弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年11月 5日

戦争における人殺しの心理学

著者:デーヴ・グロスマン、出版社:ちくま学芸文庫
 刮目すべき研究書です。うーん、そうなのかー・・・、やっぱり人間は人間を殺せないものなんだー・・・。なんども首を大きく縦に振ってしまいました。
 第二次大戦中、敵と遭遇したときアメリカ軍の兵士100人のうち、自分の武器をとって発砲してたたかったのは15人から20人でしかない。残りは敵に発砲することなく、戦友の救出、伝令をつとめる、武器弾薬を運ぶといった、発砲するよりむしろ危険の大きい仕事をすすんで行った。それほど人間には同類たる人間を殺すことに強烈な抵抗感が存在する。
 発砲訓練のときの標的とちがって、生きて呼吸をしている敵に相対すると、兵士の圧倒的多数が威嚇段階に後退し、敵の頭上めがけて発砲してしまう。
 アレクサンダー大王は征服につぐ征服をくり返したが、敵の剣によって失った兵士はわずか700人だった。戦争の犠牲者は、戦闘(これ自体は、ほとんど無血の押し合いだった)が終わったあと背中を向けて逃げだしたときに殺された。つまり、白兵戦なるものは存在しない。接近戦で起きることは、一方が逃げだした他方を背後から襲う昔ながらの虐殺である。兵士は、さんざん銃剣訓練を受けていながら、戦闘になると敵の身体に突き刺す以外の方法で銃剣を使おうする。こん棒代わりに銃をふりおろそうとする。
 アメリカの南北戦争のとき、ゲティスバーグの戦いのあと戦場から2万7千挺のマスケット銃が回収された。このうち2万4千挺の銃には弾丸が装填されておらず、1万2千挺の銃には複数の弾丸が装填されていた。ということは、戦闘の最中に発砲できなかった、あるいは発砲したくなかった兵士がそれだけいたということ。これらの兵士は、発砲しないまま殺されたり、負傷したり、敗走した。
 第二次大戦中、撃墜された敵機の30〜40%は、全戦闘機パイロットの1%未満が撃墜したもの。ほとんどの戦闘機パイロットは1機も落としていないどころか、そもそも撃とうとさえしていなかった。第二次大戦中、アメリカ軍が精神的な理由から4F(軍務不適者)と分類して除外した男性は80万人いた。そのうえさらに50万人の兵士が精神的虚脱のために除隊した。
 戦闘を経験した直後のイスラエル兵に何が一番恐ろしかったか質問したとき、もっとも多かったのは「ほかの人間を死なせること」であり、これは「自分が死ぬこと」より多かった。
 前線の斥候に出る兵士は危険きわまりない任務だが、精神的ストレスを免れている。それは、斥候兵には面と向かって敵を攻撃する義務がないからだ。同じように、将校に精神的戦闘犠牲者が少ないのは、自分の手で殺す必要がないことによる。
 アフリカ系アメリカ人(黒人のこと)には、高血圧患者の割合がきわだって高いが、これは常に周囲の敵意に直面し、社会に受け入れられていないと感じ、それによってストレスを受けているから。人間は、好かれたい、愛されたい、自信をもって生きてゆきたいと切望している。意図的で明白な他者の敵意と攻撃は、ほかのなによりも人間の自己イメージを傷つけ、自信を損ない、世界は意味のある理解できる場所だという安心感をぐらつかせ、しまいには精神的、身体的な健康さえ損なってしまう。
 殺された兵士は、苦しみも痛みもそれきりだが、殺した方はそうはいかない。自分が手にかけた相手の記憶を抱えて生き、死んでいかなければならない。戦争の実態は、まさしく殺人であり、戦闘での殺人は、まさにその本質によって苦痛と罪悪感という深い傷をもたらす。
 ベトナム戦争において、アメリカ軍の狙撃兵は半年間で1245人を殺した。敵1人を殺すのに要した銃弾は平均1.39発。ベトナム戦争では敵兵1人殺すのに平均5万発の弾薬を消費しているのに・・・。しかし、その有効性にもかかわらず、狙撃兵による一対一の殺人には、奇妙な嫌悪感と抵抗感が存在する。戦争が終わると、アメリカ軍は狙撃兵からあわてて遠ざかる。戦闘中に不可能な任務を遂行するよう命じられた同じ男たちが、戦争が終わって気がつくと、不可触賤民扱いされている現実がある。
 銃殺刑を失効するときフードをかぶせたり目隠しするのは、死刑執行人の精神の健康を守るため。犠牲者の顔を見なくてすむことが一種の心理的な距離をもたらし、同種である人間を殺したという事実の否認、合理化、受容という事後のプロセスを容易にする。目は心の窓なのである。
 ベトナム戦争のとき、アメリカ軍は兵士の発砲率を高める訓練を実施した。これによって、兵士の発砲率は90〜95%にものぼった。これは脱感作、条件づけ、否認防衛機制の3方法の組み合わせだった。敵は自分とは異質な人間、いや人間でさえないと叩きこむ。そのうえで反射的かつ瞬間的に撃つ能力を訓練によって身につけさせられる。さらに、殺人行為の慎重なリハーサルとリアルな再現のおかげで、単にいつもの標的をとらえただけだと思いこむことができる。このためには、20歳前後の若者をつかまえなければいけない。成人して、人生経験を積んだ大人に戦争つまり人殺しを好きだと思いこませることは絶対にできない。
 ベトナム戦争を描いたアメリカ映画『フルメタルジャケット』で、新兵が殺人マシーンにつくりあげられていく様子が描かれているのを、まざまざと思い出しました。    
 戦争は人を変える。戻ってくるときには別人になっている。だから、戻るときには浄めの装置が必要だ。何日間も輸送船のなかで兵士同士で語りあい、故国に帰り着いたとき市民の感謝のしるしであるパレードの催しで迎え入れられる。このことによって社会に復帰できる。しかし、ベトナム戦争帰還兵にはそれがなかった。ベトナム帰還兵のPTSDの発病率は15%、40万人の患者がいる。彼らは一般人の4倍も離婚率や別居率が高く、ホームレス人口の大きな割合を占め、自殺率も高まっている。
 アメリカの殺人が急増し、刑務所人口が200万人といわれている原因も、ベトナムで発砲率を4倍以上に高めたと同じことが一般社会で広く使われていることによる。つまり、テレビと映画の暴力シーンだ。感受性の強い若者が暴力崇拝をたたきこまれる。テレビゲームも死の描写をますますリアルにしている。しかも、片親家庭が増大し、安定した父親像のかわりにテレビや映画の暴力的な役割モデルが存在する。家庭が崩壊してしまっている。暴力行為のひとつひとつがさらに大きな暴力を生み、ある一戦をこえると魔物をビンに戻すことは二度とできなくなる。
 著者は、アメリカ陸軍中佐で、ウェストポイント陸軍士官学校教授を歴任。レンジャー部隊や落下傘部隊の経験もあります。すごい本です。人間の本質を鋭く暴いた本として大いなる刺激を受けました。

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