弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年9月15日

歌垣の世界

中国

                                          (霧山昴)
著者 工藤 隆 、 出版 勉誠出版 

古代日本に歌垣(うたがき)という風習があることは知っていましたが、現代中国に山奥の少数民族が今も歌垣の風習を残しているところがあるというのです。すごい発見です。
8世紀の『古事記』や『風土記』に歌垣のことが書き記され、筑波山での歌垣が紹介されている。時期は春の農耕開始の前、秋の収穫のあと。足柄山より東側の諸国の男女が集まる大規模な歌会(うたかい)だった。
歌垣は酒を飲みながらの宴会とは違うもの。若い男女の場合には、配偶者や恋人を得るという実用的な目的が最優先であり、そのために真剣に歌い続ける。
歌垣を性の開放の場と結びつけるのは正しくないというのが著者の考えです。
歌垣の現場は、見物人もいる公開の場であり、相手の歌が終わるか終わらないうちに定型の音数にあわせて即興の歌詞を延々と繰り出し続けるから、むしろ冷静で知的で抑制的な空気が流れているのが普通。
著者は1995年8月、中国の雲南省でぺー(白)族の生きている歌垣を目撃しました。
歌垣で歌を交わすためには、韻の踏み方、言葉の選び方、歌垣を持続させるための表現技術その他の「うたのワザ」の修練が必要。そして、長時間にわたって歌をかけあうには、歌の言葉の膨大な蓄積と、その場に応じた当意即妙の受け答えの、勘のようなものが具体化されていなければならない。
即興の歌詞を間髪を入れず交互に出し続けるためには、一人の歌い手がじっくりと冷静な頭脳の状態を維持しなければならないので、集団で踊りながら歌うのも難しい。
歌垣の歌の本体部は、個人がその場の状況、相手の雰囲気にあわせて紡ぎ出す膨大な量の即興的な歌詞にある。文字の歌のように、じっくり考えて推敲する時間はない。間があかないように歌をつないでいくことが重要なのである。
 歌の中心はあくまで歌詞にあるのだから、楽器はなくてもかまわない。ときには10時間にも及ぶ長時間を、神経を張りつめて相手の歌詞を聞き、それへの自分の返歌を考え、途絶えることがないように、さまざまな「歌のワザ」を工夫する。これは、酒に酔っていては出来ないことだし、その場で一気に性関係に至るなど、起きようがない。
歌垣は、台湾や古代朝鮮半島には認められない。日本では、かつて奄美・沖縄には認められた。
 古代日本の「歌垣」を、現代中国の少数民族の歌垣と対比させながら論じた興味深い本です。
(2015年12月刊。4800円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー