弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年3月18日

法の番人・内閣法制局の矜持

司法


著者  阪田 雅裕 、 出版  大月書店

 第61代の内閣法制局長官だった阪田雅裕弁護士に、愛知県の川口創弁護士がインタビューして出来あがった本です。テーマが憲法9条と集団的自衛権ですので、どうしても難しくなりがちなのですが、問答形式の本ですので、かなり分かりやすくなっています。
 内閣法制局が憲法を守ること、政府(権力)には憲法の縛りがかかっていることをよくよく自覚して法令の解釈をしてきたことが、実感をもって伝わってきます。
 ある意味で、それは綱渡りのような解釈作業なわけですが、憲法の下ですべてを統制するという使命感にあふれていますので、その言いたいことがよく伝わってきます。
 安倍首相が任命した小松一郎長官は、国会での答弁において、憲法の文言自体を何回も言い間違えていましたが、本来、そんなことはありえないことも、よく分かります。
小松氏は辞任後まもなく病気(どこかの癌です)にかかってしまいましたので、こんなストレスの多い長官職なんか就任すればいいと私も思いますが、それを指摘した共産党議員に対して、ムキになって言い返したと報道されました。よほど人間が出来ていない長官のようです。残念ですね・・・。
 著者は護憲の立場から9条を守ろうという主張ではない。一貫しているのは、立憲主義を守るという観点である。
 著者は、東大法学部を卒業する前に、国家公務員の上級職試験と司法試験の両方に受かり、大蔵省に入省した。これは、超エリートのコースですね。
 大蔵省に入って、いくつか出向して、アメリカなどにも留学したあと、15年目に内閣法制局に移った。内閣法制局には、生え抜きはいなくて、15年ほど官庁に勤めた人が入ってきて、参事官となる。参事官は、専門性をもったスタッフとして働いている。70人あまりの構成のうち、30人以上が部長、課長、参事官という構成である。
 内閣法制局は、審査事務と意見事務を扱う。法律どうしが、お互いに矛盾せず、全体として整合性が保たれているかをチェックする。
 法案の素案が出来ると、その省庁の担当者とチェックする。3時間では終わらず、少なくとも半日はかける。
内閣の閣議のときにも、法制局長官は陪席する。他には、官房副長官が3人のみ。国会で首相が答弁するときにも、法制局長官は、すぐうしろに控えている。
 法制局長官は、質問に対しては、ともかく答える。答えるのが、長官としての最低限の責務である。ただし、国会の質疑は、良く聞いて理解しようというものではない。
たまたま、ときの政権が違う考え方もあるからと言って変えてしまえば、逆に戻してもよいことになり、あってないようなものになる。
憲法9条は縛りとして現に機能してきた。ベトナム戦争でもイラクだって、9条によって犠牲者を出すことがなかった。
 国連の集団安全保障措置であっても、それが武力行使にあたる行為であれば、憲法9条が禁止している。
自衛隊の役割は、外国から侵略があったときに排除するということ。だから、武力攻撃がわが国に対して加えられることが大前提になる。この武力攻撃というのは、わが国の領土に対する攻撃が想定される。集団的自衛権をいうのなら、アメリカ本土に対して武力攻撃が加えられたときと言ったほうが、分かりやすい。
 しかし、アメリカ本土を攻撃するような国が、現在、考えられるのか・・・。そのとき、日本の自衛隊が出ていって、本当に役に立つのか。日本は本当に守れるのか。
 集団的自衛権というのは、個別的自衛権とは違って、非常に新しい概念である。戦後に、国連憲章51条で初めて登場したものの、この集団的自衛権というのが実力行使に限られることがはっきりしてからは、その行使は一切出来ないという解釈に内閣法制局は固まった。
 集団的自衛権の行使は国際法上の義務ではないので、国際法と整合性である必要はないというのが従来の政府の立場だ。
憲法規範というのは、一内閣がこうしたいと思ったからといって変えられる性格のものではない。憲法の枠内で動くのでなければ立憲主義は成り立たない。
 気に入らなければオレたちはこう解釈する。なんていうことは許されないのです。
(2014年2月刊。1600円+税)

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