弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年5月19日

女たちのシベリヤ抑留

日本史(戦後)


(霧山昴)
著者 小柳 ちひろ 、 出版 文芸春秋

戦前の満州にいた日本兵がソ連軍によってシベリヤに連行され、極寒の地で過酷な労働を強いられたことはよく知られていますが、この本は、シベリヤに連行・抑留された日本人看護婦など日本人女性も多数いたことを発掘しています。
1945年8月、満州にいた日本軍兵士60万人がソ連の収容所に連行され、強制労働に従事された。これが、いわゆるシベリヤ抑留だ。そして、実は、そのなかには数百人もの日本人女性がいた。たとえば、チャムス(佳木斯)第一陸用病院の看護婦150人。
看護婦は二つの系統があった。陸軍看護婦と日赤看護婦。日赤看護婦になるのは非常に難しく、合格倍率は、ときに100倍をこえた。当時の軍国少女たちにとって、憧れの存在だった。
この本には「独ソ戦の直後に満州に攻め込んだソ連のしたたかさ」という間違った歴史記述があり、また、シベリア抑留された元日本兵のなかの「民主化」グループについても偏見にみちた記述としか言いようのない決めつけがあったりして、歴史認識に欠けるところが気になるのが残念でした。しかし、それでもシベリヤに抑留されていた日本人女性の存在、その生活状況を掘り起こした点は高く評価したいと思います。
シベリヤで日本人女性はたくましく生きのびたことを紹介しているのには目を開かされました。やはり、女は強しです。
男性が栄養失調になってフラフラしているときにも、同じものを食べているのに女性はやせなかった。同じものを食べて、男性は下痢したり病気したりしたが、女性は病気しなかった。食べる量が少なくてもガマンできた。女性は、体力も気力も男性に比べて強かった。男性は、気持ちでも体力でも、ポキッと折れてしまった。ただし、男性は、「あの食事で、あの重労働じゃ、耐えられない」のもあたりまえだった。
班単位でまとまってシベリヤに抑留されたのはチャムス第一陸軍病院467班だけだったが、少なくとも450人以上の看護婦が満州でソ連軍の捕虜とされた。
引揚第一便は1946年11月に日本に帰国したが、そのなかにはチャムス第一陸軍病院の看護婦20人もふくまれていた。ソ連は国際社会からの非難をかわすために、人道的姿勢をアピールすべく女性を第1号帰還者リストに加えたのだった。
NHKのBS番組を本にしたものです。シベリヤ抑留に関心のある人には欠かせない本だと思いました。
(2020年3月刊。1700円+税)

 雨上がりの日曜日、午後から庭に出て畑仕事をしました。朝のうちにアスパラガスを4本収穫していましたが、その隣に大きなアマリリスが見事に咲いていて、つい、「ややっ、キミもいたんだね」と叫びそうになりました。去年も咲いていましたが、今年ははるかに大きいのです。
 ジャガイモ畑の雑草を孫と一緒に取り除きました。隣の畑のジャガイモは地上部分が盛大に葉を大きく伸ばしていますが、私の畑は、それに比べると、いかにも貧相です。でも、それは去年もそうでした。それでも、地中のジャガイモは、ちゃんと大きくなってくれましたので、今年も、きっと地中では大きな実をつけてくれることと固く信じています。
 畑仕事を終えようとすると、梅の実がいくつか落ちていました。来週は梅の実ちぎりをしなくてはいけません。梅酒用です。
 夕食のとき、2歳の孫がアスパラガスをむしゃむしゃ食べてくれました。
 夜7時半、ようやく暗くなりましたので、毎年恒例のホタル探索に出かけました。歩いて5分足らずのところの小川にホタルが出るのです。いるかな...、あっ、いた、いた。いました。ほのかに明滅するホタルが、フワリフワリと飛びかっています。今年は、コロナのせいか、「ホタルの里」の手入れがされていないため、そこより、むしろ近辺の小川あたりにホタルをたくさん見かけることができました。
 歩いて5分もかからないところにホタルを見て楽しめるのは、田舎暮らしの良さのひとつです。

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