弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年3月16日

検証・朝鮮戦争

朝鮮(韓国)


著者  白 宗元 、 出版  三一書房

 この本は1950年6月25日、韓国軍が攻撃を開始し北進したのが朝鮮戦争の始まりだとしています。明らかに歴史的事実に反します。ただ、そのことを除けば、朝鮮戦争の前夜の状況を詳しく紹介していて、なるほどと思わせます。
 そして、この本は日本が朝鮮戦争といかに関わり、利益を得たかを明らかにしています。
 日本における特需景気は頂点に達した。特需は陣地戦に必要な土のう用麻袋、有刺鉄線、野戦携帯食糧、毛布など、広範囲にわたった。とくにナパーム弾や砲弾などの需要が激増した。52年だけで、大阪機工は迫撃砲528門を生産している。小松製作所は81ミリ迫撃砲弾を32万5000発、同4.2インチ砲弾を63万3000発、大阪金属は同じく30万発など、大量受注している。
 まさしく、日本は死の商人としてもうけ、そのおかげで日本経済は立て直しにつながったのでした。
満州にいた日本軍の引部隊の幹部だった北野政次は、GHQの命令で朝鮮戦線に派遣され、「4ヵ月のあいだ滞在しながら流行性出血熱ウイルスの確保」に従事していた。
 細菌兵器として、野ネズミが埼玉県内の農家で大量飼育されていた。
731部隊の元軍医中佐であった「ミドリ十字」の創始者は、朝鮮戦争当時、アメリカ軍兵士の輸血用血液を大量に供給する必要があったため、この会社をおこしたのだった。
 朝鮮戦争における仁川上陸、掃海作戦には、多くの日本人が参加した。
 朝鮮戦争が始まると、日本政府は特別調達庁を積極的に運用した。アメリカ軍の作戦にあたって必要なあらゆる調達の要求を直ちに対応する中央機関であった。
 1950年から55年までのアメリカの軍需発注は、武器弾薬の調達と役務をふくめて18億ドル近く、軍人・軍属による軍需品買付が17億ドルあって、朝鮮特需は合計35億ドルをこえるものがあった。1952年から55年までの砲弾特需は総計400億円にのぼり、そのうち小松製作所が160億円で、4割を占めた。
 トヨタは、1000大もの米軍用トラックを受注したことが発展の基礎となった。トヨタは倒産寸前にあったのが、これで息を吹きかえした。
 仁川上陸に成功したあと、マッカーサーは元山上陸作戦を立て、そのため機雷掃海を日本政府に命じた。日本政府は、25隻の掃海艇、巡視船からなる「特別掃海隊」を編成し、旧日本海軍軍人1200人を動員して1950年10月12日から12月12日まで、元山、海州、仁川、群山、南浦で機雷の掃海に出動させた。
 そのなかで10月17日、掃海艇1隻が触雷して沈没し、19人の死傷者を出した。
朝鮮戦争はまだ休戦状態にあり、終わっていません。そして、この戦争に日本も深くかかわっていたことを忘れるわけにはいきません。
 北朝鮮の金正恩の暴走は心配ですが、日本人も考えるべきことは多々あります。決して他人事(ひとごと)ではありません。
(2013年6月刊。2500円+税)

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