弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年9月22日

ブルゴーニュ公国の大公たち

ヨーロッパ

著者  ジョセフ・カルメット 、 出版  国書刊行会

ボルトーと並んで有名なワインの名産地、ブルゴーニュ地方には中世に大きな公国があったのでした。その首都デイジヨンには大きな館があり、今では市庁舎と立派な美術館になっています。昔の栄華をしのばせる偉容には圧倒されます。
そして、デイジョンもボーヌも、まさしく美食の町です。星があろうとなかろうと、心ゆくまで美味しい食事を堪能することができます。ボーヌには2度行きましたが、ぜひまた行きたいところです。
初代ブルゴーニュ公のフィリップ・ル・アルディは、1342年生まれ。背が高く、頑健で、よい体付きをし、丸々と太っていて。色の黒い醜男だった。明敏な洞察力こそは、機を見るのに敏な感覚、決心とあいまって、公の主な長所とも言えた。
 二代目ブルゴーニュ公のジャン・サン・プールは、勇敢で大胆で、ひねくれ者で、際限のない野心家だった。1407年11月、ルイ・ドルレアンがジャンによって暗殺された。ジャン・サン・プールは、野望をみたすためには、目的のためには手段を選ばず、緊迫した情勢を解決できるなら、犯罪であってもやってのける政治家だった。逆にオルレアン公の方がブルゴーニュ公の暗殺を図っていた。だから、正当防衛しただけのことだと喧伝された。
 英国軍がヘンリー5世の下にアザンクールでフランス軍を大敗させた。ジャン・サン・プールはヘンリー5世と結んだ。そして、1419年9月、ルイ・ドルレアン公殺しの張本人が、モントロー橋の上で暗殺された。
 三代目のブルゴーニュ公は、フィリップ・ル・ボンである。背は高く、風采は立派、人並みすぐれ、見栄えする容姿の持主だった。その私生活は庶外れの自由奔放さで、30人の愛人がいて、公認の私生子は17人いた。
 このフィリップ・ル・ボンの時代に、あのオルレアンの少女、ジャンヌ・ダルクが登場する。ジャンヌ・ダルクは、金貨1万エキュという巨額でもって英国人に売られた。裁判長のピエール・コションは、残忍な対英協力派、何でもやってのける聖職者だった。フィリップ・ル・ボンはジャンヌ・ダルクの裁判をちゃんと知らされていた。
 四代目で最後のブルゴーニュ大公は、シャルル・ル・テメレール(突進公)である。
 自分にも、他人にもきびしく我慢を知らず、粗暴で執念深く、すぐに逆上した。
 ブルゴーニュ公国では、民衆的な劇が非常に好まれ、数多くの俳優がいた。まばゆいばかりのロマネスク芸術の一派が花を咲かせた。
ブルゴーニュ宮廷は、15世紀に、稀にみる輝きを発した。祝宴は、公家のお得意芸の一つだった。パントマイム、人体を組みあげてくるお城、軽業の見世物などが宴会にはつきものだった。たえず工夫をこらしていることが決まりだった。
 ブルゴーニュ公国には、制度上の一体性はまったくなかった。
ブルゴーニュ公国は、現在のフランス、ベルギー、オランダ(の一部)、ルクセンブルクなどにまたがった広大な版土を有していた。
そんな中世のフランス公国を知ることのできる本格的な歴史書です。
(2000年5月刊。6500円+税)

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