弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年1月27日

満州国とは何だったのか

日本史(現代史)

著者:植民地文化学会、 発行:小学館

 虚偽の口実をもうけて、アメリカはイラクへ攻め込んだ。それと同じことを戦前の日本は中国でした。自作自演の事件を捏造(ねつぞう)して、中国東北部で戦争を起こし、次いで「満州国」という傀儡(かいらい)国家を建て、14年間に及ぶ苛酷な植民地支配を行った。日本人がそのことを忘れると、田母神という男が日本は侵略戦争なんてしたことはないと嘘ぶき、一部からもてはやされるのです。
 「満州国」の行政組織の特徴は、総務庁中心主義をとったこと。政府のおいての実権は日本人の総務庁長官の手に操られ、この総務庁長官は関東軍に操られていた。関東軍こそ、「満州国」の事実上の支配者であった。
 1932年9月、関東軍司令官(武満信義)は、国務総理(鄭孝胥)と日満議定書に調印した。この日満議定書の主文はわずか2条のみ。第1条で、満州国は日本の中国東北におけるすべての特権を承認し、第2条で、日本の中国東北における駐軍権と占領権を承認した。これによって、中国東北部は完全に日本の植民地となった。そして、この日満議定書には、4つの秘密文書が付属していた。
1936年に作成された「満州国の根本理念と協和会の本質」という文書によると、満州国皇帝は、天皇の大御心にもとづいたものであるから、天皇に仕えるのが在位の条件であった。そして、関東軍司令官は、天皇の名代として満州国皇帝の後見者であった。
 「満州国」警察のうち、日本人1万3000人、12%を占めていた。「満州国」に抵抗する抗日義勇軍と戦うため、関東軍は集中居住区、集団部落を強制的に作り上げた。これを人圏(人小屋)といい、2500ヶ所以上の集団部落(総人口140万人)がつくられた。
 満鉄は社員2万3000人以上を擁していた。国内にはりめぐらした情報網によって領事館や陸軍・警察署などの最新情報をつかむことができていた。満鉄の資産は11億円ほどだったのが、終戦直後には50億円をはるかに超えていた。
 万人坑とは、東北に住んでいた中国人が大量に殺害されて集中して埋められた場所のことをさす。
 内地の貧しい農民にとって、「満州に行けば、20町歩もの農地を与えらえて自作農になれる」というキャッチフレーズは、とても魅力的だった。敗戦直前に、東北在住の日本人農民の移民は、成人16万7000人、青少年6万人ほどであった。そして、東北に在住する朝鮮人の総人口は、1945年の時点で150万人と推定された。
 戦後、日本人戦犯を裁く法廷が中国各地につくられた(10ヶ所)。605件、883人が被告として裁かれた。東北部では撫順の戦犯管理所に収容されたが、6年間、きちんと処遇された。判決は禁固20年から12年までで、死刑は1人もいなかった。1964年に残りの日本人が日本へ帰国した。
 「満州国」 での日本人死者は、対ソ連戦で6万人。8月15日以前で18万5000人。1964年の引き揚げを前に「留用」された人々もいた。残留したのは1万人とその家族1万数千人。その多くは八路軍に入り、残りの一部は国民軍に徴用され、内戦の戦力となった。
 「満州国」の実態について、日中両国の学者が共同して調査し、議論してまとめた本です。日本人は、この本を読んで満州国の実体を美化することなく、よく理解すべきだと思いました。


(2008年8月刊。3400円+税)

  • URL

2009年1月26日

ジャガイモのきた道

アメリカ

著者:山本 紀夫、 発行:岩波新書

 わたしたちが日常食べている「栽培植物」は、すべて人間が作り出したもの。栽培植物とは、栽培の過程で植物を人間にとって都合よく改変した結果、野生の植物とはすっかり違ったものになっている植物のこと。つまり、栽培植物とは、まさしく人間によってつくられた植物なのである。
 たとえば、種子植物は熟すと種子がパラパラ落ちたり、風に吹かれて飛ばされる。これは野生の植物にとって繁殖のために必要な性質で、種子の脱落性という。この種子の脱落性は、人間が利用するのには不都合なので、種子を利用する栽培植物ではほとんど例外なくこの性質を欠かせたものになっている。人間は収穫するときまで、種子が脱落しないものを選び出し、それをもっぱら栽培するようになったのだ。
 ふむふむ、なるほど、なるほど、そういうことですか……。
 野生のジャガイモは、ソラニンやチャコニンなどのアルカイド性の有毒物質を多量に含んでいる。そこで、アンデスの人々は、ジャガイモの毒抜き技術を開発した。
 世界各地で栽培されているジャガイモは、すべて、元をたどればアンデスで生まれたトゥベローサム種の一種に由来し、アンデスを離れてから分化したもの。
 ジャガイモの栽培化は、紀元前5000年ごろなので、その栽培化までには、最初のアンデス人がジャガイモの利用を始めてから数千年もの長い年月を要している。
 アンデスでは、穀類がまったく栽培化されなかったのに、イモ類は多種多様なものが栽培化された。ジャガイモこそ、アンデスの山岳文明を生んだ。
 人骨のタンパク質(コラーゲン)を抽出し、それを構成する主元素である炭素と窒素の量を測定し、その値から人骨の生前の食生活を復元する方法が開発されている。
 いやあ、すごいですね。骨を分析すると生前に何を食べていたか分かるなんて、すごいことです。
 苦いジャガイモは寒さに強いだけでなく、病害虫にも強い。このジャガイモを加工したチューニョは、貯蔵食品としてすぐれていて、腐らず、何年でも貯蔵が可能である。
 インカ帝国では、就職としてジャガイモ、儀礼的な作物としてトウモロコシが作られていた。トウモロコシは、酒を造るための材料だった。
 ジャガイモの耕地は休閑システムを取っていた。地力の疲弊を防ぎ、病気の発生を抑える効果もある。家畜の糞を肥料としていたのも生産性の向上に役立った。
 フランスでは、19世紀になってからジャガイモが普及した。18世紀末から19世紀半ばまでに、食事の中心は穀物のカユからジャガイモに大きく転換した。
 ジャガイモは栄養バランスに優れた作物であり、ビタミンやミネラル類にも富んでいる。あとは少しのミルクを飲むだけで、栄養は十分に補えた。
 ジャガイモは江戸時代に徐々に日本各地に広がっていった。長崎に渡来したジャガイモは日本各地に広がった。真っ先に栽培されたのは北海道地方だ。
 ジャガイモという偉大な作物について知ることができました。
 きのうの日曜日、朝からフランス語の口頭試問を受けました。まったくしどろもどろとはこのことです。大変みじめな思いをさせられました。3分前に問題を渡されます。2問(もちろん、フランス文です)あるうちから1問を選び、答えを考えて面接室に入ります。面接官は、フランス人と日本人ですが、質問と問答はフランス人がします。私は、高速道路を日本で作り続ける必要があるか、という設問を選びました。日本語ならそれなりにしゃべる自信はありますが、フランス語が全然出てこず、苦悶しました。3分間スピーチしたあと、問答するのです。冷や汗三斗とはこのことを言うのでしょう。うまく言いきれないうちに面接官が終了を宣言しました。7分間の諮問ですが、1時間もかかったほどの疲れを覚えました。
 駅への帰り道、言いたいことが言えなかったもどかしさからでしょう。自然とぶつぶつつぶやくのです。気づいた人がいたら、気の変なおじさんと間違われたと思います。
(2008年6月刊。740円+税)

  • URL

2009年1月25日

弁護士が書いた究極の勉強法

社会

著者:木山 泰嗣、 発行:法学書院

 試験に受かるためには、一読了解の文章を書く必要がある。一読了解とは、頭が疲れていても、ユーウツな気分であっても、目で追うだけで分かる文章。そのためには一文は短くする。論理的な流れをつくるため、接続詞を正確に、有効に使う。分かりやすい文章を書くためにはまず書くこと、書いて書いて書きまくること。
 新しいことを勉強するにあたって習慣にしたいのが、音読。音読するメリットは脳の活性化。そして記憶への定着。仲間同士で口でする議論も大切。
 成功を約束するのは、圧倒的努力。単なる努力ではなく、圧倒的な努力こそ必要。ハンパな努力では足りない。好奇心を持つことが、脳をスポンジ状態にするためにも必要。
 スポンジ状態というのは、何でも貪欲に吸収するという意味です。病的な状況を指しているのではありません。念のため。
 試験委員がヘトヘトになって答案を読んでいるときに、すらっと読める答案が光る。人間的なゆとりのある生活、のんびり、ゆったりとした生活は大切なもの。でも、仕事ではスピードが必要。試験でも勉強でもスピード感が大切。速くやるほど成功の確率は高まる。勉強に限らず、集中力は、あらゆる分野で重要。
 試験会場は選べないのだから、ふだんからうるさい場所で勉強しておくと、本番でちょっとやそっとのことがあっても影響を受けず、あわてることなく実力を出し切ることができるようになる。そうなんですよね。集中できないのは困ります。
 とにかく気になった本は、すべて買うようにする。お金がかかるのは、先行投資だから仕方がないと考えたらいい。私も本は買える限り買います。買えないのは図書館で借りてコピーをとったりします。
実力が飛躍的にアップする究極の勉強法は、採点する側を体験すること。なーるほど、これは本当にその通りだと私も思います。
 なるほど、なるほど、そうなんだよね。思わず膝を打ってしまいたくなるほど、勉強法の基本的心がまえを真面目に紹介しています。
(2008年10月刊。1200円+税)

  • URL

2009年1月24日

東大合格生のノートはかならず美しい

社会

著者:太田 あや、 発行:文藝春秋

 東大合格に必要なのは、かなりの量の知識はもとより、それをまとめ組み立てて記述する力、そして問題を見たら反射的に手が動くスピード力。な、なーるほど、そういうことなんですか・・・。
 東大は入試の科目数が日本で一番多い。入試センター試験では、文系だと6教科7科目。理系では5教科7科目。その次の2次試験は全問記述式。このとき文系も理系も4教科5科目が課される。つまり、幅広い分野の知識が求められる。ここに東大入試の特徴の一つがある。
 2次試験では、覚えた知識をフル活用しながら、文章や数式を組み立て、いかに早く答案用紙を埋めていくかという作業がポイントになる。問題を見た瞬間、頭の引き出しを開け、似た問題をそこからたぐり寄せ、反射的に手が動くようにしておかないといけない。そのためには、入試までにできるだけ多くの問題に取り組み、解法パターンを体に刻み込んでおく必要がある。
 知識をまとめる力やスピード力を意識しなくてはいけない。意識して書くことを続けることで力が身についていく。「東大ノート」は、途中で投げ出したりせず、ノートの最初から最後まで同じテンションで書きつづられている。
 「東大ノート」に共通する7つの法則がある。 
第1、文頭をきれいにそろえる。
第2、写す必要がなければ、コピーして貼り付ける。
第3、余白をたっぷりと大胆にとる。あとで追加情報を書き込む。
第4、インデックスを活用して、復習の際の検索機能を高める。
第5、書いたことの全体像を一目で見渡し、体系的に確認できるようにする。
第6、オリジナルのフォーマットを持つ。
第7、筆圧が一定で、文字も同じテンションで書く。採点者にとっての見やすい答案を想定し、読みやすい答案づくりにそなえる。
 東大生の書いたノートを200冊も集めて、そこに法則を見出すという地道な作業を思いつき、それを実行した著者もエライですよね。そして、なるほど、こうすれば理解と記憶に役立つだろうな、と思いました。
ここに書かれていることは単に大学受験に役立つテクニックだというだけではなく、社会人になってからもメモの取り方に生かせるものだと思いました。

(2008年10月刊。952円+税)

  • URL

2009年1月23日

アマゾンの森と川を行く

アメリカ

著者:高野 潤、 発行:中公新書

 アマゾンというと、大自然そして密林(ジャングル)というイメージですが、実際には鉱物資源の開発、牧場用の開拓などで、どんどん切り拓かれているようです。といっても、まだまだ奥地のジャングルは残っています。そこへ大胆にも入りこんで生活し、写真を届けてくれる著者の行動力は、いつものことながら感嘆させられます。この本はカラー版なので、アマゾンの大自然の威容を居ながらにして少しばかり味わうことができます。
 ワニの叫び声を模写してワニを呼び寄せる現地の男性がいます。寄って来たワニは、舟のすぐ近くまで「何だい、何だい」と咆哮を上げながら近づいてきます。夜の川に目をギョロギョロさせて舟に近づいてくる大きなワニなんて、不気味そのものですよね。
でも、怖いといえばやっぱり蛇です。黒くて太い大蛇がアマゾンにはうじゃうじゃいるのです。木の上で昼寝しているアナコンダ。川の中を泳ぐ模様つきのボア。シカも丸呑みするのです。うっかりジャングルに踏み込むと、大蛇に飲み込まれてしまいそうです。おー、こわ、こわーい。
 いえいえ、ジャガーもいます。人間が一人だと分かると襲ってくるほど賢いジャガーです。よく見張っているのです。ブルブルブルッ。寒気がしてきました。ジャガーは、森の王、というべき存在なのです。
 アマゾン特有の風土病もある。治ったはずの風土病が再発した。寄生虫が皮膚を食い荒らす。これには抗生物質は効かない。そして、原因不明の肺炎にもかかった。
いやあ、大自然のなかには素晴らしい自然とともに自然の脅威にみちみちているのですね。私は、アマゾンは写真だけで結構です。写真でガマンすることにします。
 水曜日、朝からハローワークそばの空き地で相談会があり、担当者の一人として参加しました。医師や医療関係者が大勢きていました。法律相談のコーナーに来た人は2人だけでした。過払いの可能性が大いにあります。もう一人は、昨年12月に解雇され、2月から失業保険はもらえるけれど、その間のマンションのローンの支払いが大変だという話でした。こんなとき、つなぎ資金の制度があれば、と思いました。
(2008年10月刊。1000円+税)

