弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年4月17日

最高裁に告ぐ

司法

(霧山昴)
著者 岡口 基一 、 出版  岩波書店

タイトルがいかにも挑戦的なので、どんなに過激な本なのか、思わず手にしたくなる本でしたが、読んでみると、しごく穏当な主張が冷静なタッチで展開されています。その意味では、タイトルはいささか独走している気がしました。
むしろ、このまま今の最高裁に日本の司法をまかせて大丈夫なのか、「王様」化した最高裁は世の中の要請にこたえていないのではないのか、そんな趣旨のタイトルにしたらどうか、ついそう思ったことでした。
著者は「バッシングを畏れて世間に迎合する判決を下すようになったら司法は終わりである」としています。本当にそのとおりなのですが、正確には迎合する先は「世間」ではなくて、安倍内閣を先頭とする権力ではないでしょうか・・・。
原発裁判もはじめとして、あまりにも権力(自公政権と電力会社・原子力ムラ)べったりの司法判断が続いていて、嫌になってしまいます。
全国裁判官懇話会が開かれていたのは2007年までのこと。もう10年以上も裁判官の自主的な集まりはない。そして、1970年代以降、最高裁判事は官僚派の裁判官(そのほとんどは裁判実務をしていない)が大勢を占め、社会秩序重視の判決が多くなっている。
日本国民は司法にあまり関心をもっていない。その理由として、最高裁は本当の意味で国家の基本に関わるような判断をしないこと、国民生活に広く影響を与えるような問題について積極的な判断を行うこともあまりないことがあげられる。そうなんですよね、司法の存在感は薄いし、ますます薄れています。
著者は最高裁があまりに多くの事件をかかえて超多忙だという実情を指摘していますが、それにしても最近の最高裁判決の質が劣化していることを鋭く糾弾しています。要するに、憲法違反としながら、憲法の条文を明記せずに「明らか」という強調語で逃げていたり、集会の自由や表現の自由が問題となったケースの判決で従来の最高裁判例との整合性があるのか、また判決文に理由が明示がされていないということなどです。
東京高裁の林道晴長官、そして同高裁の吉崎佳弥事務局長は、二人して著者に対して脅迫・強要行為を東京高裁長官室で50分にわたって続けた。これらはパワハラにも該当する。
このように著者は指摘しています。
また、最高裁は今回、著者を戒告処分に付したわけですが、そのとき、著者が過去に厳重注意処分を受けたことも理由としてあげていることも大きな問題です。著者も、その弁護団も、この点について大いに問題にしています。つまり、「前科」ではないのに「前科」があるかのように不利益判断したわけで、これは最高裁が著者と弁護団からの釈明申立を認めず、事実上「1回結審」したことの問題点でもあります。
民事訴訟の裁判官が「王様」になるには、次の3つの方法がある。その1、当事者のした主張に答えない。その2、そもそも当事者に主張をさせない。その3、当事者がした主張にデタラメな理由をもって答える。
著者は、下級審の民事裁判官は、この3つの方法のいずれも実行できないとしています。本当でしょうか・・・。私は、福岡地裁でも福岡高裁でも、この3つをいずれも経験して、煮え湯を飲まされました。よほど、担当裁判官(まだ若い人です)を忌避してやりたいと思いましたが、あと一歩のところで思いとどまりました。それが良かったのか、本人のためにも忌避すべきだったのではないか、今も迷っています。
司法の現実を知るうえで、弁護士はもちろんのこと、司法に少しでも関心のある人にはぜひ読んでほしい本です。
(2019年4月刊。1700円+税)

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