのが水陸両用部隊の役割になる」と言った。中国による沖縄侵略に備えているという。しかし、日本人が住んでいる島を中国が侵略すれば国連憲章違反になるし、そんな事態は現実には考えられない。そして、もし沖縄の諸島が中国軍に占領されたとすれば、日本政府が「抑止力」と説明している沖縄の海兵隊には意味がないことになる。いずれにしても、明らかに矛盾している。
私も、本当にそうだと思います。ここにあるのは、現実的なシナリオではなく、あくまで根拠のない危機あおりだけなのです。
 北朝鮮が怖いぞ、怖いぞと安倍政権は強調する。しかし、日本を「守る」ためのPAC3は
1000基以上が必要なはずなのに、実際には32基しかない。
 日本には使用済み核燃料棒を保管する原発とその関連する施設が55ケ所もある。通常弾頭でも、それが命中すれば未曾有の量の放射線に汚染されてしまい、日本列島は廃墟と化してしまう。
 そうなんですよね。日本列島に50ケ所以上もある原発を日本の自衛隊がテロ攻撃から守りきることは不可能なのです。つまり、日本はすでに大切な我が子を人質にとられているようなものなのです。戦争なんて、口にすることすら出来ないのが今の日本なのです。
 安倍首相は、それなのに軽々しく他国の脅威をあおりたてているわけです。まったく日本人を守るべき日本の首相とは認められません。
 日本の置かれている状況を真正面から考えるのに役立つ新書として、ぜひご一読ください。
(2014年7月刊。740円+税)

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2015年1月10日

ぼくはナチにさらわれた

ドイツ

著者  アロイズィ・トヴァルデッキ 、 出版  平凡社ライブラリー

 ポーランド人の子どもが、幼いうちにナチス・ドイツにさらわれて、ドイツ人の子どもとして育てられたのです。そして、そのことを成人してから知りました。いったい、その子どもはどうなるのでしょうか・・・。ヒトラー・ナチスは本当に罪深いことをしたものです。
 第二次大戦中、ドイツに占領されたポーランド西部の町でナチスによって、2歳から14歳までの少年少女が大勢さらわれた。青い目で金髪の子どもたちである。その数は20万人以上。
 著者も4歳の時に母親から引き離され、ドイツに連れ去られた。孤児院に入れられ、ドイツ人の名前をつけられ、子どものいないドイツの家庭にもらわれた。そして、ポーランド語も、母親のことも忘れ去った。
 ヒトラーが考え、ヒトラーが具体化させた「レーベンスボルン」という1936年に設立された秘密組織があった。「生命の泉」という意味で優秀な子どもを増やすための組織だった。表向きは、子どもと母親を守る社会福祉の「活動」をしていた。
 表の顔は二つあり、その一は、優秀なドイツを数多く、自然の出生を待たずに産ませること。大切なのは目の色と髪の色、そして、とりわけ頭の形。丸い頭のもなはまったくチャンスがなかった。
 ドイツ人の名前に変えるときには、できるだけ本名のほうがいい。新しい名前と前の名前とが似ているほうが子どもの記憶のなかで混合しやすいから。工夫のしようがないときには、新しいドイツ名は、できるだけ平凡な、どこにでもある名前にする。特徴的な名前を付けるのは厳禁された。
 「レーベンボルン」で生まれた子どもはエリートになるはず。果たして、そうなったのか・・・。
 戦後の調査では、そうはなっていなかった。知能でも体力でも後退が認められた。
 幼いときにドイツ語に無理やりに変わらされ、そのため思考に困難を生ずることがあった。
 また、大きくなって、本当は自分はドイツ人ではなかったと分かった子どもたちは、また母国語の勉強をし直した。だから、大学まで行けた子どもは少なかった。みな、心に深い傷を負っていた。
 4歳の子どもは、悲しみも早く癒え、忘れてしまう。それに大人は驚いてしまう。
 子どもは、速く言葉を覚え、速く忘れもする。 はじめに子どもに希望を与え、あとで残酷に断って、いいようのない絶望に突き落とすぐらいの野蛮なことはない。孤児院にいた子どもは、終生、愛への飢えを抱き続ける。
著者は高校生の年頃で、ポーランドに戻ったのですが、ドイツ人だった頭のなかをポーランド人に切り替えるのに実に苦労したようです。
 それでもポーランドの大学に入って勉強するのでした。そしてドイツ人の育ての親と再会するのです。思春期という、ただでさえ難しい年頃に、ドイツ人からポーランド人に戻るのは、本当に大変だったと思います。
 全遍が手紙で語る形式となっていて、その心理描写がよく出来ている手記です。
(2014年9月刊1400円+税)

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2015年1月11日

菅生事件第一審裁判記録

社会


著者  菅生事件60周年記念事業実行委員会 、 出版  同

 菅生事件が起きたのは昭和27年(1952年)6月2日午前0時すぎのころのことでした。大分県竹田市菅生村の巡査駐在所が爆破されたという事件です。この事件が何より怪しいのは、事件の前に、この駐在所の周辺には、大分県警の警察官が何十人も周囲に潜んでいて、同じように新聞記者もじっと待機していたということです。
 しかも、駐在所に住む警察官はいつでも出勤できるように長靴をはいていて、その妻も今夜、駐在所が爆破されるというのを知らされていたということです。
 これでは犯人として捕まった二人は、まるで「まな板のコイ」です。現場に三人いたはずの「犯人」のうちの一人は警察に「連行」されたあと、行方不明になってしまいました。
 そうなんです。その一人こそ、現職の警察官であった戸高公徳でした。「市木春秋」と名乗って現地の共産党に接近して、共産党員を現地の駐在所におびき寄せたスパイだったのです。
 この戸高公徳は、事件のあと東京に潜伏しているところを、共同通信の記者に摘発され、裁判にかけられます。ところが、戸高公徳は、警察では、その後は格別に優遇され、警察大学校の教官になったり、警察共済組合の幹部にまで昇進したのです。
この裁判記録は、そんな菅生事件の苦難のたたかいを改めて掘り起こしたものです。ガリ版ずりの一審の記録を大分地方検察庁の記録を閲覧して、活字にして、読みやすくしたのです。大変な苦労があったことと思いますが、たしかに活字にしないと忘れ去られてしまう記録でしかありません。
 昭和27年(1952年)4月の起訴状から菅生事件の前史の裁判は始まります。そして、昭和27年8月13日の公判から清源(きよもと)敏孝弁護士の無罪を目ざす弁論が始まるのです。
 はじめのうちは「市木春秋」が何者か分からなかったから大変です。事件直後から姿を消したのは怪しい。そして、反共の有力者宅に寝泊まりしていたけど、誰も、その素性を知らないのでした。こんなハンディを背負って、現場近くで駐在所爆破の現行犯人として二人の共産党員が捕まり、裁判が進行していくのです。
 この背景には、当時の日本共産党が中国にならって暴力革命路線をとっていて、「中核自衛隊」という軍事組織をもっていたことがあります。北の「白鳥事件」は「ぬれぎぬ」とは言い難いものがありましたが、この菅生事件は、まさしく典型的なぬれぎぬ事件でした。裁判では、大勢の警察官や新聞記者が、なぜ爆破された駐在所の周囲に待機していた(させられていた)のかということが問題となります。
 その真相は、大分県警がスパイ戸高公徳に命じて、二人の共産党員を駐在所付近へ招き寄せていたということです。駐在所の爆破それ自体も警察官がやったものでした。
 外から投げ込まれた爆弾が爆発したのではないこと。駐在所夫人の身の安全に危害を及ぼさない程度の爆発であること。こんな条件をみたした爆発事件だったのです。
 被告弁護側は、何度も裁判官に対して忌避中立をします。まさしく予断と偏見をもった裁判の進行がありました。こんな事件で有罪判決が下されるなんて、まるで信じられませんが、昭和30年7月2日の大分地裁の判決は有罪でした。懲役10年ないし8年です。
 もちろん、被告弁護側は直ちに控訴します。福岡高裁は昭和37年6月13日、無罪判決を下しますが、それは、スパイ・戸高公徳が東京で発見され、ついに法廷で証言せざるをえなかったことによります。
 「小雨の中を2時間も駐在所前に張り込み、犯人の来るのを待ち受けていた」
 「事件当時、既に鑑識課員が現地に派遣されていた」
 これらは、被告人の有罪を肯定する証拠がないことになる、としたのです。弁護人は、駐在所内の爆発状況を再現実験していますが、この実験結果も、被告人らの無罪の根拠とされています。
 私は40年前の弁護士なりたてのころ、被告人の一人であった坂本久夫氏と何回か話したことがあります。神奈川県で国民救援会の仕事をしておられました。とても小柄な男性です。
 駐在所内の再現実現のとき、背が低いので電燈のソケットに届かないという写真がありましたが、なるほどと本人を見て思いました。
 当時の共産党が山村において「中核自衛隊」という無謀な行動をしていたことはともかくとして、警察が共産党弾圧のためにスパイを使ってまったくのぬれぎぬ事件を創り上げたことを、そして、その無罪を明らかにするためには大変な苦労が必要だったことを、よくよく思い出させる貴重な裁判記録です。復刊の努力をされた実行委員会に対して、心より敬意を表します。
 年末年始に読みふけってしまいました。
(2014年10月刊。4000円+税)

