弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年1月16日

歴史のなかの東大闘争

社会


(霧山昴)
著者 大窪 一志、大野 博、柴田 章ほか 、 出版  本の泉社

1968年6月から1969年3月まで、東大では全学部がストライキに揺れ、この間、ほとんど授業がありませんでした。
東大闘争というと安田講堂攻防戦しかイメージしない人が多いと思いますが、私をふくめて当事者にとっては画期的な確認書を勝ちとったことの意義を再確認したいところです。この本は、その点が欧米との比較でも論じられていて、大変参考になります。
アメリカのコロンビア大学では1968年4月に1週間の校舎占拠、警察機動隊の導入と学生の大量逮捕があった。そして、コロンビア大学には、今も学生代表をふくむ大学評議会という全学的な意思決定機関がある。1960年代のアメリカの学生運動は、大学の管理運営の民主化に少なからぬ痕跡を残している。
フランスでも1968年の五月革命のあと、大学評議会が成立して学生参加が公認されている。学生は、もはや未成年者ではなく、自立した市民としての成人と認め、学内における政治的自由が公認されている。
欧米と日本の違いはどこから来ているのか・・・。西ヨーロッパ各国では、その後、学生参加などに親和的な左翼政権や中道左派政権が成立したことにもよる。それに対して日本では、東大確認書の破棄を迫った自民党政権が続いた。
では、東大確認書はどうなっているか。東大駒場の教養学部自治会は全学連から脱退しているが、今もHPには東大確認書がアップされている。そして、学生の懲戒に関しては学生懲戒委員会が存在するが、その手続のなかに参考人団による審議がなされることになっていて、学生団員5人を選出するにあたっては学生4人から成る学生参考人会があって、そのなかから互選で選ぶことになっている。これは、今もちゃんと機能している。
つまり、このように東大確認書は今も生きているのです・・・。
次に、東大闘争に東大生がどれだけ関わっていたかを確認してみます。
大野博氏によると、デモに71%、討論に85%、ビラまきに40%、ヘルメット着用したというのは34%というアンケート回答がある。そして、東大闘争によって人生観が変わったと答えた学生が70%いた。
東大法学部についてみてみると、6月から12月までのあいだ、毎週のように学生大会が開かれていて、定員数300人のところ、毎回、その倍の600人から最高821人の法学部生が参加していた。そして、無期限ストライキ突入を決議した10月11日の学生大会には、午後2時に始まり翌朝午前6時半まで、延々16時間以上も学生大会は続いた。このとき、629人の参加があり、うち430人が朝まで議場に残っていた。これって、今ではまったく信じられないほどの参加者ではないでしょうか・・・。
1969年1月の秩父宮ラグビーでの七学部代表団と加藤一郎代行ほかの大学当局の大衆団交には、教職員1500人、学生7500人が参加していた。全東大から9000人もの参加のある団交って、すごくありませんか。そして、駒場の自治委員長選挙の投票率は60%をこえ、最高80%にまで達していたのです。
このように、東大闘争では、きちんと議論もしていたのであって、警察機動隊に対してゲバ棒でふるう東大全共闘が東大闘争だというのは、まったくの誤解なのです。この本を読むと、その点がかなり理解してもらえると思います。
ちなみに、民青同盟員は全東大に1000人いたとのことです。これまたすごい人数です。その人たちは、その後、そして今、どうしているのでしょうか・・・。
(2019年10月刊。3200円+税)

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