弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年11月22日

戦国大名 武田氏の領国支配

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 鈴木 将典 、 出版  岩田書院

甲斐の武田氏は、「甲州法度」(はっと)という分国法を制定していました。この本は、この甲州法度のなかでも「借銭法度」を深く掘り下げて論じ、興味深いものがあります。
「甲州法度」57ヶ条のうち、借銭に関する条項は14ヶ条で、もっとも多い。
債権者が債務者の財産を差し押さえするとき、先に作成した文書を優先する。子の債務を親に肩代わりさせることを禁止する。債務者が死亡したときには保証人が弁済の責任を負う。借銭の年期中に担保を売却することを禁止する。借銭の利息が元本の2倍になったら返済を催促できる、困窮のため借銭を返済できないときには、もう10年返済を延長できる。
「借銭法度」は、武田氏が領国内の問題に対処するため、独自に制定した条項であった。「甲州法度」の追加条項でもっとも多数を占める「借銭法度」こそ、このころの武田氏が直面していた最重要課題であった。
天文から永禄年間の武田領国では、戦乱・災害などによって、武田領国内の給人・百姓層が困窮し、飢饉を生きのびるため、あるいは軍役負担や年貢納入等のために借銭を重ねていた状況だった。
訴訟の際に、売買・貸借の証拠書類が重視されたことは「借銭法度」に明記されていた。とくに、債権者が複数存在していたときには、確実な「借状」を所持している者が権利者とされた。他方で、「謀書」(偽文書)であることが判明したときには罰せられることになっていた。
こうやってみると、日本人って、本当に昔から裁判大好きな人々だったとしか思えません。
「借銭法度」が制定された背景には、戦乱や災害で武田領国内の給人・百姓層が困窮し、借銭を重ねていた社会状況があり、そのうえ武田氏の「御蔵」を管理し、その米銭で金融活動を行う「蔵主」の存在があった。彼らは武田氏の経済基盤として位置づけられており、給人・百姓層を中心とする債務者層側の売買・貸借をめぐる相論(訴訟)を武田氏が裁定するとき、その基準として定めたのが「借銭法度」であった。
戦国大名である武田氏は、「借銭法度」をふくむ「甲州法度」を制定することによって、「自力」による紛争解決を規制する一方、自らの権力基盤である給人・百姓層や「蔵主」などの権益を保護することで、大名領国を支配する公権力として、自らの正当性を確立していった。
「甲州法度」のなかに裁判や債権執行のあり方などを定めた「借銭法度」なるものがあることを初めて識りました。戦国大名が領国を支配するときに、武力だけでなく、法令を定めていたこと、裁判の手がかりとしてたことを認識できる本です。
(2015年12月刊。8000円+税)

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