弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年12月24日

武士に「もの言う」百姓たち

江戸時代


(霧山昴)
著者 渡辺 尚志 、 出版 草思社

 江戸時代の百姓をもの言わぬ悲惨な民とみるのは、実態からほど遠い。実際の百姓たちは、自らの利益を守るために積極的に訴訟を起こし、武士に対しても堂々と自己主張していた。
 この本は、信濃国(しなののくに。長野県)の松代(まつしろ)藩真田(さなだ)家の領内で起きた訴訟を詳しく紹介し、百姓たちが長いあいだ訴訟の場でたくましくたたかっていたことを見事に明らかにしています。
 内済(和解)によって丸くおさめるという裁判の大原則を拒否し、あくまで藩による明確な裁許を求める「自己主張する強情者」が増加していたこと、藩当局としても事実と法理にもとづく判決によって当時者を納得させようとしていたことが詳しく紹介されていて、とても興味深い内容です。
百姓たちは、訴訟テクニックを身につけ、ときにしたたかで狡猾(こうかつ)でもあった。
 この本のなかに江戸時代の田中丘隅(きゅうぐ)という農政家の著書『民間の省要(せいよう)』が紹介されていますが、驚くべき指摘です。
 「百姓の公事は、武士の軍戦と同じである。その恨みは、おさまることがない。武士は戦においてその恨みを晴らすが、百姓は戦はできないので、法廷に出て命がけで争う」
 つまり、百姓にとっての訴訟は、武士の戦に匹敵するほどの必死の争いだったという。
たしかに百姓は裁判に勝つために、武士に向かって、ありったけの自己主張をする。それを裁く武士の側も、原告と被告の双方を納得させられる妥当な判決を下さなければ、支配者としての権威を保てない。
 江戸時代の人々に訴訟する権利は認められていなかった。紛争の解決を領主に要求する権利はなく、領主が訴訟を受理するのは義務でなく、お慈悲だった。
しかし、これは建前であって、現実は百姓たちは武士たちが辟易(へきえき)するほど多数の訴訟を起こした。百姓たちは、「お上(かみ)の手を煩(わずら)わす」ことを恐れはばってばかりではなかった。
 「公事方(くじかた)御定書(おさだめがき)」は、一般には公表されない秘密の法典で、それを見ることのできたのは、幕府の要職者や一部の裁判担当役人に限られていた。しかし、これも建前上のことで、実際には公事宿が幕府役人から借りて写しとり、それをさらに町役人が写しとったりして広く民間にも内容は知られていた。
 現代日本人の多くは、できたら裁判に関わりたくないと考えているが、江戸時代の百姓たちは違っていた。不満や要求があれば、どんどん訴訟を起こした。江戸時代は「健訴社会」だった。というのも、裁判を起こしても、すべてを失うような結果にはならないだろう。仲裁者が双方が納得できる落としどころをうまくみつけてくれるだろうという安心感に後押しされて、百姓たちは比較的容易に訴訟に踏み切る決断をなしえた。訴訟に踏み切るためのハードルは、むしろ現代より低かったと考えられる。
 藩にとっては、領内の村々が平穏無事であることが、藩の善政が行き渡っている何よりの証拠だった。なので、判決において、当事者たちが遺恨を残さないようにするための配慮がなされた。
 江戸時代の実情を改めて考えさせられました。
   (2012年12月刊、1800円+税)

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