弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年12月21日

享徳の乱

日本史(中世)


(霧山昴)
著者 峰岸 純夫 、 出版  講談社選書メチエ

応仁の乱の前に30年も続いた享徳の乱というのがあったのですね、知りませんでした。とても分かりやすい文章で、なるほどなるほどと読みすすめることができました。
戦国時代は応仁・文明の乱より13年も早く、関東から始まった。応仁・文明の乱は関東の大乱が波及して起きた。
関東の大乱は、享徳3年(1454年)、鎌倉(古河)公方(くぼう)の足利成氏(しげうじ)が補佐役である関東管領の上杉憲忠を自邸に招いて誅殺した事件を発端として内乱が発生し、以後28年にわたって東国が混乱をきわめた事態をいう。
この享徳の乱は、単に関東における古河(こが)公方と上杉方の対立ではなく、その本質は上杉氏を支える京の幕府・足利義政政権が古河公方の打倒に乗り出した東西戦争である。
南北朝の内乱は57年間続いたが、享徳の乱は28年間も続いた。応仁・文明の11年間よりはるかに長い。源平合戦(治承・寿永の内乱)は5年間でしかない。
一揆というのは、百姓だけでなく、武士であっても、揆(やりかた)を一にするものをいう。
足利成氏が12月27日自邸で上杉憲忠誅殺事件を起こすその11月23日と12月10日に大地震が起きている。また、応仁・文明の乱の直前には大飢饉が発生していた。
1456年には、大きな彗星(ほうき星)が出現して、人々の不安が高まった。ハレー彗星の出現である。
中世の支配構造は職(しき)の体系と呼ばれる重層的なものであった。すなわち、同一の所領について、現地の地頭職、中間の領家職、上部の本家職などが重なって、それぞれの所得分の権利となっていた。つまり、「この所領は、わがもの」といえる主体か何人もいた。
足利成氏は享徳の乱の28年間、粘り強い戦いによって幕府、上杉方と五分に渡りあい、事実上の勝利をもたらした。成氏という人には並々ならぬ器量があった。
やがて太田道灌や北条早雲が舞台に登場してきます。戦国大名の形成過程がたどられています。
戦国大名に成長していった勢力には、その出身別にみると、前代の守護・守護代や国衆といわれる在地勢力があげられる、それらが戦国争乱の過程で上剋下や下剋上といった抗争や地域間の争覇を通じて権力を拡大して、一国ないし半国以上の領域を掌握して戦国大名となっていく。
まことに世の中には知らないことがたくさんあるものです。
(2017年10月刊。1550円+税)

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