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2015年1月12日

「非正規大国」日本の雇用と労働

社会

著者  伍賀一道 、 出版 新日本出版社 

現代日本における非正規雇用の横行がもたらしている問題点をよくよく理解できる本です。
日雇い派遣の細切れ的雇用は、最低限の所得や住まいの確保を不可能にしている。健康ランドやネットカフェ、マクドナルドを転々とし、コンビニ弁当で空腹を満たすことが、生活コストを高め、予備の蓄えを難しくしている。細切れ的雇用と貧困の悪循環である。
 ことあるごとに繰り返される「自己責任論」は、働き口を得ることの出来ない人に対して、意欲の欠如や能力不足を指弾し、リストラされた労働者に対しては本人の落ち度を見つけ出そうとする。これによって、企業の責任や政策の失敗は免罪される。
失業と貧困は、資本主義の経済システムに加えて、今日の新自由主義的施策によって絶えずつくられるものである。
学校にも派遣教師がいるのですね。私は知りませんでした。
 いま、「即戦力や利便性」を求めて間接的雇用の派遣講師が私立高校で広がっている。派遣会社には1コマ(50分授業)4000円、そして派遣教員に渡るのは2200円。非常勤講師を雇うと2600円なので、学校にとっては1400円も高いが、雇用調整の容易さが上まわるメリットをもたらす。教員派遣最大手のエディケーショナルネットワークには、2007年に1万8000人が登録していたが、2013年には2万6000人に増えた。
 大学生のアルバイトが劣悪な労働条件で働く正社員に接して、正社員とは、あのような働き方を受け入れることだと覚悟してしまう。もし、高校生や大学生がアルバイトに精を出さなくても学校に通えるだけの給付制奨学金や授業料無償化が実現したら、日本の産業構造は、今とは相当異なるだろう。
教育政策の貧困は、若者を使い捨てにする産業の隆盛の有力な基盤となっている。学生たちが、不当な扱いをあいまいにしない気概をもつことを願わずにはいられない。本当に、そうですよね・・・。
 この間の労働者の増加のほとんどを非正規雇用が占めている。正規労働者が540万人減少する一方、非正規雇用は780万人増加した。これによって、過労死・過労自殺の多発がもたらされた。
 半失業者のプールを拡大することで失業者を隠蔽し、失業率を圧縮するような手法が新自由主義の特徴である。したがって、失業率が高いか、低いかだけで失業問題の深刻さの程度を即断することは出来ない。
 この10年間に非正規雇用は416万人増加したが、その65%が年間所得200万円未満層である。2012年時点で、この低所得層は、非正規雇用の4分の3を占めている。
 1982年当時、男性では9割以上、女性は7割弱が正規職についていた。
 若者が非正規労働者として職業人生を出発し、企業が正規雇用の縮小を継続しているもとでは、非正規雇用のまま中年に達する人が次第に増えている。これが生涯、単身化の増加と深く関わっている。
 民間大企業の労働組合が労使協調的労働組合になって以降、企業の成果の分け前を取得する道を選択した。社外工に対する労働行政の対応も批判的姿勢から黙認へと転換した。
 今日の雇用の劣化と働き方の貧困をもたらした要因の一つとして、労働組合が本来、果たすべき役割を担っていないことがあげられる。労働力浪費型雇用の進行に事実上黙認してきた点で、とりわけ民間大企業の労働組合の責任は大きい。
 今日の日本社会では、「連合」の政策が話題にのぼることなど、まずありません。いつも企業べったりの労働組合なんて、まるで存在意義がないからです。本当に残念な状況です。
 現代日本がいかなる社会であるかをよくよく映し出している貴重な労作だと思いました。
 360頁、2700円というハードカバーの本ですが、広く読まれるべきものとして、ご一読をおすすめします。
(2014年12月刊。2700円+税)

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2015年1月13日

世界一うつくしい昆虫図鑑

生き物


著者  クリストファー・マーレー 、 出版  宝島社

 見事に極彩色の昆虫図鑑です。よくもまあ、これだけ姿も形も色も大きさも、さまざまに異なる昆虫が、この地球上に存在しているものです。この昆虫図鑑をめくりながら、世の中のことを私は実によく知らないことを改めて実感しました。還暦をとっくにすぎて、弁護士生活も40年以上となり、この社会のことは多少なりとも知っているつもりなのですが、実は、まだまだ知らないことのほうが圧倒的に多いことを知らされてしまうのです。
 頁をめくっていると、目がまわってしまうほど、多種多様な昆虫たちが登場します。
 「歩く宝石」と言われるオサムシには、どれ一つとして同じ色と模様の個体がいない。ですから、みんな並べると、統一性はあっても画一性はないのです。それでも、タマムシは1500種、コメツキムシは1万種といいます。それを丁寧に分類している学者がいるのです。学者ってすごい根気が求められる商売ですね。
 奈良の玉虫の厨子のタマムシは死んでも色が変わらない。しかし、キンカメムシは、生きているときには非常に色鮮やかな翅を持っているが、死んだら体色は褪(あ)せてしまう。
 「森の宝石」と呼ばれるプラチナコガネは、周囲の風景まで写し込むほどの金属光沢がある。
 ゾウムシは、世界中に6万種いる。頑丈な外骨格におおわれ、ゾウの鼻のような長い口吻(こうふん)をもっている。
 中南米の熱帯雨林に住むチョウであるベニスカシジャノメは、透明な翅をもち、後翅に眼状紋がひとつずつあり、翅の先はぼかしたような赤色に染まっている。息を呑む美しさです。
 インドネシアのメダマチョウは、鳥に補食されるのを避けるため、翅にふくろうの目玉を擬態した眼状紋をもっている。その目玉は、2個だったり、4個だったり、6個だったりする。
 植物昆虫と呼ばれる昆虫もいます。植物に擬態する昆虫のことです。鳥から見つかりにくいように、たとえば枯れ葉に擬態した体をもったカマキリがいます。そして、この擬態は個体によって全部異なるのです。
 植物昆虫は、互いがあまり似通った姿にならないように努めている。植物昆虫は、植物になりすますだけでなく、植物には必ずある、枯れたり病気になったりした葉や、昆虫の食害の痕まで真似るという、とてつもなく有効な方法を選んでいる。
 健康な昆虫が、昆虫に食われた植物に擬態し、同時にその植物を食べているというのは皮肉な話だ。
昆虫採集家によって昆虫が絶滅することを心配する人がいるけれど、それは事実に反している。恐ろしいのは、生息地をまるごと、根こそぎ人間が破壊して「開発」してしまうことだ。
 230頁の大型図鑑です。値段も3800円と少々高いので、ぜひ図書館で手にとって眺めて楽しんでみてください。
(2014年4月刊。3800円+税)

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2015年1月14日

日本はなぜ原発を輸出するのか

社会


著者  鈴木 真奈美 、 出版  平凡社新書

 「世界一安全な原子力発電の技術を提供できる」
 これは安倍首相がサウジアラビアの大学で講演した(2013年5月)ときの言葉です。こんな真っ赤な嘘を日本に首相が海外で堂々と言い切るなんて、私は絶対に許せません。
 嘘つきはドロボーの始まりです。道徳教育を強引にすすめようとする安倍首相の二枚舌は酷すぎます。
福島の原発事故は依然として「収束」の目途はたっていない。4号炉の使用済み燃料棒の取り出しこそ完了したものの、1号炉も2号炉も、そして3号炉も、核燃料棒の所在も何もかも判明していない。原因の究明さえ終わっていないのに、安倍首相が外遊先で「安全」を安請けあいするのは見識を欠く。反省したはずの「安全神話」を輸出するようなものではないか・・・・。
 原子力のプラント輸出は、「国」が長期にわたって法的・財政的な「保証人」になることが求められる特殊な国際商取引である。「国」は、日本側の保証人として、そのプロジェクトが続くあいだ、融資をふくめ、さまざまな側面から支援するだけでなく、原子炉の製造ラインと技術・人材を確保するための政策を保持することになる。
 原子力プラントの受注契約を先行させ、そのうえで自国の今後の原子力施策と中長期計画を検討するというのは、原子力産業を維持するために、原子力発電を継続するという逆転をもたらすことになる。
 このように、原子力輸出は、他のエネルギー技術の輸出にはない、特殊なリスクを内包している。なぜなら、一度でも大量の放射能放出事故が発生したときには、その賠償は巨額かつ長期にわたることは自明のことだから。
 原子力産業を立ち上げるのは「国」であり、この産業は「国」が定めた施策の枠組みをこえて活動することは基本的にありえない。国の法的・財政的な補償を必要とする海外展開の場合は、なおさらである。
 かつて世界の原子炉や濃縮ウラン燃料の供給をソ連と二分し、自由主義陣営への供給では圧倒的な占有率を誇っていたアメリカは、いまや輸入する側になった。いまでは、日本はアメリカの原子力産業の再建を技術面・資金面で支援し、日米は共同で原子力輸出をすすめている。
 世界の原子力産業界は、ライバルであると同時に、その根底では一蓮托生なのである。
 「室蘭が止まれば、世界の原発建設が止まる」
 世界の原子力業界では、室蘭にある日本製鋼所の室蘭製作所が、つとに有名である。そこで大型原子力用部材において突出した鋳鍛(ちゅうたん)技術をもっているため、世界のシェアの8割を占めている。
 地球は、もともと放射性を出すあまたの元素の塊だった。これらの天然の放射性元素のほとんどは、長い時間を経てエネルギーを出し切り、安定元素となった。この安定元素に囲まれた環境の下で人類は誕生した。ところが、この50年ほどのあいだに、本来なら地球上には存在しなくなったはずの放射性元素を核爆発や原子力発電によって大量につくり出してしまった。
 人間の管理能力をはるかに超える人工の放射性元素(核のゴミ)を、これからも増やし続けるか否かが、今、私たち人類に問われている。
 安倍政権による無責任な「原発」輸出策の危険性を改めて強く認識させてくれる新書です。読みやすい本です。ぜひ、あなたも手にとって一読してください。
(2014年8月刊。800円+税)

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2015年1月15日

日中歴史和解への道

司法


著者  松岡 肇 、 出版  高文研

 著者は2006年まで福岡で弁護士をしていましたが、今は東京で活動しておられます。
 戦時中、中学2年生になったばかりで(13歳)、福岡の市内電車の運転手をしていました。学徒動員です。
 学徒動員って、大学生だけではなくて、中学生も対象だったのですね。そして、13歳の少年に市内電車を運転させていたなんて、ひどい話ですよね・・・。
日本は、敗戦間近となった1943年4月から45年5月までの2年間に、占領していた中国から中国人を強制的に日本へ連行してきて、土建業や金属鉱山、炭鉱や造船、港湾荷役などの重労働現場で強制労働、奴隷労働をさせていた。
 中国各地から4万人近い人々を連行してきた。年齢は、11歳から78歳まで。強制労働をさせた日本企業は35社、135事業場。北海道から九州にまで及んでいる。
強制連行・強制労働させたのは日本軍だったが、強制労働については日本の企業が加害者として関わっている。
 1995年6月から2005年9月までに日本で提訴された裁判は、12の地方裁判所で15件の裁判だった。原告数は275人、被告となった日本企業は24社。
 中国人を日本へ強制連行したのは、日本人(男性)が兵隊や軍属として召集され、国内男子労働者が急速に減少したことによる。
 何しろ古い話です。戦中のことなので、記憶が薄れてしまっています。事実の再現と確認すら困難です。
そのうえ「国家無答責の法理」というものがある。これは、戦前の明治憲法の下ですすめられた国家の権力作用については、それによって個人の損害が発生したとしても、民法の適用はなく、国の賠償責任を問うことも出来ないとするもの。
 しかし、そんな「形式論理」で原告の主張を排斥してよいものでしょうか・・・。最高裁の判決こそおかしい、無法だと思います。
 西松建設事件では、裁判こそ敗訴となったものの、西松建設側の内部事情もあって、それなりの内容で和解が成立し、現地に立派な石碑まで建立されています。東京の内田雅敏弁護士ほかの努力が実ったのです。
 村山・河野談話の見直しがいま話題になっています。日本政府は、過去、日本軍がしたひどい侵略戦争について正面から向きあって謝罪することをしていません。とりわけ今の安倍政権の開き直りはひどいものです。アメリカからも顰蹙を買っているほどです。
 松岡先生、今後ますます、お元気にご活躍ください。ありがとうございました。
(2014年12月刊。1500円+税)

