弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年1月 8日

ヨーゼフ・メンゲレの逃亡

ドイツ・ブラジル

(霧山昴)
著者 オリヴィエ・ゲーズ 、 出版  東京創元社

ナチスの戦犯として、アイヒマンはイスラエルの諜報機関(モサド)に隠れ家から拉致されてイスラエルに連行され、裁判を受けて処刑されました。
ところが、ヨーゼフ・メンゲレのほうはアルゼンチンそしてブラジルで平穏な暮らしのなかで生きのびて、海岸で溺死するまで裁判にかけられることがありませんでした。どうして、そんなことが可能だったのかを小説で再現しています。
アルゼンチンのブエノスアイレスでアイヒマンとメンゲレは互いに面識があったようです。
メンゲレはずっと目立たないように注意してきたのに、アイヒマンは名声を求め、酔いしれて元ナチス親衛隊上級大隊指導者とサインしたりした。
メンゲレはアイヒマンを無教養な元商人として軽蔑した。中等教育も満了しておらず、前線での経験もない会計係の息子。アイヒマンは哀れなやつだ。一級の落ちこぼれだ・・・。
アイヒマンのほうも、メンゲレについて、臆病などら息子、日焼けした下っ端野郎にすぎないとけなした。
メンゲレはフランクフルトとミュンヘンの両大学で医学と人類学で博士号をとっていた。ところが、1964年に、アウシュヴィッツで殺人の罪を犯していたことを理由として、メンゲレの博士号は取り上げられた。これを知ってメンゲレは怒り狂った。
メンゲレはアルゼンチンからパラグアイに移住した。ドイツにいる家族とはずっと連絡をとりあっていた。西ドイツの情報部は、そもそも旧ナチスの息のかかった機関なので、メンゲレの行方を真剣に追跡することはなかった。
そして、次にブラジルに移住した。サンパウロの近くだ。ドイツにいる息子、ロルフ・メンゲレとは盛んに文通した。
1976年5月、メンゲレは脳卒中に襲われた。
息子、ロルフ・メンゲレがブラジルにやって来て、父に問うた。
「パパ、アウシュヴィッツでは何をしたんです?」
メンゲレは答えた。
「ドイツ科学の一兵卒としての私の義務は、生物学からみた有機的共同体を守り、血を浄化し、異物を排除することにあった」
「ユダヤ人は、人類に属していない」
「何千年も前からユダヤ人はアーリア人種の絶滅を望んできたのだから、すべて排除すべきなのだ」
「人民の外科医として、アーリア民族が永遠に栄えるよう、社会の幸福のために努めたのだ」
「私は何も悪いことはしていない」
いやはや、死ぬまでメンゲレはまったく反省せず、罪の意識もなかったというわけです。
1979年2月7日、メンゲレは水着を身につけ、海岸に入った。そして、溺れた。
息子ロルフは、父を助けてきてくれた人々に対する配慮から、父の死亡を公表しなかった。メンゲレの家族は南米における潜伏場所を知っていて、最後まで仕送りしていた。
1992年、DNA検査でメンゲレの遺体であることが確認された。
息子ロルフはミュンヘンに住み、弁護士として活動している。
メンゲレの死に至る状況がノンフィクションとして実に細かく再現されていて、圧倒される思いでした。
(2018年10月刊。1800円+税)

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