弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年11月26日

従軍看護婦

日本史(戦後)


(霧山昴)
著者 平松 伴子 、 出版 コールサック社

従軍看護婦は、戦後、兵士とちがって「軍人恩給」は支給されなかった。なぜか...。
問題が表面化して、1978年から支給されるようになったが、それは恩給ではなく、慰労給付金。これは国庫補助による日本赤十字社から支給された。そして、支給対象者は、従軍した日本赤十字社の看護婦の5%にもみたなかった。うひゃあ、それはひどい、ひどすぎますよね。
恩給を出せない理由を厚生省(当時)は、次のように説明した。
従軍看護婦の勤務実態がよく分からない。何人がどこに従軍したのか、どこで何人死んだのか、それは本当に戦死だったのか...。厚生省には詳しい記録がないから...。
いやはや、なんということでしょう。しかも、厚生省は、従軍看護婦には招集令状ではなく、招集状が出ていただけ、つまり天皇の命令ではなかった、断ることもできた、つまり、自分の意思で戦場に行った、自ら進んで、戦地に赴いたのだ...。それは、なるほど、一面の真理だった。
男は兵士に、女は従軍看護婦に行って、お国のために戦う。若い人の多くがそう考えていた。なので、親が止めるのを振りきって女性たちは戦場へ出ていった。しかし、それでも兵士とちがうと、差別するだなんて...。
戦場に行くのは男も女も当然だし、それはまた大きな「名誉」でもあるという心情がつくりあげられていたのだ...。もし従軍看護婦がいなかったら、傷病兵の治療や世話は誰がしたのか。従軍看護婦の名簿がつくられず、その勤務状況を把握しなかったというのは国の怠慢ではないのか。日本赤十字社は、国の命令で看護婦を戦場に送り出したはず。だったら国が責任をとらないのは、おかしい...。
そして、敗戦後、中国大陸に残っていた従軍看護婦のなかからソ連兵の慰安婦として供出されていった。それは病院長(陸軍中尉)と事務長(陸軍少尉)が、自分たちの命を守るための命令だった。そして、慰安婦とされた女性の多くは病死し、自死した。ところが、陸軍中尉と少尉は無事に日本に帰国し、やがて警察予備隊に入り、そして自衛隊の幹部に出世していた。
戦後、従軍看護婦のなかに慰安婦になることを拒否して集団自決した人たちがいたなんて、初めて知りました。小説という形をとって、その状況が詳しく再現されています。真実をもっともっと知るべき、知らされるべきだと痛感しました。
(2020年8月刊。1500円+税)

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