弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年5月16日

大いなる聖戦(下)

日本史(戦前)・ドイツ

(霧山昴)
著者 H.P.ウィルモット 、 出版  国書刊行会

第二次世界大戦についての本格的な研究書です。読みながら、その深く鋭い分析に驚嘆してしまいました。
日本とドイツが連合軍から受けた爆撃の規模は、ドイツが136万トンであるのに対して、日本は16万トンにすぎない。しかし、このように格段の相違があったにもかかわらず、被害の程度は似たようなものだった。これは、日本のほうが人口密度が高く、都市部に人口・家屋・民生産業が集中していたため、ドイツよりはるかに被害を受けやすかったことによる。
そして、日本はドイツより心理的にも物理的にも空襲に対する備えを甚だしく欠いていた。ドイツは4年間にわたって小規模な爆撃を受けていたので、適応していくのに必要な態勢が整っていて、心理的な準備もできていた。ところが、これに対して日本は、勝利は約束されていると信じ込まされていて、自国の敗北が現実のものとして迫っていることに国民がまったく気がついていなかった。1945年3月から8月にかけての空爆によって物質上の損害は大きかったが、それ以上に大きかったのは、国民の士気に与えた悪影響だった。敗戦気運が突如として日本社会全般にわたって蔓延した。1944年6月の時点では日本は戦争に負けると考えた人は50人に1人の割合だったが、1年後の1945年6月には46%となり、8月の敗戦直前には68%に達していた。
アメリカ軍による空襲は、日本国民の軍部への信頼を失わせ、その士気を阻喪させるうえでもっとも重要な要因となった。
さらに、アメリカ軍が事前に爆撃目標を公表していたこと、それでも空襲を受けたということは、自国の航空戦力がいかに無力であるかを日本国民は思い知らされた。日本軍は本土決戦に備えて最後に残った通常の航空戦力を温存しようとしたため、B-29はほとんど迎撃を受けなくなった。
戦争が万一、1946年まで続いていたとしたら、大凶作が見込まれているなかで、日本は大々的な飢餓状態に陥ったことは確実だった。
ポツダム宣言が発せられた1945年7月26日時点で、日本の産業が完全に崩壊するまで、数ヶ月いや数週間しかなかった。
ところが、自国の敗戦が避けられないことを認識している者が、統帥部で決定権限を有している者のなかにはいなかった。
これは、ドイツも同じ。ドイツの指導層には、自国の敗戦という現実を認識して終戦工作を試みることのできる者は皆無で、最後の最後まで自国が生き残れるという幻想にしがみついていた。限りある手段で際限なき目標を達することを目指したドイツと日本の戦争は破滅的な結末に終わった。そのような結果は、日本については予見できたが、ドイツについては必然ではなかった。敗戦の深刻さはドイツのほうが大きかった。
質量両面で世界に冠たる軍事力を誇り、勝利をもたらすうえで決定的となりえた利点をもちながらも、ドイツは敗北に追い込まれた。そして、国土の中枢地帯を敵軍に踏みにじられたうえで敗戦を味わったのみならず、国家が消滅したという点に照らしても、ドイツの敗北の程度の大きさを計ることができる。
著者は本書の最後で、次のように総括しています。私は、なるほど、もっともな指摘だと受けとめました。
ドイツがヨーロッパで、そして日本がアジア・太平洋で勝利したときに払うことになったであろう代償は、組織的大量殺人の企国にとどまらず、ヨーロッパ大陸とアジア大陸における物的・精神的・知的次元での奴隷化である。それに比べたら、このような害悪を阻止するために要した人的損失は、むしろ小さいものと考えられる。5700万人という死者は、忌まわしき害悪を世界から除去するための意味ある代償だった。
そうなんです。日本帝国主義(天皇と軍部)が勝利でもしていたら、世界はとんでもないことになっていたことでしょう。「聖戦」だったなんて、とんでもないことです。
クルスク大戦車戦、マーケット・ガーデン作戦、アルデンヌの戦いなどが当時の国際情勢と軍事力・指導力などを踏まえて総合的見地から論評されていて、理解を深めることができました。
下巻のみで450頁ほどもありますが、第二次大戦とは何だったのか、詳しく知りたい人には欠かせない本だと思います。
(2018年9月刊。4600円+税)

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