弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年12月29日

炭坑美人

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 田嶋 雅己 、 出版  築地書館

 1987年から1991年にかけて、筑豊中を著者が駆けめぐって、元女坑夫だった150人ものお婆ちゃんたちを取材した本です。そのほとんどが顔写真を撮らせてくれたので、坑夫生活の様子が顔写真とともに紹介されています。炭坑美人と銘うった本になっている所以です。
 筑豊に炭坑が栄えるようになったのは、明治20年代から30年代にかけてのこと。もちろん戦後まで続いた。この100年間に掘り出された石炭は8億7000万ドルに達する。
赤い煙突目あてにゆけば、米のまんまがあばれ食い
当時の採炭はツルハシを使って石炭を掘る、男の「先ヤマ」と、その「先ヤマ」によって掘り出された石炭をスラと呼ばれるソリ状の箱やテボ・セナといった、竹でできた籠を使って運びだす「後ろ向き(あとむき)」を、もっとも小さな単位として成り立っていた。
闇夜よりもまだ暗い、真っ暗闇に下がった女坑夫の多くは、この「後向き」と呼ばれる労働に従事した。
女坑夫たちは、早ければ9歳から、15歳になれば公然と坑内に下がって働いていた。
 戦争が終わって、アメリカの時代になって女ごは坑内に下がることがでけんごとなった。ワシは喜んだばい。もう、これで明日から坑内に下がらんでいいと思うてね。そいき、日本は戦争に負けて本当に良かった。女ごは坑内なん下がっちゃあならん。
私も一度だけ、たった一度だけですが、炭坑の坑内に下がったことがあります。海底深くの切羽(きりは)までたどり着くのに1時間以上もかかりました。坑内電車に乗り、マンベルト(ベルトコンベアーに人間が座れるようになっています)に乗って、徒歩で真っ暗闇のなかを歩いていくのです。漆黒の闇です。もちろん、頭上にはキャップランプがついているので、行く先だけはなんとか見えるのですが、深い闇の中に入っていくのは本当に怖いものです。一度で私はこりごりしました。
 それでも、坑内は夏は涼しいし、冬は温(ぬく)い。慣れてしまえば、坑内ほど、いやすいところはないとたい。三日間、坑内にずっといたこともある。
一度は天井がバレて、2日ぐらい閉じ込められたこともあった。坑内では函がどまぐれてペチャンコになって死んだ人もおりなすった。そんなのは、よう見るくさ。恐ろしかったら坑内には下がられん。人が死んだ現場の横で明けの朝には炭を掘らんとやからね。
 ボロクソに怒られながら、地の底で虫ゲラのごとく働いていて、本当に情けない。坑内は暗い。いくら泣いても涙も分からない。涙と汗と炭塵で体中が真っ暗になる。上半身は裸なので、もうとても女の姿なんかじゃない。
 朝鮮人は何の訓練もなしに働かされていた。入坑するのも風呂に入るにも見張りがついていた。耐えかねて逃げ出しても、たいていは捕まる。すると、全員が見ている前で、ビシビシ叩いて水をザブザブかける。見せしめにするため。
 坑内では、男はもうヘコも何もせん。みんなフリ出しばい。娘たちはズロースだけは履いちょったばってん、オバサンたちなん、なんもはいちょらん。下から見れば、まるっきり見えるとやき。そげなふうで、昔は、みーんな裸。スッポンポン。そいで、シモの話ばっかりしよるきなぁ。坑内下がっとるときは面白かったよ。笑うげなことばっかしたい。
生理のときも休まず働いていた。
戦前の筑豊の炭鉱の驚くほど生々しい実態がよくぞ紹介されている、貴重な聴き取り集です。


(2000年10月刊。2500円+税)

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