弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年1月16日

戦争記憶の政治学

朝鮮(韓国)


著者  伊藤 正子 、 出版  平凡社

 ベトナム戦争は、私が物心ついたときには既に進行中でした。大学生時代には、ベトナム反戦デモに何回も参加しました。
 「アメリカのベトナム侵略戦争に反対するぞ」
 こんなシュプレヒコールを何度も何度も叫びました。深夜に、東京・銀座の大通りいっぱいを埋めるフランスデモをしたときには、気分も爽快でした。
 そのベトナム侵略戦争には、韓国軍も加担していました。
 1965年から1973年までの9年あまり、韓国軍の青龍(海兵第二旅団)・白馬(第九師団)・猛虎部隊(首都師団)など、31万人あまりがベトナムに行き、5000人ほどの戦死者を出した。
 この9年あまりのあいだに、韓国軍は1170回の大隊級以上の大規模作戦と55万6000回もの小規模部隊単位作戦を遂行した。そして、韓国軍は4万1400人の「敵」を射殺した。韓国では、ベトナム戦争への参戦は「武勇伝」として語られてきた。
 1999年からハンギョレ新聞はその実情を知らせるキャンペーンを展開し、大反響を呼んだ。
 2000年6月、ハンギョレ新聞社はベトナム参戦軍人2400人に包囲され、パソコンを破壊され、幹部が監禁された。
 ところが、これに対するベトナムの反応は複雑だったのです。
「反韓」感情が国民のなかで強くなり、ひいては外交・経済交流に悪影響を及ぼすような事態になることを懸念して、ベトナム国家はこの問題が全国的に継続的に報道されることを許さなかった。その結果、ベトナム戦争の終結後に生まれた世代が7割を占めるようになったベトナムでは、戦争中に韓国軍が引き起こした事件は当該地域以外であまり知られていない。
 ベトナム戦争によって、ベトナムでは30万人が亡くなり、450万人が身障者になり、200万人の枯葉剤被害者が発生した。でも、アメリカがベトナムに与えた苦痛に比べたら韓国軍の誤りはとても小さいと言える。
 ベトナム戦争に参戦した韓国側のNGOは、「負の歴史を刻んで未来の平和に生かそう」というスローガンで活動している。ところが、ベトナム国家は、それとは逆の「過去にフタをして未来へ向かおう」というスローガンを掲げている。過去に多くの国家から侵略を受けてきたベトナムは、グローバル化する21世紀を生きていくうえで、どの国家とも良好な政治・経済関係を維持・発展させていくために、この方針をとっている。
 2009年、韓国の国会で審議中の法律の条文に「ベトナム参戦勇士は世界平和の維持に貢献した」とあるのに、ベトナム政府が抗議した。
 金大中(キム・テジュン)大統領は、非常に明瞭な形でベトナムに謝罪の言葉を述べた。その後、ODAによるベトナム中部地域への韓国からの投資が増大した。
 しかし、金大中大統領の謝罪は、自分たちの尊厳を冒瀆したとみなすベトナム参戦軍人たちが反撃に出た。「中途半端」な村の虐殺事件の記憶は、経済発展に慢心することこそが至上命題の現在のベトナム国家にとって、掘り起こしても何の得もない「歴史」にすぎない。
 ベトナム戦争をめぐる公定記憶は、人々の苦しいながらも国家に貢献した誇らしい記憶である。しかし、「輝かしい勝利」になんら貢献していない、生き残りの人たちが語る「ハミ村の虐殺」は、ベトナム国家の公定記憶になりえないのだ。つまり、韓国軍による虐殺の記憶は、ベトナムでは、ナショナリズムと結びついた記憶にはならない。結びつけようとした時点で、ナショナリズムがほころびてしまう。この点が、日韓や日中の関係ともっとも異なるところである。
 私が韓国軍のベトナム参戦とその問題点を知ったのは、1989年に『武器の影』(岩波書店)、1993年に『ホワイト・バッジ』(光文社)を読んでからのことです。それが今、ベトナムが経済成長優先策のもとで難しい局面を迎えているのを知り、複雑な気分になりました。
(2013年10月刊。2800円+税)

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