弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年1月 7日

江戸時代の医師修業

日本史(江戸)


著者  海原 亮 、 出版  吉川弘文館

 私が江戸時代へのタイム・スリップしたくないと思う理由の一つは、医学の発達です。
 もちろん、漢方薬その他の昔の人の生活の知恵を頭から否定するつもりはありません。でも、身体のかゆみを止める皮膚科の塗り薬や、目のかゆみを止める目薬などは、断然、今のほうがいいように思うのです。
 江戸時代も、たくさんの医師がいました。もちろん国家試験なんてないわけですから、誰でも医師になれたかのようにも思えます。しかし、どうやら、そうではなさそうです。
江戸時代は、病気や医療について、国家レベルで検討されることは、ほとんどなかった。
 徳川吉宗の享保期は例外的だった。漢訳洋書の輸入緩和、小石川養成所の設置、採薬調査・薬園整備・朝鮮人参の国産化計画など・・・。
幕府(公儀)は、医師の給与の指標を定めただけで、医師身分とは何かを明確に定義することはなかった。
 「誰でも医師になれた」というのは単純すぎる言い方で、史実とは異なる。百姓や町人であっても、長男でなく継ぐべき家をもたないとき、医の道に転するという選択肢があった。
 尾張藩だけは、医師門弟の登録と開業の許認可制を採用していた。
医師として収入を得ようとすると、同じテリトリーで活動するほかの医師の承認を得る必要があった。
 医師は、専門性の高い知識、技術を得るため、いずれかの学統に所属し、互いに競いあって、学問の習得につとめていた。
 江戸時代には、かなりの僻地(へきち)にまで医師が活動していた。
 当時の医師たちは、師弟関係を軸として同業集団(学統)を自発的に形成していた。
 江戸時代に医学の発展は、藩医身分の医師が主導した。
江戸時代には杉田玄白以前にも死体解剖がやられて、その実見図がいくつもあるとのことです。
(2014年11月刊。1800円+税)

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