弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年7月10日

96歳、元海軍兵の「遺言」

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 瀧本 邦慶 、 出版  朝日新聞出版

他国から攻められたら、どうする。よく、そう聞かれる。そうならんように努力するのが政府やないか。それが政府の仕事やろと言いますねん。そのために、びっくりするような給料をもろとるんやろ。戦争さけるために大臣やっとんのやろ、攻められたらどうすると、のんきんなこと言うとる暇ないやろ。やることやれ。そんなに国を守りたいのなら、そんなに国がだいじなら、まずは、おまえが行け。そう言いますね。
戦争にならんためには、どうすればいいのか。とにかく大きな声をあげないけません。沈黙は国をほろぼします。
戦争に行って何度も死線をくぐり抜けた96歳の元海軍兵の心底からの叫びです。
著者が海軍に志願したのは、17歳のとき、1939年(昭和14年)だった。佐世保の海兵団に四等水兵として入団した。
海軍に入ったその日から、すべてが競争の日々。新兵の仕事は、なぐられること。面白半分に上官から殴られる。海軍では、下っ端の兵卒は人間ではなく、物。そこらへんの備品あつかい。死んでもいくらでも補充できる物。
著者は真珠湾攻撃にも参加しています。ただし、著者の乗った「飛龍」は真珠湾から300キロ以上も離れていて、攻撃の様子はまったく分からなかった。ペリリュー島に行き、ミッドウェー海戦にも参加します。このとき日本軍は大敗北したのに、大本営発表は勝ったかのような内容でした。命からから助かった著者たちは口封じのため南方戦線に追いやられるのです。
こうして下っぱの軍人をだましていたんやなと気づかされた。国民をだますにもほどがある。ときの政府、ときの軍隊は嘘をつくんだな、そう思った。
著者たちはトラック諸島に追いやられた。ここでは毎日のように死者が出た。ほとんどが栄養失調。多くの兵が餓死した。栄養失調がすすんで身体に浮腫(むくみ)が出た。
下っぱの兵士が木の葉っぱを食べているときに、士官は銀飯(お米)を食べていた。いざとなったら、国は兵士を見殺しにする。見殺しは朝飯前(あさめしまえ)。
ここで死ぬことが、なんで国のためか。こんな馬鹿な話があるか。こんな死にかたがあるか。なにが国のためじゃ。なんぼ戦争じゃいうても、こんな、みんなが餓死するような死にかたに得心できるものか。敵とたたかって死ぬなら分かる。のたれ死にのどこが国のためか。
ここで考えが180度変わった。これは国にだまされたと気がついた。わたしが一番なさけないのは、だまされておったこと。いつまでもくやしいですやん。
日本軍に見捨てられて南方の孤島で餓死寸前までいたった著者は戦争はしてはいけない、国にだまされるなと叫んでいます。苛酷な戦場を体験したことにもとづく叫びですので、強い説得力があります。
(2018年12月刊。1400円+税)

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