弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年10月21日

日中映画交流史

中国

(霧山昴)
著者 劉 文兵 、 出版  東京大学出版会

 私にとって李香蘭(山口淑子)ってピンと来ない存在ですし、自民党の国会議員になったことから、どうせ自己中心のスターだろうという感じです。
 ところが、中国人にとっては、李香蘭というのは、日中のあいだに横たわる歴史問題の複雑さを物語るシンボリックな人間であり、また日中文化交流の歴史を語る際に欠かせない存在だというのです。
 李香蘭は、日中戦争のさなかに、日本人であることを伏せて中国人の映画スター歌手として活躍し、中国・日本はもとよりアジア諸国で抜群の知名度を得ていた。
満州生まれの日本人で、満州の日本人小学校を卒業したあと、華北の女子中学校に学び、満映に入社した。
 戦後、山口淑子として再出発してからは、中国に対して繰り返し謝罪し、日本の政治的指導者による靖国神社への参拝には断固として反対した。そして、日中友好に尽力し続けた。
日本映画が満州国の民衆に広く受け入れられたとは言い難い。そして、満州国の統治者側も、中国人向けの日本映画市場の開拓を積極的に行っていたとは言い難い。
満州国では、「協和語」という、中国語と日本語とが混在した奇妙な言語が流通していた。文法をまったく無視した「簡易な日本語」、中国語の単語を日本語の語順で並べる「和製中国語」である。
戦後、日本映画が中国に入った。 『二十四の瞳』は、『芙蓉鎮』の謝晋監督が演出を学ぶべき手本とした。
 小津安二郎、木下恵介、山本薩夫、山中貞雄、山村正樹といった多くの日本の映画人、は戦時中に一兵卒として中国戦線に出征した経験をもっていた。
文化大革命が終わった中国では、空前の日本映画ブームが起こった。
 『君よ憤怒の河を渉れ』は野外に巨大なスクリーンが張られ、正面の一等席に1万人が陣取り、スクリーンの裏側にも8千人の人々が裏返しで映画をみた。
これは髙倉健の主演する映画です。残念ながら、私はみたことがありません。
 この映画は、1978年に封切られて、北京だけで2700万人の観客動員を達成した。中国の人々はいまだ見知らぬ資本主義世界をスクリーンまで疑似体験した。そして、文革のなかで失脚した人々が無実を証明しようとする人々の気持ちにもぴったりのストーリーだった。
 1979年、日本映画『愛と死』は中国で熱狂的に歓迎された。ヒロインの栗原小巻は中国で絶対な人気を呼んだ。
そして、1980年には、『砂の器』が中国の観客に大きな衝撃を与えた。いやあ、これはいい映画、すごい映画でしたね。加藤剛の熱演が忘れられません。
当時の中国人観客にとって衝撃的だったのは、長期にわたって中国映画においては、善でも悪でもないキャラクターの描写はタブーとされていたから。それまでは善玉と悪玉が明確に分かれている図式の映画ばかりだった。
日本での中国映画ブームもすごいものがありました。私の好きなのは、なんといっても『芙蓉鎮』と『初恋のきた道』です。
 中国生まれで、今は日本に住んでいる中国人による、本格的な日中映画交流史です。貴重な労作でもあります。
まだ見ていない映画、見たい映画がこんなにあるのか・・・と思いました。ぜひ時間をつくってみたいものです。
 
(2016年6月刊。4800円+税)

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