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2015年1月16日

「灘→東大理Ⅲ」の3兄弟を育てた母の・・・

社会


著者  佐藤 亮子 、 出版  角川書店

 正月休み明けの事務所、私の机の上にびっくりするようなタイトルで、カラフルな本が載っています。あれえ、こんな本、注文した覚えはないんだけどなあ・・・。
 本を手にととってみると、なかに手紙が入っています。私の敬愛する奈良の佐藤真理(まさみち)弁護士からの贈呈本です。何、なに・・・。
 「突然ですが、妻の本を贈らせてもらいます。・・・」
 ええーっ、佐藤弁護士のつれあいが書いた本なんだ。そして、佐藤さんに息子が三人いて、みんな灘からそろって東大理Ⅲ(医学部)に合格したんだって。信じられません・・・。
 翌日、本は一気に読了しました。とても明快、かつ合理的な子育てです。誰もができることではないと思いますが、母親として確固たる人生観をもち、信念を貫く生き方に支えられた子育てですので、大切なところはどこの家庭でも取り入れることができるように思いました。
 その意味で、とっくに子育てを卒業してしまった私などは、大いに反省させられました。やっぱり子育ては楽しいものでなくてはいけないのです。そして、そのための工夫を尽くせば、楽しい子育てができるのです。
 この本を読んで、とても真似できないと思うところは後半部分に多々ありますが、男3兄弟と妹の4人を、全員平等に、しかも楽しく、のびのびと育てていった状況は、読んでいてほほえましくもあり、うらやましくもありました。
 私の家庭でも、それなりに三人の子どもを伸び伸びと楽しく育てたつもりではいるのですが・・・。初めての長男については、「かくあらねばならない」という親の押しつけが行き過ぎたと、今は大いに反省しています。まさしく若気の至りです。
 子どもが高校を卒業して親元を離れる18歳までは、すべて親の責任だし、親の仕事だ。子どもを早く大人にしようとは思わず、できることはしてあげる。やるべきことをシンプルにあげることが、子どもを伸ばすコツ。
自立とは、子どもが誰かに助けてほしいときに、きちんと声をあげられるようになること。
 親の自立は、子どもが離れていくときに、精神的に足をひっぱらないこと。
 子どもが、より一層前を向いてがんばれるように、ほめ倒す。そのためには、継続した観察が必要。そして愛情いっぱいに、本心からほめる。ほめて、背中を押してあげる。感情的に起こるのではなく、具体的に伝えること。
 子どもが話しかけてきたとき、「ちょっと待ってね」とは言わず、その場で子どもにきちんと向きあう。
母親の知的好奇心は、子どもにいい影響を与える。
 DNAのせいにするのは、子どもの存在を否定するようなもの。
「朝だよ、朝だよ」と笑顔で楽しそうな声で起こす。朝は、子どもに絶対に怒らない。何はともあれ、朝は、ニコニコ過ごす。感情をコントロールして、子どもたちが笑顔で学校に向かうようにする。
食事は、おいしく食べる。食事は楽しい場だと子どもが感じるのが一番。
カップラーメンは普段は一切食べない。しかし、具合の悪いとき、そしてテストの前にはカップラーメンを食べさせ、楽しさと元気をとり戻させる。
4人の子どもたちに、食べ物は徹底的に平等にする。
子どもたちがおもちゃで遊んだとき、片付けるのは親の仕事。子どもは楽しく遊ぶのに集中する。子どもにお手伝いもさせない。
 子どもの「楽しい」をいかに増やしてあげるかが親のつとめだ。
 テレビを見ない、見せないという点は、私の家でもそうでした。私は今でも、テレビは一切みません。たまに録画したものをみることはありますが・・・、
 子どもに水泳とバイオリンの習い事をさせた。
 よその子と比較して親が焦るのは、いちばんしてはいけないこと。
 子どもの部屋はない。勉強中も、周りは雑音だらけ。勉強する環境なんて、整っていないのが当たり前。受験は、本当は自分とのたたかい。
 これは、私も司法試験を受験しているときに、改めて、そう思いました。40年以上も前のことです。当時、2万3千人の受験生のうち500人ほどの合格者でした。他人を蹴落とすという気持ちでは合格できるものではありません。あくまで、自分の努力が肝心なのです。自分が理解したことを、文章にして表現する。それがどれだけ他人に分かってもらえるのか・・・。そのために勉強するのです。
きわめて合理的な生き方、学び方が満載の、とても実践的な本です。
 私も、運動会の騎馬戦のときに、ケガ人に備えて救急車が待機しているという「灘」校に入ってみたいと思いました・・・。といっても、私自身は市立中学、県立高校そして東京大学というコースで、今も良かったと思ってはいるのです。47歳で脱サラして小さな小売の酒屋を営んでいた両親と一緒に18歳まで生活していて良かったと考えています。おかげで、父についても、母についても、それなりに調べて伝記を書くことができました。親の生き方を書くなかで、戦前戦後の日本史を自分のルーツとして学ぶことができたことが成果です。
 子育ての終わった人にも、これから子育てしようという人にもおすすめの本です。
 佐藤真理さん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。奥様によろしくお伝えください。一度、子どもさんたちと話させてください。楽しそうな息子さんたちのようですから・・・。
(2014年12月刊。1400円+税)

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2015年1月17日

「偽りの記憶」

司法


著者  高野 隆・松山 馨ほか 、 出版  現代人文社

 「本庄保険金殺人事件」の真相、をサブタイトルとする本です。
 八木茂被告人に対する死刑判決は誤りだと訴える弁護人による本です。この本を読むと、たしかに、弁護人の言い分はなるほど、もっともだと思わせる主張です。
共犯者の主張(自白)で、私がもっともおかしいと思ったのは、トリカブトで毒殺した被害者の体を洗って、死後硬直した遺体に革ジャンバーを着せたというところです。両手を広げたマネキン人形に革ジャンバーを着せることは不可能です。そして、死体を川に放り込んだあと、「遺体捜索」として、「放り込んだ」地点よりも上流部分を「探した」というのです。これは、まるでマンガです。常識的にみて、ありえないことが書かれた「自白」は、疑うしかありません。
しかし、裁判所は証拠を何も見ていない世間が有罪だという判定をしているなかで無罪にする勇気はありません。そこに、八木茂氏の無念があります。
 たしかに、怪しいことがありすぎます。疑わしいところは多々あります。八木茂氏は団塊世代に入るのでしょう。金融業そして居酒屋(赤ちょうちん)を営んでいました。登場してくる女性の大半を愛人にしていたというのですから、たいしたものです。
 死亡保険金の合計額が10億円というのにも驚かされます。いったんは「自殺」とされた男性について、3億円の生命保険金が支払われていたとのことです。いったい、その大金はどうなったのでしょうか。この本には、お金の流れについては触れられてはいません。
 八木茂が逮捕される半年前から、警察は「保険金殺人事件」として追及するシナリオを描いていた。
 八木茂の「共犯者」である武まゆみの取調べを担当した佐久間佳枝検事は、死刑にならないようにすると言って、武まゆみの「自白」をひき出した。
 武まゆみは、2年もの勾留生活について、大学ノート10冊の日記をつけた。取調状況などがつづられているノートだ。
佐久間検事は、弁護士なんて何も実情を知らない無力な存在であることを強調した。黙秘や供述調書への署名の拒否は、かえって事態を悪くすると繰り返した。
 自分を守ってくれるはずの弁護士さえ「生命の保証はできない」というので、「このままでは死刑になる」と焦ってしまうのは必至だ。
 武まゆみは、逮捕されてからの60日間、一日の休みもなく、毎日朝から晩まで取り調べを受けた。「このままでは死刑になる」、「黙っていると、判決まで10年も20年もかかる」と脅され続けた。そして、「あなたを生きて帰したい」、「あなたが話をすれば、八木も助かるかもしれない」と検察官は武まゆみにもちかけた。
 硬軟とりまぜた検察官の戦略が、事実を否定する武まゆみの心理を大きく動揺させ、弁護人よりも目の前の佐久間検事を信頼するように仕向けた。武まゆみは、いったんは忘れていた「記憶回復」の作業を、検察官と共同してすすめた。捜査官は、武まゆみにさまざまな情報を与えて、ストーリーの獲得に協力した。
 そして検察官は、弁護人の反対尋問中に、しばしば異議に名をかりて尋問をさえぎり、武まゆみに対して質問への答えを示唆した。検察官は、尋問のあいだ、武まゆみの答え方によって、大きくうなずいたり、眉をしかめて唇をすぼめるという動作を繰り返した。弁護人の反対尋問中に、小声でボソボソとつぶやいたりもした。武まゆみも、そのような検察官の動作をうかがいながら答えていた。裁判官も、それに気がついて、「そういうことは止めなさい」と、検察官をたしなめることもあった。
 佐久間検事たちは、判決後、武まゆみに控訴をすすめたが、武まゆみは控訴せず、無期懲役刑が確定した。
 トリカブトは、微量をとり続けていると、耐性ができ、中毒量が増えて中毒は起きにくくなる。
 武まゆみ証言を裏付ける証拠物は、一点も発見されなかった。
 私は、もともとテレビを見ませんので、分かりませんが、一審判決の直前には、武まゆみの「自白」をもとにした「再現ドラマ」が放映されたとのことです、世間の下した判決が、証拠のみで裁くべき裁判所を拘束してしまったようです。
 横書で500頁近い大作です。正月休みの人間ドックのときに、ホテルに持ち込んで読みふけった本の一冊です。日本の裁判所が、本当に証拠を適切に採用して判断しているのか、心配にさせる本でもあります。それにしても、本格的な無罪弁論というのは、ここまで詳細にやるのですね・・・。脱帽でした。
(2014年11月刊。2800円+税)