  • URL

2009年1月22日

戦争サービス業

アメリカ

著者:ロルフ・ユッセラー、 発行:日本経済評論社

新しいタイプの傭兵(民間兵士)は、イラクに3万人いる。これはアメリカ軍に次ぐ第二の規模の軍隊であり、アメリカ以外のどの同盟国軍よりも多い。そして、この民間兵士は、この数年間で数千人が殺され、数万人が負傷した。しかし、メディアで報道されることはない。
イラクには、公式の契約により業務の委託を受けている民間軍事会社が68社ある(非公式の推計によると100社を超える)。たとえば、エアースキャン社は、パイプラインと石油関連基盤を特殊カメラで夜間監視する業務に就いている。エリニュス社は、イラク全土のパイプラインと石油採掘基地を地上で警備する任務にあたっている。ブラックウォーター社は要人の身辺警護を担当している。ISIは、グリーンゾーンでの身辺警護と政府建物の警備にあたっている。
民間軍事会社は、イラクだけでなく、アラビア半島のほとんど全ての国で活動している。たとえばサウジアラビアでは、本来なら軍隊や警察が担うはずの任務の大半をアメリカの民間会社が引き受けている。民間軍事会社と民間警備会社との境界は近年ますます流動的になりつつある。いや、むしろ、この両者を明確に区別することは、もはや不可能だ。
軍事分野で補給関連の最大手となったのがハリバートン社で、その社長だったのは今のチェイニー副大統領だ。
アブグレイブ刑務所での拷問事件の予備兵士たちに資金をあたえていたのは、アメリカの民間軍事会社CACIであり、彼らは尋問の専門家であった。この刑務所では尋問官30人のうちの半数は民間軍事会社の職員だった。
かつての傭兵が民間軍事会社に組み込まれると何が変わるかというと、まずは身分だ。会社職員になリ、固定給がもらえる。国際的に承認された政府と契約しているのだから、法の番人に追われる心配もない。このようにして、国連などが定めた傭兵禁止のための条約や法律は完全なザル法となった。民間軍事会社は賃金コストを下げるため、人員の大部分を現地調達でまかなっている。
チェイニー副大統領が社長だったKBR社は、決算報告の粉飾、不透明な契約の数々、ペンタゴンへの水増し請求、仕事なしで代金だけはちゃっかり受け取るなどのスキャンダルで相次いでマスコミをにぎわした。
民間軍事会社の職員が射殺したイラク市民の数は明確に記録されていないが、イラク内務省は少なくとも200件以上としている。この数字は氷山の一角だろう。殺害された民間人に対して補償金が支払われることは滅多になく、あっても、その額は5000ドルから1万5000ドル程度でしかない。
ブラックウォーター社の要員が明らかな過剰防衛をしたときにもアメリカ国務省は何の制裁措置をとらずに放置した。そして、任務遂行上正当な武力行使であると認定した。
治安の基本的条件が不安定につながり、安全を求める声が高くなる。国家にこれ以上期待しても無駄ということになれば、結局は民間のチャンネルを通じて警備会社に話をもっていくほかなくなる。
アメリカでは、1997年から2005年までの7年間に、民間軍事会社への発注高は2倍になった。
民間軍事会社は、彼らが結んだ契約と、その時々の営業法以外にその行動を制約されることがない。国家機関と違って、彼らは、一国の、あるいは国際的な同盟義務による安全保障機構に縛られることもなければ、法律によって公的に課せられた義務に従う必要もない。民間軍事会社は、ひたすら市場原理、つまり需要と供給の法則に従って動く。
民間軍事会社に契約履行を強制することは誰にもできない。敵対的な状況の下では契約が守られる保証はまるでないのだ。企業や団体が民間軍事会社の保護を頼るしかない。その結果。国家機関は次第に管理権限を失うことになった。安全は公共財から、お金さえあれば誰でも我が物にすることのできる私的な商品に変わる。こうして保護のために投入される武力はますます管理不可能になってしまう。
民間軍事会社は、目下のところ、規制のない、法によって制限されることのない空間で活動している。その結果、やりたい放題に近いのが現状だ。民営の方が安上がりという人は多いが、果たしてそうだろうか?
どれだけ調査・研究を重ねても、この主張の正しさを裏付けする証拠は見つからなかった。むしろ、軍隊業務を民間経済に委託すると納税者の負担は増える。そして、アフリカなどで、民間軍事会社は一国の政治に介入した。
紛争解決と平和確保は事柄があまりにも重要すぎるから、これを民間軍事会社の戦争と経済の倫理にまかせるわけにはいかない。軍人の倫理だけでも好ましくない結果が生まれかねないのに、これに金儲けの欲望が加わったら、どんなに恐ろしい結末が待っていることだろうか。
民間軍事会社が存在できるのは、ひとえに戦争のおかげ。その儲け口は武力紛争と不安定にある。民間軍事会社は、人々、そして諸国民が民主的な共同生活を営む上うえで余計で、しかも危険な存在なのだ。民間軍事会社を使うホンネは、政治的な妥協、政治的なご都合主義の問題でしかない。つまり、民間軍事会社は、国際法も含め、あらゆる法の枠外にあって、民主主義国に暮らす市民一人一人の身に及びかねない政治的な問題を投げかけている。
民間軍事会社の危険な本質をズバリえぐり出した本です。著者はイタリアに住むドイツ人ジャーナリストのようです。

(2008年10月刊。2800円+税)

  • URL

2009年1月21日

責任に時効なし

社会

著者:嶋田 賢三郎、 発行:アートデイズ

 著者は私より少し年長ですが、同じ団塊世代です。有名なカネボウの常務として財務経理を担当していました。そして、カネボウの再建に尽力しながら、粉飾決算の疑いで逮捕されます。その貴重な体験をもとにした小説ですので、ともかく迫真的です。どこまで事実なのかよく分かりませんが、大企業で恐るべき粉飾決算がまかり通っていること、公認会計士がそれを知りながらチェック(阻止)できていない実態がよく分かります。
大銀行のバンカーは、あからさまなものの言い方は極力さける。いわんや頭取クラスであれば、よほどのことがない限り露骨に直接的な言及はしない。化粧品の営業から叩き上げてきたトウボウの社長にはそれを理解するセンスが欠けていた。むむむ、なるほど……。
 企業粉飾によくつかわれる手法がいくつかある。
 キャッチボールは、トウボウが翌期返品を前提に商品を商社に引き取ってもらう、もっともプリミティブなやり方。
 三角取引とは、トウボウから商社Aに商品を売り、商社Aから商社Bに転売してもらい、翌期以降、トウボウは商社Bから仕入れ形態で買い取る。
 宇宙遊泳とは、トウボウから売られた商品を引き取った商社Aがいろいろな商社に転売していくため、まるで宇宙を遊泳しているように見えるので付けられた栄えあるネーミング。
 これらのとき、商社間で転売されるときには、そのたびに商社マージンが必ず乗せられる。だから、同じ在庫で何回もそれを繰り返すと、簿価が法外にアップする。その結果、異常な在庫簿価を形成してしまう。うひゃあ、すごいですね、ケタ違いの違法行為ですよね。
 労使運命共同体というトップの経営思想が、すべからくトウボウを鵺(ヌエ)のような不可解な企業体質にしてしまった。労働組合は、やはり資本からの自立が必要なのですね。
 トウボウは不良資産の解消のため、「逆さ合併」という手法を長年使ってきた。逆さ合併とは、規模の小さい会社を存続会社として、規模の大きい会社を消滅会社として、小が大をのみこむ合併をさす。赤字会社を存続会社とし、黒字会社を消滅会社として、赤が黒を飲み込む合併をさすこともある。
 黒字会社が赤字会社を吸収合併することは、商法によって原則として禁じられている。ここで赤字会社とは、債務超過または不良資産をかかえた実質債務超過の会社を指している。つまり、財産的な裏付けのない「負の会社」を被合併会社として吸収合併することはできない。だけど、逆に、赤が黒を合併することは禁じられていない。合併法人である赤字会社の繰越欠損金と被合併法人である黒字会社の利益とが相殺されて、合併後の会社は税金逃れ、つまり課税回避のメリットを享受できる。ただし、税務当局から、そんな認定を受けないように知恵を働かす。うむむ、いろんな手法があるものなんですね。
 日本の監査法人は立ち遅れている。企業のトップにあまりにも弱すぎる。監査法人は、組織的な業務運営という看板を掲げながら、有力会計士を中心に実質的にはタテ割運営がなされる傾向が強い。それが「なれあい監査」という悪の温床につながっている。
 もっとも不埒なのは、粉飾決算で利益を出したことにして、多額の役員退職慰労金を手
にして安寧をむさぼっている輩だ。その責任に時効なんかない。
 なかなか読みごたえのある経済企業小説でした。経理や会計用語について解説も入っていますので、理解を助けます。といっても、私はよく理解できないところが多くありました。といっても、大企業の経理って、まるで伏魔殿のようなものなのだということだけはよく分かりました。

(2008年12月刊。1800円+税)

  • URL

2009年1月20日

ハリウッドの密告者

アメリカ

著者:ヴィクター・S・ナヴァスキー、 発行:論創社
 670頁もある大部の本です。マッカーシー旋風の吹き荒れる1950年代のハリウッドが舞台です。1950年代アメリカの異端審問の実情について、著者は多くの人に取材して多面的な角度から掘り下げています。
 ときは1951年3月。アメリカ下院の非米活動委員会(HUAC)は、俳優ラリー・パークスを喚問した。同じ日、連邦裁判所はソ連のための原爆スパイとしてローゼンバーグ夫妻に有罪を宣告した。夫妻は後に死刑に処せられた。
 アメリカ議会は既に1947年に公聴会を始めており、有名な脚本家ドルトン・トランボなど10人が証言を拒否したために議会侮辱罪に問われ、最高1年の懲役刑に服していた。世にいうハリウッド・テンである。
 1951年から53年にかけてHUACに喚問された証人90人のうち30人が名前を提供した。別の数字は証人110人のうち58人が名前を提供したという。決断を迫られた者の3分の1が名前を提供した。あまりにも有名な映画監督エリア・カザンもそのひとりだ。
 資料提供者(インフォーマント)と、情報提供者(インフォーマー)は違う。インフォーマーは他人について不利な情報を提供するもので、蔑みの言葉として使われることが多い。インフォーマー(情報提供者)とは、同志を当局に売り渡す者である。
 FBIのフーバー長官は、1947年5月、アメリカ共産党員が7万4000人いるとした。
1950年には、党員5万4000人、しかし、その背後に48万6000人の同調者(シンパ)がいて、その一人ひとりが潜在的スパイだとした。実際には、アメリカ共産党は1950年代までに悲惨な状態になっていた。赤いドラゴン(竜)でもなく、張り子の虎ですらなかった。実のところ、第二次大戦中の最盛期に7万5000人いた党員は1950年に3万1608人、1957年には、FBIから潜入したスパイをふくめて1万人にまで減っていた。
 たとえば、ロサンゼルス警察の警官が党員となって党員リストを管理しており、それはすべて警察に渡されていた。彼が入党したときのロサンゼルスの党員は100人で、1939年9月に離党したときには2,880人となっていた。つまり、警察は誰が党員であるか、よく掌握していた。そのうえで、公開の場で同志の名前を告白させる儀式を延々と展開していったわけである。ううむ、そうなんですね。いわゆる見せしめにして、国民に恐怖心を与えて、共産党を特別な存在として国民から切り離そうとしたわけです。「あいつは、アカ(レッズ)だ」と叫べば、問題はすべて解決したかのように国民を錯覚させたのでした。
 国家は、アカ狩りに威信を与えたことで何十万人もの現役共産党員、元共産党員、共産党同調者、そして不運なリベラルたちの人生を悲惨なものにした。それだけではなく、アメリカ文化を弱体化させ、そのことによってアメリカという国家自体の弱体化を招いた。このように著者は総括しています。なるほど、そういうことなんですね。「アカ狩り」は単に個人の思想信条の自由が踏みにじられたというだけでなく、国の文化そして国そのものを弱めてしまったというわけです。
 アメリカの大学では、反体制運動には係わらないという忠誠宣誓を強制するところが多くなり、大いなる知的損失をもたらした。不安、落ち込み、疲労、恐怖感、不服従、飲酒、頭痛、消化不良、内臓障害、同僚との関係悪化、疑心暗鬼、不信感、自尊心の喪失など……。
 1970年、ドルトン・トランボは受賞したときのスピーチで、次のように述べた。
 被害者しかいなかった。最終的には、私たちはみな被害者だった。例外なしにほとんどの人は言いたくないことを言わされ、やりたくないことをやらされ、お互いに求めてもいないのに傷つけあった。右であれ、左であれ、中道であれ、誰一人として罪の意識なしには長い悪夢から立ち上がれるものはいない。むひょう、そうなんですね。厳しい指摘です。
 後に大統領となったロナルド・レーガンは、映画俳優ギルドの会長をしていたが、1947年4月という早い時期からギルド内の共産党員と疑わしき者の名前をひそかにFBIに渡していた。情報提供者として、レーガンはT-10という暗証番号を与えられていた。
 うへーっ、やっぱりレーガンって、最低の男ですよね。単なるマッチョな好戦派というだけでなく、恥ずべきたれこみ屋だったというのですね。
 1999年にエリア・カザンが映画アカデミー名誉賞を受賞したとき、多くの人々がカザンを情報提供者として非難した。うーん、ここは私にとって難しいところです。しかし、アメリカの良心にとって、ことは単なる過去のこととすまされる問題ではないという指摘ももっともです。実に重たい問題提起がなされており、手に取ると、名実ともにずっしり重たい本でした。
(2008年9月刊。933円+税)

