弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年8月17日

悩む力

人間

著者  姜 尚中 、 出版    集英社新書 

 夏目漱石をこんなに深く読み込んでいるのかと、驚嘆してしまいました。
 私は、高校生そして大学生のころに漱石を一心不乱に読みましたが、それからはすっかり卒業した気分になっていました。イギリスに留学中に夏目漱石がひどい神経衰弱になったという本は少し前に読みましたが・・・。
 著者は私の2歳下で、熊本で生まれ育っています。大学生のときに上京するとき、いかに心細かったか、その心境が描かれていますが、私も似たようなものでした。私は、幸いなことに大学に入学すると同時に6人部屋の学生寮に入りましたので、孤独感にさいなまれることは全然ありませんでした。今でも、本当にラッキーだと思っています。おかげで五月病とは無縁の忙しい、張りのある学生生活でした。
 夏目漱石とマックス・ウェーバーがほとんど同時代の人だと言うのを初めて認識しました。ウェーバーのプロテスタントの倫理意識が資本主義の価値観を支えたという本は、余り真面目に授業に出なかった私ですが、しっかり記憶に残っています。
青春とは、無垢なまでにものごとの意味を問うこと。それが自分にとっては役に立つものであろうとなかろうと、社会にとって益のあるものであろうとなかろうと、「知りたい」という、自分の内側から沸いてくる渇望のようなものに素直に従うことではないか・・・。
未熟故に疑問を処理することができなくて、足元をすくわれることがある。危険なところに落ちこんでしまうこともある。でも、それが青春ではないか。
青春というのは、子どもから大人へ変わっていく時期であり、険峻な谷間の上に置かれた丸太を「綱渡り」のように渡っていくようなものではないか。一歩間違えば、谷底へ転落してしまう危うい時期だ。
青春時代の、心の内側からわき出てくるひたむきなものを置き忘れて大人になってしまえば、その果てに精気の抜けた、干からびた老体だけを抱えて生きていくことになるかもしれない。
私も、こんな干からびた老体だけにはなりたくありません。そのため、毎日たとえばフランス語を一生懸命勉強しています。
ヒトが一番つらいのは、自分は見捨てられている、誰からも顧みられていないという思いではないか。誰からも顧みられなければ、社会の中に存在していないのと同じことになってしまう。
 社会というのは、基本的には見知らぬもの同士が集まっている集合体である。だから、そこで生きるためには、他者から何らかのかたちで仲間として承認される必要がある。そのための手段が働くということ。働くことによって初めて、「そこにいていい」という承認が与えられる。
この新書本が90万部も売れたというのは、とても信じられません。でも、たしかに味わい深い指摘がたくさんありました。
 10月4日(木)の午後、佐賀市民会館で弁護士会主催の教育問題シンポジウムにおいて著者は問題提起していただくことになっています。お近くの方はぜひ、今から予定しておいてください。ご参加をお願いします。
(2012年3月刊。2800円+税)

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