弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年7月23日

レニングラード封鎮

ロシア

著者   マイケル・ジョーンズ 、 出版   白水社

思わず涙が出てくる、つらい話が続く本です。スターリンの非道さにも怒りが湧きあがってきます。
 3年ものあいだ(900日間)、ナチス・ドイツ軍に包囲されたレニングラード攻防戦の顛末が語られています。なにしろ市民の犠牲者100万人のうち餓死者が80万人というのです。半端な数字ではありません。これはヒトラーが力攻めをあきらめたこと、スターリンの作戦指導が間違っていたことによります。
 人口250万人のレニングラードを包囲したナチス・ドイツ軍は意図的に市民を餓死に追い込んだ。1941年冬までにレニングラード市民のパン配給量は1日125グラムでしかなかった。略奪と人肉食(カニバリズム)が蔓延した。封鎮中に、少なくとも300人がカニバリズムのかどで処刑され、1400人以上がこの罪名で投獄された。しかし、レニングラードは、驚くべきことに崩壊はしなかった。
 恐怖のただなかで、他人を助けることが生き残る鍵となった。人々は親戚や友人達と一緒に住み、互いに助けあった。もっとも絶望的な状況のなかで、士気とやる気がとても重要だった。市民たちの挑戦の最大のシンボルが驚くべきオーケストラ演奏会だった。このコンサートの象徴的な意義は絶大だった。ショスタコーヴィチの交響曲第7番が演奏された。ホールは、いつも満員だった。この演奏を包囲していたナチス・ドイツ軍の将兵も聞いていた。この音楽を聞いて、彼らはレニングラードを決して落とせないだろうという実感を抱いた。
レニングラードは、ヒトラーにとって主要な目標だった。
レニングラードの陥落は、ソビエト国家から、その革命のシンボルを奪うことになる。
 ヒトラーはこのように語った。実は、ドイツ軍兵士がレニングラードを占領したときには、疫病の深刻な危険があると、ヒトラーは警告されていた。
 ソ連軍の総司令官ヴォロシーロフは無能だった。61歳という老齢の元帥は、赤軍随一の脳なしと後年にフルシチョフが評した。それでもスターリンは、ヴォロシーロフを、その地位に留めおいたのは、信頼できる男だったからである。ここにレニングラード市民にとっての悲劇が始まるのです・・・・。
 トハチェフスキー将軍は、ヴォロシーロフを軽蔑していたが、その政治的陰険さを見くびっていた。スターリンは、トハチェフスキーなど、有能な元帥を次々に銃殺していった。
 1937年から、1938年にかけて、3万人をこすレニングラード市民が逮捕され、処刑あるいはシベリアの強制収容所へ送られた。これがナチス・ドイツ軍によるレニングラード包囲戦を戦うのに困難をもたらした。
 レニングラードの司令官としてジューコフが派遣されてきた。このジューコフは、人命損失をまったく気にかけることがなかった。人命の犠牲を度外視して、敵のドイツ軍への攻撃を次々に命令し続けた。
 ジューコフ将軍は、ノモンハンで日本軍(関東軍)とたたかいますが、このときも同じ人命軽視の戦術を強行したようです。
レニングラード図書館はずっと開館していた。
 新任の司令官はドイツ軍前線にむけてスピーカーで、オーケストラの演奏するショスタコーヴィチの交響曲第7番が容易に聴けるように手配した。演奏会の前には、ドイツ軍砲台に向けて集中砲火を浴びせて沈黙を強いていた。
 飢餓のなかでも、人間は気高く生きることができるのですね・・・・。
 もっと知られていい歴史だと思いました。しっかり読みごたえのある本です。

(2013年2月刊。3800円+税)

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