弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年3月12日

軋む社会

社会

著者 本田 由紀、 出版 双風社

 現代日本の社会の軋(きし)みは、一方では端的な生活条件面での過酷さとしての貧困や過重労働というかたちであらわれ、他方では精神的な絶望感や空虚さというかたちであらわれている。
 日本では、新卒時に正社員になれなかったものが、のちに正社員に参入するチャンスは閉ざされがちであり、かつ、正社員とそれ以外の者のあいだには、雇用の安定性や収入の面で、他国と比べて際立った断層がある。
 正社員についても、長時間労働など労働条件の過酷化が生じているが、正社員になれない層の生活上の困窮は歴然としている。そして、正社員になれる確率は、出身階層や本人の学歴と関連している。
 日本で大きな割合を占める私立大学への進学率は、家庭の家計水準を明らかに反映している。
 調査によると、日本の成績上位層には低下がみられないが、成績下位層の比率と点数低下傾向が増大しており、全体ではなく、下方に「底が抜ける」かたちでの読解力の低下が危惧される。
 そして、日本のこどもの顕著な特徴として、勉強が好き、楽しいと答える者、将来の仕事と結びつけて勉強していると答える者の比率が際立って低いことがある。すなわち、日本の教育の最大の問題は、子どもが教育内容に現在および将来の生活との関連性や意義を見出し得ていないことだ。
 ある種の仕事については、正社員と非正社員の境界があいまいになりつつある。名目上は正社員であっても、その処遇や仕事内容に関して非正社員と大きく差がないような仕事が相当の規模で現われている。
 低収入の若年非正社員が若者の3人に1人に達するほどの規模になっている。
なぜ、こんなことが可能なのか? それは、個々の若者が個々の親に依存しているのではなく、経済システムが家族システムの含み資産、新世代の収入、住居、家電などに依存しているからだ。
 これほど大量の低賃金労働者が暴動に走りもせず社会内に存在し得ているのは、彼らを支える家族という存在を前提とすることにより、彼らの生活保障に関する責任を放棄した処遇を企業が彼らに与え続けることができているからだ。しかし、このような企業の家族への依存は、長期的に持続可能なものではなく、非常に脆(もろ)い、暫定的なものだ。
 いま、社会にすごく大きなうねりが起きているのかというと、たとえばいま、手ごたえがあるというのは400人の会場で集会をしたら500人も集まったというレベルでしかない。5000人とか1万人が集まったというほどのことはない。まだまだだ。
 そうなんですよね。有名になった年越し派遣村でも、500人が集まった、ボランティアが2000人やってきたというレベルで大変注目されているわけです。早く、日本でも万単位の大きなデモ行進がなされるようになったらいいな、と思います。私の学生時代には、学生だけでも万単位のデモ行進は当たり前のことでした。ああ、また、古い話を持ち出して…なんて思わないでくださいね。フランスや南アメリカでは、今でもそれが日常的にやられているのですからね。日本人に出来ないはずがありませんよ。貧富の差の拡大を食い止める最大の力は、みんながあきらめることなく、立ち上がることではないでしょうか。
 日曜日、大分からの出張から帰ってみると、我が家の庭にチューリップが5本咲いていました。赤紫色の花です。ブロック塀の近くにツルニチニチソウの紫色の花が咲いています。五角形の花を見ると、いつも函館の五稜郭を思い出します。地植えのヒヤシンスが庭のあちこちで咲いています。紫色の花だけでなく、純白の花もあります。
(2008年11月刊。1800円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー