弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年10月14日

漢倭奴国王から日本国天皇へ

日本史(古代)

(霧山昴)
著者 冨谷 至 、 出版  臨川書店

いやあ、学者って、さすがです。すごいです。
「漢の倭(わ)の奴(な)の国王の印」と読むと教えられてきましたが、「国王」と読むのはおかしいと指摘します。なるほど、そうだろうなと私は思いました。それに代わって「漢の倭奴国(わどこく)の王の印」と読むと主張します。ええっ、倭奴(わど)なんですか・・・。
中国皇帝が印綬とともに民族の首長に与える称号は「王」であって、「国王」ではない。このころ、「国王」などという称号は存在していない。ふむふむ、そうなんですね。
著者は、「倭奴国」と「倭国」は同じ国を指していると考えています。
『後漢書』に「倭奴国」という表記がある。
朝貢といっても、その実態は自由な海外交易だった。しかし、それを中国側は内外に「朝貢」と呼んでいた。威信を誇示するためである。対する異民族も、文明の中華と関係をもっていることを誇示できたら、内外に優越性を示すメリットがあった。
6世紀の日本、仏教が日本列島に伝来してきたころ、倭人は漢文を自由自在に使いこなすまでには至っていなかった。まだ初歩の学習段階にあった。
ところが、倭王武が中国の皇帝に送った上奏文は典拠を縦横に駆使した正統漢文だった。なので、これを書いたのは朝鮮半島からの渡来人たちだと考えるほかない。
「日出処」は東方、「日没処」は西方を意味する成句。東と西に上下の差などはない。したがって、この句を中国の皇帝がことさら問題にしたとは思えない。
そもそも「日没処」には西方浄土として、負のイメージはない。
「天皇」という語は、中国の古典のなかに確認できる。たとえば、『史記』にある。
天皇の前は、大王などと呼んでいたが、これは、「オオキミ」と呼んだ。
日本は、かつては中国の皇帝から「王」と呼ばれて喜んでいたが、次第に「王」というのは中国皇帝に従属しているイメージが強かったので、「王」ではなく、「天皇」を用いるようになった。
7世紀はじめの推古朝、さらに中期の天智朝においては「天皇」は存在しなかった。7世紀後半の天武朝になって初めて天皇が誕生した。
日本人の中国学者による大変刺激的な問題提起が各所にあり、おおいに知的刺激をうけることができました。薄い割には高価ですので、図書館でお読みください。
(2018年7月刊。3000円+税)

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