弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年7月29日

江戸の養生所

著者:安藤優一郎、出版社:PHP新書
 私は、20代のころ山本周五郎を夢中になって読みました。しっとりとしたうるおいのある雰囲気に心が洗われる気がしたからです。「赤ひげ診療譚」も好きな本でした。その舞台となった小石川療養所は、いまの東大・小石川植物園内にありました。黒澤明監督によって「赤ひげ」として映画化され、世界的に有名になっています。本書は、その小石川養生所の実像を描き出した本です。
 小石川養生所の収容定員はわずか40人。享保7年(1722年)、4万坪の小石川御薬園の一角(1000坪)に発足しました。養生所に診療・入所を希望する病人があまりに多かったので、定員は40人から100人へと増やされました。7年後には150人定員にまでなりましたが、そのあと少し減って、117人定員で幕末を迎えました。養生所の医師は、幕府の歴とした役職であり、医学館として医師養成の機関でもありました。
 ところが、養生所への入所希望者は次第に減っていきました。というのは、養生所の医師の大半が治療に熱心でなく、いい加減な治療しかしないという定評があったからです。しかも、入所者にとっては、なにかと物入りの生活でもありました。月に最低500文、今でいうと数万円は必要だったのです。つまり、ある程度の金銭的余裕がないと、養生所に入ることはできませんでした。また、管理する人間が物品を横領するのは珍しくなく、入所者への虐待行為もあり、病室では酒盛りや博打の開帳があっていました。衛生状態が最悪のうえに、所内の風気は頽廃していたのです。
 幕末を迎えて、養生所周辺に大名屋敷が建ち並ぶようになり、そこで射撃訓練まで実施されはじめました。これでは小石川養生所はもちません。
 小石川養生所の入所者総数(140年間)は3万2千人。そのうち全快した人は1万6千人。入所患者の平均は200人ほどでした。うーん、そうだったのか・・・。江戸の実情を少し知った思いです。

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