弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年4月 3日

植民地遊廓

朝鮮・日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 金 富子、金 栄 、 出版  吉川弘文館

日本が朝鮮半島を植民地として支配していたとき、日本の兵隊たちはどんな性生活をしていたのか・・・。
それまで公娼制のなかった朝鮮に日本は日本式「遊廓」を持ちこみ定着させた。そして、日本軍憲兵隊は兵士の性病予防に必死だった。それほど日本人兵士は性病にかかり、戦闘能力を喪っていた。
とても実証的に探求している本なので、説得力があります。
前近代の朝鮮社会では、朝鮮王朝政府が性売買を政策的に禁止していたため、徳川幕府が公認していた吉原遊廓のような公娼制はなかった。ところが、朝鮮「併合」のあと、日本式の性売買は、名称を変えながら朝鮮人を組み込み、朝鮮社会の性慣行を次第に「日本式」に変えていった。
日本の植民地都市を特徴づけたのは神社と遊廓だった。植民地の遊廓には、常に日本人娼婦が存在した。欧米の植民地にも売春する女性はいたが、支配側出身の女性が売春女性になることは少なかった。
前近代の朝鮮社会において、一般庶民層は、早婚の風習もあって性売買に無縁な生活だったし、売春を専業とする女性はごく少数だった。
これに対して、近世日本では、吉原遊廓などに公認の遊女がいて、準公認の飯盛女など、また非合法(陰売女)などきわめて広範囲に性売買が展開し、遊廓は実質的な人身売買による売春強制の場だった。
近代朝鮮での性売買の普及は、日清戦争と甲午改革(1894年)が大きな節目だった。
日清戦争、そして日露戦争によって大量の日本軍兵士が朝鮮に常駐することになって、日本軍将兵への性病対策が重視された。
1910年に韓国併合のとき、朝鮮在留の日本人は17万1000人だった。
1929年の朝鮮半島での遊廓営業者の6割は日本人、娼婦の6割弱も日本人、遊興費の9割を日本人男性が占めた。
日本人娼婦の出身地は、長崎、福岡、熊本、広島、佐賀の順に多かった。長崎だけで4分の1を占めた。カラユキさんと言われるように、島原が多かったのでしょうか・・・。
遊廓経営は、とてもうま味のあるビジネスであり、赤荻與三郎は大富豪になったうえ、府会議員にまでなっている。また、その利益の一部は在朝日本人子女の教育費として使われた。
1921年のデータによると、在朝日本人の5万人以上が性病患者だった。同じく朝鮮人は10万人近い。日本国内に比べて、植民地在住の日本人男性の性病罹患率は格段に高い。
朝鮮人娼婦には、16歳、17歳、18歳と十代の少女が多く若い、安いという特徴があった。
当時の朝鮮人女性のほとんどが文字の読み書きは出来なかった。
朝鮮人娼婦たちは、人身売買や劣悪な処遇に対して、自殺や心中、逃亡などで対抗し、また断髪や同盟休業、同盟断食などで抵抗した。
女性を集めるとき、多くの場合、詐欺による募集や誘拐まがいの不法な人身売買が横行しているのが実情だった。
日本による植民地支配のなかで、まだ十代の年若い朝鮮人女性の多数を日本式の娼婦にしていったのですから、日本の責任はきわめて重大だと改めて痛感しました。
この現実を日本人は忘れてはいけないと思います。大変貴重な労作です。
(2018年10月刊。3800円+税)

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