  • URL

2009年1月19日

ちひろの花ことば

社会

著者:いわさきちひろ絵本美術館、 発行:講談社文庫

 小さな文庫本ですが、ちひろの絵がカラー図版でたっぷり楽しめ、心が温まります。あなたも、どうぞカバンに忍ばせて、ちょっと疲れたな、そう思ったときに頁を開いてみてください。きっと気が休まりますよ。
 上條恒彦の歌があります。とてもいい歌です。その歌詞は、なんと、ちひろが自分の結婚式を描いたものだったのです。
 その日、焼け残った神田のブリキ屋さんの2階の私の部屋は、花でいっぱいでした。私は千円の大金をぜんぶ花にしてしまったのです。
 あとは、ぶどう酒一本と、きれいなワイングラス2つ。
 これが四面楚歌のなかでの、二人だけの結婚式でした。
 すごーい、すごいですね。いやあ、すごいです。私の結婚式は、当時はやりの会費制でしてもらいました。夏の終わり、クーラーのきかない労働会館のホールです。ビデオ(今は保存のためCDに変換しています)を見ると、参加者は暑さのために、汗をふきふきしています。今になって申し訳ないと思いますが、当時はこの冷房のない部屋が公共施設にはあったのです。
 ちひろの花の絵は、ありのままの花を描くというより、大胆な構図のものが大半です。それも、ちひろが本当に花が好きで、よく見ていたからこそ描けたのでしょう。
 ちひろは、「春の花には、しきりに蝶が来たり、蜂が来たりする。花のほのかな香りの中にいると、にぶい蜂の羽音が聞こえてくる」と書いた。草むらにしゃがみこみ、花を見つめ、草花の息吹に耳を澄まし、同じ目の高さで花と語り合っていたちひろの姿が想像できる。
 ふむ、ふむ、なるほど、ですね。なんとなく分かりますね、これって……。
 ちひろの描いた子どもたちは、泣きわめくことも、おなかを抱えて笑い転げることも、怒りを撒き散らすことも、ほとんどしない。いつも、どちらかといえば、静かな表情を見せている。ただ、子どもたちと同じ画面に描かれたさまざまな草や花が子どもの心や個性を語っている。言葉には尽くせない思いを花が語っているのかもしれない。
 うーん、これって、ホント、とても的確な表現ではないかと思います。ホントホント、そうですよね。しっとり心に訴えかけてくる子どもの顔ばかりです。
 ちひろは童画について次のように語りました。
「さざなみのような画風の流行に左右されず、何年も読み続けられる絵本を、せつに描きたいと思う。もっとも個性的であることが、もっとも本当のものであると言われるように、私は、すべて自分で考えたような絵本をつくりたい。この童画の世界から、挿絵という言葉を亡くしてしまいたい。童画は、決してただの文の説明であってはならない。その絵は、文で表現されたのとまったく違った面からの、独立した、ひとつの大切な芸術だと思う」
 ふむふむ、まさしくその通りでしょうね。
 ちひろの絵の最大の特色は、豊潤無類の色感の中にある。
 いやあ、本当にそのとおりです。さすが、美術評論家(河北倫明)はいいことを言いますね。まったく同感です。
 年賀状に私を年の暮れにお茶の水駅で見かけたと書き添えていた友人がいました。せっかくですので、一声かけてくれたらよかったのですが……。かなり前のことですが、日比谷公園内を歩いていると、目の前を高校時代の同級生が通っていくのを見つけました。つい声をかけそびれてしまい、あとでハガキを出してそのことを告げてやりました。思わぬところでのすれ違いって、世の中にはあるのですよね。

(2006年9月刊。667円+税)

  • URL

2009年1月18日

空爆と「復興」

世界(アラブ)

著者:中村 哲、 発行:石国社

 9.11あとのアフガニスタンにおける、著者を現地代表とするペシャワール会の困難な活動が紹介されています。伊藤さんが殺害される前の活動状況ですが、今でもその意義は高く評価できるものです。同じ福岡県人として中村医師の活動に心より敬意を表したいと思いますし、わが郷土の誇りです。
 2001年1月、大干魃によって死に瀕しているアフガニスタンを国際社会は見捨て、援助どころか国連制裁を実行した。
 アフガニスタンの権力の基盤は、各地域のジルガ(長老会=伝統的自治組織)にある。階層的に、より大きなジルガがつくられ、大事な決定はそこで行われる。タリバン政権といっても、日本で言われているような「ひと握りの圧制者」対「民衆」という図式は成り立たない。タリバンを受け入れるかどうかも、ジルガが決めたものであり、人々の平和を求める声が政権を支えていた。暴力に対して暴力で報復するのではなく、少なくとも人が餓死するような状態を解消しなければ、テロは根絶できない。
 タリバン政権は、いってみれば非常に古風な農村社会を代表する「田舎政権」そのものなのである。アフガン社会を律するのは、地縁と血縁である。そして、強固な伝統社会を底辺から支えている、もっとも強力なパワーは女性である。ともすれば妥協しがちなアフガン男性の尻を、「あんた、それでも男か」と叩いているのが、アフガンの女性なのだ。これが、どこの村でも見られる光景である。抑圧されているようで、実はアフガン社会をコントロールしているのは女性なのである。
アフガニスタンにおける対日感情、日本に対する信頼というのは、絶大なものがあった。それが、日本の自衛隊が軍事行為、報復に参加することによって損なわれる可能性がある。自衛隊派遣は有害無益である。著者たちが十数年かけて営々と築いてきた日本に対する信頼感が現実をふまえないディスカッションによって、軍事的プレゼンスによって一挙に崩れ去る危険が現実のものになろうとしている。
日本の国際貢献は、軍事力によらず、アフガン社会の再建に平和的に寄与することにあるべきです。
 ペシャワール会の目標は、平和な自給自足の農村を回復すること、それだけである。教育の破綻しかけた(日本のことでしょう)が外国に教育支援するなど冗談にもほどがある。現地のことわざに「アフガニスタンでは、カネがなくても食っていける」といい、「アフガン人に半人前はいない」という。精神はカネでは買えない。独立不羈の気風がアフガニスタンの屋台骨だ。
 目先の利にさとく、強いものには媚び、衆をたのんで弱い者には居丈高になるのは見苦しいこと。自分の身は針でつつかれても飛びあがるが、他人の身は槍で突き刺しても平気。かつての日本でも、こういう人間は嫌われた。
 あるアメリカ士官が、「タリバン兵は、昼はフツーの農民の顔をしており、夜になると凶暴な攻撃者に変わる」と言ったが、そのとおりである。
 アメリカ軍がいる限り、カルザイ政権は国家統一ができない。しかし、アメリカ軍が去ったら、即座に国家は崩壊する。そんな矛盾の中でカルザイ政権は延命している。
 ペシャワール会のような地道な活動こそ日本政府は支えるべきであって、自衛隊を派遣するなんて愚の骨頂だとつくづく思います。中村医師の安全を心より願っています。

(2004年7月刊。1800円+税)

  • URL

2009年1月17日

幸せな子

ドイツ

著者:トーマス・バーゲンソール、 発行:朝日新聞出版

 現職は国際司法裁判所の判事である著者は、ユダヤ人として、あのアウシュヴィッツに10歳の時に収容され、奇跡的にも助かり、父親は収容所内で死亡するものの、母親も収容所を生きのび、戦後、再会することができました。まさに奇跡の積み重ねがありました。こんなこともあるんだなと、つい思ってしまいましたが、本人は、強い生存本能のもとに、死ぬとは思わずに頑張ったようです。
子どもの生存本能は強く、環境が変わっても、そこで生きるために適応することができる。子どもは本能的に自分が死ぬことはないと、そして、自分には生きる権利があると信じている。
 自分が生き残ったのは、まったくの幸運だったと思っている。生き残るか生き残らないかは、自分にはどうしようもない運のゲームであり、だから、その結果の責任は自分にあるわけではないと考えるようになった。ドイツ語もポーランド語もなまりなく上手に話せたこと。そして、ユダヤ人に見えなかったことも、生き延びるためには好都合だった。
ドイツ語が話せたおかげで何度も助かっただけでなく、ドイツ人っぽい顔つきのおかげで助かった。もしかして、私を見て、ナチの将校たちは自分の子どものことを思い出したのかもしれない。収容所の司令官は、私が働けると言ったとき、私を生かしておこうと決めたのかもしれない。ポーランド語を話せることでも何度も大いに役に立った。間違いなく、これらのことが組み合わさって、生き残るうえで役に立った。そして、それらは、ほとんどが偶然のことだった。
 著者の子どものころの顔写真があります。いかにも利発そうで、愛らしく、可愛さあふれる男の子です。こんな可愛らしい男の子が目の前にいたら、いくらナチスだって、人間としてとても殺す気にはならなかったでしょう。
そして、当時40歳ほどの著者の父親の毅然とした態度が妻と子を生きのびさせたのです。たいした父親です。そして母親もすごいものです。単なる免許証をいかにも重要な証明書であるかのように言い通したり、ハッタリを堂々とかませてナチスをやりこめたのです。
収容所では子どもが一番危ない。それを出し抜く方法を著者の父親は考え出した。毎朝の点呼のとき、できるだけうしろの方に著者を立たせる。バラックの入り口の近くに。点呼が終わって死の選択が行われそうな気配が見られたら、著者はバラックにこっそり入って、そこに隠れた。な、なーるほど、ですね。すごい勇気です。
 アウシュヴィッツでは、一度も鳥を見なかった。人間を焼く火葬場の煙と悪臭のせいで鳥がこなかったのだろう。
 収容所の中に子ども用バラックがあった。あるドイツ政治犯が考え、ナチスを説得したのだ。子どもは収容所で役に立つ仕事ができるのに殺すのはばかげていると。そして、子どもたちの主な仕事はゴミの回収だった。
 戦後、母親から著者に手紙が届いたときの様子を語ったくだりが泣かせます。
間違いなく母の字だと分かった。お母さんが生きている。ぼくは何度も何度も自分にそう言った。それは人生で一番幸せな瞬間だった。ぼくは泣き出し、同時に笑い出した。孤児院に来て以来、一生懸命つちかってきた自制心や強がりをみんな脱ぎ捨てて、ぼくにはお母さんがいて、だから、ぼくはまた子どもに戻ることができるのだ。
そうなんですよね。生きのびるために精一杯、背伸びをして大人を装っていたのをやめていいなんて、すばらしいことではありませんか。
 戦後まもなく、ドイツ人が楽しそうに話しながら歩いているのを見て、著者はバルコニーに機関銃をすえて、ドイツ人がぼくの家族にしたのと同じことをしたいと考えた。でも、そんな無差別な復讐をしたところで、父も祖父母も戻ってこないと気がつくのには、それから長い時間がかかった。そして、憎しみや暴力の悪循環を絶たねばならないと気がつくまでには、さらに長い時間が必要だった。憎しみや暴力は、罪のない人々の苦しみを増やすだけなんだ・・・。
 生きのびるって、本当にすばらしいことなんだと実感させてくれるいい本でした。

(2008年10月刊。1800円+税)

  • URL

2009年1月16日

働きアリの2割はサボっている

生き物

著者:稲垣 栄洋、 発行:家の光協会

 春になると、我が家の庭にも丸っこい可愛らしいマルハナバチがやってきます。ところが、大きな体をちっぽけな羽で飛びながら支えられるはずがない、という航空力学の難問とされていた。しかし、そのマルハナバチの飛翔能力は空気の粘り気をも計算に入れた高度で複雑な飛行原理によるものであって、その解明がいま進められている。
 コウモリは日本では昔から良いイメージの生き物だった。コウモリは発した超音波が反射して戻ってくるエコーをキャッチして物の位置を判断している。
 ガの体が毛でおおわれているのは、コウモリの音波を吸収してエコーを出さないようにするため。ガの体のフワフワに、そんな意味があったのですね。
 カタツムリはブロック塀を食べる。殻の材料になるカルシウムをブロック塀から摂取している。カタツムリは海の中に住んでいた巻貝の仲間が地上生活に適応して進化した貝。海の中の貝は海水に含まれるカルシウムを摂取できるが、陸上にすむカタツムリは石灰岩などから摂取するしかない。カタツムリは水中にすむ貝と違って肺呼吸をし、生まれたときに殻を背負って、大人と同じ形をしている。
 ナメクジは、さらに乾燥から身を守る殻をなくした地上生活の最新進化モデルだ。
 ウンカはセミの仲間。イネの汁を吸う。ウンカははるか中国大陸からジェット気流に乗って飛んでくる。
 秋の野山に目立つのは、大型のジョロウグモの巣。黄色と黒色のカラフルなジョロウグモは、秋の女王とも呼ばれる美しいクモだ。その規模は、おなか側から見ると怒った人の顔のように見える。ハハーン、そうなんですか、今度、よーく見てみましょう。といっても、寒くなったら姿を消してしまいました。いずれまた姿を現すでしょう。
 ジョロウグモの巣をよく見ると、ごく小さなクモが数匹、居候している。実は、この小さなクモはジョロウグモのオス。巣の真ん中でよく目立つクモは、すべてジョロウグモのメス。成体になったオスは、メスの巣にやってきて、メスのクモが成体になるのを待つ。メスが成体になるとすぐに交尾をする。
 えっ、まさか、交尾をしたあと、オスはメスに食べられてしまうのではないでしょうね……?
 身近な生き物たちにまつわる知らない話が満載の面白い本です。

(2008年11月刊。1300円+税)