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2015年1月18日

韓国・北朝鮮とどう向き合うか

朝鮮(韓国)


著者  東アジア共同体研究所 、 出版  花伝社

 韓国へ日本から5億ドルが支払われた。朴正熙大統領のときである。しかし、この5億ドルは、ひもつきのお金だった(タイドローン)。日本から物を買う。日本から技術を購入する。日本から人材を必要とする。そのための5億ドルだった。すなわち、この5億ドルは賠償金ではなく、あくまで商業ベース的なレベルで日本は拠出した。
 ソウル地下鉄とか、浦項(ポハン)製鉄所(現ポスコ)への資金も、この「賠償金」5億ドルから流れていっている。そして、日本にもキックバックされた。
 金正恩が張成沢を処刑したのは、金正恩はそうせざるを得なかったということ。それを進言したのは、北朝鮮の党・軍のなかの元老グループ。
 北朝鮮の労働党政治局員20人の3分の2は、70代、80代が占めている。
 4人の副委員長のうち、張成沢が切られて、残る3人は89歳の元軍政局長、84歳の元総参謀長、78歳の軍総参謀長。
 金正恩からすると、軍のほうから張成沢を外す方がいいと言われたら従うしかない。
 軍は軍で、この若さの三代目について、自分たちの権益・利権を守る。金正恩は彼らに乗っかかって金正恩体制をつくっていこうということなので、利害関係が一致している。そこに、弾き飛ばされる人間が出てきた。
 北朝鮮でも、韓流が入ってきていて、多くの若者の心をとらえている。韓流の映画俳優の顔に近づけたいといって二重まぶたにするというのは、そこらじゅうでやっている。医師でもない人が手術して、金もうけしている。
 情報閉鎖と教育をセットにし、かつ恐怖統治をそこに組み合わせると、人々はいろんな不満があっても、それがトップのせいだというよりは、身近にいる自分の真上にいる幹部がトップのいうことをよく聞かないでやっているせいだと思い込んでしまう。中間職が悪いんだと不平を向けさせることで、ガス抜きをする。
 金正恩には、思想・理論もないし、統治してきた経験もないから、金正日の遺訓ですべてを治めている。日本でいうと、水戸黄門の印籠をかざして、これが見えないかという形になっている。
 中国は、もしも金正恩が中国の国益を前面から害するような行動に出た場合は、金正男をカードとして抑えておこうとしている。
 北朝鮮では、朝鮮労働党の組織指導部が中核権力となっている。組織指導部は、国家保衛部と軍を動かせる。したがって、組織指導部を中核とする金正恩体制と言える。
 組織指導部では、部長は一貫して空席で、金正日時代も金正日総書記が兼任していた。組織指導部の内部に党、軍、政府それぞれの担当者がいて管理している。軍総政治局は、組織指導部の一課に過ぎない。
 先軍政治というのは、軍事を優先する政治であって、それを推進する権力中枢は組織指導部である。だから、権力の中枢は組織指導部に、権力の基盤は軍に置いている。
 工作機関が一つにまとまっているのが偵察総局。労働党の作戦部、調査部、そして軍の偵察局。この三つが拉致の実行犯。この特殊機関について、国家保衛部には監察能力はない。
 今回の北朝鮮側の特別調査委員会には、実際の権力を持っている機関が入ってない。
北朝鮮は中国の支援なくして戦争はできない。中国の習近平が訪韓したことから、北朝鮮は、戦争行為は、もはや出来なくなった。中国は金正恩政権を見放してもいいという状況になっている。
鳩山由紀夫・元首相の主宰する真面目な研究所における深く突っ込んだ分析が満載のブックレットです。価値ある1000円だと思いました。
(2014年10月刊。1000円+税)

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2015年1月19日

なぜ生物に寿命はあるのか?

生き物


著者  池田 清彦 、 出版  PHP文庫

 もっとも原始的な生物であるバクテリアは、エサが豊富にあり、無機的な環境条件が好適な限り、原則的には死なない。たとえば大腸菌は、栄養条件をふくむ環境条件が好適な限り、どんどん増え続ける。捕食者に食われたり、事故死したりしない限り、細胞系列は不死である。また、がん細胞の系列にも寿命がない。
 バクテリアの細胞系列がどうして不死なのかというと、DNAの総量が小さいため、突然変異の蓄積速度を上回るスピードで分裂して増殖するからである。ふうん、分かったような。
 生物は、無生物にはみられない二つの特徴をもっている。一つは代謝は、もう一つは遺伝である。
 DNAは、宇宙線によって簡単に壊されてしまうので、宇宙線の強いあいだは生物が地球の表面に進出してくるのは容易ではない。しかし、宇宙線が弱まれば、地球の表面には太陽光があふれているので、光をエネルギー源として利用できる生物にとって、これほどすばらしい場所はない。かくして、シアノバクテリアは大増殖をはじめることになる。
 光をエネルギー源として、光と二酸化炭素から有機物(糖類)をつくり、副産物として酸素を放出する。これがシアノバクテリアの光合成である。
 原始大気の大半は水蒸気と二酸化炭素で、酸素はほとんどなかったと思われる。シアノバクテリアのおかげで、地球の大気には大量の酸素が含まれるようになり、ひいては人類の生存が可能になった。
 実は、細胞にとって、酸素は猛毒なのである。真核生物はペルオキシソームという細胞内小器官をもち、活性酸素を無毒化している。
 動物などの真核生物の従属栄養生物は、すべて酸素をつかって有機物を分解してエネルギーを得ている。これは、ミトコンドリアという細胞内小器官が担っている。
 生物にとって最重要な課題は、動的平衡を保つシステムを細胞分裂を通して次々に伝えていくこと。遺伝子はDNAの塩基配列にすぎず、突然変異や多生物との水平移動によりどんどん変わる。
 遺伝子は、このシステムを動かす部品であって、遺伝子がシステムをつくったわけではない。重要なのは遺伝子ではなく。動的平衡を保つシステムを次世代に遺伝させる不死の系列、すなわち生殖細胞なのだ。
動物では、分化した細胞がほかの種類の細胞になることができない(きわめて難しい)。しかし、植物では、分化した細胞の相互転換が比較的たやすい。
 小笠原諸島に存在するハカラメという植物は、葉を一枚とって土の上に放置しておくと、やがて根や芽を出して立派な個体に育っていく。だから「葉から芽」なんですね・・・。
 ヒト(人間)では、ニューロンや心筋細胞の最大寿命は120年と言われている。
 ヒトの最大寿命は、せいぜい120歳、日本では、100歳以上の人口は、1980年に1000人だったが、2013年には5万4000人をこえた。しかし、最長寿の年齢は延びない。
抗がん剤の投与によって一時的にがんが消失しても、運悪く再発すると、同じ抗がん剤は効かないことが多い。突然変異によって抗がん剤体制をもつがん細胞が生じ、この系列だけが生き残って増殖する。これも、なんだか怖いことですよね・・・。
 生物について、寿命は必然です。もちろん、ヒトも同じこと。なにしろ、上がつかえていれば、下の人たちはいつまでたっても上にあがれませんよね。新陳代謝が図れないのです。
 生物の本質について、文庫本なので、手軽に読める本です。
(2014年8月刊。560円+税)

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2015年1月20日

降りられない船

朝鮮(韓国)

著者  ウ・ソックン 、 出版  CUON

 昨年(2014年)4月16日に起きたセウォル号の沈没事件についての本です。
 私は、この事件について、残念でたまりませんでした。ニュースを読みながら、無念の涙を流してしまいました。だって、前途有為の高校生が300人近くも一挙に亡くなってしまったのですよ。信じられない大事故です。
 どうして、こんな大事故が起きてしまったのか、ぜひとも知りたいところです。
 このセウォル号は、韓国の前は、鹿児島と沖縄のあいだで運行していた船だったのですね。そして、韓国で船体が大幅に改造されています。
 船体の後部が増築されたため、本来なら左右をつないでいた船体後尾の甲板は、新設されたサンドイッチパネルの壁で最初から塞がれていた。残りの非常口も施錠したまま運行する習慣のため、開けることができなかった。
 セウォル号の船体が完全に傾いてからは、ドアは開かなかった。すでに海水が入り込んで傾いた船体から海に飛びこみ、水面下へ泳いで出て行った数人だけが最後に生きて戻った。船長以下の船員は脱出しています。
 高校生は、「じっとしているように」という船内放送の命じるままに、じっとしていたのです。これを書きながら、私は無念の涙が止まりません。いったい、この船内放送は、誰が、何のために出したのでしょうか・・・。
 この6千トンを超えるセウォル号の船長は、契約職であり、契約して1年にも満たなかった。
 もちろん、船長の責任は重いと私も考えます。現に裁判で重い有罪判決を受けました。しかし、問題は船長の個人的な資質にあったというのではないということです。
 セウォル号は済州島に行く船だった。済州島にいくのに簡単なのは飛行機だ。格安航空便もある。ところが、高校生が修学旅行で済州島に行くのを船で行くように行政がすすめていた。なぜか?
 1万トン以下のフェリーは、石油の高騰と交通手段としての競争力の低下などで居場所がなくなっていた。そこで、高校生の修学旅行が、教育当局の勧誘によって、カーフェリーに集中した。そして、この修学旅行生によって、途絶えていた路線の運行が復活したのだ。
 そのとき、船の寿命を20年から30年に延長して、日本では経済的寿命が尽きて退役する船が、韓国では中古として再稼働することが可能になった。
 日本の船を鉄くず同然の値段で買った人たちが、船についての基本的な原則と常識もないまま、都合のいいように改造した。船体が傾いたときの復元力に必要な、負荷を均等に合わせる最低限の作業もできなかった。縦方向の増築などで船尾がいじられてしまったため、左右のバランスをとることすらできなかった。
 この日、午前8時52分に船内にいた高校生から、「船が沈没中です。助けください」という電話を消防本部、そして海洋警察は受けている。ところが、午前9時30分に船長たちが海洋警察の船で救助されるとき、高校生は一人として救助されていない。何ということでしょうか・・・。
そして、セウォル号に近づいた警備艇は、二次被害を恐れて、船内に乗客がいることを知りながら、みすみす手をこまねいていた。しかも、他の船には接近するのを禁止してまで・・・。
これまた、信じられません。何があっても船内に侵入せよとの命令が出されるべきだったと著者は指摘しています。私も、まったく同感です。
 韓国の体育の授業には水泳の時間がなく、学校にプールがないそうです。これには意外というか、驚きでした。日本と同じように海に囲まれた国なのに、なぜなのでしょうか・・・。
 ともかく、国民の安全第一で行政はあってほしいものです。日本だって、フクシマの原発事故についての政府の対応をみていると、とても韓国政府の対応を批判できるとは思えません。放射能を今なおたれ流しているのに、早々と「収束宣言」するなんて、そして、原発再稼働を狙うなんて、日本政府も狂っているとしか言いようがありません。
 政府は、国民の安全第一で政治を進めるべきです。怒りが改めて湧きあがってきました。
(2014年10月刊。1500円+税)
 日曜日の午後から、ジャガイモを庭に植えつけました。メークインとキタアカリです。ダンシャクは店に売っていませんでした。いつものようにジョウビタキが近寄ってきましたので、写真にとってやりました。私の個人ブログで紹介します。とっても可愛いです。
 チューリップの芽が地上に出はじめました。春が近づいています。

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2015年1月21日

「3.11フクシマ」から原発のない社会を!

