弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年8月22日

父の国、ドイツ・プロイセン

著者:ヴィプケ・ブルーンス、慧文社
 ヒトラー暗殺計画に連座して処刑されたドイツ国防将校の娘によって、父親の日記がよみがえります。
 子どもというのは、あえて言うなら、親には、いわば供給源としてしか興味をいだかない。関係は自己中心的。どれだけ自分を守ってくれるか、世話をやいてくれるか、支えてくれるか。両親がどういう人間で、どんなことを感じ、幸せであるかどうかということは子どもの前を素通りする。
 本当にそうなんですよね。私は大学生のときまで、自分が大きくなったのは自分ひとりの力だとまるで錯覚していました。思えば恥ずかしいことなのですが、本当のことなので仕方ありません。親をバカにしきっていたものです。さすがに弁護士になって私も少し考えを改め、さらに親の一生をそれぞれ本にまとめてみて、親にも素晴らしい劇的な人生があったんだと気づかされたのです。父親のときには死んでから、母親のときにはボケはじめてからのことです。一冊の本にまとめる過程で、やっと親と対話することができました。
 プロイセン・ドイツでは、女性の左側を歩くのは、その女性に敬意を表し、慣例に従って礼儀正しく、距離を保っていることを示す。右側を歩くのは夫。右側は所有のあかしであった。
 1934年。ヒトラーがSAのムーム以下を射殺した事件が起きました。母親の日記には、こう書いてあります。
 ヒトラーがSAと党の内部で血を流しての大掃除をやった。きっとしようがなかったのでしょうけど、こんなふうにやるのは、これが最後であってほしい・・・。
 もちろん、これが最後ではありませんでした。夫も、ヒトラーによって処刑されてしまうのです。
 1934年8月。ヒンデンブルクが86歳で亡くなったあと、ヒトラーはドイツ国の大統領と首相を兼務した。ドイツ軍人は全土で新たな宣誓をさせられた。もはや憲法とか祖国ではなく、ドイツ国と民族の総統アドルフ・ヒトラー国防軍最高司令官に無条件に服従し、勇敢なる軍人として、いかなるときにも命を賭ける用意がある、と。
 この年、ドイツでは国民投票が行われました。ヒトラー賛成票が3800万票。反対票は430万票。無効票90万票。このように1割の反対が出た。しかし、ドイツ国民の大多数はヒトラー当選を祝ってお祭り騒ぎした。
 1936〜37年のドイツ経済はうまくいっていると思われました。なにしろ失業者が600万人から50万人に減ったのです。ドイツの輸出は活気を呈していました。
 父親のH・G・クラムロート少佐は身内のベルンハルト中佐(32歳)がヒトラー暗殺のための爆弾を調達しているのを知って黙っていました。ドイツ国防軍の司令官以下、参謀本部員は、党(ナチス)とSSの暴徒とは一切かかわりあいをもとうとしなかった。ナチ党でないもので固めるという人事がおこなわれていた。だから将校仲間では、転覆計画がおおっぴらに語られていた。
 1944年8月15日、2人は絞首刑を宣告された。ベルンハルトは爆薬調達のかどで、クラムロートはベルンハルトたちを密告しなかったことで有罪とされた。
 ヒトラーは既に判決を下していました。
 まともな弾丸など使うまでもない。その辺の裏切り者と同じ絞首刑だ。執行は判決言い渡し後2時間以内。即刻吊せ。あわれみなどいらん。家畜のように吊せ。
 両親の日記が残っていて、それを娘の目で再現していくというのは、スリリングな作業だということがよく分かる本です。
 最近、ドイツのノーベル文学賞までもらった高名な作家が17歳のときナチスに入党していたことを自伝で初めて告白して話題となっています。ドイツでは今もナチスの負の遺産の清算を真正面から議論していることが分かります。それにひきかえ,日本では東条英機の孫娘が戦犯として処刑された父親を神とあがめたてまつり,父親は悪くなかったと堂々と開き直り、それをマスコミはそのまま黙認して批判すらしませんでした。日本では,今もって負の遺産を清算しようとしていないことを意味しています。日本が侵略戦争を起こした事実をきちんと認め,その反省から戦後日本の平和が守られてきたことを私たちは思い起こすべきだと思います。

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