弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年8月26日

東京大学駒場スタイル

社会


(霧山昴)
著者 東京大学教養学部 、 出版  東京大学出版会

私の大学生のころにも、金もうけが一番と考えている学生は少なくなかったと思います。でも、それを公然と言うのは恥ずかしいこと、はばかれる雰囲気がありました。
「貧乏人」の寄せ集まる駒場寮で私たちは読書会をやり、卒業後どう生きるかを真剣に議論していました。いえ、これは政治的に色のついたサークル(部室)のことではありません。いわば、ノンポリの寮生が岩波新書を素材として社会との関わり方を議論していたのです。そしてサークルノートを6人部屋で記帳し回覧していました。今も私はそのノートを持っています。
この本を読むと、教養学部長(太田邦史教授)が、「自分のことだけ考えてお金が入ればいいという感じの学生が増えてきているように思う。今の学生は優しい、いい子たちなんだけど、もうちょっと社会や世界のために生きるということも考えてほしいという気持ちがある」と嘆いています。
この発言にノーベル賞を受賞した大隅良典・名誉教授が共鳴して、「われわれの時代だったら、授業がなくなるくらいストライキがいっぱいあっていいはずのことに対して、今の学生はまったく敏感でない」と指摘しています。また、石田淳・前教養学部長も「学生は、もっと社会に対して関心をもってほしい」と注文をつけています。
幸いなことに、私のころには戦前からあったセツルメントサークルが戦後再建されて、地域に出かけて社会の現実に触れ、大いに議論する仲間がいました。社会との関わりも考えさせられました。そして、大学当局が無茶したり、政府が学費値上げを企むと、学生投票で過半数の賛成を得てストライキに突入して、授業がなくなりました。
まあ、無茶といえば無茶なのですが、学生のころには、そんな無駄も許されるし、必要なのだと今では思います。
大隅名誉教授の次の言葉は味わい深いものがあります。
「年齢(とし)をとるということは、切り捨てることなんだよ」
「失敗してはいけないという感覚は、科学とは相容れないもの。科学というのは、ほとんどが失敗の連続」
「いまの社会には、1回だって失敗してはいけないという感覚が若者にある。とくに受験に勝ち残った東大生には、失敗したらマイナスのスパイラルに落ち込んでしまうという恐怖感がすごく強い」
「『できました、先生』、『次は、何をやりましょうか』・・・。こんな感じの学生が東大生にも増えている。自分で課題を発見するより、提起された課題をいかに早く手際よく解く力が大事なことだと思い込まされている。それが問題だ・・・」
これって、本当に大切な指摘だと私も思います。弁護士だって同じことで、自分で物事を考え組み立てる能力が求められます。
この本のなかに、中世フランス語辞典を1人で、5年かけて完成させ、アカデミー・フランセーズから大賞を授与されたという松村剛教授の話があります。これは、すごいことです。学者って、すごいですね。9世紀から15世紀までの北フランス語を中世フランス語と呼ぶのですが、著者は十字軍時代のエルサレム周辺の文献まであたったようです。
毎日毎朝、NHKラジオのフランス語応用編を聞いて書きとりしながら、なんでこんなに進歩しないのかと自らを嘆いている身として、驚嘆するほかありません。学問の道は深く険しいことを少しばかり実感することができました。
駒場寮はなくなりましたが、1号館や九〇〇番教室そして話題の8号館は健在のようです。毎朝、学生気分に戻って浸るつもりでNHKフランス語講座を飽きもせず、聴いています。
(2019年6月刊。2500円+税)

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