社会


著者  「原発と人権」全国交流集会 、 出版  花伝社

 二回目の全国交流集会の報告集です。反原連の代表が次のように発言しています。
 2012年3月が初めて。初回は300人で、トラメガとマイクだけ。首相官邸前は、静穏保持法や東京都条例によって、デモは出来ないことになっている。そこで、抗議行動と呼んでいる。8時までに終了する。警察との協力が不可欠。警察官も協力してくれている。
 2012年6月29日には20万人近くの人々が集まった。とかく共産党系と見られがちだけど、まったくの無党派で、シングルイシュー。つまり原発だけ。活動資金はカンパ。1回で200万円ほど集まったこともある。
原発輸出のセールスをスムーズに行うためには、日本国内でも原発を再稼働させなければならないというベクトルが働く。原発が必要であろうが、必要でなかろうが、とにかく何が何でも動かす。そこで、とりあえず元気に生きている国民を見せ物にするのが目的だ。ショールームとしての日本列島。つまり、日本人は、日本に住んでいるというだけで、いつの間にか原発メーカーや電力会社、そして政府のための命知らずの原発セールスパーソンに仕立てられている。補償がなかなか進まないのも、そのため。
 昨年(2014年)5月21日の福井地裁の判決文は、何回よんでも心に残る名判決です。まさに「司法は生きていた」ことを久方ぶりに実感させてくれました。以下、少しだけ紹介します。このブックレットの末尾に載っています。
「使用済み核燃料は、本件原発の稼働によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったり起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っていると言わざるをえない」
 「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発にかかる安全技術および設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというのにとどまらず、むしろ確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ちうる脆弱なものであると認めざるをえない」
 「被告(関西電力)は、本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等と並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。
 コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
 また、被告(関西電力)は、原子力発電所の稼働がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国はじまって以来、最大の公害・環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは、甚だしい筋違いである」
 いま、私は判決文を書き写しながら、何度となく、うんうん、そうだよねと深くうなずいてしまったのでした。この樋口英明裁判長は熊本地裁玉名支部の裁判官だったことがあり、私も出会ったことのある裁判官です。
 そして、この判決は結論として、次のように断言しています。
 「大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求(原発の運転差止)を認容すべきである」
 いまの安倍内閣のすすめている川内原発の再稼働を目ざす動き、そして海外へ原発を輸出しようとする動きは、直ちにストップさせなければいけません。
 みんなで声を上げましょう。原発なくして、安全・平和な日本に!
(2014年9月刊。1200円+税)

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2015年1月22日

NHKと政治権力

社会


著者  永田 浩三 、 出版  岩波現代文庫

 NHKは、イギリスのBBCと並んで世界を代表する公共放送。2014年度予算は、6539億円。これは世界最高。事業収入の97%は、受信料である。
 NHKの存立基盤は1950年につくられた放送法。NHKは、放送法によって生まれた特殊法人。国営放送ではないし、会長も職員も、国家公務員ではない。
 1950年に朝鮮戦争が始まると、NHKはラジオ第二放送をアメリカの対北朝鮮謀略放送として提供した。当時のNHK会長は、NHKは他にさきがけて国策に貢献すると明言した。
 NHKが権力から自立を図る可能性があったのは、1964~1973年の前田義徳会長の時代。前田会長は、副会長時代から目に余る自民党からの介入や干渉を苦々しく思い、なんとしてもときの政府と放送行政からNHKを切り離し、独立したNHKをつくりたいと考えていた。前田会長は、放送の自立と地位の向上に執念を燃やした。
 しかし、前田会長には、もう一つの顔があった。権力と癒着する顔である。NHKが現在の神南に移転するときのこと。そして、佐藤栄作首相との関係・・・。
 そして、次の小野吉郎会長は田中角栄元首相が逮捕され、保釈されると、自白の田中角栄邸にNHKの公用車で見舞いに行った。
 今の籾井会長は、三井物産の元副会長、その前の松本会長はJR東日本、その前の福地会長はアサヒビールというように、NHKの会長は財界人出身者が続いている。
 NHKが政治との距離をとることがいかに難しいかを示している。
 この本で問題とされる事件が起きたのは、2001年1月末のこと。「戦争をどう裁くか」シリーズの2回目「問われる戦時性暴力」の番組内容が大幅に改変された。
河野談話が今も自民党などから激しく攻撃されていますので、起こるべくして起きた事件とも言えます。
NHKの上層部は、慰安婦とされた女性について、「ビジネスで慰安婦になった人たちです」と言い換えられないかと迫った。
 これはひどい。ここまで言うか、と思いました。
 永田町(自民党)からの圧力で、それこそちゃぶ台をひっくり返すような指示を出してくる。
 中央大学の吉見義明教授が、専門家として、次のようにコメントする予定だった。
 「今回の民間法廷では、歴史の専門家が呼ばれ、慰安所制度への軍の関与を示す文書が提出されました」
 これに、NHK上層部が、「これは、軍の関与といっても、トラブルを避けるために関与した、いわばよい関与を示す証拠文書ではないのか」と異を唱えて介入してきた。これまた信じられない暴言です。
 この問題で介入してきた自民党の三議員は、古屋圭司、安倍晋三、荒井広幸だった。
 東京高裁判決は編集の自由を損なったのはNHKの側だったと厳しく指摘した。
NHKは、公共放送としてもっとも大切にすべき、自立のための編集の自由を乱用し、逸脱して、番組をぼろぼろになるまで変えてしまった。自民党政治家の意図を過剰におもんばかり、何より大切にしなければならないはずの編集の自由を損なった。
 NHKの番組制作過程に自民党の圧力が陰に陽に加えられ、「自主的に」改変させられている現実が、体験した事実をもとに明らかにされた貴重な本です。
(2014年8月刊。1240円+税)