  • URL

2009年1月15日

反・貧困

社会

著者:湯浅 誠、 発行:あざみの会

 全国2008キャラバン和歌山の記念講演を小冊子にしたものです。現代日本のかかえる深刻な問題がとても分かりやすく説明されています。わずか60頁たらずの小冊子なのですが、読み終わると小さな冊子が、とてもずっしりと重たく感じられます。それほど重量感のある素晴らしい講演内容でした。
 著者は結論のところで、「溜め」を社会全体で作っていくことを強調しています。私も本当にその通りだと思います。たとえば、人間関係がたくさんあって豊かであるというと、自分はがんばる、がんばれる、生きていればそのうちいいことがあるさ、と思える。そういうのは精神的な「溜め」があるということ。この「溜め」が全体として失われている。それが貧困だ。
 「溜め」があるかないかで、たとえ同じトラブルが自分の身に起こっても、その受ける影響というのは全然ちがう。
 生活困窮者は、ほとんど自分が悪いのだと思っている。しかし、社会の「溜め」がなくなってきているから、そんな人が増えているのだ。だから、社会全体の「溜め」を増やす、そういう人たちの居場所を増やす必要がある。それが家族であったり、地域や市民団体のつくる居場所であったり、労働組合であったりする。
 だから、貧困の問題を解消しようと思ったら、自分たちの職場や学校や家庭の「溜め」を増やしていかないといけないのだ。いやはや、ホント、ホント、本当にそうですよ。
 韓国には「希望の電話129」というのがあり、129番を押すと生活保護を担う部署につながる。うはー、そ、そうなんですか……。日本にも、こういう電話があるといいですよね。
110とか119だけじゃなくて、生活ピンチです、ホームレスになりそうです、というときにSOSを発することのできる電話があったら、どんなにいいでしょうか……。
 東京都内で働く契約社員の平均年収は340万円で、正社員だと平均年収が530万円。そうすると、正社員は自分は1.5倍とか2倍の給料をもらうに値する人間だということを常に証明しなければいけないことになる。つまり、低処遇の正規や非正規の人が増えていくと、正社員に要求される水準は高まっていく。このため、超長時間労働が広がり、うつ病とか過労自殺、過労死が過去最高になった。
 正社員が勝ち組で、非正規が負け組なんて大嘘だ。現実に起きているのは、過労死するほど働くのか(正社員)、あるいは働いても食べていけない(非正社員)のか、過労死か貧困化というような究極の2者択一を迫られる労働者が増えている。どちらも負け組だ。
 日本のホームレスは、40代とか50代の健康な中高年が圧倒的多数を占めている。ヨーロッパでは、ホームレスは基本的に依存症の問題である。だからヨーロッパから日本に視察に来た人は、健康な人がなぜホームレスになっているのか信じられない。それは、日本にはセーフティネットがきいていないから。たとえば、雇用保険に入っていないので、失業保険をちゃんともらえない。
 生活保護基準以下で生活している人が600~850万人もいる。これは大阪府の人口より多く、東京23区の人口に匹敵する。
 貧困は労働市場が増えたため、増えている。その人たちの貧困を放置しておくと、「ノーと言えない労働者」となって職場に戻ってくる。そこで、労働の自由化というのは、貧困の問題とは労働市場が壊れた「結果」であると同時に、労働市場を壊す原因にもなっている。
 今の日本では年収400~800万代の人々が年々減っていて、中間層が年々減っている。純金融資産1億円以上の富裕層は、今や日本に150万人もいる。そして、生活保護を受けている人は154万人なので、両者はほとんど同数だ。
 世の中に実際いるのは、ほどほどにまじめで、ほどほどにいい加減で、だけど「生きていけてる人たち」と、ほどほどにまじめで、ほどほどにいいかげんな人たちなのです。
 そうですよね、そんなフツーの人たちがお互いを支えあって生きているのが、人間社会なのだと思います。
 それにしても、今回の著者を「村長」とした「年越し派遣村」の発足と活動には目を見張りました。まさに政治を大きく動かしました。ホームレスになっている(なりかけた)人が、500人も日比谷公園に集まり、その支援活動に2000人近い人がボランティアに駆けつけたのを知って、まだまだ日本も捨てたもんじゃないな、と思いました。
 派遣切りなんて、やめさせましょうよ。人間を使い捨てする企業って、いったいどこに社会的な価値があるのでしょうか。日本経団連御手洗会長の他人事みたいなセリフは絶対に許せません。

(2008年12月刊。500円+税)

  • URL

2009年1月14日

民主党

社会

著者:伊藤 惇夫、 発行:新潮新書

 著者は民主党の事務局長を4年つとめた人です。ですから、インサイド・ストーリーとしても面白く読めます。
 民主党の「わかりづらさ」のひとつは、わずか10年の間で、めまぐるしく体制が変わっていったことにある。民主党には、旧・新・現の3つの時期がある。
細川政権の末期(94年)、自民党を離党して連立政権に参加するのにもっとも積極的であり、最後の土壇場で寝返ったのは山崎拓だった。この事実は覚えていい。うへーっ、そうだったんですか・・・。
 「旧」民主党は「ゆ党」とも呼ばれた。野(や)党でも与(よ)党でもない。その中間のゆ党だというわけだ。な、なるほどなーるほど、言い得て妙ですね。
 小沢一郎はなぜ新進党を唐突に解党したのか。それは党内の批判勢力と妥協するより、思い切って解党したうえで、自分に絶対服従を誓う信奉者を100人ほど引き連れ、梶山静六官房長官との間でひそかに進めてきた「保保」連立を実現しようとしたのだ。ふむふむ、そういうことだったのですか……。
 当事者の大多数が決して積極的に望んではいなかったのに、紆余曲折を経ながらも、1998年4月に「新」民主党が誕生した。衆議院93人、参議院38人の計131人だった。近づく参議院選挙で生き残るための選択だった。
 その直前まで小沢を「悪魔」と罵っていた野中広務・官房長官は小沢一郎に土下座した。そこで、小沢一郎は崩壊寸前の小渕政権救出に乗り出した。この時点での小沢一郎は自民党の救世主だった。このあと、野中広務は次のように言った。
「相手が同じ人間だと思わなければ、土下座くらいできる。一度、連立に取り込んでしまえば、こちらのもの。小沢とその周辺の数人以外は、やがて自民党に呑み込める」
民主党が考えるより、自民党ははるかにしたたかだった。小泉首相ブームが起き、小泉首相の派手なパフォーマンスばかりが目立つ中で、民主党はカヤの外に置かれた状態が続いた。
 菅の民主党と小沢の自由党が合併した(03年7月)。これは追い詰められた者同士が、ワラをもつかむ思いで相手に救いを求めた結果であって、決して前向きの選択とは言えない。
 民主党の議員の多くは、組織体を構成しているという意識が希薄である。民主党の代表の座は、決して居心地のいいものではない。小沢以外の4人すべて、理由はいろいろあるが、任期途中で代表の座を追われている。
 なぜ民主党代表は頻繁に交代するのか? それは民主党を構成する議員の大半が「風頼み」であり、他力本願だから。民主党には、「連合」意外に目立った支援組織がない。頼るべきは風であり、その如何は、看板(代表)が小綺麗で客を呼び込めるかどうかにかかっていると考えている。大半の民主党議員にとって、代表は「追い風発生装置」に過ぎないから、みんなで代表を守り、もりたてていこうという意識はほとんどない。ふむふむ、この詩的には納得しますよね。
 いま現在の民主党は若手中心、結党後に当選した者が多い。しかし、民主党の幹部の大半は政党変遷者である。そして、いまの民主党を動かしているのは旧党出身者である。小沢一郎は、民主党から新生党、新進党、自由党そして民主党に渡り歩いてきた。
結党から10年たった民主党の党員は4万人ちょっと。サポーターにしても22万人ほど。党員は年会費6000円、サポーターは年2000円。ただし、代表選ではサポーターは党員と同じ1票がある。
 民主党は税金でまかなわれている党だ。その131億円の収入のうち、国から貰う政党交付金は110億円。国への依存率はなんと84%。
 そして、議員1人に月65万円も支給される立法事務費がある。民主党全体では15億になる。
 なんということはない。民主党は国民の税金で成り立っているのだ。うへーっ、こんな、おかしな政党ってありませんよね。これではまるで「国立」政党ではありませんか。私は、政党交付金は直ちに廃止すべきだと思います。もちろん、企業団体も禁止すべきです。有権者一人ひとりからの献金しか政党は受け入れるべきではありません。アメリカも、基本的な考えはそうなっているでしょ。

(2008年12月刊。700円+税)

  • URL

2009年1月13日

ちひろの絵のひみつ

社会

著者:ちひろ美術館、 発行:講談社

 私の大好きないわさきちひろの絵がどうやって描かれているのか、その謎を少しばかり解き明かしてくれる本です。ちひろ美術館で買い求め、売店の隣の喫茶コーナーで、昼食代わりのスープをいただきながら読み始めた本です。
 ちひろが主として用いたのは、透明水彩絵の具だ。透明水彩絵の具は、顔料の粒子が細かく、水を加えて薄く塗っても色が鮮やかで延びもよいのが特色。重ね塗りすると、下の色が透けて見えるという性質もあるので、一度塗ったら塗り直しが効きにくい。
 ちひろの絵には、ボカシの手法が効果的によく用いられていると私は思います。
 潤筆法とは、筆に水を多く含ませて、絵具をにじませる。絵の具が乾く前に別の色を置くと、色が混ざり合い、複雑な色調が得られる。たらし込みとは、たっぷりと水を含んだ筆で、たとえば茶色を薄く塗り、その色が乾かないうちに濃い茶色を置く。濃い色が薄い色に滲みこんで乾き、偶然的な色のたまりができる。
 ちひろは水彩絵の具の水に溶ける特性を生かし、やわらかで清楚な、独特の色調を生み出した。絵の具が乾かないうちに筆を走らせて流れを作ったり、水気を吸いとったり、ときには意図どおりに色が広がるように画用紙を傾けたり、広がりを止めるためにドライヤーで乾かしたり、絵の具のにじみをコントロールするために、さまざまな工夫をこらしている。
 ちひろは左利き(ギッチョ)なのですね。ちひろが絵を描いている写真を見て初めて知りました。ちひろは左利きだったから、右側から外光を取れるように画机を配置し、左側にはパレットや筆、筆法などの画材を並べ、中央の大きなスケッチブックの上に画用紙を広げて絵を描いた。東京のちひろ美術館には、ちひろのアトリエが一室そのまま再現されています。
 混色には、パレットで色を混ぜ合わせたり、乾いてから色を重ねたりする方法もあるが、ちひろは紙の上に水分がある状態で色を重ねて、互いの色を滲み合わせることが多かった。ちひろの絵の配色に着目してみると、補色を効果的に用いた作品が多く見られる。捕食とは、紫と黄、青と橙、緑と赤のように色相環で反対側の位置にある色を言う。同系色の色同士は調和しやすいが、画面に緊張感を欠きやすい。ワンポントとして補色を加えることで、画面の印象は大きく変わってくる。
 ちひろの絵は、視覚でとらえた色よりも、心で感じた色を表現することに、より重点が置かれている。とくに背景の色の選び方は大胆だ。たとえば、牧場にいる子どもたち。普通なら緑色の草原のはずなのに、ちひろは赤で描いた。そして、何ら違和感がない。
 黄色い背景の中に座る少女は、黄色い背景が夏の日差しを感じさせると解説されています。ムムム、なるほど、黄色は夏の太陽光線を感じさせます。
 ちひろの絵に登場してくる子どもたちの目もすごく印象的ですよね。
 ちひろが描く子どもたちのほとんどにまゆ毛や白眼が描かれていない。白眼を描くと、視線の方向が限定されてしまう。眉毛を省略し、あえて黒眼だけを強調して描くことで、夢見るような子どもの無垢な表情が引き出される。
 目を黒く平板に描くだけでは、マンガのキャラクターのようになってしまう。ちひろは子どもたちの心の動きに合わせて、それぞれに眼の色の濃さを変えたり、目のふちを示す線に強弱をつけ、生き生きとした表情を生み出している。
 ちひろの眼の描き方は、瞳に黒や茶、灰色などで色を入れる場合と、線だけで描く場合の大きく二つに分けられる。良く見ると、まぶたや目じりの線の強弱の付け方、瞳の形などが一つ一つ違う。ちひろは、子どもの性格や年齢、心の動きに合わせて描き分けた。
 ちひろは瞳を最後に描き入れることが多かった。絶筆になった赤ちゃんの絵も、最後に瞳を入れて達成させた。そのときの瞳の色は、淡いグレーだった。
 画家を志してから、ちひろはどこへ行くにもスケッチブックをたずさえて、鉛筆を走らせた。絶えず周囲を観察し、形を捉えようとする画家の情熱は、表現を支えるデッサン力として実を結ぶ。
 やっぱり、ちひろの絵っていいですよねー……。大好きです。
 正月休みに、一泊の人間ドッグに入りました。40歳になってから、年に2回うけています。日頃読めない分厚い本を6冊持ち込み、一心不乱に本を読みふけるのが楽しみです。泊まりは今はホテルです。山の中にポツンと建つリゾート・ホテルです。地元のホテルからハゲタカ・ファンドに買収され、今は韓国資本です。そのせいか、お客にも韓国人が多く、ホテル内にはハングル文字が目立ちます。夕食はバイキングです。私は、これが苦手です。ダイエットをしていますので、控え目に食べようと思うのですが、バイキングだと小皿にいくつも、何回も盛りつけて食べられるので、どれくらい食べたか分からなくなります。お風呂には露天風呂もあり、見上げる半月が皓皓と輝いていました。
(2008年8月刊。1600円+税)

  • URL

2009年1月12日

甲骨文字に歴史を読む

中国

著者:落合 淳思、 発行:ちくま新書

 中国の殷(いん)王朝は、今から3000年以上も前に存在した実在の王朝である。文字史料である甲骨文字によって、殷王朝の社会、税や戦争などを知ることが出来る。甲骨文字は、形こそ大きく違うが、現在の漢字と同じ構造をしている。甲骨文字は、亀甲や牛骨に記されている。
 当時の中国には、黄河中流域にも象が生息していた。占いだけでなく、殷墟遺跡から象の骨も発見されている。
 甲骨文字でつかわれた数字は十進法であり、桁(けた)の概念も存在している。
 殷代には、工業や土木建築の技術が進んでおり、数千人の人員を動員することがあるため、数字を使う機会も多かった。
甲骨文字には時刻の表記も見られる。ただし、時刻というより、時間帯といった方がいいだろう。殷代には季節は春と秋のみ。1年はあったが、季節が循環するものとみていた。ただし、暦は正確なものがあった。
 中国の殷代に、奴隷は社会階層をなすほど存在しておらず、戦争捕虜しかいなかった。
 殷代の王は、祭祀権、軍事権、徴税権、徴発権を持っていた。
 巨大な城壁の建築は、一般の農民を徴発して行った公共事業によって作られた。
 殷の最後の紂王は、暴君の代表とされていて、酒池肉林で有名だ。しかし、甲骨文字によって殷の歴史を見ても、紂王が暴君であったという証拠は見つからない。
 殷が滅びた原因は、実際には酒ではないのだが、そのあとの周王朝は酒によるものと主張した。事実よりも、戦勝国である周王朝の宣伝が「歴史」として定着したのだ。それに何百年もかかって尾ひれがついて、最終的に「酒池肉林」という伝説が形成された。
 ふむふむ、そういうことだったのですか。なるほど、なるほど、これって、よくあることですよね。それにしても3000年も前の甲骨文字をスラスラと解読し、それを歴史の事実に当てはめていくという作業は大変なことだろうと思います。学者って、すごいですよね。いつものことながら、感心してしまいます。

(2008年7月刊。720円+税)

  • URL

2009年1月11日

先生、シマリスがヘビの頭をかじっています!

