弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年9月 6日

砂漠の女王

著者:ジャネット・ウォラック、出版社:ソニー・マガジンズ
 イラク建国の母といわれるイギリス女性がいたということを初めて知りました。ガートルード・ベルという女性です。
 ガートルード・ベルは2歳のとき、母を亡くしました。
 怒りや裏切られて棄てられたという思いは、親を亡くした子どものなかにうねる感情だ。けれど、ガートルードには彼女を包む父の愛があった。彼女は幸運だった。なにより父は彼女の手本となった。ガートルードは、誰よりも父の行動をならい、つねに父に認められることを望んだ。そして、父から大いなる自信と、障害を克服する態度を受けついだ。
 父が再婚したとき、ガートルードは本に逃避することができた。本は彼女の魔法の絨毯だった。当時、どれほど優秀であっても、ガートルードと同じ階級の少女たちが学校へ送られることはめったになかった。そのかわり、彼女たちは家庭教師をつけられ、17歳になると宮廷で拝謁を得て社交界にデビューするのがしきたりだった。そして、デビュー後3年以内で、生涯の伴侶を見つけることが求められた。
 ガートルードは、オックスフォード大学に入った。18歳の彼女は、自分はどんな男性とも同じ能力があると信じていた。もし、それに疑いをはさむ人間がいても、彼女には、自分の信念を支持してくれる父がいた。
 話題がなんであれ、だってお父様がそうおっしゃるんですものと熱心に言いはり、議論に決着をつけさせようとした。
 誰ひとり彼女に結婚を申し込まず、彼女のほうも結婚したいと思う相手はいなかった。いえ、若い男性と過ごすのを彼女は楽しまなかったわけではない。けれど、彼女の容赦ない言葉は男性のエゴを切りきざんだ。また、知的な刺激に飢えているガートルードが、男性のお粗末な知識で満たされることはなかった。
 1900年。31歳になったガートルードはエルサレムに赴いた。フランス語、イタリア語、ドイツ語、ペルシア語そしてトルコ語を自由にあやつり、苦もなく言語を切りかえた。アラビア語だけは苦手だった。それで、アラビア語の教師を雇い、朝4時間、夜も2時間ほど毎日勉強した。
 イギリスで婦人参政権運動が起きたとき、ガートルードはそれに反対する運動を熱心にすすめた。東方では大胆な行動をしたガートルードも、故国イギリスでは伝統の境界の範囲内で行動した。彼女の伝統とは、上流社会の、特権をもち保護された人間のものであり、貧しく、教育もない労働者階級がそれに挑むことは許されなかった。
 ガートルードは鉄工労働者の妻たちを助ける活動にも長く関わった。その活動から、女性には市町村の役場で働く権利はあるが、国政レベルに関わる力はないという認識をますます強めていた。ガートルードは、自分を男性と同等と見なしていたが、大半の女性は同等ではないと信じていた。
 ガートルードは、砂漠を6回も長期にわたって旅した。そのため、シリアやメソポタミアの部族にも明るかった。北部そして中央アラビアのアラビア人の気質や政情に通じているという点で並ぶもののない専門家だった。
 そのころ、アラビアのロレンスもいた。ガートルードは英国でも名の知れた家のひとつにあげられる一族の長女で、ロレンスは中流階級出身。出自はまったく異なる社会層だが、二人はよく似ていた。つまり、変わり者で、主流からはずれ、ひとりでいることを好み、人の多い応接間より閑散とした砂漠にいるほうに安らぎを感じた。この二人からみると、イギリス人よりベトウィンのほうが受容力があった。
 1917年3月。イギリス軍が進軍してきたとき、バグダッドの街には20万人しか住んでいなかった。その多くはスンニ派イスラム教徒と、ユダヤ人だった。
 ガートルードはイギリスの東方書記官となった。諜報活動を得意とした。教育を受け都市に住むスンニ派、地方の多数派であるシーア派、バグダッドの大きなユダヤ人社会、モスルのキリスト教徒。これらの動向をガートルードは見守った。
 ガートルードはメソポタミアの自治を主張した。しかし、これはイギリス本国政府の政策に反していた。
 イギリスのメソポタミアにおける商業的利益は長く深いものだった。メソポタミアの市場の半分はイギリスからの輸入品、石炭、鉄、織物などが占め、輸出品、ナツメヤシ・イチジク・オリーブ油・穀物の35%がイギリス向けだった。それに加えて、イギリス海軍そして空軍のため石油資源を確保する必要があった。
 イラクには、1万7000人のイギリス軍と4万4000人のインド軍が駐留していた。
 イギリスが委任統治という仕組みを導入しようとしているバグダッドで、ガートルードは無冠の女王と呼ばれた。イギリスの政策からはずれたため活躍の場所を狭められたガートルードはひどいうつ状態となり、1926年7月、いつもより多い睡眠薬を飲み、二度と目覚めることはなかった。
 イラク独立の前史に関わったイギリス女性の一生を紹介しています。大英帝国のなかで羽ばたいたものの、結局は国家に利用され、押しつぶされた女性だという印象を受けました。

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