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2015年1月23日

文革

中国


著者  董 国強  、 出版  築地書館

南京大学14人の証言、こういうサブタイトルのついた、かつての中国で吹き荒れた文化大革命の体験談を集めた本です。
私も南京に行ったことがあります。とても大きな都市です。南京大学には行っていませんが、南京の城壁にはのぼってみました。とても大きな城壁です。
日本軍は1937年12月、南京事件(南京大虐殺)を起こしています。30万人かどうかはともかくとして、日本軍が中国軍の敗残兵を大量に殺害し、罪なき多数の市民を無残に殺したうえ、無数の女性を強姦した事実は絶対に消せるものではありません。加害者は忘れても、被害者はずっと後の世代まで忘れることができません。
南京は日本軍の支配下から脱したあと、重慶から移ってきた蒋介石政権が首都としたこともある重要な都市です。そこにある南京大学は、北京大学と並ぶ中国でも有数の大学です。その南京大学における文化大革命の顛末が、当時、教授や学生だった14人から語られていて、大変興味深い内容になっています。
南京大学での文革の開始は、わずかに北京大学での動きに遅れるだけだった。
文化大革命における大衆運動が想像外にエスカレートした背景は・・・。
まず、毛沢東の政治的威光。当時、毛の権威は絶大だった。毛思想教育が徹底しており、毛の呼びかけには何らかの形で応える政治的必要があった。
次に、共産党政権への不満である。階級区分による差別、私生活の管理に対する不満、非正規雇用が増加し、社会には不満が渦巻いていた。したがって、文革に名をかりて、自らの不満解消を図る人々も少なくなかった。
1971年9月の林彪事件は、紅衛兵も海外の文革礼賛派も幻滅させ、文革への疑念を生じさせた。
1974年の批林批孔運動のときには、過去の熱狂は失われていた。
文革の運動に積極的に参加していた人々の多くは、個人的な目的を心に抱いていた。家庭条件が悪く、自分の資質が良くない人は、文化大革命の期間を通じて「造反」「経験交流」などに出かけ、多くの利益を得た。
農村に追いやられた学生たちは、そこで農民の大変な生活を目にした。農民の生きていく唯一の目的が、いかに腹を満たすことであるかを知った。この現実を見て、学生たちの考え方が大きく変わった。
当時の農民には、ほとんど娯楽と呼べるものはなかった。彼らの精神生活は、きわめて貧困だった。しかし、農民もばかではなかった。彼らには彼らの考え方があり、知恵があった。
重大な言い間違いをしたとき、苦労して育ててきた豚を殺し、村人や幹部を招いて宴会をするのだ。そうすると、何事もなかったことになる。
農民は懐中電灯すら買えなかった。しかし、人間性は失っていなかった。何も持ってなかったが、善良だった。
南京大学では文革期に20人以上も自殺した。しかし、人間性のまったく失われてしまった時代にあっては、自殺した者も屈辱に耐えて生き抜いた者も、どちらも弱者とは言えない。自殺は自尊心と人格を守るため、本人の生命を犠牲にし、家族の長期にわたる苦しみにもかかわらず選択されたもの。一方、生き抜いた者も、自尊心を売り渡すことを余儀なくされ、屈辱と肉体の苦しみを我慢しながら、最後に誰が笑うのかを歯軋りをこらえて見ようとしたのだ。
批判闘争が行われるときには、頭を下げて、ひたすら主催者が『毛主席語録』の一節を読むのを聞き、今日の批判がどの程度のものかを判断する。もし、『毛首席語録』のなかの「革命は、客を招いて食事をすることではない・・・」が読まれたら、その日の批判は厳しく、心して対応しなければならなかった。
毛沢東の犯した誤りは、極めて重大であって、「誤り」という言葉では軽すぎる。文化大革命が中国の民族と国家に与えた損害は空前絶後のものだ。
文革という運動は、個人の精神にまで及んで、ふだんであれば現れにくい部分が曝露される結果になった。彼らは「革命の継続」というお題目の下で、私怨を晴らした。
上のやることを、下も真似して、どこでも同じことが起きた。分配された仕事に不満をもっていた人たちが動いたのだ。こういう人たちの自己顕示欲と野心の心強さは、学生時代からみられた。
育ちの良い青年学生たちは、若くて単純だったので、簡単に巻き込まれ、素朴な階級感情が刺激された。保身に走った人たちもいる。場合によっては、あえて過激な言動をすることで攻撃から自分を守っていた。
南京大学では、造反派に攻撃された死んだ人はいない。しかし中学校では、教師や校長の多くが学生に殺された。南京大学で殺された人がいないのは、南京大学の造反派は、南京大学そのものではなく、省委員会に関心をもっていたことによる。南京大学には何のうまみもなかった。
しかし、中学校の事情は違っていた。彼らにとって権力など、どうでもよかった。そんなものには興味がなく、暴れ回ることで単純に気持ちを発散させていた。ふだん生徒に対して厳しい先生は徹底にやられた。それに対して、南京大学の造反派は、はじめから教師に興味をもっていなかった。
南京大学の死者は、造反派が造反派にやられるという形の内紛によるものだった。
文化大革命は、始まったときから、完全な権力闘争だった。
毛主席の「経験大交流」の呼びかけがあったので、学生たちは、この機会に乗じて遊びに行った。みな見識を広げたいと思った。これを機会に各地の風景を観光して回った。
「経験交流」では、一ヶ所に最低3泊4日いることができ、出発のときには列車で食べるように、弁当箱一杯にご飯を詰めてもらえた。マントウも、蒸しパンも無料で食べられた。
1976年の第一次天安門事件は、名義上は四人組への反対だったが、実際には毛沢東と文革への反対だった。これは、毛沢東自身もはっきり自覚していたはずだ。
「批林批孔」運動のときには、人民大衆の消極的な拒絶にあった。
南京大学の紅衛兵は北京へ行き、北京大学で文革を引き起こした黒幕と出会った。それは、康生の妻だった。そして、上海の張春橋を紹介されて会っている。
文化大革命は、さまざまなものが上級機関と密接にからみあっていた。大衆組織間の是非も、実際には上級機関の一言によって左右された。中央の指示がなければ、造反派は一日だって存在できなかった。「お前たちは反革命組織だ」と言われたら、たちまち反革命組織になってしまう。
文化大革命では、末端の人々はみな操り人形で、上級機関に操作されていただけ。当時の熱狂的な状況のなかで、中央に従属して大騒ぎしていただけのこと。しかし、不幸なことに、誰も逃げることは出来なかった。
国家、共産党、人民解放軍には共通する特徴がある。それは派閥が存在すること。誰がどの派閥か、みな知っていた。文革で、この矛盾が表面化した。中国人は、「内輪の闘争」の能力がある。これは共産党ではなく、封建主義だ。
文革の後遺症は克服されていない。文革の動乱を経て、誰もが人間関係で傷ついた。文革中に他人を攻撃した人は、攻撃された人に謝罪した。しかし、内心の腫物が完全に取り除かれたとは言えない。
派閥問題の影響も残っている。過去に同じ派閥に属していた人とは戦友と同じつながりをもち、一種の個人資源となった。同じ派閥に属さなかった者は、学術問題ですらもめて、徒党を組んで意見の異なる人を攻撃した。
文革は社会の気風を破壊した。詐欺や日和見主義などで道義を論ぜず、良識と人格を売り払い、文革に利益を求めた人もいた。これらが批判・清算されないまま、人々の道徳観や価値観が悪くなった。また、共産党の名声も傷ついた。これによってブルジョワ的自由化思潮が発展し、蔓延する条件となった。
誤りの多くは清算できないままで、はっきりしていないことも多い。そのため、現在でも、毛沢東と文革に対する深層での見方は簡単に統一できない。
実際のところ、文革のなかには抜本的に、どのような民主も存在しなかった。いわゆる「大民主」とは、毛沢東の「左」の専制路線のもとの暴虐政治だった。
運動の初期、誰もが文革は現体制を転覆する革命だと誤解していた。まさか、実際の結果が、それまでの専制体制をさらに強化することになろうとは思いもしなかった。
中国の統治は、基本的に暴力と恐怖による。畏怖の気持ちと、服従しなければ、すべてを失ってしまうという社会心理がつくり出されている。
文化大革命を体験者が振り返った貴重な本です。正月やすみ、人間ドッグのときにホテルで熟読しました。

(2009年12月刊。2800円+税)

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2015年1月24日

憲法を守るのは誰か

司法


著者  青井未帆 、 出版  幻冬舎ルネッサンス新書

 今、大いに行動し、声をあげている気鋭の憲法学者による本です。
 憲法は道徳本とは違う。
 自らの人生をどう生きるかは、個人の選択に委ねられるべきこと。国家は、人の心に入り込んで、その選択に介入してはいけない。
 自民党の憲法改正草案は、憲法に定めるべきでないことを盛り込んでしまっている。
 明治憲法には、人々の自由や人権という概念や、その保障のための制度が大いに欠けていた。
 選挙で勝った「時の多数者」によって、簡単に人権規定などの思い意味をもつ憲法の規定がコロコロと変えられたら、選挙という民主的政治過程で負けてしまいがちな少数者の人権を危機にさらすことにほかならない。
 小選挙区制は、選挙区から一人しか当選しないので、振れ幅が大きくなってしまう。
 憲法9条の「キモ」は第2項にある、9条1項だけでは、武力行使の全面的な放棄にはならない。第2項があってはじめて、いかなる戦争をも放棄し、武力をもたないという我が国の憲法独自性が発揮されることになる。
 9条が規範力を及ぼした結果、他国とはひと味ちがう独自の安保政策が70年近くのあいだに積み重ねられてきた。
 日本は、関係機関と協力して、小型武器の回収・廃棄プロジェクトや、元兵士、元児童兵の武装解除・社会復帰事業などを実施してきた。
 軍縮・不拡散の取りくみへの日本による努力は、もっと広く知られてよい。
 平和的な外交の蓄積が、日本人が世界各国を観光やビジネスで訪問するとき、目には見えていないけれど、日本人の安全を保障する貴重な財産となってきた。これを改めて認識すべきだ。
いま、安倍首相が、それを根底から覆そうとしています。怖いです。
 まさしく、憲法を守るのは、私たち国民一人ひとりの声です。あきらめることなく、声を上げていきましょう。
(2013年7月刊。838円+税)

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2015年1月25日

筑紫の磐井

日本史(古代史)


著者  太郎良盛幸・鹿野真衣 、 出版  新泉社

今から1500年も前の日本で、福岡県八女の地に「大和王朝」に対抗した偉大な大王(おおきみ)がいました。その名を、筑紫(ちくし)の磐井(いわい)と言います。
マンガで古代日本のあり方を考える手がかりを与えてくれます。マンガって、本当にバカになりませんよね・・・。
原作者の「太郎良」って、どう読むのでしょうか・・・。「たろうら」と読むのです。八女郡に生まれて、社会科の教師でした(教頭・校長もつとめています)。 そして、岩戸山歴史資料館の館長もつとめています。
皆さん、八女市にある岩戸山古墳に行っていない人は、ぜひ行ってみてください。私も最近、久し振りに行ってきましたが、すごい石人像があります。私の個人ブログでも写真つきで紹介しています。
マンガの絵のほうは、なんと八女市出身の養蜂家の男性と結婚したという神奈川県出身の女性が描いています。とても品格のある絵です。大王(おおきみ)というのは、こうでなくてはいけないと思いました。威厳と慈愛がよく描けています。
北部九州を支配する筑紫君(つくしのきみ)一族は、大分君(おおいたのきみ。大分県)や火君(ひのきみ。熊本県)をまとめて筑紫連合王国を形づくっていた。そして、自分の子弟を「大和王朝」に留学させると同時に、朝鮮半島の国々にも子弟を留学させるなどして、深い関係をもち、交流していた。
磐井の祖父の墓といわれる石人山(せきじんざん)古墳、磐井の墓である岩戸山(いわとやま)古墳が今も八女に残っているのです。そこに行ってみると、古代日本が文明先進国である朝鮮半の国々と深くかかわりながら、まだ大和王朝と緊張関係にあったことを想像することができるのです。
この歴史マンガはそのことをちょっぴり実感させてくれます。ぜひ、あなたも手にとって、古代日本を想像してみてください。
意外に、日本は国際交流は昔から盛んだったのですよ・・・。

(2014年12月刊。1500円+税)

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2015年1月26日

自己が心にやってくる


著者  アントニオ.R.ダマシオ  、 出版  早川書房

意識の明らかな成果としては、生命の効率的な管理と安全の確保があげられる。
脳なんかまったくない生物ですら、単細胞生物にいたるまで、一見すると知的で目的性のありそうな行動を示す。
ニューロンは再生産しない。つまり、細胞分裂しないし、再生もしない。
植物はニューロンを持たず、ニューロンがない以上、決して心を持てない。水頭無脳症の子どもは何年も生き続け、思春期を迎えることさえある。決して、植物状態などではない。それどころか、目を覚まして行動している。世話係とも無視できないほどの意思疎通ができるし、世界ともやりとりできる。彼らは明らかに心をもっている。頭や目は自由に動き、顔には情動表現があり、おもちゃやある種の音にはほほえむ。くすぐられると笑って、通常の喜びさえ表現できる。痛い刺激には顔をしかめて手を引っ込める。
渇望する物体や状況に向けて、移動もできる。たとえば陽のあたっている床へはいって、日向ぼっこをして、明らかに暖かさから便益を引き出し、満足しているように見える。
さらに、特定の人物に対する選好を示す。知らない人にはおびえ、いつもの母親や世話係の近くにいると、もっとも幸せそうだ。好き嫌いは明確で、とくに音楽の場合には、それが著しい。子どもたちは、一部の音楽をことさら気に入る。耳の方が目よりもいいらしい。水頭無脳症の少女たちは、思春期には、生理にさえなる。
身体から脳への通信と同じように、脳には神経と化学の両方の経路で身体に語りかける。神経経路は神経を使い、そのメッセージは筋肉の収縮と行動の実行を引きおこす。化学経路は、コーチゾル、テストステロン、エストロゲンなどのホルモンを使う。ホルモンの放出が体内状態を変え、内臓の働きを変える。
脳内で生じた思考は、体内で生じる情動状態を引き起こせるし、身体は脳の風景を変え、したがって思考の基盤を変えられる。
脳の状態は、ある精神状態に対応するが、特定の身体状態を引きおこす。そして、身体状態が脳にマッピングされて、継続中の精神状態に組み込まれる。情動と感情とは区別される。情動と感情は、緊密に結ばれた周期の一部ではあるが、プロセスとして区別できる。重要なのは、情動の本質と感情の本質とか違っていることを認識すること。
情動の世界は、もっぱら体内で実行される行動の世界であり、たとえば顔の表情や姿勢から、内臓や内部状態の変化などが含まれる。これに対し、情動の感情は、情動が動いているときに、心や身体の中で起こることについての複合的な知覚だ。
感情は、行動そのものではなく、行動のイメージだ。感情の世界は、脳マップ内で実行される知覚の世界だ。情動は、アイデアやある考え方を伴う行動である。
情動は、脳内で処理されたイメージが各種の情動の引き金となる部位を活性化させると機能する。
目を覚ましているというのは、意識をもつ前提条件だ。
人は、レム睡眠中には活発に夢を見るし、一晩に何度も見ている。だけど、もっとも記憶に残るのは、睡眠から目を覚ましかけてだんだん水面下から、徐々にまたは急激に水面、つまり意識状態に戻ってくるときの夢らしい。
麻酔薬は、ニューロンを過分極させて、アセチルコリンをブロックすることで作用する。アセチルコリンは、通常のニューロン間通信では、重要な分子だ。
アルツハイマーは、人間にしか見られない病気である。典型的なアルツハイマー病をもつほとんどの患者は、病気の初期も、中期も、意識は阻害されない。初期には、新しい事実情報の学習がだんだん阻害されるようになり、過去に学んだ事実情報を思い出すのも、だんだん困難になっていく。初期には、この病気の影響は小さく、社会的な穏やかさは維持され、平常な生活に近いものがある程度は維持される。しかし、やがて自伝的記憶の基盤が浸食され、そのうちあっさりと消えてしまう。
意識と脳について、深く知ることのできる本です。
(2013年11月刊。2900円+税)

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2015年1月27日

日本人は人を殺しに行くのか

社会


著者  伊勢崎 賢治  、 出版   朝日新書

 昨年末の西日本新聞に、アフガニスタンで活躍中のペシャワール会の中村哲医師の活動が写真とともに大きく取り上げられていました。中村医師は福岡県出身で、自宅も福岡県内にあります。わが郷土の誇るべき偉人です。
 中村医師は、安倍首相とはちがって、アフガニスタンの復興に必要なのは銃ではないと強く訴えています。中村医師は患者を治療する前に病気にならないようにすることが大切だとして、農業用水路を自ら開設していったのです。
 丸腰で働く中村医師には、絶えず二人の護衛が銃をもって付き添っているとのこと。それでも戦後一度も戦争をしたことのない平和な国・ニッポン人だからこそ、中村医師は丸腰のままアフガニスタン復興に身を挺することができているのです。ある意味で、「美しい誤解」を日本人は受けていて、中村医師もその恩恵を蒙っています。
いま、安倍首相のやっていることは、日本をフツーの戦争する国に変えることですから、これでは中村医師の活動を誤解する人が生まれても不思議ではありません。安倍政権は、中村医師の足をひっぱり、ひいては日本人全体の信用を害していることになります。
 この本は、「紛争屋」と自称する著者が、安倍首相の集団的自衛権行使の問題点を徹底的に究明したものです。
安倍首相の唱える「集団的自衛権」の行使が容認されると、間違いなく日本と日本を取り巻く国際環境に劇的な変化が起きる。
 現時点で、すでに日本人が海外で人を殺し、殺される一歩手前まできている。
 「集団的自衛権」は、あくまで国益のために行かれるものであるため、ときに国のエゴがむき出しになることがある。これまで、権利としては持っているけれど、集団的自衛権はあくまでも使うことができないものだと解釈されてきた。集団的自衛権の問題は、アメリカとの関係に左右される。
アフガニスタンでは、武装解除を免れ、武器を与えられてきたアフガンの警察は、いまは腐敗国家のシンボルと言ってよい存在だ。アフガニスタ警察を腐敗させたのは、アメリカのブッシュ政権に帰属する。
 ブッシュ大統領は、もともと地方軍閥の子飼いの民兵だった連中に、ロシアから輸入した大量の武器を与え、その連中を地方の警察として各地に配置した。わずか数か月で5万人もの促成地方警察を生み出した。日本の掲げた「治安分野の支援」は、腐敗の象徴であるアフガン警察に給料を払い、それを肥大化させることにつながった。
安倍内閣は、「集団的自衛権の行使」に際して、自衛隊の出ていく範囲を限定するつもりは全くない。
 日本に50ケ所以上ある原発(原子力発電所)の排水口に向けてRPG(携行ミサイル)が発射されたとき、日本全体が破滅してしまうことになる。
 「売れるから」という理由だけで書店に並べられている本が、日本人の好戦性を少しずつ、しかし確実に煽っている。これはなんとも不気味で恐ろしい話だ。人々の「熱狂」というのは、核兵器も超える真の大量破壊兵器になりうるものである。
 シリーズ累計100万部の『マンガ嫌韓流』(晋遊舎)、27万突破。『呆韓論』(産経新聞社)、20万部を突破した『韓国人による恥韓論』(扶桑社新書)など、ヘイトブックと批判されている本が大変売れている。
昨年末の衆院選で、得票を減らし、議席数も本当は減らしているのに「圧勝した」と間違った情報をたれ流し、マスコミは安倍政権を助けています。
何度も武装解除の現場に立ち向かったことのある著者ならではの本です。ご一読ください。
 
(2014年10月刊。780円+税)

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2015年1月28日

脱ダムへの道のり

司法


著者  編集委員会 、 出版  熊本出版文化会館

 熊本県の住民が川辺川ダムを苦労の末に止めた闘いの教訓を学ぶことのできる本です。
ハードカバーで、400頁をこえる大作ですので、手にとるのに少し勇気がいりました。正月休みの人間ドックのときにホテルに持ち込んで読了しました。
とても勉強になりました。とりわけ、行政とのたたかい方は、大いに参考になりました。広く、多くの国民に知ってもらいたいと思います。何事によらず、権力の横暴とたたかうためには、あきらめないことが肝心です。
川辺川ダムを建設する話がもちあがったのは、今から60年も前の1954年(昭和29年)のこと。すごーく古い話です。そして、そのときのダム計画は、水力発電を目的とするものでした。
1950年(昭和25年)ころ、五木村の人口は6000人をこえていた。ところが、1970年(昭和45年)には4000人、2007年(平成19年)には、わずか1400人にまで減ってしまった。
それは、気象災害、ダム計画がもたらした村内対立そして、展望のないまま外へ移住していったことによる。
1966年、建設省は治水を主たる目的として川辺川ダム建設構想を打ち出した。
1968年に、利水(かんがい)を含む多目的ダム構想によって、ダム反対を叫ぶ五木村は孤立化していった。国と県は、五木村を孤立化させながら、「所得」と「札束」で揺さぶりをかけた。
行政処分に対して異議申立したとき、口頭審理の申立ができる。申立があれば、法によって審査は口頭でしなければならない。
私も、公害認定審査会における口頭審査を何回も体験しましたが、これは、裁判の口頭弁論以上に面白いものです。行政とのあいだで丁々発止のやりとりができます。真剣勝負です。もちろん、そのためにそれなりの準備が必要です。
弁護団は、口頭審査申立書を農水大臣あてに送付した。その回答が来ないので、九州農政局へ抗議に行った。すると、課長や次長は「口頭審理の申立など知らない」とうそぶき、抗議団を立たせたままで応対した。次長に至っては、足を机に乗せてスポーツ新聞を読むという対応だった。そして、抗議団の一人が帽子をかぶっていると、「帽子を取れ」と高飛車に命令した。
弁護団が、行政手続は送達主義であって、裁判の到達主義とは違う。このように説明しても、農政局は、口頭審理申立書を受けとっていないと繰り返した。やむなく弁護団が抗議したあと事務所に戻ると、九州農政局の課長らが追いかけてきて、「口頭審理申立書が来ていました」と言いながら、土下座して謝罪した。
なんということでしょうか・・・。しかし、まだその次があります。今度は、口頭審理の日時・場所を一方的に指定したうえ、発言は代理人に限るとしたのです。とんでもないことです。
発言する人のための椅子は一つだけ。農政局側は十数人が机を前に座っている。そして、窓のカーテンを閉める。隣のビルからのテレビ局の撮影を妨害しようとする。それで、閉めたカーテンを開けさせた。そのうえ、農政局側は、本人の発言を許さないという。
そこで農政局の法律スタッフに「使者」という概念があるのを確認させ、弁護士が「私の使者である○○さんに発言させる」と言って、本人発言を認めさせた。結局、こうやって本人発言を認めさせていって、合計207人もの住民が口頭意見陳述を実行した。
このたたかいによって、はじめは弁護団に依頼しなかった人たちも、裁判のときには弁護団に委任するようになった。
川辺川ダムの裁判では、一審の熊本地裁では敗訴したものの、福岡高裁では逆転勝訴します。福岡高裁の井垣敏生裁判長は、第一回口頭弁論で、双方の主張をスライドなど絵を使ってするよう求めた。そこで、原告弁護団は動画を作成し、4×4メートルのスクリーンで上映し、国を圧倒した。井垣裁判長も偉いと思いますが、それにこたえた原告弁護団も見事ですね。
そのうえで、原告弁護団は、4000人の農家を調べて、その3分の2以上の同意がないことを立証するという大変な作業にとりかかったのです。土、日、祭日に農家の人たちに地域公民館に来てもらって、調査したのでした。大変な作業です。しかし、この作業を立派にやり終えたことによって、原告側の勝訴判決が得られたのでした。
住民運動とともに裁判をすすめていくときの弁護団の苦労がしのばれる本として、とても教訓にみちた貴重な本だと思いました。恵贈いただいた板井優弁護士に感謝します。
(2010年11月刊。2800円+税)

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2015年1月29日

辺野古に基地はいらない

社会


著者  東アジア共同体研究所 、 出版  花伝社

 昨年末の衆議院総選挙で「オール沖縄」が4議席を占め、沖縄では全勝しました。政府・自民党の完敗です。沖縄県の民意が見事に示されたと思います。ところが、残念なことに本土のマスコミはあまり大きく報道していません。安倍政権のマスコミ操作の「成果」がここにもあらわれています。
 辺野古につくろうとしている基地は、アメリカ国防総省によると、運用年数40年、耐用年数200年の基地だ。そのための予算は1兆円。
 在沖アメリカ海兵隊の砲兵隊中隊長によると、辺野古につくる基地は日米安保条約とは何ら関係がない。これは、日本の鉄鋼業界を救うという政治目的でつくるもの。しかし、せっかくつくっても真珠湾に次いで、世界で2番目に海底に沈む基地になる。
 鉄の柱を何千本も立てて、その上に鉄の箱をいくつもリングでつないで、その上に厚い鉄板を張って滑走路をつくるのだが、鉄の箱と箱を結ぶリングが日本でもアメリカでも、まだ発明されていない。現在のリングでは、沖縄の暴風に耐えられず海底に沈んでしまう。
 現在、普天間基地では、腐食を防ぐためにヘリコプターを2週間に1回ずつ真水で洗っている。基地を辺野古に移すと、塩害がひどくなるので、毎日でも洗わないといけない。
 ヘリコプターを1機洗うのに4トンの真水が必要。すると、有翼機をふくめて100機になるので、1日に400トンの真水が必要になる。沖縄は年中、水不足に苦しんでいるので、どこから、これだけ大量の水を持ってくるかは、大問題となる。
 辺野古に基地をつくったら、オスプレイを1回に2機ずつ洗うことになるので、巨大な水タンクを設置する必要がある。兵舎も海上につくらなければならない、食堂も食糧倉庫も、格納庫も・・・。さらには、バーやクラブも欠かせない。そのためにはウイスキー倉庫も。そうなると、関西空港なみに巨大化し、費用も1兆5000億円にもなりかねない。
普天間基地を辺野古に移したら、陸からも海からも自由に爆弾を積める施設をつくる。今の普天間では爆弾は積めず、嘉手納基地で積んでいる。
 普天間基地の年間維持費は280万ドルだけど、辺野古に移したら2億ドルにはね上がる。それを、アメリカは日本の税金で負担してもらうつもりだ。
 わずか4万数千人の在日アメリカ軍のために日本が負担・支出している総額は、沖縄の140万人県民を養うための県予算よりはるかに大きい。
 2009年度の日本が負担しているアメリカ軍駐留費総額は、「思いやり予算」1881億円をふくめて7146億円。同じ年度の沖縄県の予算は6730億円でしかない。
 「思いやり予算」は、1978年に始まったときには62億円だったものが、20年で30倍以上になってしまった。
 「思いやり予算」のなかには、アメリカ軍基地内で働く76人のバーテンダー、48人の自動販売機の管理人、47人のゴルフコース整備係、25人のクラブ支配人、9人のレジャーボート操縦士、6人の劇場支配人、5人のケーキ職人、4人のボウリング場係、3人のツアーガイド、1人の動物世話係が含まれている。これを、みな私たちの税金で負担しているわけです。
 辺野古の基地建設のため、辺野古ダムからベルトコンベアーに土砂を運んでくる工事を大成建設が51億円で落札している。
 オスプレイは戦闘には向かない。平時の兵員や物資の輸送機としてしか使えない。横風や追い風に弱い。密集隊形で突入するとき、両脇の自分の味方機と接近しすぎると危なくなる。隣の機の気流で不安定化してしまう。いずれにしろ、全然、役に立たない。
 鳩山由紀夫には、首相としては大変ガッカリさせられましたが、本人は今なお、いたって真面目です。だからこそ、アメリカが全力をあげて、日本のマスコミも使って首相の座から引きずりおろしたのですね。貴重なブックレットです。ご一読をおすすめします。
(2014年10月刊。780円+税)

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2015年1月30日

日米〈核〉同盟

社会


著者   太田 昌克 、 出版  岩波新書

 核兵器と原子力発電所が、根っこで共通した問題のあることを明らかにした本です。
 そして、西山記者が暴いた「核密約」が今も生きていて、私たち日本人の生命、安全を脅かしていることも明らかにしています。
 2011年3月15日は、日米同盟の盟主である米国が驚愕し、菅政権と東京電力に、その当事者能力に見切りをつけた「運命の日」である。
 海兵隊の特殊専門部隊CBIRF(シーバーフ)は、1995年の地下鉄サリン事件を機にアメリカ軍内に設置された専門集団で、部隊は二つしかない。うち一つは常時、アメリカの国家機能の中枢である首都ワシントンでの有事に備えて即応体制をとっている。そんなアメリカ有数の資産であるCBIRF(隊員50人)がアメリカ本土から遠く離れた外国(日本)に派遣されたことの政治的意味は格別に重い。
 日本側の「当事者能力」喪失を疑ったアメリカは、「複合的人災」と呼べる福島の原発事故の初期対応に能動的に関わった。
 核超大国であるアメリカは、冷戦時代から今日に至るまで、「核の傘」という「核のパワー」に依拠した軍事的手段を日本に供与し続けると同時に、原子力という民生用の「核のパワー」を「平和利用」の名の下に被爆国ニッポンに担保し続けてきた。
 核搭載艦船の日本への通過・寄港を無条件で可能にする「核持ち込みに関する密約」が必要だった。1954年5月、アメリカの国防総省は、国務省に対して、日本に原爆を持ち込み貯蔵したい、在日米軍基地から核攻撃できるよう、日本政府から事前の許可をとってほしいと要求した。
 アメリカ軍は、1945年末から1955年初めに沖縄への配備を断行した。そして、1955年春に西ドイツ、57年にフィリピン、58年に韓国、台湾へと、順次、核の前線配備をすすめ、「核の脅し」を具現化していった。
 核兵器にきわめて敏感な反応を示す日本人に、いずれ核配備を受け入れさせるためにしたのが、「原子力の平和利用」による「核ならし」という、日本国内世論のマインドコントロールだった。
 「平和利用」と「軍事利用」とは、コインの裏表の関係をなすものである。アメリカのCMRT(被害管理対応チーム)は、核事故の特殊専門チームであり、ホワイトハウスは、3.11の原発事故から3日たった時点で、福島の現場に投入することを決めた。
 CMRTは、二つのチームに編成されており、一つは西部ネバダ州のネリス空軍基地に、もう一つは首都ワシントン郊外のアンドリュース空軍基地に常駐している。
 CMRTのメンバー33人が3月16日に横田基地に到着し、アメリカ軍機に乗り、福島の上空700メートルから放射線の空間線量を測定した。CMRTが海外における核危機の現場に投入されたのは、福島での原発事故が初めてだった。
 ところで、このCMRTから日本政府に届けられた初期の重要データを日本側が有効活用していない疑いが強い。
 村田良平・元外務事務次官(1987~89年)は、回想録のなかで、「核密約」の存在を認め、歴代自民党政権は国民に虚偽の答弁をしていたと書いた。
 外務省の事務方中枢は、長続きしそうで、「立派な」(口の軽くない)外相だけに「核密約」のことを教えていた。
 冷戦終結を受けて、アメリカ政府は核搭載した艦船を日本に寄港させなくなった。このアメリカ軍の戦略の変化を反映して、「日米核同盟」の象徴的存在だった核密約の政策的な重要性が低下した。
 日本は2013年の時点で、使用ずみ核燃料を再処理して抽出した45トンのプルトニウムを保有している。45トンのプルトニウムから製造できる核爆弾は5000発以上になる計算だ。
 いま、全世界にある核兵器は1万7000発ほど。うちアメリカが7400発(そのうち2700発は解体待ち)、ロシアが8000発(うち3500発が解体待ち)。アメリカに次ぐ原子力大国のフランスは57.5トンの民生用プルトニウムを保有する。ロシアは50トンのストックをもつ。イギリスは91トン、中国は20キロにみたない。ドイツは6トン。すなわち、日本の45トン、5000発分のプルトニウムは、とてつもない量なのである。
 日本を取り巻く核兵器と原発の危険性を改めて認識しました。広く読まれてほしい新書です。
(2014年8月刊。800円+税)

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2015年1月31日

今、あらためて八鹿高校事件の真実を世に問う

社会


著者  兵庫人権問題研究所 、 出版  同

 今から40年前ですから、ちょうど私が弁護士になったとき(1974年)の秋(9月から11月にかけて)に起きた八鹿(ようか)高校事件について、40周年を記念して振り返った本です。
県立高校で教職員が集団で監禁され、暴行・障害を受けたという大変な事件です。
加害者たちは、全員が有罪となりましたし、民事上の賠償責任も認められました。また、事件を放置した兵庫県の責任も認められ、和解が成立しています。
私自身はまったく関わっていないのですが、現代日本で、こんな無法なことが起きることに大変な衝撃を受けたことを、今もはっきり覚えています。そして、なにより驚くべきことに、日本の警察は、目の前で監禁・暴行・傷害事件が進行しているのに、何の助けにもならない、まったく動かないのです。さらに、マスコミは、タブーとして報道しない(できない)のです。これでは、日本の民主主義は、あまりにも根が浅いとしか言いようがありません。
でも、救いがありました。教職員集団は、みな暴行・障害に耐えるしかなかったのですが、八鹿高校の生徒たちは立ち上がったのです。広い河原に1000人もの生徒たちが集まり、町なかへデモ行進しようとしました。
それを見て、泣き寝入りするかと思われた町民が立ち上がり、ついには、事件直後におこなわれた町長選挙で暴力反対派が勝利したのです。
暴力に屈せずたたかえば、やはり、いつかは世の中から認めてもらえるということを、身をもって証明した貴重な記録集です。高校生たちの激しい怒りと、集会を成功させた力を改めて見聞きして、昔も今も、日本の若者は捨てたものではないと思いました。
もう40年もたってしまったのかという思いとともに、40年たって、良く変わったところと、今なお変わらない悪い面と、日本の現実を知った思いです。
当時、八鹿高校に在学していた高校生も、すでに定年間近になっていますよね。皆さん、元気なのでしょうね・・・。こんな大事件に遭遇して、その後の人生に、どんな影響を与えたのか、その点も知りたいところでした。

(2014年10月刊。3500円+税)

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