弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年8月18日

人生と運命(2)(3)

ロシア

著者   ワシーリー・グロスマン、 出版    みすず書房 

 スターリングラード。予備の兵力からやってきた部隊をよく考えずに先を急いでいきなり戦闘に投入したことを隠すために、部隊のほとんど無駄ともいえる死を隠すべく、士官は上層部にお定まりの報告を送った。
 「到着後、直ちに投入された予備の部隊の戦闘行動は、敵の進撃をしばし食い止め、本官に託された部隊の再編を実行可能にした」
 1937年.スターリンの粛清が続いている。前の晩に逮捕された人々の名前がほとんど毎日のように取りざたされていた。
 「今日、夜にアンナ・アントレーエヴナのご主人が病気になって・・・」
 そんなふうにして逮捕について互いに電話で知らせあっていた。スターリンの粛清。文通の権利剥奪10年の判決。これは銃殺を意味していた。ラーゲリのなかには、文通の権利剥奪10年の刑を受けている囚人は一人もいなかった。
ロシアの重砲、迫撃砲そして武器貸与法によってアメリカから入手したドッジとフォードのトラックの縦隊がスターリングラードの方向へ向かうのを数百万の人々が目にした。ドイツ軍は、スターリングラードへの部隊の移動を知っていた。だが、スターリングラードでの攻勢はドイツ軍には分からないままだった。スターリングラード地域でのドイツ軍包囲は、ドイツ軍の中尉と元師たちにとっては寝耳に水だった。
 スターリングラードの赤軍は、もちこたえ続けた。大量の兵員が投入されたにもかかわらず、ドイツ軍の攻撃は決定的な成果を上げなかった。じり貧状態のスターリングラードの赤軍諸連隊は、わずか数十人の赤軍兵士が残るだけだった。恐ろしい戦闘の極度の重圧をその身に引き受けた、この数十人の兵士こそが全ドイツ軍のすべての想定を狂わせる力だった。
 1941年12月、モスクワでのドイツ軍への勝利によって、ドイツ軍に対するいわれなき恐怖は終わった。スターリングラードでの勝利は、軍と住民が新しい自意識をもつ助けとなった。ソヴィエトのロシア人は、自分自身について、これまでとは違った理解をするようになった。
この時期、国家ナショナリズムのイデオロギーを公然と宣言するチャンスをスターリンに与えた。かつて、ドイツ人はロシアの百姓家の貧しさを笑いものにした。しかし、今の、捕虜のドイツ人はぞっとするほどひどかった。
 「ドイツ野郎たちには自業自得だ」
 「我々がドイツ人を呼んだわけではない」
 1000年のあいだ、ロシアは徹底した専制と独裁の国だった。ツアーリと寵臣たちの国だった。しかし、ロシア1000年の歴史に、スターリンの権力と似た権力はなかった。
 スターリン、偉大なるスターリン。もしかしたら、鉄の意志の男は誰よりも意志の弱い男であるのかもしれない。
 ええーっ、こんなことをまだスターリンが生きているうちに書いたソ連作家がいたなんて、信じられませんね。これでは発禁になるのも当然ですね。
スターリンが党大会の休憩時間にどうして懲罰政治の行き過ぎを許したりしたのかとエジョフに質問した。うろたえたエジョフは、スターリンの直接の指示を実行していたのですと答えた。スターリンは、取り囲んだ諸代表のほうを見ながら、悲しそうに、「こんなことを言うやつが党のメンバーなのだからね」と口にした。
 この『人生と運命』を書くことで、グロスマンは、ドイツのナチズムとソヴィエトのスターリン主義が同じ全体主義のカテゴリーにくくられるという結論にたどり着く。そのうえで人間の自由への希求が変わらぬままであることが、国家の独裁に対する人間の永久的な勝利を約束すると言い切った。
 ヒトラー・ドイツと戦ったスターリンのソ連が両者よく似た体質をもっていることを明るみに出しながら、同時進行でいくつものストーリーが展開していく大長編小説です。
(2012年3月刊。4500円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー