弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年2月 1日

大江戸史話

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 大石 慎三郎 、 出版  中公文庫

日本史上、間接税を最初に導入したのは田沼意次である。
田沼意次は、小姓組番頭格をふりだしに、小姓組番頭、側衆御用申次、側用人、さらに老中に準ぜられたあと、老中となった。しかも、側用人の役も兼帯した。老中は幕府正規の役職の最高位、側用人は正規ではなかったが、将軍の信任を得れば老中をうわまれる、いわば裏の最高権力者である。この両ポストを握った最初の人物が田沼意次だった。いわば、意次は幕府はじまって以来の権力者なのである。
郡上踊り(ぐじょうおどり)は、一夏を通して行なわれる特異な祭り。これは1754年(宝暦4年)から足かけ5年という長さでたたかわれた郡上一揆でずたずたになった領民を融和するために始められたもの。
九代将軍・家重の時代(1745~1760年)は、「全藩一揆の時代」として知られている。江戸時代でもっとも大がかりな全藩あげての一揆が多発した時代。
郡上一揆は内部に徹底抗戦派の百姓(立百姓)と妥協派(寝百姓)とに分かれての内部抗争もあって、長引いた。結局、幕府の最高機関である評定所にもちこまれ、農民側も多数の犠牲者を出したが、領主(金森頼錦)は改易(かいえき)、幕府のなかでも老中・若年寄・勘定奉行などが、私的に藩を支援したとして改易などの厳罰に処せられるという前代未聞の措置がとられて終結した。
この幕閣処分で、幕府内の直税増徴(年貢増徴)派は幕府の中心部から一掃された。
そして、変わって田沼意次たちの一派が登場して間接税の導入をすすめた。「敵」に一番打撃を与えたという意味では、領主を改易させたうえ、それを支援した幕府権力中枢にも多大の打撃を与えた群上一揆が最右翼である。
20年以上の本ですが、内容的に紹介したい話のオンパレードでした。
(1992年3月刊。460円+税)

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