弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年9月 2日

ブラッドランド(下)

ドイツ・ロシア

(霧山昴)
著者  ディモシー・スナイダー 、 出版  筑摩書房

 ミンスクに住むベラルーシ人やロシア人は、しばしば友人が同僚がユダヤ人かどうか知らなかったり関心がなかった。
森林や湿地に恵まれたベラルーシは、パルチザン戦にはもってこいの土地だった。ヒムラーとヒトラーは、ユダヤ人の脅威とパルチザンの脅威をひと括りにした。ナチス・ドイツは、しばしばユダヤ人男性の妻子を人質にとり、もう一度、家族の顔が見たければ、森へ行って情報を持ち帰れと迫った。だから、ユダヤ人のスパイは少なくはなかった。
パルチザン活動は、しばしば成果をあげたものの、結果として、必然的に民間人の命を奪ってしまうことがあった。
ゲットーに残ってドイツのために働くユダヤ人も、ゲットーを出て自主的に行動できる能力を見せたユダヤ人も、いずれにせよ、スターリンに言わせれば、要注意人物だった。
 1941年から42年にかけて、ナチスの機関に入ってユダヤ人を殺したベラルーシ人が、43年には、ソヴィエト・パルチザンに入った。いずれかの側について戦い、死ぬはめになったベラルーシ人にとって、それはしばしば「運」の問題だった。いずれの陣営も、新入りがその場の成り行きで加入を決めたことを知っていたので、新入りには、敵として戦って捕まった友人や家族を殺すという冷酷きわまる任務を与えて、忠誠心を試した。
ポーランドのパルチザンは、非道で知られるドイツとソ連の武装集団にはさみ撃ちにされる形になってしまった。
ドイツ軍が殺戮ゾーン作戦という手段に出たことは、まもなくソ連がベラルーシに戻ってくることを意味した。ドイツ占領下ソ連のどの地域でも、ナチス・ドイツはほとんどの住民がソ連の復帰を望むように仕向けてしまった。ドイツ人のほうが殺人者としては残忍だったし、ドイツ人による殺戮のほうが記憶に新しかったため、現地住民の目にはソ連政権のほうがまだましに見え、解放者とさえ思えた。
ベラルーシほど、ナチスとソ連のシステムが重なりあい、影響しあった地域はない。そこは、ヨーロッパでもユダヤ人がとくに多かったが、住民の抵抗能力が並外れて高い地域でもあった。ミンスクをはじめとするベラルーシのユダヤ人は、ほかのどの地域のユダヤ人よりも激しくヒトラーに抵抗した。ドイツ国防軍の報告書にパルチザン1万人以上を殺害したと書かれているが、押収した銃は90挺のみ。つまり、殺害された人のほとんどは実際には民間人だった。そして、他方のソヴィエト・パルチザンは、ベラルーシで1万7千人を裏切り者として殺害したと報告している。
ワルシャワ蜂起は、ドイツを負かすことが出来ず、ソ連にとっては、ちょっとした不快の種でしかなかった。赤軍はワルシャワの手前で思いのほか頑強なドイツ軍の反撃にあって足止めを食っていた。ドイツ軍は東部戦線で結束した。ソ連にとって、ワルシャワ蜂起は望ましいことだった。なぜなら、ドイツ人だけではなく、独立のために命がけで戦うポーランド人も大勢が死ぬことになるからだ。スターリンは、アメリカに対して、自分がポーランドを支配するつもりであり、ポーランド人闘士が死んで蜂起が失敗に終わったほうが望ましいと考えていることをアメリカに伝えた。
ヒトラーとスターリンによる大虐殺の真実が繰り返し明らかにされている労作です。上下2巻もあり、実に重たい本ですが、真実から目をそむけるわけにはいきません。戦争というもののむごさをひしひしと感じさせられました。
(2016年2月刊。3000円+税)

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