弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年1月27日

満州国とは何だったのか

日本史(現代史)

著者:植民地文化学会、 発行:小学館

 虚偽の口実をもうけて、アメリカはイラクへ攻め込んだ。それと同じことを戦前の日本は中国でした。自作自演の事件を捏造(ねつぞう)して、中国東北部で戦争を起こし、次いで「満州国」という傀儡(かいらい)国家を建て、14年間に及ぶ苛酷な植民地支配を行った。日本人がそのことを忘れると、田母神という男が日本は侵略戦争なんてしたことはないと嘘ぶき、一部からもてはやされるのです。
 「満州国」の行政組織の特徴は、総務庁中心主義をとったこと。政府のおいての実権は日本人の総務庁長官の手に操られ、この総務庁長官は関東軍に操られていた。関東軍こそ、「満州国」の事実上の支配者であった。
 1932年9月、関東軍司令官(武満信義)は、国務総理(鄭孝胥)と日満議定書に調印した。この日満議定書の主文はわずか2条のみ。第1条で、満州国は日本の中国東北におけるすべての特権を承認し、第2条で、日本の中国東北における駐軍権と占領権を承認した。これによって、中国東北部は完全に日本の植民地となった。そして、この日満議定書には、4つの秘密文書が付属していた。
1936年に作成された「満州国の根本理念と協和会の本質」という文書によると、満州国皇帝は、天皇の大御心にもとづいたものであるから、天皇に仕えるのが在位の条件であった。そして、関東軍司令官は、天皇の名代として満州国皇帝の後見者であった。
 「満州国」警察のうち、日本人1万3000人、12%を占めていた。「満州国」に抵抗する抗日義勇軍と戦うため、関東軍は集中居住区、集団部落を強制的に作り上げた。これを人圏(人小屋)といい、2500ヶ所以上の集団部落(総人口140万人)がつくられた。
 満鉄は社員2万3000人以上を擁していた。国内にはりめぐらした情報網によって領事館や陸軍・警察署などの最新情報をつかむことができていた。満鉄の資産は11億円ほどだったのが、終戦直後には50億円をはるかに超えていた。
 万人坑とは、東北に住んでいた中国人が大量に殺害されて集中して埋められた場所のことをさす。
 内地の貧しい農民にとって、「満州に行けば、20町歩もの農地を与えらえて自作農になれる」というキャッチフレーズは、とても魅力的だった。敗戦直前に、東北在住の日本人農民の移民は、成人16万7000人、青少年6万人ほどであった。そして、東北に在住する朝鮮人の総人口は、1945年の時点で150万人と推定された。
 戦後、日本人戦犯を裁く法廷が中国各地につくられた(10ヶ所)。605件、883人が被告として裁かれた。東北部では撫順の戦犯管理所に収容されたが、6年間、きちんと処遇された。判決は禁固20年から12年までで、死刑は1人もいなかった。1964年に残りの日本人が日本へ帰国した。
 「満州国」 での日本人死者は、対ソ連戦で6万人。8月15日以前で18万5000人。1964年の引き揚げを前に「留用」された人々もいた。残留したのは1万人とその家族1万数千人。その多くは八路軍に入り、残りの一部は国民軍に徴用され、内戦の戦力となった。
 「満州国」の実態について、日中両国の学者が共同して調査し、議論してまとめた本です。日本人は、この本を読んで満州国の実体を美化することなく、よく理解すべきだと思いました。


(2008年8月刊。3400円+税)

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