生き物

著者:小林 明道、 発行:築地書館

『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます』に次ぐ第二弾です。面白いです。
自然に恵まれた鳥取環境大学とその周辺で起こる、動物や学生を巻き込んだ事件がいくつも紹介され、なるほど、人間動物行動学というのはこういうものをいうのかと、悟らされます。
タヌキは哺乳類の中では大変珍しい「一夫一妻制」の動物である。父親が母親と同じくらい子どもに密着して世話をするのも珍しい。出産直後から、父タヌキは母タヌキと交代で生まれた赤ん坊を抱いて体で温める。うひょお、こんなことって、ちっとも知りませんでした。我が家のすぐ近くにある草ぼうぼうの荒れ地にタヌキ一家が昔から住んでいるのは間違いないようですが、まだお目にかかったことはありません。
シマリスがヘビに出会うと、自分の方からヘビに近づいていき、毛を立てて膨張した尾を大きく揺らしたり、人が地団駄を踏むように足で地面を踏み鳴らしたり、ときどきヘビの方を向いてピチッと鳴いたりする。うむむ、怖がって逃げ出すばかりではないようです。
ヘビを麻酔注射して動かないようにしておくと、シマリスはヘビの頭をかじり始めた。そして、かじりとった皮膚の一片を口のなかでかみほぐしたあと、自分の体に塗りつけはじめた。別の機会にはシマリスがヘビの尿(ヘビの尿は練り歯磨きのような白い半固体状になっている)をかじって、身にぬりつけていた。シマリスは自分の体にヘビのニオイをつけることによって、ヘビの補食から逃れやすくなるのだ。な、なーるほどです。そういうことなんですか・・・。
身近な動物たちの意外な生態が解明されていくのを知るのは楽しいものです。いやあ、世の中って、知らないことばかりですよね。

(2008年10月刊。1600円+税)

  • URL

2009年1月10日

弁護士が書いた究極の読書術

社会

著者:木山 泰嗣、 発行:法学書院

 かつて本を読まなかった著者は、今では年間400冊の単行本を読んでいるそうです。子どもの頃から本が好きで、小学校以来、図書館に入り浸っていた私は、今では年間
500冊は読みます。最高記録は700冊をこえます。弁護士会の役員として全国を飛びまわっていたときのことです。私にとって移動時間は、すべて読書タイムです。片時も本を離しません。車中は睡眠時間、という人が世の中には多いと思いますが、私は車中は胸をワクワクさせながら本を読みふける楽しいひとときです。そのためには、夜、布団のなかできちんと寝ておくことが絶対に不可欠です。寝不足のまま電車や飛行機に乗ったら、本は絶対に読めません。読んでも、速読はできません。速読するには、精神の集中力が必要なのです。
 本を楽しく読むためには、義務感、速度、効率というものを全部、忘れてしまう。そんなものを意識する必要はない。そうなんです。私も、楽しいから本を読むのです。その世界に浸りきります。
 本には「無限の宝」が眠っている。読む人の意識と好奇心によって、得られるものに雲泥の差が出る。ホンモノの本に出会うと、エネルギーを感じる。しかし、そのエネルギーを感じるためには素直な心が必要である。ふむふむ、そうです、そうなんです。
 過去は過去でしかない。毎日懐かしむものではない。けれど、生まれた瞬間から亡くなるまで、常に変化を続けるのが人間だ。ふっとした瞬間にノスタルジーを感じておくことも大切だと思う。心の奥底で眠っている懐かしい思い出や気持ちを大切にすること。本にはノスタルジーという宝も眠っている。いやあ、そうですよね。
 同時並行で大量に読むことは、好奇心にガソリンを注ぎ続ける行為だ。
 私はいつもカバンのなかにハードカバーを2冊、新書版を2冊は入れて持ち歩いています。片道1時間の車中で1冊読むというペースです。これが何よりのストレス解消法です。
 ちなみに、昨年読んだ本は509冊でした。読書ノートに一口コメントをつけて記録しています。読書ノートは大学生のころからつけています。
(2008年12月刊。1600円+税)

  • URL

2009年1月 9日

最高処刑責任者

アメリカ

著者:ジョセフ・フィンダー、 発行:新潮文庫

アメリカにある日系家電メーカーの営業マンが苦闘する日々が描かれています。ソニーやパナソニックと肩を並べる世界有数の家電メーカーに勤めているのですが、そこには敏腕営業マンの引き抜き合戦があり、リストラありの厳しい世界なのです。
そして、日本は東京から送られてきたお目付役の日本人が職場を巡回して仕事ぶりを点検します。その日本人は、ごたぶんにもれず、パイロット御用達の分厚いめがねをかけ、およそ個性に欠けるが意見の持ち主だ。公式の肩書きはビジネス・プランニング担当マネージャー。その実態は、夜遅くまでオフィスに居残り、電話やメールで探題の仕事をする。ただし、英語は苦手なので、スパイ活動には困難がともなっている。
主人公の営業マンを助けるのは、もとアメリカ陸軍の特殊部隊にいたスポーツ万能選手です。イラクやアフガニスタンにおける戦場での体験を生かして会社での主人公の立身出世を助けるという展開なので、それはないだろ、と、つい叫び声をあげてしまいそうになりました・・・。
お荷物を雇っておく余裕が、うちの会社にはもうないのだ。これからは、ダーウィン流の生存競争でいく。もっともタフな者だけが生き残れるというわけだ。東京に対して、うちの数字が短期間に大幅に改善するところを示す必要があるのだ。
いやあ、これって目下、日本で進行中の事態ですよね。あんまり似たセリフなのでおかしくて笑いながら悲しくなって涙が出てきました。
株主配当という短期的な業績確保のため、社員をモノ扱いする。この風潮はアメリカ崇拝から導入されました。アメリカの経営者のように年収数百億円もらいたい。労働組合なんて踏みつぶせ。労働者はいくらでも替わりがいる捨てゴマに過ぎない。経営者と労働者は、そこでは持ちつ持たれつの関係ではありません。残念です。
そこには企業の社会的責任なんてカケラもありません。それを率先しているのが日本経団連の前会長のトヨタ、現会長のキャノン、それから、イスズ、ソニー、そしてIBMですよね。ひどいものです。こんな企業経営者たちに、日本人は愛国心が足りないなんて言ってほしくありませんよ。このところ同じようなことを何回も書いていますが、書かずにおれない気分なのです。ゴメンナサイ。
(2008年11月刊。667円+税)

  • URL

2009年1月 8日

潜入工作員

アメリカ

著者:アーロン・コーエン、 発行:原書房

カナダ生まれ、ビバリーヒルズ育ちのユダヤ人青年がイスラエルに渡って猛特訓を経て対テロ特殊部隊員になる展開です。その訓練のすさまじさがひしひしと伝わってきます。
 両親が離婚し、母親はハリウッドで脚本家、プロデューサーとしての仕事をしはじめた。そのためアーロンは、子どものころ、幾度となく引っ越し、学校もしばしば変わった。
 こんな生活が幼い精神にどれほど混乱を与えたか。ためらいや不安を押し隠し、思考的な壁をめぐらせて、何事にも動じないふりをする術を身につけた。なーるほど、そういうことなんですね。ふり、でしかないのですか・・。
 若い世代のイスラエル人は、もはや分かち合いの犠牲的精神に魅力を感じなくなっている。そのため、キブツでは、手作業や工場での労働に、パレスチナアラブ人やアフリカやアジアからの移民を雇わざるをえなくなっている。そして、キブツの青年たちの中に、麻薬中毒患者の割合が非常に高くなっている。キブツも変わりつつあるようです。
 訓練が始まった。運が良ければ疲労困憊のすえに4時間ほど居眠りできた。将校たちは、1日20時間、ノンストップランニングや腕立て伏せや腹筋運動を課した。そのうえ、24時間内、ずっと眠らせてくれない日もあった。まるで悪夢だ。絶叫、ストレス、苦悩、落胆、そして涙。
 体力的にも精神的にも強さが試されると同時に、あらゆる人格的側面も評価された。誠実さ、スタミナ、正直さとチームワーク、プレッシャーの中での思考力に、状況判断力。教官は、訓練生をバラバラに分解し、ひっくり返し、心の深部に潜む真の姿に迫ろうとする。そして1週間、毎日24時間、ヘブライ語で怒鳴り続けられた。
 毎日の訓練は、適者生存の法則に支配されていた。少しでも弱みを見せると、たちまち攻撃され、食いものにされ、容赦なく罰せられる。100人の内99人までが送り返される。ここで生き残るためには、思情のないロボットに、戦うための機械になりきらねばならなかった。
 基礎訓練のあいだ中、共感は嵐のように訓練生を容赦なく苦しめる。教官は何度もこう言った。
「お前らは役立たずだ。お前らなど必要ない。」
肉体的苦痛だけでも十分きつかったが、精神的加圧はさらに耐え難かった。絶え間なくからかわれ、ののしられる経験は、それまで味わったことのない経験だった。
 長い年月のあいだに、訓練中の若者が命を落としている。基礎訓練のあいだに、体力的にも精神的にも限界ぎりぎりまで追い詰められた。
 基礎訓練で唯一良かったといえることは、睡眠のありがたさが身にしみて分かったこと。ごくわずかな時間でも、最大限の眠りを得られるような身体に鍛え直された。床につく時間が5時間あれば、きっかり300分のあいだ目を閉じていた。夢さえも見ることはなかった。消灯とともに目を閉じたかと思うと、次の瞬間には、起床ラッパとともに目が覚めた。
 睡眠を奪われることは、軍隊生活のもっともつらい面の一つだった。ドゥヴデヴァンは、イスラエル軍で唯一、対テロ作戦を専門とする部隊である。占領地で、隠密に対テロ作戦を遂行することが唯一の目標なのだ。
 そこの訓練は、たとえば、こういうもの。攻撃性トレーニング訓練は、長い一日の野外訓練のあと、バスに乗り込んだとたん、教官が叫ぶ。
「20番の席に座った者は、3番の席に移動しろ。残りの者は全力でそれを阻止せよ」
 バスに乗っている者全員が車内で全力を尽くして戦わなければならない。殴られることへの本能的な恐れを克服するのが、この訓練の狙いだ。無差別暴力、全員参加の乱闘騒ぎだ。基地に着くまでのバス内の2時間、攻撃性トレーニングはノンストップで展開される。2ヶ月のあいだ、毎日30人から40人の相手と戦っていると、人間の精神に重大な変化が起こる。本来備わっていた攻撃性が強められ、常にスイッチが入った状態になる。攻撃性トレーニングは人間の精神に深く浸透し、永遠に人を変えてしまう。
 射撃訓練は、一人につき、1週間に5000発を打つ。反応速度が向上するにつれ、1秒間に3発を続けざまに打ち、いずれの弾も狙った場所を正確に撃ち抜けるようになった。さまざまな距離から正確にターゲットを選んでの狙撃術や、走りながら、あるいはバリケードや壁をまわりこみながら銃を撃つ技術を磨くには、繰り返し何千発も実弾を撃つしか方法はない。
 基礎訓練が始まるときに40人いた訓練生は、2週間も過ぎたときには14人に減っていた。特殊部隊の兵士を育成するには、1人50万ドルから100万ドルの経費がかかる。
 実戦では、あらかじめ決められていた手順にこだわらず、臨機応変に作戦を変更する心構えが必要だ。ロボットにはなるな。第一の作戦がダメなら、第二の作戦、それがダメなら第三の作戦で行く。
 特殊部隊には、対テロ攻撃によって愛する身内を失った経験のある人は入れない。復讐心で正しい判断を失っている者は排除される。作戦遂行中は、感情は厄介者でしかない。判断力を鈍らせ、自分やチームの仲間を死に追いやる。この種の仕事には、客観的で冷たい無関心が必要とされる。
 イスラエル軍がハマスの幹部を次々に殺しているようですが、この本にも幹部を拉致した時の状況が描かれています。周到な準備をして、完璧な欺騙工作によって瞬時のうちにからめ取るのです。
 でも、力で抑えようとしても、結局のところ、反発を生んで暴力の連鎖が深く広がるだけではないでしょうか。
 イスラエルの対テロ特殊部隊の実像の一端が語られている本です。著屋は志願して猛特訓を経て特殊部隊に入ったわけですが、3年間そこにいて、これ以上はもたないと思って退役しました。人を殺すことが人間として耐えられなかったのです。いくら猛特訓をしても人が人を殺すことに慣れてしまうことはできないようです。そうですよね、やっぱり。
 大晦日は、いつも近くのお寺に除夜の鐘をつきに出かけます。山の中腹にある古いお寺です。歩いて20分ほどのところにありますので、完全防寒スタイルを整えて12月31日の夜10時40分ころ出発します。フトコロには生命の水(オードヴィ。つまりブランデーと、アイポッドを市のまえます。どんなに寒い冬でも、坂道を上がっていくと、汗ばむほどになります。お寺の境内には、ちゃんとたき火が用意されています。丸太を組み合わせた本格派のたき火ですので、何時間かは持ちます。
 このところ、到着するのは先頭から3組目ほどです。毎年、一番手の顔ぶれは変わります。私が、年越しの除夜の鐘つきに来るようになったのは、もうかれこれ30年前になりますので、最古参であることは間違いありません。
 今年は鐘つきに並ぶのは少ないのかなと心配しながら待っていると、11時半過ぎになって急に参列する人が増えました。なかには小さい子どもや犬連れもいます。私は列に並ぶと、アイポッドを操作してシャンソンを聞きます。しばらく好きな歌を聴いたあとは、NHKのフランス語講座も聴いて、しっかりフランス語を復習します。なにしろ、語学はリピートが大切なのです。耳慣らしを怠ると、たちまち上の空になってしまいます。
 やがて12時が近づいてきました。先ほどはポツポツと小雨が降る気配すらあったのに、いつのまにか星も見えています。大きな北斗七星がくっきりと頭上高く見えだしました。
 鐘つきを始める前に、若いお坊さんが高齢の簡単な挨拶をします。今年は非正規雇用の人たちが解雇されるなど、厳しい状況でもありますが……、という話でした。短い言葉の中にも、今の世相を反映しているなと思いました。除夜の鐘をついたあと、紅白の小さなお鏡もちをいただいて帰ります。
 その前、0時になったとたん、遠くにあるレジャーランドから続けざまに花火が打ち上がるのがきれいに見えました。いつもは音だけだったのですが、邪魔になっていた林が霧払われて見通しが良くなったおかげです。
(2008年11月刊。1800円+税)

