弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年9月 8日

荘 直温伝

人間


(霧山昴)
著者 松原 隆一郎 、 出版 吉備人出版

岡山に備中高梁(びっちゅうたかはし)という駅があります。岡山県高梁市です。知らないと、ちょっと読めませんよね。そして、この本の主人公は荘 直温(しょう・なおはる)と読みます。これまた、読めません。
松山というと四国の松山をすぐに思い浮かべますが、こちらは備中松山です。荘直温の先祖は、備中松山城主だった庄(しょう)為資(ためすけ)です。庄がいつか荘に変わっているのです。
この庄(荘)一族の歴史を、まったく縁のない経済学者である著者が調べに調べて、ついに書きあげたのが本書です。
備中松山城は今では天空の城として有名です。私もコロナ禍がおさまったらぜひ一度は行ってみたいです。戦国時代は西の毛利氏、北(山陰)の尼子氏、そして、東から羽柴氏(のちの豊臣秀吉です)が攻めてきます。有名な備中高松城の水攻めが始まるとき、その北側遠くに備中松山城は存在していたのでした。
江戸時代には、農民となり、庄屋として代々存続します。
荘直温は、明治・大正に松山村長そして高梁町長を歴任するのでした。
直温は8歳で庄屋見習いとなり、11歳のとき野山西村の一揆(暴動)騒動を体験した。そして、支那学を学び、故郷の郡役所に奉職して、あとは行政を生涯の仕事とした。
直温が高梁町の2代目町長になったのは35歳のときで、このときの町長は名誉ではあっても無給だった。37歳のとき松山村長になり、20年間つとめた。
そして、備中高梁駅が大正15年(1926年)6月に開業することができた。
直温は昭和3年(1928年)6月に高梁町長を病気のため辞任し、8月末に亡くなった(享年72歳)。
驚くべきことに、20年間も村長とか町長をつとめていた直温が亡くなると、莫大な借金があった。遺族は、この借金のため貧乏な生活を余儀なくされ苦労した。祖父のしたことに誇りをもつ孫娘の執念から、このような立派な本が出来上がったのでした。
実は、私もこの本ほど丹念に調べ尽くしたのではありませんが、母の生い立ちを少し調べると、母の父が久留米市史にも登場してくる高良内村の助役だったことが判明し、腰を抜かすほど驚いたことがありました。
先祖をたどるというのは、単なる懐古談を楽しむという以上に、自分は何者なのか、どこから来て、どこへ行こうとしているのかを考えるきっかけを与えてくれる大切な作業(営み)だと私は考えています。その意味で、荘(庄)家の過去、現在を探る旅を興味深く読みすすめたのでした。
(2020年4月刊。3000円+税)

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