弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年9月14日

赤穂浪士の実像

日本史(江戸)

著者 谷口 眞子、 出版 吉川弘文館

 師走半ばの14日。これは私の誕生日です。そうなんです。赤穂浪士の討ち入りの日は私の生まれ月日と一致するのです。それだけで何となく親近感がわくのですから単純なものです。
 この本は浪士たちが書いた沢山の手紙を元に事実関係を丹念に追跡しています。よくぞ手紙が大量に残っていたものです。
 内匠頭が上野介に切りつけるとき「この間の遺恨覚えたるか」といったかどうか実ははっきりしていない。この2人の人間関係が前から良くなかったことは想像されるが、その原因ははっきりしていない。
 内匠頭について「昼夜を問わず女色に耽っており、政治は家老に任せたまま」とし、家老(内蔵助)は「若年の主君が色に耽るのを諫めないような不忠の臣」と評価されている。その真偽は不明である。
 事件の後、赤穂藩の江戸上屋敷から家臣たちが退去すると、深夜に町人が4~50人が舟に乗って裏の水門から邸内に忍び込んで、奉公人たちの道具を持ち出していた。それを知って現場に急行した堀部安兵衛たちがその狼藉を叱責したところ、町人たちはたちまち姿を消した。
 江戸の町人たちが火事場泥棒を働いていたわけです。たくましいと言えばたくましい町人の姿です。
 赤穂浪士による吉良邸襲撃は、幕府のみならず世間の人々の耳目を驚かせた事件だった。浪士が切腹して12日目には早くも歌舞伎『曙曽我夜討(あけぼのそがのようち)』が江戸の中村座で上演された。ただし、興行3日にして奉行所より公演中止命令が出された。
 討ち入りを当初から考えていたのは、浪士のうちの数人に過ぎなかった。討ち入りが決定したのは、内匠頭の切腹から1年4ヶ月たった元禄15年(1702年)7月28日、京都円山での会議だった。
 赤穂城の明け渡しの際には城付き武具のほかは売り払って良いとの許可が出たため、様々な武具、武器が売り払われた。その状況を岡山藩が派遣した忍びの者が書き付けたリストが残っている。
 内蔵助は古参の藩士として、浅野家に恩義があった。これに対して新参者の堀部安兵衛には「家」が代々仕えてきたという意味での恩義はなかった。
 赤穂浪士にとって転機は二つあった。
 第一は上野介の隠居と義周の家督相続、第二は浅野大学の広島藩差し置きである。これによって、内蔵助の御家再興論に同調していた者も、自分のとるべき道を真剣に考えなければならなくなった。
 円山会議の頃、討ち入りの行動を共にするという神文(しんもん)を提出していたのは120人ほどいた。126人から46人になる段階で比較的高禄の者が離脱していった。
 当初から多くの下級武士が行動を共にしなかったのは、武士をやめて町人になって生計を立てたり、他で奉公できる可能性があったから。
 江戸にいた元「家臣」の浪士の方が圧倒的に比率が高い。討ち入った浪士の半数、24人が刃傷事件のときに江戸にいた。討ち入りに参加した者のほとんどは、江戸で主君の刃傷・切腹から江戸藩邸の収公までを体験するか、内匠頭と空間的、精神的に近い関係を持っていたか、あるいは、参加者の中に親族がいるかどれかの要素を持っていた。
 浪士たちは、討ち入りを武士の名誉と信じていた。吉良邸に討ち入って、吉良家や上杉家の家臣と戦い、そこで討ち死にすると予想していた。そこで死地に赴く心境で遺言を残している。
 赤穂浪士の実像がよくよく分析されていると感心しながら読み進めました。

 関西国際空港(かんくう)から、パリのシャルル・ドゴール空港までは12時間。長いです。朝、かんくうを出発して、すぐに昼食をとり、やがて夕食をとり、ひと眠りして起きたころパリに着きます。パリには、時差の関係でその日の午後に到着します。ちょうどいい按配です!今回は、そのままスイスのチューリッヒへの飛行機へ乗り換えました。
 シャルル・ドゴール空港は、何しろ広かったです。かんくうも広かったですが、それより何倍も広い気がしました。ターミナルの2Gを探して、急ぎ足で歩きます。2Fは見つかりましたが、2Gは標識らしきものはあっても、なかなかたどりつけません。おかしい。どこにあるんだ。空港の係員に尋ねて、あっちだと指差す方向を目指しました。しかしそこにはありません。おかしい。あっ、これはバスに乗っていくところかな。バス乗り場の係員に訊くと、やっぱりそうでした。乗り換え時間は2時間近くあり、余裕たっぷりだったはずが、現実には広い空港内を歩き回っているうちに、なんと30分前になってしまいました。
 ターミナル2Gは、バスに乗って5分以上も離れた所にポツンとありました。やれやれ、チューリッヒ行きの飛行機に、これで乗れます。やっと安心しました。これに乗れなかったら、かんくうでチューリッヒまで送ったスーツと泣き分かれるところでした。
 教訓その1。シャルル・ドゴール空港は果てしなく広いと思うべし。教訓その2。ターミナルが建物内にあるとは限らない。シャトルバスで行くターミナルもある。ヨーロッパ内の国外へ乗り換えるときには要注意。教訓その3。旅では何事も初めてのことに出会うと心得ておくべし。
 いやあ、これでまた人生の勉強になりました。

   (2006年7月刊。1700円+税)

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