  • URL

2009年1月 7日

ネコはどうしてわがままか

生き物

著者:日高 敏隆、 発行:新潮文庫

ウグイスが、なぜ、あんなによくさえずるのか?それはウグイスが、なわばり制の鳥だから。ホーホケキョという声は、オスのなわばり宣言なのだ。オスは、こうして守っている自分のなわばりの中に入ってきたメスとつがうのだ。
ドジョウはひげで水底に触りながら、あちらこちらと探ってまわる。食べものは水底で半ば腐った、分化した有機物を食べる。もともと溶けたようなものだから、効率よく腸に吸収され、かすなど残らない。だから、ドジョウの糞は、一緒に吸い込まれた土砂の粒だけ。つまり、ドジョウは糞を出さない。うへーっ、そ、そうなんですか。知りませんでした。
水上のミズスマシは、空中からの敵と水中からの敵と、両方に備える必要がある。だから、もともと左右一つずつある目が、それぞれ上下2つに分かれた。だからミズスマシには目が4つある。うひょーっ、目が4つもあるんですか・・・。
では、ミズスマシは前方をどうやって見るのか?それは波で見る。つまり、水面の波を触角でとらえ、前方の様子を知る。ミズスマシは水面の波にひかれ、その波の源へ近寄っていこうとする。これを走波性という。近寄ってみて異性と分かったら、すぐさま生殖行為に移る。同性だったら、離れようとしてはまた戻るのを何回か繰り返して、ようやく離れていく。
アメンボは、6本ある肢のうち4本の肢の先が油気があるので、水の表面張力で浮かんでいられる。残る2本の肢は油気がないので水にぬれる。この2本の肢を水につっこみ、オールのようにして水をこぐ。だからアメンボは、右にも左にも自由自在に水上をすいすい走ることができる。アメンボは異性に対しては、前肢で水をたたいて波の信号を送る。お互いに前肢で波の信号を送りかわして思いを遂げる。モグラは土の中にトンネルをはりめぐらす。ミミズがそのトンネルに落ちて驚きばたばた音を立てると、その音を聞きつけてモグラが走ってきてミミズを食べる。モグラは目が見えないから、明るくした金鋼パイプの中を走り回る。
 カラスは直径10メートルもあるという大目玉の気球を怖がる。
 カタツムリのセックスは大変だ。ともかく、お互いが男であり、女であるわけだから、一匹の中の男と女が両方とも、その気にならなければならない。出会った2匹は角でなであい、体を触れてくねらし、頭のこぶをふくらませてこすり合って、何時間もかけて口説きあう。ときには半日も一日もかけてやっと機が熟するとお互いに長いペニスを伸ばし、それを互いのメスの部分に挿入する。そして、また長い時間をかけて精子を出す。
タイトルは忘れましたが、このカタツムリのセックスを映像にしたフランスのドキュメント映画があります。いやあ、まるでポルノ映画を見ているような錯覚に陥り、体中ぞくぞくするほど、なまめかしい映像でした。
トンボは、4枚の「はね」を全部別々に動かすことができる。トンボは、独立して羽ばたく4枚の「はね」で「はね」の角度を変えたりできるので、翼が回転するだけのヘリコプターである一般の昆虫より、もっとデリケートな飛行を楽しんでいる。
夕方になると、スズメたちは街路樹に集まって、大変な騒ぎをかき立てる。だけど、なぜ、こんなに騒ぐのか、人間は解明できていない。
ツバメが家の出入り口に巣をかけるのはスズメのため。ツバメはスズメを嫌っている。スズメからヒナがいじめられたりするからだ。それでスズメがやってこないところに巣を作ろうとする。スズメは人間を大変に警戒している。人が絶えず出入りする家の入り口には絶対に巣を作らない。だから、ツバメは、この性質の裏をかいて、できるだけ人の出入りの多い家の軒先に巣を作る。
一匹でじっと獲物を待ち伏せるネコと違い、イヌは歩き回って獲物を探し、見つけたら、追いかけていって狩りとる動物だ。イヌは歩き回ることは、全く苦にならない。それどころか、それが楽しみだ。
イヌをあまり大事にしすぎると、イヌは勘違いする。自分こそがリーダーだと思って、飼い主の言うことを聞かず、勝手気ままに振る舞う。そこで、訓練所では、トレーナーがイヌに鎖をつけて引きまわす。イヌに、リーダーは、自分ではないことを思い知らせるのだ。なーるほど、ですね。
本来は単独生活しているネコたちで親密なのは、親子関係だけ。親子といっても、父親との関係は全くない。子どもは自分の父親を知らない。子どもが知っているのは、授乳して世話をし、育ててくれる母親だけ。子猫が鳴けば、母ネコは飛んでくる。しかし、母ネコが鳴いて子ネコを呼んだからといって、子猫は母ネコのところに飛んでくるわけではない。
ネコたちの「わがまま」は、これで理解できる。
生き物について、さらに理解することができました。とても面白い本です。

 あけましておめでとうございます。今年もぜひご愛読ください。
 お正月は、朝起きて雨戸をあけると薄暗く、雨でも降りそうな気配でした。お節料理をいただいていると、やがて音もなく雪が降ってきました。綿をちぎったようなボタン雪です。地表に落ちた雪は積もる感じではありません。やがて雪は一段と激しく降り、多難な幕開けを予感させました。ところが、ひとしきり降ったかと思うと、そのうちに雪は止み、薄日が差し始めました。午後からはすっかり晴れ上がり、今年の景気も、これほど早く回復してくれたらいいなと思わせます。年賀状を読み終え、ポカポカ容器に誘われて庭に出て、クワをふるって畑仕事を始めました。これが何よりのストレス解消です。畳一枚分の土地を掘り起こすと、ふーっ、と、ため息をもらし、腰に手を当ててしまいます。球根を植えかえてやるのです。球根はどんどん分球していきますので、それをうまく分けて植え付けます。娘から、「それは何という花なの?」と訊かれますが、悲しいことに球根を見て分かるのは、チューリップのほかはダリヤくらいです。花が咲いたら、もう少し花の名前を言うこともできるのですが・・・。
 庭を掘り起こしていると、いつもの愛嬌いいジョービタキがやってきます。やあ、がんばっているね。そんな感じで、声をかけてくれます。これは本当のことです。スズメより一回り大きい名を知らない灰茶色の小鳥もやってきました。掘り起こしたあとの虫を狙っているようです。黄色いロウバイの花が盛りです。においロウバイと言って、通りかかった近所の人がロウバイの匂いですねと声をかけるのですが、残念なことに鼻の悪い私はロウバイの匂いはかすか過ぎて、よく分かりません。
 正月を過ぎて、少しだけ陽の落ちるのが遅くなった気がします。1月3日は、夕方5時10分に日が沈みました。それから30分間、5時40分ころまでは夕方の明るさです。春が待ち遠しいです。
(2008年6月刊。400円+税)

  • URL

2009年1月 6日

黒の狩人

社会


著者:大沢 在昌、 発行:幻冬舎

新宿警察署の刑事が特命で事件を担当することになります。そうです。舞台は、いつもの新宿。新宿の闇にうごめく黒社会の連中と、それにまつわる警察官たちが登場します。ヤクザの用心棒のような存在の刑事も登場してきて、大沢ワールドは、いつものように底知れぬ闇の深さを感じさせます。救いようのないほど深い闇が、この東京の一部に厳として存在するわけなのです。知らぬが仏とは、よく言ったものです。
私の事務所の若い女性事務員は、大学生の頃、上京したついでにみんなで歌舞伎町ツアーを敢行したと話していました。夜の歌舞伎町には昔、私も何回か行ったことがありますが、なんだかとても落ち着かない気分になりました。はっきり言って、怖い町です。
この本は、中国から出稼ぎでやってきた中国人たちの活動状況を底流としています。そこに中国政府の意向を代弁する中国の国家安全部の役人が関わってくるのです。もちろん、小説ですから、現実をどの程度反映しているのか、私には分かりません。
日本に来る中国人が一番ほしいのはお金だ。ところが、うまく金儲けできる人と、そうでない人がいる。うまく金儲けできる人の最初の条件は、日本語がうまいこと。お金儲けのうまくない人は、たいてい日本語が下手だ。それは、つまり、それだけ努力をしていないということを意味している。
台湾マフィアと中国マフィアは違いがある。台湾マフィアは、日本に来る前から本職だったところが、中国マフィアは、カタギが日本に来てマフィア化する連中が少なくとも当初は大半だった。もとが学生だから、頭もいい。パチンコの裏ロムや偽のクレジットカードも簡単に作れる。そのうえ、中国本土での犯歴がないので、指紋などのデータがない。
中国にいるときはカタギ、日本に来たらマフィア。これでは、捕らえようがない。ふーん、なるほど、そういうことなんですか。
かつて、簡単に稼いだお金を「あぶく銭」と呼んで、人は軽蔑した。しかし、今は「あぶく銭」をつかむ者が尊敬される。手段ではなく、目的優先の時代である。「成金」という、一代で財を成した者へつかわれる侮蔑的な呼び方もなくなった。かわりに広く使われている言葉は「セレブ」だ。このわけの分からない呼び方が広がっているのは恐ろしい。お金さえ持っていれば「セレブ」。それを見せびらかすことで憧れられる存在になるのが人生の目的と自負する人が増えた。そんな日本に対して、出稼ぎにやってくる中国人が好意を持つはずはない。いやあ、まったくその通りです。
ヤクザによる警官の買収には、実は限界がある。それは、ヤクザの側に、買収される警察官への侮蔑があるからだ。それを感じてもなお、たかり続けられるほど誇りのない警察官は、そういない。
中国は、日本と比べものにならないほど公務員の腐敗が深刻だ。買収に関しては、する側もされる側も、それに慣れていて、侮蔑や後悔の感情がなく、行為が成立する。
腐った警察官は、泥棒、強盗、詐欺師、あらゆる犯罪者よりもたちの悪い、職業犯罪者と化す。刑事殺しまで発生します。さあ、この続きはどうなるのだろうかと、ワクワクする思いで読み進めていきました。
夜の新宿をめぐる大沢在昌ワールドの真骨頂が描かれ、そのなかで主人公が活躍します。


(2008年9月刊。1700円+税)

  • URL

2009年1月 5日

失われた弥勒の手

日本史(現代史)


著者:松本 猛・菊池 恩恵、 発行:講談社

安曇野(あずみの)伝統というサブタイトルのついた古代史の謎とロマンを語る現代小説です。
平安時代から鎌倉時代にかけて、弥勒(みろく)仏が盛んにつくられていた。戦乱の余になって、絶望的な末法思想が広がった。民衆はどこかに希望を見出したい。そこに信仰が生まれる。
 弥勒菩薩は、釈尊が亡くなってから56億7千万年後に、この世に訪れて人々を救済すある未来仏だ。弥勒は、仏教の世界観で言うと、與率天(とそつてん)という。まだ修行的な段階なので、苦しくて足を組んでいて手を頬について瞑想にふける姿で表現されることが多い。これが半跏思惟(はんかしい)像だ。
 日本人の中にも渡来人だった人が多く存在する。大和朝廷の中枢にはたくさんの渡来人が居た。秦(はた)、錦織(にしきおり)、綾部(あやべ)、海部(かいふ)というのは、みな渡来系の姓である。
 岩戸山(いわとやま)古墳は、北部九州最大の前方後円墳である。「日本書紀」によると、大和朝廷は、新羅に奪われた仼那を奪還するために、近江毛野臣(おうみのけなのおみ)に6万の軍勢を率いて渡海させることにしたが、新羅は密かに筑紫君磐井(いわい)に賄賂を送って毛野臣の渡海を妨害させようとした。磐井は、肥(佐賀、長崎、熊本)と豊(福岡東部、大分)の2国の勢力で朝廷に立ち向かった。大和朝廷は、物部大連鹿火(もののべのおおむらじのあらかひ)を遣わして討伐した。磐井は継体22年(528年)11月、御井郡において激戦の末に斬られた。
 ところが、「筑後国国土記」には、磐井は、大分県の瀬戸内海に面したあたりに逃れたと記されている。岩戸山にある墓は、磐井が生前に造った寿墓というもの。磐井が逃げて捕まえきれなかった大和朝廷の軍勢が岩戸山の寿墓を壊したのだ。
磐井の乱によって大和王権から北九州を追われ、新羅に伽耶を追われた安曇族のかなりの集団が6世紀に信州(長野県)安曇野に移住してきた。そこには、すでに渡来系の人々の生活基盤があったからだ。このように、福岡・八女と信州・安曇野とが昔、密接な関連があったなどという話に目が開かれる思いでした。
 2世紀から4世紀まで、安曇族は志賀島を本拠地とし、糟屋(かすや)の屯倉(みやけ)をふくむ博多湾周辺を活動の中心地としていた。
 安曇族は、朝鮮半島南部の伽那や筑紫の君、磐井と強い繋がりを持っていた。ところが527年の磐井の乱のとき筑紫の君について負けたために本拠地を失い、各国に散らばっていった。たとえば、滋賀県。ここに志賀町や南志賀という地名がある。安曇と志賀という地名のあるところは、安曇族が転出していったところである。全国に50ヶ所以上もある。
 ふむふむ、日本の古代史も面白いですよね。この本は小説仕立てですから大変読みやすくなっています。

(2008年4月刊。1800円+税)

  • URL

2009年1月 4日

素行調査官

司法(警察)


著者:笹本 稜平、 発行:光文社

人事一課の監察係は、服務規程違反、つまり警察官の不品行や不公正を取り締まる部署だ。そんな役回りだから、外の部署の連中からは、蛇蝎のごとく嫌がられる。
近ごろ各都道府県警が力を入れている特別捜査官の枠で採用された中途入庁組。
実社会での経験や資格を持つ即戦力を登用するための採用枠で、ハイテク捜査官とも呼ばれるコンピューター犯罪捜査官、税理士などの資格を持つ財務捜査官、鑑識や科学捜査を担う科学捜査官などが知られる。随時、必要な専門分野で、採用試験が行われる。いずれも、着任時点で警部補や巡査部長であり、平の巡査からスタートする一般採用とは待遇に開きがある。
警察官の待遇はいい。一般に安いと見られているが、その給与水準は、今の民間の平均レベルと比べるとむしろ上回る。そして、低家賃の官舎に住め、警察官だけが利用できる低金利の融資制度がある。だから、30代の前半で都内に家が買える。
警視庁を除く道府県警察において、監察を担当するのは警務部署に属する監察官室という部署で、首席監察官が、その室長を兼務することが多い。
監察官は、上にいる連中にとって、署長に出世する前の腰掛け仕事だ。だから、嫌われるような仕事は絶対にしない。首席監察官なんて名ばかりだ。現場は生え抜きの古参たちに牛耳られている。やつらにとって、監察官の椅子は既得権益だ。カラ監察で所轄庁内の各部署に恩を売り、出世レースを盤石にする。いわば、ただで貰える賄賂だよ。
官僚社会というのは、なにごとも減点主義だ。出世するには、仕事上の手柄は特に必要ないが、失態があれば即座にコースからはじき飛ばされる。世間が考えているほど気楽 ではない。まあ、そうなんでしょうね。
気の合う同士が協力し合って互いの実績作りに奔走するのがキャリアと呼ばれる人種のやり方だ。そんな繋がりから派閥が生まれ、下々からは見えない世界で、熾烈な権力闘争が展開される。高いところに登ることしか興味のない猿の同類たちの伏魔殿。それが警察組織というものの正体だ。いやあ、そういうものなんですか・・・。
隣室を盗聴するコンクリート。これは、秋葉原で2万円ほどで買える。そうなんですか・・・。盗聴機器の性能は上がり、価格は遙かに安くなっている。設置もすこぶる容易になった。通信傍受法が制定され、捜査上の必要性が認められたら、司法機関による合法的な盗聴も可能となった。
物腰はすこぶる隠勲だが、それはキャリアの連中にはよくあること。同じ警察組織に属していても、普通採用の警察官と自分たちは別の種族だという過剰な自意識が透けて見える。
いくら出世したとしても、警察官僚の俸給はたかがしれている。しかし、高級官僚には、それを上回る余禄がある。警察に嫌われたくない業種は世間に多い。そういう業界から、栄転のたびに選別や祝い金が送られる。そして、退職後はそうした業界に天下る。東大や京大をトップクラスで卒業した英才たちが、こぞって警察官僚になりたがるのは、そうした余禄があることを熟知しているからなのだ。そうでしょうか。うしろ彼らは強大な権力を行使できることに魅力を感じているのではないでしょうか。
これを読んでオウム真理教と思われる犯人から狙撃されて瀕死の重傷を負った国松警察庁長官(当時)が住んでいた超高級マンションが、まさに警察官僚としての俸給では買えるはずのないものだと指摘されていたことを急に思い出しました。
異色の警察小説だと帯に書かれています。ストーリーの紹介はできませんが、いったいこの話はどう展開するのだろうかと、ハラハラドキドキしながら車中で読みふけりました。

(2008年11月刊。1700円+税)

  • URL

2009年1月 3日

絵が語る知らなかった江戸のくらし

日本史(江戸)

著者:本田 豊、 発行:遊子館

 前に「庶民の巻」というのがあるそうで、この本は「武士の巻」です。豊富な絵によって、ビジュアルなものになっていますので、活字で想像していたものとの異同を味わうことができます。
 隠れキリシタンは全国各地にいた。そして、「踏み絵」は全国どこででも行われていたのではない。実際には、キリスト教徒の多かった九州の天草や、その周辺に限られていた。ええーっ、本当でしょうか?
 隠れキリシタンの多くは非人に紛れ込んだ。鎌倉・由比ヶ浜の長吏頭(ちょうりがしら)のように江戸時代を通して隠れキリシタンだった者もいる。甲州(山梨県)をはじめ、各地の銅や銀山の鉱山労働者の中には、かなりたくさんの隠れキリシタンがいた。うへーっ、そうなんですか、ちっとも知りませんでした。
 江戸時代の武家屋敷は、大から小まで、表札は掲げていいなかった。武士は常在戦場を建前としていたからだ。これは前にも聞いたことがあります。時代劇で表札が出ているシーンを見た覚えがありますが、間違いなんですね。
 江戸をはじめ、城下町には必ず武士専門の口入屋(くちいれや)があり、かなり繁盛していた。口入屋には、武士専門の業者と商工業者向けの派遣業者の2種類があった。田舎から出てきた単身赴任の武士は浅黄裏(あさぎうら)と呼ばれて、からかわれた。着物の裏におもに浅黄木綿をつかっていたから。実用的で丈夫ではあったが、野暮天だった。
 この本は、「武士や名主・庄屋といった人たちの間では、離婚はありえなかった」としていますが、これは間違いだと思います。江戸時代の離婚は、上は大名・旗本から、下は町人・庶民にいたるまで、ありふれたことでした。日本は昔から離婚王国の国だったのです。それほど日本の女性の力は偉大でした。この点は、戦国時代の宣教師ルイス・フロイスの観察記にもありますので、間違いないところだと思います。
 江戸時代の出版物には、かなりの影響力があった。たとえ300部しか出版されなかったとしても、繰り返し読まれ、総計では何万人もの人たちがよんでくれる。したがって、出版物に対する幕府による統制は、厳しいものがあった。
 江戸時代の日本人も、けっこう伸び伸びと趣味を楽しんでいたりしていたようです。今の日本と共通するところが多いのは、やはり400年くらいで人間が変わるわけはないということなのでしょうね。
(2008年10月刊。1400円+税)

  • URL

2009年1月 2日

アメリカ・不服従の伝統

アメリカ


著者:池上 日出夫、 発行:新日本出版社

 イギリスからアメリカに渡ってきたピューリタンは「天命」の正しさを信じ、おのれの行為の神聖さを疑うことがなかった。だから、インディアンがピューリタンたちの持ち込んだ伝染病で死に、また、病気を恐れて逃亡していくことを見て、「神」がピューリタンにくだされた恵みであると信じた。
 ピューリタンのインディアン討伐の戦術は巧妙で、インディアンのある部族を懐柔して他の部族と戦わせ、そのあとで、その戦いで活躍した勝者の部族を壊滅させるということをした。また、別のところでは、インディアンの戦士を攻撃する代わりに非戦闘員である女や子どもを襲って虐殺した。戦士に恐怖心を起こさせ、戦闘意欲を喪失させることを狙ったのである。
 ピューリタンにおいては、人間的な良識や思想は異端視されることが普通だった。ピューリタンは宗教的・政治的に偏狭で非人間的な世界に生きていた。
 したがって、インディアンの生存権や人格の正当性を認めようとする意志や感情を持たず、ひたすら邪教・異端の野蛮人ばかりの大陸を「約束の地」に変えなければいけない、という「明白な天命」に従う意思だけで生きていた。
 そのなかにあって、ロジャー・ウィリアムズはインディアンがヨーロッパの文明人よりも仲間に対して、また、よそ者に対しても礼儀正しく、人間愛や慈悲の心において優れていることを具体的に明らかにした。
 アメリカの独立宣言(1776年)には、「すべての人間の平等の権利」が明文化されているが、インディアンは「すべての人間」のなかには入っていなかった。インディアンは「無慈悲な野蛮人で、無差別な人殺し」であると規定されていた。
 この規定にもとづき、アメリカ政府は、インディアンの生活圏を一方的な条約や武力をつかって強奪していった。その後は、白人所有の大農園と黒人奴隷制がついていった。
 1831年8月、黒人奴隷ナット・ターナーの反乱が起きた。7人の奴隷が決起し、70人もの参加者を得て60人の白人を殺害したが、すぐに鎮圧された。
 ナット・ターナーを尋問した白人は、黒人に対する偏見の持ち主でありながら、ナット・ターナーについて「生まれながらの聡明さと鋭敏な理解力の持ち主であり、彼よりすぐれた人間にはこれまで会ったことがない」とまで書いたほどだった。
 1832年、ブラックホークはすべてのインディアンに団結を呼びかけ、4ヶ月の間アメリカ軍と戦った。最後に旗を掲げて降伏したのに、アメリカ軍は降伏して無抵抗のインディアン戦士だけでなく、女性も子どもも皆殺しにした。
 ブラック・ホークはアメリカ軍に降伏したとき、次のように述べた。
 「土地を取り上げる白人たちと戦ってきた。白人たちはインディアンを見下し、悪意ある目つきで見る。しかし、インディアンは嘘をつかないし、盗みもしない。インディアンでありながら白人と同じように悪いことをする者は、インディアンの社会では生きていけない」
 アメリカ軍がメキシコに攻めていってテキサスを併合するとき、メキシコの住民はインディアンと大差のない劣等な人種であり、我々がインディアンを根絶させているように、メキシコの住民もまた、より優秀な住民の餌食となって絶滅するだろうと公然と語られていた。それは聖職者も口にしていた言葉であった。
 このメキシコ戦争について、教会の牧師であったパーカーは次のように強い口調で述べている。
「兵隊というのは、人間の飼育することのできる動物のなかで、もっとも無益な動物である。兵隊は鉄道を敷設しない。開墾しない。穀物を作らない。自分の食べるパンをつくることも、自分の靴を直すこともしない。役立たずなのに、費用の多くかかる動物である。
 侵略戦争では、略奪と殺人が規範になり、兵士の栄誉になる。兵士は町を焼き払い、父や息子たちを殺すことを組織的に教え込まれる。そうすることが栄誉であると考えるように教えられる。しかし、これらの『栄誉』に加担した兵士たちは、生まれ育った故郷に帰って来ても市民としての生活に不向きになってしまっている」
 一見して白人ではないオバマ氏がアメリカの大統領に就任することになりましたから、かなりの変化が加速していくことでしょう。しかし、それにしてもアメリカの白人(ピューリタンを含む)の差別意識の強さと、その言動のひどさには、日本人にとって想像を絶するものがあります。 
(2008年5月刊。2200円+税)

  • URL

2009年1月 1日

ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト

人間

著者:ニール・シュービン、 発行:早川書房

 何十億年にわたって、すべての生物は水中にしかすんでいなかった。そのあと、3億
6500万年前の時点では、生物は陸上にも生息していた。水中と陸上という2つの環境における生活は根本的に異なっている。水中で呼吸するためには、陸上で呼吸するのとは非常に異なった器官を必要とする。排出、摂餌、運動についても同じ。だから、それまでとはまったく違った種類の体を作り出さなければならなかった。
 カエルとヒトのあいだには、並はずれた類似性がある。
 上腕・前腕・手首や掌さえもつ最古の動物は、ウロコと膜を持っていた。そして、その動物は、なんと魚だった。
 歯を知らなくして人体について理解することは、事実上、不可能である。歯を調べるだけで、その動物について多くを知ることができる。歯の隆起、くぼみ、畝(うね)は、歯の持ち主が何を食べていたかを反映している。歯は、動物たちの生活様式をのぞきこめる強力な窓になっている。
 哺乳類が持つ、もっとも際立った特徴のいくつかは耳の内部にある。哺乳類の中耳にある骨は、他のいかなる動物のものとも似ていない。哺乳類は、3つの耳骨をもつが、爬虫類や両生類には一つしかない。魚類は一つももっていない。
 爬虫類のアゴの一部を形成したのと同じ鰓弓(さいきゅう)が、哺乳類の耳小骨を形成していた。内耳は、流動性のあるゲル状のリンパ液で満たされている。このリンパ液のなかに、特殊化した神経細胞が毛のような突起を突き出している。リンパ液が動くと、神経細胞の末端サービサが反応する。頭を傾けると、リンパ液に満たされた袋の上にある小さな耳石が動く。すると、この「袋状のもの」に入っている神経端末の感覚毛が曲がり、それが「あなたの頭は傾いている」と知らせる。
 ヒトの感覚器は、地球の重力化で働くように調整されている。宇宙カプセルの無重力状態で働くようにはなっていない。浮遊しながら、ヒトの眼が視覚的な上下を記録していくと、内耳の感覚器はすっかり混乱してしまい、いとも簡単に気分が悪くなってしまう。宇宙酔いは切実な検討課題である。
 ヒトが酒を飲みすぎると、血液中に大量のアルコールを取り込むことになる。耳の管の内部のリンパ液には、最初のうちはほんのわずかしか含まれない。けれども、時間の経過とともに、アルコールが血中から内耳のリンパ液のなかに拡散していく。アルコールはリンパ液よりも軽いので、アルコールが入ってくるにつれてオリーブ油が対流を起こしてリンパ液が渦を巻く。この対流が酔っぱらいに大混乱を引き起こす。有毛細胞が刺激を受けて、脳は自分が動いているのだと考える。しかs、動いてはいない。人の脳が騙されているだけのこと。
 ヒトの身体の不思議、魚との異同などが語られている面白い本です。


