弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年2月24日

盆踊り、乱交の民俗学

日本史(江戸)

著者   下川 耿史 、 出版   作品社

 日本の女性が昔から弱かったはずはない。これは弁護士になって38年になる私の確信です。もちろん、弱い女性も存在します。しかし、そんなことを言ったら、日本の男性の方がよっぽど弱いのです。自殺する日本人の6割以上は男性です。私が弁護士になって驚いた三つのうち一つが、日本では(恐らく全世界で)、不倫というのは日常ありふれた出来事だということです。もちろん多くの場合、男性が仕掛け人です。しかし、その積極的な受け皿に女性がなっています。というか、それは、いわば男女「同罪」なのです。ですから、本書の冒頭に次のように書かれているのも納得です。
 「見知らぬ相手との性関係は、つい最近まで、日本人の性関係の基本とされていた」
 そうなんです。つい最近まで露天風呂どころか銭湯での混浴も平気だったのが日本人なのです。これは、私自身の体験にも裏付けられた事実です。
 盆踊りは、本来は年に一度の乱交の場であった。
 黒い覆面に目穴だけを開けた踊り子による盆踊りが日本各地にある。これは、好きあっている男女が誰に顔を見られることもなく、お互いは浴衣の柄などで確認しあって逢い引きを楽しんだ証しであった。
古代日本では若い男女は近所の山に登り、気が合ったら、その場で性的な関係を結ぶという風習があった。これが歌垣(孀歌。かがい)である。
 女性をものにするには、歌垣で歌を抜露することが慣例となっていた。同時に、女性が男性を歌で負かすことによって、性的関係を拒否することも可能だった。
 『万葉集』の額田王、平安時代の和泉式部など、奈良や平安時代の日本に優れた女流歌人が輩出したのは、まさに歌垣の伝統によるものだった。
 平安時代の初め、男女の混浴を戒むという混浴禁止令が出された(797年)。これは、そのころ潔斎という神聖な行動が混浴というどんちゃん騒ぎに堕ちていたことを表している。宮廷人たちは、決して品行方正ではなかった。
 夜這い(よばい)は、南北朝時代から鎌倉時代にかけて、村落共同体の構造の基本として定着していた。女性が男性の下へ通うケースも多く、こちらは「ヨバイト」と呼ばれた。
 若者組と娘組と夜這いの三つは不即不離の関係にあった。
 青森見黒石市の盆踊り「よされ祭り」は、3日間は、まったく性が解放されていた。奈良県吉野郡十津川村の盆踊り、四国山中の木頭村の盆踊りも同じく。この盆踊りは1961年ころまでは確実に存在していた。
もっとも、日本では、性関係は女性の主導で行われることが多かった。宮本常一も、「日本では女によってなされる踊りがきわめて多い。それは、もともと男を選ぶためのものであったと言っていいほど、踊りにともなって情事が見られる」と指摘している。この点、私もまったく同感です。
 強姦はひどいし、許せませんが、不倫の多くは女性主導ではないか、私は長年の弁護士経験をふまえてそう推察しています。
 女性は弱いし、されど強し。これが私の実感なのです。建て前ときれいごとだけに終わらせない日本史を語りあいたいものです。
(2011年10月刊。2000円+税)
 朝、雨がやんで、ウグイスの高らかに鳴く声が聞こえてきました。いよいよ春到来です。日差しもやわらかくなってきて、重たい外とうを脱ぎすてたように心もいくらか軽くなりました。
 夜、自宅に帰ると、大型の白封筒が届いていました。あっ、合格したんだ。うれしくなりました。1月に受験したフランス語の口頭試験に合格していたのです。21点が合格基準点で、26点とっていました。実際にはしどろもどろだったのですが、なんとか国の情報開示のあり方を語ろうとしたことを認めてくれたのでしょう。まあ、これからもあきらめずにがんばりなさいという合格証書をもらいましたので、引き続きがんばるつもりです。

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