弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年9月23日

河原ノ者、非人、秀吉

日本史(戦国)

著者    服部 英雄 、 出版    山川出版社 

 豊臣秀吉は、子どものころ乞食をしていて、6本指だった。そして、その子、秀頼は実子ではないというショッキングなことが書かれています。いずれも目を疑わせる記述です。
秀吉(藤吉郎)は、養父の筑阿弥(ちくあみ)と折りあいが悪く、家を出て放浪していた。若き日の秀吉は針を売って歩いていた。妻となった「ね」は連雀(れんじゃく)商人の家の出だった。秀吉は、道中、猿芸を続けながら放浪していた。この芸で多量の針を売って生活していた。貧農の子に生まれた秀吉は、ムシ口を携行する生活、つまり乞食生活を経験している。
そして、秀吉は6本指だった。織田信長は6本指の秀吉を「六つ目」と呼んでいた。
秀吉については、古くから私生児説があった。父の縁威は明らかでない。
秀吉は縁者ならすべてを登用したわけではない。苦境に遭ったときの自分を支援したものだけを登用していた。
 秀頼の父親が秀吉である確率は、医学的にいえば限りなくゼロである。
 秀吉は多くの女性と愛し合うことができたが、一人の子も授からなかった。茶々以外の女性は妊娠できなかった。秀吉とのあいだでは子ができなかったが、別の男性とのあいだでは子を産めた女性が少なくとも3人は確認できる。つまり、男性の側に欠陥があった。俗に秀頼の父は、大野修理(治長)とする見方が多数派である。
 ルイス・フロイスの報告書には、秀吉には子種なく、子どもをつくる体質を欠いているので、その息子は秀吉の子どもではないとしている。
 茶々は、秀吉自身が指示・命令した結果として妊娠し、出産した。決して不義密通の子ではない。茶々が産む子は豊臣の子であり、織田の子なのである。
 茶々の相手となったのは僧侶ないし陰陽師だった。その人格をもたないことが必須の条件だった。人格があると豊臣家の将来に禍根を残す。親権者の登場は避けなければならなかった。
 秀次は、そのことに反発したのではないか。それに対して、ひとりでも秀吉の方針に根本的な疑問をもつものがいるのは許されなかった。だから、、秀次だけでなく、妻子まで全員が殺害された。
700頁もの大作です。秀吉に関するものは、そのうち200頁にもなりません。前半500頁近くは犬追物(いぬおうもの)や河原ノ者などの実情を解明しています。
 犬追物とは、武士が馬に乗って弓で犬を射る芸のことです。犬は弓で射られると死ななくても傷つきます。二度とその犬は使えません。ですから、大量の犬を捕まえるのが職業として成りたっていたようです。
 そして、傷ついた犬はどうしたのか?みんなで犬を食べていたようです。もちろん、武士もです。かつて、中世の日本では、犬をためらいなく食べていたといいます。今も韓国では(恐らく北朝鮮でも)犬を食べているとのことです。でも、犬って、食べる気にはなりませんよね。
(2012年4月刊。2800円+税)

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