弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年3月13日

明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか

著者:板垣恭介、出版社:大月書店
 左でも右でもない、ただガラの悪さでは天下一品。宮内庁長官からこのように評された元宮内庁記者が愛をこめて皇室の内情をさらけ出した本です。とても真面目な面白い本です。
 皇族やめませんか、と言われても自分の意思だけでやめるわけにいかないのが、日本の皇族です。イギリスの国王で、女性への愛を貫くために国王の地位を投げ捨てた人がいましたね。でも、イギリスと違って女王を認めない日本では、明仁さんはそうはいきません。常陸宮がまだ義宮と呼ばれていたころ、嫁さん探しがなされた。もちろん、家系の正しい人であることが条件だ。ところが、宮内庁長官はこう言った。
 家系の正しい人といったって、こっちだってお妾さんの子の孫だよ。そんな固いことは言えませんや。
 なるほど、大正天皇は明治天皇が典侍に生ませた子だったのです。有名な話です。
 ミッチーブームは、私が小学生のころのことで、今でも鮮明に覚えています。この美智子人気を良からず思っていたのが昭和天皇の妻の良子(ながこ)皇后。宮中で反対運動を展開した。その片棒をかついだのは秩父宮勢津子(会津藩主松平容保の孫)、高松宮喜久子(徳川慶喜の孫)、良子の実妹大谷智子(東本願法主夫人)、勢津子の母で東宮教育参与の松平信子らだった。
 良子は、美智子妃を平民だからという一点で、最初から無視していた。旅行するとき、見送りに並んでいるなかで美智子妃の前だけは素通りし、あえて無視した。美智子妃について、「あの人は外からきたお人だから」と一言で片づけた。
 その良子も、昭和天皇の母親の貞明皇后とは気があわなかったという。良子が、万事おっとりした姫様育ちで、いささか気働きに欠けたからだ。
 良子皇后の還暦祝いがあったとき、美智子妃は欠席したそうです。こんな状況を知るとその気持ちはよく分かりますね。宮内庁長官が次のように語ったそうです。
 皇族てぇのは、われわれ庶民と違って残酷なところがあるんだ。貴人に情なし。
 美智子妃の父親である正田英三郎が、宮中での集まりのとき、高松宮に深々とお辞儀をしたのに、高松宮はフンという顔でそっぽを向いた。高松宮は、正田家そのものに好意をもっていなかった。
 この本を読んで、美智子妃が、まだ幼い3人の子どもを連れて外出したとき、「ほかほか弁当」を4個買って食べたというのを知って驚きました。皇室の衛生管理の厳しさを聞いていた私には、あの添加物だらけの弁当を買って食べるなんて、とても信じられませんでした。もちろん、宮内庁当局は「今後は慎むように」と注意しました。ところが、美智子妃は、「国民のみなさんと同じものを、なぜ私や子どもたちが食べてはいけないのですか」と反論したそうです。むむむ、おぬし、やるな・・・。そんな気になりました。
 美智子妃はテニスするとき、「あっ、やばい」「よし、やるぞ」という掛け声をかけていたとのこと。なんだか親しみを感じる言葉ですね。法曹界との対抗試合も盛んにやられていたようです。近く発刊される福岡県弁護士会の会報に、そのころの写真がのっています。
 昭和天皇は、自衛の戦争まで否定している日本国憲法には反対だった。だから、占領中、マッカーサーにあったとき、軍隊不在の不安を訴えていた。これに対してマッカーサーは、陛下、日本は東洋のスイスになればいいんだから、となだめていた。昭和天皇の言葉は、なるほどと分かりますが、マッカーサーの言葉は意外でした。
 2004年10月、秋の園遊会のとき、米長邦雄元名人が、日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが自分の仕事だと言ったとき、明仁天皇は、すかさず、強制になるということでないことが望ましいと答えました。すっかり米長のアテは外れてしまった。
 私も、この言葉を新聞で知り、明仁天皇はなかなかの人物だと見直しました。
 皇族という「商売」を続けるのも実に大変なことなんだとつくづく思います。

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