弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年6月 6日

可視化・盗職・司法取引を問う

司法

(霧山昴)
著者 村井 敏邦 ・ 海渡 雄一 、 出版  日本評論社

私は現役の国選弁護人です。当番弁護士も被疑者弁護も出動します。同世代で引退している人は多いのですが、法廷で刑事弁護人として検察官とわたりあうのは弁護士の原点だと確信しています。私にとって、現役の弁護士であろうとする限り、その前提として国選弁護人の活動を続けるつもりです。ところが、実は、私の出番がすごく少なくなっています。これは弁護士の数が増えたからではありません。刑事事件の減少が著しいことによります。それだけ平和な日本になったと言えそうなのですが・・・。
かつて多かった覚せい剤、万引事件も減ってしまいました。本当にこれらが減っているのならいいのですが、警察の検挙能力の結果だったり、モミ消しが多いだけだったというのなら救われません。この本に、最近の司法統計が紹介されています。
犯罪(刑法犯)の認知件数は、2012年に戦後最高の285万件を記録したが、それ以降は毎年10万件単位で減少しており、2015年は109万件と半数以下になった。検挙件数は、2003年から2007年にかけては60万件台だったが、それ以降は同じように減少していき、2015年は35万件まで減少して、戦後最小となった。
検挙人員は、1997年以降は30万人台だったが、2012年から30万人を下回り、2015年は24万人となった。
検挙率は、昭和期には、60%前後だったが、平成に入って急激に低下し、2001年には19.8%となり、戦後最低を記録した。その後は少し上昇したが、このところ横ばいであり、2015年は32.5%だった。
この状況下で、2016年5月に刑事訴訟法が改正された。この改正は、刑事訴訟法の基本の変更をもたらしかねない内容をもっている。盗聴の対象犯罪の拡大は既に施行されたが、司法取引は2018年6月までに、可視化については2019年6月までに施行されることになっている。
果たして、これらの刑事訴訟法の改正はどのような意義を有するものなのか・・・。
取調べの録音・録画は冤罪防止につながらない。逆に、不適切な録音・録画が公判廷で再生されることによって、裁判員に対して予断、偏見を生すことが危惧される。
小池振一郎団員(東京)が「可視化は弁護をどう変えるか」というテーマで論稿を寄せている。今市事件では、「犯人」として逮捕・起訴された男性は、147日間、ずっと代用監獄に収容され、自白しないと食事させないと脅された。そのとき、警察等の取調べ録画は、わずか81時間あまり。そのうち編集された録画7時間分のみが証拠として採用されて、公判廷で再生された。今市事件では、裁判員たちが録画をみて、有罪か無罪かを決定した。
映像には、情報が膨大に詰まっているので、人は映像のなかに見たいものしか見ない。ましてや部分録画は、かえって真相を歪曲する恐れがある。ビデオ録画が実質証拠化すれば捜査段階が弁護人抜きの一審裁判化する。これは公判中心主義の破壊である。
取調べを録画する以上は、せめて取調べの弁護人の立会いが必要とされるとすべき。
日本では警察は被疑者を屈服させる場とされ、このような場面は録音・録画されない。
部分録画が法廷に堂々と提出されるようになったら、公判廷で心証をとる公判中心の近代刑事司法にしようとして裁判員裁判が始まったはずなのに、公判中心主義の破壊を改正法が推進するおそれがある。
改正法では録音録画の取調べ請求義務があるとされる場面であっても、それを証拠採用するのは別問題とすべき。取調べの録画は弁護人に開示されることが重要であり、その結果、任意性の争いを撤回したら、録画を証拠採用しないように運用すべきである。
海外では、取調べは、せいぜい数日程度。長時間、長期間の取調べを規制することによって、取調べの全過程可視化を現実のものとすることができる。
なーるほど、そういうことだったのですね。司法取引の導入については、岩田研二郎(東京高裁)団員が丁寧に問題点を指摘してくれています。
法改正の動きだけでなく、刑事弁護の実務にも大変役立つ内容になっています。
ご一読をおすすめします。
(2017年3月刊。2400円+税)

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