(2008年9月刊。2000円+税)

  • URL

2009年1月31日

魔法のどうぶつえん

生き物

著者:岩合 光昭、 発行:阪急コミュニケーションズ

 高名な動物写真家による旭山動物園のどうぶつたちの傑作写真集です。どうぶつが実に生き生きしていて、目の前で挨拶してくれているかのようです。私も一度だけ噂に名高い旭山動物園を見ておこうと思い、北海道に出張したとき、札幌からJRに乗って出かけました。札幌駅でJRの切符とのセット券を売っていました。
旭川駅からはバスに乗ります。市内から20分以上も離れた高い丘に動物園はあります。行った日はよく晴れていましたが、観光バスから続々とお客さんが降りてきました。
どうぶつの生態を間近でよく観察できる仕掛けがあちこちにあり、さすがに工夫が行き届いていると感心したことでした。
 ホッキョクグマの巨体が水中を軽やかに泳ぐ姿には圧倒されました。最近、新しくオオカミの森が出来たそうですが、私が行った時にはありませんでした。オオカミのいかにも野性的な目つきに、目が合うとたじたじとなりそうです。また、オランウータンの空中散歩も残念ながら見ることはできませんでした。これも運不運があるようです。
それでも、アザラシが円筒形の水槽を上から下から通過していくのは幸いにも見ることができました。アザラシの方でも見物している人間を意識しているとのことです。
 もちろんペンギンたちにもお目にかかりました。でも、冬ではありませんでしたので、あの有名なペンギンのお散歩というのは、見ることができずに残念でした。
 今や日本一有名な動物園です。今度は映画にもなりましたよね。また行ってみたい動物園です。この写真集は、行く前に見ておいたら良いと思いますよ。

(2008年12月刊。1500円+税)

  • URL

2009年1月30日

江戸子ども百景

日本史(江戸)

著者:小林 忠・中城 正堯、 発行:河出書房新社

 いやあ、実にカワユーイ。江戸時代に子どもを描いた浮世絵があったなんて、ちっとも知りませんでした。それがまた実に愛らしいのです。江戸時代の子どもたちが実に伸びのびと生きていたことを実感させてくれる絵のオンパレードです。そしてまた、子どもたちの遊びが少なくとも私たちの子どものころとあまり変わらないのにも驚きです。どうなんでしょうか、今の子どもたちも、こんな遊びをしているのでしょうか。少子化、ケータイ、ネットの時代には、もうなくなった遊びも多いのではないかと、ちょっぴり心配もしました。
幕末から明治はじめに日本にやってきた外国人は一様に、日本は「子どもたちの楽園」のようだと賛嘆を惜しまなかった。モース(日本考古学の父)は、「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」と、目を細めた。
 グリフィス(化学の教師として福井や東京で教えた)は、「日本ほど、子どもの喜ぶ物を売るオモチャ屋や縁日の多い国はない」と、驚きを隠さなかった。
親は、西洋の親のように体罰を加えてまでしつけを強制することはなかったが、それでいて子どもたちは、みな聞き分けが良く、利発で、礼儀正しかった。
 浮世絵の一ジャンルである「子ども絵」は、江戸の社会にあっては、かなり需要の高い商品であった。
 江戸の子どもたちの遊びは、第一に季節感に富んでいた。正月は追い羽根、2月は凧あげ、3月はおままごと。4月は花見や金魚遊び・・・。第二に、子どもの遊びとオモチャの種類の豊富さに驚かされる。第三に、大人たちの周囲でのイタズラだったり、大人たちの姿の巧みな真似であったりした。
 江戸時代は、子どもをかけがえのない後継者として大切に育てようとする社会であり、子どもは「子宝」とされた。
銀も 黄金も花も なにせんに まされる宝 子にしかめやも(万葉集。山上憶良)
 浮世絵に描かれている子どもたちって、どれもこれも丸々と太って、いかにも大切に育てられているという、幸せ一杯の笑顔を見せています。
カラー図版がたくさんありますので、本当に実感できます。「子をとろ子とろ」「芋虫ころころ」「鬼ごっこ」「めんない千鳥」などのゲーム的な遊技は、仲間との競争や助け合いなど、仲間遊びであった。
 「子をとろ子とろ」は、子をとる鬼から親が子を守る遊びとされるが、本来は、地蔵菩薩が子を守る姿で、地蔵信仰に由来する。私も幼いころ、「こーとろ、こーとろ」というかけ声で遊んだような気がします。
 輪回しという絵が描かれていますが、私も、自転車のタイヤを外した輪に棒をあて立てて転がす遊びをしていた覚えがあります。江戸時代の子どもたちは竹製の輪をどうやってまわしていたのでしょうか・・・。
 江戸時代には職人がつくるおもちゃが豊富で、子どもにとって歴史はじまって以来の「玩具天国」となった。黒田日出男は「子どものおもちゃや遊びどうぐをつくる職人の登場は近世社会の文化現象」とみなしている。
 わずか90項ほどの大判の浮世絵による子どもの百景なのですが、眺めているうちに何やら童心に返って、ほんわか心があったまりました。

(2008年5月刊。2800円+税)

  • URL

2009年1月29日

プロが語る企業再生ドラマ

司法

著者:清水 直、 発行:銀行研修社

 多くの倒産企業の再建を手がけた超ベテラン弁護士の本ですので、大変味わい深いものがある本です。なるほどなあ・・・と、何度も感心させられたことでした。
 オーナー型経営者は、おしなべて自信過剰であり、猜疑心も強く、まわりの者の意見を素直に聞かない。七転び八起きしながら、一代で企業を創業し、発展させて来ただけに、「まだ、やれる」「なんとかなる」と思い込み、差押、競売などの窮迫な状態に追い込まれても、なお、自分の企業は自分のものだと執着し、容易に企業再生ないし清算などの法的手段をとることを決断しない。
 企業再建事件の処理にあたっては、法律論を振りかざす弁護士は有害無益である。
 会社が立派な本社ビルを建てたとき、社長が豪華な自宅を建てたときは要注意である。なぜなら、本社も自宅もお金を生まない代物だから。財を創出しない本社や自宅は、急いで建てるものではない。ところが、経営者は、ちょっと調子がよくなると、本社をきれいにしたがる。
 ペット同居型マンションをつくった経営者は、利用申込者の面接にペットの同伴も義務づけている。そのオーナーは次のように語った。
「人間を見てもダメ。ペットを見なければいけない。ペットと二言、三言、話すと、そのペットが日頃どんなしつけを受けているか、たちどころに分かる。面接してこれはしつけがダメだと分かれば断る」
 なーるほど、そうですよね。人間の子どもを見たら、親も分かりますからね。
 企業の再生を担う者は、法律家としての倫理観と法的知識を有することが最低の必要条件である。いかにして企業を再生するかについて経営的、会計的教養も必要とされるが、何より大切なことは、企業再生に対する熱意と創意工夫する姿勢。そして関係者を喜んで協力させるシステムをいかに構築するかについて、人間味をもって日々考えることである。
 再建途上の会社は、ともすれば、暗い雰囲気になりがちだ。そこで、管理人補佐には40代後半から50代後半のおおらかな明るい性格の方が適任である。
マスコミの報道が、再生手段にプラスの方向で作用してくれることは、まずない。だから、企業再生にあたっては、できるだけ「そっとしておいてくれ」と言いたくなる。
 倒産事件は、どんなに小さな事件でも、関係者の忿懣を真摯に受けとめ、その人々のはけ口を見出すべきだ。
 債務者に関する情報は可能な限り開示する、債権者には「知らしむべし」、「寄らしむべし」である。
 企業再生と弁護士の果たすべき役割について、大いに役に立つ本です。
 先週の土曜日の午後、はげしく雪の降るなか、司法修習生の就職面接を担当しました。弁護士過疎解消のための弁護士会の取り組みに共鳴した人たちのなかから選定するための面接です。応募してきた人たちは、いずれも熱意あふれていて、面接の受け答えも素晴らしいもので、どうやってしぼるか悩まされました。ちなみに面接方法は集団面接で、一度に4人の人に対して質問し、こたえてもらうやり方をとりました。法律知識のテストではなく、人柄を知るためのものです。
 山田洋次監督のスーパー歌舞伎(映画)を見ました。中村勘三郎など、役者の熱演をアップで見ることができ、感嘆感激してしまいました。フランス語の口頭試問のあまりの不出来に気落ちしていた気分を『らくだ』のみごとなカンカン踊りに爆笑して吹き飛ばし、すっきりした気分で家路に着くことができたのです。いやあ、映画って最高ですよね。
(2008年10月刊。3000円+税)

  • URL

2009年1月28日

骨から見る生物の進化

生き物

著者:ジャン・バティスト・ド・パナフィユー、 発行:河出書房新社

 フランス国立自然史博物館にある骨格標本を見事な写真で紹介した大判の写真集です。生物の身体のあまりに精巧な出来栄えをしっかり堪能することが出来ます。いやあ、これの全部を神様がつくったのだとしたら、全知全能という以上のものです。なにしろ、時代とともに少しずつ形を変え、性能を変えていくというわけなのですからね。なんで、神様がそんな面倒なことをしたのでしょうか・・・。
 ダーウィンの進化論を、現代アメリカでは、今も学校できちんと教えない州があるそうです。信じられませんよね。
 種が変化するという考えそのものが、動物と人間はすべて神が創造したとする創世記の記述に反するからだ。アメリカのキリスト教原理主義者たちは、宇宙の年齢を6000年とし、すべての動物と人間は創造されたときのままの姿であり、化石はノアの洪水でおぼれた動物の名残であるとする。うへーっ、たまりませんね。ありえませんよ、そんなことって……。
 魚とは、ひれと内骨格をもち、水中で生きる動物である。陸生の魚はいない。魚の種類は2万5000種以上いる。
 シーラカンスは、本物の脊柱ではなく、軟骨のチューブである脊索をもつ。このチューブの中は液体で満たされていて、かなりの柔軟性がある。シーラカンスの泳ぐときの動きは、魚より四肢動物の歩き方に近い。生態学的に見て、シーラカンスとサメはまぎれもなく魚であるが、動物学的に見ると魚類ではない。
 生物の世界は、昔からずっと今のように多様だったわけではない。8億年ほど前に登場してきたときは、ほとんど違いがなかった。ところが、5億4000万年前ころに、突然、種類が増加した。
鳥では、スズメのグループ(スズメ目)が5300種もいて、世界の鳥類全体の半数以上を占める。スズメ類は、ひとつの祖先から多数の種が生まれる「進化的放散」の実例を示している。
人の骨格を見て男女の性を決めるのに役立つのは、頭骨と骨盤である。頭骨については、男の下顎骨(かがくこつ)はより頑丈で、より突き出ていて、角張ったあごになる。骨盤については、出産のため女の骨盤腔は男より広い。
  7500万年前、鳥は恐竜と共存していた。現代の鳥の祖先は、強力な武器を備えた顎を持つ、肉食の小型恐竜だった。初期の鳥は歯をもっていた。しかし、歯は密度が高くて重いため、飛行するには邪魔だった。歯をなくすことによって、体重をかなり節約できた。
 哺乳類が現れたのは2億2000万年前。このころ、まだ恐竜がいた。恐竜がいなくなるまで1億5000万年以上も待たなければならなかった。哺乳類は、体の小さい地味な動物であり、夜行性であって、昼は地下のトンネルに潜み、夜になると植物の種や昆虫を探しに外へ出た。
 鳥とコウモリと人間は、実際に空の世界を征服した唯一の脊椎動物である。
ヘビは全世界のあらゆる大陸の、あらゆる環境に2500種もいて、その形態は進化の成功の例なのである。ヘビの祖先は、小さい肢を持つ地中生の爬虫類であった。人間がヘビを見て感じるのは恐怖心だけではない。四肢を完全に失ってしまうことは想像するのも難しいことだ。
 アリやシロアリを食べるアリクイやアルマジロなどは、尽きることのない食糧資源をターゲットに出来る。というのも、地球上には1億の1000万倍ものアリがいる。一つのアリのコロニーに2000万匹のアリがいるのだ。
 こんにち、5000種の脊椎動物が絶滅の危機にさらされている。両生類の3分の1、カメ類の半数、哺乳類の4分の1、鳥類の8分の1。うひゃあ、これは大変なことです。
人間が自分だけが地球上の絶対至高の存在とうそぶいているとき、足下の土台が揺らいでいるわけです。人間が自分だけで生きのびることが出来ると考えてはいけません。すべての生物は相互に連関し、関係し、依存しあっているのですから・・・。
 名実ともに、ずっしり重たい大判の写真集です。一見の価値があります。
我が家の近くの電柱にカササギの巣が作られています。せっせと小枝を口にくわえて運んでいます。少し離れた電柱に2個の巣が同時に建設中なのです。うまいこと組み合わせて巣が出来上がっていくのを見るのは楽しいものです。でも、九電が邪魔だといっていずれ取り払ってしまうと思います。
(2008年2月刊。8800円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー